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82 ヴィゴラスは修行を始めた



 ミザンガ王国の首都ザンガ。

 ドレイクの持ち物である屋敷を借りていた豪商が大慌てで帰国したからと、無料で提供してもらっている優理とパッパルート王国人達だが、毎日が目まぐるしい。

 そして今日は、なんとヴィゴラスまでやってきた。


(うーん。やっぱり一階よりは二階よね。なるべく私の部屋に近い方がいいわ)


 優理は、三部屋続きになっている部屋の真ん中を使っている。両隣はレイスとエミリールだ。


「ヴィゴラスはこっちの部屋を使ってね。私の向かいになるから。クローゼットの中の服、持ち主はもう戻ってこないそうだから、勝手に着ていいみたいよ。合わないようなら、明日にでも買いに行きましょ。私の部屋はレイスかエミリールが張り付いてるから、お話する時はこっちに来るわね」


 さすが豪商というべきか。ほとんど袖を通してない服も多いのだ。勿体ないことである。

 ヴィゴラスを部屋に案内し、優理はそこのベッドに腰掛けた。


「ふむ。だが、これだけの男に囲まれていてユウリ殿は全く変わっておらんのだな。それもそれで安心できる環境ではあるが」

「ふっ。・・・言わないでちょうだい。虚しくなるから」


 三人の中で一番早く大人になるかと思っていたのに、これは一体どういうことだろう。

 実は誰にも愛されていないだけじゃないのかと、そんなことを思ってしまう思考を、優理は剛速球でゴミ箱に投げ捨てる。

 そうしてヴィゴラスには向かいにある一人掛け用のソファを勧め、優理は切りだした。


「だけど家出って、あの遥佳が理解してくれないだなんてこと、あるもんなの? あの子、どちらかというと察しすぎてしまうクチだと思うんだけど」

「つまり、俺はもう不要だということだ」


 しょんぼり、うじうじと項垂れてしまうヴィゴラスには悪いが、優理はそれこそを不思議に思う。

 遥佳は人を切り捨てられないタイプだ。ましてやここまで遥佳を大切に想っている相手となれば。


「あの子がねえ。どっちかっていうと、遥佳、元々が人を信用できない子だから、あなたみたいに自分を愛してくれる存在からは離れられないと思うんだけど」

「今までは俺しかいなかった。ゲヨネルに行き、俺以外にも信用できる奴らばかりが溢れ返ってしまった。だからもう、古い俺は要らなくなったのだ」

「・・・うーん」


 どうやらヴィゴラスはかなり自信を失っているらしいと、優理は思った。

 そこで立ち上がってヴィゴラスの前まで行く。

 ゆっくりと見上げてくる瞳は、薄暗い室内でも鮮烈に輝くライムグリーン。


「それはないわ。遥佳があそこまで信頼したのは、私達以外にあなたとイスマルクだけ。同じ家の中に自分への不満を抱く人間がいること自体が耐えられない遥佳にとって、あなたとイスマルクは特別なの。不要どころか、今頃あなたを必死で捜してるんじゃないかしら」


 がたっと立ち上がったヴィゴラスを、優理はその肩に軽く触れることで座り直させた。


「大丈夫よ。あの子があなたの行き先を見つけられない筈がないわ。それよりも、多分それは誤解があっただけだと思うんだけど、あなた、もう少し遥佳の感覚を知った方がいいと思うの」

「ハルカの感覚?」

「ええ、そう」


 優理は頷いた。


「私は遥佳を知ってる。だから遥佳が自分からあなたを手放したがる筈がないと分かってる。だけどあなたは自分がもう不要だと思ってしまったんでしょう? きっと、そこにはお互いのすれ違いがあったのね。だけど、こういうことはちゃんと理解し合った方がいいわ」


 優理は、遥佳の為ならばヴィゴラスの性格矯正も已(や)むを得ないと考える思考の持ち主だった。

 要は、自分の姉妹だけが大事なのである。


「きっとお互いの考え方が違っただけよ、ヴィゴラス。あの子はあなたをとても大事に思ってるもの。だからあの子の考え方を理解してあげて。あなたのポリシーに合わなくても、・・・それでも人の考え方というものを理解してほしいの。お願いよ、遥佳の為に」


 まるで迷子になった幼子(おさなご)のように、ヴィゴラスの瞳が頼りなく揺れる。


「人の、考え方」

「ええ、そう。遥佳の為に」

「ハルカの為に」


 屈みこんだ優理は、ヴィゴラスを見あげるようにして勇気づけた。


「大丈夫。ここにはちょうど色々な男の人達がいるわ。彼らから学べばいいの。会話して、あなたは人間の考え方を体験しながら学んでいける。どういう風に人は何かを思いつき、考えて悩み、実行するのか。あなたにとっていい学習ケースになる筈よ。大丈夫、何かあなたがヘマをしても、私がフォローするわ」

「・・・ユウリ殿」


 その細く小さな手が、ヴィゴラスの筋肉質な手に重ねられる。

 優理はいつだって自信を持って言ってのけるが、人間関係における優理のスコアを知っていたなら、ヴィゴラスもそこで信頼を寄せることはなかっただろう。

 不幸なことに、その時、ヴィゴラスは自信を失っていた。

 だから信じてしまったのだ。優理なら全てをうまく取り計らってくれるに違いないと。


「安心して、ヴィゴラス。失敗を恐れる必要は全くないから。だってパッパルートの王様一行は、いざとなったら水問題を盾に脅せば口止めなんて簡単よ。エミリールだって遥佳の第二王子の件があるんだから、その気になったら王室から圧力をかけられる。そしてドレイク達は基本的に口が堅いし、仲間を裏切らないから。だってレイス、私と契約してるもの。レイスは影のボスだから多少の無茶はきくし、何より彼らはあなたに慣れてる。ここほど、あなたの練習台になる場所はないわ」


 幻獣に人間の気持ちや考え方を理解してもらう。それは本来とても美談な筈だ。

 なのに優理はかなりえげつないことを考えてまで、それをヴィゴラスに実行させようとしていた。

 何故ならば優理にとって遥佳は大切な姉妹だからだ。

 遥佳がこれから幸せに暮らす為にも、優理はここでヴィゴラスの思考を人間に近いものへと変えておくべきだと考える。


(あなたとイスマルクさんは、遥佳にとって奇跡的な存在なの。ここでうまくカスタマイズしておかなきゃねっ)


 最初から脅迫による口止めを考えている時点で、フォローするも何も、優理自身はそこらへんの調整が全くできないのだと自白したに近しい。

 これが普通の人ならば、(ん? ちょっと待てよ。おい)と、立ち止まったことだろう。

 しかしヴィゴラスは挨拶しかマスターしていない、人付き合いにおける初心者だった。

 だから、(そうか。ならば大丈夫だな)と、安心してしまう。それに口封じならヴィゴラスも得意だ。

 尚、グリフォンにとって口止めと口封じは同じ意味だ。

 そして人間にとって口止めと口封じは全く違う意味だ。


「やはり頼りになるのはユウリ殿しかいない。俺はここに来て良かった」

「あたりまえじゃない、ヴィゴラス。だってあなたは私達の家族だもの」

「ユウリ殿っ」

「ヴィゴラスッ」


 二人の間に、同盟が結ばれる。

 それは遥佳への愛で結ばれた、とても尊い、けれども客観的に見たならば傍迷惑(はためいわく)なだけの同盟関係だった。


『あのね、エミリール。ヴィゴラスってば本当に非常識で考え方もちょっとおかしいの。普通の人みたいに考えられるように色々と教えてあげてくれない? だってエミリールが先生なら、ヴィゴラスも完璧な紳士になれちゃうでしょう?』


 第一の被害者は、優理の護衛をしていたキマリ―国伯爵家長男エミリールである。






 ヴィゴラスがやって来た日の夜は、ドレイク達ばかりでなく、パッパルート国王ディッパ達まで外泊した。

 ここではディーと名乗っているディッパだが、かなり遠くの神殿にまで足を延ばしていたのだ。すると、そこの神殿長はとても気さくで話好きだった。

 単なるディーとしか名乗らなかったディッパ達に何を思ったか、神殿での宿泊を勧めてくれた上、更に詳しく神殿業務や人々との交流について色々な話をしてくれたのである。

 おかげでディッパ達は他の神官達も交(まじ)えて、有意義な一夜を過ごしていた。

 ディッパ達に同行していたファリルが、「今日は戻りません」と、知らせてきたので、ならばと夕食を終えた優理はヴィゴラスとの時間をゆっくりとることができた。

 そうして翌日、昼過ぎになってディッパ達は戻ってきたのである。


「あら。お帰りなさい、ディーさん。じゃあお茶、淹れるわね」

「ただいま戻った。気を遣(つか)わせてすまないな、ユーリ殿」

「そんなことないわ。あ、そうだ。一人、住む人が増えたの。私の家族みたいな人よ」


 ディッパはふんぞり返って椅子に座っているヴィゴラスを見て、興味深げに握手を求めた。


「へえ、君がか? よろしくな。俺はディーだ。そちらは?」

「何がだ?」

「・・・えーっと、こちらが名乗ったら、そっちも名乗るものだろう?」

「そうなのか?」

「いや、普通、そうだよな?」

「初耳だ」


 ディッパは、己が思いこんでいた常識が常識じゃなかったのかと悩んだ。

 本来、その場を和ませるべき優理は、ディッパ達の為にお茶を淹れにいったところだ。

 朝からヴィゴラスとエミリールを連れて買い物に出かけていた優理は、フルーツゼリーなども作り終えている。

 ヴィゴラスがいてくれるとケーキ作りも簡単で、それはおやつの時間に出してあげるつもりだった。


(ああ、ユーリちゃん。お茶なら俺が淹れに行くから、ここをどうにかしてほしかったよ。だけどしょうがない。こいつ、あまりにも非常識すぎるんだ)


 そこで優理からヴィゴラスの世話兼指導を押しつけられたエミリールが、口を挟む。


「普通、名前を名乗られたら名乗り返して挨拶するものですね」

「そうなのか。ならば俺の名前はヴィゴラスだ。だが、これは俺の為にもらった名前だから、お前は呼ぶな」

「「「「「「「・・・・・・」」」」」」」


 その場にいた誰もが耳を疑った。

 ディッパ達一行など、まさか自国の国王にここまで無礼な物言いをしてくれるとは一体何たることだと、頬を紅潮させる。

 さすがにエミリールも、ヴィゴラスを窘(たしな)めようとした。


「い、いや。あの、普通だな、名前というのは人に自分を呼んでもらう為に使うもので、名前を呼んでもらえなかったら会話もできないだろう?」

「会話をする理由がない。俺の名前をつけた相手さえ俺を呼べばいいだけだ」

「え? じゃあ、ユーリちゃんが君を名付けたのか?」


 どう見てもヴィゴラスの方が年上だ。

 エミリールが驚いて目を丸くする。


「いいや、違う。だがユウリ殿は特別だから、俺を呼んでいい」

「そうなると会話ができないだろう。今、こうして話していても、俺は君を何と呼べばいいのか困ってしまうぐらいだ。その自分の名前を呼んでもらいたくないなら、俺達が君を呼ぶ為の違う名前を用意してくれないか?」

「だから会話する必要がない」

「いや、同じ家に住んでいる以上、声をかけることはあるわけで、話すことも出てくる筈なんだよ」


 エミリールは、頭痛を覚えずにはいられなかった。


(世界は広い。自分には理解できない人間がいてもおかしくない。だけどユーリちゃん。君もまたぶっ飛んだ女の子だったけど、こいつは更におかしいよ)


 すると、ヴィゴラスも考え始める。せっかく遥佳がつけてくれた名前なのだ。自分の名前は、遥佳と真琴と優理だけが呼べばいい。

 しかし違う名前をつけてしまうと、せっかく遥佳がつけてくれた名前なのに、無駄にしたようでそれも悲しい。


「なんと困ったことだ」

「いや、困ってるのはこっちだよ。どうして名前を呼ぶなというのか、俺にはそれが分からない」

「決まっている。振り返って俺の名前を呼ぶ時の顔が可愛いのだ」

「いや、そうじゃなくてね」


 そこでディッパが助け船を入れた。


「なら、その名前を縮めてみたらどうだ? どうやら特別な人からもらった名前らしいし、事情もあるんだろう。愛称ということで、ヴィゴとかラスとか、俺達が呼ぶ時にはそんな名前にすれば、折角の名前を無駄にせず、しかしその名前を呼ばれるわけじゃないから腹も立つまい」

「なるほど。頭いいな、お前」

「ディーだ」

「ディーか。ならばヴィーと呼ぶがいい。ヴィゴラでもいい」


 その傲慢さを、ディッパは平然と受け入れる。


「ヴィーだと俺がディーで、発音が悪いと間違えそうだな。ヴィゴラと呼ぼう。だが、そこまで名前をくれた人を大事に思えるとは、・・・うむ、愛だな」

「そうなのだ。愛があるのだ」

「うん。愛は素晴らしい」

「その通りだ」


 たとえ身分を隠していても、ディッパはパッパルート国王だ。

 だからエミリールもディッパを認めた途端に椅子から立ち上がったし、ディッパが座っていない以上は起立したままだ。

 そしてこの部屋で座っているのはヴィゴラス一人。


(愛というより、ただの我が儘だろう)


 なんで後から出てきたヴィゴラスが一番ふてぶてしい態度なのかと思いながらも、こんな相手に一般常識を教えてやってくれと頼んできた優理を、エミリールはいささか恨む。

 レイスからは、ヴィゴラスの取り扱いだけには注意しろとも言われていた。優理の為に少なくとも数十人を殺した男だとも。

 だからエミリールはずっと慎重にその出方を探っている。


(かなり、前途多難っぽいんだけどねえ。一般常識も何も、これをどうしろと?)


 しかしディッパの目には、ヴィゴラスの返事はなかなか面白く映ったようだ。ヴィゴラスに近い椅子に座り、身を乗り出す。


「へえ。で、ヴィゴラはユーリ殿の家族みたいなものってことはかなり親しいんだな。本当に彼女は顔が広い。明日、一通り見てから今度はキマリーに移るんだが、君も来るか?」


 出会った時から、優理には家族設定の他人ばかりだったのだ。

 ディッパは、またかと思っていた。

 きっとこのヴィゴラスも赤の他人なんだろうと、もう目星はつけている。


「当面、ユウリ殿と行動を共にする」

「ふぅん。そりゃ楽しくなりそうだ。まあ、仲良くしてくれ。普段もそんな感じか?」

「いや。普段はここまで愛想よく人と話したりはしない」

「・・・へ、へえ」


 今のヴィゴラスは遥佳の為に、人間らしい考え方を知ろうと修行中なのだ。

 だからヴィゴラスは、ちゃんと相手の話を聞いてきちんと答えてみた。


(こんなどうでもいい奴らの話を聞いて、ちゃんと短い名前で呼ぶことも許したのだ。俺はこの短時間で着々と人間らしいスキルを身につけてしまったと言っていい)


 この分なら、きっと遥佳もヴィゴラスを見て、

「凄いわ、ヴィゴラス。こんなにも私の気持ちを分かってくれるだなんて」

と、感動してくれるに違いない。


(俺にかかればこんなものだな)


 そんなヴィゴラスの人間修業は、まだまだ始まったばかりだった。






 一方で、ティネルの街にいるキースヘルムはとても不機嫌だ。

 少しずつだが、変化が出てきていた。それは本当に僅かなものだ。誰もが気づかない程に。

 けれども確かに変わってきている。

 このギバティ王国を取り巻く状況が。


「くそっ、あの生意気野郎がっ」


 優理の家の前にいた、褐色肌に黄緑色の瞳をした男。そう、それはかつて優理の護衛として同居していた男だ。

 それを見かけた手下が報告してきた為、キースヘルム自らが出向いて一緒にドレイク達の所から優理を奪わないかと誘ったというのに、見事に話も聞かずに立ち去ってくれた。


(あいつなら優理を連れてこられると思ったから・・・!)


 けれども今、ミザンガ王国に自分が行くのは躊躇(ためら)われる。というのも、何だか景気が落ち始めているように感じるのだ。

 ギバティ王国内に出回る物資も、何だかその地方に向かう頻度が減ってきているようにしか思えない。

 勿論、普段の様子に変わったところはない。

 貴族も神官も、変わらず金を落としてくれる。物価だって変わってはいやしない。


(今回のキマリーではかなり儲けさせてもらった。手下共も浮かれてやがる。それはいい。だが、どこかが腑に落ちねえ)


 普段ならキースヘルムも、大盤振る舞いの宴会を連夜で続けてそれを楽しんでいただろう。

 しかし、キマリー国に行く前に愛人達を整理したキースヘルムは、あれ程隠しきったつもりがキマリー国での女遊びを探り当てていた優理の情報収集能力に、さすがに自重していた。

 勿論、手下共にはそれなりの宴会を楽しませてやりはしたが、自分は酌をさせた程度である。


(なんで俺があんな小娘如きにここまで気を遣わにゃならんのだ)


 けれども気に入ったのだ。

 自分に媚びるわけでもなく、恐れるわけでもなく、キースヘルムという男を理解した上で普通に振る舞ってくるあの小娘が。

 力づくでモノにしようと思えば簡単だろう。だが、欲しいのはあの小娘にとって名実共に自分が一番の存在になるという事実だ。


(すぐ手に入る女に価値なんざねえ。ユーリ、さっさと戻って来い)


 レイスなど信じてはいなかったが、やはりと思える結果だった。ザンガで彼らが優理と合流したことは既に把握している。

 しかしレイス達にとってもギバティールのティネルは大事な拠点だ。こちらをいつまでも手下達に任せっぱなしというわけにはいかないだろう。

 どうせすぐに戻ってくると、キースヘルムも判断していた。

 ザンガもまたそれなりに栄えてはいるが、やはりギバティールとは比べ物にならない。

 優理もギバティールが恋しくなる筈だ。


(ま、まあ、なんだよな。妬(や)いてくれたってことは、やっぱりあいつも俺のことを憎からず思ってるってことだよな)


 いざとなれば金貨200枚を巻きあげることができる大胆な行動力。同時にちまちまと銅貨レベルでせこく稼ぐ上、小さな飴一つで喜ぶ可愛らしさ。

 あのちぐはぐな感性の持ち主など、他にはいない。

 あの資質を活(い)かしたままで成長したなら、どれほどまでに男を振り回さずにはいられない最高の女ができあがることか。

 それでこそ自分に相応しい。ありふれた女にどんな価値があるだろう。


(しかし、レイスか。カイネは最初からだが、今となっちゃあドレイクもユーリを可愛がってるときたもんだ。あいつら、別に少女趣味はねえだろうに何考えてやがる)


 同時にドレイクがいきなり素人の少女を特別扱いし始めたことで、手下の中には不満も出始めているようだ。

 ざまあみやがれとは思うが、それはとりもなおさずキースヘルムにも起こりうる事態だった。

 悩ましいことは多い。

 誰よりも強くなければ大所帯を維持などできない。そして維持できる男だからこそ手下達もついてくる。

 何が変わったわけではないが、今、ギバティールを留守にできないという、そんな空気をキースヘルムは感じ取っていた。






 さて、ミザンガ王国を始発地として、次はキマリー国へと行く予定だったディッパ達一行だ。

 なのに出発当日、いきなり優理が具合を悪くして一緒に行くことができないという事態を迎えていた。

 寝台から起き上がることもできず、優理は弱々しく告げる。


「ごめんなさい。とても気持ちが悪いの。たちの悪い流行り病かもしれないわ。だからディーさん達はキマリーに行ってちょうだい。戻ってくるまでには元気になってる。約束する」


 足湯だの何だのといったテクニックを駆使し、更に額も温めた布を当てておいた優理の小細工は完璧だ。

 額や頬を真っ赤に火照(ほて)らせて脂汗を流しているその様子は、誰が見ても発熱状態である。


「そういうことなら出発を遅らせよう、ユーリ殿。俺達だってある程度の看病はできる。か弱い乙女を放置するような男達と思われたくはないものだな」


 後は旅立つだけとなっていたディッパだが、少女を見捨てるような青年王ではなかった。


「ううん、それは駄目よ。だってディーさん達には大切な希望がかかってるんだもの。私の為にそれを遅らせるだなんてやっては駄目。そうでしょう? ディーさん、あなた達は皆の未来を背負ってるのよ。それを忘れちゃいけないわ」


 健気(けなげ)にも、優理は称賛してみせる。


「だが、ユーリ殿」

「ううん。私、分かってる。だからこそ足を引っ張りたくないのよ。あの時に誓ったわね、ディーさん。私達は同志だと。そうでしょう? 私の誇りを奪わないで」


 ディッパの黄土色の瞳が、感動に大きく広げられた。


「大丈夫よ。だってヴィゴラスがいてくれる。彼なら体力もあるし、うつったりはしないわ。だけどディーさん達にうつしたりしたら、私、自分を許せなくなる。何よりヴィゴラスだけなら私も気にせずこき使えるもの」

「その気持ち、確(しか)と受け取ったぞ、ユーリ殿。任せてくれ、きっと俺達はまた大きなものを学んで戻ってくるだろう」


 玉葱スライスで目も真っ赤に潤んでいる優理は、大きく頷いた。


「勿論よ。そうして次はギバティにも行くの。期待してて。ギバティールなら私、かなり詳しいのよ」


 優理が詳しいのは、首都ギバティールの中でも王宮や大神殿とは少し距離のあるティネルという街で、その内容も夕方近くになると安売りをし始めるパン屋やおかずの店だ。

 通常、詳しいと豪語するのであれば王宮や大神殿など、まずは観光客が最初に向かう場所を指すと思うのだが、優理はそこらへんが大味だった。


「さすがですね、ユーリさん。頼りにしています」

「大船に乗った気でいてちょうだい、ニッカスさん。これでも私、ちょっとした顔なのよ」


 市場で怪しげな占いの店をしていたと思ったらどうも変な商売をしている様子だわ、お育ちの良さそうな学生ばかりが押しかけてくるわ、いきなりキースヘルム達のような男と付き合いを持つわ、行方不明になるわ、市場の監督者から見れば、要注意人物だった優理である。

 ギバティールにあるティネルの市場で優理を知らない人間がいるとしたらモグリだろう。


(いきなり夕方になるとあのお店とかあのお店、とっても安くなるのよね。あの一気に変わる値段の感動を教えてあげなきゃ犯罪ってものよ)


 優理は自分がお気に入りだった店を思い浮かべる。

 立地条件が悪いせいか、売りきる為に安くなるのを知らない人が多いのだ。それでいて、あの新鮮でジューシーな串焼きの味を知ってしまったら浮気ができない。あれはその場でかぶりつくのが美味しいのだ。


(きっとディーさんにも気に入ってもらえる筈よ。あの肉の下処理と味つけは完璧ね。値段も素敵)


 ディッパと優理の経済観念はかなり相性がよかった。


「楽しみにしていよう。ではヴィゴラ、ユーリ殿のことは頼んだ」

「お前(ディー)に言われる筋合いはない」


 その返事に、エミリールが疲れた声で指導する。


「いいかい、ヴィゴラ。そういう時は、『任せてくれ』って言うのが普通の受け答えなんだ」

「そうなのか。ならば任せてくれ」


 そのやり取りにディッパはぷっと噴き出した。

 ディッパの後ろにいたパッパルート王国の面々はもう溜め息をつくしかない。

 我が国の王がここまでないがしろにされる日が来るとは・・・。

 ただ、悪気がないのもここ数日でよく分かっていた。ヴィゴラスは注意されたらちゃんと直すからだ。

 悪気がなければ全てが許されるものでもないが、彼はディッパを国王だと知らないのだから仕方あるまい。そして何より、彼は常識知らずなのだ。


「おっ、面白すぎるっ。ヴィゴラ、お前、本気で笑わせてくれるっ。まあ、いい。帰ったらまた話をしよう。お前と話すのはとても楽しいぞ、ヴィゴラ」

「ふむ。ディーも悪くない話し相手だ」

「そうか? どこが?」

「口うるさくないところだ」


 イスマルクは口うるさすぎるのが欠点だと、ヴィゴラスは思う。


「口うるさいって、その時点で会話じゃないだろう。何だよ、お前、いっつも叱られてるのか? それとも恋人か奥さんの尻に敷かれているクチか? そりゃこのコミュニケーション力じゃ怒られるよな」

「別に叱られたりなんかしない。いつも褒められているのだ。俺はとても頼りになるからな」


 遥佳は自分を叱ったりなどしない。いつだって可愛らしく笑っている。

 そう思うヴィゴラスは、

「もうっ。どうしてヴィゴラス、そういうことするのっ」

と、怒られてもそれを忘れることができるグリフォンだった。


「そーゆーことにしといてやるよ。じゃあユーリ殿、ゆっくり休んでくれ。そうだな、男が大勢いたら休めない」

「ありがとう。じゃあエミリール、ディーさん達をお願いね」


 優理を心配してくれたエミリールだが、それでもディッパはパッパルート国王だ。

 何かあってはとんでもないことになるのだからと説得し、優理はエミリールにディッパ達のことを頼んでいた。


「大丈夫だよ。それよりももう寝た方がいい。ユーリちゃん。起きてるのも辛いだろう」

「ううん。お見送りぐらいさせて。・・・そうすれば、早く元気になろうって思えるでしょ?」


 そうしてエミリールとディッパ達の出発を見送った後、優理はパシャパシャと玉葱スライスで充血した目を洗う。

 それから団欒室へと移動して椅子に座った。


「あー、これでしばらくのんびりできるわ。ね、ヴィゴラス。その間にどっか遊びに行きましょうか」

「具合が悪いのでは?」

「仮病よ、仮病」


 ひらひらと、優理は片手を振ってみせる。


「なぜ仮病を?」

「だってキマリー国ってば、遥佳の為に温室なんて作ってくれちゃってるのよ? それこそ神子姫様のおいでをお待ちしてますって国なのよ? そんな所にのこのこ行ってごらんなさいよ。私の素性が即座にばれてしまうじゃないの」


 キマリー国の騎士や兵士達の中には、それこそ遥佳の顔を知っている人間もいるだろう。

 シンクエンは忙しいこともあって瓜二つの顔でも不問にしてくれたが、今となっては「ディリライト首長の姪姫にそっくりな娘」ではなくなった「神子姫様そっくりな娘」を見逃してはくれまい。


「なるほど。そういう時には仮病を使うのだな」

「そうよ。人というのはこういう時に仮病を使って、そうして時間をひねり出すものなの」

「なるほど。勉強になった」


 遥佳が聞いたら、そんなことを教えないでちょうだいと、怒ったことだろう。

 ヴィゴラスは都合よく知識を転用するグリフォンだからだ。


「だけどヴィゴラスは行ってくれてよかったのに。けっこうエミリールやディーさん、ニッカスさん達ともうまくやってなかった?」

「そうか?」


 優理は大きく頷いた。


「ええ。とっても仲良く過ごしてたじゃない。びっくりしたわ。さすがヴィゴラスよね。グリフォンなんて基本的に他の種族と交流しないだけに、すぐ仲良くなって、こっちがびっくりしちゃったわ」

「ふっ、それ程でもない」


 ヴィゴラスはちょっと得意げだ。

 というのも、ヴィゴラスはディッパを気に入っていた。

 何でもディリライト島で神子姫と愛の逃避行にいたったグリフォンをディッパは尊敬しているらしい。


(あいつはいい奴だ。この俺に憧れているとは見る目もある)


 ディッパが聞いたら、

「いや、一度でいいから見てみたいって言っただけだが。ついでにうちに招くことはできないといったのは、恐れ多いというより経済的な事情なんだが」

と、否定したかもしれないが、どちらにしても思ったよりも交流ができていたのは、ひとえにエミリールという社交会話の指導員(インストラクター)がいてのことだっただろう。


「だが、下僕第2号(レイス)は全く戻ってこないな」

「そうね。内部分裂もあって大変なんですって。ドレイクも一度戻って来たけど、仮眠してすぐに出て行ったし。落ち着いたら美味しいものでも食べさせてあげなくちゃね」


 ヴィゴラスが量産してくれた死体の始末に、現在のドレイク達は遠くまでせっせと運んで埋めてと大忙しだ。

 食事はそこらの店で買った食べ物を立ち食いし、睡眠は草の上でとる。帰宅して休む暇などある筈がなかった。


「ハルカもユウリ殿とはゆっくり会いたかったようだ。時間ができたなら会おうとは思わないのか?」

「こんなジンネル大陸、あの子にはきつすぎるわ。落ち着いたら私がゲヨネルに会いに行くからいいのよ」

「そうか。きっと喜ぶ」


 遥佳をよく知る優理に、

「遥佳があなたを嫌うことはないし、不要と思うことはないわ」

と、それに金貨100枚を賭けてもいいと言われたヴィゴラスは、既に遥佳の愛を疑ってはいない。

 あんなキラキラ光る金貨を100枚賭けてもいいと、優理は言ったのだ。

 ならばそれが真実なのだろう。


(金貨とは素晴らしい。どうせなら、あの表面に彫られている顔をハルカの顔にしてくれればいいものを)


 何かあった時にはお金が必要だからと、優理に金貨を5枚、銀貨を5枚、銅貨を10枚程持たされているヴィゴラスは、彫られている顔だけが不満だ。


(ゲヨネル大陸に戻ったら下僕第1号(イスマルク)に彫り直させよう)


 なんだかんだと言っても、それなりに充実している日々を送っているヴィゴラスだった。


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