200話 異質さと勇敢さ
―― Xeno And Brave ――
ここに在ってはならない。
その理屈は、誰よりも彼自身が理解していた。
空は青く、雲は規則的に流れ、遠くの光塔は正確な間隔で脈動している。世界は整っている。秩序は崩れていない。
だが、その秩序の中央に――異物が立っていた。
胸元に、鎖で吊られた黒い箱。
掌に収まるほどの小さな立方体。
角は寸分の狂いもなく直交し、面は光を吸い込み、輪郭だけを冷たく浮かび上がらせている。
それは「欠片」だった。
完全体の一部。
にもかかわらず、あまりにも理路整然としすぎているがゆえに、人はそれを欠落と認識できない。欠けているという事実を、脳が拒絶する。
それが、彼――我王蘭丸の胸にあった。
彼の隣に立つ男は、さらに異質だった。
ユニト。
ユニムの父であり、本来この地に存在しなかった者。
セレスティアルは、完結した世界である。
生態系は閉じ、空と海と陸は循環し、外部という概念すら持たない。
そこに「外」から来た存在が立っている。
理論上、ありえない。
だが今、彼は風を受け、地面を踏み、確かに呼吸していた。
「……まだ視線があるね」
ユニトが低く呟く。
視線は物理的なものではない。
世界そのものの観測だ。
蘭丸は答えない。
彼は胸の黒い箱に触れた。
冷たい。
脈動はない。
だが確実に、何かを封じている。
それが開けば、世界は変質する。
そう直感できるほどの静かな圧力があった。
二人は旅を続けている。
放浪か、冒険か。
名付けるならばそのどちらでもよかったが、実際にはもっと単純だ。
探しているのだ。
権物――オリペドロゴンを。
その名を知る者は少ない。
知ってなお口にする者は、さらに少ない。
それは地図だと言われている。
だが、ただの地図ではない。
球体。
セレスティアルそのものを模した小宇宙。
空、海、陸。
気流の癖。
生態系の循環。
未来に起こり得る分岐。
そして――
我王蘭丸とユニトの生態データまでもが、内包されているという。
もしそれを手にすれば。
セレスティアルを、手中に収められる。
少なくとも、そう語り継がれてきた。
「世界を握る気はある?」
ユニトが問う。
「ない」
蘭丸は即答する。
「だが、知らずに支配される気もない」
風が吹く。
遠くの浮島群が、ゆっくりと軌道を変える。
セレスティアルは、生きている。
だが同時に、演算されてもいる。
オリペドロゴンがなぜ作られたのか。
誰が。
何のために。
答えはない。
ただ一つ、賢者たちの言葉が残されている。
――我王に由来する者、もしくはユニトに由来する者のみ、その在処を汲み取れる。
血か。
系譜か。
あるいは思想か。
蘭丸は時折、考える。
自分は“由来”なのか、それとも“例外”なのか。
この黒い箱は、導きか、それとも枷か。
「怖くないの?」
ユニトが問う。
蘭丸は少し考えた。
「怖くないわけがない」
異質であることは、孤独だ。
勇敢であることは、代償を払うことだ。
この世界に本来存在しない二人が並ぶとき、そこには常に選択が伴う。
退くか。
壊すか。
進むか。
空の一部が、わずかに歪む。
観測の焦点が、二人に合う。
蘭丸は一歩、踏み出した。
「行くぞ」
「根拠は」
「ない」
だが彼の瞳には、確かな光があった。
異質であることを否定しない光。
この世界に在ってはならないと言われながら、それでも立つ意志。
勇敢とは、恐怖の不在ではない。
恐怖を抱えたまま進むことだ。
足元の大地が微かに震える。
遠く、水平線の彼方で、球体の影が一瞬だけ浮かび上がった。
見間違いではない。
あれは。
「……感じたんだね」
「ああ」
胸の黒い箱が、初めて熱を帯びる。
オリペドロゴンが、呼応している。
それは地図であり、鍵であり、記録であり、選別装置でもある。
世界を握るための道具か。
それとも、世界に握られぬための盾か。
まだ分からない。
だが確かなのは一つ。
彼らは、存在している。
ここに。
否定されながらも。
観測されながらも。
それでも。
異質は、消えない。
勇敢は、折れない。
そしてセレスティアルは今、
その二人を中心に、わずかに軌道をずらし始めていた。
世界が揺れるとき、
揺らしているのはいつも、在ってはならない者たちだ。
蘭丸は胸の箱を握りしめる。
「俺たちは地図を探しているんじゃない」
静かに言った。
「世界が、俺たちを探しているんだ」
風が止む。
空が、わずかに色を変える。
セレスティアルはまだ完璧だ。
だがその完璧さの中央に、確かに亀裂が入った。
それが終焉か、進化か。
答えは、まだ誰も知らない。
ただ一つだけ確かなこと。
在ってはならない二人は――
それでも、ここにいる。
そして進む。
勇敢に。




