77 遥佳はショックを受けて、ドレイクは負け戦に臨んだ
ゲヨネル大陸は幻獣と妖精が暮らす土地だ。
湖のすぐ傍にある小さなお城のような家に暮らしている遥佳は、ヴィゴラスに乗せてもらって一つ向こうの山を越えた場所に行ったり、てくてくと歩きながら思いがけない場所にある里を見つけてみたりしている。
(最近、アースカラーの大理石模様エプロンばかり使ってるわ。エプロンって、見つけた果物とかを袋状にして持って帰ったり、地面に敷いて敷物代わりにしたりするから、白よりも汚れが目立ちにくい色がいいのよね)
淡い水色のワンピースを着た遥佳は、その上から淡褐色に様々な色の筋模様や楕円模様、石の割れ目みたいな模様等が入ったエプロンをつけた。フラミンゴのようなピンク、オリーブのようなくすんだ緑、勿忘草の青、灰色や卵色といった色が走っているから、どんな服にも合うのだ。
(ハルカ。それでは宝石が目立たないのだが)
「あなたの宝石ごっこはおうちに帰ってからよ、ヴィゴラス」
(なんだとっ!? 外にいる時でも、ハルカに宝石はとても似合うのだぞっ)
「じゃあ宝石を一粒だけ。それ以上は駄目です」
(そんな・・・っ。しょうがない。今日は菫色の石を髪に飾るだけで我慢しよう)
「今日も髪飾りなのね。どこまでディリライトに張り合うの」
小さな黄金の髪飾りには菫色の石が一つだけ嵌めこまれていた。
淡い水色のリボンで、ヴィゴラスはそれを遥佳の黒髪に飾る。
(お父さんがお母さんに額飾りを贈った話をしてしまったからなの? 普通の人が愛の証に贈るのはせいぜい指輪なんだけど。それにお父さん、従者でもいいとか言ったってのを、ヴィゴラス、なんか曲解してない? その内、イスマルクからその辺りを訂正してもらわないと)
ゲヨネル大陸の幻獣達もおしゃれはする。
だから素敵な耳飾りをしていたり、変わった首飾りをしているが、特にジンネル大陸のような決まりはないようだ。
ヴィゴラスの宝石に枠をつけてあげようとしたイスマルクもそれを知り、色々なデザインを知ってからの方がいいだろうと、少し保留していた。
(やり始めたら完璧主義なのよね、イスマルクも。だからヴィゴラスも大人しく宝物を預けてるんでしょうけど。さて、そんなことよりこの辺りを私もちゃんと覚えなくっちゃ)
幻獣は同じ種族で里を形成していることが多いが、一人でぽつんと暮らしている幻獣もいるそうだ。かといって、その幻獣が変わり者というものでもないらしい。
たまに、人里離れた場所にとても雰囲気のある一軒家を見つけたりもするが、そこで暮らしている幻獣も普通に友好的で、それなりの事情があっての、はぐれ暮らしらしい。
たとえば人里離れている方が恋人との時間を誰にも邪魔されず楽しめるだとか。
自分達の種族の里の生活サイクルが合わないから離れて暮らしているだとか。
そういうファジーで緩いものがほとんどだが。
「ヴィゴラス。今日はこの間の青い橋の向こうへ行ってみましょ?」
「キュイ」
グリフォン姿のヴィゴラスは、素直に頷いた。
やはり人の姿よりもグリフォンの姿でいてくれる方がいいと思う遥佳である。一緒にてくてくと歩いていても、ほのぼのとした気分になれる。
(やっぱりね、人の姿だと年上っぽくてちょっと恥ずかしいもの。そりゃ年上っぽいのは見かけだけだけど)
歩いている内にヴァンパイア族の敷地に入っていたとは気づかなかったが、そこにはむせかえる程の薔薇の香りが溢れていた。
「凄いわ。見渡す限りの薔薇なんて」
「あら、姫様。こんにちは」
黄と赤を帯びた焦げ茶の髪を一つに結い上げて白い布キャップで覆った白いエプロンの少女が、暗い緑の苔色の瞳を和ませて挨拶してくる。
見た目は15才くらいだ。
「こんにちは。とても素敵な香りがするからどこからなのかと思って来ちゃったの。ここまであると綺麗だって感動するよりも凄い量でびっくりね」
「ふふっ。咲こうとする時期は限られますもの。ヴァンパイアは夜の誘惑が大事ですから、薔薇の香水は欠かせません。薔薇水もあります。よかったら薔薇入り紅茶なんていかがです?」
遥佳が仰々しいもてなしを苦手とすることはかなり広まった。
おかげでこういう時も手を止めずにいてくれる。
「あ、あのね。私、こういう精油作りとかって見るの初めてなの。見ていってもいい? 邪魔しないように気をつけるから」
「まあ、邪魔だなんて。どうぞ、ご遠慮なく見ていってください。だけど熱いですから、動いている容器には近づかないようにしてくださいね」
「ありがとう。凄いわ。こうして香水を作るの?」
「それもありますけど、よその種族はお料理用とか石鹸とかオイルの香りづけとかで買い求めていきます」
遥佳は吸血鬼を夜行性だと思っていたが、普通に太陽の当たる時間帯に動き、当たり前のようにパンやワイン、お茶やお菓子などを飲食していた。
そこへ子供用の小さな三輪車に乗った男の子が、キコキコとやってくる。こちらは銀髪にスカイブルーの瞳をしていた。見た目は4才ぐらいだろうか。
「うわっ、グリフォンッ。・・・あ、ひめさまだ。わーい、あそびにきたの?」
「実は散歩していたら迷い込んできちゃったの。私、ヴァンパイア族って夜に行動するものだと思いこんでたから、太陽の光も平気って知ってびっくりしちゃったのよね」
「そうなの? よるにおでかけしていいのは、おとなになってからなんだよ。それにおひさまにあたらないと、びょうきになっちゃうよ?」
お手伝いということで、その男の子も薔薇の花部分を遥佳と一緒に摘む。ヴィゴラスは籠を持ってくれた。
ここまで数が多いと、薔薇の香りに感動するよりも作業でしかないらしい。
「ぼくはね、バラよりもオレンジのほうがすき」
「オレンジの香りも作ってるのね」
「そうだよ。ひめさまはなにがすき?」
「どれもいい香りで決められないわ。オレンジも爽やかで大好き。たしかオレンジの香りの入浴剤もがあった筈なのよ。あの瓶って赤いコウモリの絵が描かれていたんだけど、もしかしたらヴァンパイア族のものだったかも」
そういったことは男の子も分からないらしく、首を傾げた。
自分はヴァンパイア族だが、父親はペガサス族だと、男の子は語る。
「だからねっ、ぼくもおおきくなったらおかーさんみたいに、かわいいペガサスをおそうんだよっ。そしてね、けっこんしてぎんいろのペガサスをうんでもらうんだっ」
「そ、そうなの。だけど襲うのは可哀想じゃないかしら」
「どうして? ペガサス、つよいんだよ。しっぱいしたらほねをおられちゃうんだよ。それにペガサス。たまにぼくたちをおそってるよ?」
「・・・そうなの」
日頃、何かと自分に甘えまくりなグリフォンをまともな道に進ませようとしてしまう遥佳だ。だけどこうして違う幻獣と交流してしまうと、何故かヴィゴラスがとても誠実に思えてくる。
(私やイスマルクが潔癖すぎるだけなのかしら。ううん、そんなことはないと思うんだけど)
そこへ黒髪にカーマインレッドの瞳をした女性がきょろきょろしながらやってきて、遥佳を認めて破顔した。
「まあ、姫様。こちらにいらしたんですのね。さあ、みんなでお茶にしましょう? 今日はラベンダー蜂蜜バターのミニトーストと、カスタードプディングですわ」
「ごめんなさい。いきなり押しかけて、気を遣わせちゃってる」
「まあ、そんなこと。ほら、ご覧になって。姫様がいらしてくださったおかげで、植物だって生き生きとしていますのに」
くすくすと笑いながらその女性が先に立って遥佳を案内していく。
「じゃあ、一緒に行きましょうね」
「うんっ」
「キュウ」
銀髪の男の子と右手を繋げば、ヴィゴラスはとても悲しげな顔になった。仕方がないので遥佳はヴィゴラスの首筋に左手を置いて歩いていくことにする。
だけどいきなりやってきておやつを食べていく自分は図々しくないだろうかと、ちょっと遥佳は悩んだ。
「あ。姫様、こっちこっち」
案内された集会所では里中の女性が集まっておやつの時間だった。男性は違う集会所に集まっているそうだ。
収穫時期は手分けして作業するから、食事もおやつも皆で一緒にとるらしい。
「え? ヴァンパイアってご飯に血を飲むんじゃないの?」
「ええ。血を吸うのは、恋人と過ごす夜の時ですのよ。血を吸うことで恋人を快楽の渦に落としますの。おかげで一夜の恋人のつもりが、相手がもう離れてくれなくて大変だったりしますけど」
遥佳は、吸血鬼というのは魔物だと思っていた。けれども、幻獣には幻獣と魔物の違いがよく分からないそうだ。何故なら魔物を見たことがないから。
「こうして見ると、ヴァンパイア族って独特の魅力があるのね。皮膚が薄いのかしら? とても赤い唇が印象的。口紅なんて使う必要ないわよね? 霧の中で佇んでいたら絵になりそう」
「ほほ。ヴァンパイアの唇が持つ赤色は、生き物の本能に訴える赤色と言われていますのよ」
「分かるわ、それ。つい見惚れちゃう」
「キィッ」
「どうしてそこで張り合うの、ヴィゴラス。それぞれの種族の良さがあるってだけでしょ?」
「キュウ」
薔薇水を垂らした紅茶はとても香りがいい。
「ところで、男性も薔薇の香水を使うの?」
「ええ。薔薇の香気も食べます。だからヴァンパイアの男と交わった女には薔薇の芳香が移るというので人気ですわ。おかげで時々、『俺の体だけが目当てだったんだな』ってしくしく泣いてますもの。それでも二、三日で香りは消えてしまいますから、数日後にはまたお呼びがかかって、いそいそと出かけていますけど」
「そ、そうなのね」
生きた香水扱いされているヴァンパイア族の男性達に、遥佳は同情した。
聞けば、この里は青いコウモリ印である。
「あら? だけど青いコウモリもどこかで見たような気がするわ。えーっと、どこだったかしら。ああ、そうよ。1階に置かれているハンドクリームの瓶だわ。ほんのりカモミールの香りがついてて、イスマルクも絶賛してるの。淡い香りだからお料理の邪魔をしないし、手を洗った後でもほっとするもの。みんなでどんどん使っちゃってて、だけど大瓶だから減らないし、とても活躍中なの」
「そうなのですわ。なんでも強く香ればいいものでもありませんのよ」
その通りかもと納得したりして、その後は吸血鬼族の里を散策させてもらってから、遥佳は帰宅した。
畑を中心に歩いてみたので、きっと実りも少し豊かになったことだろう。
ジンネル大陸よりもゲヨネル大陸は、本当に反応が速いのだ。
「お帰り、ハールカ。今日はヴァンパイア族の所に行ってたんだって? なんかヴァンパイアの男の子が、お出かけついでに知らせに来てくれたよ。帰りが遅いと心配するかもしれないって思ってくれたみたいだ」
「ええ。香水の材料作り、見せてもらっちゃった。ラベンダー蜂蜜とかもご馳走になったわ。まるで絵のように素敵な里だったの。あら、だけど素敵じゃない里なんて見たことないわ」
「ははっ、それは良かった」
夕食の用意を一緒にしながら、イスマルクは吸血鬼族の里の話を聞いてくれた。
これで少しは、この家を用意するのに関与してくれた人達に恩返しできただろうか。
(マーメイドさん達の場合、なんか海が広すぎて効果があったのかなかったのかよく分からなかったのよね。とりあえず海の上で座っていたら海藻がとても元気になったみたいだし、その海藻が役に立つことを祈るばかりだわ)
律儀な遥佳は、あちこちに出かけていたが、空を飛べる幻獣の里に行く時にはヴィゴラスがとてもごねて大変だ。
イスマルクが叱り飛ばしてくれたおかげでどうにかなったが、優理や真琴の方がよほど色々な人達と仲良くやっているのに、引きこもり的な遥佳だけが浮気者と責められるのかが分からない。
(だけど私、いつの間にか帽子とかで顔を隠すことが減ってたんだわ。それに心を読もうとすることもなくなってた。ゲヨネルの人達は、あまりにも優しい心の持ち主ばかりなんだもの)
基本的に人の心を遮断して暮らしていた遥佳だが、知らない幻獣や妖精に出会った時にはそれをすぐに解除する。けれども最近は、そんな必要もなくなっていた。
誰もが遥佳に好意的だからだ。普通にお喋りすれば、何でも教えてくれる。
(ゲヨネル大陸は、夜も綺麗。星ばかりじゃなく、たまに風の中、シルフがキラキラ光っていたりする。本当にここは地上の楽園ね)
何も警戒せずに生きていられるゲヨネル大陸。ここは本当に夢の国だ。
そんなことを思いながら、遥佳は今夜も洗い髪をタオルドライしてから、香りのいいオイルを数滴馴染ませた。それだけで髪に艶が生まれる。
このオイルは薔薇の精油を混ぜてあるので、とても香りがよかった。ヴァンパイア族の里でお土産にと、分けてもらったものだ。
(パジャマだから、あまり長く夜風にあたっていると怒られちゃうんだけど。寒い時期じゃないから風邪はひかないと思うのに)
こういった夜にはバルコニーに出て、遥佳は心を少しだけ開放する。そうすれば様々な形にならぬ感情が風に乗って届くのだ。
様々な希望や未来の夢。それぞれが熱中し、打ち込む情熱。淡い恋心に揺れる不安、想いが叶った時の歓喜。悲しむ心、立ち上がる覚悟。
だから風に頼んで、遥佳は体を屋根まで上げてもらう。そして屋根の一番上に立ち、今度は目を閉じて自分の力をほんの少し風に乗せて皆に運んでもらうのだ。
誰もが少しずつ勇気を持てるように。悲しみが和らぐように。自信が持てるように。
あくまでそれはちょっとだけだ。
人の心を操るだなんて、やってはいけないことだから。それでも目が覚めたら、その心に少しの勇気や温もりが宿ってくれればいい。
そう思って、たまにこういうことをしている。
(あら? どこに行くのかしら)
そうやって自分の能力を使っていたからだろう。
遥佳は、二階のバルコニーから翼を広げて飛んでいこうとしたヴィゴラスに気づいた。
「大丈夫よ、ヴィゴラス。もう降りるわ。心配して捜しに行かなくても私はここにいるから」
人の姿になれることを知られたのだからと、遠慮なく二階への階段も上がってくるようになったヴィゴラスだ。
どうやら遥佳の部屋にやってきたら無人だったのでグリフォンの姿になり、捜しに行こうとしていたらしい。
下に向かって呼びかければ、翼を広げたヴィゴラスが飛んでくる。
「迎えに来なくても大丈夫だったのに。だけど来たなら乗せてもらってもいい?」
(勿論だ。部屋に行ったらいないからびっくりした)
「ごめんなさい。心配させるつもりはなかったのよ」
そこで遥佳が降りてくるのを待つグリフォンではない。
どうせすぐそこだからと、ヴィゴラスの前脚に抱えられてバルコニーに降りれば脱ぎ散らかされた服があって、しょうがないわねと、遥佳はそれを拾って畳んでいった。
「あら? だけどヴィゴラス、下着はどうしたの?」
(下着? 着ていないが)
「下着というか、パンツは穿かないと駄目じゃない」
(ハルカが作ってくれたら着る)
「ごめんなさい。私、ちょっとそれは無理」
遥佳が縫ってあげたシャツとコットンパンツは、まさに海に遊びに行く若者っぽいものをイメージしたものである。ヴィゴラスのお気に入りだ。
とはいえ、男性用の下着なんて縫う度胸はないし、遥佳もサイズなんてよく分からない。
(ハルカなら、・・・見られてもいいのに)
「ヴィゴラス。イスマルクに怒ってもらうわよ」
さすがにまずいと思ったか、ヴィゴラスはそこで話題を変えた。
(それよりハルカは、自分で屋根の上に上がることができるんだな)
「そうね、一応は。だけどこういうのは私よりもきっと優理が得意ね。そして真琴が一番不得意だろうなって思うわ」
具体的に指示しないと、自然だって対応できない。だからどこまでだとか、高さや距離も明確に伝える必要があるのだ。
遥佳のように色々と迷う人間では、自然に頼むにしても敷居が高かった。
遥佳が使いこなせるのは、強い意思が働いている時だけだろう。
(だが、それだけ色々とできるということなのだろう?)
「どうなのかしら。そりゃ出来るだろうけど、その為にはずっと指示しなきゃならないし、具体的じゃないといけないから、私や真琴にとっては面倒なだけなのよね」
何故かというと、遥佳は家に引きこもって暮らすタイプだからだ。
それにどこか遠くに行く時は、ヴィゴラスが乗せてくれる。
生憎と遥佳は太陽の角度や山の形で方角を知ることができるタイプではない。人のいない上空では誰かの心を読んで方向を知ることもできず、彷徨う羽目になるだけなのだ。
「そうだわ。ねえ、ヴィゴラス。あなた、何か興味を持ったり、好奇心がわいてきたりしたことってないかしら?」
(興味か好奇心?)
「ええ、そうよ。あなた、最近、色々なことを覚えてるでしょう? 何かやってみたいこととか出てきてない?」
ヴィゴラスは鋭い目つきをどこか不安そうに揺らして遥佳を見てくる。夜にはひときわ深く輝く、ライムグリーンの瞳だ。
そこに悲しげなものを感じて、遥佳はヴィゴラスの首筋に両手を伸ばした。
「どうしたの、ヴィゴラス? なんで寂しそうなの? 何か辛いことがあったの?」
ヴィゴラスはその瞳を伏せた。そうして大鷲の頭で遥佳に頬ずりしてくる。
いくら遮断していても、こうして体が触れていればその感情が流れてくる。けれど理由を探ろうとすれば、まるで何かに傷ついているかのようで・・・。
「どうしてそんなに悲しんでるの?」
胸が締めつけられるような切なさに、遥佳は驚いてヴィゴラスから身を離し、その大鷲の顔を両手で挟むようにして尋ねた。
何かあったのだろうか。
(ハルカが心を読めるのは便利だと思っていた。だけどこういう時はそうじゃないんだな)
「ヴィゴラス? 私に知られたくないの? 大丈夫よ、そこまで読んでないわ」
誰だって心を読まれるのは嫌なものだ。
今まで自分が察しすぎたが為に失敗に終わった人間関係を思い出し、遥佳は慌ててヴィゴラスを安心させようとした。
「ごめんなさい、ヴィゴラス。私が無神経すぎたのね」
ヴィゴラスが様々な感情を揺らして自分を見つめているのが分かる。
けれども思っていることを心に浮かべてくれないので、遥佳は戸惑った。
(そうよ。誰だって人には知られたくない感情や思いがある筈なのに)
ヴィゴラスが優しいから自分は甘えていただけだ。
忸怩たる思いに、遥佳は顔を背ける。
「・・・・・・っ」
自己嫌悪で泣きそうになりながら、遥佳は少し身を後ろによじるようにしてヴィゴラスから半歩ほど距離をとった。
何かを言いたいのに、何を言えばいいのか分からない。
(そうよ。私は調子に乗りすぎてたの)
ヴィゴラスを見る勇気がなくて、その床に目を落とせば重厚な色合いの板が目に入る。
この家で惜しげもなく使われているローズウッドの床板は、ドワーフ達の遥佳に対する優しい心を伝えてくるものだった。
だから自分は根拠もなく思いこんでいたのだ。
全てはうまくいくのだと。
この大陸に暮らす人達を愛して、そして愛される日々があるのだと。
「えっ、と、・・・あの、ね、ヴィゴラス」
それでも黙っていてはどうしようもないだろうと、勇気を振り絞れば声が震えた。
そこへ背後から、人の腕がまわされる。
「やっぱり人の腕は不便だ。幅がなさすぎる」
「・・・翼と比べるもんじゃないと思うの、ヴィゴラス」
言うことはあまりにもヴィゴラスらしかった。遥佳もいつものように指摘してしまう。
しかし目の前に褐色の腕があると、やはり言わずにはいられなかった。
「あ、あのね、ヴィゴラス。人の姿になるなら服を着てほしいんだけど」
「だけど服を着ていない俺なら、ハルカも動けないだろう?」
「それって、どういう・・・」
どういう意味なのかと、ここで問うのは正解だろうか。
顔が赤くなるのを止められない。
「ヴィゴラス?」
「もう寝た方がいい。肌が荒れる上、寿命が縮みやすくなるから夜更かしはするものじゃないと、ユウリ殿も言っていた」
ひょいっと抱きかかえられて運ばれれば、更に服を着ていない上半身が目に入った。いや、思いきりその体が遥佳に触れている。
かああっと、遥佳の顔は真っ赤になった。
(そんなことより、何がなんでもまずは服を着るようにって、どうして言っておいてくれなかったのよっ。優理ってばっ)
遥佳は、目をぎゅっと瞑る。頬が熱い。
寝台に寝かされて羽布団をきちんと掛けられれば、まるで自分の方が小さな子供になったかのようで、遥佳は戸惑った。今まで遥佳こそがそんな気持ちでヴィゴラスを見ていたというのに。
「最近はグリフォンの姿で私の上に寝なくなったわね、ヴィゴラス」
目のやり場に困って壁の方へ視線を逸らしつつ、遥佳はそんなことを言ってしまう。
「ハルカが俺を子供だと思っているならそれもまだ許されただろう。だが、そうでないなら我らにそれは許されていない。ましてや・・・」
「え?」
ヴィゴラスの笑顔が、まるで何か透明なものを通して見たかのような隔たりあるものに思えて、遥佳はつい掛け布団の下から手を出してヴィゴラスの腕を掴んだ。
「ハルカ?」
「どういう、意味・・・?」
こんな、まるで愚かな子供にその間違いを指摘できずに困っているかのような顔で、ヴィゴラスが自分を見たのは初めてではなかろうか。
「ハルカが望まなければ、我らは告げる権利すら有しないということだ」
「え?」
寝台に腰掛けながら話すヴィゴラスは、当然ながら裸で、だから遥佳は起き上がることができなかった。起き上がったら下半身が見えてしまうからだ。
だから今ほど、ふわふわの掛け布団に感謝したことはなかったかもしれない。自分の視界から、それを遮ってくれるのだから。
けれども起き上がれないので、ヴィゴラスの言葉を問い詰めることができずにいると、掛け布団ごと抱きしめられた。
その重さを感じて、遥佳は小さく笑う。
「やっぱり体重をかけないと苦しいでしょ? いつも無理してたんじゃないの、ヴィゴラス?」
第7神殿での日々。目覚めればいつも上にグリフォンがいた。
ふわふわした羽毛はとても温かいけれど、全くその体重を遥佳は感じることもなく同じ夜を過ごして・・・。
腕立て伏せすら続かない遥佳には、あまりにも驚異的な脚の力だ。
「そんなことはない」
「・・・んっ」
自分の胸の上にあった顔が近寄ってきて、そうしてキスされているのだと知った時、遥佳は思考が止まった。
(・・・え?)
今までヴィゴラスが、遥佳の唇にキスをしてきたことは一度もない。そして遥佳に唇へのキスをねだることもなかった。心の中では願っていても。
(え・・・? って何これっ、何なのこれっ。ちょっ・・・、ヴィゴラスッ)
流れ込んでくるヴィゴラスの感情に翻弄され、遥佳の体温がどわっと急上昇した。
全身に高濃度のアルコールを流されて火を点けられたかのようだ。
(と、止めてっ。ヴィゴラスッ)
自分の心は相手に通じないことを忘れて、遥佳は助けを求めるかのように手を伸ばそうとした。その手がヴィゴラスの上腕を縋るように掴んでも、ヴィゴラスの心に浮かぶのは歓びだけだ。
自分の全てを塗り替えていくかのような激情に、遥佳の心が制御を失う。
キスされている現実よりも、流れてくる感情があまりにもめまぐるしくて激しくて、くらくらと視界が揺れた。
(あ、・・・も、無理・・・)
その視界が暗くなり、目を開けていられなくなる。
(ヴィゴラス、こんなに激しい子だっただなんて・・・)
広がる闇に意識が落ちる時、遥佳はどうして母が父の感情を完全に遮断していたのかを、心の底から理解できたような気がした。
そうして。
(あら? ・・・朝? あれ? いつの間に?)
気づけば、朝日が自分を照らしていた。
窓を通して聞こえてくる鳥達の囀りはとても楽しげだ。
目を閉じたと思ったらもう朝だった遥佳は、寝ている間に見ていた夢に赤面しながら起き上がる。
(し、信じらんない、信じらんない、信じらんない・・・。あの子ってば、あの子ってば・・・っ)
今となっては子供じゃないと分かっているが、どうしても子供グリフォンだと思っていた名残りが出てしまう遥佳だ。
(あんなこと考えてたなんてっ。しかもあそこまで見てたなんてっ。信じらんないっ)
どんな顔でヴィゴラスに会えばいいのだろうと思って悩みながらも一階に降りていった遥佳は、そこでイスマルクから、ヴィゴラスが出ていったと聞かされることになった。
「え? 出ていったって、・・・どうして?」
「なんでも・・・。いや、それは仕方ないことだし、何を言うべきことでもないだろう。とりあえずハールカ。朝ごはんはできてるし、まずは食べよう。な?」
「そんなっ。だけど大変じゃないっ」
「まあ、・・・別にあいつだってグリフォンなんだし、全く大変じゃないさ」
そんな歯切れの悪いイスマルクの表情はどこか困惑している。だからその心を遥佳は読んでみた。
(もう自分はハルカにとって疎ましい存在なのだからと言って家出したとは、さすがに言いにくい。しかしハールカがヴィゴラスを手厳しく振ったとは。あれだけ仲良くても分からんもんだな)
イスマルクから、複雑そうな心が流れてくる。
(ちょっと待って。何それ)
遥佳は混乱した。
自分が思っている事実認識とイスマルクが思っている事実認識の間には、あまりにも隔たりがありすぎる。
一体、何がどうしてこうなっているのだろう。
(本当にちょっと待ってちょうだいっ。誰がいらない存在で、いつ私があなたを振ったというの、ヴィゴラスッ)
自分は一方的にキスされて、しかもその相手に家を出ていかれた状態だと思うのだ。
(これって、もしかして私、やり逃げされたってこと・・・?)
子供だと思っていたら、いつの間にどこまで汚れた大人の階段を上っていたのだろう、あのグリフォンは。
「そんな・・・。ヴィゴラス・・・」
「気にするな、ハールカ。男と女のそれは、どちらが悪いなんてことはない。自分の心が本当に求める人と出会う為のステップだっただけだ」
「全面的に悪いのはヴィゴラスだと思うの」
昨晩はヴィゴラスのおかげでとんでもない夢を見た。
(無性だった頃から少しずつ女性化していく間、私の体の変化を全部覚えてて、それこそ頭の中では思いっきり好きに磨き上げて堪能してたって何なのっ、ヴィゴラスッ)
遥佳の羞恥心はもうぼろぼろだ。
「そりゃそうだろう。ヴィゴラスが悪くないなんてことはあり得ない。あんな人格が破綻した奴がフラれないと思ってる方が図々しかったんだ」
イスマルクは常に遥佳の味方だ。
だからそう言って頷いてくれるが、事実はかなりイスマルクの想像とは違っている。
大前提として振るも何も、お付き合いの申し込みどころか告白もされていない。ならば、お断りする以前の問題だろう。
それどころか、それらをすっとばかしていきなり同意なしのキスをされてしまった。
(思いっきり私、ヴィゴラスの中で宝石磨きされてたんだけど)
勝手に人の体を脳内で宝石磨きしていた幻獣が、どうして傷ついたと言わんばかりに家出しているのか。
ちゃっかり自分の唇を奪っていったのはヴィゴラスなのに。しかも、そこで流れこんできたヴィゴラスの感情はあまりにも激しすぎた。
(自分の宝物を共有しないグリフォン。まるでヴィゴラス、自分の全ての宝を強奪されたかのようなショックだったんだけど・・・。しかも私の変化を全部覚えていたっていう事実が凄すぎたわ)
自分だって中学時代は共学だ。男の子の妄想はよく知っている。それでも彼らの妄想は、現実とはかなりかけ離れたものでしかなかった。
あの程度で傷ついていただなんて、当時の自分はなんてお子様だったのだろう。
今朝になったらそう思えてしまう程に、ヴィゴラスの視力と把握能力はレベル違いどころか、ランクがあまりにも隔絶しすぎていた。
あそこまで完璧に知られていただなんて、まさにもう、お嫁に行けないぐらいのショックだ。
(頭の中ではずっと宝石磨きされてて、しかも強引にキスされて逃げられた・・・ことになるわけ?)
もうすぐ18才になろうとする17才。この若さでそんな目に遭うとは思ってもいなかった遥佳は、くらりと眩暈を覚えずにはいられない。
ヴィゴラスにしてみれば、
「キスしかしてない」
かもしれないが、遥佳にとっては為す術もなく一方的に全てを奪われた気分だ。
(なにがどうしてこんなことに・・・?)
その日、イスマルクが作ってくれた朝食が何だったのか、それは全く遥佳の記憶に残らなかった。
ミザンガ王国の首都ザンガ。
ドレイクの持ち物である屋敷に皆で移ってきたものの、パッパルート王国人は誰もがエリートの割に手がかからない。
さすが砂漠の民は違うと、優理は思った。
水が限りある資源だからだろう。本当に無駄使いせずに使うのだ。
「あのね、エンセさん、オーリムさん。別にミザンガでは水に困ってないし、だから平気よ? かえって水をあまり使わないと汚れが落ちないの。パッパルートでは砂が研磨の役割を果たしたんだろうけど、ここではそうじゃないから。遠慮なく使ってちょうだい」
ベージュ色の髪に黄土色の瞳を持つパッパルート王国人。
まさに砂漠を思わせる乾燥した色合いだなと、パッパルートでは思ったものだが、こうしてミザンガ王国に戻ってくると、穏やかでしっとりした色合いに見える。
パッパルート国王ディッパとその護衛ニッカスとは、砂漠で無理矢理親しくなった優理だが、他のパッパルート王国人とは手探りで仲良くなろうと努力中だった。
「そうなんだろうが、こればかりは習慣だな。いや、羨ましい。だが、ユーリ殿も水脈に明るかったと聞く。良かったらそれを教えてもらいたいものだ」
「エンセ殿は不在だったのですよね。いや、あの時は皆が歓声をあげていた。凄かったですよ、ホント」
エンセの言葉に、オーリムが身を乗り出す。
「その話は聞いたし、皆がそう言うんだが、俺が戻ってきた時には井戸がもう出来てたわけでな。いや、今からでも弟子入りしたいぐらいだ」
緑化関係の仕事をしているというエンセとオーリムは、やはりそこが気になるようだ。
何かと探りを入れてくるばかりか、露骨に教えてほしいと言ってくるのだが、こればかりは優理も教えようがない。
何故なら自分達姉妹3人だけが使える手段だからである。
「えーっと、それはもう勘としか言いようがないのよ。だけど、この計画が動き出したならちゃんともう一度パッパルートには行くもの。今度はもっときちんと対応させてもらうし。だけどこういうのは、皆が一気に協力しないといけないと思うから・・・。もう少し待ってね」
エンセとオーリムは、今まで土を運び、水をやり、木々を植えて、そうして努力し続けてやっと少しの緑が定着するといったことを繰り返してきている。だから結果が全てとばかりに、新しい井戸を示したばかりか、涸れた井戸を甦らせた優理に対して好意的だ。
それこそ優理が頷けば、今日すぐにでも優理を担いでザンガを発ち、パッパルートの砂漠へ駆け戻るに違いない。なんかもう狙われている感がバリバリだ。
「だけどごめんなさいね。私の為に、お二人とも見学ができずに家にいるって嫌よね。どうせなら市場を案内するわ。私もそこまでザンガの市場に詳しいわけじゃないんだけど」
ティネルの市場なら庭のようなものだが、さすがにザンガの市場は勝手が違う。
優理の申し訳なさそうな顔に、エンセが軽く手を振った。
「いやいや。わざわざドレイク殿が護衛なしに出歩かぬ方がいいと言ったのなら、そうした方がいい。この国の女子はどうも気軽に外出ばかりしているようだが、やはり危険だからな」
「普通は危険じゃないと思うの。ただ、今回はその危険な状況を作りあげたのがドレイクなだけで」
レイスとカイネはドレイクと共に色々と動いているようだ。
優理は、ドレイクがこの屋敷を提供した日のことを思い出した。
『ユーリん言っとった風俗店というものの現状を知りたい、ねえ。歓楽街は行きゃ見れる言うても、一軒やそこらで分かった気ンなるより体験してき。うちん店、使えるようにしたるわ。一通り見りゃあ分かるやろ』
習うより慣れろと、ドレイクは自分達が経営している店を案内して、ディッパ達一行にそこを無料で利用させている。
『勿論、それは常識の範囲内っちゅうんは了解しとってや。いくら無料や言うたかて、そんでどんちゃん騒ぎを派手にやらかされたんじゃたまらへん。そういうんは自分の銭でしてや言わせてもらうわ。
あくまでそちらさんがどんなもんかを知る為に、うちんとこ提供させてもらうだけよってな』
『ドレイクってば。ディーさんはそんな人じゃないわ。かなり気遣いの人よ?』
優理が呆れて口を挟めば、ドレイクは軽蔑の眼差しを向けてきた。
『そんなん見りゃ分かるわ、ユーリ。けどな、他んお人もそうか言うたら分からへんやろ。たまにおるんや。こっちが手配したらタダや思うて見境のう調子こいてくれるんが。一番の売れっ子らを出せとか、いっちゃん高い酒用意させたりとかな』
『なるほどな。その気持ちは分かる』
その会話に、パッパルート国王ディッパもうんうんと頷く。
『せやろ? 分かるやろ? おるんや、ホンマ。自分ン価値もよう分かっとらん奴ってんは。そういう奴に限って図に乗る、決まっとってな。こっちが提供したりたい相手は常識的なんやが、そん取り巻きっつーのがあかん。ホンマあかんのや』
『ああ、分かる。全く、あれだけは本当にムカつくってもんだからな。こっちが丁寧にしているからって自分が大物だと思いこむのは勝手だが、常識的に考えれば、
「お前に何の価値があると思ってんだ、ボケ。顔洗って出直せ」
ってなもんだろう。勿論、そんな大人げないことは言わんが』
『それやそれっ』
色々と二人も経験してきたのだろう。・・・と、優理は思うことにした。
思えばパッパルートも貧乏国家ではあるが、あれだけの建築技術や広い王宮を持っているのだ。しかも女官達もなかなかエキゾチックな魅力を持っている。
かえって国賓の同行者達が、無理を言い出すこともあったのかもしれない。
(ま、所詮は持てる者の悩みって奴ね。振りたくても振る袖のない人間には意味のないぼやきってものよ)
その気になったらかなりの資産を持ち、振る袖など世界で一番長いであろう優理は、他人事のように考える。
実際、ドレイクにとって提供する価値があるのは決定権を持つディッパだけだ。他のパッパルート王国人はオマケにすぎない。
(だけどさすがは国王。一晩、そういった女の人と過ごしても、ちゃんとチップを払った上で、話を聞いて色々と調べてくるんだもの)
単に護衛のニッカスと同じ部屋だから羽目を外せなかっただけかもしれないが。なんでも国王陛下という職業は、そういう時だからこそ一人にはなれないらしい。
他の同行者は楽しみながらもそれなりに情報を集めたり、・・・ミイラ取りがミイラになったというのか、新しい快楽に目覚めて自分でも更にお金を払ってまでのめりこんだりと、様々だったようだ。
けれどもパッパルート王国の風俗産業に対する考え方と、よその国との現実は違うということを、大きく実感したことは確かだろう。
(だけど、ドレイクも今はバタバタなのよね。ドレイクとは違う道を行くって宣言した人もいるみたいだから。・・・ただ、その道を分かった人達に私が狙われるだろうって、もうみんなが確信してるってのは何なのかしら)
優理は主張したい。
自分は光の道を歩む一般人なのだと。
裏街道を歩む奴らの抗争なんぞに、純粋で汚れなき可愛い女の子を巻き込まないでほしいと。
(レイスとカイネさんもずっとドレイクにつきっきりってことは、やっぱりドレイクも危ないのかな)
探ろうにも、レイスが傍にいるなら優理が寝込んでもどうにでもしてくれるだろうが、レイスはドレイクと共にいる。
しかもエミリールは、優理の代わりに買い出しに行ってしまった。
さすがにこれだけの人数がいると、食べ物の買い出しも凄い量になる。
(私も行くって言ったのに。エミリール、心配性だから連れてってくれないし)
同時に、ドレイク達の事情はドレイク達の問題だった。
今日のディッパ達は、ミザンガ王国にある主だった神殿めぐりをしに行っている。神殿一つが抱える信者の数や、神殿の割合を調べたいらしい。
けれども優理が一人でお留守番というのは心細いだろうと、エンセとオーリムが残ってくれたのだ。
(かえって一人の方が安全なんだけど・・・)
周囲のことを考えず、全方向的に防御を張り巡らせればいいだけだからだ。かえって誰かがいるとそれができず、優理の防御能力は落ちてしまう。
そう考えてブルーになっていたら、オーリムが明るく話しかけてきた。
「ですが治療所を見学もできて、色々と参考になりましたよ。そりゃ勿論、我が国とは風土が違う為、やり方などは違うという話でしたが、それでも人を思う心は同じだ。うちのジュウカ殿やオウル殿も、かなり後ろ髪を引かれていた。その内、こっそりと抜け出してもう一度見学に行くんじゃないですかね」
ジュウカとオウルは、医療関係を管轄する部署に勤務している。
けれども空気が乾燥しているパッパルート王国と湿度が保たれているミザンガ王国とでは、同じ手当てをしても時に結果が反対になりかねないのだ。
そこらへんの違いを治療所の医師達とも話しながら、互いに感銘を受けていたようだった。
「そうかも。だけどまだまだ見せたいものは沢山あるわ。だって、・・・パッパルートに戻ったら一気に取りかからなくちゃいけないんだもの。ミザンガだけじゃなく、キマリーにも行くんだろうけど、最後にやっぱりギバティは見ておいた方がいいと思うし」
優理だってそれなりに人生経験を重ねてきた。
何だかんだ言っても少女にすぎない自分に反発している人間が、この一行の中にもいるであろうことは分かっている。誰もが大人だから顔に出さないだけだ。
けれども、そんなのでぐじぐじと悩む暇などはない。
そこでエンセが穏やかに口角を上げた。
「まるでディー様よりもユーリ殿の方が焦っておいでのようだ」
それは、ディッパが暢気だと言っているわけではない。
国王ディッパは、一朝一夕には変わらない現実を知っていた。そして、自国へ戻ったら二度と他国へこんな風にはやってこられないことも。
だから様々な体験や知識を、貪欲に自分の全てで吸収しようとしている。たとえ専門外でも彼らを同行させているのは、専門バカが国を動かすことはできないからだ。
「そうかも。だって、早く終わらせればそれだけ早く取りかかれるもの。遅いよりは早い方がいいわ。手遅れになる筈だった人も、そうじゃなくなるかもしれない。だから上に立つ人は努力する義務があるのよ。自分という存在に向けられた希望を潰さない為に」
「なるほど。では、あなたにはどなたの希望が向けられていると?」
どうやら留守にしていた筈のエンセは、それでも優理の「パッパルートの王族もしくは大臣の血を引く悲劇の姫君説」を聞いていたらしい。
しれっとその質問をぶち込んできた。先祖代々の悲願とでも答えてほしいのだろうか。
「あら。決まってるでしょ」
だから探りを入れてきたのかと思った優理は、そこで右手を大きく太陽に向かって指差した。
「この私のっ、明るく輝く金貨がじゃらじゃらウハウハな、老後は左団扇で安泰生活って希望がかかってるのよっ」
「・・・そ、そうか」
「あのぅ、エンセ殿。あまり、姫君って言葉に夢は持たない方がいいと思いますよ? ええ、ユーリ殿、かなり俗物的なお人のようですし。いえ、俺はいいなと思いますけど。分かりやすくて」
表情が固まってしまったエンセに、オーリムが小声でちょいちょいと腕を軽く叩いて話しかける。
けれどもそんな雑音など、優理は気にしないのだ。
そう、自分は経営者として成功してみせる。
失敗したら恥ずかしいから、絶対に素性を表に出す気はないが。
(そうしてジンネル大陸で一番の成功者になってみせるのよっ)
ギバティールの市場における占い屋ですら閑古鳥を鳴かせていた自分の経営手腕を、
「時代と環境が悪すぎたのね」
で終わらせる優理は、いつだって前を向いて歩いていく自分でありたい。
たとえ根拠がなくても。
だから堂々と、自信ありげに胸を張ってみせた。
同じザンガにいても、優理と違って金貨ウハウハ生活を夢見ていられない男達は存在する。
行儀悪くもテーブルの上に腰掛けながら、ドレイクは鎖帷子の上からシャツを羽織った。
こういうことがあるから、急襲されにくい隠れ家は必要なのである。
「腕もちゃんと防御しとけ、ドレイク。その一つで命を拾うことはある」
「なんや、レイス。ほなに俺んこと愛しとったんか」
分かってはいても身動きが制限されるのが嫌で袖無しにしていたドレイクは、ニヤリと笑ってみせた。
言うだろうと思っていたレイスは、勝手にドレイクの袖をまくって長手甲を取りつけていく。
「ああ。まだお前には俺の盾になってもらわんと困るからな」
「愛が見えへんっ。見えへんのっ。そこは甘くいこうやっ」
くうぅっとドレイクは唇を噛みしめた。
レイスは勝手にドレイクの腕を動かし、具合を確かめていく。
以前と体のサイズも変わってないようだ。これなら問題あるまい。
「お前の視力が落ちたんだろう」
一番のお調子者さえ確認しておけば、他の奴らは自分で装備している筈だと、レイスはフォルナーに向き直った。
フォルナーは、ドレイク達がミザンガ王国を留守にする時、代行を任されている男だ。
「かなり多いな」
「ああ。俺は引き留め工作なんてしなかったからな」
「フォルナー。だが・・・」
ドレイクのやり方に反旗を翻した中には、フォルナーがかなり目をかけていた男も入っていた。
レイスの顔にそれを察したのだろう。フォルナーは肩を竦めてみせる。
「しょうがねえだろ。ドレイクが言ったんだぜ。最後まで一緒にいるのは本当の仲間だけでいいって。風が吹きゃああっち向いてこっち向いての風見鶏なんざいらねえってこったろ。なら俺も放っておくさ。あいつらに目をかけてた俺の見る目がなかったってだけよ」
そこでフォルナーは周囲を見渡し、くくっと笑った。
「何だかよぅ、思い出しちまうな。あん時も俺らはこんな感じだった」
「せやな。元々俺らはこんなもんやった。・・・結構、走ってきたわ」
相槌を打つドレイクの言葉に、マイルートがやりきれなさそうな顔になる。
「すまんな、ドレイク。俺の体が昔通りなら・・・」
「ほんなん気にせんかて大したこたないわ、マイルート。その分、レイスが動くよって」
「簡単に言ってくれる。ドレイク、フォルナーに全責任を押しつけてるが、お前だって引き留め工作は何もしなかったんだろう?」
レイスに問われ、ドレイクが右の床を見下ろす。
「・・・・・・」
そんな彼の顔をレイスは見続けていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
じっと、レイスは見続けていた。
「しゃ、しゃーねーやんっ。やって、こないな時は・・・っ」
沈黙に耐えかねてドレイクが喚き始める。
「こんな時は? 何なんだ、ドレイク?」
「せやかて、ほら、の? やっぱなぁ、やる時ゃ負けとるぐらいからやるんが楽しぃやろ?」
「ほう?」
その声はとても冷たかった。
「そっ、それにやなっ。こんだけ勝負見えとる中でもこっちに残ってくれたん見たら、ほら、心が和まへん? あー、友情ってええわぁって感じで。な? な?」
「友情? どこに?」
レイスはそう終わらせると、ザンガの地図に示された自分達の店や、今まで仲間に任せてあったそれらを改めて見ていく。
「どっちにせよ、このどさくさで俺らの店までそのままもらおうとはな。だが、ここまで造反者が出ると、真っ向勝負はきつい」
「そげなこと言わんといてぇな。レイスなら大丈夫やて」
「疲れるのはごめんだ」
「そんだけかいっ」
そんな会話をしていても、ドレイクとレイスは地図を真面目に見ていた。地図上の一つ一つの店や事務所を手で示しては、顔の表情だけでやりとりしていく。
言葉がなくても、それでお互いに理解できるのだ。それだけの日々を重ねてきた。
そうして、ある程度の段取りを決めたところで、バタバタ、ドタドタと大慌ての足音が響き、ガチャッ、バタンッと、数人の男達が飛びこんでくる。
「たっ、大変っ。大変で・・・っ」
「どうした? 落ち着いて報告しろ」
ドレイクを制し、レイスが前に出た。
かなり慌てて駆けてきたであろう男達は、そこで安心したかのように床に崩れ落ちる。
彼らは、見張りをしていた筈の男達だ。
レイスはそこにあったカップに水を汲み、彼らに差し出した。
「あ、す、すみやせんっ」
「ありが・・・、ざい・・・っ」
「どっ、・・・どもっ」
そうして水を飲めば彼らも少し余裕が出てくる。
「大変でさぁっ、ドレイクさんっ。フォルナーさんも大変だっ。す、すぐに・・・っ」
「どうした。まずは何があったかを言え」
緑の瞳に警戒心を漂わせ、フォルナーが彼らに問いかける。
「デリーと、ミンデらが・・・っ」
ミンデは、フォルナーが目をかけていた男だ。今回、その恩を忘れて、ドレイクとは別の道に行くと宣言した。
彼らの厄介な点は、ドレイクの店を任されていただけなのに、この店はもう自分の物だと主張し、そこから出て行かないばかりか、徹底抗戦の構えをみせたことにある。
「ミンデがどうした?」
名前を聞くだけでムカつくが、仕方あるまいと、フォルナーが自分を抑えた後で、その報告はなされた。
「あいつら、全員襲われて、壊滅状態ですっ!」
「「「「・・・・・・」」」」
ドレイク達は、何をこいつは言い出したんだという目で、その知らせを持ってきた彼らを見遣る。
「本当ですっ。俺らはそれで慌てて・・・っ」
「恐らく逃げられた奴はここに助けを求めてくるかもしれやせんっ」
「エスティスさんに報告したら、こっちに行けと・・・っ」
こうなったら、やはりドレイクに逆らうべきではなかったと、すごすごと戻ってくる男も出てくるだろう。
だから先に知らせに来たのだと、彼らは言う。
「壊滅とやらの事情がよく分からんが、・・・裏切られるのは一度だけと決めている。二度やる奴は三度やるし、三度やる奴は四度やる。今頃になって何か言われてもこちらが応える理由は何一つない」
レイスは吐き捨てた。それでも事情が気になる。
それは誰しも同じことだろう。
「エスティスが報告しろ言うたんやろ。ええわ。現場見に行ったる。案内し」
ドレイクに促され、その報告の為に駆けてきた彼らは、何とも言えない顔で立ち上がり、案内し始めた。
人は簡単に買収される生き物だ。だから、案内させながらもドレイクやレイス達は、報告してきた若い彼らを完全に信用などはしていなかった。
そう言って誘き出されている可能性の方が高いからである。
しかし、ドレイク達にそれを報告してきた三人は、かなり怯えていた。
(何か恐ろしい脅しでも受けたか? こいつら、見えない部分を怪我させられているとか?)
しかし、腹や太腿などの痛みを庇っている様子もない。
ドレイクとレイス、そしてフォルナー達は、その辺りを視線で語り合うが、どう見ても様子がおかしい三人から話を聞きだすより、現地に行った方が早いとも判断していた。
どうせ十数人の仲間は残してきている。また、自分達についた仲間はそれぞれの拠点に分散させてあった。
今も、自分達を違う場所から見ている仲間達がいるように。
建物のカーテンの隙間から、オールグがいざとなったら加わると、合図してくる。
「ところでドレイク」
「なんや」
黙りこくって歩いていても仕方ないので、レイスはドレイクに話しかけた。
「お前、俺が出稼ぎに行ってる間に使いこみした奴、許したそうだな」
「・・・・・・」
「そういうのはなめられるから、今回はもう許さないようにするって話し合ってたよな」
「・・・・・・」
「二度も許されりゃ、そりゃ調子に乗ってこうして裏切る奴も多く出るって分かってたよな」
「・・・・・・フォ、フォルナー」
ドレイクは助けを求めるような顔になってフォルナーを見た。
それを察していたフォルナーは、その前に、すっと全く違う方へと顔を背ける。
彼は雄弁に、「俺は知らん」と、その動作で告げた。
「フォルナーッ」
何てことだろう。
誰もが目撃してしまったその寸劇に、顔を赤くしてドレイクが小さく怒鳴りつければ、ほじほじとフォルナーは耳を小指でほじってみせる。
最後まで一緒だと誓った友情は時に脆い。脆すぎる。
「あー、最近いやに耳が遠くなってな。年だなぁ、俺も」
当たり前だ。ドレイクと違ってレイスは鬱陶しい。忘れた頃になってペナルティを課してくる男だ。
フォルナーとて無用な恨みは買いたくないのである。
この件がどうにか片付いたら、ここまで掌握していなかったとはどういうことだと、ねちねち言われそうだと分かっていれば尚のこと、説教のネタは減らしておきたかった。
(こっちに残ったんは百数十人てか。負け戦もいいとこだな。だが、・・・負ける気にゃなんねえ)
フォルナーは過去を振り返る。
もう無理だと思ったことなんて、何度もあった。
多勢に無勢だった時も、嫌なスパイラルに陥って何もかもが悪手となってしまった時も、どうしようもない絶望に打ち拉がれた時も。
それでもまだ生きている、一緒に戻るのだと、・・・自分達はまだあと一歩を踏み出せると、そうして互いに手を差し出し合って乗り越えてきた。
(結局はそういうこったな。俺らはあの苦しい時を一緒に過ごしてきた。だけど後から頼ってきた奴ってなぁ、その程度だったってことさ)
勿論、後から仲間に加わった奴らでも自分達についた男達は多くいる。
(レイスがあいつらを処分しに行くのが一番確実だった筈だが、こう誘い出されるとはな)
先程、地図を見ながらドレイクとレイスが無言で打ち合わせていたのは彼らを処理する順番だ。
彼らがもう自分の物だと主張しているそれらは、本来はドレイクが用意し、彼らに管理させていた物だ。そう、管理させてもらっていたという意味を、彼らは分かっていない。
自分達しか知らない隠し通路、そして出入りできる場所。
(いつでも始末しに行けるってことさ。誰にも知られることなくな)
ああ、本当に・・・。あいつらに教えていなかったのは正しい判断だった。
改めてフォルナーはレイスの人間を信じない行動が正しかったと思わずにはいられない。
「せやからしゃあないやろ。何事も有り難味ってんが大事や思たんや」
「何が有り難味だ」
「そこにロマンがあるやろ、ロマンが。考えてもみ? ちょこっと努力してええ結果もらうより、先は見えんくても努力して努力しての、そうして得た結果ん方が遥かに嬉しい言うもんやろが」
「・・・つまり、ドレイク。お前、やっぱりわざと離反させたな?」
フォルナーが物思いに耽りながら歩いている間に、ドレイクとレイスには相互理解なのか相互不理解なのかが分からない状況が展開されていた。
「やけん言いとうなかったんやっ。レイス怒るやろな思たしっ」
「思っててやるから怒るんだろ」
レイスの疲れたような顔がフォルナーに向けられる。
さすがにフォルナーも何か言わねばと思った。
「ま。そう怒るな、レイス。えーっとな、さっきの打ち合わせしてた奴、やるなら俺も手伝うからよ。な? ドレイクだって考えなしなわけじゃねえさ。ただちょっと、お調子もんなだけで」
「どいつもこいつも、どうしてそうドレイクに甘いんだ」
「言っとくが一番甘いのはレイス、お前だ」
フォルナーが言えば、後ろをついてきたヴィオルト達がぷっと噴き出す。
しかし、そんな気の抜けるようなやり取りをしていたのも、彼らにとってはウォーミングアップでしかなかった。
なぜなら最初から罠だと思っていたからだ。
ならば虎穴に飛びこむ以上、リラックスして全力を出し切った方がいい。
だからふざけた会話をしていたというのに・・・。
まさかの事態がそこに待ち受けていた。
「な、なんだ、こりゃ・・・」
高い塀に囲まれた門や、建物の扉をどんどん叩いても返事がないので屋内へと入っていけば、そこに広がっていたのは血の海だった。
庭にあった血痕と、建物の内側に積み上げられた死体を考えれば、彼らの亡くなった場所はそれぞれ違う場所だろう。
それを実行した奴は建物の内側に遺体を積み上げていくことで事態の発覚を遅らせようとしたのか。
「だから言ったじゃないっすか。あ、ミューロ。こいつ、こいつですね、俺がドレイクさん達の所へ走ってく前には、こいつ、まだ元気に生きてて・・・」
案内してきたリックは膝をつき、今回のことで袂を分かったとはいえ、つい先日までは仲間だったミューロのこと切れた姿に涙を零し、瞼を撫でて目を閉じさせてやる。
「そうなんすよっ。悲鳴が聞こえたから俺ら、あっちの窓から見てたら、何かここの二階の窓から庭まで放り投げられてる奴らの姿が目に入って・・・っ」
「しかも、どいつもこいつも為す術もなくって感じだったんですっ」
次々と言い募る彼らは、恐らくこれを見せないとドレイク達も納得しないだろうと思ったのだろう。
壊滅とは聞いたが、どう亡くなっていたのかを震えて話せなかった理由は、まさに恐怖だったか。
「たしかにこりゃ、・・・壊滅状態じゃねえか」
フォルナーがぼんやりとした口調で呟く。
むかついていたのは確かだ。しかし、こんな姿にあっさりと変わられてしまえば、その怒りすら行き場をなくしてしまう。
違う建物の窓からその建物の様子を観察していたリック達は、いきなりの悲鳴に驚き、そして二階の窓から投げ捨てられるかつての仲間達の姿を認め、その容赦のなさに、これは完全にヤバいことが起きたと思ってエスティス達に報告し、そのまま走ってドレイクへと報告してきたのだ。
だが、その時はまだ逃げ出す男もいたと、そう呟く。
「ミューロも、逃げようとしてたから・・・。だから逃げきっただろうと思ってたんすよ。そりゃこいつは小狡くて、いい加減で、約束なんざ守らねえし、最低な奴だったけど、それでも・・・、それでも酒を飲みゃお袋さんの話をしてよ・・・」
誰もが知らない顔ではないのだ。複雑な思いがよぎる。
「皆殺しかよ」
その建物には死体しか残っていなかった。罠にしてはあまりにも苛烈すぎる残虐さだ。
「誰がこんなことを・・・」
「少なくとも、聞いた誰もが俺達を疑うだろう。他に、こいつらを始末してメリットのある奴はいない」
レイスが冷静にそう述べると、その場にいた皆が表情に緊張を走らせる。
「他の、離反した奴らと俺達とを、全て確認する必要がある。これは俺達の離反者にだけ加えられた凶行なのか、それとも俺達全てに対して仕向けられたことなのか。つまり、乗っ取りをどこかに仕掛けられているのかどうかを」
「レイス。お前、心当たりがあるのか?」
「いいや、そもそも俺達はここで上手くやってた筈だ。そうだな、フォルナー?」
「ああ。こんなことしてもメリットがねえ。そこまでの大所帯なんざ・・・」
そこでロドゲスが口を開いた。
「いや。やりそうな大所帯が一つある。ギバティールに根城を持つ男だ。このザンガに用はないだろうが、ここにはあの男が執着する存在がいる。それがバレたとしたら・・・」
はっと、ドレイクやレイス達が顔を見合わせる。
「なんだ、そりゃ。ギバティールって、そこの奴がザンガにまで遠征してこれを仕掛けてきたってか? なんだ、お前ら。そいつが執着する存在って、どんな人材を確保してきたんだ」
フォルナーが眉根を寄せて問うが、レイスは返事もせずに駆け出した。
「何なら地下へ隠しっ」
「ああっ」
背中に掛けられるドレイクの声に返事をし、レイスはここ数日暮らしている邸へと向かって、凄まじい速さで道を走り抜けていく。
それを見下ろしている黄緑色の瞳に気づくことなく・・・。
(一体、何が起きているっ。まさかキースヘルム、本気で仕掛けてきたかっ)
そんなレイスの姿を、彼は見ていた。
黄緑色の瞳を鋭く光らせて、彼は神殿の窓に腰掛けている。何故ならばその神殿の尖塔の窓が、一番見晴らしが良かったからだ。
「どこにいるか分からない存在を捜そうと思ったら、それに繋がる奴らを一気に叩けばいい。そうすれば勝手に案内してくれる」
その酷薄そうな瞳には、優理の所へ向かうであろうレイスの背中が映っていた。




