67 遥佳はゲヨネルに着いた
幻獣と妖精が暮らすゲヨネル大陸。
その地はとても自然の気配が濃厚だ。生い茂る草にも木々にも力を感じる。
川近くの岩に腰掛けて、近くに生えていたブルーベリーの実を摘まみながら遥佳は尋ねた。
「どうしてここまで来てイスマルクの所へ行くのを遅らせようとするの、ヴィゴラス? やっぱり怒られるのが嫌だからなの?」
(別に怒られるだなんて思ってない。単に、俺はそうっ、具合が悪いのだっ)
「それは嘘だって分かってるのよ、ヴィゴラス」
ヴィゴラスは完全な健康体である。
しかし、何かというと、
(あそこに綺麗な花が咲いているのだ)
とか、
(あの実は美味しいと思うのだ)
とか、
(この川にはとても綺麗な色の魚がいるのだ)
とか、適当な理由をつけては、すぐに地上へと降りてしまう。
そうして、
(綺麗だろう? ハルカはこういうの好きだなっ)
と、それらを遥佳に示すのだが、誰がどう見てもわざと足止めしている状態だ。
「ヴィーゴーラース。そんなところで魚を獲るフリしていないで、こっちにいらっしゃい」
(フリじゃないぞっ。ちゃんと捕まえるぞっ。だから待っててくれればいいのだっ)
「あなたって子は・・・。いいからいらっしゃい、ヴィゴラス。私じゃそっちに行くと、川の中で転ぶだけなのよ」
その通りだと思ったのか、川で魚を獲ろうとしていたヴィゴラスが戻ってきた。
しかし遥佳は知っているのだ。捕まえられる魚を、ヴィゴラスがわざと逃がして時間稼ぎをしていたことを。
(なんてヴィゴラスったらあざといのかしら。どうしてそういう小芝居までやらかしちゃうの)
だから甘やかすかのように戻ってきたヴィゴラスの頬に手を伸ばした。
安堵して目を閉じ、ヴィゴラスは幸せそうにすりすりと大鷲の顔を擦りつけてくる。
「何が不安なの、ヴィゴラス? 嫌な思いをするのなら、イスマルクを連れて第7神殿に戻ってもいいのよ? 正直に言ってちょうだい。あなたの心を必要以上に探りたくはないわ」
(だって、・・・ハルカは浮気する)
「それ、まだ続いてたの?」
そのしつこさに、遥佳は脱力した。
ボーイフレンドもガールフレンドも作っていない状態で、ここまで浮気者扱いされ続けたのは自分ぐらいではなかろうか。
しかもそれを言いたてるのは実の姉妹と、畑で拾った鳥なのである。
「誰と? イスマルクと?」
(違う。だって、ここには俺以外のグリフォンもいる)
遥佳は眉間に皺を寄せてしまった。
「そりゃ他のグリフォンもいるでしょうけど、だからってヴィゴラスはヴィゴラスだし、他のグリフォンは他のグリフォンでしょ? 別に私、他のグリフォンの方がいいだなんて思わないわ。だって私と今まで一緒にいたのはヴィゴラスなんだもの」
(だが、・・・ハルカだって他のグリフォンを見ていいと思うかもしれない)
「そんなこと、気にしてたの? 馬鹿ね」
遥佳がヴィゴラスの目元にキスすれば、ヴィゴラスは悲しそうにキュルキュルと鳴く。
(それにハルカは、ユニコーンとかを見たら浮気するかもしれない。俺よりあいつらの背中に乗りたがるかもしれない)
「ユニコーンなんて見られたら嬉しいと思うけど、その時にはきっとヴィゴラスにも見せてあげたいって思うわ。だけど私、ユニコーンの背中に乗ったところで振り落とされるのがオチだと思うの」
(ハルカを振り落とすような馬鹿な幻獣はいない)
「だといいけど。どっちにしても私が知ってる幻獣はヴィゴラスだけだし、私を乗せてくれるのもヴィゴラスだけじゃない。私、知らない幻獣に乗せてもらおうと思う程、図々しくないわ」
それにねと、遥佳は続けた。
「イスマルクもいるんだし、乗るとしたら普通の馬でしょ。なんでわざわざ幻獣に頼んで乗せてもらわなくちゃいけないの? そりゃ空を飛ぶ時にはあなたに頼むけど、地上を行くなら私、馬に乗るわよ、普通に」
(・・・・・・そんな。俺じゃなくて馬に乗るのか)
「なんで馬にまで張り合うの。大体、他の知らない幻獣に頼んで乗せてもらう方が気づまりでしょ。私だって気兼ねなく乗る方がいいに決まってるじゃない」
しかしヴィゴラスが納得していないのは、心を読まずとも感じ取れる遥佳だ。
「しょうがないわね。そんなに不安なら落ち着くまでこうしてここで一緒にいてあげるわ」
(なら、ずっとこのまま一緒にいたいと言ったら?)
やっぱり真琴2号だ。
(そういう星の下に産まれたのかもしれないわ。真琴が巣立ったらヴィゴラス。ヴィゴラスが巣立ったらまたこういう甘えん坊な幻獣と出会うのかしら)
そう思う遥佳は、諦めの境地に至ろうとしていた。
「本当に甘えん坊ね、ヴィゴラス。いいわ、落ち着くまでこうして撫でていてあげる」
これはもうしょうがないからヴィゴラスの気がすむまで足止めに付き合うしかないのかと思っていたら、背後から声を掛けられる。
「そいつを甘やかしたら駄目だと言っただろう、ハールカ。そんな我が儘グリフォンなんて放っておけばいいんだ。大体、一昨日の夕方には着く筈だと報告が来ていたのに、待っていたら今日の昼を過ぎてもちっとも進まないと言うし。しかもうちまでこんなに近づいてきていてもまだ来ない。しょうがないと諦めてこっちから迎えに来たら、何を甘えてるんだ、ヴィゴラス」
「グルルル、クィエッ、キィッ
(うるさい、お前なんて呼んでない)」
思いっきり敵対心を露わにするグリフォンがいた。
「イスマルク」
振り返った遥佳の目に、イスマルクが映る。
懐かしい姿が遥佳へと近寄ってきた。
「ヴィゴラスなりに思うこともあるんだろうと思って皆を宥めていたら、なんて馬鹿馬鹿しい理由を展開してくれるんだ、ヴィゴラス。ハールカ、どうせもう歩いてすぐそこだ。さ、おいで」
「ええ」
イスマルクが手を差し出したものだから、遥佳も自分の手を重ねて立ち上がる。
「しばらく見ない内にハールカも一段と可愛くなったな。マーコットは大人になってしまったけど、やっぱりまだ大人になるには早い。ハールカはずっとそのままでいてくれ」
強く抱きしめられて、遥佳もその背中に手をまわす。
「イスマルク、ごめんなさい。神殿で牢屋に入れられたって聞いたわ。それに、こんな所にまで」
「別になんてことなかった。ユーリ様とヴィゴラスに助けてもらったし、牢だって快適だった。それにここに来て良かったと、俺は思ってる」
ここに来て良かったというのは本当だろう。だけど大神殿で囚われていた間、決して快適な日々じゃなかったと、それも分かってしまう。
それでもイスマルクの思いやりを無にしたくなくて、遥佳はそれ以上を言わなかった。
「真琴と会ったの?」
「ああ。なんか大人になったとかで、豪華な金の巻き毛とセピア色の目になって、ついでに顔立ちも変わって綺麗になってた。だけど性格は変わってなかったよ。ああ、その内にまたハールカに会いに来ると言って帰っていった。心配ない。ここのドラゴンとペガサスがマジュネル大陸まで送っていったから」
「そう」
ならば真琴はやはり女性になったのだ。
「カイトさんの所に?」
「そういえば知ってたのか。信頼できる獣人だとマーコットが言ってた」
「ええ。とても優しくて責任感が強くて、真琴を大事にしてくれる人よ」
「ハールカもそう言うのなら大丈夫だな。まあ、送っていったドラゴンとペガサスは帰ってこないんだが、もしかしたらマーコットの傍で居ついてしまったかもしれないと言われた」
「あらあら」
カイトは虎の獣人だった筈だ。つまり空は飛べない。
(真琴のことだもの。ドラゴンやペガサスが嬉しくてそのまま帰さなかっただけじゃないかしら)
遥佳はそんなことを思う。
あの好奇心たっぷりな真琴なら、綺麗とか格好いいとか言って、じーっと眺め続けていそうだ。
「積もる話はあるが、疲れてるだろ? 皆が用意してくれた家がある。ハールカの部屋は、一番にマーコットが使ってしまったけどね」
「うふふ。真琴ってそういう点、ちゃっかりしてるのよ」
「かもな。さあ、行こう」
「ええ」
遥佳の肩を抱いて、イスマルクが歩きだす。
「キュウウッ、キゥッ、キェッ、クィーッ、キェッケ、キィッ
(ちょっと待てっ。俺のハルカを勝手に連れてくんじゃないっ)」
「えーっと、イスマルク。ヴィゴラス、置いていかれると寂しいから連れてってって言ってる」
「クィエッ (言ってないのだっ)」
「怒らないの、ヴィゴラス。さあ、いらっしゃい。イスマルク、わざわざ迎えに来てくれたんだから」
(ハルカは俺よりもイスマルクがいいのだな)
「もうっ。どうしてそう拗ねるの」
遥佳の言葉に状況を察したイスマルクが、そこで口を挟む。
「ヴィゴラス。ここの幻獣でもグリフォンはマイペースすぎてハールカが来ることを未だに知らない。だけどこれ以上拗ねてるようなら、違うグリフォンをハールカの移動の手伝いとして指名するぞ」
「キィッ」
「嫌なら、機嫌を直してついてこい。ハールカだって休ませてあげないと可哀想だろう。お前と違ってどんだけ疲れてると思ってるんだ」
「キュルル」
「反省したならもういいから。ほら、来い」
「キュッ」
てくてくと歩き始めたヴィゴラスだ。ちゃっかり遥佳の横を歩くのは、イスマルクに張り合っているからなのか。
(うん。やっぱりヴィゴラスのことはイスマルクに任せましょ。やっぱり私じゃ男の子の世話には限界があるわ)
やはり優しさだけでは男の子を育てられないのだろう。
しみじみと遥佳はそう思った。
湖を臨む場所に、その家は建てられていた。
「なんかお姫様の小さなお城って感じね。とても綺麗だわ。絵ハガキにしたいぐらい」
「ああ、本当に。ハールカが来てくれるならって、皆で力を合わせて一気に造り上げてしまったんだ。本当に来てくれて良かったよ。このまま待ちぼうけになったら俺がどんなことになったやらだ」
「ご、ごめんなさい。だけど凄いわ。皆の優しい気持ちが伝わってくるの」
そこへ案内された時、幾人かの幻獣や妖精達から挨拶はされたが、その程度ですんだ。
「おお、姫様。ご無事の到着、何よりですぞ。さあ、お疲れでしょう。どうぞまずはお体を休めてくだされ。何かありましたらケンタウロス族がお役にたちましょう」
「ドワーフ族でございます、姫様。もし、お住まいで何か至らぬことがあったならばすぐにお伝えくだされば改良いたしますぞ」
「サテュロス族にございます。何か楽人がご入り用の際には是非」
「姫様。ウンディーネは誰かがこちらの湖におります。何でも仰ってくださいませ」
先に真琴が来ていて、一緒に宴会した後である。
彼らも本当は遥佳の歓迎会をしたかったが、それはやめておいた。
「あ、ありがとうございます。あの、ハールカです。初めまして。・・・このおうち、みんなで造ってくださったんですね。色々な種族の優しい気持ちが伝わってきます。こんな素敵な気持ちが溢れているおうち、初めて見ました」
「なんと。・・・勿体ない」
かなり不安だったらしい。匠の小人族の族長が目を潤ませる。
「そんなことないです。何十年も保管していた貴重な木材まで使ってくださったんですね。使われている石も、わざわざみんなで採りに行ってくれて。凄いわ。見えない土台にこそとても頑丈な物が使われてる。真珠も一番綺麗なのを選んでくれたのね。どの里の方にもお礼を伝えたいけど、あら? なんか凄い人数が係わっているような?」
「まあ、姫様。どうかお礼などと考えないでくださいませ。おいでになるのを一日千秋の思いで皆がお待ちしておりましたのに」
「そうですわ。さあ、イスマルク。姫様をご案内してさしあげて」
くすくすと笑いながら水の妖精達が促した。
「そうだな。ハールカ、皆がご馳走を用意してくれたんだ。まずはゆっくり過ごして、それからにしよう。初めての場所なんだ。慣れるのはおいおいでいいだろう?」
「然り。では我らはこれで失礼しましょう」
「そうですのう。イスマルク殿は我らの里もご存じですのでな。何でも言いつけてくだされ」
イスマルクから遥佳は人と交流するのが疲れてしまうタイプだと聞かされていたからだろう。
この家の周囲に幻獣達はさほど姿を見せず、遥佳のペースを大事にしてくれている。
どうやら遥佳がこのゲヨネル大陸に到着した時も、遠くからその姿を見守るに留めて、わざと接触しないように気をつけてくれていたらしい。
(だけど助かるわ。好意的なのは嬉しいけれど、私には返せるものがないから)
それでも散歩していると、ぱったり幻獣や妖精には会ったりするもので、そういう時は挨拶をして世間話をしてみる遥佳だ。
何かあった時にと、彼らの集落がある場所も教えてもらっている。
(だけど遊びに行ったら大宴会になりそうなんだけど。それさえなければ・・・)
今日は森の中を歩いていたら、ゴブリンの子供達が遊んでいた。大人になっても小さい彼らは、子供だともっと小さい。
三人の女の子が楽しそうに遊んでいるのは、見ていても可愛らしかった。
「こんにちは。何をしているの?」
「あーっ、姫様だ。あのねあのね、今日はお酒作りごっこをしてたの」
「だけど葡萄が酸っぱいの」
「それでもジュクセイさせるとお酒になるの」
「ねーっ」
「ねーっ」
どうやら大人の真似をして、葡萄の実を甕の中ですり潰してお酒作りごっこをしていたらしい。
女の子がおままごとをするようなものなのだろう。
(これって密造酒・・・。ううん、考えちゃいけないわ。だけど子供なのにお酒っていいのかしら)
教育上の問題について悩みながらも、遥佳はその葡萄の蔓に手をやった。
まだまだ青い葡萄の実だ。たしかに酸っぱいだろう。
「私も混ぜてくれる? どうやって作るの?」
「あのね、これをこうしてこの中でね、棒ですり潰すの」
「そしてね、これを混ぜるの」
「そうしたらハッコウしてお酒ができるんだよ、その内に」
その内にというその内は、どれくらい先なのか。
一緒に座りこんで眺めていたら、遥佳のいる場所からどんどんと地面が力を持ち始めていく。
(ここは自然の力が強いから。だから反応も早いのね)
きちんと植えられていたものではないからだろう、葡萄は貧弱で甘さもなかった。
しかし段々と蔓が太くなり、大きくなり、生っていたその果実も大きな粒へと変化していく。
「姫様の髪って黒くて綺麗。私もそういう濃い色だったらよかったのに」
「そう? だけどみんなの銅色の髪も印象的で素敵よ。きらきらして綺麗。うちのヴィゴラスならうっとりしちゃうと思うわ」
「知ってるっ。姫様の傍にいるグリフォンっ」
「凄いよねっ。姫様なら、グリフォンもちゃんとニンシキするんだもんっ」
「・・・認識って」
泣けてくるぐらいに、こちらの大陸ではグリフォンは孤高というよりも偏屈扱いされていた。いや、駄目幻獣扱いかもしれない。
そんなヴィゴラスは、今日はイスマルクと一緒に食料調達に行っている。どうやらこちらでは金銭も流通してはいるが、物々交換も多いらしい。
遥佳がいるだけで畑は必要以上に実る為、余ったそれらを他の集落に持っていって、イスマルクは魚や肉などと交換してくるのだ。
手伝おうかと思ったのだが、同行すると必要以上にあちらが色々な物を渡してくるので、遠慮するようになった遥佳だ。同行しなくても沢山もらってきているが。
(それにあのゴージャスなおうちを見てしまったら、もう、何も言えない)
だからこっそりと夜などにサイクロプスやケンタウロス、ドワーフやガーゴイルなどの集落を訪れ、そこにある畑などを散策してあげている。それだけで実りが増えるからだ。
彼らの井戸にも大地の恵みを増やして清浄で豊かな水が溢れるようにしてみた。
星も綺麗だし、イスマルクも笑顔で付き合ってくれる。
『いい気分転換になるよ。それに彼らも嬉しいだろう。顔を合わせなくても気持ちは伝わるさ』
そう遥佳に言ってくれる。
最初はヴィゴラスも同行してくれていたのだが、ヴィゴラスが一緒に行くと飼われている犬や猫が怯えるというので、今では留守番するようになった。
その結論に至るまでのヴィゴラスとイスマルクによる攻防は、つまりイスマルクが勝利したということなのだろう。
だけど帰宅してからの、お湯を沸かして待っているヴィゴラスのご機嫌取りが大変だ。
『ありがとう、ヴィゴラス。薬缶でお湯を沸かせるようになっただなんて本当に器用ね』
しかし、体を温める為のお茶を淹れるのはイスマルクか遥佳のどちらかだ。
褒めてあげてキスしてあげて甘やかしてあげるわけなので、結局はもっと疲れるからいっそ連れていった方が楽かもしれないと、遥佳は思っていた。
尚、サテュロスの集落は朝の内に行っている。というのも音楽と享楽を愛する彼らは夜の方が元気だからだ。朝なら皆が寝静まっている。
「そういえばゴブリンの里はどこにあるの? 私、知らないんだけど」
「あのね、私達の里は地下にあるのよ」
「だから人目につかないの」
「そうじゃないとゴブリンじゃないのよ」
「そうなのね」
地下とは気づかなかった。そうなると岩盤をくりぬいて作ってある地下都市なのだろう。
「今度、姫様もいらしてね」
「他の種族は入れないんだけど、姫様は特別なの」
「あ、だけど姫様は大きいから広場だけなんだけど」
自分達が暮らしている家は小さいから入れないかもしれないと謝る子供達に、遥佳は微笑んだ。
「ありがとう。今度行かせてもらうわね。広場だけでも地下の里だなんて行ったことないから楽しみだわ」
そうやって一緒におしゃべりしたり、花を摘んだりして遊べば、夕方になる。
「はい、葡萄も大きく甘くなったわ。おうちに持って帰って潰せば美味しいジュースになるわよ」
「うわぁ」
「やっぱり姫様、すごぉい」
「お母さん、喜ぶかなぁ」
子供達が目を輝かせてそれを摘み取る。
スカートの上につけていたエプロンを結んで簡易的な袋状にして葡萄を入れると、子供達は笑顔で別れを告げた。
「気をつけて帰ってね。寄り道せずに、明るい内におうちに着くように。足元にも気を配るのよ」
「ありがとう、姫様」
「また遊んでね」
「本当に今度、里に来てね。約束よ、姫様」
「ええ。約束」
手を振って、さて自分も帰ろうかと踵を返そうとしたら、ヴィゴラスが空から舞い降りてくる。
「迎えに来てくれたの、ヴィゴラス?」
(子供達と遊んでいたから、出直してきた)
「ふふ。あなたも混じれば良かったのに」
(嫌だ。俺の背中に乗っていいのは、ハルカとマコトとユウリ殿だけなのだ)
さすがに遥佳の前では子供達を威嚇してはいけないと、ヴィゴラスも考えたらしい。
そして威嚇しないと子供がその背中に乗りたがるのも分かっていた為、ヴィゴラスは子供達が帰るまで待っていたのだろう。
「可愛い女の子達だったし、あなたともいいお友達になれたんじゃないかしら」
(ガキの相手は疲れる)
ふぅっと物憂げに空の彼方を見るヴィゴラスだ。
「・・・小さくてもあなたよりお姉さんなのよ、ヴィゴラス」
さっきの子供達が5才前後として、ヴィゴラスはせいぜい4才。あの子供達と似たり寄ったりの年なのではないだろうか。
遥佳は溜め息をついた。
やはりヴィゴラスの遊び相手はイスマルクに頼むしかないのだろう。
(ここに来て以来、ずっと私が姫様と呼ばれているのに、ヴィゴラスは不思議そうな反応をしない)
やはりヴィゴラスは知っていたのだろう。だけどそれはいつからだったのか。
「ねえ、ヴィゴラス?」
(なんだ? なんなら今日はこのまま二人だけでいよう)
そのまま自分を抱え込もうとする前脚はいつものことだが、最近は翼でも遥佳を覆ってしまおうとするのだから、どうしようもない。
イスマルクももう慣れたものだ。
『ヴィゴラス。羽でハールカを隠しても、お前が隠すのなんてハールカだけなんだから、全く隠してることにはならんぞ』
『キゥッ』
『うるさい。ハールカだって苦しいに決まってるだろう』
ヴィゴラスが翼で腹部を覆っているのを見かける度に、羽毛を掻き分けて遥佳を助けだすのが日課になっていた。
ヴィゴラスはヴィゴラスなりに、遥佳の所有権を主張したいらしい。
「ちゃんとおうちには帰るの。イスマルクが心配するでしょ。分かった、ヴィゴラス? それより、ヴィゴラスはいつから私達が、・・・母の子供だって知ってたの?」
ヴィゴラスは小首を傾げた。まるで、
(え? 何のこと? 僕、言われている意味が分かんない。だって小鳥さんだから)
と、言っているかのように。
「可愛い顔をしても駄目よ、ヴィゴラス。いつから気づいてたの?」
両手を伸ばせば、遥佳の肩にふわふわとした大鷲の頭が載せられる。それでも重さは感じない。
(さあ。別にどうでも良かったから、いつからかなんて考えたこともない)
「・・・・・・どうでも」
さすがマイペースなグリフォンだ。遥佳も、何も言えなくなってしまった。
そうと察したか、慌ててヴィゴラスが言い訳じみた言葉を重ねてくる。
(あ、いや、どうでもよくはない。そうだな、ハールカが彼のお方のお子でなければ、俺しかいない崖の上に連れて行って誰にも見せなかった。グリフォンは宝を共有などしない)
「それは誰の子供であってもしちゃ駄目なのよ、ヴィゴラス」
母の子供で良かったと思うべきなのだろう。
そうでなければ遥佳はきっといきなり行方不明者の一人だ。
(ハルカがハルカでなければ、俺だけのものだったのに)
「ヴィゴラス。私、宝石じゃないのよ?」
(一番素敵な宝物なのだ)
「・・・・・・あなたって」
遥佳は悩んだ。
グリフォンは黄金と宝石をこよなく愛する幻獣の筈なのだが、遥佳によって子供の内に餌付けされてしまったのが原因なのだろうか、どこかおかしい気がする。
何といっても遥佳は生き物であって、黄金でも宝石でもない。
(ヴィゴラスはいい子なんだけど、やっぱりグリフォンとしては問題がある育ち方をしてるんじゃないかしら)
そこを尋ねたくても、他のグリフォンになど接触しようものならヴィゴラスが暴動を起こしかねない。
ペガサスやドラゴンでさえ、ヴィゴラスは、
(ハルカにとって、俺はもう用済みなのだな)
などと言い出すから見に行けないぐらいなのだ。
だけどその変わらぬ気持ちが嬉しいと思ってしまうのは自分が弱いからなのか。
「困った子ね、ヴィゴラス」
苦笑しながらも、この自分を求めてくれる魂に喜びを感じる。きっとヴィゴラスは自分を一人にしないだろうと。
(いいのだ。ハルカは俺のことだけ考えてくれていれば)
「・・・・・・あなたって子は」
グリフォンは黄金と宝を愛で続けることにしか意義を見出さない幻獣である。
だから遥佳にここまで懐いているヴィゴラスは、グリフォンとしておかしいことになる。
しかしそんなヴィゴラスは、グリフォンの特徴である、他のことを気にしないマイペースさだけは、しっかり持ち合わせているようだった。
その日の朝は、異常だった。
太陽が異常にきらきらとした光を四方八方に放ったというのだろうか。まるで太陽と地表との間に多数の反射を起こさせる何かが存在しているかのように、様々な光が乱舞したのだ。
時に赤や黄色、青や緑、紫やオレンジといった色がついた光すらキラキラと日陰になっている部分を照らしたものだから、きっと真琴がその場にいたなら、
「うわぁ。空にミラーボールでも作ったの?」
と、言ったことだろう。
「なっ、何なんだっ」
「色々な光が撒き散らかされてるっ?」
「何か恐ろしいことの始まりかっ!?」
その異常気象に誰もが外へ出て、すわ天変地異かと慌てるが、眩しすぎて空を見ることができない。
勿論、人々はすぐに近くの神殿へと集まった。
「神官様っ。これはどういう・・・っ」
「落ち着くのです。皆さん、どうか落ち着いてくださいっ」
「こんなこと、今まで生きてきた中で初めてだっ」
「何が起こってるんでしょうっ。ああ、女神様っ」
誰もが頭を垂れて祈りを捧げ始める。
また、各国の城でも皆がバルコニーや庭へと出て慌てふためいていた。
「今日は一体どうしたことだっ」
「危険ですっ。陛下っ、どうか室内にお入りくださいっ。空を見てはなりませぬっ」
「なんぞの予兆かっ!? 今までこのようなことがあったかっ!?」
そうした中、空に幾つもの黒い影が投影される。
それは女性達のシルエットに見えた。だが、眩しくて長く見つめることもできない。
「こ、これは一体・・・」
「なんということだ」
「女神様のお怒りかっ? 何が起きているのだっ」
誰もが答えを持たず、その事象をどう受け止めればいいか分からずにいた。
すると、天から地上へと声が降り注ぐ。それは若くもあるような、年老いてもいるような、まるで反響を繰り返して元の声が分からなくなっているかのような声だった。
『こんにちは。私は、母シアラスティネルの三子が一人。
私達はゲヨネル大陸に一人、マジュネル大陸に一人、ジンネル大陸に一人と、母が愛した幻獣、妖精、魔物、獣人、人間、それぞれの種族に混じりながら、共に生きています。
ゲヨネル大陸とマジュネル大陸での日々が、私の愛する二人にとって幸せなものでありますように。
いいえ、私はそれを疑っているわけではありません。ゲヨネルでもマジュネルでも、そこに暮らす種族の人達が二人を愛し、慈しみ、大切にしてくれていると知っているのですから』
そこでショックを受けたのは人間だけで、ジンネル大陸にいた妖精、幻獣、魔物、獣人達は喜びに顔を輝かせた。
「さぁすが神子姫様や。レイス、ユーリも起こしてきたったらどうや。こんなん二度と見られへんでぇ」
「駄目だな。朝から起き上がれない有り様だ。クルンの実は飲ませてあるが、無理はさせられん」
ドレイク、レイス、エミリールもまた、家の屋上に出て空を見ていた。
さすがに眩しいので布をかぶって日陰を作っていたが、やはり目を眇めずにはいられない。
けれどもこんなものをどうして見逃せるだろう。
その会話を聞きながら、昨晩は優理がレイスの部屋から戻ってこなかったことに気づいていたエミリールが不機嫌そうにそっぽを向く。
「昨晩は無理をさせたからな」
レイスは優理が起きてこない理由を、それですませていた。
『ジンネル大陸にいる私に従う神殿と神官に命じます。私の要求に最大限の努力でもって応えること、私の情報を他言しないこと、そして私に何かを要求しないことを』
キースヘルムもまた、ギバティールでそれを窓から見ていた。
「これが神子の力、か。やはり幼女じゃねえな」
「ボス。こんなんできるなんざ、やはり違うんでさぁ」
「金儲けになんて考えるべきじゃねえ。なんて素晴らしい」
「さすがは神子姫様。神殿で威張りくさってる神官とは別格のお方じゃないですかい」
周囲にいた手下達も跪いて、祈りを捧げずにはいられない。
普段は様々な欲望にまみれた神官達を馬鹿にしていても、こうして超常の力を見せつけられれば、やはり人とは違う存在なのだと感じ入るものがあった。
『私達が私達であることを見分けるのはとても簡単です。私達には常に世界の祝福があるのですから。たとえ私達がどんな姿をしていようとも、その一点をもって見分けられぬ人はいないでしょう。私達はこの世界と共に在るのです』
カイトもまた、目を閉じて空を見上げていた。それはあまりにも眩しかったからだが、そのシルエットを見ようとする必要などない。どんな顔なのかは知っている。
(おそらくこれはユウリ様だ)
真琴じゃない。カイトにはそれが分かる。そして一度会ったことのある遥佳ともイメージが重ならない。
ならば一人しか残らないではないか。
同時に、カイトは優理と面識がない。遥佳と真琴を置いてさっさと別れたという優理は、カイトと真琴が一緒にマジュネル大陸に行ったことなど知らない筈だ。
――― それぞれの大陸に属する種族が、二人にはついているのですから。
その言葉は、カイトの心をぐさりと突き刺していた。
優理の言う二人は、どちらがどちらの大陸にいるかを明確には伝えていなかったが。
(マコト。お前はもう他の男と・・・)
分かっていたことだ。それでも心が痛い。
同時に神子姫というのはこれだけの力を使いこなせる存在だったのかと、守ってやるつもりだった自分の愚かさを痛感せずにはいられなかった。
(俺ほどの馬鹿はいないな。傲慢にすぎた)
尚、可能か不可能かで言えば遥佳と真琴も同じことをするのは可能だが、こういった事象を起こす為の原理を考えて実行するという思考回路を二人は持ち合わせていないので、できないと言っていい。
何よりここまで派手なことをしなくてはならない理由もない。
失意の癒えていないカイトは、三人それぞれ性格も思考も行動力も、全てが違うのだということを失念していた。
『全ての魂に祝福を。精一杯に生きる命は、それだけで尊いのです。生まれてきた誇りを忘れないで』
更にシャアアーッと光が溢れ、誰もが眩しさに下を向かずにはいられなくなる。
やがて通常の空に戻った時には、もうシルエットは消えていた。
時差がある為、ジンネル大陸よりは遅れたが、ゲヨネル大陸、マジュネル大陸でも同じことが繰り返される。
全ての守り人が目覚め、玄武もまたくっくと笑ってそれを見ていた。
「やれやれじゃ。おそらくは優理様じゃろうが。シアラスティネル様、あなたにも届いておられましょうかのぅ」
なかなか派手なことをしてくれるものだ。
きっと遥佳と真琴も見たことだろう。
それは二人に対するメッセージも兼ねているに違いない。自分は元気でいるのだ、と。
風の妖精と一体化し、嵐を巻き起こしていた真琴だが、太陽と共にもたらされた呼びかけがその心を慰めた。
荒れ狂っていた心が、静かに落ち着いていく。
黒い雲が覆っていた空は、久々に水色の空を映し出し、懐かしい姿をシルエットだけでも見せてきたから。
(優理。優理、優理・・・)
真琴には分かる。いくら声にエコーをきかせていたとしても、自分達だけには。
その話し方も心も願いも、分からない筈がない。
――― ゲヨネル大陸とマジュネル大陸での日々が、私の愛する二人にとって幸せなものでありますように。
離れていても自分達は一緒だと、いつも幸せを祈っているのだと、優理の気持ちが伝わってきて、真琴は目を閉じた。
(優理。だけど私は・・・)
凄まじい音を立てていた風も落ち着き、周囲にいたシルフ達が小さくなっていく。
ふらりと、真琴は地上に降りた。
長く続いていた荒天により、そこには誰もいない。今回の優理のそれすら、皆は家の中から見ていたからだ。
そうして風の妖精からいつもの真琴に戻れば、久々の体を重く感じた。
「大丈夫ですか、マーコット? ずいぶんと長く風の妖精に同化なさってらっしゃいましたわね」
「ラーナ・・・?」
背後から真琴の体を包み込んだ腕が、その体を横抱きにした。
話しかけながら歩き出す。さすが本体はドラゴンというべきなのか、大して背の変わらない真琴を腕に抱いていても、カイトレベルで危なげがなかった。
その後ろにはリリアンとルーシーもいて、優しく微笑みかけてくる。
「今のがジンネル大陸にいらっしゃる姫様ですのね。お姿をはっきりと現さず、お声もわざと変えていらしたのは、見つかりたくないとお思いだからなのでしょうか」
「うん。・・・多分」
ガーネットの言葉に頷きながら、真琴は目を閉じた。ガーネットの隣にいたサフィルスは、今も空を見上げている。
だけど今は何も考えたくない。
「どうぞお眠りください。私達の可愛い姫君。私達は何があろうとあなたを裏切ったりはしません」
その言葉に縋りたくなる。
(カイト。だけど、もう・・・)
風の妖精となっても真琴が真琴であることには変わらない。
シルフであることと神子であることとの相乗効果で大きな風を呼びこみ、荒波をたててもカイトが乗っているであろう船は戻らなかった。
土壇場で難破させては可哀想だと思ってしまう。
この港に戻ってきた船が港に繋がれる間は少し風を弱めてあげても、降りてきた乗客の中に懐かしい顔は見えなかった。
(私を置いて・・・)
閉じた瞼から流れ落ちていく涙を、痛ましそうにルーシーが拭う。
真琴は意識を手放した。
ゲヨネル大陸で空に展開された奇跡を見た遥佳は、優理を恨んでいた。
(どうしてゲヨネル大陸でも、こんな派手なことしちゃうのよーっ。優理のばかぁっ。そんなの、そっちだけにしておいてよぉっ)
遥佳が感動したのは一瞬だけだったと言っていい。
何故ならば・・・。
「大丈夫ですか、姫様?」
「大丈夫じゃない、全く大丈夫じゃない。私はいつからこそこそと隠れ住まなきゃならないお尋ね者の犯罪者になっちゃったの」
「なかなかドラマチックですわね」
目の前にある小川から水の妖精が声をかけてくるけれど、ヴィゴラスは完全に遥佳の姿を自分の体で隠しているので、声はすれども姿は見えない。
しかもここは洞窟の中だ。
というのも・・・。
「あのね、ヴィゴラス。いいかげんに私を解放してくれないかしら?」
(嫌だ。見つかったらハルカは連れていかれてしまう)
「そんなこと、誰もしないわよ」
羽毛に包まれた中から要求しても、ヴィゴラスに受け入れるつもりが全くないからだ。
何故ならば。
空に起こった不可思議な御業。勿論、イスマルクや遥佳も見ていた。
「ちょっと眩しすぎるから。悪いけど暗い靄を私達の上空に作ってくれる?」
遥佳が大気に頼めばそこまで眩しさも感じずに見上げることができる。
「優理ったら本当にやることが派手なんだから」
「そう言われてみれば・・・。俺も皆の前から堂々とヴィゴラスで運ばれたっけ」
肩を竦める遥佳に、そうかもしれないとイスマルクも納得する。
ヴィゴラスは、
(そうか? やはり先手必勝は大事だと思うのだ。さすがはユウリ殿)
と、うむうむ頷いていた。
「なんでヴィゴラス、優理にだけはそう変な遠慮してるの?」
(し、してない。普通なのだ)
「そうかしら」
どうしてヴィゴラスは明後日の方を向いて答えるのだろう?
そんなことを思った遥佳だが、疾しいことがありますとばかりにそっぽを向いているヴィゴラスがちょっと可愛いので、いいものとする。
人はいつも暑苦しいと、たまに風通しの良さを求めたくなるのだ。
「第9神殿長も安堵なさっただろう。もしもこういったことがなければ、あのご高齢の身で海を渡ってきたかもしれない」
「あのお爺さんよね。優しそうな人だったわ」
「・・・ハールカにはな」
何にせよ、優理が全世界に向かって空に映したそれを見たゲヨネル大陸の住民は、一気に知ってしまった。
神子の一人がこの大陸にいるということを。
というわけで。
(問題は今からだ。こんな建物が見つかったら、すぐにハルカがいると分かってしまうではないか)
「え?」
そんなヴィゴラスの心など聞こえないイスマルクは、だから反応が遅れた。
「えっ!? ちょっと待てっ! ヴィゴラス、ハールカを掴んでどこに飛んでくんだぁーっ!?」
「え? あら? あらぁ?」
これから起こる事態に気づいたヴィゴラスにより、遥佳はいきなり前脚で捕まえられて運ばれてしまったのだ。
少し離れた場所にある、小川が近くを流れる洞窟の中へと。
その動きに気づいていたウンディーネの一人が追いかけてきてくれたが、洞窟の中に身を隠しても尚、遥佳を自分の体で隠しているヴィゴラスには、もう呆れるばかりだ。
「ご安心くださいませ、姫様。イスマルクにはちゃんと事情を伝えてきましたから。イスマルク、周囲の集落にも協力してもらって、姫様は物静かな方なのだと広めてもらうつもりのようですわ。すぐに落ち着きますから大丈夫でございます」
「ありがとう。だけど今は、どちらかというとこの状況をどうにかしてもらいたいわ。私はいつまで羽毛に包まれていればいいの、ヴィゴラス?」
「キュッ」
「物わかりの悪いグリフォンはしょうもありませんわね。では姫様の姿を隠す大きめの布でももらってまいりましょう。少しお待ちくださいませね」
それこそ神子姫と彼女が同行を許した者しか足を踏み入れることができない山を案内しようかと思った水の妖精だが、遥佳が暮らしている家は上空からも目立つ。
どうせ目敏く見つけて押し掛けるであろうゲヨネル大陸の住民達にイスマルクが事情を説明して理解を求めるだろうから、すぐに落ち着くだろうと判断し、今はヴィゴラスにくるまれている遥佳救出だけを考えて大きめな布を幾つかもらってきた。
運ぶ時点で濡れてしまうが、水の妖精ならば渡した時点で乾かすことも簡単である。
「どうぞ、姫様。シーツと言ってましたけど、華やかな模様ですから姫様がかぶっていらしても可愛いと思いますの」
「なんでもいいわ。もう本当にヴィゴラスってば」
それを受け取って、やっと遥佳はヴィゴラスの翼の下から這い出ることができた。
その代わり、それを頭からすっぽりとかぶる羽目になったが。
「助かったわ。ありがとう。さすがに窒息するかと思ったもの」
「姫様もちゃんとお叱りになりませんと。イスマルクが心配しておりましたわ」
社交だとか会話だとか相互理解だとか、そういった言葉の意味を知る気もないグリフォンは、絶望的にコミュニケーションがとれない幻獣だと誰もが知っている。
そのグリフォンに対して会話が成り立っているイスマルクと遥佳だが、それは単にヴィゴラスが変わり者だっただけだ。
水の妖精もヴィゴラスがグリフォンというだけで、意思の疎通を諦めていた。
「そうなんだけど。本当に甘えん坊ね、ヴィゴラス」
「甘えん坊とおっしゃる姫様も大物でいらっしゃいますわ。ご自分よりも遥かにと」
「キィッ」
「あらあら。・・・いいわ。一つ貸しよ、甘えん坊グリフォンさん」
そこでヴィゴラスにどんな表情を見たのか、水の妖精は、くすっと笑ってその話を流す。
「姫様、お食事はちゃんと運んでまいりますわ。どうせ誰であっても姫様のご意思を無視することはありませんから、見つかってしまったら、騒がれたくないのだとお伝えすれば大丈夫でございます」
「ええ、ありがとう。別にここの人達にどうこうなわけじゃないのよ。ただ、大勢を目の前にして何か言うのって苦手なの」
「分かっておりますわ。どうぞしばしご辛抱なさいまして」
くすくす笑うと、水の中に水の妖精が消えてしまう。
「ねえ、ヴィゴラス?」
(なんだ? やっぱり第7神殿に帰ろう、ハルカ。そうしたらハルカには俺しかいない)
キュルキュルと甘えながらヴィゴラスが頬をすり寄せてくる。
「やってることは可愛いのに、どうして言うことはそう過激なのかしら。それより、何が貸し一つなの?」
(・・・知らない)
「嘘おっしゃい」
(それよりも布をちゃんとかぶっているのだ。様々な幻獣がハルカを探している)
てくてくと洞窟の入り口近くまで行くと、ヴィゴラスは空を眺めた。
翼ある幻獣達が縦横無尽に空を行き交っている様子は、壮観でもある。
「なんで私一人にそこまで・・・」
(仕方ない。シアラスティネル様は長らくジンネル大陸に居を構えてどこにもお出ましにならなかった。ゆえに嫌われたのではないかと嘆いていた幻獣、妖精は多い。それをわざわざ神子の一人が移住までしてくれたとなれば喜ぶのは当然のことだ)
「え・・・?」
自分を歓迎する彼らの気持ちは十分に伝わってきていたが、母への恨みなどは感じていなかったので、遥佳は目を見開く。
ヴィゴラスは入口から戻ってくると、頭から大きな布をかぶった遥佳をそっと鳥の前脚で包み込んだ。
(神子の部分だけユウリ殿に押しつけて、ただのハルカになってくれたら俺が独占できたのに)
「十分してると思うのよ、ヴィゴラス」
(してない。ちゃんと俺は、ハルカが色々な里や集落に行くのも、子供達と遊ぶのも我慢してる。出会ったあの時に、ハルカを俺の岩山まで連れ帰って来てしまえば、今頃二人きりで過ごせていたのに)
「そうね。その時はきっと帰り道で二人、行き倒れていたような気がするわ」
出会いの様子をよく思い出してもらいたいと思う遥佳だ。
ヴィゴラスはお腹を空かせて畑で倒れていたのである。そんな状態で今度は同行二人となったら、更に飢え死にまっしぐらである。
(ハルカが宝石なら、こんな思いはしなくてすんだ)
「とても一途な言葉に聞こえるけど、何かが違うと思うのよ、ヴィゴラス」
それでもゲヨネル大陸に来てから、ヴィゴラスは遥佳に言わなくなった。
俺のことが一番好きだなという言葉を。
(まるで諦めているかのように)
だから遥佳は許さずにはいられない。
どれ程にヴィゴラスが我が儘な言動を見せても、その背後に気弱な心がちらついているから。
「いらっしゃい、ヴィゴラス。ひざまくらしてあげる。あなた、昨日は寝てないんでしょう? イスマルク達と、神官の人達がこっちにやってくるかもしれない打診があったからって、それの打ち合わせに明け方まで行ってたのよね?」
(ユウリ殿が、誰にでも黙秘権というのがあると言っていた)
「私、別に取り調べているわけじゃないから」
遥佳は脱力した。
(どういう言葉を教えてるのよ、優理。そういう話題が出るって何を話してたの)
イスマルクは優しい。遥佳にとってプレッシャーになることが起きたと思ったら、遥佳が寝てから事態の対応に動くのだ。そしてヴィゴラスも。
ゲヨネル大陸で暮らし始めて、皆から守られていることを実感している。
(私と真琴のことが、イスマルクにとってもヴィゴラスにとっても大きな後悔となってしまったから)
遥佳が自分でも頑張ろうとするより、ありのままに暮らしている方がイスマルクにとってもヴィゴラスにとっても嬉しいのだと分かっていた。
「いいからいらっしゃい。本当は疲れてるんでしょ?」
再度促せば、地面に座りこんだ遥佳の所へ来てヴィゴラスも座りこむ。
「大丈夫よ。私の場合、ひざまくらって言っても、間に空気の層を作ってしまうから重さはかからないわ」
その言葉に安心したのか、遥佳の膝の上に大鷲の頭が静かに伏せられて黄緑色の瞳が閉じていった。
「おやすみなさい、ヴィゴラス」
その頭を静かに撫でながら、遥佳が大気に頼んでヴィゴラスの周囲に音やにおいが流れてこないようにしてもらえば、ヴィゴラスも深い眠りに入っていく。
(そういうところは男の子なのね、ヴィゴラス。あなた達は私に優しすぎるの)
本当はイスマルクも休ませてあげたかったのだが、ここに来てしまった以上どうしようもない。
そうしてヴィゴラスのふわふわしている首元の羽毛を優しく撫でてあげながらどれくらいの時間が経ったことだろう。
ザッザッザッと軽快ながらも大地を駆ける音がして、洞窟の入り口にケンタウロスの姿が見えた。
「誰か、そこにいるのか? え? グリフォン? っと、・・・ええっ!?」
驚いた叫び声をあげられても、ヴィゴラスは動かない。
当たり前だ。今、この大地も大気も、ヴィゴラスには振動も音も響かせはしていないのだから。
遥佳は、恐らくはこの辺りではない地域に住むのであろうケンタウロスの青年に微笑んだ。
「黙って立ち去ってくれる? 私のグリフォン、疲れて眠っているの」
「え? あ、・・・はい」
遥佳の要望に逆らう気はないらしく、あやふやに青年は返事する。
洞窟の中に不自然な採光や快適な気温が維持されていたものだから、遥佳が何者だか分かったのだろう。
「ごめんなさい。実は私、あまり人前に出るのが得意じゃないの。だから私のグリフォンがここに連れてきてくれたんだけど、無理させてしまって・・・」
その小さな手が大鷲の頭を撫でる仕草にケンタウロス族の青年は事情を察したらしく、頷いた。
種族的な傾向なのだろう、ケンタウロス族は明るく気持ちのいい青年が多い。
「そういうことであれば。皆にも騒がぬように申し伝えましょう」
にかっと歯を見せて、大らかな笑顔だ。
「ありがとう。ごめんなさい、わざわざ会いにきてくれたのに」
「なんの。我らが姫君。グリフォンがいるのであれば多少のことはなんとでもなりましょう。このゲヨネルをお嫌いになったりしないでいただければいいのですが・・・」
ケンタウロス族の青年は、そこが気になったらしい。最後の方は少々声が小さくなる。
「嫌いになんてなれないわ。森を歩けば子供達が遊んでいるし、時折姿を見せてくれる妖精も頼りになるもの。ここに来て良かった。とても素敵。あなた達とは違うケンタウロス族の人達ともたまに会うけど、とても親切なのよ。私の姉妹が来た時は、そのお耳が動くのがとてもカッコいいって思ってたみたい。折角だからって皆で集まってくれた時、触らせてもらったそうなの。そして背中に乗せてもらってあまりの速さとジャンプ力にびっくりしてたんですって」
その言葉にケンタウロスの青年は、ばっと顔を輝かせた。
「光栄です。何か必要な物は?」
「ありがとう。だけどこの子が暴走しちゃっただけなの。落ち着いたら帰るから平気よ。ごめんなさいね。この子を起こしたくないだけなの」
ケンタウロスの青年が静かに去ると、やがて遠くで指笛の音が響き渡る。きっと仲間に何かを知らせているのだろう。
(イスマルクだけだと大変だけど、これで大丈夫ね)
今の青年は、ちゃんとよその地域からやってきた人達にも説明してくれるだろう。
ケンタウロス族は戦上手な種族だけあって、連携も見事な民だ。すぐさま仲間に事情を伝えて対応してくれるに違いない。
(ヴィゴラスが起きたら戻ればいいわ)
だけど、気になることがある。
今のケンタウロス族の青年は、遥佳がヴィゴラスを「この子」と呼んだ時に、かなり目を丸くしていた。
いや、はっきり言うなら・・・。
(この子? って、姫より年上だろ。年長者を愛玩する趣味でもあんのか? いいけどよ。姫の為ならどんな種族も顔のいい偏屈男ぐらい探し出して差し出すってもんだ。あえて会話も通じねえ年上のへそ曲がり男を調教して素直にしていくのが好みとは、なるほど、通な趣味だぜ)
ケンタウロス族の彼はそんなことを思っていた。
「・・・・・・なんか私の名誉棄損問題が」
別に男を差し出してくれなくていい。それよりも、だ。
もしかして、自分は騙されていたのだろうか。
(あり得るわ。ヴィゴラス、わざと何も言わないことってあるもの)
自分がご飯をあげて名前をつけたグリフォン。
(あなたを信じてるわ、ヴィゴラス。だけどあなたの思考は信じられないのよ)
だから遥佳は決意した。
家に帰ったらイスマルクに相談するのだ。
グリフォンの年齢の見分け方を。
そして間違った不名誉な認識を止める方法を。




