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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
2章【囚われの日々】

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6話

洞窟へ戻ると、ヴェルドラは胸元に抱えていたレイラを岩の上へ下ろした。


黒い尾が鞄と毛布を運び込み、その隣へハンスの外套を落とす。


レイラは土のついたドレスを両手で払った。


男たちに掴まれた腕には、赤い痕が残っている。


それでも、怪我と呼べるほどの傷はなかった。


ヴェルドラが来るのが少しでも遅ければ、どうなっていたのだろう。


そう考えた瞬間、身体の奥から恐怖が蘇り、レイラは自分の肩を抱いた。


その傍らで、ヴェルドラは地面へ落とした外套へ鼻先を近づけていた。


低く鼻を鳴らすと、赤い瞳が不機嫌そうに細められる。


『この布は何だ』


「外套です。夜道は冷えるからと、村の友人が貸してくれて……」


『友人だと?』


「はい……」


『雄か』


レイラは一瞬だけ言葉に詰まった。


「……はい」


答えた途端、ヴェルドラの尾が外套を拾い上げ、洞窟の隅へ放り投げた。


「何を……!」


『気に食わん』


「でも、借りたものなので……」


『知るか』


ヴェルドラは苛立たしげに吐き捨て、レイラへ顔を近づけた。


熱い吐息が髪を揺らす。


鼻先が首筋から肩へ下り、何かを確かめるようにレイラの身体へ近づいていく。


「あ、あの……?」


ヴェルドラの喉から、低い唸り声が漏れた。


『あの虫ケラどもの臭いまで残っている』


赤い瞳が、男に掴まれたレイラの腕へ向けられる。


レイラはそこに残った赤い痕へ、そっと指を触れた。


「でも……黒竜さんが助けてくれたから、それ以上は何もされずに済みました」


レイラに残るほかの雄の匂いが、なぜかひどく癇に障った。


気に入りの玩具を奪われかけたからだ。そう片づけるには、腹の底で燻る苛立ちはあまりにも強かった。


ヴェルドラは低く唸ると、黒い尾をレイラの腰へ巻きつけた。


「きゃっ……!」


身体を引き寄せられ、レイラはヴェルドラの胸元へぶつかった。


赤い瞳が、逃がさないと告げるようにレイラを見下ろしている。


『他の雄の臭いを纏ったまま、我のもとへ戻ってくるとはな』


「ご、ごめんなさい……」


『謝れば済むと思っているのか』


鋭い爪先が、レイラのドレスへ触れる。


布地へ引っかけ、そのまま引き裂こうとする動きに、レイラは慌てて声を上げた。


「ま、待ってください……!」


ヴェルドラの動きが止まる。


赤い瞳が険しく細められた。


『何だ。今さら我を拒むつもりか?』


「ち、違います……そうではなくて……」


腰へ巻きついた尾に押さえられたまま、レイラは恥ずかしそうに目を伏せた。


「せっかく……村で、着替えてきたばかりなので……」


『それがどうした』


「この服まで破れてしまったら、せっかく持ってきた着替えが減ってしまいます」


これまでは、どれほど拒んでも力で押さえつけられ、服を引き裂かれていた。


ヴェルドラが求めれば、レイラに拒むことはできない。


そのことは今も変わっていなかった。


それでも今日は、腰へ巻きついた尾から逃れようとは思わなかった。


男たちから助けてくれたこと。


初めて、自分の名前を呼んでくれたこと。


その声が、今も耳の奥に残っている。


ヴェルドラへの恐怖が消えたわけではない。


けれど今は、その恐怖の中に、それだけではない何かが混ざっていた。


レイラは一度言葉を止めると、頬を赤らめながら小さな声で続けた。


「ですから……破かないでください。自分で脱ぎますから……」


ヴェルドラの赤い瞳が、僅かに見開かれた。


『自分で脱ぐだと?』


「……はい」


ヴェルドラは、頬を赤らめたレイラを黙って見下ろした。


『……今宵は随分と素直ではないか』


腰へ巻きついていた尾が、ゆっくりと解かれる。


レイラはヴェルドラへ背を向けると、震える指をドレスへかけた。


背後から注がれる赤い視線を意識するほど、胸の鼓動が速くなっていく。


レイラは小さく息を吸い、震える指先を動かした。


その細い背中を、ヴェルドラの赤い瞳がじっと見つめていた。


長い夜が明け、洞窟の外は白み始めていた。


レイラは岩の上へ身体を横たえ、浅い呼吸を繰り返している。


乱れた髪が頬へかかり、指先にはまだ僅かに力が入らなかった。


夜が明けるまでの間に、何度眠りかけ、何度目を覚ましたのかも分からない。


身体には重い疲労が残っていた。


それでも、不思議とこれまでのような恐怖だけは感じなかった。


目を閉じると、男たちに捕らえられたときの記憶が蘇る。


腕を掴んだ手。


逃げ道を塞いだ影。


そして、夜の山を揺らした声。


——レイラ。


あの瞬間、確かにヴェルドラは自分の名を呼んだ。


ただの玩具だと言いながら、助けに来た。


その腕に抱えられたとき、恐ろしいはずの漆黒の身体に、ほんの僅かでも安堵した自分がいた。


そのことを、レイラはまだどう受け止めればよいのか分からなかった。


ヴェルドラが、そんなレイラの顔を覗き込む。


『もう終わりか』


「すみません……これ以上は……」


『脆弱な人間め』


ヴェルドラは鼻を鳴らし、レイラから顔を離そうとした。


そのとき、レイラの手がゆっくりと持ち上がる。


ヴェルドラの赤い瞳が、その動きを追った。


震える指先が、漆黒の鼻先へ近づいていく。


そして、レイラはヴェルドラの鼻先へそっと手を触れた。


それは初めてこの場所へ迷い込んだ夜と、同じ場所だった。


けれど、あのときとは違う。


恐怖と苦痛の中で、助けを求めるように伸ばした手ではない。


レイラが自分の意思で伸ばした手だった。


指先で硬い鱗を確かめるように、ゆっくりと鼻先を撫でる。


ヴェルドラは僅かに目を見開いたまま、動かなかった。


『……何のつもりだ』


「分かりません……」


レイラは小さく微笑んだ。


「でも……今は、こうしたいと思ったんです」


『…………』


ヴェルドラは答えない。


けれど、レイラの手を振り払うこともなかった。


洞窟の入り口から差し込む淡い朝の光が、触れ合う指先と漆黒の鼻先を静かに照らしていた。

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