春の章 第4話 明日の約束
夕食の時間に間に合うように、耕平はさくらをあさひ山荘へ送り届けた。
丸太を組んだ壁に、煙突のついた切妻屋根。
深い森に囲まれた山荘は、夕映えに染まり、柔らかく煙るようなオレンジ色の光を纏っていた。
暖かくなるにつれ日照時間がのびて、深く積もっていた雪もおおかた溶けていた。樹木はまだ冬の装いだが、枝先にはぷっくりとふくらんだ新芽が無数に連なり、いっせいに芽吹く日も近いことを予感させた。
耕平は、大丈夫だからとさくらが止めるのもかまわず、彼女の荷物を持って駐車場から玄関までの階段を上った。
そのまま彼が、大きな木の扉を開けて彼女と一緒に中に入ったので、さくらは内心で少し慌てた。
「お帰りなさい、さくらさん。あら、耕平くん、こんにちは」
受付にいた綾子が顔を上げて笑顔で挨拶した。
さくらは宿泊予約のある客。
そして耕平は、懇意の電器店の二代目で、繁忙期には山歩きのツアーガイドも頼んでいる、いわば身内のような存在だ。だが、忙しい夕食前のこの時間に訪ねてくることはめったになかった。
綾子は、ほんの少し訝しげな表情になった。
「さくらさんの送迎してくれたの?ありがとう」
すると耕平は、綾子に真っ直ぐ向かって言った。
「綾子さん、お忙しいところすみません。どうせどこかから耳に入ると思うんで、直接言っておきます。俺とさくらさん、付き合ってます」
一息に言ってしまってから、ふうと息をついた。
綾子は一瞬目を見開いてから、ふふと笑い、いつもの優しい笑顔になって言った。
「報告ありがとう。二人とも、よかったわね。お幸せに。……亮介さんには私から伝えても?」
耕平は、目を上げて奥の厨房を見てから、少し安堵した様子で綾子に向き直った。
「そうですね……。お願いします」
「明日の予定は?」
綾子が何か思いついたように二人にたずねた。
「鏡池に行きたかったんですが……お天気があまり良くないみたいで」
さくらが残念そうに答える。
「耕平くんは、明日一日休み?」
「いえ、午前中だけ配達が何件かと研修センターの定期点検が」
「それじゃあ、耕平くん、仕事終わったらここにお昼食べにいらっしゃい。連泊のお客さんもいないから、ちょうどいいわ。さくらさん、またパンを焼いてよ」
そして綾子は意味ありげに笑って続けた。
「明日はあまり町中を、二人でうろうろしていたくはないでしょう?」
明日の昼に来ることを綾子に約束し、いとまを告げると、耕平は玄関の外に出た。さくらが後に続く。
ほんの短い時間で、森には濃い夕闇が降りていた。
山際にはまだ夕映えの余韻が残っているが、空の高い部分はすでに夜の色に変わっていた。
「耕平さん、送ってくれてありがとう」
さくらが言った。
「ごめんね、さくらさん」
不意に謝られて、さくらはびっくりして耕平を見上げた。
「何がですか?」
「勝手に……綾子さんに言ったこと。それから……鏡池に行けなくなったこと」
「そんなこと。むしろ、嬉しかったです」
耕平が、大地や綾子――耕平にとって親しい人々に、付き合っていると告げてくれたことが、自分も彼の世界の内側に少し入れたようで嬉しかったのだ。
「それに、明日、楽しみです。耕平さんに美味しいって言ってもらえるように、頑張ってパン焼きますね」
さくらの気合いの入った言い方に、耕平は口元を緩めた。
さくらのこういうところ――真っ直ぐに自分の思いを伝えてくれるところ――を、彼は好きになったのだった。
「……」
耕平は一瞬、さくらに触れたい衝動にかられて動きを止めた。しかし、すぐにいつもの優しい笑顔になって言った。
「……俺も、楽しみ。じゃあ、また明日」
玄関の扉を開けて、さくらに中に入るように促す。
「一人で森を歩き回らないで。危ないから。おやすみ」
「おやすみなさい」
二人は挨拶をかわし、さくらは山荘の中へ、耕平は階段を下りて車に向かう。
明日の約束が、二人の足取りを軽くしていた。




