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68 優理は考えなしと怒られ、遥佳は知ってしまった


 自慢ではないが、優理はお金持ちだ。

 たとえ普段、せこい小銭稼ぎにばかり(いそ)しんでいても、その気になればかなりのお金持ちなのである。


(ここはお医者さんも儲けにならないから、その知識を持っていても違う仕事に就くことが多い。高利貸はいるけど、銀行はない。銀行があったところで、借りた人がお金を返さずにそのまま他国に逃げてしまえば終わり。結局、そういったものは国と民間が一緒にならないとうまくまわらないのよ)


 国に倒産はまずない。

 そういった信用も含めてシステムを作り上げないと話にならないということだ。


(だけど私が国を欲しがったら、・・・どこも差し出してくるのがオチね。しかも実権は握らせずにお飾りで据えておくだけ)


 それでは意味がないのだ。

 自分がやりたいのは、あくまでモデルケース。それが成功したならばともかく、失敗したら目も当てられない。

 自分の名前だけは出してはならない。というのも。


――― スクープ! 神子姫の国運営、大失敗っ!!


 だなんてニュースが世界を巡り巡った日には、冗談ではないではないか。自分のプライド的に。


(それだけはっ、何があろうと認められないのよっ!)


 母と自分の名にかけて、この自分に失敗などあってはならない。

 だからやる時は、名前を出さずに身代わりを立てる必要がある。

 というわけで。

 その日、優理はばっちり身軽な服に着替えてから朝ご飯を作っていた。


「なんや、そん格好(かっこ)。どっか行くんか?」

「うん。ちょっと欲しいものがあって」


 起きてきたドレイクが欠伸(あくび)しながら訊いてくる。すると昨日は遅くなったというので泊まったカイネも、苦笑しながら参加してきた。

 目敏いカイネは、部屋の隅に置かれていた荷物もチェック済みだ。


「いやいや、ユーリちゃん。その旅装束と大荷物で買い物ってもんじゃないだろ。ほら、言ってみろ。どこの何が欲しいんだ? 場合によっちゃこっちの伝手(つて)で出向かなくても手に入るかもしれんぞ。な、ドレイク?」

「まぁな」


 取り扱っていなくても、ついでに入手できたりもする。だからドレイクは頷いた。


「それ以前に、何かやる時には前もって言え、ユーリ。お前はやることが非常識だ」


 尚、レイスは全く優理を信用していない。今までの行動が行動だからだ。


(殺し屋に非常識呼ばわりされたくないんだけどっ)


 その辺りがかなり不本意な優理だ。


「ユーリちゃん。いきなり旅だなんて危険だろう。俺もついていくから、拙速(せっそく)な判断での行動はやめるんだ」


 まだこの中では常識的なエミリールが誠実そうな顔で言えば、優理は皆にパンと半熟ゆで卵、カボチャとベーコンの炒め物、チーズ入り飴色玉葱スープを出しながら席に着いた。


「大丈夫よ。それより朝ごはん、冷めないうちに食べて」


 女の子の格好をしていた時のエミリールは甘いパンケーキの朝食にも喜んでくれたものだが、男に戻った今、朝からこういった朝食でも平気で平らげている。

 ドレイク達に至っては、完全に胃弱とは無縁だ。

 そうして皆が食べ始めれば、誰もが早い。優理が一番遅いのはいつものことだ。


「ほんでドコ行こ思とるんや。ナニ欲しいんや。言うてみぃ」

「んーと、ちょっとした村が一つ、かな。だけどそんなの買うの無理でしょ。だからね、おねだりしに行こうと思うの。ほら、私の魅力があればそれぐらいもらえるわよね?」

「「「「・・・・・・」」」」


 四人の男達は無言になった。

 髪が長かった時は大人びた雰囲気もあったが、今、ボブスタイルにしている優理は可愛らしいタイプの少女にしか見えない。そして胸はぺったんこだ。


「変態ジジイならあかんことも・・・。どや、レイス。ええの、おるか?」

「ああいう奴らは使い捨てだ。こんな可愛げのない娘にそれだけの価値は見出さんだろう。従順で童顔で、えぐえぐ泣くタイプになら需要もあるだろうが」

「いや、二人ともまずはユーリちゃんを止めろよ。何、売りさばく話になってんだ」


 エミリールだけはにこやかな顔になる。


「どこでもいいのかな? キマリーの辺鄙(へんぴ)な場所でも? ユーリちゃん、君なら・・・ぶっ」


 ぐげっとレイスにより頭を押さえつけられてしまったエミリールの言葉が途切れる。


「この世間知らずは本気で非常識なことをやらかすんだ。考えなしに安請(やすう)()いせん方がいいぞ、お坊ちゃま」


 そうして。

 場所はどこでもいいからまずはやってみようと思っていた優理だったが、様々な商売を展開している二人と、流れの仕事をしていた傭兵出身者である一人、政治というものや駆け引きといったものに詳しい一人に囲まれて、色々と突っ込まれることになる。


「ええか? 市場調査をなめたらあかんのや。レイスの傍におってそんなんも教わっとらんのかボケ」


――― 自分だってレイスに任せっきりのくせに。


「お前は一人で突っ走りすぎるんだ。まずは相談しろ。考えろと言ったのは、全て独善的に進めろという意味じゃない」


――― 自分だって何かと一人で好き勝手してるくせに。


「まあなぁ。ユーリちゃんも賢いんだけど、やっぱりなぁ。やるならまずは相談しな。悪いようにはせんからよ。な?」


――― それ、私が考えたことは穴あき状態だって言ってる?


「根回しだなんて考えつかない所が君の美点だ。薄汚れた大人の世界なんて知らなくていいんだよ、ユーリちゃん」


――― それ、私に現実的なことを何も分かってないお子様って言ってる?


「・・・ひどすぎる、みんなして」


 とりあえず、その日は出発せずに終わってしまった。


(全ての敬意と栄光を約束されている筈の私が・・・っ。どうしてこんなところでボケ呼ばわりっ)


 人生はあまりに不条理だ。

 優理はそう思って頬を膨らませた。


「ほれ。ほっぺた膨らますんなら、キラキラキャンディー舐めとき」


 だけどドレイクが買ってくれた串刺しオレンジの飴がけは、甘くて美味しかった。






 自分が管理を任されている建物にやってきたドレイクを見て、ヴィオルトは明るく声をかけた。


「今日もご機嫌ですね、ドレイク。いつものお嬢さんは?」

「ユーリなら、さっき飴()うたげてな。なんや気に入ったらしゅうて自分でも作る()うて材料買いに行ったわ」


 優理に、串刺しにした剥き身オレンジを飴で固めたものを買ってあげたら、その甘さにぴくんっと反応したのである。


「リンゴ飴もいいわよねっ。あ、だけど果物なら何でも美味しいかもっ。家でも作ったげるっ。材料買いに行きましょっ、エミリール」

「あ、うん」


 途端に張りきって買い出しに行ってしまった。どうやら気に入りはしたものの、買うのは高くつくと思ったらしい。


「ユーリちゃんも堅実なんだろうが、そこまで沢山作ってもしょうがないだろうに。割高でも食べたい時に買った方が結果としては安上がりなんじゃないか?」


 カイネはその後ろ姿を見送りながら呟き、レイスは無言で肩を竦めていた。

 

「飴ですか。まだまだ子供ですね。それでもレイスとあなたが可愛がっている上、あのキースヘルムまでご執心ときたら気になるところですが、なかなか面白いお嬢さんのようで」

「なんや。ヴィオルトまで気に入ったんかい」


 ドレイクが面白そうな顔になれば、そのくすんだ金髪を掻き上げてヴィオルトが酷薄そうな笑みを浮かべる。


「あまり接触していないので気に入るも気に入らないもありませんよ。ですが興味深いですね。こっちに戻ってきたらあなたがレイスやフォルナー以外の人間、それも小娘を連れまわし、その小娘が幾つもの使い込みを明らかにしてくれていたとあっては」

「まぁな。ほなけど今回までは許したったで。次は許さへんけどな」


 ドレイクが楽しそうに言えば、ヴィオルトは驚いたように眉毛を上げた。


「よくそれでレイスが了承しましたね」

「まだ言うとらん。あいつも出稼ぎ行っとったしな」


 出稼ぎとは、殺しの仕事のことである。


「それより教育はどうなっとる? 今回んはそこそこ出がええ分、(むずか)しか?」

「そうですね。目立った反抗はありませんが、厄介かもしれません」


 ヴィオルトは、いささか疲れの滲む声になった。


「痩せても枯れてもお貴族はんの流れや。やけどヴィオルト、今回、ええんがおったら、お()はんとロドゲス、一人ずつもろてもええ。レイスもそう言っとった」

「は?」


 訊き返したヴィオルトに、ドレイクはパチッと片目を瞑ってみせる。


「こんな商売しとったら素人の娘はんとは上手(うも)ういかんやろ。今度んは出所(でどころ)もええ。今までん教育、完璧にしてくれとった二人に一人ずつ好きなん選ばしたろ(おも)てな。そんつもりでマイルートにもええんを見繕うよう頼んどったんや。あ、勿論、そん気にならへんかったら別に選ばんかてかまへんで。次もあるよってな」


 ヴィオルトが、クッと咽喉を鳴らして笑う。


「今回のはかなり高い商品なんですがね」

「でなけりゃ褒美にならへん。せやけど女ン価値は仕入れ価格やない。いつでも気に入ったんがあったら言い」


 そうしてドレイクは建物を出ていこうとする。


「じゃ、後は任せたわ」


 さすがにヴィオルトも苦笑した。ここに来て、どうして上の部屋を見て行かないのか。


「今回の買い付けしてきた商品、見てないでしょう」

「見んくても出来上がりを見させてもろたら十分や。お()はんらはそんだけ結果を出してきよる。それよかヴィオルト。今度な、もしかしたらユーリに店やらすかもしれん。あいつな、風俗ん店、経営したい言いよった」

「はあっ!?」

「そん際は女ん教育頼むわ。ほなな」


 ひらひらと手を振って出ていくドレイクを、ヴィオルトはその琥珀色の瞳を丸くして見送った。


「嘘だろ」


 ここは買ってきた女達を住まわせている建物の一つで、ヴィオルトとロドゲスが管理している。

 金で買える妻を欲しいといった客、家政婦兼愛人を探している客、旅に同行できる女を探している客、そして酒場などを経営している客などにあわせ、彼らが教育を施すわけだが、時には発音や言葉遣い、礼儀作法も教えなくてはならない。

 その為にヴィオルトも普段から丁寧な言葉づかいを心がけているのである。


「あんな子供にできるわけないだろうに」


 ヴィオルトは椅子にがたっと座りこんだ。

 優理は素人だ。見れば分かる。

 そんな子供に夜の店を経営されても、皆からなめられて終わりではないか。

 いくら計算や数字に強くても、それでどうにかなるなら苦労しない。

 ドレイクは優理可愛さのあまり理性を失っているのではないかと、ヴィオルトは深く悩んだ。






 優理にしてみれば、至極当然の結論だったのだ。

 こういった風俗的な産業は、人が人である限り無くならない。ならば、せめてその待遇改善もしくは老後における保障を少しでも充実させてあげたい。その為にはどうすればいいか。


 結論:まずは、自分でそういった仕組みを作ればいい。


 たとえ最初は小さな店でも、そういった所でこそ働きたいという女性が増えていけば、段々と他もそれに倣っていくことだろう。いずれはもっときちんと制度化されていくのではないか。

 要は、「()(かい)より始めよ」である。



(・o・) (・o・) (・o・)


()(かい)より始めよ」


 (えん)の昭王が、良い人材を欲しいと望んだ時、郭隗(かくかい)は言いました。


「昔、主人に良い馬を探せと言われた男が、死んだ名馬の骨を買ってきました。

 なんて無駄な買い物をするのだと、怒った主人に、男は言いました。

『いいですか、旦那様。

「死んだ馬の骨にすら大金を出すなら生きた馬にはもっと出すだろう」

と、人は考えます。

 死んだ名馬の骨にすらここまでのお金を払ったのです。どれ程の噂になったことでしょう。

 さあ、旦那様。後は放っておいても名馬があちらからやってきますよ』

と。

 そうして主人はその言葉通り、名馬を手に入れたそうです。


 ですから王様。まずは凡庸(ぼんよう)な私・郭隗(かくかい)を重用くださいませ。

 それを聞いて、もっと賢い人達が集まって参りましょう」


 転じて、大きなことを成し遂げたければまずは小さなことから始める。

 何かを行う時にはまず自分からやる。

 そういった意味として使われるようになった故事である。


(・o・) (・o・) (・o・)




 だが、ドレイク、レイス、カイネ、エミリールは、容赦がなかった。

 まずはカイネだ。


「ユーリちゃん。その費用はどうするんだ?」

「そ、それは、・・・賛同してくれる領主とか、そういった人に私の魅力でもって協力を仰げばいいと思うの」


 そこで、さすがの優理も、

「あら。だって私、お金持ちだもの。貧乏な村を札束で頬をペシペシ叩いて、買い取ってくるわよ」

とは、言えなかった。

 何故なら、その出所を突っ込んで訊かれるのは間違いないからである。

 どうして、その気になれば地中にある宝石や貴金属の鉱床は自分の物だと言えるだろう。


 次にエミリールだ。


「そういう奇特な領主がいたとして、そういうことをしたら他の地域だって、そういう手厚い保障を求め始めるよね。風俗的な仕事に就く人にだけ老後の保障が与えられて、毎日汗水たらして働く人達には与えられないのかい? それこそ真面目に生きている人達が反乱を起こすよ」

「そ、それは、・・・まずは救いのない人生を送っている人達を、底上げすべきじゃないかなって思うんだけど」


 まさか、そこで優理も、

「報酬の天引きによる積立をどうにか制度化してしまえば、やがて他の人達もそれはいいって真似してくるわよ」

とは、言えなかった。

 何故なら、それには使い込みを絶対にしない存在の協力が必須だからである。

 どうして、その気になれば王室や神殿の業務として命じられるのだと言えるだろう。


 ドレイクに至っては、ひょいっと優理の腰を掴んで持ち上げると、

「それをほんまにやろぅ思たら、子供が前に出てけへんことは分かっとんな? なんや、どこぞの奴、雇うつもりやったんか?」

と、目の位置を合わせて尋ねてくる。


「うん。まあ、そこらへんの村長さんとか? だからまずは小さい所から始めてみようかなって」


 いつもだらしなさそうなのに、やっぱりドレイクも力持ちなんだなと思いながら優理は答える。自分とて重い程ではなかろうが、軽いというわけでもないだろうに。


「どあほう」

「・・・何故っ」


 どさっとそのままソファに落とされた優理だ。そして向かいのソファにドレイクが座る。


「ええか、ユーリ? 俺らやキースヘルムと、よそん男を一緒にすな。俺らは所詮、お()ん程度、金に換える必要もないさかい余裕かましとるだけや。けどな、(ほか)ん奴はそうやない。今日の飲み代になりゃええ程度の奴はゴロゴロおる。村長? んな肩書き、何の保証ある思ぅとんや」

「・・・・・・だって」

「そういう奴らこそ俺らに女売り飛ばしとる事実、分かっとうか? 村長? 身寄りンのうなった村ん女子供、売っ払って小遣いにしとるわ。かえってお貴族はんと違って教育も品性もないよってな」

「そんな・・・。ひどい。なんてことを」

「恵まれて育ってきとんは分かっとぅわ。やけどな、ユーリ。世ん中にゃ意味なく人を殺すんが楽しぃ奴もおるし、人を騙すんが楽しぃ奴もおる。どっか行くんやったらレイスやカイネに言えへん場所へは行かんとき。ほんで誰かは連れてき。取り返しつかへんことはあるんやで」

「・・・・・・だって」

 

 連れていったら自分の正体がバレるではないか。

 その方が取り返しのつかないことになると、言えないのが辛い優理だ。

 レイスが、朝っぱらから四人分のグラスに発泡タイプの軽い酒を注ぎ、しかし、優理にはホットミルクを渡してくる。


「キースヘルムにやすやすと誘拐されたことすら忘れ去ってるとは救いようがない。あれが他の男ならどうなってたと思ってるんだ。今頃、ツルペタ好みのヒヒ爺に売り払われてたぞ」


 知り合いだからこそ反撃するのを躊躇うしかなかっただけで、その気になれば自分は全ての・・・・・・と、言えない自分が辛い優理だ。

 愛情深かった母の娘に相応しく・・・と思っただけなのに、どうして自分はお天道様に顔向けできない仕事に就いている人間や、世間知らずな筈の貴族の坊ちゃんにお説教されているのだろう。


(しかもどうして私にだけホットミルクなの)


 飲むけど。

 少し蜂蜜が垂らされていて、甘くなっている。それはそれで嬉しい。

 こくこくと甘いホットミルクを飲みながら、優理には何か釈然としないものがあった。


(だけどドレイクにしてもレイスにしても、そしてカイネさんにしても世間ずれしてる分、騙しにくいもの。まだこの中ならエミリールが一番おっとりとしてるけど、それでもバレる時にはバレそうだし)


 自分の正体だけは隠さなくてはならない。

 そうなると関与してもらいたくないのだ。


(知られたら、もうこんな関係ではいられなくなる)


 普通に話したり笑ったり、一緒に買い食いしたりすることもなくなるだろう。

 そう思うと、やはり父のタイガみたいに母が女神だと知ってもブレなかった男は少数派だ。


(やっぱりお父さんが最高よね)


 全ての説教を超越し、何故かそういう結論に至ってしまう優理は、所詮、ファザコンだった。






 ゲヨネル大陸にはゲヨネル大陸のやり方がある。

 イスマルクも努力してくれていたが、一人一人に対して誠実に向き合い、言葉を重ねて理解を求める彼よりも、洞窟で遥佳を見つけてしまったケンタウロス族の青年の方が仕事としては早かったようだ。

 どうやら指笛で仲間を呼び寄せ、事情を説明し、様々な種族へ接触してそれを伝えてもらうといったリレー方式で事を収めてくれたらしい。

 水の妖精(ウンディーネ)が呼びに来てくれたので、遥佳はヴィゴラスを起こして家に戻った。


「お帰り、ハールカ。どこまで連れて行かれたかと思ったよ。ウンディーネが近くの洞窟って言っていたから心配はしてなかったんだが、そろそろ迎えに行こうと思ってた」

「全くもうヴィゴラスったらいきなりなんだもの。この布を持ってきてくれなかったら、私、一生、羽毛に包まれていたかもしれないわ」

(別に俺はそれでもいいと思うのだ)

「よくありません、ヴィゴラス。本当にもう、あなたって子は」


 散歩がてらヴィゴラスと共にてくてくと、かなり疲れた気分で歩いてきた遥佳だ。何故か遥佳は、年上の偏屈な男性を調教して素直にしていく女王様疑惑が掛けられている。


(私が何をしたというの。せめて口にしてくれれば否定できたのに)


 反対にイスマルクは、目の下の隈こそ隠せないものの、かなり気分は昂揚しているようだった。


「いや、だけどどの種族もいい人ばかりじゃないか。良かったよ、ハールカ。この辺りで暮らしている妖精や幻獣は信用できると思ってたが、他の地域で暮らしている幻獣でも、やはり君達を愛していると確信できた。俺は本当に安心した」

「イスマルク」

「俺はどうしても人間だ。しかも体は一つしかない。時に君を守れないこともあるだろう。だけど、これならもう二度と・・・」


 ぎゅっと抱きしめてくるイスマルクから、遥佳が地下牢に入れられていたと知った時、そして真琴が矢で射られたと知った時の衝撃が流れこんでくる。

 身近にいる彼らだからこそ心を読まぬように気をつけている遥佳だが、遮断していても流れてくる程に、イスマルクにとっては大きな傷となっているのだろう。

 だから遥佳は慰めるようにその背中に手をまわした。


「大丈夫よ、イスマルク。地下牢だって身動きがとれないだけで何てことなかったわ。それに真琴だって、傷は痛かったみたいだけど、それでカイトさんに助けてもらえたもの。あの人、真琴が獣人の子供だと思いこんでたけど、その為にギバティ王国での仕事も何もかも投げ捨ててマジュネル大陸に真琴を連れてってくれたのよ。そうすれば安全だからって」

「そっか。いい人なんだな」


 真琴がここから立ち去った後、地面に向かってブツブツ言っていたことなど欠片(かけら)も感じさせない顔で、イスマルクは頷いてみせた。


「ええ。カイトさん、私達が私達だって知らなかったけど、本当は私達と出会うことがあったら、やっぱりマジュネル大陸に連れて行くつもりだったみたい。どうも母の子が人間に利用されるだなんてあってはならないって思ってたらしいの。マジュネル大陸なら、皆が私達を可愛がって育てるだろうからって」

「可愛がって育てる?」

「ええ。貼り紙を見て、小さな女の子と思ってたらしいの。それでね、マジュネル大陸って子供を見かけたら大人がご飯を食べさせてあげるのが普通で、親がいなければ見つけた人が自分ちの群れの子にしちゃうの。だから不幸な子供なんて存在しないのよ」

「なるほどな」


 イスマルクは小さく笑った。

 綺麗な大人の女性へと変化していた真琴を思い出せば、寂しいけれどしょうがないことなのだろう。


「だけどハールカは大人になるなんてまだまだ早いからな。あと十年は恋人なんていらないんだぞ」

「・・・・・・えーっと、十年経ったら恋人作るの?」

「いや、その時になったら考えよう。な?」


 きっとその十年後もイスマルクは同じ言葉を言うだろうと、その時、遥佳は確信した。






 遥佳の為に建てられたこの家は一階にも二階にも浴室があって、一階はグリフォンですら入浴できる広さだ。しかし、二階の扉は全て人間サイズなので、グリフォンは窓からじゃないと出入りできない。

 イスマルクという口うるさい人間が同居していることにより、遥佳と一緒に入浴できなくなったヴィゴラスはなかなか切ない日々を過ごしていた。


「じゃあおやすみなさい。二人とも夜更かししないでね」

「おやすみ、ハールカ。ちゃんと窓は閉めて、暖かくして寝るんだよ」

「キュウウ」


 夕食を終え、しばらくはお喋りしていた遥佳も、二階へ去ってしまった。

 仕方がないのでヴィゴラスは一人で入浴して出てきたのだが、何か音がしていると思って見てみれば、イスマルクは作業部屋で何かしている。


「キュイッ」

「ああ、出てきたのか、ヴィゴラス。ほら、体が濡れてるだろ。拭いてやるから来い。そうじゃないと床も濡れてしまうじゃないか」


 ヴィゴラスも浴室で体をブルブル震わせて水滴は落としてきた。だが、それで完全に乾くわけではない。

 イスマルクは大判のリネンタオルを持ってきて、ヴィゴラスの体を拭き始めた。

 けれどもヴィゴラスの目は、イスマルクが作業していた机の上に向けられている。


「キュッ?」

「ああ、これか? 見ての通りお前の宝石だが、どうせならと思ってな。文献を読んでたら、もっと輝きを増す方法があるらしく、それを取り寄せてたんだ」


 せっせと拭いてやるイスマルクだが、ヴィゴラスが風邪をひいては可哀想だと案じているわけではなかった。単に、濡れた体でうろうろされるのは困るというだけだ。

 ヴィゴラスの部屋だからどうでもいいとはいえ、やはり寝具をびしょびしょにしないでもらいたい。シーツにカビが生えてからでは遅いのだから。


「硬度が弱い場合、こうして油を浸みこませることでひび割れが修復されてもっと綺麗に輝くらしい。傷のある位置はちゃんと記録しておいたから、これからそれらに入れていこうと思ってな。だから油も頼んで分けてもらったんだ」

「キュイッ」


 途端に目を輝かせたヴィゴラスに、イスマルクも苦笑した。濡れたタオルを横の籠に放りこみ、そして大判の乾いたタオルをその大鷲の首にかけてやる。


「まだ目が冴えてるなら手伝ってくれるか? 一応、一つずつチェックしながらやっていきたい」

「キュイキュイッ」


 これが人のことなら放置していたヴィゴラスだが、自分の宝物となれば話は別だ。

 イスマルクは全ての宝石の種類を調べ、一つ一つの枠にも色々とこだわりを見せてくれるところが気に入っていた。


(やはりお手入れ係(イスマルク)は便利だ。ハルカにベタベタしているのは気に入らんが、こいつ以上に役立つ奴もおらん)


 さすがは下僕第1号(イスマルク)、宝へのこだわりが分かっている。

 そう思いながら、期待に満ちた黄緑色の瞳でじっと見詰めれば、イスマルクは作業中だった椅子に座り直した。

 そうして机にある石に拡大レンズを当てながら、ヴィゴラスの方を見ずに何かが書かれた紙を渡してくる。


「悪いが人の姿になって、それらを読み上げていってくれ。俺が作業済みと言ったらチェックを入れていくんだ。一つでもミスは残したくない。俺は完璧主義なんだ」


 正直なところ、人の姿というのは不便だ。視界も限られるし、力のバランスもとりにくい。


「ふむ」


 けれども大事な宝が関係するとなれば仕方ないと、ヴィゴラスは人の姿に変わり、そこにあったイスマルクの服を勝手に着た。


「番号1番のエメラルドからだ。部分と数を読み上げてくれ」

「まず上部に二箇所、右下に一箇所だな。この右下が大きいので注意と書かれている」

「ああ、そうだな。右下のこれは厳しいか。なら、右下はクラックにだけ擦りこんでから枠の形をうまく持って来よう。そこに、枠の形は左下から光を入れるようにってメモしといてくれ」

「ああ」


 ヴィゴラスはペンをとってそれを書いていく。

 その書かれたものを見ていても、イスマルクは手抜きせずに全てを記載してくれているのだから、やはり信用できると思った。


(やはり俺の見る目は正しかった。こういう几帳面さが宝を更に輝かせるのだ。やはり下僕のチョイスは大事なのだ)


 全てのチェックが終わると、机に向かっていたイスマルクはヴィゴラスへと向き直った。


「で? 鎖をつけてくれとのことだったが、どういうのがいいんだ? いざとなったら自分の首に掛けられるタイプがいいのか? そういうのは考えずにただ増やしていけるようにしていけばいいのか? お前の首飾りのそれには石を足しといてくれとマーコットが言っていた。ハールカをドリエータ城から連れ出したご褒美だとさ」


 そう訊かれてしまえば、ヴィゴラスも悩む。

 どうせしてもらえるのであれば多くを望みたいからだ。

 

「どうせならハルカに掛けられるようにしたいのだが」

「重さを考えろ。ハールカには可愛らしい服で十分だ。宝石をじゃらじゃらさせたら可哀想だろう」

「宝石で飾るからこそ、更に輝くことも分からんのか」

「お前に任せてたらハールカが宝石に埋もれて窒息するのがオチだ」


 あの素敵な遥佳を宝石で飾れないのはとても不満だが、イスマルクは遥佳のこととなると譲らない。

 仕方がないのでヴィゴラスも折れた。


「しょうがない。ならば体に負担のかからない程度に、いつもつけていられる感じにしてくれ」

「お前、全然譲ってないだろ」

「仕方がない。これだけ大きなエメラルドはなかなか見つからないのだ」

「だから大きなのは諦めて小さいのにしておけと言ってるんだが?」


 それでもまだ自分が関与している方が常識の範疇に納まるだろうと思ったか、イスマルクはさらさらとそれを描いていく。


「なら、こういうのはどうだ? 最近はそうでもないようだが、やはりハールカはどこかに出かける時は顔を隠していたいだろうし、ヴェールを押さえる輪っかというか、冠を作ることにして、それにこういった小さな宝石を嵌めこむというのは。嵌めこむならどこかに引っ掛けることもないし、それならヴェールも落としにくい」

「まあ、それなら良かろう。そっちを先に作ってくれ。どの角度から見ても宝石が輝いていればいい」


 何だかなぁと思いつつも、イスマルクは溜め息をつかずにはいられない。

 どの角度からでもって、幾つの宝石を埋め込ませる気だ。

 

「なら、ハールカ。どの色がいい? ヴィゴラスに任せておくと、とんでもなく派手なデザインになるぞ」

「・・・そうね。せいぜい使うのは一つぐらいでいいと思うんだけど。だから何色でもいいわ」


 呼ばれて、大きな戸棚の中から扉を開けて遥佳が出てきた。

 かなり窮屈だったが、鍵穴から見えたその姿に受けたショックも、もう落ち着いてきている。


「全く、ヴィゴラス。あなた、私をどこまで飾り立てる気なのかしら」

「・・・決まっている。ハルカには黄金と俺の持っている全ての宝石で飾り立てなくては勿体ないではないか」

「あなた、百個以上持ってたと思うんだけど」

「大丈夫だ。ハルカの為ならもっと集めてくる」

()らないから」

「・・・何だとっ!?」


 それこそイスマルクよりも背が高いヴィゴラスは褐色の肌をしていて、髪は光の加減によって赤や白の色合いを作る黄土色だ。けれど、そのライムグリーンの瞳は変わらない。


(ヴィゴラスが人の姿になったらこんな感じになるのね。なんか独特の雰囲気はあるけど、思ったよりも精悍というのか、明るい感じだわ)


 どう見ても自分よりは年上だなと、遥佳も実感せずにはいられなかった。イスマルクとどちらが年上だろう。

 自分よりも背の高い男の頬に、そっと両手を伸ばす。


「ねえ、ヴィゴラス。私、あなたのこと、まだ小さい男の子だって信じてたわ」


 正しくは、信じていたかった、だろうか。

 言外にこめた恨みがましい何かを感じ取ったか、ヴィゴラスはそっと視線を逸らす。


「そろそろ寝る時間なのだ」

「こら、ヴィゴラス。諦めて怒られろ。大体、人の姿になれるならなれるって言うべきだろ。こっちの幻獣に教えられた俺の方が恥かいたぞ」


 さすがにヴィゴラスも気づいていた。自分が騙されてしまったことに。

 当たり前のようにイスマルクが要求してきたものだから、そういえばイスマルクには自分のその姿を見せていたかなと、そんな気になってしまったのだ。

 ここで自分の大事な宝石達が煌めいていなければ、そんな手にも引っ掛からなかったものを。


「なんて奴だ、イスマルク。お前はそれでも下僕第1号(イスマルク)という自覚はあるのか。この俺にこのような誘惑を仕掛けるとはっ」

「俺が俺だという自覚も何も、まずはお前が全ては悪いという自覚を持て。ほら、ちゃんとハールカに謝れ。何が三才だ、全く」


 そんなヴィゴラスの前には、焦げ茶色の瞳で見上げてくる遥佳がいる。


「うむ。こうして頬を朱に染めている様子も可愛い。困った顔をしているのも愛らしいが、今ならシルバーと水色の宝石が似合いそうだ。やはり表情によって飾る宝石を替えたいところだ」

「可愛いとか言う前に、それ、怒ってるだけだろ?」


 この存在を引き立てるにはどんな宝石がいいだろう。

 そんなことを考えていると、遥佳の指がヴィゴラスの両頬を(つね)っていく。


「あーなーたねえっ。第7神殿で、私とずっとお風呂に入ってたくせにっ」

「別にかまわないだろう。俺以外にハルカの髪をブラッシングして香油を使って拭き取る者はいなかった」


 だって一緒にいたかったのだからしょうがない。髪の毛だって洗った後での手入れによって更に黒く美しく光るのだ。どうして手が抜けるだろう。

 どちらかというと、今の状況こそが不満なヴィゴラスだ。


「私が女性化してたの、知ってたでしょっ」

「知ってたが、別にハルカは女性だろうがそうじゃなかろうが可愛いからどっちでもいい」

「・・・・・・なっ」


 どうせ遥佳の指で(つね)られたところで何ということはない。

 ヴィゴラスはそっと壊さぬように、遥佳を抱きしめた。


「この体は不便だ。ハルカを包み隠せない。こんなにも愛らしいのに」

「しなくていいから。って、何を抱きしめてるのっ」


 自分の髪に頬をすり寄せてくるそれは、グリフォンの時と変わらない。

 それでもグリフォンの前脚じゃなくて、それでいてイスマルクとは違う腕だと、遥佳は思った。


「だけどこの姿なら一緒に入浴できるのか?」

「しませんっ。それだけ大きいんだから一人で入りなさいっ」


 駄目だこりゃと、イスマルクも呆れて首を横に振る。


「ま、これでハールカの疑問も解消されたし、問題ないだろ。こんなでかい図体の男に遠慮なんてしなくていい。明日から甘やかすなよ、ハールカ」


 平然と会話していたようなイスマルクだが、実は思っていたのと違って目つきは悪くないし、声も悪くないなと感じていた。

 しかし彼の口にする内容を聞いていると、どこまでも頭が痛くなるだけだ。


「お前はそれでも神官か。人として恥ずかしいことを言ってると思わんのか」

「恥ずかしいのはお前のその思考だ、ヴィゴラス」


 遥佳に、

「あのね、イスマルク。よそのケンタウロス族のお兄さんと会ったんだけど、ヴィゴラス見て、私よりも年上だと判断してたの。そういうのって見分け方があるのかしら。ヴィゴラス、生まれてから三回しか冬を見てないって言ってたんだけど」

と、そう相談されたイスマルクは、近くにあるケンタウロス族の集落へ訊きに行ったのだ。

 すると、

「別にケンタウロス族じゃなくても、そこの水の妖精(ウンディーネ)に訊けば分かっただろうに。そりゃあいつ、姫様より年上だろうが、分かりやすい見分け方、ねえ。見りゃ分かるだろって、分からねえんだよな。じゃあ仕方ねえ。とりあえず姫様より年上か年下かを知りたいだけなら、人の姿になってもらえばいいだけじゃないか?」

と、言われたのである。


(ゲヨネルの奴らにしてみればパッと見で大体の年頃は分かるらしいしな。どう見ても20代だが、それを3才だと信じていたと、広めてもらうしかないか。・・・全く、うちのハールカを変な趣味だと思いこまれる原因になった自覚もないのか)


 こうして眺めれば容姿は悪くないものの、性格は本当にダメダメなグリフォンだ。

 今もまだプンプン怒っている遥佳に、宝石を当てながら緑色も似合うとか呟いている。


(そうだ。人は年を重ねれば賢くなるというわけではない。年齢に見合った英知を身につけてこそ、尊敬できる人となるのだ)


 所詮、宝石磨きをしていれば満足なトリ犬に年齢など意味はなかったのだと、イスマルクは天井を仰いだ。


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