第6話 議員特権は魔法障壁です
脅迫状の指紋をAFIS(自動指紋識別システム)で照合した結果は、意外なものだった。
「都議会議員、柳瀬泰造」
桐生が印刷した資料をデスクに広げた。当選四期、建設委員会副委員長。禿頭に丸眼鏡の温厚そうな六十代。ホームページには地域の盆踊り大会で笑顔を振りまく写真が並んでいる。
「封筒を触った人間の指紋が全部出ている中に、この議員の指紋が混じっていました。封筒は異世界文字が印刷された特殊紙で、一般には流通していないものです」
「つまり、議員が結社に出入りしてる可能性が高いと?」
「少なくとも、結社が使う物品に触れる距離にいるということです」
鮫島は資料の経歴欄に目を止めた。柳瀬議員の政治資金管理団体の所在地が、マオウ・ホールディングスの入るビルと同じ番地だった。
「繋がったな」
鮫島がコートを掴んだその時、デスクの内線が鳴った。
「鮫島。署長室に来い。今すぐだ」
署長の声は、いつもの朗らかさが消え失せていた。
署長室のドアを開けると、署長の隣に見知らぬスーツの男が座っていた。名刺も自己紹介もない。ただ、胸元のバッジが警察庁のものだった。
「鮫島警部。マオウ・ホールディングスに関する捜査について、現時点での進捗を報告しなさい」
スーツの男は抑揚のない声で言った。
鮫島は報告した。闇市場の摘発、帳簿の押収、資金フローの分析、代表の任意聴取。
男は最後まで聞き、一つ頷いた。
「本件の捜査を当面凍結するよう指示する」
鮫島の表情は変わらなかった。
「理由を伺えますか」
「外交案件との兼ね合いだ。異世界との関係は現在、政府が慎重に管理している。末端の違法行為の摘発は構わないが、合法的に活動している企業体への捜査は、関係各所との調整が必要になる」
外交。政府。関係各所。
便利な言葉だと鮫島は思った。要するに、柳瀬議員か、その上の誰かが圧力をかけたということだ。議員バッジというのは便利なもので、それ一つで捜査機関の手足を縛れる。異世界の魔法障壁より厄介だ。
「了解しました」
鮫島は素直に頷いた。あまりにも素直だったので、署長が怪訝な顔をした。
廊下に出たところで、カイルが待っていた。
「警部、何を言われたんですか」
「捜査凍結だってさ」
「そんな……ここまで証拠を積み上げてきたのに」
「まあ落ち着け」
鮫島は自販機でコーヒーを二つ買い、一つをカイルに渡した。
「止められたこと自体、有力な証拠だ。俺たちの捜査は間違ってない。なおかつ、相手にとって脅威だってことを、わざわざ教えてくれてるんだぜ」
「だったら!」
「まだ正面が塞がれただけだろ? なら、横から行くだけだ」
自席に戻った鮫島は、私物のスマホを取り出した。電話帳から一つの名前を探す。
高校の同級生。今は国税局査察部、通称マルサの統括官をしている男だ。
「よお、久しぶり。飯でも行かないか。うん、今夜。新橋の焼き鳥屋。あそこの皮が食いたくてさ」
その夜、新橋のガード下。
頭上を山手線が轟音で通過するたびに天井が微かに震える焼き鳥屋のカウンターで、鮫島は国税局にいる旧友、宮内と向かい合っていた。七輪から立ち上る煙が、二人の顔を白く霞ませる。
「で、本題は何だ。お前が皮を食いたいだけで電話してくるわけないだろ」
宮内はビールをぐいと飲み干しながら言った。顎髭に白髪が混じる以外は、高校時代と変わらない鋭い目つきだった。
鮫島はA4の封筒をカウンターに置いた。
「とある企業の資金フロー。出所は異世界の闇市場。表向きはコンサル料として処理されてるけど、実態はマネロンだと俺は踏んでる」
宮内は封筒を開けず、鮫島を見た。
「警察が捜査できないから、国税に回すってことか」
「人聞きが悪いな。税務の観点から見て問題がないか、専門家の意見を聞きたいだけだよ」
「同じことだろ」
「違うよ。お前たちには令状がいらない。税務調査は行政調査だから、裁判所を通さずに帳簿を見られる。質問検査権ってやつだ。議員が横槍を入れても、国税庁は独立機関だから政治介入を受けない」
宮内が焼き鳥の串を止めた。
「つまり、警察には手が出せないが、税務署なら合法的に突破できる壁がある、と」
「そういうこと。税金の前には、議員も魔王も平等だろ?」
宮内は数秒間鮫島を見つめた後、封筒を手に取った。
「中身を見てから判断する。ただし、動くかどうかは俺の上の判断だ」
「十分だよ。ありがとう」
「礼を言うのは早い。あと焼き鳥代はお前持ちな」
同じ頃。
カイルは歌舞伎町の裏路地にいた。
闇市場の摘発後、行き場を失った結社の末端構成員たちが、公園のベンチやネットカフェに散らばっていることを、カイルは掴んでいた。
自販機の明かりの下で、一人の小柄な異世界人がしゃがみ込んでいた。尖った耳。痩せた体。闇市場で薬草を売っていた若い亜人だった。
カイルは隣にしゃがんだ。
「寒いですか」
亜人がビクリと身を竦めた。
「逮捕するの?」
「今日は勤務時間外です。個人として来ました」
カイルは自販機で温かいコーンスープを買い、亜人に渡した。
「結社に入ったのは、自分の意思ですか」
亜人は缶を握りしめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
異世界から次元の穴に落ちたこと。日本語がわからず途方に暮れたこと。結社に拾われ、住む場所と引き換えに闇市場で働かされたこと。
「逆らったら追い出される。追い出されたら行く場所がない。日本語もまだ上手じゃないし、在留資格もない。結社にいるしか、なかったんだ」
声が震えていた。缶スープの温かさが、凍えた指先からゆっくり体に染み込んでいくように、言葉が少しずつ溢れ出てくる。
「上の連中は金をたくさん持ってる。でも俺たちには何もくれない。売上の大半を吸い上げて、残りのカスみたいな金で暮らせって。異世界にいた頃と何も変わらない。支配する奴と、される奴」
カイルは黙って聞いていた。
「あなたは、こっちの世界に来て、幸せですか」
亜人が聞いた。
「はい」カイルは迷わず答えた。「この国にはカツ丼があります」
亜人がきょとんとした顔をした。
「それから、法律があります。あなたのような人を守るための法律が。在留資格がなくても、人権は守られる。結社から離れたいなら、方法はあります」
カイルは名刺を一枚差し出した。警視庁異世界生活安全課、カイル巡査。
「困ったら、ここに電話してください」
亜人は缶スープの温もりで赤くなった手で、名刺を受け取った。
翌朝。
鮫島のデスクに宮内から一通のメッセージが届いた。
「動く。来週、株式会社マオウ・ホールディングスに対し税務調査を実施する。質問検査権に基づく任意調査として通知済み」
鮫島はメッセージを読み、静かにスマホをデスクに置いた。
口元が緩んだ。二十年刑事をやってきて、こんなに税務調査の通知が嬉しいのは初めてだ。
火のついていないタバコを咥え、天井を見上げる。
「カイル」
「はい」
「正面玄関は閉まってたけど、勝手口が開いたぞ」
カイルの碧い目に、冷たい炎が灯った。
第6話をお読みいただきありがとうございます。
鮫島の旧友・国税局の宮内、そしてカイルが出会った結社の亜人。
反撃の準備が整いました。
次の第7話は本日17:10に投稿。税務調査、開始です。
本日の最終更新、シリーズ最大の爽快回をお届けします。お見逃しなく。




