4.12
地面が日中の太陽に照らされて温められ、また俺たちが座るから地面が余計に温まったからかもしれないが、夕暮れで場所を変えたところで蛇の這いずる振動を強く感じるようになった。
実際蛇が使っていると思える穴は何ヵ所もあり、それが繋がっていればどこからでも出れるだろう。
それに一匹とは限らない。何匹いるのかもよく分かってはいない。
辺りが暗くなり静まり返り、近くにある川の流れる音だけが聞こえる時間帯、ズルズルという這いまわる振動を感じた。
試練や試験という名の概念と共にそれに付随する緊張感や不安感、恐怖心を想起させる感覚が、現実の見えてはいない不確実な現象によってより煽り高められているように思えた。
蛇は存在感を感じさせず、這いずる振動だけ感じさせるところがある。
昔から目で捉えた時に驚くのは、そういうアンバランスな存在感があるからのように思っていた。
目で見ると存在感はあるのに、息遣いとか鼓動のような気配は、他の動物のそれと違いがあるせいであまり感じない。それでも動くと存在を感じる。
こういう他の動物と比べるとアンバランスに感じるところを苦手に思っていたのかもしれない。
目の前を含め周囲の変化に気を配り、相手の出方を思考する。
仮に自分に襲い掛かるとしたらどの角度が一番虚を突けるか。
背後と思わせて横からか。イヤ前からもありうる。でもでもやっぱり背後か。
色々な考えと共に全体を隈なく気を配り、油断や隙を見せずに集中するしかない。
相手も馬鹿ではないはずだ。
昔から蛇は頭の良い動物のように言われている。それは何かそう思わせる行動を取っていたからだろう。
つまり、破れかぶれの行動を取ることは無いと予測できる。
「絶対にやれる」そう思うから行動するのだ。
だからそう思わせない、分からない、不安があるのであれば、無理に襲ってくることは無いはずである。
どんな生き物でも、基本はそれで生き抜いているはずだ。
そう考え、常に周囲に視線や気配を感じ取っていると、静まり返っていた森から「うわー!」という叫び声が聞こえた。
声を感じ取った瞬間、体がその声の方向に向かって走り出した。
距離はそこまで無いが、木や地面の関係でどういう状況にあるのかすぐにはわからない。
どうやら蛇と格闘しているのだろう、ガサガサとかドタドタという下に積まれた枯れ葉の音や地面をたたく音がしていた。
その音を頼りに俺は現場まで駆け寄って見ると、かなり大きな蛇に体を巻き付つかれ、それでも相手の首元を抑えたサッタの姿があった。
周囲の状況を見ても、他に出てきている蛇の姿はない。
蛇が団体で狩りをすることは無いのかもしれないが、油断は禁物だろう。
取り敢えず尻尾と胴体掴み、サッタを助けに入った。
蛇も二対一の状況を分が悪いと思ったのか、俺が助けに入った後、程なくサッタから体を外し、スルりと逃げて行った。
結構強めに持ったはずだが、蛇の体は難なく手からすり抜ける。これだから、奴らは気味が悪い。
そんな事を思いながら、サッタに声を掛けた。
「大丈夫か?」
「助けてくださり、ありがとうございます、れ、レオナルド様じゃないですか!・・・でも、いいのですか?」
全力で抵抗していたのだろう、訳も分からないまま、感謝を言った後、俺だと気づき、慌て言葉をひそめながら問いだした。
「え?なにが?」
「試験中に私を助けてくださったことです。不甲斐ない私のせいで、レオナルド様まで落ちるようなことになったら・・・」
「ああ、まあ、大丈夫。そんなことで落ちるようなことは無いだろう、多分」
「そうなんですか?」
俺の言葉に怪訝な顔を見せたが、もう終わったことだし心配しても仕方がない。
だから大丈夫ならばさっさと会話を切り上げて戻るだけである。
「ああ、だから気を抜かず、一緒に乗り切ろうな」
「はい、ありがとうございました」
それを伝えて、すぐに場所に戻った。
それからは何もなく夜が明ける。ようやく一日目が終わった。
とはいえ、何か区切りがつくこともない。空腹や眠気があるし、何もしないということはそれはそれで辛いのだ。
それでも昨晩の緊張感は保ち続けないとならない。
蛇は夜行性のものも居るだけで、ここにいる蛇は一種類だと決まったわけではないのだから。
つまり、昨日も動きを感じていたように昼行性の奴もいるのだろう。
空腹に意識を取られると、緊張がゆるみ、眠気が襲い掛かろうとする。
勿論意識が眠気に向けられれば、一瞬で落ちることになるだろうことは分かっている。
ここでも意識が問題になってきた。
意識を何に向けるかで自分という存在を保てるかどうかが決まる。
空腹や眠気は体という物質由来の欲求から成る。
緊張とは精神由来のこの状況が生み出している反応である。
だから緊張を保とうと思えば、この状況に身を沈め、全てをこの森に溶け込ませ、同体になることで、より精神は研ぎ澄まされて深まっていく。
それは土も木も水も岩も全てが自分の一部であり、全てを観察しているのであり、見るものと見られるものが重なり合っていく状態になっていく。
思考は止まる。あるのは呼吸をしなければという、ちょっとした使命感。
それも精神が研ぎ澄まされれば、深まれば、深まるほどになくなっていき、呼吸すら薄くなり必要から外された。
無の境地、フロー、ゾーンと呼ばれる状態だ。
それは自分という感覚が外れ、現実という現象と同化した状態。
何かが動くことは何故動いたかも含め全てを感じている状態になる。この今という状態に浸ることは時間の過ぎ去る感覚が大きく引き伸ばされることを意味していた。
野球のバッターがボールを止まって見えるのと同じような感覚かもしれない。それは極限まで感覚がその一点に吸い寄せられる為、剛速球でも止まって見えてしまう。
つまり、俺は今、この状況が永遠に感じられるほど長く、とんでもなく辛い試練になったということになる。
だが、この意識状態は全ての物に対して観測が瞬時にでき、油断ということが無くなる。
それはどこまでも広く全体を感じ取ることができる、自己意識を薄め広く広ーく延ばしていくような感覚。
高めれば高めるほどにこの山の麓全体、バーンベルク領全体、国全体までも、できるのかもしれない。
そこでふと考えが浮かび上がった。
あまりに意識を広げると、自分が溶けてなくなり、戻ってこれないのではないかという、不安が上がって来た。
そこで一旦、この集中を終えた。
「この感覚、なんだか覚えがある」
意識が溶けて、全てと合一するのは、あの苦しみの後に訪れた救いの様な癒しの様な心地よい空間へと向かう誘いを思い出した。
「あ、これ死んだ時に感じたやーつ、だよね、多分」
これ続けるとマジあっちに行くわ。
どうりで、ゾーンだとか、フローとかずっと続けることができない訳だ。
実際は自我を全て無くすというのは無理だろうから、生きている内に中々そこまでたどり着かないのかもしれないが、自分は死んだ経験があるから、自我をほとんど無くすことが感覚的に出来てしまうのではないかと思った。
実際自我なくなったことあるし。
死ぬときは必ず自我から離れなければならない。その時には自分ではいられないのだ。肉体を離れ、自分のと呼ばれるものが全てなくなる。
それを受け入れず、浮遊霊的なモノになることもあるのだろうが、そうならなかったからこそ今があるのだ。
自我が無くなる感覚は実は気持ちがいい。
重い肉体から離れ、自分という枠が外れるのだから、それはもうこれ以上ない開放的な感覚である。
ただ、それまでが死ぬほどつらいだけだ。死ぬんだけれど。
このことが切っ掛けで色々な忘れていた、見ていなかった、見ようとしていなかった思い出が掘り起こされて行くのを感じた。
ただ今はその掘り起こされたことを一つ一つ吟味している場合ではない。
まだ試練は終わっていないのだから。
とはいえ、しかし、もう俺の中では試験は終わりを告げていた。
§
夕暮れ時になり、担当の騎士たちがやって来た。
騎士たちはいつもの森の静けさに対して、この日の静けさは何か違う感覚があった。
それはいつもであれば、張りつめた、お互い見張り合っているような緊張感のあるピリピリとした静けさであり、今はそれとは違う、どこか暖かで見守られているような安堵感からくる落ち着いた安らぎを感じさせる静けさに感じられた。
お互い見合いながら首をひねり、肩をすくめた。
意味が分からなかった。なぜ森の中が自分の部屋の様な安心感に包まれているのか、分からなかったからだ。
これはこれで異常ではあるが、騒ぎ立てるにしても、何と報告するべきか分からない。
取り敢えず、受験者を見つけ、原因と思しきものを発見しない限り、報告するための帰還もできるはずが無かった。
奇妙な感覚を感じながらも慎重に歩を進める。
緩やかな空気を感じていても油断はできない。この森はそういう類の動物たちが犇めくことで有名だった。
だから腰に下げていた剣を抜き、手に取り、ゆっくりと森奥深くへと向かった。
受験者の一人のもとへと行くとそこには奇妙な光景が広がっていた。
「え、気持ちワルッ!」「ナニコレ」
中心にいたのはレオナルドだった。
私たちがここに来ることを知っていたかのように、こちらを向き直って待ち構えていた。
道順から言えば、こっちに向き直っても可笑しくはないのだが、自分たちが木を避けて姿を直線でギリギリ目視で捉えられるその瞬間に振り向いたのだ。
明らかに自分たちを出迎える為にした行動と感じ、その上よく見ると彼周辺の地面にたむろする蛇たちの色とりどりの絨毯の様な群れがより気持ち悪さを感じさせた。
近付き、少し遠めから「これはどういう状況でしょうか」という問いかけに、「なんか、悟った、みたいな」とぼんやりとした顔で言われた。
「サトッタ?悟ったということですか?え?こんなのできるんですか?」
「え、これが悟りってやつなのですか?本当に?」
「ごめん、適当だった。違うみたい。そうじゃなくて、なんていうか全部が一つだと分かったような、全てが俺だったと分かったような、俺なんか無くてすべてがただあったみたいな、そんな感じ。まあ、俺ではないけど、分かるみたいな。思い通りにできるとは違うけど、全てが通じているというか。うん、やっぱり上手く言葉じゃ表現できないな。まあ、今は心配はないと分かってくれればそれでいいよ」
いつもどことなく頼りない存在として見ていたが、それでも受け答えに対してはハッキリしていたし、少しは威厳を持って対応してくれる奴だった。
だが、今はその僅かにあった威厳さえどこかにやってしまい、品格という部分も全くなく、気を張る必要が無い様子に周囲の空気も相まって、なんだか真に受けて良い話か決断できなかった。
「場所変えるんだろ、行こう」
とレオナルドに声を掛けられるまで周囲の状況がどうなっているのか様々な所を観察していたが、呼びかけに我に返った。
自分たちは騎士として試験を乗り越えたことがあるが、こんな状況を見るのは初めてだった。
このまま移動するとどうなるのか良く分からないままに、促されるように場所を移動することにした。
レオナルドの周囲に居た蛇たちはシュルシュルとレオナルドの為に道を開け、そのまま巣穴へと帰って行く。
操るでもなく、付き従っている訳でもない。ただレオナルドの所に集まっていただけの様ではないのだが、あの状態が何だったのか良く分からなかった。
普通試験中に受験者と会話をすることは禁止されているが、状況を報告する必要に駆られて質問をしてみることにした。
「先程の蛇はなぜ集まっていたのですか?」
「あれは、やんちゃをしない様に、起きていて暇ならこっちにおいでと呼んでみたんだ。言葉を伝えた訳じゃないけど、伝わるんだな。これで誰も怪我無く終えることができるだろう」
「え?」
「他の動物も呼べば来るかもしれないけど、それぞれ縄張りがあるから、そういうことを冒させるのは野暮だろ、まあ、何にせよ、試練を超えられそうで良かったよ」
「呼んだら来るのはいいですが、その後何をされていたのですか?何にもければ怒ったりしないのですか?」
「はは、意識を深めるとそれだけで皆気持ちが良くなるから大丈夫だろ。ただ一緒に居るだけで安心できるっていいだろ。そういう状況を近くで感じたいから実際来ていたのだと思うし」
何だか言っていることがぶっ飛んでいるが、確かに一緒にいると温かな穏やかな不思議な気持ちになっていく。
二人ともこれは早く終えて報告しなければならないと感じた。
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