↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/281

83 小猫は心破れた




 南にあるディリライト島は暑いだろうと覚悟していたが、たしかに気温は高いものの、そこまで過ごしにくいわけではないことに、カイトはほっとしていた。

 そしてひょんなことから飼い始めた小猫との暮らしにも慣れてきている。

 小猫は賢く、カイトの肩の上からそうそう飛び出していかないものだから、鳥籠は宿舎の玄関に飾られたままだ。全く使われていない。

 ルーシーも小猫は鳥籠に入れておかないと危険ではないかと思っていたのだが、本当にカイトには犬など寄ってこないのだと知り、それについては何も言わなくなっていた。

 そうして借りている家に戻って食事を終えれば、カイトも眠たそうな小猫に笑いかける。


「今日は沢山遊んだんだろう? さっきから欠伸ばかりだな。ほら、もう寝ろ」


 今日はタイキがずっと一緒だったので気が抜けなかった小猫は疲れていた。

 色々な船にも乗せてもらったし、案内も楽しかったのだが、やはりルーシーと違って全面的に自分を預けるというわけにはいかない。

 だからカイトに連れていかれた揺りかごで、くてっと目を閉じてしまう。


「なんでどいつもこいつもこんな猫にこだわるのかねえ」


 人懐こい小猫だし、賢いかもしれないが、猫は猫だ。

 本当に人間とはおかしい感性を持っているとしか思えない。どうしてこんな小猫にあそこまで絡んでくるのか。


(こいつのおかげで調子が狂っちまったな)


 そんなことを思いながら、カイトが小猫の頭を指先で撫でれば、目を閉じたまま、小猫が前足でカイトの指にじゃれつく。


「こらこら。ちゃんと寝ろ」


 声を掛ければ、にゃごにゃごと口の中で呟いて小猫はカイトの指を甘噛みしてきた。


「困った子だな。いい子でおやすみ」


 その指先で口元や咽喉を撫でてやれば、幸せそうに甘えた顔になる。

 あまりにも素直で感情を隠さないこの生き物に、カイトは心癒されていた。


(寝る時ぐらい、首輪も外しといた方が楽だろ)


 カイトはブレスレットを棚の上に置く。すっきりした首の周りを撫でてやれば、小猫も体の力を抜いた。

 気持ち良かったのか、前足の力もぽてっと抜いて、小猫がすぴすぴと寝息をたてる。

 それを確かめてから、カイトはきちんと戸締りをして家を出ていった。




 ドモロール王国の宰相こそが、カイトの本来の雇い主だ。現在、カイトはドモロール王国軍に雇われている形をとっているが、実は宰相の手駒である。

 互いの情報交換は、通常の手段と別にもう一つ作ってあった。

 現在の状況を認(したた)めた報告書を持って、ある男の家に行き、カイトはその家の窓にその封をした手紙を投げこんでおく。

 顔を見せないのは、互いを知らないようにしておく為だ。そうしてカイトは決められた場所に行き、そこに置かれていた宰相からの指令書を受け取る。

 カイトは海岸に行き、月明かりだけでその文面を読んだ。


「神子姫が使っていた服を手に入れろって、・・・何の為にだよ。変態か、あのジジイ」


 いや、その理由は分かっている。要は、そのにおいを覚えこませて犬に追跡させるのだろう。

 神子姫の一人はジンネル大陸にいる。ならばにおいを覚えこませた犬と服とを持って、様々な地域に赴けば、見つかる可能性が出てこないとも限らない。

 たしかにジンネル大陸全体で考えるならば難しいが、便利な首都に絞れば無茶とも言い切れなくなる。

 それはとても気の遠くなるような作業だ。同時に不可能とも限らない。


(見つかってしまうかもしれねえと分かってて、どうして実行できるかっつーんだ)


 けれどもやらないわけにはいかないのだ。

 カイトは、その手紙を破り捨てて、海へと流した。これで証拠は残らない。

 そんなカイトの様子を、事細かく風の妖精(シルフ)が報告していることには気づかずに。


(さて。厳重に仕舞いこまれていたからとか言って、適当な服を見繕うか? とはいえ、高貴な姫君は香水を欠かさない。どうするかな。わざと違う香りをつけるのも一つの手だが)


 風の妖精(シルフ)は基本的に家の中まで入ってこないが、その周囲や上空を常に飛び回っている。

 だからカイトが一人で出ていった時点で家の中へと入りこみ、それを真琴に知らせていた。


「そうなんだ。だけどカイト、・・・遥佳の服、盗むだなんて変質者みたい」


 服なんてどうするんだろうと、眠いので欠伸をしながら真琴は小首を傾げる。パンツじゃないだけマシなのかもしれないけれど。






 借りている小さな家に戻ったカイトは、軽く体を水で洗い流し、寝台で寝転がった。

 小猫は揺りかごの中ですやすやと寝ている。何も考えないでいいのだから、猫とは気楽な商売だ。


(だが、あの分じゃ毎日のように猫の名前を持ち出してきかねねえ。何なんだろな、あいつらって)


 しかもタイキはにこにことしながら言葉攻撃を繰り出してくるのだから、地味にダメージを受ける。


『そんなに「ルー」という名前が嫌だなんて、実はルースさんのことを好きなんですか? ああ、ご本人の前で訊くべきじゃありませんでしたね』


 あんなことを言われた日には本気で、「そこまで俺は悪趣味じゃない」と、言いそうになったぐらいだ。


(なんで俺、こんな目に遭ってんだろう。というか、この猫(こいつ)を押しつけられてからが、全ての始まりだったような・・・)


 実はこの小猫こそが疫病神じゃないのだろうかと、そんなことを思いながらカイトは眠れぬままに目を閉じて考え続けていた。

 神子姫が使っていた服ならば、滞在していたというディリライト邸に残っているのかもしれない。だが、そんなものを盗み出せと言われても、どの服がどれだなんて自分にどう分かるというのか。

 そこへするりと、小猫が自分の傍へやってきたのが分かった。

 目を覚ましてカイトの枕元へと移動してきたらしい。


(あれ程、潰しちまうからやめろって言ってるのに。やっぱり猫は馬鹿なんだな)


 そう思いながらも、今日はまだ寝ていなかったカイトは手を伸ばして小猫の頭を撫でてやった。

 小さく咽喉をごろごろと鳴らしながら、小猫がカイトの頬に顔を擦りつけてくるから、その毛が鼻に入ってくしゃみしそうだ。

 そんなわけでカイトは小猫を片手でひょいっと自分の腹の上に移動させた。


「大人しく寝ろ。・・・マーコット。俺が戻ってきたから起こしちまったか? だが、まだ眠いだろ?」

「なー」


 腹の上でその小さな毛玉を撫でていたら、てんてんと勝手に胸部へと移動してきて、首元にまでやってくる。

 そしてちろっとカイトの顎や首を舐めてきたものだから、かつて獣人ではあり得ない程に恐る恐るといった様子で同じことをしてきた存在を思い出した。

 今も彼女は笑って暮らしているだろうか。


――― マコト・・・。


 小さく、カイトは呟いた。

 鎖骨の上にいた小猫を両手で包むようにして奥側へと移し、自分の体を横向きにする。

 カイトの手の温もりに安心してしまったのだろうか。大人しくなった小猫を、潰さないように枕の窪みに寝かせてやれば、そこを寝場所だと理解したようだ。くるりと丸まってしまった。

 本当に、気が向いたら起きて、気が向いたら寝る猫は幸せでいい。


――― 愛してる。今もお前を・・・。


 声を乗せない吐息だけの言葉は、誰も受け取る人がいない己の未練だ。

 いつもは騒がしい小猫すら静かに眠るこんな夜には。

 やがてカイトを深い眠りが包んでいった。




 今朝の小猫はとてもご機嫌だ。

 いつもよりにゃごにゃごと甘えてじゃれついてくる。


「どうした、マーコット。楽しい夢でも見たのか? だが、火を使ってる時には危ないから離れとけ」


 カイトがそう言っても纏(まと)わりつくものだから、諦めてカイトは自分のシャツの中に入れてみた。

 ベルトがあるからシャツから落ちたりはしないだろう。

 カイトの腹部とシャツとの間に入れこまれた小猫は狭い場所が気に入ったのか、それで大人しくなった。

 こんな小さな猫の爪なら、カイトの腹が傷つくこともない。


「よく寝たからか? まさか発情期じゃないよな。さて、砂出しもできてるし、今晩は貝のオイル煮だ。お前、パンと一緒に食べるの大好きだろう? 夕食は楽しみにしとけよ」


 シャツの上から撫でてやれば、甘えてにゃーにゃーと鳴くものだから、本当に羨ましくなってしまう。


(食べることと寝ることだけ考えてりゃいい猫たぁ、本当に幸せだよな。こんなのをどうこうしようって考えるあの跡継ぎも、食おうとするあの女も、全く救いようがねえ)


 朝ご飯なので、フルーツと野菜を角切りにして混ぜ合わせたサラダ、オムレツを手早く作ると、席に着いたカイトはゆっくりとコーヒーを飲む。小猫にはミルクだ。

 ちゃんといつものお気に入り食器に入れてあげたのに、カイトの膝の上から動かず、小猫がにゃごにゃごと甘えてきた。

 諦めてカイトは大きなスプーンに小猫の食事を掬い、その口元に運んでやる。


「どうした。今日はいつもより甘えん坊だな。何かあったのか? ん?」

「なーっ」


 からかうように声をかけて頭を撫でれば、小猫はカイトを見上げてとても楽しそうだ。

 その姿に心を癒されながら、カイトは小猫には右手のスプーンで、自分には左手のスプーンで食事をすませていく。

 その日の小猫は小隊長のドカートンに対しても、いつもより愛想がよかった。


「おお、猫。今日も元気だな。ならば幸せの黄色い首輪にしてやろう」

「にゃんっ」


 未だに療養中の騎士達の部屋にも小猫は訪れ、いつもよりも多い空中回転を披露してきたらしい。


(どうしてお前はそう訳が分からないままにいきなり元気なんだ? 何が楽しいんだ? それを教えてくれれば、いつもご機嫌にしてあげられるんだが)


 そう思うカイトだったが、小猫の考えることなど分からない。

 しかも夕方、市場に寄って帰ろうとしたら、なぜか女性用の服を売っている店の前で、にゃーにゃーとそれを示された日には、本気で目が点になった。


(猫に服なんていらないよな? それともこの、ひらひらしたのがいいのか? だけど首輪レベルのリボンならともかく、こんな布なんて埋もれるだけだろうに。やっぱり賢いってのは嘘じゃないのか? 単に言葉を理解しているように思える動作だっただけで、こいつはやっぱり何も分かって馬鹿な猫じゃないのか?)


 さすがのカイトも、猫の為に服を買ってあげようとは思えない。

 仕方がないので、似たような小さな布を他の店で買った。

 そして小猫の背中を覆うマントみたいな感じにして簡単に縫ってみる。


「ほら。これでいいだろ? うん、こういうのも可愛いな。だけど何かに引っ掛かったら危ないから、家の中だけにしとけよ」

「・・・・・・んみゃ」


 せっかく遥佳好みの服を教えてあげたというのに、背中に風呂敷みたいな感じでマントを取りつけられてしまった小猫は、がっかりしてしまった。


(だってカイト、遥佳の服を欲しがってたから・・・。これ、遥佳が好きな感じなんだけどって、言いたかったんだけどっ。その辺りは愛の力で察してくれてもいいと思うっ)


 小猫は訴えたい。

 違う、違うのだ。

 自分が着たかったわけではないのだ。これでも自分はカイトの為に役立とうと・・・。

 役立とうと、・・・・・・無駄な手間だけ増やした小猫だった。


(自分からは見えないから嫌なのか? 我が儘な奴だな、猫。首のリボンだって自分じゃ見えないくせに)


 朝とは打って変わってしょんぼりした背中が小猫の落ち込みを物語る。

 小猫の為、夕食後にちくちくと縫ってあげたというのに、カイトもいささか虚しい。


(やっぱりあのひらひらしたスカートじゃないと嫌だったのか? だが、こっちの服はスカートに見えてキュロットタイプだし、猫には穿(は)けないだろが。トイレとかどーすんだよ、おい。そもそもウェストのない猫がどうやってスカートを穿くというんだ)


 だからカイトはマントのようにしてあげたのである。

 ちゃんと似たような色合いの布を選んだつもりなのだが、残念ながら小猫はあまり喜んではくれなかった。






 その朝、タイキは弟カシマと暮らしている塔の窓を開けに、最上階にある部屋へと行った。

 別に最上階でなくても十分に見晴らしのいい塔なので、もっと下にある部屋をタイキとカシマは使っている。

 というのも、忘れ物や何かを取りに行く度に長い階段を使うのはかったるいのだ。

 きっと今までの使用者もそう思っていたからだろう。最上階は最上階で私室仕様だが、ちゃっかり二階と三階にもそんな私室仕様となっている部屋がある。

 そうしてタイキは、ガチャッと最上階の部屋の扉を開けた。


「・・・はい?」


 なんということだろう。

 特別な部屋として定期的に掃除させていた部屋は、床に持ち帰り用深皿(テイクアウェイ)の惣菜が全て食べ終えられた状態でどっさりと転がっている。

 様々な空き瓶も机の上に並んでいた。

 しかもまさに、「お部屋でどんちゃんパーティーしちゃいました」な犯人達は、大きめな寝台ですやすやとお休み中である。

 と言っても、一人の方は目を覚ましていたらしく、寝台の上で上半身だけ起こした状態でタイキを見返してきていた。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


 見つめあったまま、どちらも無言だ。


「おーい、兄上。どしたのさ。窓が開かないなら手伝おうか?」


 どうしたものかと思っていたら、カシマが軽やかな足取りで階段を駆け上がってくる。

 そうしてカシマも部屋の手前で立ち竦んでいるタイキの背後から室内を覗きこみ、沈黙してしまった。


「さっさと扉を閉めて出ていけ」


 寝台の上で座っている黄土色の髪をした男が、二人に鋭い視線を向けてくる。

 タイキとカシマはこの塔の所有権について、つい考えてしまった。

 どう考えても不法侵入者だ。だが、どうやってここに入りこんだのか。

 昨日の昼過ぎに窓を閉めた時には、誰もいなかったのに。


「その前に、これはどういうことかと尋ねたいんだが?」

「うるさい。彼女が起きたらどうしてくれる」


 寝台の奥側で幸せそうに寝ている人間を起こすなと、そういう意味のようだった。

 その会話を耳が拾ってしまったのだろう。


「ん・・・」


 その寝ている娘が、身動(みじろ)ぎする。


「んー。あーさぁ?」

「いいや。まだ朝じゃない。まだ寝ていてかまわない」


 タイキに向けるのとは打って変わって、黄土色の髪をした男は優しげな声をかけた。


「いや。誰がどう見ても朝だろ」


 カシマが呟いた。

 目を閉じたまま、大きな欠伸をして腕を「んー」とか言って伸ばしている娘は、どうやら起きるつもりらしい。

 もそもそと寝台の上で上半身を起こすと、寝ぼけた瞳で同じ寝台にいる男を見た。


「おはよう、ヴィー」

「おはよう、ユウリ殿。眠いならまだ寝ていた方がいい」

「んー、起きる。市場とか行きましょ。朝ごはんやってる筈だもん」


 ふわぁぁっと、大口を開けて欠伸を連発している娘は、そこで扉の方を見る。


「あれ?」

「・・・おはよう、可愛いお嬢さん。歓迎しますよ。俺はタイキ、こっちは弟のカシマ。言ってくだされば、ちゃんとあなたの為に食事ぐらいご用意させていただいたものを」

「なんだか変わった食べ物が多いものだから、つい色々買いこんじゃったの。えーっと、初めまして。おはようございます。とりあえず私のことは、ハールカと呼んでください」


 遥佳とそっくりな顔をした黒髪の娘は、そう自己紹介した。


「いや、今、そこの男、ユーリって呼んでたよな? そりゃあ顔はそっくりだがハールカじゃあり得ねえだろ。いくら同じ顔でもそりゃ無理があるだろ。ハールカはんなことやらかさねえ」


 カシマがそうぼやく。


「男が小さいことを気にすんじゃないわよ。だって、ハールカの名前が出回った以上、そっちを使っておいた方がいいじゃない。私の名前は出したくないの。面倒臭いでしょ」

「そうなると、俺もハールカと呼んだ方がいいのか?」


 黄土色の髪をした男が、ライムグリーンの瞳を向けて尋ねる。


「ええ、そうよ。そうしてちょうだいね、ヴィー。今から私はハールカなのです」

「分かった。じゃあ、ハールカ。市場に行くなら着替えよう」


 部屋の隅に置かれていた荷物の中から服を取り出し、寝間着姿だった男は人目を気にせず着替えてしまう。

 着やせしているがいい体だなと、カシマは思った。


「いや、ちょっと待ってくれ。朝食ならうちで出そう。えーっと、つまりハールカということでうちに滞在するということでいいんだな?」

「滞在というか・・・。ちょっと時間が空いたから旅行に来てみたの。こっそりこの部屋に寝泊まりだけするつもりだったのよ。気づかないフリしててくれれば、勝手に過ごすわ」


 ヴィゴラスがいれば旅費も必要ない。優理はせこい経済観念の持ち主だった。

 旅費は無料(タダ)、更に寝泊まりも勝手に父の部屋を使えば食事代金しかいらないわけで、それはどこにいようと同じことだ。

 そう算盤(そろばん)を弾(はじ)いたまではいいが、優理の誤算はタイキ達がこの塔を使っていたことだった。

 しかしそれは別に大したことではない。臨機応変という言葉はそういう時の為にあるのだ。


「そんなことをせずとも、堂々と滞在していただきたい。ハールカもそうだったが、あまり宴会などは好きじゃないというのであればそれに対応するし、反対に嫌いじゃないならいくらでも盛大にやらせていただこう」

「ありがとう。だけど私、普通にしてくれると嬉しいわ。だって、わずらわしいのって嫌でしょ?」

「ならば、ハールカともユーリとも違う名前を使えばいいことでは?」

「偽名を使う程、名前を恥じてなんかいないわ。なら、ハールカの名前ですませておいた方がいいじゃない」


 どうせ遥佳はゲヨネル大陸にいる。ならば安全だ。

 そう思う優理は合理的な考えの持ち主だった。自分の名前は出回っていないのだ。しかし遥佳の名前は出回っている。となれば、それを使った方がいい。


「なるほど。ならばハールカ。朝食はうちの邸でいかがだろうか。どうせ俺達も今から朝食だ。・・・客室はこの塔でも本邸でも、お好きな方に用意させてもらうが」

「ありがとう。私、この塔がいいわ。そしてね、ヴィーは私の護衛をしてくれてるの。だから近くの部屋にしてくれる?」

「分かった。着替えたら下に」


 扉を閉めて階下へ向かい、カシマはタイキに問いかけた。


「とりあえず俺はここの客室の掃除と朝食の追加を言ってくるけど、・・・母上、どうしよう?」


 カシマは、母親のカリンが、遥佳が神子姫だと知った後の凄まじい混乱ぶりを思い出さずにはいられない。


「父上に任せよう。ハールカという名前のハールカじゃない客人は、普通の滞在をお望みだと」

「分かった」


 息子達は、父親を母親からの防波堤にすることを即座に決めた。

 たたたたたっと、カシマが足早に塔を出ていく。

 それを見送って、タイキはこっそりと溜め息をついた。


(どうせ最後まで隠し通せる筈はない。だからハールカの名前を使う。なるほど、それは納得できる理由なんだが、・・・俺、また縁談攻撃を浴びせられるのか)


 朝からちょっとブルーになってしまうタイキだ。

 どう見ても、遥佳より大人しくなさそうな三つ子の一人。


(ユーリって、たしかあの、厄介な男に家の扉を破壊されて家財道具や全ての物を盗まれたとか言ってた姉だよな。その男をぶん殴るとかって話だったか。とりあえず怪我もなく元気にここへ来てるんだから、ぶちのめしたんだろうが)


 しかも、神子姫を求めているドモロール王国軍はまだ素性を明らかにした上で滞在しているからいい。

 だが、実はこのディリライト島には、その身元を明らかにしないまま、似たような神子姫目的の人間がそれなりに滞在している。


(さて、どう出し抜くべきなのかねえ。陰から護衛をつけるとして、彼女は世界中が希求する神子姫様だ。かといって、素性を明らかにしないままにこの塔で過ごしてもらったら、今度は俺の愛人候補と思われかねなかったし)


 観光にしてもタイキ達がついていれば皆を収められるだろうが、それこそ皆が拝み始めてしまうかもしれない。

 こうして考えると、姪ということで好きに過ごしてもらっていた父は凄いと、改めてタイキは感心した。






 小猫は、信じていたのだ。

 その心を理解し勇気づける、そんな存在として寄り添い続けた自分を彼が裏切る筈がないと。

 だから手招きされて、一番可愛らしいという真珠が縫いつけられたリボンの首輪をされた時もにゃーにゃー鳴いてお礼を言ったし、お出かけしようと言われて鳥籠に入れられた時も大人しく入った。

 なのに・・・。

 なのに、そんな自分の信頼を彼は裏切ったのだ。

 小猫の信頼を、ぽいっと、ぽいっと、ぽいっと道端に捨てて、そうして小猫を売りはらった・・・。


「ねっ、猫っ、猫っ、・・・鳥籠に入った猫っ、ぷーっぷぷぷぷっ」

「ふむ。なかなか愛らしい。このまま持って帰ろう。きっとハルカも喜ぶ」

「その前に出してよっ。信じらんないっ。人をっ、人をっ、・・・優理に差し出すなんてぇっ」


 ばんばんとテーブルを叩き、お腹を抱えて笑い転げる優理だが、ヴィゴラスは鳥籠ごと小猫を大事そうに抱えてしまった。

 優理はディリライトならではの綺麗な衣装にヴェールをかぶっていたが、先程までの淑(しと)やかさなど今は欠片も残っていない。

 他人のいない塔の中だからだ。

 そしてヴィゴラスは、まるで騎士のような格好をしていた。


「これが、手土産というものなのだな」

「ちがーうっ。私はカイトのとこに戻るのーっ。さっさと出してよ、優理っ、ヴィゴラスっ」

「駄目でしょ、真琴。今の私はハールカなのです。いいじゃないの。ドモロールの小隊長さん、この貴重な小猫をどうぞ私にって持ってきてくれたんだし。あなたは私のペットなのよ、もう。・・・ぷぷぷぷーっ」

「優理のばかぁーっ」


 今の優理は、ここに居た時の遥佳のように薄いヴェールを頭からかぶっているが、いくら遥佳だと言われても真琴が誤認する筈もない。

 現時点で塔は優理だけに明け渡され、タイキとカシマは本邸の部屋に戻っていた。

 そうしてディリライト邸の様子をうかがうことが日課だったドモロール王国軍の小隊長ドカートンは、ディリライト邸の使用人達が生き生きとした様子で慌ただしく動いていることから事態を察し、早速とても貴重だといわれる小猫を献上しに来たのである。

 そしてディリライト邸で、面会を求めてきた小隊長と対面した神子姫ハールカは、

「まあ。こんな愛らしい小猫を・・・」

と、喜び、

「ありがとうございます。可愛がらせていただきますわ。こんな珍しい猫をご存じでいらしたなんて、ドモロール王国の方は見る目がありますのね」

と、ドカートンに親しくお言葉をかけられた、というわけである。


『おお。この猫の価値は分かる人にしか分からぬそうですが、まさにそうでありましたか』

『ええ。実はこの小猫、この世界に一匹しかいない猫なのですわ。とても貴重なのです』

『なんと世界に一匹、ですか』

『そうですわ。他にはいませんの』


 そこまで貴重とは思わなかったドカートンが、喜んで帰っていったのは言うまでもなかった。

 あと少しご機嫌伺いを重ねて、そうしていずれはドモロール王国へのご来臨を賜りたいと願い出る気満々である。

 早速、本国にも報告の早馬を出した。


『おじさま。私、ちょっと疲れてしまいましたの。この猫をもって塔に帰ってもいいかしら』

『おや、その猫は・・・。お顔が崩れておられますぞ。いや。私に気を遣うことなどなく、どうぞ此度(こたび)も同じようにお好きに過ごしてもらいたいものですな、ハールカ姫。あなたは私の大切な姪なのですから』

『ありがとうございます』


 そうして鳥籠に入った小猫を連れて塔へ戻って来た途端、優理は爆笑した。


「あー、お腹痛い。笑うの堪えてたからとてもお腹が痛かったわ。本当に何なのよ、真琴。鳥籠なんかに入れられちゃって。何やってるの、あなた」

「いっ、いいじゃないっ。優理こそ、何を遥佳の真似っこしてんの。そんなのバレない筈がないでしょっ」

「バレないわよ。私達を見抜ける人間は口を閉ざしてくれる筈だもの」

「こういう姿もいい。マコト、シルバータイガーより俺と一緒にゲヨネルへ帰ろう」


 鳥籠から出ても、ヴィゴラスの両手に確保されて小猫は頬ずりされている。


「ちょっとヴィゴラス。放してってばっ」

「最近、ハルカが足りなかったのだ。ユウリ殿は美学がどうこう言って、人前では俺に抱き抱えられて撫でられるのは嫌だと言う。だからマコトで補充しておく」


 遥佳と離れ、ヴィゴラスはそのぽっかりと空いた心の穴に耐えられなくなっていた。


「そんなの遥佳を使いなよっ」

「ハルカはゲヨネルだ」

「私はカイトの所に戻るのっ」

「あ。それ無理よ、真琴」


 あっけらかんと優理が指摘する。


「なんで猫になってたか知らないけど、つまりあなた、自分の姿でカイトさんの所にいないんでしょ? そしてカイトさんの上司である小隊長はあなたを私に献上してきちゃった。じゃあ、戻れる筈ないじゃない」

「・・・・・・・・・ひどい」

「いいじゃないの、私の所にいれば。どうせここは南国で、しかも私は神子姫様。なら、二人がいることで草木の成長が激しくてもあなたが疑われることないわよ。こんな自然に囲まれた場所じゃ、その姿でも色々とあったんじゃない?」

「う。別にそんなの・・・。南の島だからこんなもんなんだろうって、カイト、思ってたし。それに、シルフに鎌鼬(かまいたち)で草刈りしてもらってたし」


 少しずつ小猫の口調は弱くなっていった。


「自分を欺(あざむ)いて生きていくだなんて辛いばかりだろう、マコト。そんなシルバータイガーにいつまでも義理立てしていても仕方あるまい。大丈夫だ、俺はマコトが猫でも愛してる」

「ヴィゴラスが一番愛してるのは遥佳でしょっ」

「その通りだが、マコトも愛してるからかまわない」


 普通の男性が女性二人に言おうものならとんでもない修羅場になるようなことを、堂々とヴィゴラスは主張する。


「そういう問題じゃないっ」


 あふっと欠伸してから、優理は茶を淹れ始めた。


「それよりいいかげん人の姿に戻ったら? いつまで猫でいるのよ」

「服がないんだけどっ」

「あ、そっか。だけど今の真琴じゃ、私の服だと小さいわよね。いいわ、やっぱり猫でいなさいよ。大した問題じゃないし、真琴の今の顔を見られるのはまずいもの」

「へ? そうなの?」

「そ。だって、私と遥佳も大人になったら今の真琴みたいな姿になるでしょ。だからそっちの姿はバレない方がいいわ。面倒臭いわよ、どこに行っても指名手配されてるのって」

「う。そうかもしんない」

「まだ真琴はいいけどね。違う生き物になれるもの。だけど遥佳なんて、そっちの姿の情報が出回ったら、確実に出かけられなくなるじゃない」

「そうだね。じゃあ、猫でいいや」


 遥佳を持ち出されると真琴も弱い。

 即座にそのままでいいかと思い始める。


「それよりどうして優理とヴィゴラスが一緒に来たの? 遥佳はどうしたの? なんでヴィゴラス、人の姿になってるの? しかもヴィゴラス、どうしてヴィーって呼ばれてるの?」


 ピッチャーに入っていた冷茶を、優理はカップに入れた。

 それぞれに勧めてから自分も一口飲む。


「ヴィゴラスの名前は珍しいでしょ。だけど遥佳が連れていたグリフォンの名前ってことでディリライトでは広まってる様子だったから、人前ではヴィーって呼んでるの。グリフォンを連れていたら警戒されるけど、護衛が一人ぐらいなら誰もが油断してくれるじゃない。だから人の姿でいてもらってるわ。遥佳はゲヨネル大陸にいるけど、今、ヴィゴラスは遥佳の為に人間づきあいのやり方を覚えているところなの。そして私はちょっと時間ができたから、その暇潰しに誘拐されにきたのよ」

「・・・・・・ごめん、後半の意味が分かんない」


 小猫は、途方に暮れた顔になった。


「別に人間づきあいも何も、ヴィゴラス、遥佳やイスマルクとうまくやれてるから問題ないでしょ。そして誘拐されたがる人なんているもんなの?」

「分かってないのね、真琴」


 大人びた表情で優理は微笑む。


「人はね、受け身ではいつまでたっても成長しないものなの。自分から打って出る、それが大事なのよ」

「そうかなぁ。たまには優理、引っこんでた方がいいんじゃないかなって、私、思ってたりもしたもんだけど」


 小猫は、嘘が言えない小猫だった。


「そういうのは遥佳に任せてるからいいの」

「そういう問題?」


 小猫はこてっと首を傾げる。


「そうよ。ヴィゴラスだって立派なんだから。やっぱり幻獣の感性では遥佳の気持ちを取りこぼすこともあるだろうって、だから人の考え方を知ろうと努力中なの。その為に、今、私と一緒に動いてくれてるのよ?」

「・・・別に遥佳の場合、こっちに悪意がなくて、ついでに遥佳を愛しさえしていればほとんどのことは流されてくれるから、そこまで努力する必要はないって思う」


 そこでヴィゴラスが少し悲しげな顔になった。


「だが、ハルカは俺を手放そうとしたのだ」

「うっそぉ。遥佳がぁ? ないない、遥佳の場合、それはないって。だってヴィゴラスの鬱陶しさって、ベタベタに溶けた飴レベルだもん。あそこまでされてるから遥佳もヴィゴラスを疑わなくてすむんだよ。かえって普通の人レベルに落ちたら、今度は、

『いつ、離れていくのかしら。やっぱり私のこと・・・』

って思い悩むのがオチ。ヴィゴラスはウザくてしつこくて面倒臭いけど、遥佳にはそれでいいんだって」

「そうでしょ。だけどヴィゴラスはそう思っちゃったのよ。つまり、遥佳の気持ちが分からないからそんな誤解をしてしまったのね」


 そう優理に言われて、小猫も腑に落ちたらしい。


「あ、そっか。へー、ヴィゴラスもたまには反省することあったんだね」

「在庫数1の遥佳限定・取り置き商品だけどね」


 三つ子の二人は、ふむふむと頷き合った。


「うーん。だけど遥佳の気持ちねぇ。言われてみれば私も遥佳の気持ちなんて分かんないな。だけど遥佳の場合、自分が遥佳を愛してれば別にどうでもいいんじゃない? そしたら勝手に遥佳が答えを出してくれるよ」

「その答えを読み間違えないようにしないといけないってことなのよ」


 重々しい口調で優理が結論を述べる。


「ふぅん。ま、難しいことは分かんないけど、程々にしときなよ、ヴィゴラス。あれで遥佳、普段は大人しい分、怒らせるといきなり変な行動力見せるから」

「そうなのか?」

「うん。怒らすとしつこいの。私、たしかトライアスロンだったか何だったかに参加しようとしてこっそりと早朝の暗い中から練習しに行ってたんだけど、その時間帯って変な人も多くうろついてるんだよね。それでばったりと早朝強盗の人とか、包丁振り回して人の後をつけてくる人とかに会ったりもしてたんだけど、それがバレてから、毎日食事の時間にさ、遥佳が言い出すようになったんだよ」

「何を?」

「自分は大丈夫と油断していた人がいきなり事件に巻き込まれたってケースの、残された家族の悲しみや恨みが昇華されずに不幸になるって感じのバッドエンドなストーリー。それとか道を歩いてても、そこでどんな事件が起きて、どんな痛みや悲しみや苦しみの感情が残っているかを細かく話してきたりしたんだよっ。もう、めっちゃ怖かったの何の。しかも遥佳の場合、それが全て実話っ。信じられるっ? 精神的にじわじわくるようないたぶり具合で、おどろおどろしいのっ。しかも誰も助けてくんなかったんだよっ。お父さんもお母さんも優理もっ」

「悪いけど、それは遥佳を怒らせた真琴が悪いと思うの。私、ああいう時の遥佳には逆らいたくないわ。大人しく過ごしてる分、それまでの鬱屈がマグマのように噴出するんだもの」


 だが、その恐ろしさを語られても、ヴィゴラスにはピンとこなかった。

 何故なら、人間の感情や幽霊に興味はないからだ。


「別にハルカは怒らないし、しつこくないぞ。いつも可愛い」

「・・・ふっ。いつかヴィゴラスも同じ目に遭えばいいんだ」

「そうね。いつか遥佳のそういう一面を知れば、ヴィゴラスも考えを改めるでしょうよ」


 黒髪の娘と小猫が、どこか投げやりな口調になる。

 しかしそこで、小猫は違うことを思い出したらしい。


「それより優理、なんで誘拐なんてされたがってるの? 保険金詐欺? だけど誘拐じゃ保険金っておりないんじゃない? 偽装死体でも作るの? だけど私なら優理に保険金なんて払う前に徹底調査させちゃうよ? だって信用できないもん」

「この世界に保険金はないんじゃないかしら。だけどほら、よく言うでしょ。攻撃は最大の防御なりって」

「誘拐されて、それがどうして攻撃になるの?」


 小猫はそこが分からない。だが、はっと小猫は思い出した。

 そうだ。この姉妹は、自分の家に入りこんだ侵入者を排除する為に、家そのものを爆破した人間だと。


「まっ、まさか・・・っ」


 そこでふっと優理は笑った。


「二度とやらないように、・・・私は泣く泣くその手段をとるのです」

「泣いてないよね?」


 長い付き合いである小猫は、遠慮なくそこを突っ込んだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。