第3話 冷徹辺境公爵からの迎え
クラウス・リヒター公爵は、噂通り無駄のない男だった。
王都戸籍局向かいの貸し応接室に入るなり、彼は名乗りと目的を一息に告げた。
「私は北辺ノルトハイム公爵領を治めるクラウス・リヒターだ。救恤台帳と家門台帳の整理を任せられる人間を探していた。君の名前は以前から知っている」
「職務停止中の戸籍官を?」
「だからこそだ。王都で切り捨てられた者は、王都の不正をよく知っている」
冷たい言い方なのに、不思議と侮辱には聞こえなかった。ただ事実だけを並べている。
彼は机に契約書を置いた。雇用条件は明確だった。主任戸籍整理官としての採用、住居の提供、王都からの不当な身柄要求に対する保護。そして最後に、もう一つ。
「一年間、私の偽装婚約者になってほしい」
私は紙から顔を上げた。
「意味を聞いても?」
「王都は私の婚姻に口を出し、領地の記録を覗こうとしている。婚約者がいれば余計な縁談を断れるし、君には正式な立場が生まれる。戸籍整理の権限も与えられる」
「私を隠れ蓑にするのですね」
「君にも利がある。偽装婚約者への手出しは、公爵家への喧嘩になる」
公平だった。私は契約書を読み込んだ。別居、個人財産の不干渉、期間満了後は自由に解消。情を装う義務は公の場のみ。実に公爵らしい。
「条件を一つ追加します」
「聞こう」
「私の名誉が回復したあと、私が王都へ戻るか領地に残るかは、私が決めます」
「当然だ」
即答だった。
そこで初めて、私は肩の力を少し抜いた。信用できるかどうかはまだわからない。だが、少なくともこの男は私を憐れんで雇うつもりはない。
羽根ペンを取り、契約書に名を書いた。
「引き受けます、クラウス公爵」
「では今から北へ向かう」
早い。だがそれがありがたかった。王都に長くいれば、腐った手が証拠を消してしまう。
馬車が動き出すと、窓の外で石畳の街並みが後ろへ流れていく。オスカーもセラフィナも、もう視界にはいなかった。
「王都を離れるのが惜しいか」
「いいえ」
私は膝の上の契約書を指でなぞった。
「今は、きれいな台帳のある場所へ行きたいだけです」
隣で、クラウスがわずかに口元を緩めた気がした。




