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第38話 失くした姓を返す日

その日は朝から、窓口の空気が違った。


 泣いている人より、泣きそうなのを堪えている人が多い。私は一人ずつ名前を呼び、訂正された台帳を読み上げた。


「ハンナ・バウアー。続柄、故マルクス・バウアーの妻。住宅使用権継続。死亡補償再開」

「エーミール・バウアー。続柄、長男。学齢登録復帰。鉱夫組合扶助継承」


 ハンナはその場で顔を覆った。エーミールは泣かなかったが、受け取った控えを両手で握りしめて離さない。


「ありがとうございます」


「礼は、次に困っている人を見つけた時に」


 私はそう返した。窓口は一人のためだけの場所ではないからだ。


 続いて、削られていた未亡人たち、継子扱いへ落とされていた少年少女、仮住まいとされた鉱夫家族が次々と戻ってくる。姓が戻り、続柄が戻り、家の人数が戻る。紙の上で生き返るというのは、たぶんこういうことだ。


 午後には学舎の教師が飛び込んできた。


「補助金再計算が通りました! 席を減らさずに済みます!」


 その報せに、窓口の後ろでヘルガが小さく拳を握った。珍しい光景だったので、私は少し笑う。


 夕方、窓口が一段落した頃、クラウスが温かい茶を持ってきた。


「働きすぎだ」


「返す姓が多かったので」


 私が茶器を受け取ると、彼は窓の外を見た。


「今日、街で君のことをこう呼んでいた。『名前を返す公爵夫人』と」


「大げさです」


「いや、正確だ」


 正確。その言葉が妙に嬉しかった。


 私は自分の控え簿を閉じる。今日戻した名前の数は四十三。けれど本当に戻したのは、数ではなく『ここにいていい』という感覚なのかもしれない。


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