93 ディッダス邸には客が来て、カディミアはおさらいをさせられた
キマリー国でも地味で目立たない貴族は存在する。王族に忠誠を誓い、ゆえにパスティス公爵家に靡かなかったディッダス子爵もその一人だ。
基本的にディッダス子爵邸は、家長ユベールの方針で静かに暮らしている。
けれども以前からくれぐれもと言われていた為、亡兄の孫であるエミリールが帰国したことを伝える手紙を、ディッダス子爵ユベールはミンザイル伯爵邸のロルファンに持っていかせていた。
(あの騒がしい状況下で兄の影武者なぞを押しつけられるとは不憫な子だ。きっと十数人がかりで連れ戻しにくるのだろうな)
エミリールも考え無しな青年ではないが、やることなすこと極端すぎるきらいがある。
ユベールは、ロルファンが大急ぎで兄を迎えに来るだろうと、そう思っていた。
しかしディッダス邸は、思いがけぬ客を迎えてしまったのである。
「旦那様、お客様がおいででございます」
「やれやれ。ロルファンも真面目すぎて困ったものだ。別に取り次ぎなど頼まず、そのまま入ってくればいいものを」
「いえ、そうではなく・・・」
そうして来客者の名を告げられ、ディッダス子爵は慌てて応接室へと向かった。
「これは・・・、なんとシンクエン様。いかがなさいましたか」
「先触れも無しにすみません。ごきげんよう、ディッダス殿」
傍系とはいえ王族の一人。しかも今や泣く子も黙る死神とまで言われているシンクエンだ。
けれどもそんな風評など全く気にせぬ背中に、心ある人は胸を打たれることだろう。
彼は紛れもなくキマリー国が誇る王族の一人だった。
「どうぞお座りくださいませ。何かございましたか。こちらにできることがあれば何なりと」
キマリー王室の為に不眠不休で走り回った彼のことは、ディッダス子爵も聞き及んでいる。
なればこそ、それこそ貴族としては目立たぬ自分のような存在が役立つような何かが起きたのかと、真剣な顔になった。
「いえ、エミリール殿が帰国したと伺いまして、慌てて駆けつけてきたのです。お会いできますでしょうか」
「それは勿論のこと。すぐに呼びに行かせましょう」
エミリールは女装してまで亡命を手伝う組織へ潜入し、貴族達の捕獲に協力したのだ。
なるほどと思い、ディッダス子爵は家人に命じてエミリールを呼びに行かせたが、そこで椅子に腰かけたシンクエンの後ろに立つ青年に気づく。
「ややっ。これは、ウルティード殿下っ。申し訳ございませぬっ。ご無礼をっ」
「ああ、いいんだ。すまない、子爵。どうせ俺はシンクエンのお供でついてきただけだし。たまには気晴らしにと思ったんだけど、俺が前に出ていくと色々と気を遣わせてしまうだろ? だから今日の俺はシンクエンの護衛騎士ってことでよろしく」
「・・・・・・え」
にこにことして言う第二王子に、ディッダス子爵ユベールはくらくらと眩暈を覚えた。
シンクエンがウルティード王子の護衛なら分かるが、完全に立場が逆だろうと。
それに、いくらそういうことでよろしくと言われても、立っている第二王子を前にして座れる子爵がいる筈もない。
「どうか、ウルティード様。せめてそちらの椅子にお座りくださいませ。我が家の者達は人払いをすれば近づいてまいりませんし、護衛とおっしゃいましてもシンクエン様とお座りになっていらっしゃる姿さえ他に目撃されないのであれば問題ありますまい」
すると、人好きのする笑顔をウルティードは浮かべた。
焦げ茶色の髪に灰色の瞳と、落ち着いた色合いの王子だが、性格の明るさは隠しようもない。
「すまないな、子爵。気づかれないと思ったんだが、やっぱりバレるもんだなぁ」
「しょうがないことでしょう。あなたの髪の色はどうしても目立ちます。いくら社交界にあまり出ていらっしゃらないディッダス殿とて、気づかぬ筈がないと言ったでしょう」
「うーん、引きこもってるって聞いたから大丈夫って思ったんだけどなぁ。やっぱり色を抜くか。そうしたら変装もばっちり。そういえばエミリール殿も髪の色を抜いて女装してたんだろ? あれで女装したって無理があるだろうになぁ」
「何を馬鹿なことを。ですがエミリール殿の女装はなかなか可愛らしくできあがっていましたよ。その分、衣装のデザインには気を遣っていたようですけどね」
仲良く話し始めてしまう二人だ。
やはりシンクエンがウルティードの教育係をしているとあって、どこまでも気のおけない関係だと分かる。
そこへ、廊下を歩いてくる幾つもの足音が響いた。
『なんだ。大叔父上がお呼びだと? 珍しいな、こんな時間に書斎から出ておいでとは』
『はい、そうでございます。エミリール様。まさかお出かけになっていたとは・・・』
『応接室にとは、来客か』
『はい。実は・・・』
『ああ、かまわない。どうせロルファンだろう。ここに、客なんてまず来ないからな。・・・ちょうど良かった。ご紹介させていただきましょう。うちの弟は私と顔はよく似てるんですが、性格はかなり違うんですよ』
そんな会話が応接室にまで響き、トントンとノックの音を立てたと思うと扉が開く。
「ただ今戻りました、大叔父上。今日は、面白い土産を・・・」
そこでエミリールの声が途切れる。
「ですから、お客様だと・・・」
背後から追いすがるように、エミリールを呼びに行った使用人が手遅れな言葉を呟いていた。
そうして扉の所で立ち止まったエミリールの後ろから、ひょいっとベージュ色の髪をした青年が室内を覗きこむ。
その青年は室内を見て、首を傾げた。
「あまり似ていないようだが・・・。どちらが弟君だ、エミリール殿?」
エミリールに連れがいるようだと知り、それが優理ではないかと身構えていたシンクエンは、期待はずれなその顔に微笑みかけた。
常に笑顔を絶やさないシンクエンは、王子よりも王子らしい傍系王族だ。
(もしかしたらユーリ様と一緒かと思ってウルティードを連れてきたんだが、男か。だが、どこかで見たような顔だ)
そのベージュ色の髪、黄土色の瞳という組み合わせは、ある意味で特徴的ともいえる。
シンクエンは記憶を探った。
(なかなか派手なツラした男だな。金髪に青い目か。薔薇の花を抱えてても絵になるような優男じゃねえか)
そうしてまた、ディッパも自分に対して無言で微笑みかけてくるシンクエンを注視する。どこかで見たような顔だと、そう思ったのだ。
じーっと二人は、まるで運命の出会いを果たしたかのように見つめ合っていた。
「どしたのさ、シンクエン」
そんな二人の間に流れる、入っていけない雰囲気にウルティードが問いかける。
(シンクエン、シンクエンね。どこかで聞いた・・・)
そこでディッパはハッと気づいた。
「たしかキマリー王族の・・・っ」
その先は思い出せない。そもそも一つの国に行く度にどれ程の人間から名乗られることか。
そうだ。たしか先代だか先々代だかの王弟の血筋だと紹介されたような記憶はあるのだが、・・・さて、どうだったやら。
「まさか、パッパルート王子・・・っ」
そしてまたシンクエンも、砂漠の王族ならではの民族衣装に身を包んでいた時の格好を思い出した。今の彼はシャツにズボンととてもラフな格好をしているが、たしかにこの顔は・・・。
二人は、かつてキマリー国で開かれた宴で顔を合わせていたのだ。
「どうしてパッパルート王子がディッダス子爵邸に?」
「どうして王族が、ふらふらと子爵家なんかに気軽に訪ねてきてるんだ?」
その二人の疑問は当然のものだっただろう。
まるで貶されているかのような形になる子爵邸だが、実際、王族が訪ねていく爵位として子爵家はあまりにも低すぎた。
そして少なくとも他国なり自国なりの王族が訪れるというのであれば、それなりの形式手順は踏むものである。
シンクエンが知る限り、他国の直系王族がキマリーを訪れているという事実はない。
ディッパが出かける前、今日は子爵邸にそのような訪問の先触れは届いてなかった。
「えーっと、申し訳ございません。これには色々とわけが・・・」
気を取り直したエミリールが、どこから手をつけるべきかと額に手を当てながら時間を稼ぐ。
王宮から遠く離れた場所で隠されて育っていた第二王子は、入っていけずにとりあえず紹介されるのを待つことにした。
(思うんだけど、王宮なんかにいるより適当に出歩いている方が、高貴な人とやらと出会えるってもんじゃねえの? ハールカなんて普通に市場で買い物してたし、それにパッパルートってもしかしたらこの大陸で一番古いかもしれないって国だろ。そこの王族かぁ)
そんなことを考えながら。
そういう自分もまた高貴な王族、そして父と兄に何かあれば王位に就く存在だということは、いつも忘れてしまっているウルティードだった。
キマリー国のディッダス子爵邸では、王族らしからぬという共通点を持つ二人の王族が意気投合していた。
「へー。やっぱりグリフォンって大きかったのか。俺、一度見てみたかったんだよ。どんぐらい?」
「んーっと、そこのテーブルより長い感じ? なんか人が二人やそこらは乗れそうだった」
「そりゃ馬よりでかいよなぁ。で、暴れん坊だったのか?」
軽い発泡酒のグラスを傾けながら、話題はグリフォンについてだ。
「うんにゃ? なんか結構気さくだったぜ? そりゃ俺も皆の前でフラれたわけだしさぁ。怒られんのも覚悟してたんだけど、あのグリフォンだけは俺の肩をぽんぽん叩いてくれたし。結構いい奴っつーか、やっぱり個体差もあるんじゃねえ? だって宝石見ても襲ってこなかったしよ」
それなりに正装していれば宝石も衣装や剣についているものだが、別に欲しがりもしなかったなと、ウルティードは振り返った。
「怒られるどころか、評価なんて鰻上りだろが。けどよ、さすがにそれ、色々な人に訊かれてうんざりだろ? 無理してそっちは喋らなくていいぜ。俺だってそこまで無神経じゃねえ」
独身王族だけにウルティードの気持ちが痛いほどに分かる国王は、神子姫だからとその話を聞きだす方がよほど失礼だと思っている。
「ありがとな。初めて俺を労わってもらえたっつー気がする」
血の繋がった両親や育ての親にすら、興奮されて事細かく話を聞き出そうとされたウルティードは、そういう優しさに飢えていた。
「やっぱりか。てかよ、人のことなんて放っておけっつーんだよ。文句あんなら自分が行けよって話だろ」
「言える言える。どいつもこいつも無神経すぎてやってらんねえ」
勿論、ディッパもウルティードも必要とあれば王族らしい言動はできる。
しかし二人はお互いに同士の絆を感じていた。
そう、それは、「そういうの、本当は俺のガラじゃないんだよ」というものだ。
「けど、大事にしたくないならシンクエンとこに来るか? てか、何しに来てんの? まあ、うちの王宮に滞在したくないのは分かるけどよ」
外国の王子の滞在先が子爵邸とは、まさにウルティードもびっくりである。
「ああ、違う違う。単にさ、うち、ほら、砂漠があるだろ」
「知ってる。大陸で一番でかいっていうルート砂漠だろ。いつか横断してみてえって言ったら、そのまま日干しになるって怒られて終わった」
「そうだな。横断や縦断はちょっとやべえかもな。まあ、砂漠が見たいならいつでも来いよ」
「え、マジで? 一度見てみたかったんだ。駱駝とかオアシスとか」
絵本で見た砂漠の絵を思い出し、ウルティードも好奇心が改めて掻き立てられた。
「だーいじょうぶ、まっかせなさい」
「よっ、太っ腹っ!」
離れた場所で座っているシンクエンとエミリール、そしてニッカス達も頭痛を覚える品性のなさだ。
「いや、それでさぁ。ちょっとうちでも砂漠の緑化とかに力入れるのと、街道の整備ってのを考えようと思ってな。そりゃまだ難しいにしても、その為に色々な国のそれを見てみようと思ったんだ。やっぱりそういうのは、普通の人達のそれを見ないと分からねえだろ」
「あー、分かる分かる。公式にあげられてきた文書とかって、どこでどう改竄されてるかも分からねえんだよ。あれは実際に自分で見に行った方がいいんだよな。それも抜き打ちで」
うんうんとウルティードは理解を示した。
まさに第三王子ミファレーンと共に、パスティス公爵家で苦労してきたものだから実感がこもっている。
「そんなわけで、普通の一般庶民として色々と見ていきたくてさ。本当はギバティだけ見に行くつもりだったんだが、最初にミザンガへ行ったところで、エミリール殿がキマリー国出身っていうのでここに世話になってたんだ」
「へー。そうなんだ」
なるほどと、ウルティードは思った。
さすが他国の王族は違う。こういう地道な努力を重ねているのか。
「え? じゃあ、今度はギバティに行くのか?」
「ああ。ただ、ミザンガに連れがいるからそこを経由して行くことになるが」
がばっとウルティードは背後を振り返った。
「なあっ、シンクエンッ」
「ちょっと待ちなさい。言うんじゃありません、まだ言うんじゃありませんよ、ウルティード王子」
長い付き合いだ。何を言い出すかなんてシンクエンに分からぬ筈がない。
「ちょっとエミリール殿っ。こちらにっ」
「えっ?」
シンクエンは、慌てて別室へとエミリールを連れ込んだ。
そうして小声で尋ねる。
「あのユーリ様はどうしました?」
「え? ユーリちゃんですか? 体調を崩したということでミザンガにいますけれど。あの、その『様』というのは一体・・・」
シンクエンは迷った。
これを言っていいものなのか。まずいものなのか。
先だっての空に展開された奇跡。女神の子だと名乗った姿は、神官達に自分の正体を人に告げぬよう要求していたではないか。
「詳しいことは話せませんが、彼女は我が国にそれなりの縁がある、やんどころない名家の令嬢である可能性があるのです。ですから何があってもお守りしてください」
「それは、・・・我が国の王族に連なるという意味でしょうか?」
シンクエンは傍系ながらも王族だ。そのシンクエンが敬称をつけるという意味は・・・。
エミリールは、慌てて脳内で王族の家系図を思い浮かべる。
「それは明かせないのです、エミリール殿。費用も引き出せるようにしておきます。必要とあれば各国にある大使の館から騎士や兵士を融通もできるように伝えておきましょう。我が国に連れ帰る必要はありませんが、くれぐれも傷つけるようなことが起きぬように配慮してください」
「かしこまりました」
もしかしたら直系の、出自を隠された姫君だったのだろうか。
(だが、彼女は黒髪だった。となると王妃様の血筋か? ウルティード様の妹とか? いや、いくら何でもそれはないだろう。ならばドモロール王国に縁があるということか? うちが知らないということは、王妃様しか知らないとかいうことなのか? それともあの黒髪は染められたものだったのか?)
ぐるぐると色々な思いが駆け巡るが、エミリールも様々なことを呑み込んで生きる貴族の一人だ。
「ユーリちゃん、いえ、ユーリ様はミザンガで体調を崩したということで今回は同行しなかったのです。しかし、ギバティ王国には共に行くことになっております。何でも彼女はギバティ王国で占い師をしていたということですし、詳しいと話しておりましたから。それからパッパルート王国に向かうかと」
「分かりました。必要とあればいくらでも騎士や兵士、そして費用を使って構いません」
「はい」
そうしてシンクエンとエミリールが部屋に戻れば、ディッパとウルティードは一緒にギバティ観光に行こうという話でまとまっていた。
「ウルティード殿下。あなたという方は・・・。待ちなさいと言った言葉も聞こえていなかったのですか?」
「だってさぁ、もう俺、嫌なんだよ。誰も彼もに囲まれんのっ。ついでに俺、頑張っただろ? パスティスでもちゃんと働いただろっ? いいじゃねえか。ギバティに行って下町を見てくるぐらい。でもってパッパルートで駱駝に乗んの。いいだろ? なっ?」
人の目がなければ思いっきり叱りつけられるものを・・・。
そう思うシンクエンだが、ある意味でいいことなのかもしれないとも思い返す。
(ユーリ様は恐らく神子姫様のお一人。そしてディッパ国王ばかりかエミリール殿もいる)
吉と出るか、凶と出るか。
自分が大切に育てた王子。
危険には近づけたくない。
けれども神子姫が絡む何かがあるならば・・・。
(ここで行かせぬ方が、よほど愚かなことなのか)
シンクエンは、しょうがありませんねと、天使のような微笑を浮かべた。
まさに令嬢を口説く時のような甘い顔で。
「分かりました。ならば護衛だけはお連れください」
「あ、それ、いらねえから」
「・・・はい?」
笑顔のままで、シンクエンはウルティードを見返した。
その顔には、「何、馬鹿なことを言ってるんですか。寝言は寝てからいいなさい」と、ありありと書かれている。
「何でもさ、あくまでそういうんじゃなく一般人を装って動いてるわけだろ。ついていく以上、それを俺が邪魔するわけにはいかねえよ。大体さぁ、見てみろよ。ディーさんだって護衛なんて一人しか連れてきてねえんだぜ? なら俺が連れてくわけにはいかねえだろ」
そこでシンクエンがよくよく話を聞けば、なんとディッパの護衛はニッカスだけで、後はそれぞれの部門の役人だという。
「ですが・・・」
「あのさ、シンクエン。考えてもみろよ。ディーさんなんて、弟は一人しかいなくてもこうやって自ら動いてんだぜ。俺には兄上も弟もいる。なのに俺がどうしてそんだけ過保護に生きていられるよ。そりゃ王族って名乗って動くならやべえさ。だけど一般人なら十分だろ」
今のウルティードはカシマ達に叩きこまれた実戦的な戦い方も身についている。
勿論、武装した兵士とやり合うならきついだろうが、そこらの喧嘩ならばどうにでもなるだろう。
まだ若い内から小さくまとまりたくなんてない。
そう思うウルティードは護衛などいない中で自分を試してみたかった。
(どうするべきか。だが、これも運命なのか。何より神子姫様ですら、全く護衛のない生活をしておられる。ここで護衛などつけては拒絶されるだけなのか)
シンクエンは、エミリールを見る。
「エミリール殿。信じてますから」
「ちょっと待ってくださいっ。俺にっ、俺に一人で王位継承権第二位の方を守れと仰いますかっ」
「君ならできます」
あまりの大役に、エミリールの顔が蒼白になった。
(もしも、ウルティード様に何かあった日には、我が伯爵家はドモロール王国によって潰される・・・)
ああ、なんでこういうことになったのだろう。
腕に覚えはあっても、絶対的なことなどない。
他国の王族のことなら、その国の人間に任せておけばいいと思っても・・・。
「気にすんなって。エミリール殿。別に問題ねえだろ。それにうちにはまだ弟王子もいるしよ。そう身構えなさんな」
「はは・・・」
ああ、どうしてこの王子はこう王子らしくないのか。
これがミファレーンなら大人しく王宮で閉じこもってくれていただろうに。
(ああ、ユーリちゃん。本当に君はいつも俺に新しい日々を与えてくれる・・・)
自分が優理を追いかけて、ミザンガに行かなければ。
優理に唆されたディッパ国王が国を出てこなければ。
ディッパ国王にウルティードが感銘を受けなければ。
(先に遺書でも書いておくべきだろうか)
エミリールは本気で検討せずにはいられなかった。
ルートフェン国はルートフェン王族が頂点に立っている国の筈なのだが、パッパルートの王子はまさにルートフェンの王子ですと言われても誰も疑わない程に馴染んでいる。
やるとなったら厳しいのがデューレだ。
テーブルには四人、着席していた。
「カディミア。王女の茶会というのは高官達の茶会とは違うんですよ。ある意味では印象的でしたけどね」
「ま、まあまあ。そこまで厳しいことを言わなくても。カディミアも反省しているようだし。な?」
「おじ上は甘すぎます。カディミアは王女であって王子ではありません。こういう時には少し頼りないぐらいの方が、男はくらっとくるのです。あれで誘惑できるとでも? 惚れさせなくては上位に立てません」
「い、いや、まあ」
可愛い娘を庇ってやりたいルートフェン国王は、沈黙するしかなかった。
「飾りつけられた花や茶器を褒めようにも、どうしていきなりああいう話になるのか。おば上を見習いなさい、カディミア。常にドレスを褒め、化粧の違いに気づき、貴婦人としてご立派なものではありませんか」
「まあ。ほほほ、デューレ様はいつもお気遣いくださいますけれど、ご遠慮なく仕込んでやってくださいましな。デューレ様のおかげで、ラルース王子様もやきもきさせられていらっしゃるんじゃありませんこと?」
反対にルートフェン王妃は、機嫌がいい。
「カディミアの茶会も悪くはなかったのですが、あれではただの役人同士の会話です。明日は私、ラルース殿下を鰐の飼育所見学に誘っておりますので、その後、おば上から殿下を茶会に誘ってくださいませんか?」
何故ならデューレから、そう頼まれたからだ。
相手はジンネル大陸一の王国の王弟。
しかも長女カディミアの真面目すぎる茶会でも、ラルースは感心していたらしい。ならばそこまで口うるさいタイプではないのだろう。
王妃として、腕の見せ所である。
「では、もう一度。カディミア、最初から。こうして娘の茶会練習に付き合ってくださっているおじ上とおば上を納得させられるような会話をしてみせるんですよ。ちゃんと王女としての気品を忘れず、同時に少し隙を見せるのです」
「はい、デューレ兄様」
しかし、そこで国王と王妃は顔を見合わせた。
というのも練習を繰り返して、既に4回目からは数えていない。途中から茶はもういいと、そうして茶菓子も食べたフリにしてくれと言って付き合っていたが、いいかげん疲れた。
毎回、違う話題を練習問題として出すデューレの姿勢は見事なものだが、こちらはそこまで茶会に根性を入れたくはない。
「い、いや・・・。実はこれからまだ用事があってな。勿論、カディミアの練習に付き合ってやりたいのは山々なのだが、もう予定の時刻が迫っているのだ」
「ええ、そうなんですのよ。デューレ様なら、カディミアの練習も安心してお任せできますわ。申し訳ありませんけど、私達はここで」
ははは、ほほほと笑い、国王と王妃が立ち上がって、カディミアの私室から逃げ出した。
さすがにお腹もたぷたぷなのだろう。
ギバティ王国の王弟という、一流国家からの縁組にいささか腰が引けていた国王夫妻は、パッパルートの王子に全てを押し付けて退散したのだ。
「ひどいわ。お父様、お母様。夜になって何の用事があるというのよ」
そうしてデューレとカディミアは取り残される。
「しょうがありませんね。ならばカディミア、もう一度。今度は少し隙のある笑顔をつけて」
「あのねぇ。誰だって逃げるわよ、デューレ兄様。私だってもう手がくたくた」
自分なりに考えてやってみた茶会だったのに、どうしてもう少し笑顔を見せないのか、どうしてもっと可愛げのある話題を出せなかったのかと、色々怒られてカディミアはちょっとほろ苦い気分だった。
(笑顔ならちゃんとつけてたじゃない)
けれども社交辞令的な会話と笑顔では意味がないだろうと、デューレは手厳しい。
現在、検討の結果、今回のギバティ王国との縁談は悪いものではないという判断が下されていた。
「いいですか、カディミア。男なんて心弱い生き物なんです。迫られたらほとんどその気になります。が、そうなると目移りするというもの。そこは男の心をうまく手玉に取りなさい」
「どうせ迫ってくる令嬢には慣れてると思うけど」
「そういう感じでしたね。ですが、要は自分から惚れたことはないということ。所詮、受け身の恋愛しかしていない男は、ちょっとペースを乱されたら心折れます」
「・・・デューレ兄様がひどすぎる」
「よその国の王族にかける情けはありませんよ」
デューレが、練習用として水だけを茶器に入れていく。それはとても美しい流れだ。
やはりパッパルート王族だけはあると、そんなことを改めてカディミアは実感した。
「手が触れた時には驚いたように頬を染めてみせる。赤くなってそれでもすぐにすまし顔になろうとして少し失敗してみせる。それぐらいのことはしてみせなさい」
「そんなわざとらしい女性って嫌われるのよ、兄様」
「女には嫌われても男には好かれるから大丈夫です」
「・・・そういう女性にだけはなりたくないって言ってるんだけど」
デューレが立ち上がり、カディミアの向かいへと移動する。
要は二人きりでの茶会時に、相手が座る席だ。
「誰に嫌われたところで、大した問題ではありません。一国の未来と外交がかかっているのです。カディミアの努力も理解できぬ女性など全て排除する価値はありますよ」
「・・・既に国の為、一流国の王子に品定めされている哀れな王女として同情買いまくりよ」
「なら問題ありませんね」
相手に茶を淹れたカップを渡す動作をしながら、カディミアは向かいに座るデューレを見た。
「そこで少しほっとしたような笑みを浮かべるといいですよ。可愛げが生まれます」
「どんな笑みよ、それ。そもそもそんな顔と言われても・・・」
優雅な動作で立ち上がると、カディミアのすぐ横まで近寄って行ったデューレは、その首筋から頬に至るまで指先だけで上向かせるようにして撫であげた。
「な、・・・何するの」
「可愛らしい顔ですね、カディミア。その少し赤くなって恥じらっているのか、照れくさいのか、その戸惑う顔を忘れないように。そこまで上気した顔を見せる必要はありませんが、今の顔を思い出せばいいのですよ」
「・・・・・・鬼畜」
カディミアの気持ちを分かった上で、デューレは全てを操っていくのだ。
この恋心すら、デューレにとっては国の為に利用する感情でしかないのか。
それでも、カディミアは嫌いになれない。決めたのは自分だ。
「誰が鬼畜ですか」
「今っ、私っ、カップ持ってるのにっ」
「ええ。落とさないでくださいね。高いんですから」
ぐいーんと、頬を両側に引っ張られてしまったカディミアは、それをやめさせようにも今、優雅にカップを口元へと運ぶところだった。
「ここでカップを割ったら、明日、君がお仕置きで私にこき使われていても誰もが納得でしょうね」
「・・・いやぁっ、・・・ぶむぅっ」
鼻先をデューレの指でぐいっと押し上げられたカディミアは、つい鼻声で変な声になる。
「カップを落としたら、明日は皆の前で屈辱的な扱いをしてあげましょう。そうですね、使用人のように給仕や雑用をしてもらいましょうか」
カディミアはカップを割らないようにと、どうにか震える指でテーブルの上に置いてカップから手を離した。
「おや、残念。割りませんでしたね」
「ひどい、兄様」
「もう私には生意気な態度をとらないと約束したくせに、もう忘れてるブタ王女がいましたのでね。またブーブー泣かせてあげましょうか?」
「・・・ごめんなさい」
ふっと鼻でせせら笑ったデューレだが、ぽんっとカディミアの頭に手を置いて撫でてから席へと戻る。
「悪くない縁談ですが、聞いていた話といささか食い違う点もあるようですね。ですが、あれなら君の夫として邪魔にはならないでしょう。ですが、覚えておきなさい、カディミア。王族がどう思い、何を考え、それに従って動いたとしても、国を構成する民はなかなか変わらない。いずれ取り込まれてしまうこともあり得る。だから、あの王子を君が取り込まねばならないのです」
「・・・出来るのかしら。思っていたよりいい人っぽかったけど、それってギバティ王国を裏切れないってことよね」
カディミアも、ラルースを観察していた。
「ギバティ王国は大国だもの。その要請に逆らえないこともあるかもしれないわ」
「どうでしょうね。こんな格下王女の婿になろうとしている王子だ。我が国のようにいかないかもしれません。そうなれば孤独な王子を君が絡めとってしまえばいい」
カディミアよりもデューレの方が、ルートフェン国王の視点を持っている。
ギバティ王子ラルースの事情など切り捨てるつもりなのだ。
「デューレ兄様、ラルース王子の幸せとかどうでもいいって思っていそうね」
「当たり前でしょう。この国にとって役立つかどうかを見極める為、わざわざ時間を取っているのですからね」
デューレは優雅な手つきでティーカップを口元へと運ぶ。
「ルートフェン女王を支える種馬は必要です。君に強い子供を産ませ、そしてルートフェンを押し上げる王子。血統は悪くありませんね」
どこか冷水を浴びせられたような気分でカディミアはそれを聞いた。
(やっぱり、・・・嫌)
覚悟を決めたつもりでも、それが未来への義務だと思っても、こうして本当に結婚相手が現実化してくれば、心が拒否する。
誘惑する為の笑顔など、どうして見せられるだろう。このデューレの前で、他の男になど。
思わずカディミアは席を立ち、デューレに縋りついた。
「カディミア?」
「・・・寒いの」
それが嘘だと分かってしまったのか、それとも・・・。
立ち上がったデューレが体温を分け与えてくるかのように抱きしめてくる。
「大丈夫です。何があろうと私だけは君を見捨てはしません」
その口づけは、カディミアの心を慰めるかのように温かかった。




