4.11
昔の俺は自分が一番大切だと本当に心の底から思っていた。
受験で周囲と比べ、相手よりも多く点数を取るために自分の努力と共に相手を油断させたり、足を引っ張るようなことまで思考を巡らせていたように思う。途中で他人は関係ないことには気づいたが、それでも比較はやめることは無かった。
自分が良い事が大前提で、それ以外は適当に良くなるようにできればいい程度の塩梅で物事を考えていた。
だから、自分を蔑ろにされたり、自分を使い勝手の良い駒のように扱われることに対して我慢できなかったのだと思う。
自我が自分の権利を主張し、自我が周りを蹴落とし、自我を守ることが世界で一番大事なことだと思っていたのだ。
「自分が世界に生まれてやった」くらいの尊大な自分をいつの間にか作り上げていた。
だから自分が生まれる前の世界などないのだと、良くて世紀末のように荒廃し切った環境を俺が生まれることで全てを良くしてあげたのだという、そういう類の思いが、心の底の深い所にはあったのではないかと思う。
それがいつ生まれたのかは良く分からないが、幼い時から大切にしてもらったことでそう考えるようになっていたのかもしれない。
自我なんてものは碌なモノではない。
しかし、昔生物学か歴史の話だったか忘れたが、そこで学んだように人間は大脳の発達と共に大脳新皮質ができ、自我を獲得している。
つまり、これはお爺様の言われた通り、何か崇高なモノの為に生まれたといえる。
サルやチンパンジーなどからホモサピエンスが分かれたのはこの大脳の違いが大きいのだから。
なぜ生まれたのかは分からないが、必要とされないモノは生まれはしない。
余計なモノが邪魔をしているように考えるのは、まだ自分には至っていないところがあると教えられているように感じた。
その晩、父上の執務室に夕食後呼び出された。
明日に向けての話だろうと思って、何かをつかめるかもしれないと期待しながら向かった。
「最終試験を前に確認しておこうと思ってな。どうだ、何か掴めたか?」
何かを教えてくれるのではなく、確認だった。
だから、掴めたような、掴めていないようなという今の心境をそのまま伝えることにした。
「分からないことはまだ多いです。・・・でも分かったこともあります。自分の役割というか、望まれている姿というか、このバーンベルクに流れている伝統や精神は掴んだように思います。またそれに対して、自分を合わせることは少しですが、できるようになったと思います。ただ、それでも未だ多くのことに対して、分かっていない理解できないところがあります。自我はなぜ生まれたのか、その正しい使い道や自己意識との違いとか、そういう意識については良く分からないところが多いのです」
自分のありのままの報告を、俺の眼を見て真っ直ぐに黙って聞いていてくれた父が、目を一度瞑り、息を吐き出してから落ち着いて教えてくれた。
「そうか。お前は頭が良すぎるあまり、難しく細かく考えたがるところがある。それは良い事だ。そしてそれはいつかそれがお前の力になってくれるだろう。・・・お前の中で浄化は上手く出来ているようだ。これであれば、明日以降の試練は乗り越えらえる」
「え?浄化?ですか」
「そうだ。普通一般の奴らは汚れた、穢れた存在になってしまっている。体が汚らしいとか汚れているとか、そいう事では勿論ない。そうではなく、もっと根っこの部分だ。性格というか、思考というか、感情というか、目には見えないところという意味だ。それは多かれ少なかれ、必ずと言って良いほどある。赤子は別だが、歳が経つにつれてすべからく汚れていく。だからそれを悪いと思う必要はない。だが、この試験では命取りになりやすい。また我々が考える騎士の姿には、そういう穢れはあってはならない。騎士とは人民の規範にならなければいけない存在だ。騎士とは誰もが認める凛々しい姿だ。そういう文化を我が先祖たちが築いて下さったのだ。だから騎士はそういう穢れを落としたような者にだけ与えられる称号だ。ふふ、まあ、人間基準での話ではないから、そう見えない騎士もいることはいるがな。人間は気づけないが、他の動物は気づいている。動物に好かれる奴とそうでない奴にはその穢れが影響している時がある。まあ、とはいえこれにも例外はあって、家のような家系だと、そんなこと関係なく嫌われる。いや、嫌われるというよりも、畏れられていると言った方が良いか。あまり動物が寄ってこようとはしない性質があるように思う。おそらくそれは私が感じとっている穢れとは違う部分に在って、動物は本能的にそれに反応しているのだろう。当たり前だが、私にだって分からない事はある。動物だけが反応し、自分には分からない危険だってあるしな」
自分が理解できないところを感じることができる人はいるし、動物もそれ以上に感じるものを持っている。
言われれば、そうだと理解できるが、平等思考で見ると否定したい気持ちが湧いてしまう。
誰かにできることはもしかしたら自分にもできるのではないか、隠された能力が眠っているのではないかと思ってしまう。
実際には、ただあるがままにそれを認めることが必要なのだ。
言い訳や思い違いばかりしているのは、目を瞑って走れと言っているのと何も変わらない。できないことを出来ると思ってただ走り出すことは無謀であり、それはどこまで行っても意味あることを生みはしない。
目を見開いてその違いを受け入れるところから始めなければならない。
なるほどと思いながら、頷き、では蛇はどうなのだろうと思いを巡らすと、父上から注意事項を教えられた。
「明日からの試験では、今まで体得した、自分の役割を感じながら望めばいい。時間が長いからな、無駄なことを考えるなと言っても難しい事だろう。だが今のような心持で臨めば、心配することは無い」
何だか分からないが、いつになく父上が自分に優しいような気がした。
それから今日お爺様に会いに行ったことを報告した。
「実は試験が早く終わったので、お爺様の所に顔を出しました。人生の転機だと思ったので、何かを掴みたくて伺ったのですが、・・・何とかお会いすることができたのですが、・・・・お元気そうではありました」
と苦笑いしながら報告をした。
父上は「ふふ」と笑みをこぼして教えてくれた。
「父は男にはいつも厳しいからな。父に怒られないで一人前の騎士に成れた者はいないんじゃないか?私もそうやって育ったのだ。妹のセレスは可愛がり甘いくせに、私とバースはいつも怒られていたんだ。ただ父は真実だと思う事を包み隠さず教えてくださる。言われた言葉は間違いなく自分にとって重要な言葉になった。だから私は父との思い出はそれほど多くはないが、忘れたことは無い。厳しいことを言われても、忘れずに思い出しているといつかつながる時がくるのだ。だからお前もそうしてみなさい」
そういわれて、自分が嫌われていた訳でなく、通常運転だということを理解した。
いや、それでも俺にはより厳しかったような気がする。絶対アントニオより厳しかったはずだ。
ふとそんなことを思ったのを見透かされたように父上は笑いながら、話をつづけた。
「お前は私と同じ、長男という宿命を背負っているから、同じように厳しく言われていることだろう。まあ、父は弟の方が跡継ぎに望ましいと思っていたのかもしれないし、そこらへんは分からんが、それでもそれが自分には良かったと思っている。それは結局自分を今の状態に辿り着かせてくれた一助でしかないからだ。人生に無駄なモノは一つもない。全てが必要であり、必然的に表れているのだ。それが現実というモノだ。だからお前も他人の思惑よりも自分の目の前の現実を見つめると良い。そこには常に自分の大切なモノがある。世界や自然と呼ばれるすべてが自分を支えてくれているのを感じてみなさい」
それで話は締めくくられた。
俺はその言葉に「はい」と答え部屋を後にした。
翌日、まだ暗い夜が明ける前、肌寒さが残る春山の麓で試験は開始された。
終了時刻は明後日の夜が明けるまでである。だから実際の時間は二日と少しということである。
その間、受験者は目の前の毒蛇の巣の前に座り続けるというモノである。
試験を受ける受験者は自分を含め4人しかいなかった。
50人程度が今年も落ちて、残ったのは4人だけだ。
バース叔父さんの息子たちは今年は参加していないが、傍系のブランビッラ家の二兄弟がこの最終試験に参加していた。
最後の一人はサッタという平民の家系の3男で今年で36歳の人だ。ちなみにブランビッラ家は28歳と29歳で最終試験に残った中では俺が一番若かった。
とはいえ、年齢とか家柄とかは関係なく、それぞれ別れて座る。
蛇の巣と思われる拳大の大きな穴の前にそれぞれが座る。
ちなみにこれは公平性を保つためか、日暮れに合わせて場所を変える。それぞれの場所と場所の距離は大体200メートルほどあるが、試験管が案内してくれることになっているから心配する必要はない。
火を焚いたり、武器を持つことは禁止されている。
持ち物はなく、指定された簡素な生成りの生地の服を着るだけである。
眠ってもバレなければ大丈夫という話は聞いたことがあるが、それをして受かったという話は聞いたことは無かった。
ただ座って時間を潰すという状態を続けることができれば、試験を合格で終えることができるということだ。
簡単な事ではあるが、毎年ここでも失格する者は出てくる。
蛇は一週間食べることをせずとも生きられると聞いたことがあるのに、なぜか試験の最中出てくるのだ。
何が気に入らないのか、あいつらが最終試験の片棒を担いで、合否を決める決定権を持っている。
父上の話の通り、人の穢れに反応しているのかもしれないし、何か生命の危機を感じて飛び出してきているのか知らないが、不合格を突き付けることがあるのだ。
指定された場所に付き、試験を受ける。
この時にもう既に穴の目の前に蛇の存在を感じた。
これはいる。
そう思ったが、座らなければならない。
座れば、余計その圧力を感じる。何かが這いずるような感覚が地面を伝い、皮膚を通して感じられる。
それでも、怯えたり、不安に陥ることが無かったのは、昨日のあのムカデの洞窟で味わった強烈な敵意の反応が、余程印象として残っていたということもある。
だから、座りながら、意識は穴や周囲への警戒をしながら、今するべきことに全力を傾けることができた。
長く座っていると感じるのは、世界は静かであるということだ。
静かと言えども、鳥は鳴き、風の音、木や葉が擦れあう音はあるが、うるさいと感じることは無い。
全てが必要なタイミングに絶妙な音を繰り出しているように感じられるそれは、心地よく、だが当たり前のように感じる。
次第に自分もそれの一部であることを受け入れ溶け合っていくことを感じる。
その時には、これは何の音かとか、これはどういう類の振動かなどは考えず、自分の一部が自分の中で奏でているような感じだ。
自然全てが、自分で在るし、自分はその中の一部である。そういう感覚だ。
全体であると、部分であるが、重なった状態というべきか、それが自分で在るのだと分かると、もう不安も恐怖もなくなった。
夕暮れ間際に人が近付いてくるのを感じながら、もうそれだけ時間が経ったことに気付いた。
未だ誰も脱落はしておらず、場所を変更して座り直した。
しかし、蛇は種類によってその行動のタイミングが違う。昼行性の蛇もいれば、夜行性の蛇もいる。
そしてこの目の前の蛇はどうやら夜行性だったようだ。
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