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暴虐の黒き竜と囚われの娘【R15版】  作者: いをり。
2章【囚われの日々】

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5話

村を離れたレイラは、再び月明かりを頼りに山道を進んでいた。


ハンスから借りた外套には、まだ僅かに温もりが残っている。


冷たい夜風から守られながら、レイラは重い鞄を肩へかけ直した。


片腕には、紐で固く結んだ毛布を抱えている。


夜も随分と更け、レイラはヴェルドラの言葉を思い出し、自然と足取りが速くなる。


村の家々が木々の向こうへ見えなくなり、山道へ深く入った頃だった。


背後から、微かに落ち葉を踏む音が聞こえた。


レイラは足を止め、振り返る。


月明かりに照らされた道には、誰の姿もない。


風に揺れた枝から、乾いた葉が一枚落ちてくる。


気のせいだろうか。


レイラは前を向き、再び歩き始めた。


しばらくすると、また背後で足音がした。


今度は、一人ではない。


レイラが歩みを速めると、足音もそれに合わせるように速くなった。


胸の鼓動が激しくなる。


「……ハンス?」


小さく呼びかけてみたものの、返事はなかった。


ハンスが後を追ってきたのなら、黙って隠れる必要などない。


レイラは鞄の紐を握り締め、そのまま振り返らずに歩き続けた。


洞窟まで、もうそれほど遠くはない。


普段、山菜を採るために歩いていた場所を過ぎ、さらに山の奥へ入っていく。


やがて道幅が狭まり、片側に急な斜面が広がる場所へ差しかかった。


そのとき、前方の木陰から一人の男が姿を現した。


レイラは驚いて足を止める。


汚れた外套をまとい、腰には短い剣を下げている。


その顔に、レイラは見覚えがなかった。


「こんな夜中に、女が一人でどこへ行くんだ?」


男が口元へ薄い笑みを浮かべる。


レイラが後ずさると、背後から聞こえていた足音も止まった。


振り返ると、もう一人の男が山道を塞いでいた。


「村へ忍び込む手間が省けたな。向こうから獲物が出てきてくれるとは」


「……何が目的ですか?」


震える声で尋ねると、男たちの視線がレイラの鞄へ向けられた。


「ずいぶん重そうな鞄じゃねえか。金目のものが入ってるんだろ?」


「お金なら……差し上げます。だから、道を開けてください」


レイラは毛布を地面へ置き、鞄の中から小さな金入れを取り出した。


それを差し出すと、前にいた男が乱暴に奪い取る。


中身を確かめ、男は不満そうに顔を歪めた。


「これだけか?」


「私が持っているのは、それで全部です」


「なら、その鞄も置いていけ」


「これは……だめです」


洞窟で暮らすために必要なものが入っている。


ここで奪われれば、何のために村まで戻ったのか分からない。


レイラが鞄を庇うように抱えると、背後にいた男が肩を掴んだ。


「きゃっ……!」


強く引かれ、鞄が肩から滑り落ちる。


男は地面へ落ちた鞄を拾い上げ、中身を乱暴に探り始めた。


「食い物に鍋、着替えか。夜逃げでもするつもりだったのか?」


「返してください……!」


レイラが鞄へ手を伸ばすと、もう一人の男がその手首を掴んだ。


「離して……!」


「よく見れば、なかなか綺麗な女じゃねえか」


男の視線が、レイラの顔から身体へゆっくりと落ちていく。


嫌な予感に、レイラの背筋が凍りついた。


掴まれた手を引こうとしても、男の指は緩まない。


「お金も渡しました。鞄も持っていって構いません。だから、もう……」


「金だけで見逃してもらえると思ったのか?」


男がレイラの肩へかかっていた外套を掴み、乱暴に引き剥がした。


ハンスの外套が地面へ落ちる。


「いやっ……!」


レイラは必死に身を捩った。


けれど、背後からもう一人の男に両腕を捕らえられ、そのまま木の幹へ押しつけられる。


男の手がドレスの胸元へ伸びてきた。


「やめて……触らないで!」


レイラは顔を背け、力の限り抵抗した。


その様子を楽しむように、男たちは笑みを深める。


「静かにしてりゃ、すぐに済む」


「いや……誰か……!」


「こんな山奥で、誰に助けを求めるつもりだ?」


男の手が、レイラの口を塞いだ。


レイラはその手へ歯を立てる。


「痛っ!」


男の手が離れた瞬間、レイラは声の限り叫んだ。


「いやぁっ……!」


悲鳴が夜の山へ響き渡る。


その頃、ヴェルドラは洞窟の入り口に身を伏せ、暗い森を睨んでいた。


夜はすでに深くなっていた。


レイラが洞窟を出てから、随分と長い時間が過ぎたように感じられた。


少し前から、森の奥を進む複数の足音には気づいていた。


一つは、聞き慣れたレイラのもの。


その後を追うように、二つの人間の足音が続いている。


あの女は、村の人間を連れてきたのか。


そう考えただけで、胸の内に苛立ちが込み上げた。


そのとき、風に乗って細い悲鳴が届いた。


ヴェルドラの赤い瞳が大きく見開かれる。


『レイラ!』


咆哮にも似た声が、夜の山を揺らした。


ヴェルドラは力強い後脚で地を蹴り、黒い翼を大きく広げる。


巻き起こった激しい風が木々を揺らし、黒い影が夜空へ舞い上がった。


山道では、突然響き渡った声に、男たちが動きを止めていた。


「な、なんだ……今の声は……」


レイラもまた、目を見開いたまま夜空を見上げていた。


聞き慣れたはずの自分の名が、そのときだけは違う響きを帯びて胸へ届いた。


その余韻が消えるより早く、木々の上を黒い影が覆う。


激しい羽音とともに風が吹き荒れ、男たちが顔を庇った。


漆黒の巨体が、男たちの前へ降り立つ。


翼が大きく打ち下ろされ、その風圧にレイラを捕らえていた男たちはその場へ倒れ込んだ。


月明かりの下で、漆黒の鱗が鈍く光る。


燃えるような赤い瞳が、レイラに触れていた男たちを睨みつけていた。


「ド、ドラゴン……?」


男の一人が、震える声を漏らす。


「ドラゴンなんて……幻の生き物のはずだろ……?」


ヴェルドラの喉から、低い唸り声が響いた。


『我の玩具に触れるな』


男たちの顔から血の気が引いた。


一人が腰の短剣を抜き、ヴェルドラへ向ける。


「く、来るな!」


ヴェルドラは迫る刃を一瞥すると、煩わしそうに尾を振るった。


黒い尾が男の身体を捉える。


鈍い音とともに男は宙へ弾き飛ばされ、岩壁へ激しく叩きつけられた。


その身体が地面へ崩れ落ち、動かなくなる。


「ひっ……!」


残った男はレイラから手を離し、背を向けて逃げ出した。


しかし、数歩も進まないうちに、ヴェルドラは片方の前脚を伸ばし、その背を地面へ押さえつけた。


「ま、待ってくれ! 俺たちは何も——」


『黙れ』


鋭い爪が男の背へ食い込み、ヴェルドラが僅かに力を込める。


骨が砕ける鈍い音が響き、男の声が途切れた。


ヴェルドラは動かなくなった男から前脚を退けた。


レイラは木の幹へ背を預けたまま、震える身体を両腕で抱いた。


助かった。


そう思う一方で、目の前にいるヴェルドラへの恐怖も消えてはいなかった。


ヴェルドラが、ゆっくりとレイラへ顔を向ける。


赤い瞳と視線が重なり、レイラの肩が小さく跳ねた。


『何をしている』


「ご、ごめんなさい……後をつけられていることに、気づかなくて……」


『愚か者が』


ヴェルドラは苛立たしげに吐き捨て、レイラへ前脚を伸ばした。


鋭い爪先が近づき、レイラは思わず目を閉じる。


けれど、その爪がレイラを傷つけることはなかった。


ヴェルドラは片方の前脚をレイラの背へ回し、爪を立てないよう胸元へ抱え込んだ。


「黒竜さん……」


『帰るぞ』


黒い尾が地面へ落ちた鞄と毛布を拾い上げる。


続いて外套へ伸びた尾先が、その布地を摘まみ上げた。


ヴェルドラはそこに残る匂いを確かめるように鼻を鳴らし、赤い瞳を鋭く細める。


「あの……」


レイラはヴェルドラの前脚へ手を添え、その顔を見上げた。


「助けてくれて……ありがとうございます」


『勘違いするな』


ヴェルドラは不機嫌そうに顔を背ける。


『貴様は我の玩具だ。ほかの者に奪われることなど許さん』


「……はい」


レイラは小さく答え、ヴェルドラの胸元で目を伏せた。


レイラ——。


初めてヴェルドラの声で呼ばれた自分の名が、いつまでも耳の奥に残っていた。

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