↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
94/281

92 小猫はついていきたかった





 ドモロール王国に滞在中のカイトは、今日もがっくりと脱力せずにはいられなかった。

 神子姫と一緒にいる筈の小猫は、なぜか気づくと自分が背負っていた荷袋の中に入っている。


「お前なぁ、猫。どうして何度言っても入ってしまうんだ。いくら狭いところが大好きでも危ないって言っただろ」

「にゃ」


 ごろごろと咽喉を鳴らしてすり寄ってくる小猫は、やはり何も考えてないのかもしれない。

 しょうがないので前足の内側の胴体を両手で掴み、同じ目線にしてカイトは語りかけた。


「いいか、マーコット。俺だって外壁をよじ登ったり、天井や時には下水道に入りこむんだ。場合によっては殴り合ったりもするし、切りつけられることだってある。危ないんだ。分かるか?」

「みゃぁ」


 空中で足場がないのが不安なのか、ぱたぱたと足を動かしてカイトに近づこうとする小猫は、全くもってどうしようもない。

 仕方なく自分の左肩に乗せてやれば、ごろごろと咽喉を鳴らしながらカイトの頬に小さな頭をこしこしと擦りつけてくる。


(何が賢い猫だ。だが、言っても仕方がない。だってこいつは猫なんだから)


 カイトは諦めを知る男だった。


「困った奴だな。お前なんて小さな猫、怪我したら終わりなんだぞ。しかもあれでいてユウリ様もラーナ殿も、お前に関しては『まあ、いいんじゃないの』で終わりだ。薄情というのか、無責任というのか、何というのか・・・。やっぱりヴィー殿以外、安心してお前を預けられる人はいないな」

「んみゃっ、ふにゃっ、みゃみゃみゃあっ」


 小猫は慌てて抗議した。

 冗談ではない。ヴィゴラス程、自分を預けてもらいたくない存在はいないというのに。

 だが、そんな必死な抗議を無視してカイトはヴィゴラス達がいる家へと小猫を連れていった。


「すまない、ガーネット殿。ちょっと髪を染めさせてくれませんか。それからこのマーコットをヴィー殿に預けたいんですが」

「あらまあ。でしたら、あの宰相とやらにあの訳の分からない設定を打ち明けてきたわけですの?」

「ええ。言われた通りに名乗って姿を消してきたので。後は、ちょっと変装してユウリ様達の支援に徹しようかと」


 ちょうどヴィゴラスはサフィルス達と買い物に出かけたのだと教えられ、浴室を借りて髪を黒く、そして肌を少しブロンズ色に染めさせてもらったカイトだ。


「あら。そうしてしまうと本当に感じが変わりますわね。髪も切ってしまいましたの?」


 浴室から出てきたカイトを見て、ガーネットは髪の短さにいち早く気づいたらしい。

 テーブルに用意されていた茶とクッキーは彼女の手作りなのかもしれないと、カイトは思った。

 小猫もちょこんと椅子に座っている。


「ええ。この黒髪や焦げ茶色の髪が多い国で俺の銀髪は目立ちますから。髪もこうすれば感じが変わりますし」


 今までわざと乱していた髪をきっちりと撫でつけたカイトは、まさに役人のような印象を与える風貌となっていた。


「どうぞお座りになって。焼き菓子はお嫌いじゃありません?」

「有り難くご馳走になります」


 ガーネットはカイトに椅子に座るように勧め、自分も向かいに座る。


「お似合いですわ。ですが支援といっても、もう宰相の前に出てはいけないのでしょう? 大丈夫ですか?」


 出されたクッキーを食べて、「これ、とても美味いぞ。お前、チョコ入りの好きだよな」と、膝に移動してきた小猫に食べさせてやりながら、カイトは苦笑した。


「ええ。ですがこれで雰囲気も変わりましたし、忍びこむ程度ならどうにかなるでしょう。あの宰相、どうやらラーナ殿に劣情を抱いているようですから。窓の外で聞いていたのですが、明日、城に一人で来るようにと、そうラーナ殿に要求していました。恐らく全ての武器は取り上げられますし、いくら彼女が強くても丸腰となると、周囲に武装した兵士達で囲まれたならどうしようもできないでしょう」


 ガーネットは、どこか複雑そうな表情になる。

 たとえ丸腰で両手両足を拘束されていようと、その場の人間全てを殺せるのがラーナだ。

 はっきり言えば、カイトの助力など必要ないだろう。


「ラーナでしたらその程度はどうにでもなると思いますけど。マーコットはユーリと一緒にいることになっていたのではなかったかしら」

「そうなんですが、こいつ、何度言い聞かせても俺の荷物に入りこんでくるんですよ。だが俺だって、場合によっては川に飛びこんだり、窓から枝に飛び移ったりと、かなり荒っぽいこともするんです。ユウリ様と一緒にいてくれるなら良かったんですが、気づかずに怪我させたらとんでもないことになります。俺だって荷物を相手にぶつけることもあれば、荷物にクッション代わりにして俺の体重をかけることだってあるんですから」


 ガーネットは柘榴石の瞳を瞬(またた)かせた。


「困った子ね、マーコット。カイトさんにくっついていきたいのは分かりますけど、あなたが怪我でもしたらカイトさんが悲しみますのよ」


弱り顔で小猫を見遣(みや)る。


「ふみゃあ」


 それでも自分の味方になってくれそうなのはガーネットだと思うのか、小猫はカイトの膝からすたっとテーブルの上に飛び乗り、ガーネットの近くへ寄っていった。

 おねだりポーズでガーネットを見上げる。自分の頭を撫でてくるガーネットの手に、うんしょうんしょと自分からも頭を擦りつける出血大サービスで。


「しょうがありませんわね。・・・でしたらカイトさん、マーコットはラーナに預けるといいですわ。明日、お城に行くにしてもラーナとマーコットを一緒に行かせておけば、いざという時にはこのマーコットが目印になるでしょう。小猫なら色々な所に出入りできますし、マーコットはラーナの服の袖にでも隠れて連れて行ってもらえばいいんですから」

「いや、あの・・・。俺はマーコットをそういう危険な目に遭わせたくないからここに連れてきたんですが」


 それじゃもっと危険なことになりかねないと、カイトが鼻白(はなじろ)んだ。

 カイトの気持ちも分かるが、小猫の気持ちも分かるガーネットは悩ましいところである。


「いくら何でも小猫に刃物は向けませんわ。それにこの子ならどこに行っても大丈夫です。かえって王様にすら気に入られるかもしれません」

「だが、心ない兵士に苛められるかもしれません」


 カイトの声が少し湿り気を帯びた。そうしてテーブルの上にいる小猫に手を伸ばして咽喉をくすぐるようにして撫でる。


「城に入りこんだ猫として叩かれるかもしれないし、小突かれるかもしれない。犬や猫、鼠といった生き物は叩かれたり殺されたりして駆除されるものです。俺だって忍びこんでいる以上、そこまで目は行き届きません。どうかガーネット殿。マーコットをヴィー殿に預けておいてください。彼ならきっとマーコットを大切にしてくれるでしょう」


 ガーネットと小猫は、それに対してかなり疑いのある表情となった。


「それはどうなんでしょう。あのヴィーのやることなんて、どこにも行かせることなく自分の好きなように愛(め)でまくるといったものですわよ、カイトさん」

「それでもこの子が傷つくよりマシです」


 茶を飲み干したカイトが立ち上がる。


(ここで寝泊まりしないのって、やっぱり気を遣っているからなのかしら。それとも痕跡を残さないためかしら)


 恐らくカイトはこれから宿の部屋に行くのだろう。ガーネット達にはこうして一軒家を借りたカイトだが、自分用には狭い、ただ寝る為だけの木賃宿といった所を確保していた筈だ。

 そう思い、ガーネットは尋ねた。


「ねえ、カイトさん。この子の名前、三人目の神子姫様からとったのでしょう? どうしてその方と別れておしまいになりましたの? 喧嘩でもなさいました?」


 小さくカイトが息を呑む。

 何かを懐かしむように、その薄い水色の瞳が和らぐ気配があった。


「喧嘩なんて、・・・しようがありませんでしたね。別れたというよりも、・・・ちょっと行方不明になってしまったというものでしたし」

「あら。捜しに行こうとお思いになりませんでしたの?」

「ええ」


 ガーネットの膝に乗って、何かを訴えようとしていた小猫の動きが止まる。


(ひどい。カイトさん、それはあんまりですわ)


 カイトの角度からは見えなかっただろうが、小猫の表情がまさにガァーンとしたものであることを、ガーネットは見てしまった。


「どこに行ったかは辿れないと言われました。・・・だけど、どこに行ったとしても幸せに暮らせるのは分かっていましたから」

「はあ」


 何が分かっていたというのか、そこが分からないガーネットだ。

 断言してもいい。彼は何も分かっていないと。


「出会った時には世間知らずな子供でしたが、それでも誰からも愛されていました。ましてや美しい大人の女性になった彼女なら誰もが大事にするでしょう。俺なんかに囚われていい存在じゃなかったんです」


 小猫を撫でながら、くすっとガーネットが笑う。


「神子姫様は囚われていたかったかもしれませんわよ?」

「どうでしょうね。俺はただ、彼女にとって行きずりの保護者だったにすぎません。今、新しい世界を知った彼女は、自分の足で立ち、自分の頭で考え、そうして自分の瞳で愛する人を選ぶでしょう。彼女を大事にしない男はいません」


 ガーネットは小首を傾げて言った。


「世の中にはそういう男ばかりじゃありませんわ。もしも変な男に引っ掛かってたらどうしますの?」

「それは大丈夫でしょう。何の自慢にもなりませんが、彼女は俺にしろ、ゲンブさんにしろ、いつでも様々な場所で皆に愛され、可愛がられ、守られてきました。愛され続けて育った者が、自分を愛していない、可愛がりもしない存在と共に生きようとする筈もありません。ちゃんと彼女は、自分を愛する人を見分けられる筈です」


 なるほどと、ガーネットは小猫を見た。

 たしかにこの小猫は、自分を可愛がってくれる人を見つける能力が発達している。


(言われてみればディリライト邸でも、可愛がってくれる人にしか寄っていかれなかったわね)


 こてんっと頭を横にする小猫は、自覚がないようだった。


「そうかもしれませんが、世の中には色々な人がいますわ。もしも神子姫様が、愛はあっても乱暴な男とかに捕まっていたらどうします? 愛にも色々な形がありますもの」

「その時は・・・」


 嫌な想定をされたとばかりに、カイトはガーネットを非難する目になる。


「彼女を利用しようとする男なら、早晩、噂が出回るでしょう。何と言っても三人しかいない神子姫様の一人です。・・・その時は、その男をこの手で始末します」

「あ、はい」


 一瞬だけ煌めいた水色の瞳に殺気を感じ、ガーネットはそこで引き下がることにした。


「すみません。心ないことを申し上げましたわ。仮定でも言っていいことではありませんでした」


 すまなさそうに、ガーネットが俯く。

 その声に僅かな震えが混じったことに気づき、カイトは自分が彼女を怯えさせてしまったのではないかと、振り返った。

 いくら自分にとって不愉快な仮定でも、この心優しい女性を怯えさせていいわけがない。


「あ、いいえ」

「本当に申し訳ありません。ただ、・・・別れも告げられることなく手紙一つで捨てられてしまった友人がおりまして」

「え。あ、それは・・・」


 いきなりの打ち明け話に、いささかカイトは狼狽(ろうばい)した。


「せめて直接言ってくれればと、かなり泣き悲しんでいたものですから・・・。つい、彼女と重ねてしまいましたの。そうですわね。カイトさんや神子姫様は関係ありませんのに」


 悲しげに涙を浮かべるガーネットの頬に、一筋の金に染めた髪がはらりと落ちる。


「あ。いえ、それは・・・。お気の毒に」

「ええ。どうして直接言ってくれなかったのかしら。私も、もらい泣きするしかなかったんです」


 涙ぐむガーネットに、小猫が慰めるかのような、にゃーという鳴き声をあげる。


(どうして女ってのは、こう踏んだらヤバイって話が多いんだーーーっ)


 焦りながらも、本当は、それは友達ではなくこの彼女のことだったのではないかと、カイトは思った。

 正直な感想を言わせてもらえば、こんなにも穏やかで優しく面倒見のいい女性を捨てる男の気持ちが分からないというものだ。ガーネットはかなり家事も得意で、料理も美味い。

 けれども嗚咽を堪えている女性を前に何も言わないわけにはいかなくて、カイトは無理に言葉を絞り出す。


「その男性の気持ちは分かりませんが、・・・会うのが辛かったんじゃないですか?」

「え?」


 思い出すのは、あの山に建てた家。

 そうして何を書けばいいかも分からず、無理に書いた短いメッセージ。


「会ってしまえば手放せないと分かっていたから、・・・だから手紙で伝えたんじゃないでしょうか。そうでもしないと、別れられる自信がなかったのかもしれません」


 自分を見上げてくる、涙に潤んだ赤い瞳に、カイトはセピア色の瞳を想う。

 ガーネットもまた、手紙一つで別れを告げた男を、カイトを見ながら思い出しているのだろうか。


「あなたも、・・・愛していらした?」


 カイトは何かを振りきるかのように、玄関へと歩き始めた。

 この場に留まるのが辛い。ガーネットの涙が、真琴の涙であるかのようで。


「今も愛しています」


 小さく呟かれたその声は、本当に微かなものだった。

 だから。

 パタン、・・・ガッチャンと、扉と門扉がきっちり閉められる音を確認してからガーネットは咎めるような視線を小猫に送った。


「マーコット。もういいんじゃありませんの? いつまでも猫でいなくても」


 あそこまで言わせたならもういいだろうと思うガーネットだ。勿論、言わせたのは自分だが。

 しかし、小猫はむふぅっと頬を膨らませている。

 どうして自分への言葉を他の人ばかりが受け取るのか。そりゃ嬉しいけれど。

 どうしてカイトはそれなら自分の所へ戻ってきてくれないのか。そりゃ戻られてもマジュネルの山の中に自分はいないけれど。


「だってぇ。カイト、猫でいる方が可愛がってくれるんだもん」


 小猫はいい。我が儘を言っても怒られないのだ。そして何をやっても許してもらえるのだ。


「何をまた。本当に馬鹿なことを仰(おっしゃ)らないでくださいな。あそこまで大事に想われて何が不満ですの?」


 小猫だって思うことはあるのだ。何も考えずに撫でられているわけではないのだ。


「だって猫の方がどこにでも一緒に連れてってくれるし、お留守番もさせられないですむし、それにいつだって私を探しに来てくれるし、見つけたらいつでも肩や膝に乗っけてくれるし、・・・こっちの方がいい」


 そうすればいつも一緒にいられる。目覚めればカイトの顔がある。眠る時だって撫でてくれる。

 人の姿をしていたら置いていかれることもあるけれど、猫だと犬とかに襲われるかもしれないと、カイトはいつだって自分から目を離さない。


(誰よりも傍にいられるなら、・・・それでいい)


 駄目だこれはと、ガーネットは頭痛を覚えてしまった。


「知りませんよ、マーコット。そりゃあなたはカイトさんにとって大事な猫でしょうけど、彼だって若いんです。いずれ寂しさに耐えかねて恋人を作るかもしれません。そうしたらどうしますの?」

「え? だってカイト、私のこと、まだ愛してるって言ったし」


 おかげで気分は大浮上の小猫だ。

 今回、ガーネットの所へ置いていかれたショックよりもこちらの方が大きい。


「愛していても、カイトさんの中では、とっくに幸せな恋人を見つけていることになっているじゃありませんの。いつまでも小猫で可愛がられていればいいだなんて思っていたら、どこかの女性にひょいっと持っていかれてしまいますわ。そうなってからでは遅いんですのよ、マーコット」


 大きくバルーンのように膨らんでいた心が、しゅわしゅわしゅわと綿あめのように萎(しぼ)んでいく。

 小猫は、むむーっと唇を尖らせる。

 ここまで猫として可愛がられてしまうと今更名乗れないのも事実で、ついでに今のスタンスはとても悪くないと思っていたのに。


「カイトさんの恋人でいたいのか、小猫でいたいのか、そこらへんはきちんと考えなくてはなりませんわ、マーコット」

「うん・・・」


 そんなの、分からない。

 一緒にいたいだけだから。

 どこか迷子のような眼差しで、小猫はガーネットを見上げた。


「今回のユーリ様の件が終わったら、カイトさんは私達に別れを告げるでしょう。あなたの出した結論を私達はちゃんと後押ししますわ。ですから後悔しないようになさいましね」

「え」

「このままではあなた、鳥籠に入れられてヴィゴラスにプレゼントされてしまいますわよ」

「それだけはイヤ」


 はっと今の状況に気づかされる小猫だ。


(小猫のままでカイトについてく方法を探さないとっ)


 小猫は、我が身の危機を知ってしまった。




 カイトは自分の宿へと帰ってしまった。だからガーネットは、夜になってからラーナの所へマーコットを送り届ける。


「明日のお城に行く時には、小猫が入っていても分からないようなドレスで行くといいわ、ラーナ。一応、内側にポケットを縫いつけた衣装を幾つかもってきたけど」

「ありがとう、ガーネット。マーコットったらやっぱりヴィゴラスの所に連れていかれてましたのね」

「おかげでひどい目に遭ったんだよ。遥佳がいないからって、ずっと私を抱きしめてるの。ホント、冗談じゃないから。もうヴィゴラスはさっさと遥佳の所へ送り返していいと思う」


 げっそりとした小猫は、ラーナの所なら安全だとばかりにすり寄る。


「それよりラーナ。カイト、心配してたよ。いくら強くても丸腰じゃ大変だろうって。明日、襲われそうになったら背後からその人を倒してくれるつもりみたい」

「あらまあ。・・・ふふ、その出番があるかどうかは分かりませんが、ユーリの護衛がいなくなるのは困りますわね」

「そっちはヴィゴラスがつくみたい。なんかヴィゴラス、見晴らしがいい場所を既に押さえてるらしくってさ。すぐに飛びこめるようにしておくって言ってた」


 肝心の優理は、そんなことはどうでもいい感じだった。


「うーん。本当にどれもこれも私の趣味じゃないのよねぇ。これ、遥佳用に持って帰らせようかしら」


そんなことを、クローゼットの中身を見ながら呟いている。


「放っておいても大丈夫よ、真琴。カイトさんもヴィゴラスも、一人の方が結果を出せるタイプだもの。それよりガーネット。これらの服、こっそりと運んでおいて、遥佳にってことでヴィゴラスが持って帰られるよう荷造りしてもらっていい?」

「勿論ですわ。ユーリがお召しになった衣服を残しておくのはよろしくありませんもの。ただ、お似合いだと思いますけど?」

「遥佳の方が似合うからいいのよ。私、こんなレースたっぷりの服なんて着ない生活してるしね。だけど捨てていくのは勿体ないじゃない? 結構いい生地使ってるし」


 何と言っても無料だ。悪くない。

 ちゃっかりもらえるものはもらおうと考える優理は、無料(タダ)という響きに弱かった。






 ディリライト島から神子姫と同じ夜に姿を消したカイトは、宰相が第一将軍に頼んで派遣した男だというのは明らかだ。

 宰相は、カイトが自分の命令を無視して神子姫を攫(さら)ってどこかに連れて行ったことにするか、誰かに攫われようとしたのを阻止しようとして斃(たお)れたことにするか、はたまた自分の命令に従って連れ帰ってきたことにするか、悩ましく思っていた。


(通常は拉致できても、ここまで早く辿りつけるものではない。遠回りなどしながら目立たぬように連れてくるものだからな。・・・だが、その時間稼ぎも長くは続けられん。どうするべきか)


 勝てない勝負に挑んでも仕方がないのだ。

 ここは神子姫をドモロール国王に差し出すべきか、それとも秘密裏に囲い続けるべきか。


『まだ、あのカイトからの連絡は入っておりませぬ。首尾よく連れ出せたのであればいいのですが・・・。他の勢力に奪い取られていないと信じたいものです』


ドモロール国王にはそんなことを、宰相は答えていた。


(あの別邸は知られていないから大丈夫だと思うが、場合によっては違う場所へ移す必要もあるか)


 女神の姫君ともなれば、動く権力と財力も桁外れだ。

国王にしても、土壇場でカイトが裏切った可能性、そして宰相が国王を裏切っている可能性をも視野に入れているだろう。


(あのラーナという侍女は美しい。何なら王に献上して機嫌を取り結ぶ為に使うか)


 気は強いが、どうやらあの頼りない神子姫に心酔しているらしいラーナは、神子姫さえ持ち出せばどうにでもなる様子だ。

 切り離してしまえば、神子姫に危害を加えるぞと脅し、言いなりにできるだろう。


(だが・・・。キマリーのウルティード王子様はお友達よ、ね。まあ、そんなところだろうとも)


 神子姫の気質によっては、自分の息子を宛てがおうかとも思っていた宰相だ。

だが、あそこまでおどおどとしている娘となれば、たとえ親子程に年が離れていようと自分のものにした方がいい。


(息子とはいえ、神子姫の力をモノにしてしまえば、父親の言うことなど聞かなくなるからな)


 ああ、本当に。

 全ての神殿がひれ伏す神子姫。全ての富が集まってくる存在。

 どんな宝にも勝り、どんな王族よりも価値のある姫。


(それが今、私の手の内にある。この大陸全てを動かせる存在が)


 悩ましいことは多々あるが、宰相は笑いが止まらなかった。






 ディリライト島に派遣されていた小隊長ドカートン以下、ドモロール王国軍9名は、急いで帰国していた。

 勿論、その中にカイトはいない。

 ドモロール王城に到着したのは早朝だったが、その場にはドモロール国王と第一将軍がいた。

第一将軍は自分だけでまずは報告を聞くつもりだったが、国王が自分も呼べとうるさかったのだ。

 そうして小隊長ドカートンが、苦々しげに報告する。


「ディリライト邸にて神子姫様がいないと騒動になり、そうして島内をあげての大捜索が行われました。

 その際、我が王国軍の一人として派遣されておりましたカイトの不在が分かったのでございます。

 彼の暮らしていた家の中は全て片付けられており、何かに巻きこまれて帰れぬ状態になったとするよりは、彼こそが神子姫様の失踪に関与しているとしか思えぬものでございました。

 ですが、そうなっては一気に我がドモロール王国が非難されてしまいます。その為、まさにその朝まで普通に暮らしていたかのように偽装工作をしてまいりました。

 それでも不在だけは隠せるものでもなく、現在、彼が実行したのか、もしくは実行犯と遭遇してしまって戻れぬ状態になったのか、その黒とも白とも不明な灰色(グレイ)の状態となっております」


 ドカートンは第一将軍をまっすぐ見上げて言った。


「あのカイトは神子姫様をお招きする為、特別に派遣されてきていた男でございました。

 私への報告はありませんでしたが、これは我が国がしたことだろうと判断し、カイトはあくまで神子姫様拉致を行った実行犯と争ったに違いないと、そういった気配が残るようにしてはまいりました。

 ですが、どこまでディリライトを騙せたか、定かではございません」


 第一将軍は、国王を見た。


「彼は宰相殿が強く勧めてきた男でございました。こちらも何も聞いてはおりませんが、どういうことでございましょうか。いざという時にドカートン小隊長に協力させる為の派遣ではなかったのですか」


 その場に宰相を立ち会わせなかったのは、あくまで国王と話を煮詰めたかったからだ。

 第一将軍は、宰相がカイトに命じ、それを自分やドカートンには断りなく実行してくれたのだろうと、怒りを募らせていた。


(我が軍を虚仮(こけ)にしてくれおって!)


 第一将軍とて、まだ自分に話を通してくれていたならば許せただろう。

 それすらも、自分の選んだ騎士や兵士達が信用できぬのかと怒りを覚えたかもしれないが、それでもこのような騙し討ちとなれば、完全に受け入れられない。

 だが、そうなると本当に宰相だけの独断だったのかという話になる。


(もしも陛下もそれに一枚噛んでいたならば・・・)


 それこそ信頼を裏切る行為だ。

 第一将軍は国王に対して熱く沸き立つような心で、それでいて冷たい視線を向けるという矛盾した動作をしてのけていた。

 さすがに国王もこれはまずいと冷や汗が流れる。

 部下を裏切る国王など、いざという時に見捨てられるだけだからだ。


「何度も言ったが、宰相からそんな話は聞いておらん。宰相にしても、いざという時に役立つだろうと、そういうことで騎士や兵士とは違う伝手(つて)を持つ人間を組みこませただけだった筈だ。どうして我が軍の頂点に立つ第一将軍を欺(あざむ)くような真似をしようか」


 ドモロール国王は、穏やかな表情で第一将軍の肩を力強く叩く。

 国王の瞳には、「第一将軍にだけは、この国王、嘘などつかないぞ」と、そんな心が強く表れていた。

 尚、人を騙す時には自分をも騙しきるのが、詐欺のコツである。


「そのカイトという男の真意は不明ながら、それでも我が国に対して攻撃材料を与えぬよう、その場で最善な行動をとれたとは、彼も見事なものではないか。これで何も考えることもできぬ案山子(かかし)であれば、今頃我が国は他国から非難を浴びせられていただろう。さすがだ、将軍」


 その言葉には重みがあった。

 何があろうと信じられるという、国王の第一将軍に対する信頼の重みが。


「ドカートンと申したな。やはり将軍の人選は確かだった。勿論、神子姫様をむざむざと拉致されてしまったことはどうしようもなき失態。されどそなただからこそ、後手後手にまわらずにすんだのだ。よくぞしてのけた」

「はっ」

「しかも会うのが難しかったという神子姫様に真っ先にお会いしたばかりか、唯一贈り物を受け取ってもらえたというではないか。見事な手腕だ。どこぞで手に入れた猫というのはどうかと思ったが、結果として喜んでいただけたのだから、やはりまだ年若き娘であればこそ。よくやった」

「ははっ」


 感激に目を潤ませながらドカートンが頭を下げる。

 本当はカイトが手に入れてきた小猫で、しかもルーシーが高い猫だと保証したのが理由だったが、そこまでは報告していなかった。


『あの猫は小隊長が手に入れたことにした方がいいでしょう。理由など説明していたら面倒なことになるだけです』


ルーシーからはそう言われていたこともある。


『別に出所なんぞ、何を言ったところで猫は猫じゃないですかねぇ』


カイトもまたそんな反応だったので、ドカートンが市場で売られていた小猫を見つけて買ったということにしてあったのだ。

 人の褌(ふんどし)で相撲(すもう)を取ったようなものだが、今更、否定などできない。


「宰相もまた、カイトという男の行方を捜しているそうだ。そう言っておった。どちらにしても不用意な発言は控えておくように。将軍よ、ドカートン小隊長以下、まずは事情を詳しく聞き取った後、どこかに待機させておくように。変な騒ぎになっても困る。今、我が王国は疑われている国の一つだ」

「なんとも情けない話でございます。そんな不名誉な疑いをかけられるとは」


 第一将軍はそう嘆いてみせた。

 必要とあればいささか強引になろうとも、我が王国に神子姫様をお招きするようにと、ドカートンにくどくどと命じていたことはおくびにも出さない。

 過ぎてしまった都合の悪いことは忘れ去る、それがストレスなく生きるコツだ。ただし、自分にとっての。


「全くだ」


 そこで国王は、その場にいた唯一の女性に目を向けた。


「女兵士も派遣しておったのか。そなた、名はなんと?」

「ルースと申します。もしも神子姫様がドモロール訪問を了承してくださったなら、同性の人間がいた方が神子姫様もお心安らかに道中を過ごせるだろうと、第一将軍の命令により派遣されておりました」

「なんと行き届いたものだ。だからこそ、将軍には全てを任せられるのだ」


 国王はここぞとばかりによいしょしてみせる。

 今、第一将軍を不機嫌になどさせられない。ましてや、もしもカイトが神子姫拉致に成功していて、いずれこの国に連れてくるというのであれば尚のことだ。

 あくまで自分は知らなかった、それを貫くのみ。全ては宰相に押しつけよう。

 ドモロール国王はそう決めた。


(なかなかきびきびとした娘だ。ドレスを着た貴婦人とは違う、すっきりとした美しさがある)


 もしも腕が立つようならば自分の身近な近衛兵としても良い。そうすれば異色さが際立って面白いことになるだろう。


(いや、同性だからという理由で選ばれたのなら強さはないな。道中の侍女という役回りだったか)


 やはりそれは諦めておくかと、国王は自分の中に生まれたその思考を打ち消す。


「何にせよ、どの国も浮足(うきあし)立(だ)っておる。本当にどこの国が動いた結果なのか」


 本当は、攫われたらしいとバタバタしている様子を装って、ドカートン小隊長達が神子姫を連れ帰ってくるのではないかと、そんな期待も抱いていた国王だ。

 なかなかうまくはいかないものだと、溜め息をついた。






 ドモロール王城へ向かう予定のラーナは、ゆったりとした裾の広がるドレスに着替えた。

 城に勤務する女官のお仕着せと違って貴婦人のドレスに近いけれども、そこまでの華やかさはない。

 見た人が貴族令嬢なのか城に勤務する女性なのか迷うような、それはどうとでもとれる微妙な服装でもあった。


「カイトさんはヴィゴラスに頼んで、宰相の所有している建物全てを調べに行ってもらいましたわ。これでいいんですのね、マーコット?」

「うん。お城に来ないでくれればいいんだ。だけどその代わり、私がラーナの支援につくから」

「どちらかというと、安全な場所でお待ちいただきたいのですけれど」


 ラーナは溜め息をつく。


「諦めなさいよ、ラーナ。元々、真琴ってば体を動かすのが大好きなんだもの。カイトさんの前では可愛がられたくて、あえて動かないようにしてたからストレスたまってんのよ、どうせ」


 優理が欠伸をしながらそんなことを言った。


「あらまあ。そうでしたの?」

「いっ、いいじゃんっ、別にっ」


 小猫がうっぎゃーと、毛を逆立てて優理を威嚇する。


「変なこと言わないでよっ、優理の馬鹿っ」


 しかしそんなことで怯(ひる)む優理ではなかった。


「馬鹿はどっちよっ。そんなの見てたら分かるわよっ。大体、大人しい遥佳の真似しなくたって、十分カイトさん、真琴のこと好きじゃないっ。何を馬鹿なことしてんのっ」


 べーっだと、優理が小猫に向かって喧嘩を売る。

 いつまで真琴は小猫でいる気なのか。いいかげん、皆に猫かわいがりされているのを見ていると、差別を感じてしまうではないか。

 小猫ライフを満喫している真琴に、優理も思うものがあった。


「馬鹿じゃないもんっ」

「馬鹿だもんっ」


 果敢に反論する小猫だ。ぽかぽかと、爪は立てないままで優理を叩く。

 だからこそ優理も力はこめなかったが、小猫の前足を三本の指先で叩き始めた。

 ぽかぽかぽかぽかと、指先パンチが繰り返されていく。


「馬鹿って言う方が馬鹿なんだからっ」

「なら先に言った真琴が馬鹿なんじゃないっ」

「馬鹿じゃないもんっ」

「馬鹿だもんっ」


 そこでラーナは、令嬢と小猫の間に割って入った。


「はいはい、どうどう」


 ひょいっと小猫を抱き上げてしまえば終了である。


「ですが、ユーリ。本当にサフィルスだけで大丈夫ですの? まだヴィゴラスをお側においておいた方がいいのではありません?」

「大丈夫よ。サフィルスはいざとなったら空を飛べる天馬だもの。この空全てが彼女の庭。全く心配ないわ。リリアンとガーネットにはヴィゴラスとカイトさん達のフォローをしてもらわないと困るしね」


 どうせこれは、キマリー国へ行ったディッパ達を待つ間の暇潰しだ。

 そう思って優理は小猫を見る。

 大切な自分の姉妹。自分達はお互いが弱みになるけれど、だからこそお互いの為に強くもなれる。

 どんなに喧嘩しても次の瞬間には忘れられる姉妹は、結局仲がいい。


「優理?」

「何でもないわ。ただちょっと遥佳へのお土産が多くなりすぎたなって思っただけ」


 他人の金で仕立てられた服はいい。何と言っても無料だ。しかも質もなかなかのものだった。


「そうだね。あの通路とやらが近くにあればひとっとびで届けられたのにね」


 そう頷く小猫は、あの一気に飛び越える通路の凄さを知っている。ふらっと入りこんだら大陸を飛び越えているのだ。なんてミラクルなのだろう。

 世界を股に掛ける大泥棒にもなれてしまう。


「ここからじゃ遠いわね。一番近いのはディリライト諸島の中にある島で、赤い虎が守っている通路なんだけど」

「えっ!? ディリライトにもあんのっ?」

「あるのよ。ディリライト島じゃあないけどね」

「へぇ。赤い虎さんかぁ」


 気になる小猫だ。獅子舞みたいな顔をしているのだろうか。


(カイトを赤く染めたらいいのかな。だけどせっかくのシルバーを赤く染めるのは勿体ない気がする)


 そこで最近、虎の姿になったカイトを見ていなかったと、小猫は思った。

 何故なのだろう。今まではよく夜とかシルバータイガーの姿になっていたのに。

 

「いつか見に行きたいなぁ」

「そうね。遥佳も一緒に」

「うん。青い鳥さん、起きてる時に見たいなぁ」

「もう起きてたわよ」


 優理が小猫に手を伸ばす。ラーナの腕から小猫は移った。


「無茶はしないのよ、真琴」

「それは優理だよ。優理も遥佳もとろいんだから」

「あなたに比べたら誰だって遅いわよ。だけど、私達は普通なんだから」


 優理の腕に抱かれた小猫が、その首筋に自分の頭を擦りつける。


「ルーシーもこっちに来ているらしいよ。シルフが教えてくれた」

「そう。なら安心ね。ラーナとルーシーの言うことをよく聞いて無茶はしないのよ。二度と矢なんて受けないで」

「あ、あれは・・・。まさか本当に射かけてくるとは思わなかったんだもん。単なる脅しだろうと思ってて」

「こっちでは脅しなんてまずないのよ、真琴」


 優理は目を伏せた。


「うん。分かっていたらもう先に考えられるから。二度はないから大丈夫」


 小猫が甘えるように自分の体を優理にすり寄せる。

 それを抱きしめていれば、やがて小猫は光沢のある緑色の蛇に変化した。

 手のひらサイズの小さな蛇である。


「さ。じゃあ、私は蛇の形をした腕輪になってラーナについていくから」


 何だかなぁと、優理は溜め息をついた。


「腕輪に見せかけるんならもう少し色を考えなさい、真琴。それじゃあ本物の蛇ですって、誰もが気づくわよ」

「えー」


 大陸を渡る船で一緒になったリリアみたいな色にしたのにどうやら不評らしいと、蛇が不満そうな声をあげる。

 真琴はまだリリアみたいに妖艶に魅力を持ち、全ての男を悩殺していく路線を諦めていなかった。


「なら黒はいかがでしょう? 黒い蛇だったら装身具でもよくあるモチーフですもの」

「そっか。じゃあ黒にするね」


 ラーナの言葉を受けて、緑の蛇が黒い蛇に変化する。

 そうしてラーナの腕に巻きつくと、まさに腕輪に見せかけた感じで落ち着いてみせた。


「へぇ。なんだかエジプトのファラオとかの飾りを思い出すわ。ラーナにもよく似合ってる」


 優理が褒めれば、ラーナも自分の左手に巻きついている小さく細い黒蛇を撫でる。


「では行ってまいりますわ」

「行ってきまーす」

「ええ。気をつけてね」


 宰相からは馬車まで寄越されている。

 ラーナは微笑みを浮かべてその馬車に乗りこんだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。