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第7話 税務調査は最強呪文です


月曜日、午前十時。


六本木のオフィスタワー最上階に、国税局査察部の職員六名が乗り込んだ。


先頭に立つのは宮内統括官。スーツの内ポケットには質問検査権を記載した身分証明書。手には何の変哲もないアタッシュケース。その中身は電卓と付箋とボールペンだけだった。


剣も魔法もいらない。帳簿を読む目と、数字の矛盾を見つける頭があればいい。


鮫島とカイルは、直接この場に立ち入る権限がない。捜査凍結の指示は生きている。だが宮内との間で、携帯電話の回線は繋がっていた。


署のデスクで、鮫島はイヤホン越しに最上階の音声を聞いていた。


受付の女性の声。応接室のドアが開く音。椅子が引かれる音。


そして、真王冴理の声。


「これはこれは、国税局の方とは。弊社に何かご不明な点でも?」


余裕の声色だった。前回の鮫島の訪問と同じ、完璧な微笑みが目に浮かぶ。


宮内の声が続く。


「株式会社マオウ・ホールディングス代表取締役、真王冴理殿。国税通則法第七十四条の二に基づき、貴社の帳簿書類等の検査を実施いたします。質問検査権に基づく任意調査ですが、正当な理由のない拒否は罰則の対象となります」


一瞬の沈黙。


真王の声に、初めて微かな硬さが混じった。


「もちろん、ご協力いたします。経理担当を呼びますので、少々お待ちを」


鮫島はコーヒーを啜った。ここからが本番だ。


経理担当が呼ばれ、帳簿が運び込まれた。宮内の部下たちが一斉に帳簿を開き、付箋を貼り、電卓を叩き始める。


静かな戦争だった。


三十分後、最初の矛盾が見つかった。


「この勘定科目、コンサルティング収入として計上されていますが、対応する役務提供の実態を確認できる書類がありません。契約書はありますが、成果物の納品記録が存在しない」


経理担当が動揺する。


「それは、口頭でのアドバイザリーですので、書面の成果物は――」


「年間三億円のコンサルティング契約で、成果物が一切ないと。議事録も報告書もなく、口頭助言だけで三億。これは架空取引と見なされる可能性がありますね」


宮内の声は事務的だった。怒りも揶揄もない。ただ数字の事実を述べているだけだ。その冷静さが、刃物より鋭い。


次々と矛盾が積み上がっていく。


海外送金の記録と国内の入金タイミングの不一致。複数の取引先に支払われた「業務委託費」の振込先口座が、全て同一名義の個人口座に集約されている事実。減価償却の計算が意図的に操作され、課税所得が圧縮されている形跡。


さらに、福利厚生費として計上された年間八千万円の支出先が実在しない保養施設だった。交際費の相手先企業のうち三社が、登記上の所在地にオフィスが存在しないペーパーカンパニーだった。


一つ一つは帳簿上の「ちょっとした不整合」に見える。だが、それが十個、二十個と積み上がると、企業の心臓を貫く致命傷になる。


経理担当の声が次第に震え始めた。


鮫島はイヤホンの向こうで、真王がどんな顔をしているか想像した。あの氷の微笑みに、罅が入り始めている頃だろう。先日の完璧な応対を思い出す。あの男が初めて沈黙している。数字の暴力やいばに、魔王の言葉が封じられている。


二時間後。宮内から鮫島に直接電話が入った。


「鮫島。想定以上だ。帳簿上の売上と実際の資金フローに、年間十数億円規模の乖離がある。法人税の過少申告は確実。場合によっては脱税での告発もあり得る」


「十数億か」


「それだけじゃない。取引先への反社会的勢力に関する照会を並行して進めている。マオウ・ホールディングスが反社認定されれば、全ての取引先が契約を解除する。銀行も口座を凍結する」


鮫島はカイルを見た。


「聞いたか」


「はい」


「剣より数字の方が効くだろ」


カイルは静かに頷いた。異世界の魔王軍を相手に何年も戦った男が、電卓を叩く中年の税務官たちの仕事ぶりに、本気で感嘆していた。


「宮内さんたちの戦い方は、まるで聖騎士団の包囲戦です。退路を一つずつ塞いで、逃げ場をなくしていく」


「だろ。マルサってのはそういう連中だ。あいつら全員、電卓が聖剣みたいなもんだからな」


鮫島はカツ丼屋の出前メニューを広げた。


「昼飯にするか。今日は勝利の前祝いだ」


午後三時。さらなる動きがあった。


桐生が駆け込んできた。


「鮫島さん、裁判所から仮差押えの決定が出ました。マオウ・ホールディングス名義の不動産三件、合計推定時価二十三億円分です。闇市場の帳簿から算出した不法収益に基づく保全処分として申し立てていた分です」


「こっちは捜査凍結中なのに、よく通ったな」


「仮差押えは民事保全です。刑事捜査の凍結とは別枠です。これくらい、勉強しといてください」


桐生が眼鏡を押し上げて言った。


鮫島は笑った。この人、意外と食えない。



六本木のオフィスでは、税務調査が続いていた。


宮内からの断続的な報告によると、真王は午後に入ってから一言も発していないという。隣に座る弁護士が全ての応答を引き受け、真王はただ窓の外を見ていた。


午後五時。税務調査チームが引き上げた後、真王はオフィスに一人残った。


デスクの上には付箋だらけの帳簿と、追加資料の提出を求める書面が積まれている。口座凍結の通知書。取引先からの契約見直しの連絡。不動産の仮差押え決定通知。


一日で、三年かけて築き上げた「合法企業」の外壁が、音を立てて崩れ始めていた。


窓の外に広がる東京の夕景。赤く染まるビル群を見下ろしながら、真王は携帯電話を取り出した。


画面に表示されたのは「柳瀬」の名前。


真王は数秒それを見つめた後、電話をかけず、連絡先を削除した。


「使い捨ての駒に、これ以上コストをかける必要はありません」


独り言は日本語ではなかった。異世界の古い言葉。王が臣下を切り捨てる時の、冷酷な宣告の言語だった。


真王は窓に自分の顔を映した。完璧なスーツ、完璧な髪型、完璧な企業経営者の仮面。


その奥で、人間ではないものの瞳が、赤く光った。


「……この国のルールで遊んでやったが、もう付き合いきれんな」


真王は机の引き出しを開けた。中には、紫色に脈打つ小さな水晶が一つ。


次元門の触媒だった。




翌朝。


鮫島のデスクに、カイルが青い顔で駆け込んできた。


「警部。六本木のビル地下から異常な魔力反応が検出されています。観測班の報告では、次元門クラスの規模です」


鮫島はコーヒーカップを置いた。


「ようやくか。……これくらい、いやらしく突けば、魔王も、法律がない異世界あっちが恋しくなるだろ」


火のついていないタバコを取り出す。今度はライターを探さなかった。


代わりに、デスクの電話を取った。


「あー、本庁? 鮫島だけど。例の捜査凍結、解除してほしいんだけどさ。理由? 六本木で魔王がキレて次元門開こうとしてる。もう外交もへったくれもないと思うんだけど。え、議員? 知らないよ。そっちで何とかして」

第7話をお読みいただきありがとうございます!

帳簿の矛盾を一つずつ突いていく査察官たちの仕事ぶり、いかがでしたか。

そして追い詰められた魔王が、ついに「法律を捨てる」決断を。

本日の更新はここまで。明日(日曜)朝7:10に第8話を投稿します。

六本木に次元門が開き、魔獣が東京に溢れ出す――その時、鮫島がやったことは「裁判官に電話」でした。

怒涛のクライマックス三連投、明日で完結です。最後まで見届けてください!

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