第30話 家名を奪う仮相続人
ベアトリクスは待ってくれなかった。
その三日後、公爵府へ正式な申立書が届く。銀鉱町旧アルヴェルト知行地における仮相続権の確認、未確定家族の住居整理、学舎補助金対象世帯の暫定縮小。紙の上で読めば冷たいほど整っていた。
「ずいぶん欲張りですね」
私は申立書を机へ置く。
「住宅、補助金、街道費、鉱区管理。全部まとめて持っていく気です」
クラウスは最終頁へ目を走らせた。
「後ろ盾は西方マルシュ伯だな」
そこには、ベアトリクス単独ではなくマルシュ伯家の後援印があった。西方街道の整備費を長年欲しがっている家だ。ノルトハイムの世帯数が減れば、浮いた予算をそちらへ回す理屈が立つ。
「血筋ごっこで終わらないわけです」
私が言うと、クラウスが頷いた。
「王都の補助金と鉱区を同時に狙っている。辺境を『人の少ない土地』にしてしまえば都合がいい」
その夜、ハンナたちを公爵邸へ呼び、状況を説明した。ハンナは怖がったが、逃げるとは言わなかった。エーミールの方が先に口を開く。
「僕、ここに残りたいです。父さんの名前も、母さんの家も、消されたくない」
「消させません」
私は少年の目を見て答えた。
「ただし、そのためにはあなたの家がここで生きていた証拠を、もっと揃える必要がある」
ハンナが胸に手を当てる。
「なんでも出します。昔の食札も、マルクスの仕事靴も、婚礼の日の布切れでも」
「布切れは後で見せてください。そこに礼拝堂の刺繍が残っていれば、席次表と合うかもしれないので」
説明が仕事の話へ滑ると、ハンナが少し笑った。緊張をほどくには、それが一番いい。
会が終わったあと、私は窓辺に立つクラウスへ近づく。
「旦那様」
「なんだ」
「辺境伯会議では、あなたに公爵として立ってもらいます。でも壊すのは私の仕事です」
クラウスは振り向き、私の額に短く触れた。
「知っている。だから私は、君が壊す前に壊されないよう立つ」
夫婦というのは、どうやら便利な共同経営らしい。




