第23話 8月17日-1 風と獣
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第23話です。
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逸美原神社は白群高校から西北西へ直線距離およそ五キロメートル離れた位置にある。
市内で最も大きく、境内と隣接する境の曖昧な公園を合わせると、総面積は十万坪を超える。
神社の周囲には人家も、ビルもあるが、境内と公園内は自然が豊かで、春には桜の名所としても知られている。
標高三百七十七メートルの山、方山も隣接し、ちょっとした登山スポットでもある。
一人歩いているのは風の魔法使い――嵐呼風名だった。自然に囲まれた厳かな境内を訪れ、心を落ち着かせるのも悪くない。
駅地下のスーパーで五木と少女を見かけてから、お盆休みを挟み一週間。
それでも風名は、五木と顔を合わせづらかった。 早々に部室に顔を出し、すぐに後にした。そのまま今に至る。
顔を合わせにくい、という生易しいものではない。
――苛々《いらいら》していた。
風名は、感情のまま怒鳴るような人間ではない。一度冷やしてから相手にぶつける。
だが今回は、その「冷ます」がうまくいっていなかった。長く尾を引いている。
苛々しながら境内を歩く、こんな心持ちでは神様も手を差し伸べてくれない――風名は自嘲した。
せっかく心を落ち着けようと訪れたのに、と思い五木の件は頭から排除しようとした。
自身を囲う自然に、流れる風に、音に心を傾けると、世界から少し離れたような安らぎを感じた。
青龍との契約――絶対的ではない約束を反故にすればよかったのだろうか。そんな後悔の念が風名に押し寄せた。
私は今、五木をどう思っているだろう。風名は考えた。ゴールデンウィークからは既に三か月がたっている。劇的ともいえるあの事件を共に超えたからこその感情だったのではないだろうか。
ただし五木はその事件において、風名と過ごした時の記憶を複雑に抹消または改竄されている。
ゴールデンウィーク中の風名から五木への感情の変化を彼は知らない。
彼に宿る青龍の提案――彼が記憶を失ったことを隠すという提案を風名は呑んだ。
この感情はどこにもぶつけられない。一度、深呼吸。
後ろから細かい息遣いが聞こえる。ランナーならいいが、こちらは女子高生の一人歩きだ。自意識過剰と笑われるかもしれないが、真昼間とはいえ、暴漢がうろついていない保証はない。風名は警戒した。
スマホの画面に後ろを映して確認する。
暴漢の方がまだマシだった。風名はそう思った。
後方には狼の群れ、ただし、翼が生えている。マルコシアスの分身体。
初めて実物を見た――などと呑気に構えているわけにはいかない。風名は走り出した。
スマホのメッセージアプリを起動し、現在地を送る。
遅れをとることはないと思うが、念のため。
追手と獲物の息遣いが静かな公園に響いていた。
――人は、いない。
真夏の昼間。この公園に人が少ない時間では決してなく、天然の涼を取りに訪れる人は少なくないはずだった。
子どもの声も、散歩する老人も見当たらなかった。
どこか異界にでも迷い込んだような気さえする。
公園から出るのはどうだろうか。ただ街中での魔法戦は避けたい。
後方を確認する。敵の数は三匹。距離は縮まっていない。
風名自身の脚力は、あくまで女子高生の範囲を出ない。
女子テニス部だということも持久力を培ったことに一役買っているがそこまで関係がない。
彼女は風魔法を最も得意とする魔法使い。
全身に風の衣を纏うのと同様に、風魔法と肉体強化魔法で速力を増幅させている。
肉体強化魔法の出力を控えめに。通常の魔法使いならば肉体強化のみを使うところだが、天性の適正がある風魔法との併用で消費魔力を少し抑えている。
マルコシアスの分身。その戦闘力は低い。不可解部でも剣は一太刀で倒し、五木は四体同時に相手取り、消滅させた。そう風名は聞いている。
その攻撃は普通の獣同様、爪と牙。翼で多少動きがトリッキーになっているというだけだ。
大した相手ではない。数は力、というだけだ。
立ち止まり向き合う。獣の顔は全く可愛らしくない。そんなことを考えながら、魔法を放つ。
ラピドゥス・ウェントゥス。黒騎士にも使用した魔法。音速を下回る風の刃。
風魔法の長所は、不可視であることだ。
嵐呼家は風魔法に秀でた一族。風名もまたその例に漏れることはない。
不可視の高速の風の刃。通常の魔法使いのものと比べると速度と威力はレベルが違う。
一頭を真っ二つにした。残りは二頭。
ペンタイプの小型警棒を一振り、長さ約三十センチまで展開する。接近戦の補助にはこれくらいの武器が適している。
警棒で迎え撃つ。触れた途端に獣は光の粒になって消えていった。棒状のものに風の刃を纏わせる。刃は一本でなく小さな竜巻のように廻り、触れたものを裁断する。
残りは一頭。そう苦労はしないはずだ。
さすがに警棒を警戒しているのか、すぐに飛び掛かってくるようなことはない。
左手から風の刃を放つ。見えてはいないはずだが獣は避けて見せた。
風の鎧、警棒を囲う風の刃、常時発動している魔法が多ければ多いほど、当然コントロールが難しくなる。複数魔法の同時使用は研鑽を積まねば容易に行うことはできない。
素早い相手に確実に魔法が当てることを考えればどちらかは解除しなくてはならない。
疲れることのない分身体と、ずっと睨みあうことはできない。
警棒に渦巻く風の刃を止める。同時に飛び掛かってくる狼。大丈夫、この程度ならもし攻撃を許しても風の鎧でガードされるはず。
すぐに魔法を放つ。風の刃を複数。最低でも負傷はさせられる。
風の刃は分身体を切り裂き、そのまま光へと霧散させた。
一息吐く。風の鎧を解き、警棒を収納する。
我ながら苦労した。風名はそう思った。
攻撃と防御を同時に使えない。防御は残した。攻撃に転ずることにまだ恐れがあるように思える。
ただのサポーターになるつもりはない。自分だって戦える。五木や剣と肩を並べて。
二人はそんなことを気にはしないだろう。わかっている。
ゴールデンウィーク。陰陽五行の時ももっと力があればあの結末にはならなかったのかもしれない。
時折そんな考えが首をもたげる。
思考に耽っていた風名はマルコシアスの分身体の接近に気が付かない。
彼女を追っていたのは三頭、ではなく四頭だった。一頭は別行動で林の中を進み、風名の真横へ迫っていた。
草の音、我に返る。
獣が口を大きく開いていた。
眼前に迫る脅威、そんな中でもすべてがスローに見えるくらい思考はクリアだった。
だからこそわかる。間に合わない。風の鎧を纏うことも、風の刃で屠ることもこの一瞬では間に合わない。
強い風の吹くような音がした。
「ひゃっ」
左肩を掴まれ、引き寄せられる。前方の何かにぶつかる。足が地面から離れるのを感じて目の前のものにしがみつく。
視界はまだ暗い。
地に足が付いたのも気が付かないくらい硬く目を閉じ強く抱きしめた。
「風名、そろそろ離してくれ」
安心させるような優しい声色でそう言ったのは五木だった。
「ご、ごめん!」
五木を突き飛ばすようにして風名は離れた。
朱雀の鎧を胴部分に纏っていた。なるほど、硬い感触がしたのはこのせいだったか。
「……ありがと。それにしても早かったね」
平静を装いつつ言う。ゴールデンウィークに似たようなことがあったことを風名は思い出していた。
あの時の獣は狼ではなく虎だった。同じように飛び掛かられたところに五木が飛んできて救い出してくれたのだった。
そんな回想は振り払った。
「いや、たまたますぐにメッセージが入ったのを見たし、飛んできたから」
朱雀の翼はどれほどの飛行速度を有するのかは知らないが、カラス程度だとしても学校からなら五分程度で到着するだろう。
そして公園の中から風名を探すとあっては合流までもう少し時間がかかっていてもおかしくないはずだ。
「上空に着いたらここだけ変な結界みたいのに覆われていてすぐわかった」
結界、やはり一部を異界化させて人払いをしていたらしい。
「よかったよ、ギリギリ間に合って……そうだ、怪我は?」
「大丈夫」
「本当に?」
「ほんとだってば」
再三確認してくる五木に笑みが零れる。
「はー、無事でよかった」
大きく息を吐いて五木は言った。
五木が知らない女の子と仲睦まじく買い物していた――あの光景に抱いた嫉妬も、今となっては馬鹿らしい。自分が子供みたいだったと反省しなければ。
ねえ、無事でよかった、ってどういう意味? そう尋ねたい衝動に駆られる。
改めて、思う。
――自分は、五行五木が好きなのだと。
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次回、メッセージを受け取った五木は急ぎ、空へ飛翔する。
「第24話 8月17日-2 空を翔る」




