70 パッパルート国王は優理と出会った
ジンネル大陸の中央に位置し、古い歴史を持ちながらも貧乏なパッパルート王国。
前国王夫妻、前々国王夫妻すら、自国を離れて暮らす程に、ルート砂漠を擁するその国は貧しい。
けれども若き国王ディッパは、緑地化に向けて努力を惜しまぬ青年だった。
「俺の背中に、皆はこの国を見る。自らが先頭に立たずして誰がついてくるだろう」
なんだかとても格好いいことを言っているようだが、そうでも言ってないと、ディッパ自身も外国で隠居生活したくなるのだ。
祖父母や両親のように、
「やっぱり穏やかな生活はいいのう」
とか、
「井戸のお水が涸れる心配しないでいい生活はいいわねぇ」
とか、言ってみたくなるのだ。
(ここまで譲位を繰り返す国も珍しいだろうな。独自路線だけは突っ走ってるか)
砂漠では植えても水をやっても枯れていく植物ばかり。
少しでも乾燥に強い植物を探して植え、水をやっては日よけを作り、そうして砂漠に緑を増やしていこうだなんて作業、熱意なんてそうそう続かない。
だが、そこで止めたら終わりなのだ。どれほどに心から熱意が失せていったとしても、僅かな希望を持ち続けて人は手を動かし続ける。
その積み重ねを、人は努力と呼ぶのではないか。
その努力する人々の目に映る自分が挫けて、どうして国王を名乗れるだろう。
「で、我が王。なんで休暇とか言って俺らはこんな砂漠で砂食ってなきゃならんのでしょーか」
見渡す限り砂しか見えないその場所で、ニッカスは前を行くディッパに向かって大きな声で語りかけた。
この青年王は耳まで布で覆っているから、大声じゃないと聞こえないのだ。
「バッカだなぁ。ちゃんと布巻いとけよ。だから砂が口に入るんだ」
「これでも俺は護衛でしてね。音を聞き取りにくくするようなそんな目の細かい布でのグルグル巻きなんて許されてないんですよ」
前を行くディッパは、目以外の顔を何重にも布で巻いている。ディッパもニッカスも、目の部分にはガラス板を使用した保護材を使っているが、すぐに砂埃で汚れて見えにくくなる為、何度も拭いながら歩いている有り様だ。
更にニッカスは、いざといった時にディッパを守らねばならぬ為、目と耳をできるだけ働かせておかねばならなかった。
「俺が許す。使って良し」
どんどんとこの風は強くなってきている。
新しくオアシスができたらしいと聞いて確かめに行くつもりが、こんな砂嵐が起こるとはまさに予想外の出来事だった。
昨日は雨が降っていたから尚のことだ。
ディッパにしてみれば、存在するわけもない暗殺者を考えるより、互いの体力と気力の温存を優先すべきだと言わざるを得ない。
そこには焦りもあった。
なるべく早くそのオアシスに辿りつかねばならぬというそれだ。
「ディッパ様に何かあったら俺の首が飛ぶっつってんですよっ」
「安心しろっ。俺を殺して困るのは俺の後釜に座る奴だ。だから誰も殺さねえっ」
叫ばないと声も聞き取れない程に、砂嵐はひどくなっていく。それにあわせて気温も高くなっていった。
(くそっ。俺は自己責任だっ。なのにニッカスまで道連れかよっ)
生まれ育った国で、砂嵐すら慣れ親しんだものだ。だからちゃんと読み取っているつもりでいた。
その自分の驕りがこの事態を招いたのか。
ディッパは地面に座った。
こうなると歩く方が体力を失う。緊急野宿するしかない。
すぐにそうと悟り、ニッカスも自分達を覆う布を手早く広げた。布の隅を二人はその体で押さえつけながら中の空間をどうにか確保していく。
こういう時は、砂の中に隠れた方が安全なのだ。しかし、空気の確保も忘れてはならない。
「ニッカス」
「何ですか?」
一緒に布の下にいるからだろう。世界に二人きりという言葉が脳裏に浮かんだディッパだ。
「俺が倒れたら、お前一人でも辿りつけよ」
「・・・その後の俺の人生、どうなると思ってんです?」
「うまく国外へ逃げろ」
「冗談やめてください。んな寝言ほざいてる間に砂掘ってください」
「へいへい」
どうにかスペースを確保したなら、次はそれの強化だ。ニッカスにしてみれば、ディッパを失うだなんてことは認められないし、弱気になるつもりもない。
だが、どんどんと風は強くなっていく。
布がまだある程度は遮断してくれているが、こうなると・・・。
(おかしい。こんな時期にどうしてこんな砂嵐が起こってるんだ。くそっ。ディッパ様だけでもどうにか生きて戻っていただかねば・・・っ)
そこで、ドォンッと凄まじい音を立てて二人を殴るような突風が吹いた。
腰から足先までは砂の中にあったというのに、二人の体が揺れる。
「俺の手を離さないでくださいよっ」
「フッ、熱い告白だな」
「どうしてここでそーゆーボケをかませるんですかぁっ」
何があろうとディッパを失うわけにはいかない。
(飛ばされるとしても俺だけでっ。この方は砂に埋めてでも助けなくてはっ)
ニッカスは布と己の体でディッパを覆うと、その四肢に力をこめた。
女神とその神子が使える世界の通路。その出入り口は聖域と呼ばれ、守り人が存在している。
その守り人の一人である彼は、何とも言えない気分で己の背中にいる優理に尋ねた。
「まだやるのかね?」
「勿論よ。九死に一生を得たって方がドラマチックでしょ? そう思わない?」
「我は守り人として人が近づかぬ砂漠を作り上げているだけであって、こんな詐欺行為の片棒を担ぐ為に砂漠化していたわけではないんだがなぁ」
「寝てる間にここまで砂漠を広げちゃったなら今更よ。いいじゃないの、これぐらい」
ジンネル大陸の中央地域にあるその聖地は、周囲を砂漠で守られている。
パッパルート王国にいる守り人は、人が近づかぬ熱砂の中で通路を守っていた。
そう、ルート砂漠の最奥部分は人が近づけぬ場所となっていたのである。
その聖なる地は黒い龍が守っていた。尚、ゲヨネル大陸にいるのは翼ある大きなトカゲのようなドラゴンだが、この砂漠に暮らす龍は蛇に四肢と翼をつけたような姿をしている。
「赤ん坊の時には可愛らしくほぎゃほぎゃ泣くだけだったのに」
「どんな赤ん坊も年月と共に育つのよ。そうして私は、国王陛下が砂漠で出会った運命の乙女となるのです」
「なるといいがな」
やれやれと、黒龍は空からパッパルート国王とその護衛が砂に埋もれていくのを見ていた。
それは背中に乗っている少女の頼みでやったことだ。
優理は自分の同行者である男達をも砂嵐に巻き込んで気絶させてくれと頼んできたものだから、そちらはオアシスの傍に寝かせてある。
女神シアラスティネルの子供の一人は、母よりも個性的に育ったらしい。
「でね、あの人達が気絶してからオアシスに運んでもらってもいい? そうしたらレイス達を起こして、私、あの人達を助けたことにするから」
今のニッカス同様、この優理を砂嵐から守り通した結果、竜巻に巻き込まれて気絶する羽目になったレイスとカイネ、エミリールだ。
「不憫なことよのう」
「そうよね。不幸な砂嵐だったわ」
黒龍は男達に同情した。
やったのは自分だが。そして仕組んだのは優理だが。
「まあ、よい。楽しいならいいが、程々にするのだぞ。たとえ世界に愛されておっても、不意をつかれて攻撃されてはひとたまりもないのだからな。己を過信してはならぬ」
「はーい」
長い午睡から覚めてみたら、大きくなった愛しい子に押しかけられた。
『あのね、思うんだけど、災難に遭って死を覚悟した独身王がいるとするじゃない? そこを助けてあげた心優しき乙女がいたら、もう運命の出会いよねっ? そんな出会いがあれば、感謝感激雨あられってことになると思わない? そんな乙女のお願いなら、ホイホイ聞いてもらえちゃうわよね?』
そんな優理の決めつけストーリーを面食らいながらも聞かせてもらった黒龍だ。
『そんな面倒臭いことをせずとも、普通に自分の正体を明かせば聞いてもらえるであろう?』
『駄目よ、それは。正体は隠さなきゃいけないの。失敗した時に私の名前が出たら、格好悪いじゃない』
『・・・自分の計画でもないものをさせられて、失敗した時に名前が出る国王はどうなるのだ?』
『そこは努力して成功させてもらうのよっ。それにねっ、あえて自分の正体を明かさずに実力で勝負するっ。そこがいいんじゃない。私の生き様の美学はそこにあるのよっ』
『ほう』
優理なりに、自分の正体は隠したいが美学は貫きたいのだと、そう言われたら黒龍もそうかとしか言えない。
(最近の若いおなごは分からんなぁ。正体を明かさずに何の実力勝負なのだ?)
しかもパッパルート国王とその護衛を遭難させる前に、優理は自分の同行者も遭難させていた。
(やれやれ。心配してついてきてくれた男達を自分と共に空中へとブッ飛ばしてまでどんな美学を貫くつもりやら。子供はわけの分からぬ意地を貫くことが往々にしてよくあるものだが)
空中に飛ばしたと言っても、黒龍は優理だけを空中停止させ、他の三人をくるくると凄まじいスピードで気を失うまで回転させたわけだから容赦がない。
優理の不在に気づかれぬよう、三人の周囲は音もにおいも光も遮断して、更に目を開けたり動いたりできぬよう空気の圧力をかけておいた。
「何かあったらこの砂漠の隅っこでいいからどうにか逃げてくるのだぞ。さすれば必ず守ってみせよう」
「ありがとう、そうする、いざとなったら大気が守ってくれるもの。ちゃんとここまで辿りついてみせるわ」
「ならばよいのだ」
口うるさくしても、黒龍は優理が可愛い。
だから彼女の願いを叶えた。長く暮らしていたパッパルート、その当代国王達をひどい目に遭わせて。
どこかに寝かされている自分に驚いて目が覚めたニッカスだ。
「う・・・ん?」
呻きながら体を起こしたら、そこは簡易的な天幕の中である。しかも、隣には誰よりも大事な主がいた。
(え? ここはどこだ? 俺達は竜巻に巻き込まれて・・・)
人の抵抗など意味なく、空中で木の葉のようにくるくると旋回させられ、気を失ったことを思い出す。
せめてディッパだけでも守ろうと、その地面に叩きつけられる衝撃すら自分が引き受けようと思ったのに、繋いでいた手は離れてしまった。
けれども横で眠っているディッパの呼吸は、落ち着いたものだ。
(誰かが助けてくれたのか? だが、荷物もなくした今、礼なども・・・)
信用できる相手なら素性を明かせば王宮へと送り届けてくれるだろう。そうすれば謝礼も出せる。
けれどもそうでないなら・・・。
そんなことをニッカスが思っていたら、ひょいっと天幕の布がめくられて一人の男性が顔を覗かせた。
砂除けで布をかぶっているので髪の色は分からないが、くすんだ青い瞳をしている。
「ああ、やっと起きたか。お互い災難だったな。あ、水、飲むか? ちょっと待て。・・・おーい、ユーリちゃん。さっきの行き倒れさん、目が覚めたらしいぞぉ」
言葉の後半は、少し離れた所へ伝えるものだった。
すると、それに呼応する声がある。
「はぁい。もうすぐスープもできるからぁ。運んだ方がよさそぉ?」
その声に刺激されたのだろうか。
横にいたディッパの睫毛が震えた。
「う、ん」
呻き、その黄土色の瞳を開ける。
その頼りなげな視線がニッカスを認め、安堵したものを浮かべた。
「大丈夫か、ディー? どうやらこの人達に助けてもらったらしい。動けるか?」
「・・・ああ」
こういう時、身分を悟られぬようにニッカスはディッパをディーと呼ぶ。
その呼び方で察したのだろう。ディッパはニッカスにだけ分かる角度で口角をあげてみせた。それは了承の合図だ。
「お連れさんも起きたなら何よりだ。一応、少しなら薬草も持ってきている。具合は大丈夫か? 今、うちのユーリちゃんがスープを作ってくれてる。俺達も竜巻に巻き込まれたんだが、あんた達もそうらしいな」
「ああ。なかなか凄い竜巻だった。いや、あれほどまで巻き上げられたのに、・・・あまり体も痛くないのが不思議なんだが」
腕や足を動かしながら、不具合を確かめるニッカスだ。
あんなにも凄まじい速度で自分達を回転させた竜巻である。それこそ空から地面に叩きつけられて良くて骨折、そして本来は死亡してるのが当然だ。
なのに、大きな打ち身すら感じない。
「興奮状態にあると痛みを体が覚えない時がある。後で出てくるから油断はしなさんな。ま、それは俺らも同じことなんだがね。俺はカイネ」
「ニッカスだ。こっちはディー」
手を差し出してきた男の手はかなりごつごつしていた。自分よりも強いかもしれないと、ニッカスは思う。
「飯は運んで来てやろうか? それとも起きられそうか? ほら、水」
カイネに水差しとカップ二つを渡されて、ニッカスはそれをまず自分が口に含んだ。
変な味はしない。刺激も感じない。汲んだばかりのような、冷たく甘みすら感じる涼やかな水だ。
だからそれを飲み下す。
そうして自分が飲んだカップに再度水を注ぎ、それをディッパに渡した。
「ほら、ディー。水だ」
「ああ」
その様子をカイネは面白そうに見ていた。
そこへザッザと砂を踏む音がして、もう一人が顔を見せる。こちらもまた布をかぶっていたが、くすみのない青い瞳をしていた。カイネと名乗った男よりも若い。
「打ち身とかあるようなら薬草を煎じてやってくれって、ユーリちゃんに言われたんだが、調子はどうだろう? 食事はできそうか?」
ニッカスがディッパを見れば、やはり自分の手足を確かめていたディッパが顔を横に振る。
「打ち身は大丈夫そうだ。俺はニッカス。こっちはディー」
「俺はエミリール」
カイネと違い、エミリールと名乗った青年は天幕の中にまで入ってきた。
「二人とも一応、舌を見せてみろ。それから目も。脈もな」
「・・・医師か?」
「いや。真似事だ。しかし病人の世話には慣れてる」
そう言って、エミリールは二人の様子をチェックする。
そうして異常はないと判断したのだろう。
「カイネ。悪いけどユーリちゃんの味方してあげてくれないか? レイスは食料温存を主張してるんだが、ユーリちゃんは食べたいものは食べたいって主張するもんだから喧嘩になっちゃって。俺がユーリちゃんに味方したもんだから、レイスがかなり・・・」
「俺が行けばレイスが譲るってわけじゃないんだがな。まあ、分かったよ」
そうしてカイネが去ると、エミリールは天幕の入り口を顔の向きで示しながら小さな声で言った。
「頭を打っているようなら、あまり動かない方がいいでしょう。何でしたら食事を運びますが、どうしましょうか? 何を入れられているか分からないとお思いでしたら同席なさった方が安心できるかと思いますが」
いきなり丁寧な言葉づかいになったエミリールに、ニッカスが警戒の視線を向ける。
わざとカイネを追い払ったことに気づいたからだ。
「私共は、生憎と外国の、更に下町の人間でございます。そちらのご身分は明かされぬ方がよろしゅうございましょう」
「ならば・・・」
何故と、ニッカスは続けたくても続けられなかった。
不安を悟られたらつけこまれるからだ。
だが、その逡巡をエミリールは見抜いたらしい。
「私、わけあって他国に出向き、一時的に彼らの仲間として暮らしておりますが、故国では貴族の地位を有しております。我が国にいらしたことがおありでしたから、似ているなと思ってはおりましたが、今、お体を拝見して確信いたしました。こちらは王太子殿下でいらっしゃいますね?」
「・・・・・・」
ニッカスは黙ってエミリールを睨みつけた。
ちなみにディッパの即位はあまり知られていない。何故なら披露などしたらお金がかかるからだ。
だからまだ王太子だと思っていたエミリールは悪くない。
「ですが今、ここであなた様方をお助けした彼らは、金で命を売り買いする人間でございます。その意味はお分かりでしょう。身代金などを要求されたくなければ、そのまま一般人を装われることをお勧めいたします」
「何故・・・」
どうしてそこまで分かっていて、自分達に味方するのか。
ニッカスの言葉にせぬ問いに、エミリールは微笑んだ。
「実は、我が姉ラヴィニアはキマリー国の王太子ケイファスト殿下に嫁いでおります。何かありましたらどうぞよろしくお願い申し上げます」
「はぁっ?」
まさかの素性である。
キマリー国といえば独特の文化を持つ、それなりに歴史ある国の一つだ。
その王太子妃の弟となれば、それなりに裕福な貴族の出身だろう。
(もしかしたらうちよりも金持ちだな)
いや、確実にディッパよりも裕福だろう。
そんなことを思ってしまうニッカスの背後で、ディッパもエミリールをしげしげと見遣る。
たしかキマリー国王太子妃はもっと濃い色合いの髪をしていたと思ったのだが、似ていない姉弟なのだろうか。
まさか髪を脱色しているとは思いつかないディッパ達だ。その必要性が理解できないこともあって、エミリールの話は本当だろうかと怪しまずにはいられない。
けれども騙るには、あまりにも大胆すぎる素性だ。
「ならば同席させていただこう。俺のことはディーでいい。丁寧な言葉づかいも必要ない」
ディッパが口を挟めば、エミリールはにこやかな笑みを浮かべる。
女装と商売経験を積んだエミリールは、愛想笑いも板についていた。
「分かった。では、どうぞお手を。立ち上がる時は特に眩暈に気をつけて」
しかし、何か不具合があってはいけないと思ってしまうエミリールは、手を差し出す。
その手に自分の手を重ねながら、ディッパは、
(こっちが助けた立場なら、そっちから謝礼金を踏んだくれたのに)
と、そんなことを考えていた。
たとえどの地にあろうとも、エミリールがキマリー国ミンザイル次期伯爵としての自分を見失うことはない。
そしてまた、ドモロール王国から母方の祖父母を通じて伝えられた任務を遂行する為にキマリー王宮へと出向き、やがて王太子妃となった姉ラヴィニアの苦労も、エミリールは知っている。
たとえ貧乏国と名高くても、パッパルート王国には古くから連綿と続く歴史があった。時に歴史は金で買えぬ財産なのだ。
せっかくお知り合いになったのだ。姉に対して好意的な王族が他国にいて困ることはない。
(ごめんね、ユーリちゃん。だけど俺にも俺の立場がある。ましてやレイスとカイネは、そういう世界に生きる男達だ)
ゆえにディッパとニッカスに対して、キマリー国の貴族としての立場から、自分達に油断せぬよう伝えたエミリールだったが、彼は大事なことを一つ見失っていた。
それは、優理が非常識な性格の持ち主であるという事実だ。
勿論、それはエミリールの咎ではない。そんなこととは知らなかったのだから。
けれども三姉妹の中で一番クールに見せかけて、やることが一番ホットなのが優理だ。
自分の家に土足で踏み込まれたら家ごとそいつらを爆破する。
自分達を捜している神官がいたら無料でこき使える召し使いゲットだと、姉妹の所へ送りこむ。
厄介な男の客を出入り禁止にしたくなったら少女趣味な店へと内装を変える。
やっぱりボディガードが必要だと思ったら暗くおどろおどろしい内装に戻す。
自分の家を荒らされたら、犯人の根城をぶち壊してでも被害を賠償させる。
一時的な雇い主が自分に隠れて女遊びをしていたと知ったら、ペテンにかけて金貨を分捕る。
そんな人間が、国王を国王と気づかずに助けて終わり、だなんてことがある筈なかったのである。
エミリールは偶然と思っていた砂漠での出会いだが、優理にとってはわざわざディッパが出向いて確認したくなるようなオアシスを作ってまで、この状況を作り上げたのだから。
(守り人が寝こけていたおかげで必要以上に砂漠が広がってたみたいだけど、この状況を利用しない手はないわっ。緑化に対して先頭に立って取り組んでいる国王が、見に来ない筈がないもの)
大地に頼んで、程々の場所にオアシスを作ってもらった。勿論、水源は地下水だ。
だが、守り人も目覚めた今、どうせ聖地の周囲にさえ人が立ち入らなければいいのだから、いずれ砂漠をかなり縮小してくれるだろう。今はまだそれを少し待ってもらっているが。
(ドレイクとレイスも、この砂漠がなければパッパルート王国も街道を作って、かなりの儲けになっただろうにって言ってたしねっ)
そうなれば砂漠化を止めてもらって一番乗りだ。儲けはすぐそこにある。
(ライバルはいない。しかも一国を使える(かもしれない)となったら、やる価値は十分にあるわっ)
燃えている優理は、一国の王を罠にかけることすら厭わない。
てっきりそれなりの護衛がいるだろうと思っていたので、分断してもらうべく黒龍と共に空から見ていたのだが、なんということだろう、フットワークが軽いらしいパッパルート国王は護衛一人でやってきた。
そのルート砂漠を見に行きたいとごねまくって、カイネだけに同行してもらうつもりだった優理だ。
なのにエミリールは、ニッコリ笑って言った。
『いいね。俺も砂漠は見たことない』
『え。だけどエミリール、貴族なんだし、砂漠なんて危険よ?』
『そんなことないさ。ユーリちゃんだけを行かせるなんて、その方が心配で俺の心がずたぼろになっちゃうよ』
そしてエミリールに押し切られるだけではすまなかった。
『カイネだけじゃ二人を守るのはきつい。不案内な場所をなめるな』
レイスまでついてきたものだから国王に仕掛ける間、三人を隔離しておく為に思ったよりもひどい目に遭わせてしまったが、後悔はない。
(カイネさんだけなら、なんとでも理由をつけて一人になれたと思うんだけど、三人もいたら仕方ないわよねっ)
自分を心配してついてきてくれた三人を空中洗濯機にかけた犯人は、自己正当化に長けていた。
そうしてロマンチックな出会いとやらを演出する為に、美味しいスープと果物などもいそいそと用意している。
そこで竜巻でひどい目に遭ったレイスが、一気にそこまで食料を使ってしまうペースは危険だと止めても、聞く耳など持たないのだ。
「大丈夫よ。もうオアシスは見たもの。あの行き倒れていた人達と食事したら、一泊してあとは戻ればいいわよ。帰りの荷物は少ない方がいいでしょ?」
「帰りこそ遭難したらどうする気だ」
「大丈夫よ。私、運がいいもの。遭難なんてしないわ」
「その根拠はどこからくるんだ」
「日頃の行いがいいからよ。当たり前でしょ」
そう言いながら、レイスも本気で止めているわけではない。
あくまで一般論としてそれらを主張しながらも、機嫌の良さそうな優理をさりげなく観察していた。
そこへ優理が見つけたという、砂に埋もれていた二人の様子を見に行っていたカイネが戻ってくる。
「まあまあ。レイスもそう厳しいこと言ってやるなよ。俺らと違ってあの二人は荷物もなくしちまったみてえだ。ここでけちったら、本当は腹ペコでも言えなくなるだろ。ちゃんと食えるうちに食っといた方がいい。だが、明日は朝食とったらすぐ出発すんだぞ、ユーリちゃん」
「うんっ」
「カイネは甘やかし過ぎだ」
「レイス程じゃない。ところで果物は足りてるか? もっと捥いできてやろうか?」
「どうかしら。取りすぎたら困るわよね。ここに生ってる果物だって、辿りついた人にとっては他に食べる物がなかったりするかもしれないし」
この小さな泉の周りには砂ではなく土があり、草もそれなりに生えていて木々もある。そうして僅かだが果樹もあった。
優理の為に移植されていた果樹だが、そうとも知らずにカイネ達はまさに自然が作り出した奇跡だと感心していたのである。
「じゃあ、足りなくなったら取りに行けばいいか。どうせすぐそこだ。他に手伝うことはあるかい?」
「大丈夫よ。後は深皿に入れるだけ。パンは葉っぱのお皿になるけど、こういうのもワイルドでいいわよねっ」
カイネは優理に気づかれぬよう小さく笑った。
優理にとっては葉っぱに盛り付けることこそが非日常的でわくわくするのだろう。だが、自分達ならある物ですませるといったことも多く、日常的なことでしかない。というより、葉っぱすら使いもしない。そのまま取って食べる、それだけだ。
見れば、レイスも軽く肩を揺らしてこっそりカイネに同意を示す。
食器など無い状態で生き延びてきた自分達にとって、ある意味で優理は異質な存在だ。
けれどもそれでいいと思える。同じ存在に引き摺り下ろしたいとも思わない。
まさに銀のスプーンを咥えて産まれてきたのであろうエミリールには、何とも言えない気持ちを抱かないわけではないが、それとて仕方のないことだと折り合いをつけなくては生きていけない。
「ユーリちゃん。二人とも体は大丈夫だって。えーっと、こちらがニッカスさんで、こっちがディーさんだそうだ」
そこへエミリールが、二人を連れてやってくる。
その二人は天幕の外にあった泉と木々に驚いていたようで、そちらを凝視していた。
広げていた敷物を優理は指し示す。
「じゃあ、座ってもらって。ニッカスさんとディーさんね。あ、こっちはレイスとカイネさん。私はユーリ。よろしくね」
オアシスの恵みに感激したのか、紅潮した頬のまま、ディッパが進み出た。
「この度は助かった。俺はディー、そしてニッカスだ。まさかあんな砂嵐が起こるとは思わなかった。俺達を助けてくれたのは?」
「こっちも同様に砂嵐とやらに巻き込まれただけだが、近くで倒れていたというあんた達をこのユーリが見つけてな。体の調子は?」
「今のところは特に不具合もない。えーっと、レイスさんが一番偉い人か?」
レイスとカイネ、エミリールとユーリという組み合わせは、何とも判断しがたいものだった。
レイスとカイネ、どちらが責任者だろうと思えば、愛想の悪い方だろうと判断したディッパだ。
(エミリールがキマリー国貴族で、他の三人は下町のゴロツキということだったが、・・・この女の子が? それにその割には男共をこの女の子は恐れてないようなんだが)
そのディッパとニッカスの表情から、自分達をどういう一行なのか判断しかねていることが分かったのだろう。カイネが困った顔になる。
関所ではエミリールと優理を腹違いの兄妹、レイスとカイネがその護衛に雇われているといったことにしていたからだ。
しかし夕食などを一緒にしていたら、どう考えても違うとすぐばれるだろう。
「俺とユーリが兄妹で、カイネは俺の友人だ。エミリールはユーリの友人でな。今回、名高いルート砂漠をユーリが見に行きたいとねだったんで、俺とカイネが連れてきたんだが、それを聞いてエミリールも同行したいと言い出したんだ」
さらりと、レイスがそんな大嘘を並べ立てる。
しかしレイスは乾いた砂のような金髪に赤茶けた瞳、ユーリは黒髪に焦げ茶色の瞳である。顔立ちだって全く似ていない。
「え。・・・だが」
似ていない兄妹だなと、言いそうになったディッパだ。
「俺は妾腹でな。ユーリは本妻の子なんだ」
「・・・そ、そうか」
「それより座った方がいい。体を打ってるようなら食欲もないだろうが、それでもスープは飲んでおけ」
「いや。打ち身は特にないんだが」
そこが気になるディッパだ。もしかしたら後で不具合が出てくるかもしれない。
常識的に考えても、無傷ということ自体がおかしいからだ。
その返答に、レイスは僅かに右眉を上げた。カイネと、さっと視線で語り合う。
「そうか。良かったな、ユーリ。男が五人もいりゃ、全部平らげられるさ」
「そうよね。ほら、レイスとカイネさんも座って。そうじゃないとディーさんとニッカスさんだって遠慮して座れないわよ」
干し肉と乾燥野菜のスープだが、このオアシスの周囲に生えていた野菜も入れてある。
平たく焼いてあるパンはそのまま食べるものだが、優理がアレンジでガーリックオイルを塗って軽く温め直した為、香ばしくも食欲をそそる香りがしていた。
オレンジや棗椰子、西瓜といった果物もあって、まさかのご馳走にディッパとニッカスは目を丸くする。周囲を見渡せば、たしかに泉があってそれらが生っているのだ。
「こんなオアシスが本当に存在したとは」
「ええ、ディー。なんてことだ」
この泉が涸れないようであれば、ここを拠点に村すら作れるかもしれない。
そんな思いがディッパとニッカスの胸を熱くさせる。
しかも、出された食べ物はとても美味しかった。
「みんな、どんどん食べてね。あ、レイスとカイネさんにはお酒もあるのよ。ディーさん達も飲む? エミリールはお茶でいいのよね?」
尚、エミリールはお酒を飲まないと思いこんでいる優理だが、それは女装していたエミリールが飲まなかったからであって、実は普通にエミリールは酒を飲む。
(なんでこの二人に愛想がいいんだ? ユーリちゃん、親しくない相手にはいつもツンとしてるくせに)
そこが解せないエミリールだ。
(王太子殿下と知っているなら、愛想よくするよりもまずは恐れ多いとなる筈だし・・・。なら、異性として気に入ったとか? だけどそんな感じでもないしなぁ)
しかしエミリールよりは優理を理解しているレイスとカイネは、この二人が普通の二人ではないのだろうと、既に察しをつけていた。
優理がここまで甲斐甲斐しい女の子を演出しているなど、どう見ても目的あってのことだからだ。
「酒って何があるんだ、ユーリちゃん? そんな荷物、持ってきてたっけ?」
カイネが首を傾げながらも尋ねる。
「よぉくぞ聞いてくれましたっ。これこそ幻の酒とも言われる月夜酒っ。凄いでしょうっ」
「「「「「・・・・・・」」」」」
五人の男は沈黙した。何故なら、そんな名前の酒など知らなかったからである。
互いに目で、
「知ってるか?」
「いや?」
と、知らないことを確認し合い、首を傾げる。
通路を使えばゲヨネル大陸にも一瞬で往復できるものだから、優理は皆が気を失っている間にちゃっかり手に入れてきたのだ。
『ねえ、優理。会いに来てくれたの? それとも私んちのお酒が目当てだったの?』
遥佳は溜め息をつきながら、それを渡してくれた。持つべきものは親切な姉妹である。
こんな銘酒を料理用に使っている遥佳も遥佳だが、イスマルクも優理には好意的だ。
『そのお酒を出したい相手は頭脳労働者でしょうか、肉体労働者でしょうか? ・・・王族とその護衛ですか。なるほど、でしたら咽喉を焼くような酒よりも旨味を感じさせて尚且つ上品なものがいいですね。月夜酒がいいでしょう』
『そうなの?』
『ええ。これならクセがない上、深い味わいと酒ならではの酩酊感も程よくあります。そして王族や貴族だからこそ、飲んだ経験もない筈です。酒の好みがどうであれ、誰もが美味いと唸りますよ。保証いたします』
他にも色々な酒があるが、好みが分からないならこれがいいと、優理に勧めてくれた。
好みが分かればそれに合わせて選ぶこともできるから、何かある時にはよく飲んでいる酒を覚えてきてくれとも。
(さすがはイスマルクさん。やはり使えるわね。オールラウンドに優秀なところがいいのよ)
というわけで、自信を持って優理はカップに注ぐ。
「なら、俺ももらおうかな。ユーリちゃんがそこまで言うお酒なら飲んでみたいし」
「そーお? これね、とっても美味しいらしいのよ」
パッパルートの王太子に何かあってはまずいと思い、毒見のつもりでエミリールが慌てて割りこむと、優理は自信満々でエミリールにカップを渡した。
(月夜酒だなんて聞いたことないな。それなりに各国の有名な酒は知っているつもりだったが)
そう思いながら、エミリールはわざとそれを一番に飲んだ。
「え? あ、美味い。本当だ。雑味のない、水のようでいて、なのにコクがある。なんだ、この酒は。ワインじゃない。だが、蒸留酒とも違う・・・。ちょっと待って。どこのお酒? 初めて飲んだ気がするんだけど」
「そうでしょう。まず普通のお酒屋さんでは扱ってないらしいの」
その青い瞳を丸くして飲み干すと、エミリールは二杯目を注いでもらい、ニッカスの方へそれを差し出した。
「本当に美味しいですよ」
「別にニッカスさんにそれを渡さなくても、ちゃんと人数分のカップはあるわよ、エミリール」
「あ、そっか。ごめんね、ユーリちゃん。洗い物は少ない方がいいかと思ってさ」
「そこに泉はあるし、カップの一つや二つ、意味ないわよ。エミリールったら」
「あははは。酔っ払っちゃったからかな」
「もう、いやぁねえ。エミリールったら酔うには早すぎるわよ。ふふ、やっぱりお酒、あんまり得意じゃないのね」
「そうだね。無理して背伸びするもんじゃないかも」
うふふ、あははと、エミリアだった時の名残りで優理と笑い合いながらも、ニッカスがそのカップを受け取ったものだから、これで義理は果たしただろうと思うエミリールだ。
「あ。本当だ。なんだ、この美味い酒」
ニッカスもそれを口に含んで驚いた顔になる。
「そうなのか?」
「ああ。ディーも一口飲んでみろよ、初めて飲んだ」
そのカップをディッパに渡せば、ディッパもそれを飲んで二人が反応した理由を実感した。
たとえ貧乏国でも、外国に行けば紛れもない王族として賓客扱いされる。ゆえにそれなりのものは飲食体験があるディッパだ。
(この俺が知らないとは一流品じゃないってことか? 安い酒なのだとしても、彼らも知らないと言っていた)
勿論、優理の出すものに毒見など考えもしないレイスとカイネはさっさと飲んでいたが、初めて飲む味に驚いていたことには変わりない。
「あ、おつまみはオリーブの酢漬けね。はい、どうぞ」
そつなく魚のオイル漬けとオリーブの酢漬けを出してくる優理に、カイネが尋ねる。
「なあ、ユーリちゃん。そんな瓶詰め、持ってきてたか?」
「うん。荷物の底に入れてあったの」
勿論、嘘だ。それは遥佳が持たせてくれたものだった。
「そうか」
まあいいかと思い、カイネも全ての疑問を横に置いておくことにする。左手を治してくれた優理に不思議を言い出したら全てを失うだけだ。
傭兵は験を担ぐ傾向があった。
(俺らは持った時の重さと感触で中身ぐらい察せられるんだがねぇ。まあ、なかなか美味い。いい漬かり具合だ。ただ、このクラッカーも昨日、今日焼いた手作り品に思えるんだがねえ)
だから有り難くそれらをつまみ、ちびりちびりと酒を口元に運ぶ。
そうして場がほぐれてくれば、ディッパとニッカス、エミリールもその酒を自分のカップで飲み始めた。
「でね、ディーさん達に訊きたいんだけど、この辺りで商売を始めようとしたら、どこに届け出たらいいのかしら」
「商売?」
ニッカスが驚いて尋ね返す。
「ええ。ほら、この国って縦断や横断する街道がないから寂れちゃってるけど、それさえあれば儲かると思わない? 私ね、ちょっと風俗店の経営を考えてるんだけど」
「・・・は? すまないが、ちょっと聞き違えたようだ。ニッカス、何の経営って聞いた?」
「・・・え。いや、俺もちょっとよく聞き取れなかったようで」
ディッパとニッカスは自分の耳を疑った。
何だか自分達はあり得ない言葉を聞いたような気がする。そう、自分達よりも年下であろう少女が言うにはおかしすぎる言葉を。
「うん。だからね、私、街道さえできればいいんだなって、ここでちょっと風俗関係のお店の経営を考えてるのよ」
かなりの時間が経ってから、ディッパは穏やかに言った。
「街道さえあれば色々と違ってくるだろうが、どっちにしてもその仮定こそが無意味だ。街道を作る前に土壌をせめて砂漠から土にしないと。人が暮らせるようにしなければ街道も意味がない」
「ええ、そうね。だけどそれができると言ったら? 砂漠に強い植物や、砂を動かないようにして土にしていく専門家の心当たりがあると言ったら? そういうの、どこに売り込みに行けばいいと思う? 私、この国の人じゃないからよく分からないの」
ディッパの明るい色合いをした黄土色の瞳に、冷たいものがよぎる。
それこそ専門家というのであれば、自分達は総力を挙げてそれに取り組んできた。たかがちょっと植物学を齧っただけの人間に何が分かるというのか。
「自称専門家の意見など意味はないよ、可愛いお嬢さん。砂漠といったものを軽く考えない方がいい。そういう売り込みの人間は腐るほどいた。これからもいるだろう。大事なのは結果を出すことだ。出せない人間の、『できます』アピールには何の意味もない」
心に重たい石があるかのような気分で、ディッパは酒を口に含む。
さっぱりしながらもコクのあるそれが、苦くさえ感じた。
「結果は出したわ。ここにできたオアシスが証拠よ。あなたはここの西瓜と棗椰子の実も食べたじゃない。これ、最近になってできたってことは知ってるわよね?」
肩ぐらいの長さでボブカットにしている優理は、可愛らしい少女だ。
けれどもその焦げ茶色の瞳に強い光を宿して、ディッパを見据えた。そう、優理はニッカスなど目に入っていない。彼女の目的は最初から一人だ。
「私はこの結果を見に来たの。そしてあなたに出会ったわ。だからこの結果をもって、あなたの国の砂漠を減少することを約束する代わりに、あなたに街道をつくってもらいたいと要求するし、その街道に作る風俗業のお店の経営は当面この私達に専売させてもらいたいって言うの。
というのも、私の考えたやり方で経営したいから。
どうかしら、国王陛下? この砂漠を小さくして街道を作れるというそれは魅力的じゃない?」
素早い動きでニッカスが立ち上がり、ディッパを背に庇った。
カイネは呆れた顔で夜空を見上げ、レイスはその場の状況を静かに観察している。
(俺、何の為に動いてたんだろう。知ってたんなら知ってるって言ってほしかったよ、ユーリちゃん)
エミリールは、虚しい気分になった。
ディッパが王太子か国王かはともかく、優理のそれは王族に対する態度ではない。
「殺す気なら、助けないわ。護衛に話してないの。邪魔だからどいてちょうだい。まだ話には続きがあるのよ」
優理は、近くにあった焚き火に枝を放りこんで更に周囲を明るくすると、ディッパに何枚かの文書を差し出した。
「受け取れ、ニッカス」
「ですが・・・」
「どうせ今、やることはない。話を聞いても聞かなくても何も損はしないだろう」
ニッカスがその文書を受け取ると、その一枚目には地図が描かれていた。現在のパッパルート王国を中心とした地図だ。だが、そこにはない筈の道路も記載されている。
レイスはもう知っていたが、同じものを渡されたカイネとエミリールもそれに目を落とした。
「縦断といっても、まさに真ん中というわけじゃないわ。だけど、そういった街道を作れば、周囲にある他国のそこそこ大きな街道へ出ることができるわよね? なら商人だってこの国を迂回する必要はなくなる。そうでしょう?」
「できれば、だな」
ニッカスが持っているそれを、背後から覗きこみながらディッパが消極的な反対意見を出す。
「街道を作れるだけの環境にしてみせると豪語したが、それが簡単なことじゃないのは分かっているのかな? たかが偶然できたオアシスをネタに大風呂敷を広げるのはいかがなものかと、そう苦言を呈させてもらおう。まあ、そういう前向きな意見は嫌いじゃないがね」
「私がやるといったらやるし、できるといったらできるのよ。そんなことよりも、二枚目を見てちょうだい」
ニッカスが二枚目を見れば、優理の経営する風俗店では基本的に給料が出る仕組みになっていて、更に天引きで積み立てが行われることが決定事項として書かれていた。
そして、貧しさから身を売った場合など、その額と勤務時間に応じてそれぞれの給与額が事細かく違ってくることも書かれている。
そして店を辞める時にそれらが渡されることも明記されていた。
だが、それが高いのか安いのか、ディッパとニッカスには分からない。
「この天引きというのは、そのまま搾取されるのではないか?」
「普通はそうでしょうね。だけど私が経営している限り、それはないわ。問題はその後だけど、それはまた後で。次を見てちょうだい」
そこで三枚目をめくれば、天引きされて積み立てられた中から、更に勝手に毎月、金額が引かれることと、それにより医師に対して報酬が確保される仕組みが書かれていた。
「そのお医者さんの報酬なんだけど、まずはうちのお店専属のお医者さんということで、こういう仕組みでやっていくつもりよ。だけど、私のお店だけで終わらせるつもりはないわ。やがてこういった毎月の積立は国に管理していってもらいたいの。そうしてそれらの取りはぐれがない報酬で、医者の生活が潤うのは分かるわよね? 最初はこういった職業の人だけだけど、いずれ国民みんなからそういったシステムで天引きが行われるように広げていってほしいのよ。税金みたいにね」
「いや、そんな無茶な・・・」
なんということか。
面白いが、あまりにもスケールが違いすぎる。
ディッパとニッカスは、顔を見合わせた。
大体、医師に対する平均的な報酬金額など自分達には分からない。
「古くから続くパッパルート王国が先頭をきってその仕組みを導入すれば、いずれ他国も注目する。
たとえば体を損なってしまった人、そういう自分の身を売る職業に就いた人に対して、世間は決して優しくない。
だけど若い内にそれだけお金を自動的に貯めておいてくれるシステムがあれば、老後だってそれなりに安心があるわ。そして人を救う力のあるお医者さんだって、ちゃんと生活できる報酬があるのなら他の仕事に就かなくてすむ。
そう思わない?」
ディッパはしばし考えた。
「ユーリと言ったね。とても興味深い。だが、君は肝心なことが分かっていない」
「肝心なこと?」
「ああ、そうだ。この国で、風俗関係の店の営業は認められていない」
「・・・え?」
「酒場ですら風紀が乱れるということで、店員は男のみだ」
「え・・・」
他国ではそういった職業があるのは知っているが、見たことはないディッパだ。勿論、ニッカスも同様である。
「勿論、隠れてしている人はいるかもしれないが、少なくともこの国で認められていない。そういった店もない」
「うそぉ」
「嘘じゃない。・・・まあ、外国人には分からないだろうが」
その辺りは全く調べていなかった優理だ。
あるだろうと思っていた。それだけである。
しかし、そこで切り替えが早いのも優理だ。
「そうなのね」
「ああ。だから・・・」
「ということは、私が独占できるってことね。なら余計に儲かるじゃないっ」
「・・・まあな、その前向きさは嫌いじゃないが」
ディッパは改めて優理を見つめる。
この大言壮語を展開してくれる娘の思考は、どこから生まれてくるのか。
けれども優理は、目を輝かせてディッパに提案した。
「勿論、情報が少ない状態で結論を出せなんて言わないわ。ねえ、どうせなら一緒に私達と国外に行きましょう? そうして色々と回ってみれば理解できると思うの。私達、ミザンガ王国にいるんだけど、その前はギバティ王国にいたの。どっちにしても、四枚目をめくってくれる?」
あきらめの境地でニッカスは四枚目をめくる。
そうして目を丸くした。遅れてそれに目を通したディッパも顎が落っこちそうになる。
「あのな、お嬢さん。うちは国家であってだな・・・」
「国が人材派遣会社をしたっていいじゃない。いくら緑が増えても、人口はそうそう急激に増えないわ。それなら国家がそういった経営に乗り出してもいいと思うの。やっちゃいけない。そんな決まりはないわ」
「・・・そりゃそうだが」
ディッパとニッカスはエミリールを見た。まだ貴族の彼なら自分達に突きつけられたこの状況を理解するだろうと思ったからだ。
――― 国が人材派遣業などやる筈がないと、まずはそこをこの娘に言い聞かせてほしい。
それを視線だけで語る。
けれどもエミリールは違うものを見ていたらしい。
話が途切れたその状況から、今度は自分が質問した。
「ねえ、ユーリちゃん。この風俗店を設置する地点って、そこに治療院と神殿も作るってあるけど、まあ、医者はそういったシステムで勧誘してくるにしても、神殿は無理じゃないかな。この国に神殿はあまりなかった筈だ。神官自体が少ないと思う」
尚、ディッパとニッカスが知る限り、パッパルート王国に神殿は一つしかない。
エミリールもそんなものだろうと思っていたが、礼儀正しくそれには触れなかった。
「それはお年寄りなんだけど、心当たりがあるから大丈夫。神殿さえ作ってしまえば赴任してあげてもいいって、というか是非やりたいって、お爺ちゃん神官さん達が言ってくれてるらしいの」
「そうなんだ。だけど一人じゃ無理だよ」
「大丈夫。少なくともそれらをカバーする人数はいるって話だったもの。なんかそのお爺ちゃん神官さんと一緒にやる気に満ちてる神官一団がいるみたいなのよ」
「・・・ならいいけど」
そこでやっとレイスが口を開く。
「ユーリ。そこの王様が本物だとして、それをまさかうちに連れてくる気か? うちは普通の家であって、王族や貴族が滞在できる物件じゃない」
「大丈夫よ。だってこんな野宿だって平気でできる王様なんだもの。なら普通のおうちでも我慢してくれるわよ」
「それにお前。ギバティールではお前が借りてる家を使う気かもしれんが、キースヘルムに何をやらかしたかもう忘れたのか? 見つからないとでも?」
それについては許すと、キースヘルムから伝言を頼まれていたレイスだが、そんなこと伝える筈もない。
逆の立場ならキースヘルムも伝えないだろう。そういうことだ。
「あ」
忘れていたらしい優理が、くりっと助けを求めて泉の方を向く。
しかし、泉は何も助けてはくれなかった。
「どうするんだ?」
「えーっと、・・・大丈夫っ。だってキースヘルム、こっちから攻めていけば結構どうにかなるものっ」
「あのな、ユーリ」
「それにっ、レイスとカイネさんがいればどうにかなるわよねっ?」
「・・・おい、カイネ」
「うーん。そう言われちゃあ頑張るしかないかなぁ。可愛いユーリちゃんのことだしな」
「やっぱりカイネさんが一番頼りになるわっ」
まさに他力本願もいいところだ。
しかも、ディッパは一言も「行く」とは言っていない。
「とりあえず、この資料はゆっくり見せてもらおう。だが、俺を誘拐しようが暗殺しようがメリットはないと伝えておく」
「あら、当たり前でしょ。生きてそれを実行してくれなくちゃ」
「ついでに、そのご招待にもすぐには返事できん」
「別にかまわないわ。だけどあなたは来るわよ」
立ち上がって天幕に戻ろうとするディッパに、優理はぬけぬけと言ってみせる。
オアシスの周囲で戦いはご法度だ。
だから通常、寝入った隙に襲われることはないのだがと、ニッカスは煩悶せずにはいられなかった。
交渉決裂だと思って襲われたらどうするべきか。
砂漠での常識が外国人にも理解されているのか怪しいが、装備もなしに砂漠へ出るのは命取りだ。勿論、自分達ならある程度の慣れがあるから大丈夫かもしれないが、竜巻に巻き込まれた後となると・・・。
(夜陰に紛れて逃げ出すべきか。だが・・・)
小さな天幕は三つあって、その内の一つに寝かされていたディッパとニッカスだ。
その晩は、二人ともあまり眠れなかった。




