76 カイトは小猫をもらった
ディリライト諸島は気温が高い南の島だ。
だが、その日はとても清々しい日だった。太陽は優しい日差しをもたらし、吹き抜けていく風も気持ちいい。
さすがに毎日、土木工事を押しつけられているわけではない。のんびりとドカートン小隊長以下、宿舎である貸別荘周辺を散策したり、買い物に行ったりする休日はある。
カイトも目立つ高い木に登り、その上部にこっそりと縄を取りつけていた。いざとなれば、空を飛んでくる存在にだけ分かる、そんなメッセージを示すことができるように。
(小細工的にはこんなもんだな。予めこういう物を用意しておけば、すぐに取り付けられる)
その後はそこらの屋台で売っていた波羅蜜を買って、道沿いの空き地で食べる。
ジャックフルーツはとても大きく、子供ぐらいの重さがある果物だ。その皮はブツブツしているが、中の果実は黄色くてとても甘い。その種も大きい。屋台では、果実を切り分けて売っているのだ。
(だけどあの屋台の親父も、俺が皿を返しに行くのを忘れたらどうするんだろう)
あんな数十キロもの果物を自分で丸ごと買って食べようとは思わないからカット売りしている屋台はありがたいが、こうして皿に入れて売っていることがのどかにも思える。
それだけ治安がよく、島民も誠実に生きているのだろう。
波羅蜜の載った皿を同じ岩の上に置いて、カイトはぼうっと道行く人々を眺めていた。
そこを、何か籠を手に持った女性が通り掛かる。
「うっ」
そして呻いたかと思うと、地面に膝をついた。
頭から薄い布をかぶっていて、顔立ちは分からないが、その声からして若いだろう。
「どうした? 大丈夫か?」
さすがに自分の目の前でいきなり胸を押さえてしゃがみこんだとなれば、カイトも声を掛ける。
近寄ってその顔を見れば、肩よりも少し上のところで黒髪を切り揃えた色白な美女だった。
「ああ、すみません。持病の癪が・・・」
そう言って、苦しそうに見上げてきたその表情すら色気が漂う。赤い唇が艶めかしい。
支えようとして自分も屈みこんだカイトだったが、ぞくっとして、つい後ずさろうとしてしまった。
「く、苦しくて・・・」
「大丈夫か? 持病って、医者を呼んできた方がいいよな。いつもかかっている医者はどこの誰だ?」
すると、その美女は切れ長の黒い瞳をカイトに向けて縋りつくような体勢になる。カイトの二の腕をそれぞれの手で掴んで、胸にもたれかかってきたのだ。
「この胸を、さすってくだされば治りますわ。ご親切なお方」
絶対にしたくないと、カイトは反射的に思った。
「い、いや。それなら荷物は俺が持とう。だから自分で・・・。あ、いや、それなら女性を呼んで来よう。ちょっと待っててくれ」
慌てて立ち上がろうとしたカイトである。だが、その美女の手は強かった。
まさに逃がさないと言わんばかりに力強くカイトの両腕を押さえつけている。
「お姉様っ!」
そこへ慌てたような声がして、腰までの波打つ黒髪をした、これまた雰囲気の違う美女が駆けてきた。
「どうなさいましたの、お姉様っ」
「胸が苦しくなって、・・・この方が助けてくれたのよ」
「まあ」
どちらかというと柔らかな雰囲気のある妹はそれを聞いて笑顔になり、カイトへ向き直る。
「なんてご親切なお方なんでしょう。ありがとうございます」
「い、いや。俺は何もしてない。それどころか誰かを呼びに行くしかないと思っていたんだが、妹さんが来てくれたなら良かった。それより医者は本当に呼んでこなくていいのか? 言ってくれれば、その医者を呼んでくるが」
「大丈夫ですわ。こういう時は休ませるしかなくて・・・」
「そうか。じゃ、俺はこれで」
そこで立ち上がって逃げようとしたカイトだったが、最初の美女はカイトの腕を掴んで放さなかった。
「そんな・・・。お礼もせずにお別れなど」
「いや、お礼なんてしてもらうことは何一つっ、欠片もっ、全然してないから気にしないでくれっ」
本能が警告するのだ。
いくら美人でも近づくなと。
だからカイトは逃げの一択である。
「そうはいきません。では、お礼にこの子を差し上げましょう」
蹲っていたままの美女は、そう言って持っていた鳥籠を差し出してきた。
「お腹が空いたら食べようと思って買ってきたのですけれど、あなたに差し上げます。どうぞお受け取りになって?」
「はあっ!? こんな小猫をっ? あんたらなぁ」
食べる部分など全くないであろう小さな茶色い猫が鳥籠の中にいた。カイトと目が合うと、泣きそうな顔になってふるふると震えだす。
たしかジンネル大陸には猫を食べる文化のある地域が存在した筈だ。この肌の白さを見れば、彼女達はディリライトの人間ではない。だから仕方がないのかもしれないが・・・。
「頼むからやめてやってくれ。豚肉でも牛肉でも買える程度の金を渡すから、だからその猫は逃がしてやってくれないか?」
可哀想になってカイトがポケットから金を出そうとしたら、それを姉の美女は押し留めた。
「お金なんていりませんわ。お礼にこの可愛らしい猫を差し上げますと、そう言っておりますのに」
「いや、それは遠慮したいんだが」
すると、妹の方が目を吊り上げる。
「まあっ! なんてひどい人なんでしょうっ。こんな可愛い小猫のどこに文句がありますのっ!?」
「・・・え。あんた達、その可愛い小猫を食べようとしてたんだよな?」
カイトは面食らった。
食べることで愛情を示すとでも言う気だろうか、この姉妹は。
(俺、ひどい人なのか? 食べるのはよくて、もらわないのはひどいのか?)
カイトは、自分の常識がガラガラと崩れる音を聞いた。
「なんて屁理屈を言うんでしょう。こんな可愛い小猫を前にしてどこまで薄情なっ」
「い、いや、可愛い小猫なのは分かるんだが、俺は猫とか小さな動物はもらえないんだっ」
屁理屈と言われても、カイトにだって受け取れない事情があるのだ。
「何故ですのっ。ヘタな言い逃れは許しませんよっ」
「・・・何故っ!?」
どうして通りがかった病人を助けようとした善人がここまで詰られるのか。
おかしい。おかしすぎる。
大体、可愛いとか可愛くないとかはさておき、愛玩動物を飼うかどうかは本人が決めることであって、押しつけられていいことではない。
だが、そこで反論できない圧力を二人に感じていたカイトは、しょうがなく説明する。
「俺は、・・・動物に怖がられやすいんだ。まず、普通にしていても動物は近寄ってこないし、獰猛な大型犬ですら俺からは逃げる。だから飼える筈がない。こんな小さな猫では、今、俺の傍にいるだけでも恐怖の筈だ」
「「・・・・・・」」
カイトは虎の獣人である。だからほとんどの動物は逃げてしまうのだ。
「だから悪いんだが、いや、気持ちは嬉しいんだが、そういうことで勘弁してくれ。だが、この小猫は逃がしてやってくれないか? こんなにも怯えているじゃないか」
すると、具合が悪くてしゃがみこんでいた姉の方がすっと立ち上がる。
そしてカイトの腹に一発拳を叩きこんできた。
「ぐぅっ」
「それが男の言うことですかっ。怖がられても幸せにしなくてどうするのですっ。恥を知りなさいっ」
かなりいい拳だった。カイトの視界が一瞬真っ暗になる程に。
さすがのカイトも膝をつかずにはいられない。
(ちょっと待て。おい、あんた、持病の癪はどこに・・・)
もう治ったのだろうか。
「げほっ、・・・くほっ、がっ」
見知らぬ他人相手に油断していた自分が悪い。それは分かっている。
だが、これはあまりにもないんじゃないだろうか。
やがて呼吸を整えてカイトが周囲を見渡せるようになった時、美人の姉妹はいなくなっていた。
「え? って、おい・・・」
そこに残されていたのは鳥籠の中でふるふると震えている、明るいブラウンに淡い黒の縞模様が入った茶トラ猫。その瞳は赤みがかった焦げ茶色をしていた。
「しょうがないな。俺が怖いのは分かるが、ちょっと待てよ。扉、開けてやるからな」
その鳥籠の扉が閉まらないよう、開けた状態でそこらの草を結んで固定し、カイトは元いた岩の上に戻る。
こうすれば小猫は勝手に鳥籠から出ていくだろう。
(ひでえ目に遭った)
何なんだろう。今まで自分にとって黒髪といえば特別な(愛しい)色だった。
これからは、違う意味で特別な(避けたい)色になりそうだ。
そんなことを思って溜め息をついていたら、その小猫はカイトの足元に寄ってきていた。
「お前な、本当は俺、怖いだろ? 無理すんな。ほら、礼なんていいから逃げていいんだ。ちゃんと帰れ」
そう言ってカイトがジャックフルーツを摘まんでいた手を足元にいる小猫に伸ばせば、その指をちろっと舐めてくる。
「なんだ。果物、食べられるのか? 腹、減ってるのか?」
もしかして小さすぎて自分の気配が分からないのだろうか。
そう思い、カイトはジャックフルーツを小さく千切って小猫の口元に差し出した。
あぐあぐと食べ始める小猫に、カイトは微笑んだ。
どうすればいいのだろうと、困った顔でカイトは茶色い小猫を左手に、鳥籠を右手に持って宿舎に行ってみた。
すると宿舎前で柔軟体操をしていたドカートン小隊長が、怪訝そうな顔で尋ねてくる。
かなりやりこんだ後なのだろう、額に汗が滲んでいた。
「どうした、カイト。その猫と鳥籠は」
「はあ。なんか具合の悪そうな女がいたから声を掛けたら、その礼にとくれたんすよ。誰か猫好きな奴っていませんかねぇ」
「なんで礼が猫なんだ。押しつけられただけじゃないのか? そんなの、そこらに放りだしたら勝手に生きてくだろう。猫なんだから」
「そうなんすけどねぇ。どうも腹減ってたようで懐かれちまって」
そのカイトの左手に抱かれている小猫は、屋台で売られていた豚の串焼きも食べさせてもらい、満腹状態でくぴくぴと居眠り中である。
すると、兵士二人も寄って来た。
「へえ、可愛いじゃねえか。・・・よーしよし、ミルクやろうな」
頭を撫でられて薄く目を開けた小猫が、寝ぼけながらもごろごろと咽喉を鳴らしたものだから、日頃は厳つい顔つきで子供達に恐がられる男も目を細める。
もう一人の兵士は、怪訝そうな顔で尋ねた。
「ところでその鳥籠、なんなんだよカイト」
「この鳥籠に入れて運んでたんだよ。その女、籠入りの猫買ってきたとか言って」
なんで猫が鳥籠なんだ? と、その男は変な顔になった。
「そもそも猫って買うもんなのか?」
「さあ。そこらにいるのをわざわざ?」
兵士二人で顔を見合わせる。
そして一人がカイトに指摘した。
「もしかして、じゃあ高い猫じゃねえのか? そんな豪勢な鳥籠に入れてるたぁよ」
「言えるな。わざわざ房飾りのついたクッションまで入ってんじゃねえか。小隊長、どう思います? こいつ、高い猫なんでしょうか?」
鳥籠の中身なんてどうでも良かったカイトだ。言われて触ってみれば、かなりクッション性もいいし、布の肌触りもいい。
「俺もよく分からんまま押しつけられまして・・・。小隊長なら分かりますかねぇ?」
しかし猫の値段なんて全く分からないカイトと兵士達は、まだ小隊長なら知っているのではないかと期待をこめてドカートンを見る。
そのやり取りに目をぱっちりと覚ましていた小猫も揃って自分をじーっと見てくるものだから、ドカートンは気まずげに目を逸らした。
「俺に、猫の値段なんざ分かるか」
すると、そこへやってきたルーシーが声を掛ける。
「可愛い小猫ですわね、カイトさん。とても人懐っこくて賢そうな顔をしていますわ」
「ルース殿。猫、もしかして好きか?」
押しつけようと、カイトが期待をこめて向き直れば、ルーシーは小猫に手を伸ばした。嬉しそうにみゃーと鳴いて、小猫もそっちの腕に移る。
「おっ。いきなり移った。ってことはオスか? そういやカイト、オスかメスって分かるか?」
「メスだと思ったが、・・・メスでもやっぱり美人がいいんだろ」
男達には、そんな認識しかなかった。
「やっぱり猫も面食いなんだな」
「そうだな」
小猫がごろごろと咽喉を鳴らすものだから、ルーシーも頬が緩んでしまう。
やはりこの赤みを帯びたブラウンの縞模様にさせてよかった。真琴らしさがよく出ていて、ぴったりのチョイスではないか。
「本当になんて可愛い小猫でしょう。このまま誰にも見せずに持ち帰りたくなりますわね」
「ほう。ルース君も少しは女らしいところがあったのだな」
残念ながらドカートンは猫よりも犬派だった。
この新入りが美人で強いのは悪くないのだが、同時に部下五人を戦闘不能にさせた災厄の種だとも思っている。
言葉遣いも立ち居振る舞いもたしかに大人の女性だが、その本質は情のない女に違いないと信じていた。
基本的に部下は呼び捨てだが、女性なので「君」付けで解決したドカートンは、真面目で融通がきかないタイプなのだ。
「この猫、その価値が分かる人の中では高く評価されているのですわ、小隊長。そうですわね、私達のひと月分の給料を合わせても買えない値段がつくといえばいいでしょうか。価値が分からない人にはただのありふれた猫ですけど」
「え? ホントかよ。こんな猫が?」
「ええ、本当です」
驚いて兵士の一人が問い返せば、ルーシーは自信ありげに頷く。
なんといっても、値段にするならば一国の王よりも高い値段がつくと言っていいのだから。
そして小猫の咽喉や頭を優しく撫でてあげるものだから、この新入りは猫好きでそういったことにも詳しいのかと、皆がルーシーを感心して見た。
(たしかに可愛い猫だが、猫ごときにそんな値段がつくのかっ!?)
ドカートンも自分の給料より高いと聞き、目を剥いて改めてその小猫を見直す。
普通のトラ猫にしか見えないのだが、どこが普通の猫と違うのだろう?
「そうか。俺に猫の価値はわからんのだが、ルース殿が猫好きなら良かった。高い猫ならそれ、良かったらもらってくれないか? 俺には猫なんて分からん」
「ええ。美味しそうですわね。こんな高い猫、食べられるだなんて」
「やっぱり返せ」
カイトはルーシーの腕から小猫を奪い取った。
周囲の小隊長や兵士達も自分の耳を疑ってルーシーを凝視している。
「私の暮らしていた地域では、猫はご馳走なのですわ。ですが、神子姫様がこの地に再びおいでになるかどうかはともかく、きっと神子姫様ならその猫の価値もお分かりになりましょう。どうせなら神子姫様がいらしたら献上することにして、それまで大事に飼って差し上げたらいかがです、カイトさん?」
「え。いや、俺は猫の世話なんて分からんのだが」
「普通に自分の食べてるものを分けてあげればいいのです。この猫はそこらの猫よりも賢くて、とても人気がありますのよ」
「なあ。その賢くて人気のある猫を食べようとしたあんたは何なんだ?」
「だからご馳走ですのよ」
カイトは新しい価値観を知った。
しかしドカートンは、違うことが気になったらしい。
「そんなにこの猫は人気があるのか? だが、神子姫様はグリフォンを従えていらっしゃるという。猫はお好きだろうか?」
「グリフォンが近くにいれば、普通の動物は近寄れないでしょう。ですがこの猫はそういったこともなく懐きますの。だから人気があるのですわ。神子姫様はグリフォンですら可愛がられるお方。ならばこんな小さな猫、もっとお気に召すのではないでしょうか」
「ふむ」
「グリフォンがお傍にいるなら今までお飼いになりたくてもできなかったでしょうから。差し上げたらきっとお喜びになりますわね」
「ほう」
そこでドカートンが考え始めたことを分からぬ人間は、その場にいなかっただろう。
「い、いや。それなら小隊長。あなたがこの猫を飼ってくだされば・・・」
「カイト。命令だ。その猫を神子姫様がおいでになるまで責任もって飼うように」
「はあっ!?」
「俺は猫など飼ったことはない」
「俺だってありませんよっ!」
カイトは救いを求めて残りの二人を見る。
「悪い。俺も猫なんて世話したこたねえ」
「野良猫なら餌をやったこともあるがなぁ。勝手にネズミでも食べるんじゃねえか?」
そんな鳥籠に入れて飼うような猫、飼い方なんて分からねえよと、兵士は二人とも首を横に振った。
カイトは救いを求めてルーシーを見ずにはいられない。
腕の中にいる小猫は、ふにゃ? と、言わんばかりに抱きしめられてはいるが・・・。
「ふふ。そうしていると愛らしいですわね。生で食べても美味しそう」
この明るいブラウン系の小猫が、カイトの薄い色合いの色彩によって引き立てられているのを見れば、自分のチョイスは間違いなかったと思える。
単体ではなく、組み合わせを考えるのは大事なことだ。
ルーシーは、満足そうに微笑んだ。
(駄目だ。この女、・・・こいつはマジだ)
ルーシーからその姿を隠すように、カイトは小猫を抱きしめた。
カイトとて何も食べる物がないというのであれば、その程度の割り切りをする野生は十分に残っている。
けれどもこんなほとんど肉のない小猫、なんという一口で食べてしまいそうな目でこの女は見るのか。
恐ろしすぎる。
あれ程にも咽喉を鳴らして懐いてくれた小猫に対し、なんて情のない女が闊歩する場所なのだろう、ジンネル大陸。
「ああ。連れて歩く時にはちゃんとその鳥籠に入れた方がよろしいですわよ、カイトさん。犬とかに襲われたら大変ですもの。お外で遊ばせる時も目を離さないでくださいね。髪一筋の怪我もさせてはなりません」
「・・・その髪一筋の怪我もさせてはならない小猫を生で食べようとしていたあんたは何なんだ?」
「ふふっ、だって可愛らしいじゃありませんの」
なんという不気味な存在をドモロール王国は送りこんできたのか。
きっと人間の女というのは、自分達には理解できない存在に違いない。
カイトはそう思った。
ミシジェン島のコテージを引き払ってディリライト島のコテージに移ってきたドラゴンとペガサス達は、のんびりとソファに座って寛いでいた。
カイトの借りている小さな家よりも陸地側で少し小高い位置にあり、距離としては200メートル程度しか離れていないコテージだ。
風は海から吹いてくるので、カイトの嗅覚を警戒する必要もなかった。
間にある木々のおかげでお互いの様子は全く分からないが、何かあれば風の妖精が知らせてくるだろう。
「ルーシーばかりかラーナの色気にも惑わされなかったってすっごーい。しかもリリアンにも鼻の下を伸ばさなかっただなんて。そういう意味では合格ねっ」
「どうかしら。かなり警戒されてたもの。かえってガーネットやサフィルスの方が良かったんじゃないかしら。完全に逃げ腰だったし」
「そうねぇ。ラーナがあれ程迫ってるっていうのに逃げる気満々だったわね。だけど弱い存在にも親切っていうのは悪くなかったわ」
そんな品定めをしている三人は、報告会で盛り上がっていた。
「はい。お茶が入ったわよ」
ガーネットは落ち着いた様子でティーカップを配っていく。
『ねえ、マーコット。猫の姿ならある程度の距離から見ていてもあちらには分かりませんわ』
そう言ってラーナが小猫を鳥籠に入れて散歩に連れていったのだが、まさか真琴もこんな感じでカイトの所に置き去りにされるとは思っていなかっただろう。
思い出せばラーナも少し心が痛かった。
「マーコット様。私を恨んでいらっしゃらないといいのだけど」
「心配ないわ、ラーナ。だって本当にお嫌だったなら鳥籠を開けてもらった時に逃げて戻ってくれば良かっただけだもの。私、空から見てたけど、マーコット、自分からカイトさんの所に寄っていかれていたし、カイトさんもちゃんと宿舎の方にお連れしてたわ」
ガーネットは白いペガサスである。風の妖精に協力してもらい、空に浮かぶ雲に身を隠すようにしてそれを見ていた。
「まあ。家に連れて帰るならともかく、乱暴な男共の宿舎だなんて。だけど半分はルーシーが処分したらしいし、なら大丈夫なのかしら。あんな小さなお姿で、苛められたりしたら・・・」
「大丈夫よ、ラーナ。だってカイトさん、かなり責任感ありそうだったじゃない。マーコットを見捨てたりはしないと思うわ。わざわざ私達に動物を飼えない理由を説明してくる律義さもあったじゃないの」
「へえ、やっぱりそうなんだ?」
「らしいわ。虎の獣人って、やっぱり犬や猫に逃げられるんですって。さすがにラーナも私も、それは盲点だったわ」
「ふぅん。私達なんて全然逃げてもらえないけど」
サフィルスが、そんなものなのかなといった表情になる。
「そうねぇ。私達なんて普通に兎も猫も寄ってくるものね」
ガーネットはカップから立ちのぼる香りに満足しながら、サフィルスに同意した。
けれども心配しなくても大丈夫だろう。
なんといってもドモロール王国軍の宿舎にはルーシーがいる。きっと彼女がうまくやってくれるに違いない。
移動の際には鳥籠に入れろと言われたが、カイトの肩にちょこんと腰掛けている小猫はいきなり飛び出したりもしないし、賢いものだ。
カイトの頭に前脚と腹を乗せるようにして周囲を見渡していたりもする。
(トイレは外にしに行かせるか、砂を入れた箱を用意してやればいいらしい)
市場で買い物をしながら肉屋の主人に猫の飼い方を尋ねれば、そう教えてもらったカイトだ。
「へえ。猫なのに賢いじゃねえか。きちんと躾けられてるんだな」
カイトの肩に座ったまま、目の前に並ぶ肉などを見てもそこへジャンプしたりしようとしなかった小猫は、肉屋の主人に褒められてゴロゴロと咽喉を鳴らしていた。
しかし、ご褒美にと一切れ生肉を渡されようとしても、軽く前足と顔を横に振って断ってもいたようである。お腹が一杯だったのだろう。
海岸から砂を取ってきて大きな箱に入れてやったカイトは、それを各部屋の隅に置いてみた。
というのも、カイトは一人暮らし。玄関以外のどの部屋も扉を開けっ放しで暮らしていたからだ。
「いいか、猫? お前のトイレはこれだからな。ほら、座ってトイレしてみろ」
「にゃ」
だが、トイレの砂の上に座らせても、ちょんっと座るだけで小猫はトイレをしなかった。まだしたくないのかもしれない。
「しょうがない。したくなったらそこでトイレをするんだぞ」
「みゃ」
香草入りのスペアリブスープを作りながら、ついでに薄切り肉を湯がいて皿に盛ってやり、カイトは床の上にミルクと共に置いてみた。
テーブルの上に乗らないよう、そうやって猫は躾けるものらしい。
しかし小猫はそれを食べようとせず、カイトが椅子に座ったらその膝の上に乗ってきた。
じーっとカイトが食べるスペアリブスープを見上げている。ナッツ入りのサラダも気になるようだ。
「欲しいのか? だが、お前には味が濃すぎるんだ。食べないと分からないか? ん?」
食べてみたら分かるだろうと、それらを大きくて深さのあるスプーンで掬って差し出してやれば、ぴちゃぴちゃと食べ始めた小猫だ。サラダもナッツをポリポリと咀嚼して食べる。ガーリックをきかせたパンすら平気らしい。
「猫ってサラダやパンも食べるもんなのか?」
明日、ルーシーに相談してみようと思ったカイトだ。
この小猫を食べられたら困るから渡せはしないが、猫の飼育には詳しそうだった。
きっと正しい答えを自分に教えてくれるだろう。
五人の騎士達が去り、新しい五人の騎士達が来ることが決まったことで、ドカートンは小隊長としてルーシーに命じた。
「ルース君」
「なんでしょうか、小隊長?」
「君が赴任して以来、ここの宿舎の飯が美味くなった。それは感謝している。だが、ここの任務は通いにして、君はどこかに部屋を借りて住みたまえ。命令だ」
ルーシーは美人だ。だが、それに血迷って夜這いをかけられて同じことが繰り返されたのではたまらない。
そんなルーシーの暴力行為にも、第一将軍はかなりご機嫌で報告を聞いたそうだ。
『その色香に迷った五人の騎士を戦闘不能にするとは。さすが俺が見込んだ人間だけはある』
しかもカイトがルーシーに対し、強いと判断して手合せすら断ったことを聞くと、更にご機嫌になったらしい。
『そうだろうとも。我が第一軍の層の厚さを思い知ったか』
意味が分からない。
今、残っている二人は、兵士だから騎士とは地位が違うというので集団夜這いに加わらなかっただけだ。つまりはそれだけ騎士とは優遇されている為、自分に甘くなる傾向がある。
「部屋を借りた方がいいのですね。では私、身内がこの島におりますので、そこから通うことにいたします」
「なんだ、身内がこの島にいたのか」
「はい。ですから今回の赴任をお受けいたしました」
正しくは、強ければ誰でも歓迎するという募集に応じて優勝しただけだが、そんなことはドカートンに分からない。
なるほどなと、小隊長ドカートンは頷く。ならば問題はないだろう。
そうなると食事は不味くなるだろうが、致し方ない。これ以上、部下が不祥事を起こし続ければ自分の給料査定にも響くのだ。
それに昼飯は彼女が作ってくれるならそれでいい。いや、早めに帰してやる代わりに夕食を作りおいてもらってもいいだけか。
そんなことを考えたりもする。
どうやらそれで話はついたらしいと、カイトはルーシーに話しかけた。
「ところでルース殿。あの小猫のことなんだが、・・・猫の世話には詳しいか?」
「そうですわね。普通に存じております」
家に置いてこようと思いはしたが、カイトが家を出ようとしたらにゃーにゃー悲しげに鳴いて足に纏わりついてくるものだから、可哀想になって宿舎まで連れてきたカイトだ。
『む。まあ、ミルクぐらいはやってもいいぞ』
宿舎では皆にもにゃーにゃーと愛嬌をふりまき、そうして小さなカニを追いかけたりして遊んでいるので、犬派のドカートンも頭を撫でてやったりしている。
「いや。実は肉屋の主人に教えられたとおりにしてみたんだが、普通に湯がいただけの肉を食べないんだ。俺が食べている物を欲しがる。それだと病気になってしまうだろう。どうすればいいかと思ってな」
あらまあと、ルーシーはころころと笑った。
「お食事ですか。いいですわ。今日、お宅にお邪魔してもいいでしょうか。すぐに調えさせていただきますから」
「い、いや。あの小猫を食べるんじゃないんだが・・・」
「当たり前ではありませんか。何を考えてるんです?」
「・・・え」
カイトはもう何も言えなかった。
その日はルーシーがカイトの夕食を作ってくれたが、よりによってルーシーはテーブルの上に小猫の食器を置いて同じ物をテーブルで食べさせていた。
一緒の食卓につきながら、カイトは疑問に思わずにいられない。
「なあ、ルース殿?」
「なんでしょうか」
「普通、猫は床で食べさせるのだと俺は教わったんだが」
どうして自分はこんな恐ろしい女兵士と食卓を囲んでいるのだろうと、カイトは思った。
「この猫はそんな普通の猫と同じ扱いをしてはいけない猫なのです。明日、ちゃんとこの猫用の食器も持ってきますから」
「そうなのか。まあ、よろしく頼む」
美女と一緒に食事しているというのに、その美女はずっと小猫ばかりを気にして、その口の周りを優しく拭いてあげたりしている。しかも食事は薄味系だが、普通の食事だ。
(猫の体にこういう食事は悪い影響を与えると聞いたんだが。実は普通に人間と同じ物を食べさせて良かったのか?)
けれども小猫も気にしていない様子だ。
(考えてみりゃ獣人なんてまず犬や猫なんて飼わないしな。俺が分かってないだけだったか)
そうして次の日、ルーシーはとても可愛らしい食器を持ってきた。
草花の模様が描かれた、高そうな食器だ。金の縁取りも、食べ終えたら可愛らしい花々の模様が現れるそれも、女性なら嬉しくなるようなデザインだろう。
そして部屋に置くトイレにしても、カイトが用意していた木箱は取り払われ、綺麗な磁器のそれがお目見えした。また、そのトイレの横には「使用前」「使用後」と表裏に書かれた札が置かれている。
「トイレしたら、この札をひっくり返してくれると思いますから、そうしたら砂を取り換えてあげたらいいですわ」
「・・・こいつ、そこまで躾け終えられている猫なのか」
「ええ。だから高いのです」
そりゃ高く売られたりもするだろう。
とはいうものの・・・。
(俺より高い食器じゃないか? どんなヤツがこの猫を飼うというんだ)
カイトには理解できない、高級猫の売買における世界。
きっとこれからも、カイトがその世界に足を踏み入れることはないだろう。
どうして猫用の椅子に、とても高そうなクッションまで用意されているのか。
(そこまで高い物ばかり用意されても、猫だって嬉しくも何ともないだろうに)
こんな鳥籠に入れられて高い食器を使われて生かされるより、自由に大地を走りまわって親切な人に焼き肉を食べさせてもらう方がよほど嬉しいに違いない。
「ところでこの食器代金なんだが」
「ああ、要りませんわ。これ、身内のところで余っていたものですから。物置に放置されていたので使ってくださる方が有り難いのです」
「だが、あの花瓶? トイレっていうのか、それだって高そうじゃないか?」
「もらい物ですのよ。それにこれぐらいは当然ですわ。この小猫には最低でもこの程度の品を使うと決まっていますの」
「・・・そうか」
猫にそこまで焼き物の良し悪しが分かるとは思えないカイトだ。
(女の考えることは分からん。猫だろ、ただの)
しかも首輪代わりに、青紫色の石が5個ついた黄金のブレスレットまでつけられているときたものだ。
「まあ、なんて似合うんでしょう。本当は鱗型の石が良かったのですけど仕方ありませんわ。本当に可愛らしい」
「にゃんっ」
「ええ。ほら、くるりとしてみてくださいな。・・・まあ、なんて愛らしいんでしょう」
カイトが飼うことになっている小猫は、自分を食べようと狙っている女兵士にとても愛想がよかった。
小隊長や他の騎士や兵士達の前では三枚目でへらへらするようにしているカイトも、ルーシーにはそれをやる気になれない。
そんなことをしようものなら、さらっと、
「何をヘタクソな芝居、してるんです?」
ぐらい言いそうな空気があるのだ。
こんな恐ろしい女兵士を誰が見つけて送り込んできたのか。その目的も不明だ。
「なあ、ルース殿。そのブレスレット、鍍金じゃなくて本当の金、使ってないか?」
「それが何か?」
「・・・いや。それ目当てで強盗に遭わないか?」
「それ以上に価値のある猫だと言いましたでしょう? そんな危険、きちんと遠ざけてくださらないと困ります」
どうしてここで自分が怒られるのか。
カイトにはそれも理解できない。
(それでも食うのか。そこまで大事にしても食うのか。この女の猫を見る目、どう見ても爛々と輝く捕食者の目じゃねえか)
カイトは、理解というものを放棄した。




