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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第4章【自由の向こう側】

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5話

村の家々にともっていた灯りが、一つ、また一つと消えていく。


窓の外から聞こえていた話し声も途絶え、やがて村は静かな闇に包まれた。


レイラは灯りをつけないまま、窓辺に立っていた。


道を歩く者の姿はない。


家々の扉は閉ざされ、窓から漏れる光もほとんど消えている。


レイラは窓から離れると、音を立てないように扉を開いた。


夜の冷たい空気が、頬を撫でる。


外へ出て扉へ鍵をかけ、その鍵を戸口の脇にある石の下へ戻した。


辺りを見回してから、山へ続く道へ足を向ける。


夜空には月が浮かび、淡い光が家々の屋根や道を照らしていた。


レイラは足音を忍ばせながら、眠りについた家々の間を進む。


村の外れまでは、もう遠くない。


そこを抜ければ、あとは山へ続く道を進むだけだった。


そのとき、前方から小さな灯りが近づいてきた。


レイラの足が止まる。


手に灯りを提げた一人の青年が、道の向こうから歩いてくる。


見慣れた明るい髪が、夜風に揺れていた。


「レイラ?」


ハンスもこちらに気づき、驚いたように足を止めた。


「こんな時間に、どこへ行くんだ?」


レイラは答えることができなかった。


ハンスはその姿を見つめたあと、山へ続く道へ目を向ける。


「……まさか、山へ行くつもりなのか」


レイラは俯いた。


何も答えないことが、かえって答えになってしまう。


ハンスが早足で近づいてきた。


「さっきの君の様子が気になって、見に来たんだ」


レイラの前で立ち止まり、その顔を覗き込む。


「やっぱり、あの竜のところへ戻るつもりだったのか」


「討伐のことを、知らせないと……」


「行かせない」


ハンスはレイラの前へ回り込み、山へ続く道を塞いだ。


「ハンス……」


「どうして、そこまでして戻ろうとするんだ」


「それは……」


「今度は、あの竜に戻れと言われたわけじゃないんだろう?」


「……ええ」


「あの竜はここまで来られない。君はもう自由なんだ」


ハンスの視線が、レイラから逸れることはなかった。


「もう、あの竜に怯えなくていい。それなのに、どうして自分から戻ろうとする?」


レイラは答えられなかった。


自分でも、分からなかった。


ようやく逃げることができた。


もう、ヴェルドラの機嫌を窺う必要はない。


命令に従わなければ、何をされるのかと怯えることもない。


「あの竜のところへ、戻りたいのか?」


レイラの指先が、ドレスの裾を握る。


「……分からない」


戻りたいのかと問われても、答えることができなかった。


あの洞窟へ戻ることは、今も怖い。


逃げた自分を、ヴェルドラが許すはずはない。


再び捕らえられるかもしれない。


今度こそ、殺されるかもしれない。


「戻るのは、怖いわ」


声が僅かに掠れた。


「また何をされるかも、分からない」


ハンスの眉が寄せられる。


「何があったのかは聞かない」


ハンスは一度言葉を切った。


「だが、それでも戻ろうとする理由を教えてくれ」


レイラは唇を開きかけ、再び閉じた。


上手く言葉にすることができない。


何度も考えたはずなのに、自分でもまだ答えが分からなかった。


「……家へ戻ってからも、何度も彼のことを考えてしまって」


一人で食事をしているときも。


静かな寝台へ横たわったときも。


何も聞こえない部屋の中で、山の方角へ耳を澄ませたときも。


脳裏に浮かぶのは、いつもあの黒い竜だった。


「討伐されるかもしれないと聞いたら……ここにいられなかったの」


「レイラ……」


「彼は、何も知らないわ」


村で討伐を願い出ようとしていることも。


討伐のために、兵士たちが山へ入ってくるかもしれないことも。


何も知らず、あの洞窟にいる。


そう考えるだけで、胸の奥が苦しくなった。


「何も知らないまま、大勢の人に襲われるかもしれないなんて……嫌なの」


ハンスは何も言わなかった。


レイラは胸元へ手を伸ばしかけ、そこに青い石がないことを思い出して指を止めた。


「それに、彼は強いから……山へ向かった人たちも、きっと無事では済まないわ」


「だから、自分が行くのか?」


「……ほかに、どうすればいいのか分からないの」


自信などなかった。


ヴェルドラが話を聞いてくれるとも思えない。


人間を傷つけないでほしいと頼んだところで、素直に受け入れるはずもなかった。


それでも、何もせずに待つことだけはできなかった。


「お願い、ハンス。行かせて」


「だめだ」


レイラが脇を通り過ぎようとすると、ハンスが再び行く手を塞いだ。


「君が一人で行くことを分かっていて、黙って見送ることなんてできない」


「でも……」


「帰るぞ、レイラ」


ハンスの手が、レイラの腕を掴んだ。


そのまま来た道へ向き直り、レイラを連れ戻そうとする。


「待って……」


レイラは足を止めた。


ハンスに引かれた身体が、僅かに前へ傾く。


「離して」


「だめだ」


「お願い……」


「何を言われても、今夜は行かせない」


ハンスの手に力が込められる。


レイラは掴まれた腕を引いた。


けれど、ハンスの手は離れない。


「ハンス……」


「明日になれば、また話を聞く。だから今は戻るんだ」


「明日では……遅いかもしれない」


「それでもだ」


再び腕を引かれ、レイラは一歩よろめいた。


このまま家へ戻されれば、もう一人で外へ出ることはできないだろう。


ハンスだけではない。


村長やほかの村人たちも、レイラが山へ向かわないよう見張るかもしれない。


「ごめんなさい」


レイラは掴まれた腕を、もう一度強く引いた。


ハンスも離すまいと腕へ力を込める。


二人の身体がぶつかり、その拍子にハンスの持っていた灯りが大きく揺れた。


「あっ……」


灯りが手から滑り落ちる。


地面へ落ちた衝撃で、中の火が消えた。


辺りが一瞬で暗闇に沈む。


ハンスの意識が、落とした灯りへ向いた。


レイラの腕を掴んでいた手から、僅かに力が抜ける。


レイラはその隙に腕を引き抜いた。


「レイラ、待て!」


ハンスの声を背に、暗い道を走り出す。


「行くな!」


背後で、ハンスが落とした灯りを拾う気配がした。


レイラは振り返らなかった。


村の外れを抜け、月明かりの届かない木々の間へ駆け込む。


枝が頬を掠め、剥き出しの根に足を取られそうになる。


それでも、止まることはできなかった。


「レイラ!」


ハンスの声が追ってくる。


暗闇の中で足音が近づき始めた。


レイラは大きな木の脇を曲がり、細い山道へ入る。


その先には、深い闇に包まれた森が広がっていた。


足元もほとんど見えない。


一歩先に何があるのかさえ分からなかった。


レイラは僅かに足を止めた。


胸の奥で、恐怖が大きく膨らむ。


それでも背後から聞こえる声に振り返ることなく、闇に沈む山の中へ足を踏み入れた。

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