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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第5章【黒龍と人間の狭間で】

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6話

洞窟へ降り立つと、ヴェルドラは胸元に抱えていたレイラを岩床へ下ろした。


傷ついた翼が畳まれ、その先から血が滴り落ちる。


レイラはすぐに黒い前脚へ手を伸ばした。


「傷を見せてください」


『必要ない』


「駄目です」


レイラはヴェルドラの前へ膝をつくと、鱗の隙間に残った深い傷へ目を落とした。


流れ出す血は止まっておらず、足元の岩床に赤い雫が落ちている。


「すぐに戻りますから、ここで待っていてください」


立ち上がろうとした途端、黒い尾がレイラの腰へ巻きついた。


『どこへ行く』


「薬草を探しに行くだけです。この近くに生えているはずですから」


『放っておけ』


「放っておけません」


レイラは腰へ巻きついた尾に手を添え、ヴェルドラを見上げた。


「それに、黒竜さんから離れたりしません。洞窟の前にいますから」


赤い瞳が僅かに細められる。


しばらくして尾が解かれると、レイラは木椀を手に取り、洞窟の外へ向かった。


ヴェルドラの視線を背中に感じながら、岩場の隙間や木の根元を探していく。


やがて目当ての葉を見つけると、必要な分だけ摘み取り、木椀へ入れた。


洞窟へ戻ったレイラは、泉の水で葉についた土を洗い流した。


平たい石の上へ並べ、別の石を押し当てて、緑色の汁が滲むまですり潰していく。


ヴェルドラは泉のそばへ身を伏せたまま、その様子を眺めていた。


「少し染みるかもしれません」


『我にそのようなものが効くと思っているのか』


「何もしないよりは、きっといいです」


レイラは潰した薬草を指先に取り、前脚の傷へそっと塗り込んだ。


ヴェルドラの爪が岩床を僅かに擦る。


レイラはその動きに気づいたものの、何も言わず手を動かし続けた。


「この薬草も、祖母に教えてもらったんです」


傷を覆うように薬草を重ねながら、レイラは小さく呟いた。


「怪我をしたときの使い方も、煎じて飲む方法も……一人でも困らずに暮らせるように、覚えておきなさいって」


レイラは自分のドレスの裾へ手をかけた。


布を掴み、細長くなるように引き裂いていく。


破いた布を傷の周りへ回し、薬草がずれないよう丁寧に巻きつけた。


「料理も、裁縫も、火の起こし方も……暮らしていくために必要なことは、ほとんど祖母が教えてくれました」


最後に布の端を結ぶと、レイラは傷を押さえない程度に指先で確かめた。


「祖母がいなくなってからも、一人で暮らしてこられたから……もう、慣れていると思っていたんです」


ヴェルドラは何も答えなかった。


レイラは立ち上がると、傷ついた翼へ近づいた。


黒い皮膜には、折れた矢が何本も残されている。


「抜きますね」


矢の残った部分を両手で掴み、傷口を広げないよう慎重に引き抜く。


ヴェルドラの喉から低い唸り声が漏れた。


レイラは手を止め、黒い顔を見上げる。


「痛いですか?」


『早くしろ』


「……はい」


一本ずつ矢を抜き、開いた傷へ潰した薬草を塗っていく。


指先へ血がついても、レイラは丁寧に手当てを続けた。


「村へ戻って、また一人で過ごしてみたら……前とは違っていました」


最後の矢を引き抜くと、レイラは血に濡れた手を泉の水で洗った。


「家の中が、あんなに静かだったなんて、今まで気づかなかったんです」


濡れた指先をドレスで拭い、残った薬草を翼の傷へ重ねる。


「料理をしていても、眠ろうとしても……気づくと、黒竜さんのことを考えていました」


手当てを終えたレイラは、傷ついた翼へ触れないよう、そっと手を離した。


それからヴェルドラの傍らへ戻り、その頬を見上げる。


「いつの間にか、黒竜さんとの暮らしが……私の中で、当たり前になっていたみたいです」


ヴェルドラは赤い瞳を細め、レイラを見下ろしていた。


やがて低く鼻を鳴らすと、その視線が壁際へ向けられる。


そこには、洗って畳まれた外套が置かれていた。


『あれは、貴様を引き留めた雄のものか』


レイラも外套へ目を向けた。


「……はい」


ヴェルドラの尾が、苛立たしげに岩床を打つ。


『やはり気に食わんな。捨ててこい』


「それは駄目です。借りたものですから」


『ならば、いつまでここに置いておくつもりだ』


「今度、きちんと返してきます」


ヴェルドラの尾が、再び岩床を打った。


『また村へ行くのか』


レイラはヴェルドラの前まで歩み寄ると、血と土に汚れた頬へそっと手を触れた。


「返しに行くだけです。もう決めましたから……あなたと、一緒にいるって」


ヴェルドラは何も答えなかった。


黒い尾がレイラの腰へ巻きつき、その身体を胸元へ引き寄せる。


『次も我を待たせてみろ。今度こそ、あの村ごと跡形もなく潰してやる』


「……はい。必ず戻ります」


腰を締めつける尾へ、レイラは静かに手を重ねた。


ヴェルドラはその顔へ鼻先を寄せ、逃げ場を塞ぐように赤い瞳を覗き込む。


『……罰を受けると言ったな』


レイラの身体が僅かに強張った。


それでも逃げようとはせず、ヴェルドラを見上げたまま小さく頷く。


「はい……」


黒い尾がレイラを持ち上げ、乾いた草の散らばる岩床へ横たえた。


ヴェルドラはその上へ覆いかぶさり、鋭い爪をレイラの両脇へつく。


『今度こそ、我から逃れられると思うな』


「逃げません」


レイラはゆっくりと腕を伸ばした。


黒い首元へ両腕を回し、自らヴェルドラの身体を引き寄せる。


思いがけない仕草に、赤い瞳が僅かに見開かれた。


レイラは潤んだ瞳でヴェルドラを見上げ、その首元へ頬を寄せる。


「もう、逃げませんから……」


喉の奥から、低い唸り声が漏れた。


黒い鼻先がレイラの頬をなぞり、そのまま白い首筋へ触れる。


僅かに感じた熱へ、レイラは目を閉じた。


怖くないわけではなかった。


それでも、黒い首元へ回した腕を解くことはなかった。


ヴェルドラの胸元へ自ら身を寄せ、その存在を確かめるように漆黒の鱗へ頬を重ねる。


「黒竜さん……」


洞窟の奥で、焚き火が小さく弾けた。


揺れる炎が、寄り添う二つの影を岩壁へ映し出す。


レイラは何度も同じ呼び方を繰り返した。


そのたびに、ヴェルドラの喉から低い唸り声が返ってくる。


やがて、苛立ったような声が頭上から落ちた。


『ヴェルドラだ』


「え……?」


レイラは顔を上げた。


『我の名だ。いつまで黒竜などと呼ぶつもりだ』


驚きに揺れた瞳が、やがて嬉しそうに細められる。


「やっと……教えてくれましたね……」


レイラは黒い首元へ回した腕に、もう一度力を込めた。


「ヴェルドラさん……」


初めて名を呼ばれた瞬間、ヴェルドラの喉からこれまでよりも深い唸り声が漏れた。


腰へ巻きついた尾へ力が込められ、レイラの身体がさらに強く胸元へ引き寄せられる。


けれど、今度は身を強張らせなかった。


「ヴェルドラさん」


もう一度、確かめるように名を呼ぶ。


その声と重なるように、洞窟の外で風が木々を揺らした。


炎は次第に小さくなり、二人の影も薄闇の中へ溶けていく。


それでもレイラが、黒い首元へ回した腕を解くことはなかった。


長い時間が過ぎ、洞窟の中へ静けさが戻っても、ヴェルドラの尾がレイラを解放することはなかった。


レイラは乱れた息を整えながら、漆黒の鱗へ頬を寄せる。


「ヴェルドラさん……」


教えられたばかりの名を、もう一度口にする。


ヴェルドラは赤い瞳を細め、その身体を尾の内側へ深く抱え込んだ。


『二度と忘れるな』


「はい……」


レイラは小さく微笑み、ヴェルドラの胸元へ身を預けた。

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