62 エミリールは優理に打ち明けた
キマリー国の貴族なのに、何故かザンガで暮らし始めたエミリールは、人生とは分からないものだなぁと考えていたりする。
その日、エミリールは市場の片隅にある小さなハーブ店で、せっせと「レシピ付きスパイスセット」を作っていた。
優理に言わせると、手ごろなお試し価格で置いておくと手に取りやすいらしい。
その時、メジャーなものとマイナーなものとを混ぜておくといいそうだ。客も、冒険で試すことができるからと。
(レシピも、No.1から書いてくれたしな。番号を割り振って見本を作っておけば、後からなんとでもできるから、と)
優理は一冊のノートを用意し、レシピに番号を割り振った。後から訊かれても、どのレシピなのかを探せるようにと。
かなり売れるようになったなら、そういったものも印刷に出してもいいのだろうが、この売り上げ程度なら手書きで十分だ。
しかし優理は、配るレシピにはスタンプを押すようにとも言っていた。
『あのね、エミリアちゃん。レシピの最後に、「中央市場・乾燥ハーブ店『ロルドン』レシピ」ってスタンプを押しておけば、見た人はそれを覚えるでしょ? そうしたら買いに来てくれるから。誰が書いたか分からないレシピにしちゃ駄目よ』
そんな理由で、用意されたメモ紙には全てスタンプが押され終わっている。
『なして俺までせなあかんの』
『いいじゃないの。ドレイクの持ってるお店でしょっ。か弱いエミリアちゃん一人に任しといて無責任すぎるわよっ』
『どこがか弱いんや。樽かて運べる奴、か弱い言いへんわ』
『・・・・・・ (いつ見られてたんだ)』
3人でお茶を飲みながら、優理手作りハンコをせっせと押してたからだ。
辺境ながら、それなりに歴史ある貴族の嫡男として育ったエミリールだ。
(料理の手順なんぞ、そこまで店名アピールする程でもあるまいに。なんだか、かなりせこいような気もするんだが)
そう思わないでもなかったのだが、やってみたら、けっこうレシピをなくしてしまう人は多いようで、さっきも客に訊かれ、ノートは役に立った。すぐに書き写して渡すこともできている。
商売というのはなかなか面白い作業だと知った。
それでもエミリールは疑問を覚える。
(だけど女ってどうして困ったら人に頼ればいいと思うんだろう。そんなにレシピが気に入ってたんなら、自分でもノートに書いておけばいいものを。俺だって薬草や毒草、習ったらすぐにどういった使い方をするかを書いて、見本も貼って、自分での所感も書き加えつつ覚えていたというのに)
たかがたまに作るだけの料理と、技能として習うそれとは別物だということにも気づかず、エミリールは、溜め息をつきながらもせっせと手を動かしていた。
そんな軒先に、逆光で顔は見えにくいが男が2人程やってくる。
「すまんけどよ、ペニーロイヤルミントあるかい? なけりゃヒソップでもいいんだが」
「あ、すみません。ペニーロイヤルミントはないんです。ヒソップならありますよ。お茶にするんですか?」
「ああ。なるたけ香りがいいのを選んでくれると有り難いんだがよ」
爽やかなミント系のお茶は口臭消しとしても好まれやすい。
男が買いに来るとは珍しいなと、そんなことを思いながら、エミリールはヒソップを量ろうとする。
「その1カップ分だけでいい。あとよ、悪いんだが、その中からここで一杯飲ませてくれねえかい? これから可愛い子に会いに行くんでな」
「ああ、分かりました。ちょっとお待ちくださいね。別料金がかかりますけどいいですか?」
「それはかまわねえよ。・・・お前も飲んでくよな?」
「ああ」
一応、ここではその場でハーブティーにして飲むこともできるようにしてある。
だからその分は別料金に含まれているからと、ヒソップはヒソップでちゃんと1カップ分を包み、エミリールはハーブティーを作ることにした。
(これから女に会いに行くからと口臭を気にするとはなかなか感心だな。そこができてない奴は多かったもんだが)
そうなのだ。そこがなってない男は多かったのだ。
侍女に扮したエミリールを口説こうとする男に、よく説教してやったものである。
エミリールは、姉ラヴィニアのいる宮殿へ出入りしていた時のことを思い出す。
尚、適当な口説き文句でひとときの甘い時間を手に入れようとした男共は、エミリールの容赦ない口攻撃に撃沈し、二度と声をかけてこなかった。
「ついでに姉ちゃんも飲むといい。心配せんでも3人分ぐらいは払うさ」
「そんなわけには・・・」
「いいさ。こっちもべっぴんさんを見ながら茶を飲めるってもんだしよ。それに女の子一人立たせといて俺らが飲むのは居心地がわりいんだ」
なかなか気持ちのいい買い方をしてくれる男だ。
さらりと金額も自分で計算して渡してくる。
「ありがとうございます。なら、ヒソップおまけしておきますね」
自分の飲み代程度のオマケを加えつつ、エミリールはその薄い茶色の髪をした客に商品を渡した。
「義理堅えこった。悪くねえな、そうゆうのは。実はきっちり生きてきたクチだろ」
大らかに笑うその目元には笑い皺が浮かび、大して背など変わらないというのに、ぽんぽんとエミリールの頭を軽く撫でてくる。
その後ろにいる男は、馬鹿らしいと言わんばかりにスカした感じで立っているだけだが。
「どうぞ座ってくださいな」
出来上がったハーブティーを飲むのに椅子を2つ勧めると、エミリールも腰掛ける。
「ところでよ、女の子が喜びそうな土産って何がいいかねぇ。こまっしゃくれた感じの子で気が強いんだが、それでいて可愛いとこがあってよ」
「そうですねぇ。甘いものが嫌いじゃないなら、この後ろの通りにあるパン屋さんの角を曲がって2軒目の所に小さな菓子屋さんがあるんですけど、そこのお爺さんが作ってるお菓子、とても可愛くて美味しいですよ。あまり多く作る体力がないから細々と売ってるんですけど、閉店前には少し安くするもんだから、目立たない場所にあるのに毎日売り切れてます」
「へえ。ならそこに行って買うことにしよう」
そこのお菓子が美味しいことは優理も太鼓判を押していた。
(あまり教えたくない店なのだが、この男ならいいだろう)
これで態度の大きな客だったら高いだけの店を教えていたエミリールだ。
もう一人の客はほとんど喋らなかったが、そのくすんだ青色の瞳をした男は、愛想よく色々な話をしていった。
「で、その店の何がお勧めだい?」
「そうですね。チョコレートがやっぱり女の子には人気らしいんですけど、私の友達は飾り気のない白いタルトが気に入ってましたね。飾り気が全くないから選ぶ人が少ないけど、実はいいクリームとチーズを使ってるらしくて、私も食べてみたらかなり美味しかったです。あ、だけどお土産で買っていくなら見た目も大事ですから、果物が可愛く載っているお菓子がいいですよ」
「へえ。やっぱりそういうのが大事なんかねえ。俺なんて見た目なんて気にしたことねえや」
「男の人はそんなものです」
自分も男のくせにそんなことを言ってみせるエミリールは、自分こそ食べられるなら何も気にしないクチだ。ただし、他家に招かれた時にはきちんと褒める。それがマナーだ。
それはそれ、これはこれ、をどこまでも貫くマイペース人間。だからこそ女装も平気でこなせているのである。
(農夫か? いい筋肉してそうだ。こういう屈託のないタイプはいい)
男の客なんてあまり好きではないのだが、色々と話してしまうのは、その男から自分に対する興味が全く感じられないからだろう。
女装しているとはいえ、エミリールはそれなりに背がある。だからエミリールよりも背が低い男などは可愛くないと思うのだろう、一方的に攻撃的な態度を取られることもあった。
また、時にエミリールより背が高い男の場合は、変にいやらしい態度が見え隠れすることもある。
さりげなく触ろうとされたこともあった。
尚、それらは丁重にその手をひねり上げてお引き取り願ったものだ。
「ま、そろそろ行くわ。あんがとな、楽しかった」
「いいえ。こちらこそご馳走様です」
二人に一粒ずつクローブもサービスするエミリールだ。
「会う直前に一粒噛んでおくといいですよ」
「あんがとさん。ほれ、お前も」
「ああ」
やはり後ろにいる男は笑顔の一つも浮かべない。
薄い茶色の髪をした、そして明るく話す男は、最後にエミリールに一歩近寄ると小さく囁いた。
「けどよ、これから暑い季節に入る。この辺りじゃ庶民はそう厚着しねえからよ。あんたもいつまでもその女装すんのはやめといた方がいいんじゃないか?」
「・・・・・・え」
「じゃな」
にっと笑うと、男は手を振って去っていった。
その会話が聞こえていたであろう連れの男性も、なんということはないといった表情で軽く鼻を鳴らすと、一緒に歩いていく。
けれどもエミリールに返す言葉などなかった。
(ば、ばれてた・・・)
ぐるぐると、エミリールの頭の中で疑問が渦巻く。
なぜ、気づかれたのか。話している途中からか。その前からか。
けれどもあの男と話している時、そんな疑うような表情が浮かんだことはなかった筈だ。
(ちゃんと高い声も出し続けていた。それに、体を触られたりもしていない)
他人に聞こえないように言ってくれたのだから、やはり親切な男なのだろう。
人に言うつもりもなかったようだ。けれども、いつまでもそれが続くとは限らない。
「こんにちはぁ。ジュニパーベリーくださいな」
「あ、はーい。お料理に? どれくらい差し上げましょうか」
「ええ。猪のお肉をもらったのよ。臭み消しにと思って」
次の客が来た為、エミリールは愛想笑いを浮かべて応対する。
(やはりいつまでも女装は通じない、か。まあ、当たり前だったかもしれん)
そんなことを考えながら。
市場のハーブ店を閉めて、売り上げをドレイクが管理している建物の一つに渡しに行く。そうしてエミリールが帰宅すれば、今日は優理が先に帰ってきている様子だった。
「お帰りなさーい。エミリアちゃん、今日もお疲れ様ぁ」
帰宅に気づいて玄関まで出迎えてくれる優理はとても可愛い。
たとえ胸がぺったんこでも性格が可愛い。
「ただいまぁ。やっぱりユーリちゃんの顔を見るとほっとするわぁ」
そう言って抱きしめても嫌がらないのが可愛い。
弟のロルファンなんてすっごく嫌そうな顔をして逃げたものだ。
「そろそろ帰る頃だと思ってお茶の用意もしてたのよ。あのね、お菓子があるの。エミリアちゃんが帰ってきたら食べようと思って待ってたんだぁ。ねっ、ねっ、早く早くっ」
「え、そうなの? ドレイクさんったら拗ねてたんじゃない?」
口ではどうこう言っていても、ドレイクが可愛がっているのは優理だけだ。
それを感じ取っているエミリールは、ドレイクが自分の分の菓子を買ったとしても、オマケとしてしか考えていないことを知っている。
そうして居間へと歩いていけば・・・。
「エミーん中で、俺はどんな心ん狭い奴思われとんやろな」
「気にするな、ドレイク。お前の心は狭い」
「まあまあ。ドレイクもレイスも、そんな人の言葉尻を捕まえてどうこう言いなさんな」
「・・・・・・え」
エミリールが、その姿を認めて足を止める。
「どうしたの? エミリアちゃん。大丈夫よ。この人達、別にこんなんでも悪い人達じゃないから。怖がらなくても平気」
「こんなんって、そりゃあないだろ、ユーリちゃん。おじさん、わざわざ美味しいとかいうケーキまで買ってきたのにご挨拶だねぇ」
「えへへー。だけどこのお菓子美味しいから好きっ。しかも人数がいるからって大きいのなんて幸せ」
「そりゃ良かった。な、レイス」
「ああ」
勿論、テーブルの上に出されていたのは、エミリールが勧めた店の菓子だ。
優理の大好きな、白いケーキである。
「ほら、エミー。突っ立っとらんとさっさと座りや」
「エミリアちゃんねえ。よろしくな。俺ぁカイネ。あ、こっちはレイスな」
「・・・・・・・・・はあ」
ぐいぐいと優理に背中を押されてソファに連れて行かれたエミリールだ。
「今日はハーブ入りのお茶なの。ヒソップを持ってきてくれたから。だからミント風味の紅茶がいいかなって」
優理は用意してあったお湯の所に行って、ご機嫌でお茶を淹れ始める。
(なんてこった・・・。王手だ)
まさかあの純朴そうな、それこそ農夫にしか見えない男が、ドレイクの仲間だったとは。
エミリールの心を、放心という名の風が通り抜けていった。
優理は放心していた。ただ放心していた。どこまでも放心していた。
「うーん、なかなかショックだったみたいだなぁ。どうする、レイス? ユーリちゃん、このまま寝かしてきたろかねぇ」
「放っとけ。その内、正気に戻るだろ」
「ほんま間抜けな小娘やの」
勝手にレイスが優理のギバティールにある家から調味料を持ち出して運んできたことにより、久しぶりに鶏の照り焼きを食べたドレイクは、機嫌よく食後のコーヒーを楽しんでいる。
優理の作る食事は、色々と楽しいのだ。
(そもそもあんな娘がおる思う時点でおかしぃわ)
そこらへんはドレイクも愚かではない。
キマリー国に手下を行かせ、ディッダス子爵家にエミリアといった令嬢がいないことは確認させていた。そして市場で遠くから店の様子を見張っていた男からも、エミリールがキマリー国大使のいる邸に行ったことが報告されている。
(ま、ええわ。どうせレイスも来とぅしな)
カイネはいささか優理を案じてはいるものの、それでも三人共、傍観の姿勢だ。
当たり前だ。年頃の娘かどうかを見抜けないのでは商売にならない。
「あ、あの・・・。ごめんね、ユーリちゃん?」
思いっきり床で土下座スタイルのエミリールだが、ソファに背中を預けた優理はあまりのショックに言葉も出ない有り様だった。
その目の前のテーブルにあるコーヒーはどんどん冷めていくばかり。
(エミリアちゃんが。
・・・エミリアちゃんが。
・・・・・・・エミリアちゃんが)
たとえ周囲が後ろ暗い稼業の男ばかりだったとしても、無駄に元気な少年ばかりだったとしても、それでも自分には何でも話せる女友達ができたからいいかなと、そう思っていたのだ。
これ可愛いとか、あれ大好きとか、そんな他愛ない話をして楽しめる女友達ができたからいいかなって思っていたのだ。
そんなのを年上の男に言ったところで、「そうか。じゃあ買うか」で終わりである。
意味がない。
楽しいのは、それできゃっきゃとお喋りすることなのだから。
(エミリアちゃんが、・・・・・・だなんて)
そんなことがあっていいのだろうか。
悲しすぎる。こんな自分にも、やっと何でも話せる親友ができたと思ったのに。
「もしかして、体は・・・でも、心は女の子、とか?」
優理は、そこに希望を見出そうとして、そう途切れ途切れに言いかけた。
それなら大丈夫、・・・だと思う。
それならば納得できる。
「ごめんなさい。心は女の子だなんてなったことないから分かんないけど、女の子の気持ちは分かる・・・かな?」
「・・・・・・・・・ふぇ」
ひゅるるるるーっと、優理の心を物悲しい風が吹いていく。
ああ、きっと竹林を渡る風は、こんな淋しい音色を奏でているに違いない。
キマリー国からミザンガ王国まで、とても楽しかったのに。
二人でたらったたらったと、途中の野原で休憩してはダンスしたりスキップしたり、美味しそうなお店とか見つけたと思ったらまずかったことを笑い合ったりしたのに。
虫がいそうな宿屋では二人で燻煙して虫を全滅させてあげるから安くしてと交渉したり、本当に手を取り合って一緒にやってきたというのに・・・。
(泣きたい。くぅーっと、今なら夕日を見て泣けるっ)
こんな悲しいことがあってもいいのだろうか。神様は何をしているのだろう。父と一緒に眠りについている。終わり。
「レイス・・・」
「ああ、なんだ? ほら、いつまでもショックを受けてるんじゃない」
椅子を立ち、ソファの方へと移動してきたレイスは優理の横に座り、その黒髪を撫でながら自分の方へと凭れかけさせた。
「いいじゃないか。そんなに友達が欲しかったならずっと女装しといてもらえ。いざとなれば男なんだし、盾代わりにすれば腹も立たん」
「そういう問題じゃない」
違うのだ。そういう問題ではないのだ。
見かけが女の子なだけの男の人では意味がないのだ。
自分はただ、普通の女の子な毎日を楽しみたかったのだ。
「馬鹿だな、お前は」
レイスの声は優しい。優理が気弱になった時にはいつもいてくれた。
そう思えば安心できる。
きっとそれは、何があっても互いを裏切らないという約束があるせいだ。
「ちょっと寂しかっただけだろ。お前は敏い。どうしても出てくる違和感に、普通なら気づく。それを気づかなかったのは、慣れない場所で周囲に対して気を張ってたからじゃないのか」
「そうなの、かな」
「多分な。お前はそいつを信じていたかったんだ」
かなりエミリールの心にぐさっとくる言葉を発しながら、レイスは優理を自分の膝の上に横座りにさせて目を閉じさせた。
レイスの胸に頭を預けながら、自分よりも大きな掌に瞼を塞がれて、優理はそうだったのかもしれないと、そう思う。
だって自分は無力だから。
分かっている危機には超常の力で対応できても、そうじゃないことには普通の少女並みの防御力しか持たない。
手を取り合って、一緒に頑張ろうねって言って、仲良くお互いを補い合って、そうして前へと踏み出す勇気を持ち続けられる。そんな普通の人らしく頑張る日々をやってみたかった。
そんな優理の耳に、レイスの言葉が落ちてくる。
「よくここまで無事に辿りついたな」
そういえばと、気づいた。
目の前は暗くても、労う気持ちはちゃんと伝わってくる。
遥佳のように心を読む力がなくても、人は時にこうして心を通じ合わせられるから。
だから素直に訊くことができた。
「もしかして、だからドレイク、ここにいてくれたの?」
「ああ。だから寂しくなかっただろう?」
「うん」
すとんと、何かが優理の心に落ちていく。
やはりドレイクは、来るか来ないか分からない優理の為に、ずっとこの家にいてくれたのだろう。
勿論、こちらでの仕事があったにしても。
(私が、ギバティールに戻るか戻らないかが分からなかったから。だから・・・。どうして人はそうやって、感情を変化させていけるんだろう)
出会いは最悪でも、こうして人は関係を変えていく。
「感謝しぃや。この俺様がおったったんやしの」
「そこでそれを言わん方が、もっと男としての株は上がるんじゃないか、ドレイク? ま、俺達相手じゃなきゃ十分に通じる女装だし、話してみたらなかなか義理堅い性格だったしな。安心したよ。な、レイス」
しかしレイスは面白くなさそうに、ふんと鼻を鳴らすに留めた。
「ま、お貴族はんの道楽なら十分楽しんだやろ。そろそろ国に帰り」
「そうだな。ユーリちゃんに興味を持った気持ちは分からんでもないが。これでもユーリちゃんはレイスの大事な子だし、俺達も横から掻っ攫われんのはさすがになぁ」
苦笑しながらもカイネの瞳は笑っていない。油断なく床で土下座スタイルのエミリールを観察している。
「ちょっと待てっ。そもそもこっちは・・・っ」
だが、ここで追い出されるとなったら土下座までした意味がなかった。エミリールは弾かれたように顔をあげる。
「しゃあねえやろ。名前も素性も分からん人間をホイホイ受け入れられへん。そりゃ下っ端なら話は別や。けどここはレイスん持ちもんや。んな怪しい奴、追い出すん当たり前やろ」
反論しようとしたエミリールだが、ドレイクの主張はもっともだった。
ぐっと頬の内側を噛みしめながら、それでもどうしてこんな奴らに自分の本当の素性を打ち明けられるだろう。
キマリー国王太子妃の弟。つまり未来のキマリー国王妃の弟という立場なのだ、自分は。
僻地にある伯爵家長男としてだけでも、身代金は凄まじいものを要求できる。
何があろうと、この素性だけは明かせない。それは国に対して、姉に対して、そして父に対して恥ずかしくない自分で居続ける為の義務だ。
「いつまでも床に座っていても仕方あるまい。さっさとそっちに座れ」
クイッと顎で向かいのソファをレイスに示され、エミリールはのろのろとソファに座る。
「ディッダス子爵家に、エミリアという娘はいない。だが、キマリー国において濃い髪色の貴族は限られる。お前の髪、色を抜いてあったな」
濃い色に染めるのと違い、色を抜くのはどうしても根元が濃い色で生えてくる。ドレイクはそれに気づいていた。
そうしてブラシからエミリールの髪を取り、それもまた情報として組み入れれば、ある程度の割り出しが可能となる。
「キマリー国にはエミリール、そしてロルファンという息子がいる伯爵がいるそうだが、どちらにしてもこんな所をうろついていていい立場じゃあるまい。さっさと国に帰れ」
優理はレイスに体を預けたまま、それを聞いていた。
(そうだ。ドレイク、何も考えてないフリして裏で色々する人だもん)
何も気づかないフリで、ドレイクは調べていてくれたのだろうか。それも優理の為に。
「なんでそこまで知ってて・・・」
とっくに自分の身元は知られていたのかと、エミリールがレイスを見返す。
「ユーリに手を出さず護衛代わりになってくれたことには変わりないからな。本来はとっ捕まえて金儲けに利用させてもらうところだが、何も気づかなかったということで放り出してやる。明日の朝、出ていけばいい。どうせここにはキマリー国大使の邸もある。問題あるまい」
こいつらもまた義理堅いようだなと、エミリールは思った。
「ここで、・・・まだ彼女の傍にいたいと言ったら?」
「生憎と、こいつは俺の女だ」
誰がだと、優理は思った。
しかし反論はできない立場なのである。
そしてかなりドレイクやレイスは、自分の為に譲ってくれていると分かる。
だからもうここは、自分が責任をとらなくちゃいけないところなのだ。
「あ、あの、エミリアちゃん、じゃなくてエミリールさん? あのね、えっと、ちゃんと帰れるおうちがあるなら帰った方がいいと思う。伯爵家なら貧乏じゃないし、それならその方が・・・。だってほら、私達、あまり立派な生き方してるわけじゃないし。ね?」
優理がエミリールの方へ向いて説得し始めると、エミリールは悔しげに口元を引き締め、そうして可愛らしく結ってあった髪をばさばさと解いた。
そうしてガシガシと乱暴に頭を掻く。
「なんだかなぁ。適当なところで打ち明ける筈が、かなりの番狂わせだ」
たとえまだワンピース姿でも、可愛らしく膝を揃えるわけでもなく、大股開きで男の声に戻したそれには、優理もくらりとするものがあった。
(これ、誰? なんでいきなりこんなガラの悪い人が・・・)
さすがにテーブルの方の椅子に座っていたドレイクとカイネもげんなりした顔になる。
「そん格好でやめてへんか。見とないわ」
「そうだな。せめて男の格好をしてからにしてくれ」
レイスだけは平然とした顔だった。
「だからお前はぬけてるんだ」
その代わり、優理の額をつんと指先で小突く。
「あのな、ユーリちゃん。俺だって好きで女装してたわけじゃない。元々、君を騙す為なんかじゃなかった。俺も身元を明かさずに動く為、必要なことだったんだ。その内容は伏せさせてもらいたいが」
「あ、うん。それは分かる」
口調ばかりか声の質まで変われば、雰囲気もがらりと変わるものだ。
吹っ切ったかのようにまっすぐ見据えてくる表情は、女装していても男性のものだった。
(そういえば男装してる時、けっこうモテてたもの。元々こういう人だったのかしら)
振り返るまでもなく、キマリーはあんなにも貴族が逃げ回っている状態だったのだ。それなりの事情があったのは誰だって分かる。
「だが、君の協力のおかげでいい結果が得られた。こちらが一度首都を脱出して動く理由があったそれも、しなくてすんだ。それについては心からの礼を言う。君には、とても感謝しているんだ」
「あ、ども」
ソファに座ったままとはいえ、にっこりと笑って頭を下げられると、優理も返礼してしまう。
『見ぃ。あそこに単純バカがおるで』
『そこが可愛いトコだしなぁ』
椅子に腰かけた二人の間ではそんな小声の会話も交わされていたが、エミリールは平然と続けた。
「君はとても優しくて正義感の強い人だ。君がくれたお金だって、その場で正直に事情を話して返そうと思わないわけじゃなかった。だけど、それよりも心配なことがあった。
君は無力な少女にすぎない。なのに一人で旅をするという。そこで俺がいれば護衛ぐらいはできるだろう。俺は君についていく理由として、そのまま貧乏貴族令嬢という設定を使った方がいいと判断しないわけにはいかなかった。
もしも俺が男だとあの場で打ち明けたら、君は俺を帰らせただろうからね」
「・・・・・・え」
「君がくれたお金はちゃんと持ってきている。君の行く先々でその身を守り、落ち着き先が決まったらその為にあのお金を使い、そうして君に気づかれぬよう還元するのが筋だと思ってたんだ。君がしてくれたことは、本当に誰にとっても犠牲の少ない結果へと導くものだった」
「エミリアちゃん」
なんていい人なのだろう。
優理の焦げ茶色の瞳に涙が滲む。
『あいつ、詐欺師にコロリいくタイプやな』
『その前にレイスが阻止するだろ』
『しとらんで? それよか、ええの選んでぇな』
『つまみはプルーンのベーコン巻きでいいかねぇ』
アホらしと、ドレイクはカイネに蒸留酒を選ばせ、二人で飲み始めた。
エミリールは一番陥落しやすい優理に標的を定めただけだ。誰でも分かる。
それをレイスが邪魔していないのは、どうせエミリールを利用することしか考えていないだけだろう。
「こうなったらエミリールと呼んでくれるとありがたい。ユーリちゃん。勿論、性別だけはどうしようもない。それでも俺は君にとって信頼できる友人として、これからも一緒にいたいんだ。君への恩を返す為にも」
「恩って、そんな大したことしてないし・・・」
エミリールはとても爽やかな笑顔を浮かべた。
「そんなことはない。そりゃ一生とは言わない。だけど今はまだ君にだって自由に動ける友人は必要だろう? 彼らがそれなりに腕の立つのも分かるが、それでも君をいつも守ってあげられるわけじゃない。だけど俺は違う。なあ、ユーリちゃん。今はまだしばらく、一緒に友人として支え合わないか?」
「エミリール」
優理の焦げ茶色の瞳に、感激の光が灯る。
彼はなんて義理堅い、そして無欲な人なんだろう。
(女の子の気持ちも分かってくれる人だって分かってるわけだし・・・。なら、いいかな)
そう思ってしまう優理は、基本的にお育ちがいい。
つまり、相手のことを善意的に考えてしまうのだ。
『ナニ信じとんねん。男が女んトコおるゆうたら理由は一っちゃろ』
『まだユーリちゃんには分からないんだろなぁ』
『なぁにトロトロしとったん。キースヘルムらしない』
飲み始めている二人は、そんな会話すら肴にしていた。




