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84 ギバティとパッパルート王族、そして遥佳はやってきた



 ジンネル大陸でも、一番に名前が上がるギバティ王国。

 長い間、聖なる国としてその名を馳せてきた大国でもある。

 全ての富はギバティ王国に集まり、手に入らぬ物はないとまで言われる程に栄華を誇っていた。

 様々な国の大使が訪れ、大神殿以下、絢爛豪華な神殿が多く建設された首都ギバティール。そこは多額の金が集まり、多額の金が散る都市でもある。


「おお。ラグトア伯爵ではないか」

「これは陛下。お散歩でいらっしゃいますか?」

「そうだ。伯爵もか?」

「はい。相変わらず見事な庭園だと見惚(みと)れておりました」


 広大な王宮の庭を散策していたラグトア伯爵は、いきなり木陰から現れた国王ブラージュに驚いて礼を取った。

 目つき鋭く、ずんぐりとした体型のラグトア伯爵は、その面白味もない性格もあってあまり花を愛でるタイプには思われにくい。

 しかし彼は野の花を眺めて心和(なご)ませる感性の持ち主だった。そして己の美的感覚に合わない不気味な猫の置物を邸の裏庭に飾っておく程に律儀でもある。


「そうだな。・・・時間があるなら、しばしもらえぬか?」

「お供させていただきます」


 国王ブラージュは、庭園の中でも裏庭方面へと歩いていった。

 周囲に誰かが近づいたらすぐ分かる、そんな広々とした場所だ。背の高い木々もなく、芝生だけが足元にある。


「ま、座れ」

「どうぞ、陛下。こちらの上に」

「別にかまわぬ」

「いえ。どうぞ」


 自分の上着を脱いで、その上に座ってほしいと頼むラグトア伯爵は、国王よりも年上だ。

 真面目で実直な騎士の如き性格。貴族らしからぬこの伯爵を、ブラージュは信頼していた。


「すまんな」

「とんでもないことでございます」


 国王と差向いになるような位置にラグトア伯爵も座る。そうすれば周囲に誰かが近づいてきてもどちらかが気づくからだ。


「いつも思うことだが、ラグトア伯爵は人の形をした宝だな」

「勿体ないお言葉」


 厳(いか)つい顔つきに鷲鼻(わしばな)といったラグトア伯爵だが、やや神経質そうな顔立ちの国王と、こうして並べてみればその顔に相似性があることに気づく人もいるかもしれない。

 とはいうものの、それはじっくりと落ち着いて並べて比較すれば、の話であって、通常時は誰もそんなことは考えつかないことだろう。

 ある程度の血縁は、それなりにどの高位貴族だってあるものだからだ。


「ラルースを、ルートフェンに出すことにした」

「はい。ご英断かと」


 言葉少なにラグトア伯爵が相槌を打つ。

 濃い色の髪(ブルネット)をぐしゃぐしゃと片手で掻き回し、ブラージュは空を見上げた。


「そう言ってくれるのは伯爵ぐらいだ」

「陛下の今までのご心労、いかばかりかとお察しいたします」


 ブラージュは、はぁっと大きく息を吐くと僅(わず)かに辛そうなものを表情に滲ませる。


「いつから我が国はここまで大きくなりすぎたのか。そして、どれだけの人間が調子に乗ったツケがここで降りかかってきているのか」

「先送りにしていたそれは、いつしか取り返しがつかぬ程に膨れ上がるものでございます。陛下は、十分に努力なさいました」


 二人のよく似た色合いの瞳が交差する。


「いわれなきそれを、・・・よくぞ耐えてくれた」

「とんでもないことでございます。息子とてギバティ王国を支える貴族の端くれ。殿下のお役に立てたなら、それで何の不満がございましょう」


 紛れもない感謝が、国王の灰色がかった青色の瞳に浮かぶ。


「ラルースがルートフェンに行ったら、・・・呼び戻すがいい。これが原因で縁談に差し支えることのなきよう、こちらも後押しはさせてもらう」


 けれどもラグトア伯爵は首を横に振る。


「その途端、社交界に戻ったとなれば口さがない者達が何を言い出しますことか。ひっそりと他国へ留学させ、いずれ折(おり)を見て帰還といった手順でも踏むことにいたしましょう。こんな些事(さじ)よりも陛下には向き合わねばならぬ政(まつりごと)がありましょう。我が家のことは我が家で対処いたします」


 洗練された物腰もなく、人をいい気持ちにさせる美辞麗句も言えず、全てにおいて社交界に生きるには不向きとしかいえないラグトア伯爵だ。

 しかし彼には誠実さがあった。そして、生真面目なところも。

 それはその息子達にも受け継がれた美徳でもあった。


「苦労を、かけた」


 ラグトア伯爵は酸いも甘いも噛み分けた、そんな眼差しでブラージュを見つめる。


「陛下をお支えするが貴族の役目。それだけでございます」


 朴訥(ぼくとつ)な言葉を、たとえようもなく価値があると思うのは自分だけなのだろうか。

 今、こうして全てから孤立しているかのような気分になっているからこそ、心に沁みるのか。

 国王ブラージュは、自分の判断を間違ってないと思いながらも、周囲の言葉に心が折れかけていたことに気づかされた。


「こうなって初めて、・・・今、価値があるものに気づいた気分だ」


 ラグトア伯爵は何も言わなかった。

 ただ、静かに頭を下げた。






 パッパルート王宮内にある一室に連れこまれたカディミアは、デューレによって尋問を受けていた。

 背筋を伸ばして椅子に座らされ、両手は机の上に紐で固定されている。逃げられないよう、足と腰まで椅子に縛りつけられていた。

 そして机の向こうにいるデューレは容赦がなく、カディミアを責め立てる。


「ひどい。デューレ兄様」


 デューレに対し、カディミアが強気でいられたのは最初だけだった。


「駄目ですよ、カディミア。ちゃんと説明しないなら、また鼻を摘まんでブーブー鳴かせますからね」

「私っ、私っ、これでも王女なのにっ」

「ええ、ブタ王女と言われないよう、あなたの名誉をこうして私は守ってあげていますね」


 そう言いながら、カディミアの両頬をデューレは両手の指で摘んでぐいーんと左右に引っ張る。


「こんな所を見られたら、まさにブサイク王女と言われるでしょう。さあ、私に感謝して続けなさい」


 何を感謝すればいいのだと言いたかったが、今のカディミアは逃亡できない状態だ。

 そして部屋は施錠され、誰も助けに来てくれない。


「だからね、二度と候補に挙げられないようにって、そう思っただけなの。あっちの使者だって、どう考えてもうちなんて問題外だろうし・・・」


 なんでこんな王子を好きなのだろうと思いながら、カディミアはぽつぽつと自白した。


「そうですよね。あのプライドの高いギバティでは使者もそんなものでしょう。なら来るなってもんですが、そのくせ、君に会いたいと言い出したんですね?」

「そうなの。お父様には断られたのに。だから、ギバティのラルース王子なんて物静かでどちらかというと大人しいって、そういう噂だったし。だから嫌われるようにって思って・・・」


 ふんふんと頷きながら、デューレはカディミアのほっぺたを柔らかくつねったりして変な顔をさせてくる。


(ひどすぎるわ、デューレ兄様。その性格のいやらしさに磨きをかけてただなんて・・・!)


 好きな相手にそんな顔を見られるカディミアの恥ずかしさを知った上でやるのだ。

 なんて最低な王子なのだろう。 


「不満そうに唇を突き出すんじゃありませんよ。醜いアヒルじゃあるまいし。全く手のかかる王女様ですね」


 デューレは、カディミアの唇にポスッと棒タイプの飴を押しこんだ。


「んみゅっ」

「いい歳して食べ物を口からぽろぽろ零すだなんてしないでくださいね?」

「んむーっ」


 なんてひどい王子なのだろう。

 カディミアは、すぼめた唇に挿しこまれた飴をまずは口の中に取り込もうとした。

 両手を机の上で縛られているから、手で押しこむこともできない。


「そこで飴を落っことしたら、思いっきり食事の時に笑い話にしてあげましょう」

「んむーっ」


 あまりにもひどすぎる。


「だけどカディミア。これからは生意気なことを言わないと約束するなら、手伝ってあげても構いませんよ? そうですね。少なくとも人前で生意気な言動をしないと言うのなら、その飴をちゃんと舐めさせてあげましょう。・・・やっぱり、一国の王女たる者が飴すら口からぽろぽろ零してただなんてみっともないですからね」


 ぎりぎり歯で挟めるかどうかぐらいのところにしか挿しこんでこなかった為、今にも飴はぽろっと机の上に零れそうだ。


「もう生意気なことを言わないと約束するなら、首を縦に振りなさい」


 そうなるとカディミアも首を縦に振るしかない。


「いい子ですね」


 デューレの顔が近づいてきて、その唇が飴をカディミアの方へと押しこんだ。

 そうして唇を開いて飴を受け入れてしまえば、甘さが口の中に広がっていく。


「それで、使者にどんな言い方をしたんです?」


 耳元で低く囁かれた声に、カディミアは上半身を震わせた。

 兄のディッパに振り回されているのがデューレだと言われているが、彼はこういう王子だ。

 国王ディッパが先頭に立って民を率いるなら、弟のデューレは暗躍して人を意のままにしていく。

 それでも信じている。今もあの優しく穏やかで、自分達を愛してくれていた日々を。


「私、ディッパ兄様とデューレ兄様と、とても仲がいいって感じで。一緒に鰐退治(わにたいじ)もしたって言ったら、そうしたらもう感性も合わないって感じで引き下がってくれるかなって・・・」

「鰐って、君ねえ。いつの話ですか」


 どんなお転婆王女だと思われたことか。

 それこそ婿のなり手がいなくなってしまうだろうにと、デューレは頭を抱えた。


(大体、あれは退治でも何でもないだろう。あくまであれは、まだ幼い頃の・・・)


 なんにしても無事に帰ってこられてよかったと、しみじみ思う出来事の一つだ。


「だってラルース王子、そういうの苦手だって・・・。ギバティ王族らしく本に親しみ穏やかな人柄だって、リヴィールの王女も言ってたし」


 見合いや未来を見据えた外交といった意味合いも兼ねて、王族は他国に出向いたり留学したりすることがある。

 ルートフェン国などにギバティ王族が来ることはないが、ラルース王子はリヴィール王国には行ったことがあった。そうしてリヴィールの王女と、カディミアは面識があったのである。

 たしかにカディミアは可愛らしく庇護欲をそそられるタイプだ。そんな猛々(たけだけ)しいイメージを、見た人が抱くことはないだろう。

 だからこそカディミアはそれを持ち出したのか。


「たしかに、普通の男なら鰐(わに)を退治したなんて聞いたら、敬遠するでしょうね」

「うん。で、わざと兄様達とも、とっても仲がいいって匂わせたの」


 それは恋人関係、もしくは愛人関係を示唆したということだ。


「なるほど。私達は当て馬ですか。だけどそれは君がふしだらな王女に見られますからね。二度とやってはいけません」

「はい。ごめんなさい」


 実際にこうしてデューレとキスしたりしている以上、ふしだらなのは間違いないだろうにと、カディミアは思う。


『初めてのキスはデューレ兄様がいいのっ。してくれないなら、似たような顔の騎士を襲っちゃうからっ。そうしてデューレ兄様に捨てられたって言ってやるんだからっ』

『ちょっと待てーっ』


 カディミアのなりふりかまわぬ稚拙(ちせつ)な脅しにデューレが困った顔になりながら、それでも一緒に星を見上げてキスしてくれたのはいつだっただろう。

 その思い出の証にと、星を主題にした詩集を贈ってくれた。


「それだけですか?」

「あと、だから兄様と結婚するのか、って言われたから、だから私はここの女王になるって言ったの。そしたらその使者の人、ルートフェンはパッパルート王子を王にして仕える国だろうって・・・」


 デューレが小さく怒りを含んだ息を呑む。

 カディミアはそれを聞き逃さなかった。

 この部屋は二人だけの世界だ。どうして捉(とら)え損(そこ)ねることがあるだろう。


「それで?」


 デューレの言葉が優しくなったのを感じて、カディミアは涙が出そうになる。


(知ってる。兄様が私達を本当に大切に思ってくれてること)


 小さな時から交流のあるパッパルート王子達は、ルートフェンの王女達は自分達と対等な王族であるとし、そう扱うようにパッパルート王宮内でも徹底させていた。


「だから、私こそが女王になるから、私に従うことができる男しか必要ないって言ったの」

「なるほど。なら、あちらも引き下がるしかなかったでしょうね」


 ルートフェンの王女が、まるでパッパルートの王子の為にあるかのような見られ方をすることを厭(いと)うのが当のパッパルート王子というのは、皮肉なことだ。

 それは愛されているからだと、そう思うから自信が持てる。


「その筈なのに・・・。何故か、婿に出すならいいのですねって、一度はギバティに戻った筈が、違う使者の人を立ててきて、ラルース王子を次期女王の婿にって言い出したの」


 つまり売り言葉に買い言葉で啖呵(たんか)をきったら、なぜかあちらがそれを受け入れてきたわけだ。

 デューレはその状況を把握できずに、やがて戸惑いを浮かべて自分の記憶を手繰り寄せた。


「おかしい話ですね。ギバティのラルース王子といえば、先の国王夫妻に一番愛された末の王子だった筈です。たしか、どこの国に行ってもそれがウリで、どの王宮でも知的な様子を披露し、古典にも明るく、見事な立ち居振る舞いだったとか。なぜそれが、そこまで欠陥品ですと言わんばかりの王女に対して・・・」

「悪かったわね」

「君がやった結果でしょう」

「そうなんだけど」


 カディミアのほっぺたをぐにぐに苛(いじ)めるのも忘れ、デューレは考えこみ始める。

 その隙に、カディミアは飴をパリパリと噛み砕いてしまった。


「だが、ルートフェンにはギバティ王国との縁組に出す費用なぞ出せないでしょう」

「それが、不要だって」

「怪しすぎますね」

「そうなの」


 これでもデューレは歴史だけはあるパッパルート王国の王子だ。ルートフェン国の王女と違い、大体の王宮は訪れたことがある。

 どこであっても、ギバティ王国のラルース王子に対しては、物静かで知的な、それでいて弁舌も爽やかな好青年と、そういう話だった。ある程度は差っ引いて考えても悪くない評価だったと、デューレも記憶している。

 だからこそ、いくら神子姫がギバティ王国を無視したという出来事があったとしても、安売りする必要など無い筈なのに。


「これが、兄上が出かけていなければどうにでも探りを入れる為に動けたものを。・・・仕方ありませんね。それはルートフェンが勝手に暴走したことだと、本来、ルートフェン王女はパッパルート王子の妃であると、そうねじ込む形をとって保留にさせましょうか。その間に内情を探り、もしも・・・」


 そこでデューレは言葉を切った。

 あまりにも怪しげな話だが、ギバティ王国は聖なる国として名高い。それを婿に迎えられるのであれば、ルートフェン国のランク上げとしては悪くない縁組でもあった。


「あの強欲主義さえなければ、本来は悪くない話なんですがね」

「そうなのよね」


 それは勿論、カディミアも考えたことだ。

 だが、そこまでの好条件となると、今度はラルース王子がかなりの問題物件である可能性が高くなってくる。


「たとえば人に言えない異常があるとか?」

「やっぱりそうよね。国外には知られていない変な趣味があるのかしら」


 デューレが悩めば、カディミアも同じリスクに思い至っていたらしい。


「そうですね。かつて毎日、使用人達を鞭打たないと気がすまないという残虐な性癖を持つ王族がいたこともあった筈です」

「どっかの国の貴族で、少年少女を数十人、城に閉じ込めて愛人にしてたって話もあったわよね」


 真面目に考え出したデューレに、カディミアも記憶を手繰り寄せた。

 カディミアが心細そうにすれば、自然に頭を撫でてくる。


「安心しなさい、カディミア。変な男をルートフェンに押しつけさせはしません」

「うん」


 デューレは、カディミアを他の男と結婚させる為に動きながら、それでも態度で愛していると伝えてくる王子だった。

 それはカディミアも同じことで、理性では未来のルートフェン王室の為に違う男と結婚すべきだからと動きながら、心はパッパルートの王子を求める。


(なんて馬鹿な私。こんな私が女王を目指すだなんて)


 自分とは結婚しないでほしいと頼み、それでいて人前では自分がねだっているかのように見せかけて・・・。

 そんな自分はなんて滑稽な王女だろうと、カディミアは自嘲する。

 カディミアが顔を上げれば、黄土色の瞳が見つめていた。


「ごめんなさい、兄様」

「たとえ私達がどうなろうとも、君は私のたった一人の王女です。その誇りを決して失わせることはしませんよ、カディミア」


 たとえ君が他の男と結婚してもと。

 そんなデューレの口にはしない言葉を、カディミアの心が拾っていく。

 はらりと、カディミアを戒めていた紐が全て解かれていった。


(ルートフェンの王女はもう一人いても、それでもそう言ってくれるから)


 ルートフェンの二人の王女、カディミアとエルネー。

 平等に可愛がっているようでありながら、デューレが特別扱いしているのはカディミアだけだ。


「すぐに文書をルートフェン国王に向けて出しましょう。本来、ルートフェン王女はパッパルート王子を迎えて王妃となる身であると。そうして時間を稼ぎ、兄上が戻ったらそちらに私も行きます。おじ上には、あくまでギバティ王国の出方を見る為の文書だと説明しておいてください、カディミア」

「うん」


 恐らく今からデューレはそういった文書を作成してくれるのだろう。


「どうせおじ上も、君がこちらに来て私がそれを出したとなれば、それぐらいはお見通しでしょう。いざとなったら撤回などどうにでもできます。ラルース王子が変な資質持ちでなければ、悪くない話ですからね。ただし、その文書は公的に残さぬよう、ちゃんと処理しておくのですよ、カディミア。前例にならぬように」


 こくりと、カディミアは頷いた。

 そうして何も言えずにカディミアが目を閉じれば、望んだ温もりが唇に触れてきた。咽喉の奥がツンと痛みを覚えて、窒息しそうになる。


(デューレ兄様。私が本当に結婚したいのは・・・)


 自分の頬を流れていくものが何かを見ないでほしくて、デューレの首筋に両手をまわして強く縋りついた。

 強く抱きしめてくる腕が、とても熱い。

 

(ああ、きっと・・・)


 デューレは思っていることだろう。カディミアとの口づけは、この砂漠の国には似つかわしくない海の味がする、と。






 ジンネル大陸の中央に位置するパッパルート王国。

 そこに広がるというルート砂漠は、まさに熱砂の砂漠とはこういうものかと思わせる一面の砂景色だった。


「凄いのね。こんなにも砂の世界が広がっているだなんて」

「話には聞いていたが、これがルート砂漠か」


 その広大な砂漠を上空から見るという体験をしてしまったイスマルクと遥佳の驚嘆も当然のことだっただろう。

 ルート砂漠の聖地を守る黒龍は、そんな二人に対して穏やかに語りかけた。


「やれ、本当に忙しいことよの。マーコットは他の幻獣や人間もいたものだから話しかけるわけにもいかなかったが。ハールカだけはこうして素直に我を頼ってくる子になってくれて嬉しいぞ」

「良かったわ。真琴、ちゃんとドラゴンに守ってもらえてたのね。だけどどうしてこっちに来てたのかしら」

「さあ、そこは分からぬ。だが、かなり甘やかされておったし、心配あるまいよ」


 ルート砂漠へやってきた真琴達には気づいていたが、優理と真琴だけならばともかく、その周囲に幻獣や妖精、そして優理の連れである人間がいたものだから、姿を現わすのもいかがなものかと思い、黒龍はあくまで見守るだけに徹していた。


「それにユーリともゆっくりお喋りしておったようだしな。どうしておなごとは、あんなにも長く話すことがあるのやら」

「ふふ、優理のことだもの。きっと無茶なお願いもあなたにしていそうよね。迷惑かけてたならごめんなさい」

「なんの。健やかに育っていてくれて、どれ程に安堵したことか。それにマーコットはもう大人になっておったようだが、ユーリとハールカは生き写しよの。性格の違いがなくば、どちらがどちらかなど、誰も見分けがつくまい」

「優理、長かった髪を切っちゃったから。今の私達、髪型もお揃いなのよね」


 黒い龍は、優理がこの国でやらかしたことをあえて言わなかった。

 話してみれば分かる。遥佳は優理と全く違う性格だと。

 まさか優理がこの国の王様を竜巻で上空に飛ばして運命の出会いとやらを画策したなどと、どうして話せるだろう。


(ハールカは遠慮がちな性格に育ったようだ。どちらにしても愛らしいばかりではあるが)


 ジンネル大陸への移動として、遥佳はイスマルクを伴い、青い鳥が守る聖地から、パッパルート王国にある黒い龍が守る聖地までの通路を使わせてもらったのだ。

 そうすれば一瞬で大陸を渡ることができる。


(他の飛べる幻獣にお願いすると、ヴィゴラス、傷つきそうだもの)


 それぐらいならパッパルート王国を通過し、ヴィゴラスの所まで自力で行った方がいい。


「さあ、ここからならば少し歩けば街がある。街道へ出る道も分かりやすかろう」

「有り難うございます。とても助かっちゃった。こんな砂漠、駱駝(らくだ)に乗っても、私、無事に抜けられなかったと思う。空から見てるだけでも広くって、本当に凄い景色だったわ」

「本当に。私まで乗せていただいて有り難うございました、守り人様」


 黒い龍に乗せてもらって、ルート砂漠の外れまで送ってもらった二人は、手を振って別れを告げる。


「今ね、青い鳥さんの聖地には私達が一緒に会えるような家を建ててもらってるの。もしも龍さんが許してくれるなら、こっちにも建てさせてね」

「大歓迎だ。楽しみにしていよう。何かあったらすぐにここまで逃げ込んでくるのだぞ。聖地は奥深くに位置するが、この砂漠程度の所までは迎えに来てやれるのだからな」

「ええ。頼りにしてるわ」


 ちなみに遥佳は、その青い鳥が守る通路近くに建てられた家をまだ見ていない。

 通路の近くではあるが、そこを通ってはこなかったからだ。

 けれども、あんなにも匠の小人(ドワーフ)達が自分達の家を造るのを誇りだと思ってくれるのならと、そう思ってしまう。


(というか、他の匠の小人(ドワーフ)族の集落からお願いされちゃったからなだけなんだけど)


 遥佳が今住んでいる湖近くの家を建てたのはヴィゴラスが暮らしていた岩山の近くにあるドワーフ族だったが、他の場所にもドワーフ族は集落を作っている。

 そちらから、涙ながらにお願いされてしまったのだ。

 自分達にもその仕事をさせてほしいと。そちらのドワーフ族の仕事に負けない自信はあると。

 そうして遥佳はそういったお願いに弱かった。断りきれない、とも言う。


『えーっと、ならハールカ。ハールカの使う家じゃなく、ユーリ様やマーコットの家を建ててもらったらどうだ? 通路を使えばすぐに行けるんだろう? ならば建材も運べるだろうし、そちらで作業してもらえばいいわけだし』

『そ、そうよね、イスマルク。あのね、私じゃなくて、私の姉妹の家じゃ駄目?』 


 勿論、それに否やはない匠の小人(ドワーフ)族だ。

 たしか真琴は白い亀が守るマジュネル大陸の聖地近くに暮らしている筈だ。

 今はヴィゴラスを迎えに行くのが先決だからと、そしてその打ち合わせは通路の番人でもある青い鳥としてほしいと頼み、遥佳はゲヨネル大陸を出てきたのである。

 自分が戻るまでに建材を通路の近くにまで運んでおいてもらえば一気に運べる。


(本当にヴィゴラスったらどうしてあんなにマイペースなのかしら。言ってくれなきゃ分からないことはあるのに。私だって心の全てを見ようと思う程、無神経じゃないんだから)


 色々と思うことはあるし、会ったら何を言おうかと、それすらもまだ決めていない。

 けれども遥佳は、家出したグリフォンを迎えに、パッパルート王国に降り立ったのである。






 砂漠の日差しはきつい。だから誰もが全身を覆う布で日光を遮断する。

 イスマルクと遥佳もまた、大きめな布を軽くかぶって歩いていたが、注目されていることには気づいていた。


「黒髪が珍しいのかな。ここの国はベージュ色の髪が多いようだが」

「そうね。砂の国だけあって、人の姿も砂の色って感じだわ。とてもエキゾチック」


 そんな二人はほのぼのとした会話をしながら、どこか街道筋に出て貸し馬屋を見つけるつもりだった。

 だが、しかし。


「そこのお二人っ。待ってもらいたいっ」

「・・・っ!?」


 急いで駆けてきたらしい男達の一行に、二人は取り囲まれた。

 警戒心も露わに、イスマルクはその背に遥佳を庇う。


「いきなり何事だっ。白昼堂々と強盗かっ!」


 大音声でイスマルクが問う。

 それは目立つ為だ。注目を集めれば、抑止力になる。

 腰につけていた剣は、ほとんど護身用だ。これだけの数を自分一人で相手にできるだろうか。

 けれども遥佳は決して傷つけてはならない存在である。

 自分達を取り囲んだ男達を順々に睨みつければ、誰も彼もが屈強な男達だった。

 イスマルクの心臓が緊張に引き絞られる。


(厳しいな。ここは神殿の名前を出すべきか)


 ちゃっかり神官のメダルは持ってきているイスマルクだ。神官は辞めたが、遥佳を守る為ならば身分詐称など大した問題ではない。

 第5等ならば十分にパッパルート王国の神殿にも協力を頼める筈だ。

 そこまで計算すると、自分は神官であると、それを傷つけるとはそれでも女神を信仰する人間かと、イスマルクは大声で問おうとした。

 しかし、それよりも彼らの行動の方が早かった。


「頼むっ。そこのっ、ユーリ様にお願いがっ」

「どうかお願いしますっ。ここの井戸を・・・!」

「ユーリ様ならば水脈も分かると聞きましたっ」


 イスマルクの意気込みとは裏腹に、いきなり男達が、がばっと地面に膝をつく。


「へ・・・?」

「え、ユーリって、優理?」


 イスマルクと遥佳は顔を見合わせた。


「国王様がお連れになった、悲運の姫君だとお聞きしておりますっ。どうかお願いいたしますっ。ここの街の井戸を甦らせてくださいましっ」

「どうか・・・っ」

「そのお命を狙う輩から身を隠す為に、国王様と失踪なさったと聞いておりましたっ」

「不届き者には指一本触れさせはしませんっ。ですからどうかっ」

「どうぞ、そのお力を・・・!」

「どうか私達にお慈悲を・・・」


 その騒ぎを聞きつけ、周囲にいた人々も次々と膝をついていく。

 イスマルクは呆然としてしまった。


「ちょっとちょっと、イスマルク」

「あ、うん」


 そこへ背後にいた遥佳がちょいちょいとその袖を引っ張る。

 二人はこそこそと囁き合った。


『これって・・・。どうしたらいいの、イスマルク』

『どうしたらって・・・。そのユーリ様ってあのユーリ様、だよな?』

『そうよね。私の顔とそっくりなら優理だわ』


 ここで自分は人違いだと言ってもいいものだろうか。

 その場合、名前を問われたらなんと答えればいいのだろう。

 遥佳もおろおろとしてしまう。

 

『しかも王様と一緒に失踪って、何なの一体。どうして優理、そんなことになっちゃってるの』

『いくら何でもユーリ様がそんなこと・・・』

『するかも。ううん、したからこうなってるのよ。だって私と同じ顔でユーリって名前で、それで人違いはあり得ないわ。何より砂漠の国で井戸を復活させたんでしょ』

『そうだな。だが、どうしたものか』

『まあ、井戸が涸れて困ってるなら、それぐらいなら別に私でもやってあげられると思うんだけど』


 今や、立っている人間はイスマルクと遥佳、二人だけだ。


『というよりイスマルク。ここ、逃げられる自信、ある?』

『はっきり言えば、ない』


 周囲の人達は、全員が膝を地面について、眩しそうに遥佳を仰ぎ見ている。

 その顔に浮かぶのは、期待と熱望。

 これに背を向けて立ち去れる人間がいるだろうか。いや、いる筈がない。


「あのお方が、新しい水脈を示し、そうして涸れた井戸をも甦らせた姫君、ユーリ様だ」

「国王様がお連れになったという運命の姫君」

「なんと有り難いこと」


 水の大切さは遥佳も分かる。

 だから優理も見過ごせなかったのだろう。ただ、それが大きな噂になりすぎただけで。


「あ、あの・・・。皆さん、まずは立ち上がってください。私、別にそんな姫君じゃありませんけど。とりあえず、その井戸が涸れたというその場所はどこですか?」


 遥佳が周囲にいた人達に問えば、誰もが顔を輝かせた。


「ユーリ様っ。ああ、やっぱりあのディッパ様が見つけてこられた姫君ですものっ。信じておりましたっ」

「喜べ、みんなっ。これでうちの街も救われるっ」


 二人を取り巻く歓声が、わあぁっと響き渡り、どんどんと周囲に伝染していく。

 万歳、やったぁといった言葉の数々が、空気を揺るがした。


(優理。あなた、一体なんてことしてくれたのよ。どうして姫君なの。しかも王様とどこに行っちゃったのっ?)


 だけど人違いだと言って、自分の名前を出すようなことはできない。

 まだ水脈に明るいというユーリという名前の娘がいたというだけなら大したことではない。だが、ここで同じ顔をした、しかし同じ能力を持つ娘がいるとなると、双子説は即座に三つ子を連想させてしまうだろう。

 それこそ自分達の正体が露見しかねない。


『し、仕方ないわ、イスマルク』

『そうですね。今からユーリ様と呼びますから』

『様はつけないで。だって、そのわけの分からない姫君設定がつくもの』

『じゃあ、ユーリで』

『ええ、お願い』


 周囲の大歓声に、ついびくびくとなってイスマルクの腕に掴まってしまう遥佳だが、それだけ期待されている気持ちが自分に押し寄せてくるのを感じてしまえば、どうして見捨てていけるだろう。

 彼らの心を読めば、どうやら優理は涸れた井戸の場所へ行き、違う場所に井戸を掘らせ、そうして新しい井戸を作るのと同時に涸れていた井戸をも復活させたらしい。

 それならば自分も同じことはできるだろう。


(だからってどうしてそこで王様と駆け落ちしてるの、優理?)


 あの優理に逃走だなんて似合わない言葉だ。自分ならともかく。

 しかもどうしてパッパルート王国の流れをくむ姫君とかいう話になっているのだろう?

 遥佳は、頭からかぶっていた布を深めにかぶりなおした。

 そうして精一杯、優理のように、あの居丈高な調子を真似てみせる。


「その場所を案内してちょうだい。まずは見せてもらわないと何も言えないわ」


 ああ。こんなの、自分のキャラじゃないのに・・・。

 どうしてこんなことになっているのだろう。


(優理の馬鹿っ。考えなしっ。・・・だけど今の私は優理。優理の真似するとして、やっぱりここは要求をどんっと先にすべきなのっ?)


 相手の足元を見るようなことは言いたくないし、大きな態度に出るのも苦手だ。

 それでも水が足りずに苦しむ人達を放ってはいけない。


「彼は私の兄なの。引き離されるのなら行かないわ」

「引き離すなどいたしません。どうぞこちらへ」


 遥佳はその一歩を踏み出した。



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