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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
第3章【黒竜との暮らし】

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2話

食事を終えると、レイラは水筒を手に洞窟の奥へ向かった。


泉の水を汲んで入り口へ戻り、空になった鍋へ注ぐ。


その水で木椀や匙を洗い、最後に鍋もきれいにすすぐと、濁った水を洞窟の外へ捨てた。


片づけを終えたあとも、レイラは焚き火のそばに座り、揺れる炎を眺めていた。


昼間あれほど眠ったにもかかわらず、身体にはまだ重い疲れが残っている。


炎が小さくなるたびに枝を足しているうち、洞窟の外を満たす闇も深まっていった。


やがてレイラは小さく欠伸を零し、傍らに置かれた毛布を広げた。


「おやすみなさい、黒竜さん」


洞窟の入り口に伏せたヴェルドラから、返事はなかった。


レイラは毛布へ包まり、静かに目を閉じた。


翌朝、レイラが目を覚ますと、焚き火は僅かな熾火を残すだけになっていた。


身体を起こし、乱れた髪を手で整える。


「おはようございます、黒竜さん」


ヴェルドラは朝の光を浴びながら、洞窟の入り口で外を眺めている。


返事はなかったが、その耳が僅かに動いた。


身につけたドレスには土汚れが残り、洞窟の隅へ放り投げられたハンスの外套にも、泥と枯れ葉が絡みついていた。


身体に残る汗も、衣服についた汚れも洗い流したかったが、洞窟の奥に湧く泉へ泥だらけの布を浸す気にはなれなかった。


レイラは洞窟の入り口へ顔を向けた。


「あの……黒竜さん」


赤い瞳だけが、ゆっくりとレイラへ向けられた。


『何だ』


「この近くに、川はありませんか?」


『川だと?』


「身体を洗いたいんです。それから、服も……」


レイラの視線を追い、ヴェルドラも外套へ目を向けた。


途端に、赤い瞳が険しく細められる。


『その臭い布など捨てろ』


「借りたものなので、捨てるわけにはいきません」


『ならば燃やせ』


「だめです。きちんと洗って、返さないと」


ヴェルドラの喉から、低い唸り声が漏れる。


それでもレイラが引き下がらずに見つめていると、ヴェルドラは面倒そうに顔を背けた。


『……ついてこい』


「え……?」


ヴェルドラはそれ以上何も言わず、洞窟の外へ歩き出した。


レイラは清潔な衣服と石鹸、身体を拭くための布と櫛をまとめ、汚れた外套を抱えてその後を追った。


洞窟から山を少し下ると、木々の向こうから水の流れる音が聞こえてきた。


ヴェルドラの巨体が枝葉を押し退けた先に、岩の間を縫うように流れる川が現れる。


流れは穏やかで、その一角には水深のある澄んだ淵ができていた。


木漏れ日が水面へ落ち、揺れる光を映している。


「こんな場所があったんですね……」


レイラは嬉しそうに川辺へ近づいた。


ヴェルドラは少し離れた岩の上へ身を伏せる。


『用が済んだら、さっさと戻るぞ』


「はい」


レイラは平らな岩の上へ、着替えと身体を拭くための布を置いた。


それからハンスの外套を川の水へ浸し、石鹸で裾の泥を落としていく。


その様子を眺めていたヴェルドラが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


『なぜ、そこまでして返そうとする』


「大切な友人から借りたものですから」


『あの雄が、それほど大切か』


「ハンスは、幼い頃からよくしてくれた友人です」


レイラが何気なく答えると、黒い尾が岩肌を強く打った。


乾いた音が響き、レイラは驚いて振り返る。


「黒竜さん?」


『くだらん話をするな』


「それは、黒竜さんが聞いたから……」


ヴェルドラが鋭く睨みつける。


レイラはそれ以上何も言わず、外套へ視線を戻した。


けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


汚れを落とした外套を水ですすぎ、固く絞ってから日の当たる枝へ広げる。


それからレイラは、ヴェルドラを振り返った。


赤い瞳は、変わらず自分へ向けられている。


「あの……これから身体を洗うので、少しだけ向こうを向いていただけませんか?」


『なぜだ』


「なぜって……。さすがに服を脱いだところまで見られるのは、恥ずかしいので……」


『我に何度も見られておきながら、今さら何を恥じる』


「それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいんです」


レイラが困ったように見つめると、ヴェルドラはしばらく黙り込んだ。


やがて不機嫌そうに鼻を鳴らし、森の方へ顔を背ける。


『面倒な人間だ』


「ありがとうございます」


レイラはほっと息をつき、身につけていたドレスへ指をかけた。


背を向けているとはいえ、すぐそばにはヴェルドラがいる。


落ち着かない気持ちを抱えながら衣服を脱ぐと、身体を隠すように布を巻きつけた。


脱いだドレスも水へ浸し、裾に残っていた土を石鹸で丁寧に落としていく。


洗い終えたドレスを外套の隣へ干してから、レイラは身体へ巻いていた布を外し、川の中へ足を入れた。


朝の川は冷たく、足先から一気に冷気が這い上がってくる。


「冷たい……」


思わず零れた声に、ヴェルドラの耳が僅かに動いた。


レイラは肩まで水へ浸かると、肌に残った汗や汚れを洗い流した。


水を掬って髪へかけ、石鹸を泡立てながら、指先でゆっくりと梳いていく。


身体に残っていた疲れまで流れていくような心地よさに、強張っていた身体から少しずつ力が抜けていった。


「こうしていると、祖母と一緒に洗濯をしていた頃を思い出します」


レイラが静かに口を開いた。


ヴェルドラは背を向けたまま、何も言わない。


「私が布をうまく絞れなくて、いつも手伝ってもらっていました」


懐かしむように細められた目が、ふと伏せられる。


「両親は、私が幼い頃に病で亡くなりました。祖母が、私を育ててくれたんです」


髪から落ちた雫が、水面へ小さな輪を広げた。


「その祖母も三年前に亡くなって……それからは、家でずっと一人でした」


『知らん』


素っ気ない声が返ってくる。


「はい。ただ、少し思い出しただけです」


レイラは小さく微笑み、再び髪へ水をかけた。


ヴェルドラから返事はなかった。


会話が途切れると、川のせせらぎと木々のざわめきが耳に戻ってくる。


レイラは両手で水を掬い、髪に残った泡をゆっくりと洗い流した。


やがて水から上がると、布で身体を拭き、持ってきた清潔な衣服へ袖を通した。


濡れた髪を櫛で整えてから、ヴェルドラへ声をかける。


「もう大丈夫です」


ヴェルドラがゆっくりと振り返った。


レイラへ顔を近づけ、首筋から肩にかけて匂いを確かめるように鼻先を動かす。


「あの……?」


『ようやく、あの虫ケラどもの臭いが消えたな』


ヴェルドラはそう言うと、枝に干された外套へも鼻先を近づけた。


残っていたハンスの匂いまで水に流されたのか、先ほどまでの険しさが僅かに薄れる。


「もしかして、それが気になっていたんですか?」


『違う』


ヴェルドラはすぐに顔を背けた。


『不快な臭いが、我の縄張りにあることを許せなかっただけだ』


「そういうことにしておきますね」


『何だ、その言い方は』


レイラは答えず、日の当たる岩へ腰を下ろした。


外套とドレスが乾くまで、ヴェルドラも岩の上から動こうとはしなかった。


木々の間から差し込む光が少しずつ高くなり、濡れていた布から水気が消えていく。


レイラは乾いた外套とドレスを枝から外し、両腕へ抱えた。


「お待たせしました。戻りましょうか」


『ふん。まったくだ』


ヴェルドラは先に洞窟へ向かって歩き出した。


レイラもその背を追い、川辺の濡れた石へ足をかける。


その瞬間、靴底が滑った。


「きゃっ……!」


倒れかけた身体へ、黒い尾が素早く巻きつく。


腰を支えられ、レイラはどうにか体勢を立て直した。


「ありがとうございます……」


『貴様は、我が見ていなければまともに歩くこともできんのか』


「ごめんなさい……」


『次はないぞ』


ヴェルドラは呆れたように鼻を鳴らした。


それでも、黒い尾は滑りやすい川辺を抜けるまで、レイラの腰を支え続けていた。

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