74 カイトはディリライトで働いた
13の島からなるディリライト諸島。
南の海に浮かぶ真珠と讃えられ、治安は良く、人々も穏やかに笑顔で暮らしている。同時にひとたび戦となれば誰もが武器を持って戦う海の民だ。
(見たところ、誰もがのんびり暮らしてるようにしか見えんな。とはいえ、さて自作はやめておくか)
やはり海の中にある島だけあって地盤は固い。
鶴嘴が壊れぬよう、力を加減して振り下ろしながら、カイトは、穴を掘って隠れられる場所を作っておくという案を却下することにした。
誰も知らない洞窟を作っておけばいざという時に役立つかと思ったのだが、これだけ固い地盤となると、やはり天然のそれを探した方が良さそうだ。
「かなり進んだな。なかなか真面目にやっておるではないか」
足音には気づかない振りをしていたカイトだが、声を掛けられて顔をあげる。
無駄に目をつけられぬようニコニコとしながら、カイトは鶴嘴を杖のように地面に立て、ドモロール王国軍の小隊長ドカートンに向き直った。
「ああ、いらしてたんですね、小隊長さん。いつもこんなことをなさってらっしゃるんですか。いや、大変ですねぇ。かなり肩が凝っちまいましたよ。やっぱり本職の兵士さん達は足腰が強いってもんだ」
「腐らずやるんだ。本来の立場がどうであろうが、今の貴様は私の部下となっておるのだからな」
「勿論ですよ。あくまで何かあった時にお助けする為の保険として俺ぁ雇われただけで、全ては小隊長さんに従うよう命じられてますんで」
「良い心がけだ。分かっておればよい」
ドカートン小隊長達は、あくまでディリライト首長の許可を得て滞在中の身である。
『この度は尊い御方とも気づかずに礼を失していたお詫びを申し上げ、全てのご意向は汲むので我がドモロール王国へお招きしたい、そうお伝えしたいだけなのです』
その為に神子が現れそうなディリライト島に滞在させてほしいと頼み込んだ結果だ。
勿論、可能なようであれば多少の無茶をしてでもドモロール王国にお連れせよと、ドカートン隊は命じられていた。
尚、カイトは宰相から、神子姫が現れ次第、隙をみて拉致してくるようにと命じられている。
その際は神子姫を守護するグリフォンとディリライト諸島が敵だ。必要とあればこのドカートン小隊長以下を犠牲にしてもかまわないと、そう宰相はカイトに告げた。
『グリフォンがいなければ神子姫様とて誰かを傷つけるお力は持たぬであろう。ならば可能な筈だ。殿下にお会いする場さえ作らせていただければ、分かっていただける』
空に浮かぶ奇跡を見て驚きはしたものの、宰相の命令は撤回されなかった。神子姫の持つ力は底知れぬが、攻撃能力がないのであれば大した問題ではないからだ。
それを思い出せば、カイトも暗い気持ちになる。
(だから人間は一番弱い種族なのに増えるんだな。恐れ知らずなのか、何なのか。何故あそこまで語りかけてもらいながら、そんなことが考えられるんだ)
しかし投げやりになっていても意味がない。
カイトがこんな依頼を受けたこともまた奇しき縁なのだろう。
だからドカートン小隊長に笑ってみせた。
「皆さんはディリライトの人達に信用されなきゃならんでしょう。その為には目立つ所で働いてた方がいいです。俺はここでやってますんで」
「よく分かっておるではないか」
「俺の仕事は、あくまで皆さん方の支援ですからね。まあ、こんな誰も来ない場所の整備なんざ何の点数取りにもなりゃしません。俺に任せて、皆さんはどうぞディリライトの兵士さん達とうまくやっといてください。その方が何かあった時には情報ももらえるってもんです」
「うむ」
機嫌よく去っていくドカートン小隊長を見送り、カイトは続きをやろうとする。
(しっかしなぁ。足元見られていいように使われてるだけだな)
ここはあまり使われない場所らしい。波によって船着き場へと続く石段が削られてしまったので、危険だからもう一度階段らしく作り直す為に、整備しているのだ。
だが、階段よりもまずはそこに至る場所を綺麗にした方がいいだろうと、カイトはそちらから手をつけていた。
地面の凹凸や段差も激しすぎるのだ。どうせディリライトにしても、ここは重要視していない場所だ。というのも貸別荘に近い場所だからである。
(貸別荘に滞在する外国人は、遠浅の海岸を使うことが多いと言っていた。こちらは波がきつい分、まず使われない)
場合によってはここに舟を隠しておけば逃げ出せるだろう。
カイトが、あまり人がやりたがらない地味な仕事ばかりを引き受けるにはそれなりの理由がある。他の隊員達は、ディリライトの兵士達と一緒にもっと目立つ場所で作業しているが、カイトには狎れあいたくない気持ちもあった。
(隠し通せるか分からん、この気持ちを)
この荒れ狂っている気持ちをいつまで隠せるだろう。
ならば何も考えずに体を動かしていたい。
だからカイトは、叢の中すら掻き分けて地形や波の浸食具合を調べ上げた。
その、あまりにも他のドモロール王国の騎士や兵士達と異なりすぎる動きを、波の向こうから見つめているディリライトの若子達に気づくこともなく。
ディリライト首長一家が暮らす敷地内の海側に、その塔はあった。
かつては長らく閉鎖され、しかし遥佳の滞在により息を吹き返した物見の塔である。
「ただ今戻りました、兄上。やれやれ、あの銀色野郎、やぁっぱなんかおかしい。いや、仕事は真面目にやってるんだけどよ。ありゃあ陸なこと考えてないね。なあ、ケイト?」
「そうね。やっぱりおかしいわよ、兄様。わざわざ一人になって、そりゃ作業はちゃんとしてるんだけど、その合間に海際とかで人が近づかないような抉れた場所ばかり調べてたわ。ドモロールの人達にはちゃんと貸別荘があるのに、それとは別の貸家を探していたことといい、どう考えても要注意ね」
戻ってきたカシマとケイトの報告に、タイキは考えこむような顔になった。
「なるほどな。ありがとな、カシマ、ケイト」
「一応、ドモロールの奴らと合流したからこっちも戻ってきたんだが、なぁんであんな目立つ奴、送りこんできたんだろな。ま、力仕事してくれるのは助かってるけどよ」
「どうせドモロールの奴らなんてハールカが来た途端に連れて行こうって腹だろうが。まあ、来るか来ないかはかなりの確率で来ないだろうが、そんなことを教えてやるより、いいように使っといた方がいい」
鬱陶しいことは鬱陶しいが、特に緊急性のない整備関係に従事してもらっているので、そこそこお役立ちなドモロール王国人だ。
その中の一人が帰国して新しく一人やってきたわけだが、どう見てもその新人はドモロール王国人には見えぬ容姿だった。この島では銀髪なんて旅行者ぐらいで、しかもそうそう見ない色合いだ。
カイトが思うよりも、実はかなり島民中が彼に注目していたのである。
だから軽い感じを装って尋ねた家さがしにしても、すぐタイキ達まで知ることとなった。
首長であるコウヤは、これもいい経験だとばかりに対応を子供達に任せている。
「ドモロール王国軍の中に組みこまれているんだからドモロール人なんだろうが、やってることはまるで彼らとは別行動と言わんばかりか。となると、上役が別なのかもな。問題はそれがハールカ絡みか、もしくはディリライトに対するものかだ」
タイキも、どうせ遥佳なり他の姉妹なりがここにやってくることがあったとして、その際は教えてやる必要などないと思っていた。
改めて遥佳の特徴を教えてほしいと言われても、黒髪に焦げ茶色の瞳で物静かだったとしか伝えていないディリライトである。同時にそんな特徴の娘など、世間には掃いて捨てるほどいるだろう。だが、それはコウヤが島民の全員に命じていることでもあった。
『何があろうと、神子様の決定的な話をしてはならぬ。黒髪に焦げ茶色の瞳だった。その程度に留めるように。そうでなければ二度と訪れてはくださらぬであろう。我々はこの口の堅さ、治安の良さを見込んで来ていただけたのだから』
あくまでクールを気取ってはいたが、ディリライトの島民達だって本当は嬉しかったのだ。
神子姫の一人がディリライトに滞在し、しかも市場で買い物したり、舟で違う島に行ったりしていたと知り、かなり喜んでいる。
おかげで様々な国の使者などに尋ねられても、何を好んだとか、何を買ったとか、どういうことを話していたとか、そんなことは決して言わなかった。
「どうしたもんかな。わざと泳がせておく方が、目が行き届く。それとも罠にはめて強制送還させた方がマシか。まさかと思うが暗殺者じゃなかろうな。もしくはギバティ王国などの内意を受けた二重間諜か。そうだとしたらハールカ達をさらってギバティ王国へ連れて行くように命じられているだろうし」
まだ目立つ容姿の方が、いざという時に対応しやすい。そう思うと排除も躊躇われるタイキだ。
「島民達にも引き続きさりげなく観察するように伝えておくか。ケイト、お前は顔を見られるな。いざとなったらハールカの身代わりを演じろよ」
「分かってるわよ、兄様」
遥佳とケイトは全く似ていない。だが、遥佳の顔を知る人間こそが少ないのだ。
この人がそうだと言われたら、信じるしかないだろう。
秘密を守ろうと思うなら、関与する人間は最小限に。
ディリライト家の三兄妹は、神子姫ということだけが理由ではなく遥佳達を特別に思っている。
その理由を、ディリライト家が漏らすことはなくても。
ドモロール王国からディリライトへ派遣されているドカートン小隊長達は、一ヶ月に一度、ディリライト首長であるコウヤに挨拶しに行く。
「そう言えば、カイトはお会いするのは初めてだったな」
「はあ。あまりお偉い方ってのは気後れするばかりなんですがねぇ」
「諦めろ。ちゃんと礼儀正しく振る舞うのだぞ」
こんな島では誰もがラフな格好だが、そういう時は正装するらしい。
ドモロール王国軍兵士の格好にうんざりとしながら、カイトはそれを身につけた。かえって動きが妨げられるだけだ。
そうして首長であるコウヤの所に行けば、ある程度待たされてから通されたが、それは庭先だった。何でも今日はいい天気なので、首長は外にいたのだそうだ。
「いい朝だな、ドカートン小隊長。何か不自由なことはないかね?」
どうやら首長は南国ならではの色鮮やかな鳥達に餌をやっていたらしい。
飼っているのではなく、餌を置いておけば食べに来るといったもののようで、ドカートン達の姿に鳥達はバタバタと羽ばたいて姿を消してしまう。
「おはようございます、コウヤ様。皆様、良くしてくださっております。今回、新しく加わりましたカイトを紹介しに連れてまいりました」
「カイト・シルヴィオーネと申します。首長様にはご機嫌麗しく恐悦至極に存じます」
基本的に仕事ではカイトとしか名乗らないが、カイトはそこまで名乗ってからコウヤをまじまじと見た。
(似てないな。マコトとは全く)
男女差もあるから仕方ないとはいえ、がっかりしてしまったのはたしかである。
けれども気さくな人柄なのか、コウヤはカイトに対して親しげに話しかけてきた。
「銀髪とは珍しい。北の生まれか?」
「はい。こちらは皆さん、黒髪が多いと感じております」
「やはり君から見ればつまらない色合いかね?」
「いいえ。黒い髪に焦げ茶色の瞳はとても、・・・そうですね、大切な色合いです。私にとりまして」
出会った時の真琴を思い出しながら、カイトの瞳に懐かしむ色合いが滲む。
そこでドカートン小隊長が、フンッと笑った。
「当たり前であろう。恐れ多くも神子姫様は黒髪に焦げ茶色の瞳をなさっておられた。当然ではないか」
「・・・そうでした。失礼いたしました」
軽く頭を下げたカイトだが、コウヤはその庭先にあったテーブルにドカートン小隊長を誘う。
「まあ、茶でもどうかね。ドカートン殿。そこのカイト君も大丈夫なんだろう?」
背の高い木々が太陽光を遮り、海からの風が気持ちよかった。だが、居心地も悪い。
(なんで俺までいなきゃならないんだ?)
会話はドカートンに任せて、カイトは周囲を眺めていた。
(ここがマコトの父親が暮らしていた場所か)
連れて来てあげたかったと、そう思う。今は鮮やかに輝く金髪となった娘を。
海風に強い木材はどうだのこうだのといった世間話をしていたコウヤとドカートンだが、しばらくするとドカートンがもぞもぞしだした。
「ちょっと失礼」
外での茶が尿意を催したのか、ドカートンが席を外す。
さすがにそうなると自分が場を繋がなくてはならないのかと、カイトはコウヤを見た。
(やっぱり似てないな。まあ、マコトの父親がここの首長になる予定だったってことは、叔父になるんだろうし、叔父と姪なんてそうそう似てないよな)
そんなカイトに、コウヤが微笑む。
「私の顔が何か? まあ、ディリライトの首長の割には猛々しさがないとはよく言われるがね。君から見ればやはりひ弱そうかな?」
「そういうことは思いませんでした。兄君とはあまり似ておられないのですか?」
「兄? どの兄かな?」
ぬけぬけと、コウヤはそんなことを言ってみせた。
「えっと、・・・タイガ様とおっしゃったかと」
コウヤはかすかに右眉をあげる。
「おや。君は面識があったのかね?」
「あ、いいえ。私はございませんが、知人が・・・」
「ほう。どんなことを言ってたのかな? 兄は私の前とよその人の前ではかなり違う姿を見せていてね」
「どうと言われても、知人こそが年寄りなもので。そうですね、・・・いや、すみません。勘違いでした」
玄武が語っていたことを言おうとして、ハッと気づいたカイトだ。
そうだ。死んだことにしたのはともかくとして、そのタイガが子供を生したことは知られていない筈である。
そう思い、カイトはそこで話を打ち切った。
「勘違い?」
「ええ。申し訳ありません。私もそれを語ってくれたのがぼけた年寄りと気づかずにいたもので、出鱈目な話だったことを失念しておりました」
そう言って目を伏せ、カイトは謝罪しようとする。
「いやいや」
それをコウヤは遮った。
「別に謝るには及ばない。私の長男はタイキと名づけたが、やはりタイガの名前からとったものだからね」
「そうでしたか。同じように武勇に優れ、愛情深い方になることでしょう」
「だといいんだがね。さすがにまだまだだよ」
「追いかける背中が大きいのは男を成長させると申します」
そこへドカートンが戻ってくる。
「いや、失礼いたしました」
「そんなことはない。やはり庭先というのは落ち着かないものだね。次回は室内でもてなさせてもらおう」
そうして挨拶を終えて下がっていくドカートンとカイトの背中を、コウヤは何とも名残惜しい気分で見送った。
警戒対象として出回っているカイトの情報である。
だから今回、それをじっくり見定めてみるつもりでわざと時間をとってみたら、瓢箪から駒が出てきた。
(私は長男なんだが、タイガねぇ。武勇に優れ、愛情深いか。出来ればもっと詳しく聞きたかったが)
警戒する必要はなさそうだと、コウヤは判断する。
だが、子供達にはいい経験だから教えなくてもいいだろう。
限られた情報の中から、体で真実に辿りつくこと。それができなくなっては弱体化するだけではないか。何も守り通すことなどできはしない。
(これだから人生は面白い)
見上げれば今日の空は薄い水色だ。今の男の瞳のようだなと、コウヤは思った。
南に位置するディリライト諸島。海に浮かぶ真珠と讃えられる豊かな地域だ。
「あれがカイトさんですのね、マーコット」
「うん」
ディリライト島から少し離れた小さな無人島に降りたった六人である。
そこから海岸沿いで作業しているカイトの姿をガーネットに指差され、岩陰から眺めれば、真琴も懐かしさに泣きたくなった。
懐かしい銀の髪。自分には見せたことのない表情で、他の男達と話す姿。
それをじっと真琴は見ていた。けれどもやがて、後ろを振り返る。そうしてぽすっとガーネットに抱きついた。
「もういい。帰ろ、ラーナ、ガーネット」
「どうしてですか? せっかくここまで参りましたのに」
優しく尋ねても、ガーネットの胸に真琴は顔を埋めるばかりだ。
(だって、会うの、怖い・・・)
会っても、何をしに来たんだと、そんなことを言われたらどうすればいいのだろう。
もうカイトは、自分に運命も何も感じていないのかもしれない。
それどころか、無駄な日々だったと思っているのかもしれない。
「会いたく、ない。・・・だから、帰ろ」
泣きそうな声で告げれば、ガーネットは真琴の髪を優しく撫でた。
「じゃあ、代わりに聞いてきてさしあげましょうか?」
びくっと真琴の体が揺れる。
その方がいいのだろうか。
そうすれば、自分はその結果を聞くだけでいい。だけど・・・。
「先に帰ってくださっててかまいませんわ。後から追いかけます。ね、マーコット?」
「・・・まだ、ここに、いたい」
だけど・・・。
カイトの姿を見つけてしまえば、できればずっと見ていたいと思ってしまう。
会いに行くのは怖いけど、だけど・・・。
ぐるぐると結論の出ない思いのままに、真琴はぎゅっとガーネットの服の袖を掴んだ。
そうと見て、五人も互いに瞳を見交わす。
「ならば、隣の島にでも滞在しましょうか。それなら会うこともないでしょうが、近くにいられますわ」
そのリリアンの提案に、こくりと真琴は頷いた。
南に位置するディリライト諸島。
そこは黒髪に茶色ベースの瞳、褐色の肌の人間が多く住む地域だ。
というわけで、元々ドラゴンは青紫色を宿した黒髪なのだが、ペガサスと共に、普通の黒髪に染めた。目立つのはあまり良くないだろうと思ったからである。
ディリライトは、ひとたび首長の掛け声があれば島民全てが武器を持つ、戦う海の民だ。目をつけられるのはあまり嬉しくない。
「だけどルーシーとラーナ、どこに行っちゃったの?」
「ふふ。その内、戻って参りますわ。さあ、マーコット。今日は一緒に海に潜ってみましょうね」
「うんっ。今日もあの黄色いお魚、見られるかなぁ」
リリアンに誘われて、真琴は笑顔で頷いた。
何故ならカイトは、他に恋人がいる様子もなく、宿舎はあるようだが、それとは別に少し離れた場所にある小さな家を借りていると、サフィルスが調べてきてくれたからだ。
(恋人はいないみたいだし、それにここの海、とっても綺麗だし)
自分達は髪を染めても、真琴の髪を染めさせる気はないドラゴンとペガサスだ。
ミシジェン島の小さなコテージを一つ借りて、外出する時は真琴に頭からすっぽりと大判のストールをかぶせる。
コテージ前の海はあまり人がやってこないので、のんびりと真琴も過ごすことができていた。
ディリライト島の隣に位置するこのミシジェン島は、他の島との連絡船も出ているが、ここに暮らす人達は自分で舟を漕いで移動してしまうので、あまり本数は多くない。
ディリライト島のように大きな市場や店があるわけじゃないので、出入りもそこまで多くなく、だからコテージを借りているのも真琴達だけだ。大抵の人はディリライト島にある貸別荘を借りることが多いらしい。
(それに、カイトの姿が見える無人島にも泳いでいけちゃうし)
会えなくても、こっそりその姿を見ることはできた。
たまに無人島で、知らない人達にばったり出会ったりもするが、
「こんにちは」
「こんにちは」
「泳いできたの? どこから?」
「えーっと、ミシジェン島。あなた達は?」
「私達はディリライト島から」
で、終わるから問題ない。
たまに、その人達が焼いている貝とか海老とかをご馳走されたりもした。
(だからいい。このままで・・・)
夜になったらカイトはこっそり出歩いたりもしているようだ。
それは別に恋人と会っていたりするわけではなく、単に島の周囲を調べているだけらしいと、ラーナも言っていた。
それだけで安心できる自分がいる。
(だけどカイト、なんで島なんて調べてるんだろ)
そんな疑問はあったが、真琴の食欲も少しずつ戻ってきていた。
自分はここに筋肉を育てに来たんだろうかと、なんだか虚しい気分になりながらも、カイトは黙々と沿岸工事に勤しんでいる。
「おーい、カイトー。新入りだってさ、来いよ」
「へーいへい」
新人が入るからと、先日、一人がドモロール王国に戻った。
嬉しそうに帰っていった様子を思い出せば、誰もが、
(このまま神子姫様、来ないんじゃないのか? なのに俺らは居続けなきゃならんのかよ)
と、そう思っているのが分かる。
名誉な任務だと思っているのはドカートン小隊長だけで、他の8名は、
「ウルティード殿下の護衛で神子姫様の顔を見てしまっていたばかりに・・・」
と、自分の不運を嘆いていたらしい。
短期滞在ならとても楽しめるディリライト島だが、家族や友人、恋人とも離れ離れのこの赴任は、かなり切ないだけなのだとか。
(それは言えるな。だが、ハールカ姫ね。やはりハルカちゃんだったか)
そんなことを思いながら、カイトは宿舎として使われている貸別荘へと歩いていった。
「おお。これで全員揃ったな。今度、新しく入る新入りだ。第一将軍お墨付きのな」
ドカートン小隊長が機嫌よくカイトを認めてその新人を紹介する。
「ルースといいます。よろしくお願いします」
黒い髪に黒い瞳をした、波打つ肩より少し長い髪を一つに括ったその新入りは不敵に笑ってみせた。
「えっと、やっぱり女、だよな?」
「ドカートン小隊長。こりゃなんですか? 俺らへのねぎらいですか、こんな美人を配属させてくれるだなんて」
「恋人のいねえ俺達へのねぎらいとか?」
その形のいい唇から出された声を聞いて、ヒューと口笛や歓声があがる。
ドモロール王国軍として恥ずかしくない振る舞いを要求されていた彼らには、色々と不満も溜まっていたからだ。
「え。いや、そういう・・・」
単に、有望株だとしか知らされていないドカートン小隊長は狼狽えた。
改めてルースと名乗った新入りの女兵士を見る。
まさかそんな意味で派遣されてきたのだろうか。
戸惑うような顔となったドカートンに対し、くすっと、彼女は笑った。
そうして冷たい瞳で告げる。
「残念ながら、私、自分より強い男しか男として認めておりませんので、あしからず」
その言葉に、沈黙の帳が下りた。
ゆっくりと皆に流し目をくれてみせると、ルースはすらりと腰につけていた剣を軽く抜いてみせる。
「何なら模擬剣でお相手しましょうか? それとも組手で?」
それに挑発された何名かが、小隊長の意見を問うかのような視線になった。
新入りの歓迎会は恒例だ。しかし相手が女だというので、彼らもそっちは考えていなかった。
けれども、そういうことならば。
「う、む。まあ、本人が言うなら・・・」
「面白い。ならば組手でお願いしようか」
「俺も組手でお願いしたいね、ルースちゃん」
小隊長が彼女から離れると、何人かが組手の構えを取る。
そこでカイトは叫んだ。
「やめねえかっ!」
あまりの大音声に、誰もがカイトを驚いて見返す。
「そのルース殿は強いですよ、皆さん。やめといた方がいい。騎士さん方も、兵士さん方だって、まさかこんな美女に骨まで折られちゃあ立場がなくなるでしょうが。名高きドモロール軍、ここは紳士に振る舞っといた方がいいってもんだ」
ちなみにヘラヘラした民間からの飛び入り男を装っていても、カイトはその新入り歓迎会で、それなりに皆を叩き伏せている。
だから、誰もが疑うかのような視線になった。
いくらなんでもカイトなら余計に負ける筈がないからだ。
「単にこの姉ちゃんによく見られたいだけじゃないのか、カイト?」
「いいカッコして点数稼ぎかよ」
「何、一人でいい子ちゃんしてんだ」
そんな言葉を歯牙にも懸けず、カイトは呆れた感情を隠さぬ表情でドカートンに向き直った。
「お尋ねしますが、小隊長さん。女性だが強い、そう伝えられてませんでしたかね?」
ドカートンも、記憶を探る。
「まあな」
やはりなと、カイトは立ち去ろうとした。
「じゃあ、顔合わせも終わりましたんで、俺はこれで。まだ作業が残ってますんで」
その後ろ姿に、声が掛けられる。
「カイトさんっておっしゃるんですね。では、模擬剣でいいので、お相手お願いできますか?」
「断る。俺はあんたと敵じゃない。そして恨みもない。なのに本気でやり合わなきゃならん相手と、そんなのをする理由もない」
振り向きもせず、カイトは答えた。
「あら。じゃあ、女として見てくれます?」
「心の底から遠慮する」
ばっさりとカイトは切り捨てて、歩きだす。
本能が、この女には近づくなと警告していた。そう、緑蛇のリリアのように。
(立ち去れ。さっさと立ち去るんだ、俺。その後であいつらが馬鹿をやっても、俺の責任じゃねえ。もう忠告はした)
その後ろ姿を、興味深そうにルーシーは見ていた。
やっと近くで見ることができたが、さて、どうしたものか。
(ふぅん。ラーナだったら乗ったのかしら。リリアンの方が良かったかしらね。だけどあの二人だと、他の男がメロメロになりすぎるもの。それもそれで困るのよね)
ルースと名乗ってみたが、それで良かったと思う。
これで、こんな奴らに、「ルーシーちゃん」とか呼ばれたら、反射的に殴ってしまいそうだ。
さすがにそれはまずいだろう。
尚、カイトの忠告を聞き入れなかった馬鹿共は、片手で地面に沈めたルーシーだった。
真琴はミシジェン島で、ドラゴン族のリリアン、ペガサズ族のガーネット、サフィルスに囲まれて過ごしていた。
ラーナは留守がちだと思っていたが、なんとディリライト島でコテージを借りていたそうだ。そこで生活に必要な物を色々と買い揃えていたのだとか。
「えっ、そうなのっ? じゃあ、ルーシーも?」
「いいえ、ルーシーは違う所へ行っているのですわ。私が借りたコテージは、カイトさんが借りている家からは少し距離もありますけど、敷地もあって気楽に過ごせますの。ふふ、マーコット。このミシジェン島もいいですけど、ディリライト島もいいと思いますわ。市場も大きくて、色々な物が売られていますのよ」
そう言われてしまうと、真琴もちょっとそのコテージを見に行きたくなってしまう。
「そうよね。買い出ししてみたら、ディリライト島の方が便利だったわ。何でも今、変わった形の真珠で作った壁飾りが売れてるんですって。ハールカ姫様がそれをお作りになっていたからって」
何かを思い出すように、人差し指を唇に当てる仕草でサフィルスがそれに付け加えた。
「遥佳が?」
「そうなの。なんでもハールカ姫様、自分のグリフォンの為にディリライトの変形した真珠で壁飾りを作っていらしたんですって。それが広く知られて、今、そういった真珠で壁飾りを作る人が増えたってお店の人が話してたわ」
「へー」
変なところで自分の姉妹は流行を生み出していたらしい。
そんなことを思いながら、ちらっと真琴は微笑んだままのラーナを見る。
(カイトの家からは遠いって言うけど、だけど島だもん。会っちゃったら・・・)
同じ島にいるだなんて羨ましすぎる。だけど・・・。
そんなことを思って顔を伏せる真琴だったが、そこへサフィルスが、どどんっと鳥籠を差し出した。
「何、これ」
綺麗なオウムやインコなどを飼う為のものだろう。ドームの天辺についた持ち手なども装飾性があって、見るからに高そうだ。
「ふふ、鳥籠ですわ。可愛らしいでしょう、マーコット?」
ガーネットが優しく微笑む。その丸型の底に敷かれているふわふわクッションはガーネットが桃色の柔らかな生地を買い求めて作ったものだ。
「それは分かるけど、なんで鳥籠にクッションが敷かれてるの?」
鳥籠に敷くのは新聞紙、もしくは捨ててもいい紙か布だ。そうじゃないと鳥が糞をして汚してしまう。
そんなことを思って眉根を寄せる真琴の額に、ガーネットは軽くキスをした。
「そうじゃないとあなたに痛い思いをさせてしまいますもの。さあ、マーコット。小さな猫になって、ここに入ってくださいな。きっととても可愛いですわ」
「・・・猫が鳥籠」
なぜ、猫の姿になって鳥籠に入らなくてはならないのか。
けれども断りきれない、皆から押し寄せてくる何かに負けた真琴は、とりあえず小さな黒猫の姿になってみた。
ぽたっと落ちた衣服の中に埋もれている小さな黒猫は、みゃーと頼りなげに鳴く。
「そうですわね。ベースは濃いグレイで黒の縞々が入ったものが可愛いんじゃないかしら。瞳の色はグリーンで。ね、マーコット?」
それを聞いて色合いを変えてみたら、いきなりラーナに抱きしめられた。
「可愛らしすぎるわっ。これで完璧よっ」
するとサフィルスが文句を言う。
「えー。それってラーナ、縞模様は可愛すぎてあざといってものよ。私はマーコットならグレイの短毛な猫が可愛いと思うの。瞳はやっぱりブルーね」
真琴は少し茶色味を帯びた灰色のシャム猫になってみた。瞳は濃いブルーだ。
「いやーん、可愛いー。もうお持ち帰りしていいわよねっ」
サフィルスに抱きしめられて頬ずりされてしまう。
「それも可愛すぎるってものでしょ、サフィルス。私としては、純白の毛先に少し黒が入ったペルシャ猫がいいと思うわ。瞳の色はイエローで。そう思わない、リリアン?」
今度はペルシャ猫になってみたら、優しくガーネットが撫でてくれた。
「可愛すぎるっ。ねっねっ、顔を右手で洗ってみて。ね? ・・・・・・・可愛すぎるっ」
その要望通り右の前足で顔をこしこしと擦ってみたら、ガーネットの膝からサフィルスに猫は強奪されてしまう。
「そうねえ、私としてはピンクがかったクリーム色の方がいいわ。瞳はブラウンね。やっぱり長い毛の猫ならクリーム色が気品も出そうじゃない?」
リリアンに言われて気品あるペルシャ猫になってみたら、ラーナも微笑んだ。
「そのふにゃっとした上目づかいも可愛すぎますわね。ふふ、キスしちゃおうかしら。欠伸してみてくださいな、マーコット」
あふっと欠伸してみたら、リリアンに耳のあたりをキスされる。
ファッションショーならぬ、一人で幾つもの猫の姿ショーだ。
(猫って、大変な商売だったんだ)
色や模様を変える度に、
「まあ。小さな舌がちろって出てるのが愛らしいですわ。そこで上半身だけ振り向いたら悩殺ものですわね」
などと、様々なポーズをとらされて疲労困憊してしまった真琴は、自分を撫でまわしていたサフィルスの手の中で、ぐてっと目を閉じてしまう。
「あらあら。お疲れになっちゃったみたいよ」
一番抱き上げてきゃっきゃと喜んでいたくせに、サフィルスがそんなことを言った。
「だけどやっぱり小犬より小猫よね。よく見つけてきたわね、ラーナ」
「こんな可愛らしい小猫、野犬や子供に襲われたら困るもの。この鳥籠ならぴったりでしょう? お疲れ様、ガーネット。素敵な寝床だわ」
「本当はマーコットのお好きなグリーンやブルーで作って差し上げたかったのだけど、これが一番肌触りがよかったのよね」
小さな体がそっと鳥籠に入れられる。
(ふわふわしてて気持ちいい)
そうして真琴はそのまま寝てしまった。
何かあった時にはそれなりに隠れ家として提供できる方がいいだろうと、集落から少し離れた場所にある小さな家を借りたカイトだ。
自分にとってもその方が気楽だった。
宿舎となっている貸別荘も無料で悪くはないのだが、人の気配がうるさすぎる。
(だが、やっぱり家を借りてて正解だった。あんな馬鹿騒ぎに巻き込まれずにすんだしな)
現在、このディリライト島にやってきているドモロール王国軍はカイトを含めて10名だ。だが、新入りが美人だったことから懲りずに夜這いをかけた者が続出したという。
現時点で、まともに歩行可能なのはそんなことを考えもしなかったドカートン小隊長と2名の兵士、カイト、そして当の新入りであるルーシーぐらいだ。残りの五人は肋骨を折られて休養中である。
(一人じゃ負けるからと皆で襲いかかるとは。情けない。自業自得だな)
さすがにドカートン小隊長も呆れて、その五人を本国へ送還することにしたらしい。
身動きが取れないのだから仕方ない。彼らもドモロール王国に帰ることができるようになって嬉しいのか、その評価が地に落ちたであろうことを考えれば悲しいのか、そういった気持ちをカイトは理解する気にもならないが、神妙にその準備をしているようだ。
(今度やってくる五人がマトモならいいが。いや、どうせなら無能が有り難いか。どっちにしてもあのルースという女、かなり厄介だな)
彼女は強い。それが分かる。
ドカートン小隊長はどうとでもなるだろうが、彼女こそが問題だった。
カイトと同じように誰かの内意を受けている可能性があるのだから。
(ま、そん時はそん時だ。考えても仕方ねえ)
こうして市場に行って買い出しして自炊する生活は、気楽だった。なにより一日中動いていないと、愛しい面影を思い浮かべずにはいられなくなる。
(マコト。お前は今、どこで何してるんだろうな)
あの家に十分な金は置いてきたが、やはり通路を出た先で誰かと出会い、そうしてもう幸せな日々を過ごしているのだろうか。
(シルフはちゃんとお前を見つけたのか。何が何でも捜しただろうとは思うが)
大切な神子姫だ。風の妖精達も必死に捜して辿りついたことだろう。
あの泣き虫な娘が、それでも皆に愛されて幸せに生きているならそれでいい。
カイトがそんなことを思いながら無人の浜辺を歩けば、小さなヤドカリやカニがカサカサと音を立てて走っていった。
ざざーっと寄せては返す波の音、漆黒の闇に浮かぶ月と星々。
こうしていると激しく岩へと打ちつける北の冷たく荒っぽい海とは違うものだなと、そんなことを思わずにはいられない。
(綺麗な満月だ)
美しく輝く月の光は、女神シアラスティネルの髪の色だという。
(あなたの大切な愛し子が幸せでありますように)
無言のままに膝をついて長い祈りを捧げてから、カイトは立ち上がった。
そんな姿を、遠くからルーシーの黒い瞳が観察しているとも気づかずに。




