95 ラーナと黒い小蛇はドモロール王城へ行った
ドモロール王国宰相の別宅から王城へと、神子姫のドレス作りの為にと呼び出された侍女ラーナだったが、宰相の目的がドレス作りでないことなど、優理達にはお見通しである。
目立たないようにということなのだろう。
ラーナが乗った馬車は、内向きではなく外向きに使われている区画でも一番小さな門を通っていった。
それを小窓から確認していたラーナに、腕に巻きついている小さな黒い蛇が話しかける。
「まだ地下にある門じゃないだけ良かったよね」
「あら。そんなものがありますの?」
「うん。なんかね、お城の地下牢に直行させる人をそこから運ぶみたいだった」
とっくにドモロール王城の内部は探索済みの小蛇だ。
その気になったらどこにでも忍びこめる真琴は、昼間はごろごろとして皆の膝枕やカイトのバッグの中で惰眠を貪り、夜にはこっそりと梟や蝙蝠の姿になって城へ忍びこんでいた。
王族のプライベートエリアに近づく時は、とても高そうな犬や猫に化けて堂々と歩けばいい。見かけた人も、(どなたかが飼い始められたのか?)と、そう思ってくれる。
薄暗いエリアは鼠になって走り回った。
おかげで今の黒い小蛇は大事な箇所が全て頭に入っている。
(二度と優理に手を出させない。徹底的にやらなくちゃ)
いくら自分よりはるかに図太い神経の優理だって、正体を知ったなら利用しようとする人達ばかりの大陸で生きるのは辛いことだ。
それではただの指名手配犯ではないかと、小蛇は思う。
(ギバティ王国だって、今じゃ方針を変えたってことだった。つまり、人間、痛い目に遭わないと反省しないってことだよ)
小さな黒蛇はラーナを見上げる。
「我慢なんてしないでね、ラーナ」
「しませんわ。だってもうユーリも動いている筈ですもの。私達にとって、あなた方が無事なら何一つ我慢することなどないのですから」
そうして馬車が止まり、ラーナが下ろされる。
そこで武器等を持っていないかの検査が行われた。
しかし荷物も最小限、柔らかい素材の濃紺のドレスとあって、寸鉄すら身に帯びていないことはすぐ分かる。簡単にそれはクリアできたラーナだ。
目立たぬ使用人用の通路を抜けて、階段をぐるぐると上らされ、ラーナは一つの部屋へと案内された。
「ここでしばらくお待ちください」
「ええ」
閉められた扉は、ガチャンと外から施錠される。
「うわぁ。よくある監禁パターンだね」
「そうなんですの? 人間ってのは意味のないことをするものですこと」
部屋の窓からは外がよく見える。
この部屋はそれなりに高い位置にあるが、ドラゴン達が飛ぶ空はもっと高い。
ラーナは呆れ返った。
「それよりラーナ、お外見て。あのね、あっちが軍隊の人達がいる場所で、あっちがお仕事用の一般の人達もよく出入りする場所なんだよ。そしてね、裏側になるそっち側に王族の人達が暮らしてて、貴族の人達はあっちに部屋があるの」
黒い小蛇がくねくねしながら説明し始める。
「でね、ルーシーはあの軍隊の人達がいる宿舎の、使われていない部屋でいるみたい。ディリライトにいた人達、隔離されてるんだって」
「そうですの。ではマーコット。ちょっと待っててくださいましね。あなたの服を出しますから」
ラーナが着ていた濃い紺色のドレス。その柔らかな素材は、何重になっていても軽やかなイメージがあった。
ドレスの内側からそれを引っ張り出してしまえば、ラーナのフリルが少し減ってしまうが、同色同素材の服が隠されていたと分かる。それは、シャツとズボンだった。
それを小さく畳んで持ってきた荷物の中にある巾着袋に入れてしまえば、黒蛇から変化した大きな蜥蜴がその紐を首に通して窓から出ていこうとする。
「ラーナ。武器はちゃんとお城の外の窪みのあちこちに隠してあるから。青いリボンを見つけたら、その近くの煉瓦の隙間を見てね」
「ありがとうございます。マーコット、あなたも気をつけて」
「うんっ」
ふふっと笑うラーナの微笑はとても優しいものだ。だから安心して蜥蜴は窓から滑り出る。
蜥蜴が外壁を伝って違う部屋へと移動したのを見届け、ラーナは窓を閉めた。
そうして部屋の椅子に腰かけてしばらく待っていたら、ガチャガチャと鍵を開ける音がして、宰相が入ってくる。
「お前は外で待っていろ」
宰相はついてきた男に命じて、扉を閉めさせた。
「これはどういうことでしょう? 私、姫様の採寸用紙を持ってきたのですけれど」
立ち上がったラーナに、宰相は不気味に笑ってみせる。
「はっ。愚かなことを。お前はもう用済みだ。姫様にはこちらの用意した侍女をつける。お前には違う仕事をくれてやろう。私の愛人という仕事をな」
「お断りしますわ。姫様にならお仕えするのも喜びですが、お前に価値などありません」
「減らず口を。・・・その生意気な口を閉じるのだな。今、姫様がどういう状況にいると思う。いくら人知の及ばぬ力を持とうとも、所詮は頼りない心の持ち主。お前が待っているからと伝えたら、即座にこちらの馬車に乗りこんだそうだ。もう、あそこにはおらぬ。
猥雑な建物が建ち並ぶ場所に案内させたところ、姫様は部屋から出るのにも怯えて啜り泣いていたそうだぞ。そして姫様が頼れるのは私一人」
勝利を確信した顔で、宰相はラーナの体をその視線で舐めまわした。
地味な紺色のドレス。だが、それでもラーナの美しさを損なわない。
「本当に愚かなこと。神子様への不敬の意味も分かっておらぬとは頭が悪すぎますわ」
「ん?」
ラーナの言葉は小さく呟かれた為、ラーナを好きにできると思って興奮状態にあった宰相は、聞き逃した。
「いえ。話はそれだけでしょうか。ならば失礼しますわ」
ラーナは宰相の脇を通り過ぎようとしたが、その腕を宰相はがしっと掴む。
「薄汚い腕で触らないでくださいな」
「ぐわはぁっ!」
一瞬でその手は外され、宰相は叫び声をあげた。両肩の骨が外されたからだ。
「げふぁっ」
のた打ち回ろうとする宰相に当て身を喰らわせると、静かになった男をラーナは見下ろす。
(ユーリは「とっても効果的なんだから」と仰っていらしたけど、本当かしら)
宰相の腰にあった剣を勝手に抜き、ラーナは流れるような動きで刃をスパッスパッと動かした。
(切れ味の悪い剣だこと。私の爪の方がよほど役立つわ)
そうして宰相の服を細切れにしてしまうと、その部屋にあった寝台へと蹴り飛ばして移動させる。
「ぐぇっ」
その振動でくぐもった悲鳴があがったが、知ったことではない。
ラーナが扉を開けて出ると、そこには宰相の供をしてきた男がいた。
「勝手に出てくるな。部屋へ戻れ」
何か物音がしていたようだが、扉の防音性が高くてよく分からなかった男は、ラーナの美しさに目を丸くしながらも、そう命じる。
肩の所で切り揃えられた髪は、前の方が長くなっているストレートの黒髪。
光沢が浮かぶ髪の艶も美しく、唇は濡れて赤い。
(ちっ。やっぱりお楽しみだったのかよ。そうだろうと思ったぜ)
そんなことを思いながらも、しかし勝手に出てこられては困るのだ。
「控えなさい。私は神子姫様の侍女。それをこんな場所に案内して慰み者にしようとは、一体どういうことですか。無礼も甚だしい」
毅然とした口調で反論された男は目を白黒させた。
「へっ? 神子・・・姫様? 神子姫様って、・・・あの、女神様の?」
「他にどなたがおわすというのです。さっさと道を開けなさい。私は姫様の所へ戻ります」
そう言って脇を通り過ぎようとしたラーナの腕を、廊下で待っていた男は掴んだ。
「いやいやっ、ちょっと待ってくれ。そんな嘘に騙されるわけないだろっ。たかが宰相様のお手がついたってだけじゃねえか。ま、あまりにも早すぎたが、ここで逃げ帰られても困るんだよ。・・・勿論、あんたが今度は俺の相手をしてくれるっつーんなら、相談には乗るぜ?」
あの宰相も年なのか、美女を相手に楽しもうとしてすぐ寝入ってしまったのだろう。
ならばおこぼれにあずかろうと、男は思った。
「どいつもこいつも女の敵しかいないのね。嘆かわしいこと」
「そういう男の方がいいって言う女も多いんだぜ?」
自分の体に自信のある男は、ニヤリと笑ってみせる。
ふっとラーナの唇が緩んだ。色っぽく、誘うようにその赤い唇が弧を描く。
「悪い男ってそんなに魅力的なのかしら?」
ふふっと誘うような言い方は、まさに男に対して、「じゃあ、試させてもらおうかしら?」と、言わんばかりだ。
「ああ。あんたも俺に感じてるだろ?」
「ええ、そうね」
二人の唇が近づいていく。
「んうっ」
鳩尾を殴られた男は、ラーナの唇を味わうことなく床に沈んだ。
「突き抜けた愚かしさを感じまくりよ」
その襟を片手で掴んだラーナは、先程までいた部屋に男を連れ込み、やはり服を切り裂く。
細切れにした二人の服はそのまま窓から捨てた。そうして宰相が気を失っている寝台にその男を放りこんでから、扉を掴んで、ばきばきっと蝶番ごと破壊して外す。
これで扉は閉められない。
(本当にこんなことに意味なんてあるのかしら。ユーリも変な指示ばかりなさること)
枕には持ってきていた枕カバー、そしてとても薄いシルクのシーツを二人の上から掛け、ラーナは階段を下りていった。
その日はとても爽やかな風が吹くいい天気だった。城中を清々しい風が通り抜けていき、庭園に咲き誇る花の香りを運ぶものだから皆の気分も浮き立っていく。
だが、そこに絹を引き裂くような女性の悲鳴が響き渡った。
「きゃあああっ。宰相様がっ、宰相様がぁっ! どなたかお助けしてぇっ!!」
その日は、風が四方八方へとそよいでいたからだろう。いつもならそんなに遠くまで聞こえないという場所にまで届く悲鳴だった。
風の妖精、大活躍だ。
勿論、その悲鳴を聞きつけた騎士や兵士達が駆けつける。
「どうしたっ」
「何があったっ」
「宰相閣下がどうなさったっ」
地面に手をついて目に涙を浮かべている美しい女性は、震える手でその建物を指差した。
「だっ、男性の悲鳴が聞こえたから、様子を見に行ったのですっ。すると、すると・・・。ああ、これ以上は申せませんっ。宰相様がっ、・・・宰相様がっ」
なんて恐ろしいことと、身をよじるようにして震えるその女性は貴婦人なのか侍女なのか分からぬドレスに身を包んでいた。肩で切り揃えたストレートの黒髪も美しい。
地味な紺色のドレスだからこそ、美貌が際立つ。
「宰相様がそこの建物にいるんだなっ?」
そう尋ねた騎士に、その女性はこくこくと頷く。
「お前達、ついてこい」
「はっ」
騎士達が兵士達を連れてその建物に入っていく。残った兵士もいたが、その女性は兵士達に震える声で告げた。
「どうかここで見張りをお願いいたします。私は殿下を連れて参りますから」
「分かりましたっ」
殿下を呼んでくるということは、どうやら王族に仕える女性だったらしいと判断し、兵士達もしゃちほこばって答える。
王族に仕える女性は貴族令嬢だったりするので、普通の侍女とは格が違ってくるのだ。
「あのっ、お供いたしましょうかっ?」
「いいえ。ここをどうか守っていてくださいませ。何と言っても宰相様が・・・。ああ、恐ろしいこと」
やがてその女性が王族の暮らす区画へと立ち去ってから、建物の上階からどよめく声が響いてきた。
待機を命じられた兵士達も、塔の中では何が起きているのかと見上げずにはいられない。
そして、その場を目撃した騎士や兵士達は、立ち竦むしかなかった。
「ご、・・・合意か?」
「だ、だが、・・・扉が壊れる程に抵抗した痕跡が・・・」
「これって、どっちがどっちだ・・・?」
寝台で寄り添い、深く寝入っている二人の男達。二人が使っている枕はピンクのハート型で、白いフリルがついている。
しかも上半身は裸だ。
かろうじて下半身にかけられているのは、白地に赤やピンクのハート模様が散らされた薄いシルクのシーツ。薄手のシルクはかなり体の線に沿い、とてもよく透ける布地だった。
そして白地のシーツだからこそ脛毛までぼんやりと見える。要は、下半身も裸だと丸わかりだ。
「ど、どうすんだ?」
「起こして、・・・いいのか?」
「だが、こんなにも扉が壊れてるのって、・・・何があったんだ?」
「だから抵抗したんだろ?」
「どっちかってーと、激しい奴だっただけじゃねえの?」
「だな。なんか乙女心満開な枕だしよ」
こうなると起こすに起こせず、しかし放置もできず、誰もがその部屋を覗きこみながら廊下でこそこそと話し合う。
そこへ悲鳴が届いた様々な場所から次々に騎士や兵士達が押し寄せてきて、地上にいた兵士に話を聞き、誰もが階段を上がってきてその部屋を覗いては、地上へ戻って話し合うときたものだ。
「どうすれば・・・」
「まさか妻子のある宰相閣下が・・・」
「いや、襲われた被害者だとしたら・・・?」
「合意じゃないのか? ほら、女の悲鳴がしたってことは、二人の愛をその女に見せたかったとか」
「あー、なるほど。じゃあ閣下のお部屋へ運ぶべきか?」
「だが、あの状態で運んだ日には・・・」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。聞いたら、今日、この塔に近づかぬよう命じていたのは宰相閣下だそうだ」
「となると、宰相閣下が襲った方か?」
その日、その建物には人払いをしてあった宰相の小細工が裏目に出たと言えるだろう。
宰相の手の者ではなく、全く関係ない騎士や兵士達が駆けつけたものだから、宰相の名誉の為に隠蔽するということは全くなされぬまま、入れ代わり立ち代わり、男二人が寄り添う姿は見物されてしまった。
風に乗って届いたラーナの悲鳴を聞きつけたルーシーは、立ち上がった。
(この場所にいる必要はなくなったわね。さて、そろそろ動きましょうか)
ルーシー達は戦うのが仕事なので、荷物のチェックはなされていない。
必要な物を持ち出し、ルーシーは窓から屋根へとよじ登り、そうして木々に飛び移るようにしながら林へと身を隠す。
適当な場所でドレスに着替え、ヒールの高い靴を履き、明るい色合いの口紅を塗り、髪も一度解いて結い直して髪飾りをつけたなら、今までの毅然とした女兵士は消え失せて、どこか麗しいものを漂わせる貴婦人だ。
そのままだと赤く濡れたような唇が蠱惑的すぎるので、わざと少し可愛らしい色合いの口紅を塗ることでその色気を抑える必要があった。
今のルーシーを見ても雰囲気が違い過ぎて、第一将軍やドカートン小隊長とて同一人物とはまず気づくまい。
「たしか外向きの区画はあちらだった筈ね」
ルーシーはドレス姿でも素早く走り抜け、陳情や手続きなどを行っているその広間へと入りこむ。
二階まで吹き抜けた大きな室内は、様々な部門の人間が忙しく動いていた。
そうしていきなり駈け込んできた美女に、皆が振り返ったところで、大きく叫ぶ。
「姫様を返してっ。私の神子姫様を返してくださいっ」
その場にいた人達は呆気にとられてルーシーを見た。
身なりは貴族令嬢と言われてもおかしくない貴婦人だ。ここは一般の人々に関しての手続きや事業などを行っているというのに、どうしてこんな場所に入ってきたのか。
「えっと、失礼ですが、場所をお間違えではないかと・・・・・・」
相手が貴族令嬢ならばと、丁寧に応対する役人だったが、ルーシーはきっとした目で睨みつけた。
「私がお仕えしていた大切な神子姫様をこの国が攫ったことはもう分かっているのですっ。さっさと姫様を返しなさいっ。大事な神子姫様に傷一つつけていたら承知しませんっ!」
その場は、一気に静まり返った。
誰もが自分の聞いた言葉を信じられず、ルーシーを見つめる。
「私は神子姫様にお仕えする者です。ディリライト島で静かに過ごしておられた姫様を攫った罪、簡単に贖えると思うのならばその間違いを知ることでしょう」
役人達が顔を見合わせる。
この貴婦人は気が触れているのか、と。
「あ、あの・・・。どうぞこちらへ。ここではいささか問題がございますから」
そう言いながら、兵士達に目配せをして取り押さえようとしたが、ルーシーは凄まじい跳躍を見せて、二階へと飛び移った。
人間業とは思えないその動きに、誰もが呆気にとられてしまう。
「さっさと神子姫様を解放するよう、忠告はしました。解放する気はないようなので神子姫様はこちらで勝手に捜します。ですが女神様の姫君を攫っておいて、ただですむとは思わないことです」
そうして窓からひょいっと抜け出る動きはまさに貴族令嬢とは思えぬ身軽さだ。
「追えっ、追うんだっ」
その言葉の真偽はともかく、捕らえなくてはまずいと判断した役人達が扉の周囲にいた兵士達に命じる。慌てて兵士達も外へと飛び出ていった。
「え? どこに行った・・・?」
「どこだっ。いくら何でもまだ遠くへは行っていまいっ」
だが、地上に飛び下りたであろう貴婦人を捜してもどこにもいない。
「今、神子姫様がどうとかっていう悲鳴が聞こえたんだが・・・」
「なあ、とても聞き流せない内容が聞こえてきたんだが・・・」
しかも、屋内の広間で叫ばれたことだったのに、今日は風が不思議な動きをしていたのか、違う階や建物にいた人々が、わらわらと集まってくる。
「何があったんだ? とても冗談にはならん話が聞こえた。女性の声だったが、どういうことか」
上司に説明を求められた役人や兵士達も、そうなればルーシーの言葉を繰り返すしかなかった。
「まさかっ、・・・それは誰がしたというのだっ。本当にドモロール人がやったとでもっ?」
「分かりませんっ」
その兵士達が慌てふためいている様子を屋根の上からルーシーは見下ろす。
(えーっと、次はどこに行こうかしら。やはり神殿かしらね。ユーリは抜け出してくるだけでいいとのことでしたけど、マーコットはついでに被害者アピールをと仰ってましたわね。ここは、小猫加算ということでマーコットのご要望通りにしておきましょう)
その辺りは各自の裁量ということで、真琴から簡単な段取りしか伝えられていなかったのだ。
王城の近くには、大きな神殿がある筈だ。
幻獣達はそんな建物や神官といったものに意味を見出さないが、神殿の見分け方は教わっている。
そうしてルーシーは空中を大きく跳躍し、やがて神殿を見つけてそこに駆け込んだ。
「お願いですっ、姫様を助けてくださいっ。この国に攫われたのは分かってるんですっ」
「え・・・?」
ドモロール王国で一番大きな神殿とあって、神官ばかりか、一般人が祈りを捧げている場所だ。
そんな静かな場所に、ルーシーの悲鳴のような訴えは大きく響いた。
その声は開け放された窓を通じ、神殿の外へも響き渡る。
「私のお仕えする神子姫様が、ディリライト島からこの国に攫われたのですっ。私達をも連れてきて、姫様に『侍女達に危害を加えられたくなければ言いなりになれ』と・・・っ。ああ、姫様っ。私達を庇われたばかりにっ。今頃、どんな心細い思いをなさっていることでしょうっ」
一気に人々が立ち上がり、その場がざわめく。
神殿の外を通りがかった人すら、聞いてしまえば立ち去れない内容だった。
「姫様は、王城に閉じ込められておりますっ。私達を助ける為に、姫様はお残りになられてっ。私は隙を見て逃げ出してきたものの、このままでは・・・。どうか、どうか姫様を助けてくださいっ」
涙ながらに訴える美しい女性は、身につけているものも立派なドレスである。
まさに王女に仕えている貴族令嬢のように。
そんな令嬢が姫様と呼ぶ相手ならば、たしかに高貴なる方だろう。
「ああっ、こうしてはいられませんっ。私っ、他の連れていかれた侍女達を助けに行かなければっ」
「あっ、お嬢さんっ。待ってくださいっ」
あまりの出来事にどうしたらいいのかと思考が停止していた神官達を振りきり、ルーシーは神殿の外へと駆けていく。
反対に神殿の外からは色々な人が流れこんできた。
「神官様っ。今っ、聞き捨てならねえことが聞こえたんですがっ」
「どういうことですっ、神官様っ」
「今のは一体っ」
日頃は荘厳な空気が流れるその場は、一気に混乱の渦と化した。
ルーシーの声を聞いたラーナは薄く笑った。
基本的に優理は、あくまで脅すだけというスタイルを貫きたいらしい。何でも恐怖政治は好みじゃないということだった。
目指す先がよく分からないが、神子姫の望みとあれば全て叶えるのがゲヨネル大陸の幻獣と妖精だ。
「えーっと、これでいいのかしら」
手荷物に入れてあった置物と土みたいな物は、見た兵士達も、「何だこれは」という反応だった。
それを屋根裏部屋で置物を設置し、そこから土みたいな物を細く紐のように落としていき、一筋の流れを作る。
そうして窓辺に来たら火を熾してその先端に引火させ、ラーナは素早くその場を離れた。
やがて、その音は大きく響き渡った。
ドッカーンッ!
一気に屋根が崩れ落ちる。
その振動で揺れた建物にいた人々が、騒ぐ声が聞こえてきた。
(屋根を壊すだけなら私達でもできるけれど、あくまで幻獣の姿は見られない方がいいということでしたしね。まあ、色々とお考えもあるんでしょう)
そう思ってラーナは違う建物の屋根裏部屋へと移動する。
屋根を壊されるというのは、雨漏りはひどい状態になるし、地味に困ることなのだと優理は言った。そしてそんな所なら人もいないから死傷者は出ない。
嫌がらせとは、相手の心に地味にダメージを与え続けて初めて嫌がらせになるらしい。
(ユーリは数ヶ所でいいと仰っていましたけど、マーコットは遠慮なく全部の屋根と仰ってましたわね。お二人の間をとって、マーコットの仰っていた通りにしておきましょう)
そうしてまた置物を置いて、窓際へと細い道を作るようにその特別な粉を落とし始めていく。
その日、ドモロール王城は雷雨でもないのにあちこちで幾つもの爆音が鳴り響き、屋根が破壊されるという悲劇に見舞われることとなった。
ドモロール王国は、圧倒的な軍事力あってこその王国である。
宰相の手配したカイトが原因で、将軍達の信頼を失ってはとんでもないことになると慌てた国王フェネアテンは、第一から第四の将軍達、副将軍達、そして主だった軍部の者を集めて会食の場を設けていた。
勿論、会食とは名ばかりの宴会だ。
小ホールといえどもそれなりの広さはあって、数十人が飲食できる程度のスペースがある。だが、参加者は20名足らずだ。
そこに宰相を呼ばなかったのは、彼らを刺激しない為だった。
あくまで国王は軍部をないがしろにしていない、それどころか重んじている。
そういうアピールを行う意図がそこにあった。
「まあ、神子姫がどこに行ったかは分からんが、早晩、分かることであろう。その際はお助けするべく、そなた達の力をみせつけてくれることになろうぞ」
「ですが父上。神子姫様を攫ったという者達の正体は未だに明らかになっておりませぬ。そう尻尾を掴ませるものでしょうか」
そんな国王に対し、息子である王太子アクネトスが思慮深い面持ちで言葉を紡ぐ。
「それでも表に出さねば神子姫としての価値はない。いつまでも隠してはおれぬ」
ドモロール国王フェネアテンは、いつだって自分の力を見せつけることで国を率いてきた男だ。
自分とて神子姫を手に入れたならばそれなりに教育し、それからお披露目することだろう。
それについて第三将軍は控え目に、自分ならではの意見を述べた。
「どうでしょうか。狂信的な信者達による犯行ならば、それこそ自分達で神子姫様を崇め、外には出しますまい。かえってまだ利用しようと考える者共であればお助けすることもかないましょうが・・・」
そんな第三将軍を、第二将軍は、
(相変わらず悲観主義だよな、こいつ)と、そんな風に思う。
「はは。第三殿は敬虔な信者でいらっしゃいますからな。しかし心配ご無用ですぞ。もしも犯人が分かりましたら、それこそ一番手を名乗り出られればいいことではありませんか。実際、ディリライト邸では毎晩のように神子姫様を攫おうとしていた賊がいたとか。ならばやはり、それなりに計画した上での利用目的だとみるが妥当なところでございましょう」
第四将軍が、第三将軍の肩を叩きながら明るく言ってのける。
「どうぞ。お酒をお注ぎいたします」
「将軍様も」
昼日中から薄物を纏っただけの酌女は、一人に一人ずつ付けられていた。しかも好きな女を選ばせてくれるというやり方だったものだから、誰もが自分好みの女を侍らせている。
尚、王太子アクネトスは、皆の前で乱れる趣味はなかったので、適当な女に酌だけさせていた。
他の男達はその酌女を自分の横に座らせ、遠慮なくその体をまさぐってはいたけれども。
そこへ。
――― きゃあああっ。宰相様がっ、宰相様がぁっ! どなたかお助けしてぇっ!!
そんな悲鳴が遠くから響いてきた。
ガタッと何人かが立ち上がる。
「様子を見に行かせよ」
「はっ」
国王が第一将軍に命じれば、第一将軍は副将軍に顎をしゃくり、副将軍が室外へと出ていった。
しばらくして戻ってきた副将軍は一礼し、
「ただ今、様子を見に行かせました。すぐに詳しい事情が入りましょう」
と、国王と第一将軍に膝をついて報告する。
しかし気になるからと、第一副将軍も出ていった。
やがて、かなりの時間が経ってから、狼狽えた様子の騎士が報告の為に入ってくる。
「副はどうした?」
「はいっ。今、現場で指示をなさっておいでです。私は報告の為、参りました」
何故か赤くなったり青くなったり、その騎士の表情は落ち着かぬものだった。
国王が命じる。
「申せ」
「はい。・・・あの、実は、その、・・・先程、女性の悲鳴があがりまして、その、私共がその建物に入りましたなら、宰相閣下と一人の男が休んでおられまして・・・」
うろうろと騎士は視線を彷徨わせた。今にもここから立ち去りたい気配を滲ませている。
「休んでいたから何だというのだ。それぐらいで悲鳴があがるかっ」
第一将軍が怒鳴りつけると、騎士は弾かれたように背中をピンッと伸ばした。
「はっ。あの、その、・・・実はその宰相閣下がおられた部屋の扉は蝶番が外れて扉が開いており、そうして宰相閣下とその男は裸で寝台に寝ておられました」
「「「「「・・・・・・」」」」」
しーんと、誰もが口を閉ざし、互いの視線を交差し合う。
「続けろ」
疲れた声で、第一将軍が促した。
「その、・・・どちらもお幸せそうにフリル付きの愛を誓うような枕で熟睡しておられ、何よりシルクのシーツも可愛らしいものがかかっておりましたので、起こしていいものか分からず・・・。何よりその、あの、悲鳴さえ上げられなければその塔は宰相閣下が人払いされておられましたので、もしかしたらそういう設定で愛を育んでおられたのではないかと・・・」
騎士はもう、そこから立ち去りたいと言わんばかりだ。
「あのっ、現在、副将軍が現場で指示にあたっておられますので・・・っ。それでは私はこれでっ」
「あ、ああ。・・・下がっていい」
第一将軍が手を振れば、騎士は一礼して去っていく。
こほんと、第一将軍は咳払いをした。
「ま、人には色々な趣味があるもの。いささか自分には分からない世界を見てしまった女が騒ぎ立てた、それだけでございましょう」
勿論、内心ではあのいけ好かない宰相の弱みを握ってやったとばかりにほくそ笑んでいた第一将軍だ。副将軍が戻ったら仔細を聞き出せばいい。
「てかよぉ、宰相殿もやるもんだなぁ」
げらげらと、第二将軍が笑い出す。
愛を誓う枕とやらはどんなものかと、そっちも気になった。
「まあ、いい。こっちが女を相手に楽しんでいたら、宰相は男を相手に楽しんでいたということだろう」
美女ならともかく男のどこがいいのかと、ドモロール国王は首をひねるが、同時に理由が分かればどうでもいいことだ。
そうして宴の続きが始まれば、宰相の知らなかった一面について、話は盛り上がる。
真面目くさった顔の裏で、一体どんなことをやっているのかと。
そんな時だった。
――― 私がお仕えしていた神子姫様を攫ったことはもう分かっているのですっ。さっさと姫様を返しなさいっ。大事な神子姫様に傷一つつけていたら承知しませんっ!
先程とは違う女の声で、そんな叫び声が遠くから響いてくる。
風の妖精は大活躍だ。
がたっと、その場にいた国王以下、皆が立ち上がった。
「どういうことだ? まさか、この城に・・・」
「父上っ。本当にご存じなかったのですかっ。まさか私達に内緒で・・・っ」
皆を睨みつけるようにした国王に、息子のアクネトスが父をよく知るからこその懸念を口にする。
「知らんと言っているだろうっ」
そんな王太子を、国王は怒鳴りつけた。
すると。
「ふぅっ。やっと私の出番だねっ」
そんな言葉と共に、天井から一人の娘がすたっと着地する。
「何者だっ」
「陛下っ、こちらへっ」
「王太子殿下っ、どうぞお下がりくださいっ」
顔と頭を黒い布で覆っているものだから顔は分からない。しかし、その布から覗いた目元と耳の形、そして濃紺のシャツとズボンに覆われているすらりとした肢体を見れば、布でくぐもった声であっても年若い娘であることは一目瞭然だった。
同時に、腰や太腿に丈夫な革で取りつけられている剣を見れば穏やかならぬ用件だとも。
「女っ、何者だっ」
腰に差してあった二本の剣を両手ですらりと引き抜く動きには、将軍達とて酔いが醒めるというものだ。
「正義の味方です」
「ふざけるなっ!」
怒鳴りつけられ、娘は不満そうに、「ぶぅっ」と頬を膨らませた様子だった。
「しからば名乗って差し上げましょう。私は、・・・えーっと、神子姫様にお仕えする者です? 大事な神子姫様を連れ去った悪党共に、正義の剣を振るいにやってきました。・・・てかさ、いいかげん、調子に乗んのもやめてほしいんだよね。いくら神子姫が大人しいからってさ。遠慮なく襲おうとする自分達が恥ずかしくなんないわけ?」
勿論、その場にいた面々にしてみれば言いがかりもいいところだ。自分達はそんなことしていないのだから。
「はっ。我が国に罪をなすりつけようという小細工か。猪口才な。その生意気な性根、叩きのめしてやろう」
第二将軍が、凄みのある笑顔で前へ出ようとする。だが、その腕を掴んで引き留める者がいた。
「第三殿。どうした?」
「どうか私に譲っていただきたい、第二殿。貴殿は酔っておられる。まずは私に。貴殿が背後で控えてくれていたなら安心だ」
「む」
たしかに酒をしこたま飲んだ第二将軍はかなり足元もふらついていた。第二副将軍にも、
「やめてください。第三将軍にお任せした方がよろしゅうございます」と、引き留められ、第二将軍は引っ込められてしまう。
「どこの間諜か知らんが、直々に相手してやろう。ドモロール王国第三将軍ルシエクスだ。恐れ多くも神子姫様の名を使った罪、ただで済むと思うな」
「将軍って普通一人じゃないの? 三人もいるの?」
真琴はそこで首を傾げた。
「ドモロール王国では四人の将軍がいる。そんなのも知らんのか」
そのとぼけた質問に、第三将軍は呆れた声を隠さない。
「へー。そんなにいたら大変だね。ま、どうでもいいけど」
「二刀流か。ヘタクソならばかえって怪我すると忠告しておいてやろう」
「だいじょーぶ、この間教わったばっかだもん。習いたてだから失敗しないよ」
その場にいたほとんどの人間が呆れ返る。熟練どころか初心者だった。
――― どんな馬鹿を送りこんできやがった。
それは共通した思いだっただろう。
しかし、カイトがルーシーと二刀流で遊んでいるのを見てしまった小猫は、自分もやってみたくて練習していたのだ。
何と言っても練習相手には事欠かない環境だった。ドラゴンは生まれながらの戦士である。
「いっきまーす」
明るい掛け声とは裏腹に、その娘のスピードは凄まじいものだった。
第三将軍が、即座に自分の油断を戒める程に。
カンカンカンッ、ガッガッガッと、軽やかにすら思える程に、娘が打ちつけてくる剣はとても速い。
防戦一方になったのは、その二刀流がどちらも利き腕としか思えぬ程に鮮やかだったからだ。
「くっ」
わざとその剣を弾き飛ばしても、まるで背後に目があるかのように顔を隠した娘は空中で回転ジャンプしては、その剣を足で蹴り飛ばしてスタッと自分の手に受け止める。
怯えて壁際に下がっていた酌女達も見惚れる程に、それはとても芸術的な動きだった。
「へぇ。ねえ、小父さん。一応さ、酔ってるみたいだったから手加減してたんだけど、もっと速くしてもいい? それとももうきつい?」
それこそお手玉のように二つの剣を空中で放り投げて遊びながら、娘が問うてきたものだから、誰もが目を見開かずにはいられない。
しかし、一人の騎士が剣を投げつけようとしたところ、娘は遠慮なく自分の太腿に差してあった短剣をその騎士に飛ばした。
「ぎゃあっ」
「悪いけど、私、怪我はしないって約束してきたんだ。だから卑怯な手を使う人には遠慮なく攻撃させてもらうから」
肩を深々と貫いた短剣に、騎士が蹲れば冷たい声がかけられる。
さすがにこれはもう応援を呼ぶべきかと、誰もが思った時にそれは起こった。
ドッカァン、ドドドドドッ。
凄まじい音が響いたのだ。それはこの広間の床にまで振動が届くものだった。
しかもしばらくすると、同じような振動が繰り返される。
ガッシャーン、ガタガタガタッ。
『何事だっ』
『急げっ』
『被害を急ぎ報告させよっ』
それこそ皆が持ち場を離れて、そちらに駆けつけていったらしい。
今日、ここでは国王と将軍が慰労の宴を行うということで、特に邪魔はせぬように伝えられていたこともあっただろう。
さすがに何が起こったのかと、国王以下、誰もがそれが気にかかるが、ここでこの娘に背中を見せようものならどうなることか。
第三将軍も、これで手加減しているとなれば自分に勝ち目はないと判断せざるを得ない。勿論、それがこの娘のハッタリでないならば。
「何なら二人がかりでやってくれてもいいよ。私ね、これでも機嫌悪いんだ」
大切な自分の姉妹。優理と遥佳は自分のような運動神経を持たない。
それを思えば真琴にも怒りがある。優理を幻獣やカイト達が守っていたからどうにかなったが、そうでなければどうなったことか。
「ならば第三殿に加勢させてもらおうか。よろしくな。腕のたつお嬢ちゃん。何ならうちの第四軍に入らないかい? 優遇するぞ」
「悪いけど、私、小父さんより高いんだ。ごめんね?」
「そうか。第四将軍ハプティネトだ。名を聞こうか」
「だから正義の味方なんだってば」
なんで自分が名乗らねばならぬのか。
以前はそれでとんでもない手配書が出回り、遥佳にも怒られてしまったのだ。
真琴はぷいっと横を向いた。
「いいさ。ならばあとでじっくり聞き出してやろう」
二人がかりであれば負ける筈もない。
第三将軍と第四将軍は、真琴に対して構えた。
一方、カイトはヴィゴラスと一緒に宰相の暮らしている屋敷に忍びこんで、その他にも宰相が持っている不動産を調べていた。
「なんでこんなに別宅を持ってるんだか。体は一つだろうに。・・・ヴィー殿。退屈なら俺に任せてくれてかまわないぞ?」
この王都内に幾つの別宅を持っているのかと呆れるカイトだ。
そして、そういう書類を見る作業なんてやってられんとばかりに欠伸を連発しているヴィゴラスに、そう声をかける。
「駄目だ。ここでサボったらあいつらに言いつけられる」
だが、ヴィゴラスは首を横に振った。
ガーネットとリリアンは、少し離れた場所から二人の様子を見張っているのだ。
「誰に言いつけられるんだ?」
「勿論、ユウリ殿に決まってる」
書類から顔を上げずにカイトが尋ねれば、そんな返事だ。
「ならユウリ様には俺から言っておこう。何にでも向き不向きはある」
「・・・いい奴だな、お前。俺のことはヴィゴラスって呼んでいいぞ」
ヴィゴラスは偉そうにそう言った。
「ヴィゴラス? 何だ、あのハルカちゃんを守ってたグリフォンと同じ名前か。まあ、お前さんも強いし、それが広まったら同じ名前をつける親が多く出そうだな」
「・・・お前はいい奴だ」
ヴィゴラスは、
(このシルバータイガーは見る目がある。俺の価値をよく分かっている)
と、うんうん頷いた。
今のカイトは髪を黒く染めて肌もブロンズ色にしているが、どんなに染めてもシルバータイガーである以上、ブラックタイガーとは呼ばないに違いない。
「なあ、お前、ブラックタイガーじゃないよな? やっぱりシルバーだよな?」
「は? そりゃシルバータイガーだが? 大体、毛の色を染めたところで元は変わらん」
「・・・だよな」
やはり他人のことは気にしないヴィゴラスも心が弱っていたのだ。
自分のことを、
「何も分かってませんわね」
「それじゃハールカ様に嫌われますわよ」
などと、遠慮なく罵倒するドラゴンとペガサス達に。
他のことならともかく、遥佳を持ち出されるとヴィゴラスも弱かった。
そして今日も、
「あのシルバータイガー・・・」と、言って、
「あら。今、カイトさん、髪を黒く染めているからシルバーじゃないんじゃないかしら」などと言われて、からかわれてしまったのだ。
(帰りたい。やはり俺にはハルカだけでいい・・・)
ヴィゴラスは、遠く離れて余計に遥佳を恋しく思っていた。
世間の女とは、どうしてこう意地悪で冷たくて物わかりが悪い存在なのだろう。
「なあ。俺、頼りになるか?」
「そりゃなるだろ。強いのは見りゃ分かる。それにあんな小さな猫を可愛がることができるヴィー殿、いや、ヴィゴラス殿が悪い奴なわけがない」
そこでカイトは、「猫を愛せる変態でもあるが」という不要な言葉は付け加えない、できた男だった。
(そうか。やっぱり俺は頼りになるのだな。うん、こいつはとても見る目がある。もうドラゴンもペガサスも要らない。ハルカには俺だけでいいのだ)
ドラゴンやペガサスといると、どんどん遥佳が遠くなっていくようでヴィゴラスは切ない。
そんなヴィゴラスの様子に気づきもしないカイトは、やがて必要なものを抜き取った。
「じゃあ行こうか。まずはこの本宅からだ」
「うむ」
カイトはヴィゴラスに声をかける。
金具のついたロープを使って窓から屋根裏部屋へと入りこみ、二人は優理に渡された丸い置物を設置して、それから一筋の道になるように粉を落としていく。そうして窓際までその火薬を撒いてから、火を点けて二人は逃走した。
チリチリチリと、火が導火線を伝ってその置物へと辿り着く。
ドッカァン、ガッシャーンッ。
大きな音を立てて、宰相の本宅の屋根は吹っ飛んだ。
「なんて危ないシロモノだ」
「音、うるさい」
それを少し先の道から見ていたカイトとヴィゴラスはそれぞれの感想を呟く。
しかし、宰相の別宅は他にもあるのだ。
「なんだなんだ」
「凄い音がしたぞ」
それら全ての屋根を吹き飛ばすべく、集まってくる人の波とは反対方向へ、二人は走り始めた。




