3話
村へたどり着いた頃には、朝の鐘が鳴り終わっていた。
家々の煙突から細い煙が上がり、通りではすでに村人たちが一日の仕事を始めている。
山道から現れたレイラに気づくと、近くにいた男が驚いたように声を上げた。
「レイラ!」
その声に、周囲の視線が一斉に集まる。
レイラは足を止めることなく、村長の家へ向かった。
「領主様への使いは、まだ村にいますか?」
村人たちは顔を見合わせたが、誰も答えようとはしなかった。
その人垣をかき分け、ハンスが駆けてくる。
「レイラ!」
ハンスはレイラの両肩へ手を置き、その姿を確かめるように見下ろした。
「やっぱり、あの竜のところへ行っていたのか」
その顔には、ほとんど眠っていないことが分かるほど、濃い疲れが滲んでいた。
「怪我はないのか?」
「私は大丈夫です。それより、使いは?」
ハンスは一瞬、目を伏せた。
「……夜明けとともに発ったよ」
レイラは言葉を失った。
「追いかけて、戻ってきてもらうことはできませんか?」
「レイラ……」
「お願いします。もう一度だけ、みんなで話し合ってください」
騒ぎを聞きつけた村長が、家の中から姿を現した。
レイラの前まで来ると、険しい表情を浮かべる。
「昨日、伝えたはずだ。領主様へ討伐を願い出る方針は変えられない」
「でも、このままでは——」
レイラは言葉を切り、胸元の青い石へ触れた。
「私、黒竜さんに会ってきました」
周囲のざわめきが止まる。
ハンスの表情が強張った。
「……本当に、会ったのか」
「はい。討伐のことも伝えました」
「それで、あの竜は何と?」
レイラの指先が、青い石を包み込む。
「自分へ刃を向ける者には、容赦しないと……」
村人たちの間に、緊張が走った。
「だから、兵士たちを山へ向かわせないでください」
村長は静かに首を横へ振る。
「ならば、なおさら使いを戻すわけにはいかん」
「村長さん……」
「あとは領主様の判断に委ねる」
レイラは何も答えられなかった。
ヴェルドラが人間を殺さないと約束してくれたのなら、まだ説得できたかもしれない。
けれど彼は、レイラの願いをはっきりと拒絶した。
それでも、討伐隊が山へ入るのを黙って待つことはできなかった。
「それなら、私は山へ戻ります」
ハンスが目を見開く。
「戻るって……また、あの竜のところへ?」
「日が沈むまでに戻ると、約束したんです」
ハンスの眉が寄る。
「お願い、行かせて」
レイラは山へ続く道へ足を向けた。
その腕を、ハンスが掴む。
「行かせない」
「離して、ハンス」
ハンスは掴んだ手を緩めなかった。
「レイラ」
村長の低い声に、ハンスが振り返る。
「また抜け出されては困る。討伐が終わるまで、ここにいてもらう」
村長が目配せすると、二人の男がレイラの両脇へ立った。
「待ってください。私は——」
両側から腕を引かれ、レイラの靴底が土を擦る。
「離して!」
抗う声を残したまま、村長の家の中へ連れ込まれた。
薄暗い廊下の奥には、古い食器や麻袋が積まれた小さな物置があった。
壁の高い位置に、細い光の差し込む窓が一つだけある。
「こんなところに閉じ込めるつもりですか?」
答える声はなかった。
背中を押され、レイラは部屋の中へよろめく。
「ハンス!」
振り返って伸ばした指先の前で、扉が閉ざされた。
レイラは取っ手へ飛びつき、力いっぱい引く。
扉の向こうで、金具が激しく鳴っただけだった。
「開けて! お願い、ハンス!」
「……ごめん、レイラ」
扉越しに落ちた声は、やがて遠ざかる足音へ紛れて消えた。
レイラは扉を叩き続けた。
声が掠れ、手のひらが痛み始めても、やめることはできなかった。
小さな窓から差し込む光が、少しずつ傾いていく。
やがて、その光が淡い橙色へ変わった。
『日が沈むまでだ』
洞窟で告げられた声が、耳の奥に蘇る。
レイラは扉へ額を押し当て、胸元の青い石を握り締めた。
「ごめんなさい……黒竜さん……」
窓から差し込んでいた最後の光が消え、物置の中は暗闇に包まれた。




