61 優理はザンガでお仕事をしてみた
ミザンガ王国の首都ザンガ。
家主であるレイスは不在だが、無料で住まわせてもらっている身である。
だから優理はお掃除もしてみた。何故なら自分はとても義理堅く素敵な女の子だからである。
「ドレイクー、三階の部屋ってどこまで掃除していいのー?」
「簡単な掃き掃除程度でええわ。棚ん中は触らんとき」
「はぁい」
優理が掃き掃除をすれば、エミリールは窓や机などを拭く。ドレイクだけ一階の居間にあるテーブルに向かい、掃除など全くやる気はないといった様子だが、それは何かの書類を見ているからだ。
二階には三部屋あって、優理が手前の部屋、エミリールが奥側の部屋を使っているが、三階は一部屋だけだった。つまり、とても広い。
(けど二階の部屋だったって、クローゼットもベッドも机も棚も備え付けだから十分なのよね。三階ってレイスの部屋だと思うんだけど、ドレイクってば本気でレイスの部屋は自分の部屋って思ってるんじゃないかしら)
服も平気で貸し借りする仲なのか。
だが、優理もレイスの服を借りていたわけだし、もっと付き合いも濃く長いドレイクに使われたところでレイスも気にしないだろう。
「棚の中は触るなって言われたら余計に見たくなるわよねー。そう思わない、ユーリちゃん?」
「やめときなさいよ。どうせ陸なもんないわよ」
密売品リストだとか、人身売買取引記録だとか、そんなものが出てきた日にはやってられなくなるのがオチだ。
興味もないと、優理はざっざと箒で床を掃いていく。
(ふーん。こういう時に乗ってこない、か。やっぱりお育ちが良い感じなんだよな、この子)
桟の隅の埃も綺麗に拭き取り、エミリールは本当に面白いなと、寝台の下まできちんと掃こうとしている優理の背中を眺めた。
初めて会った時から思っていたが、それなりに裕福に育った気配が優理にはあるのだ。
なのに裏稼業の人間とつるんでいるのだから家が没落して身を落としたかと思いきや、どうもそんなわけでもなさそうだ。
彼女といたというキースヘルムという男は、他の貴族達と匿われていた時にちらっと見たが、明るく楽し気な人間にみせかけて、笑顔で人を殺せるタイプだと思ったものだ。ロルファンにも近づくなと言い聞かせた。
そのキースヘルムの愛人と看做されていた優理だが、その愛人を裏切って金を騙し取ろうとしたものだから同類かと思いきや、清々しいまでに正義感が強い。
どうしてキースヘルムという男は愛人というわけでもない優理を特別扱いしていたのだろう?
(やはり愛人にするには胸がないのが駄目だったのか? まあ、女には困らない顔だったな)
エミリールも優理の胸がぺったんこなのには気づいていた。同じ宿屋の部屋で泊まっていたのだから当たり前である。
けれども、大事なのは胸の大きさではない。
何となく感じるのだ。この娘は掘り出し物だと。
実際、この隠れ家に来てドレイクという男を見たら、優理をそれなりに可愛がってはいるようだが、自分の縄張りの中で商売をしている人間として見ている瞳ではなかった。
あれはまさに、自分の身内を見る瞳だ。
(だが、血縁関係はない。ならばそれだけ特別に思える何かがあるのだろう)
どんな集団であれ、そのトップになるということは、人に対しての何らかの能力が要求される。その眼力だったり、掌握術だったり、カリスマ性だったり、それこそ種類は千差万別だ。
ただ、思ったよりドレイクにはその稼業ならではの下卑たところがない。普通なら、エミリアみたいな若い娘が飛びこんできたと思ったら色々と胸算用するところだ。
(もしかしたらぎりぎり合法内ですませるように律してるのか? 普通はそこで踏みとどまれるものではないんだが)
だとしたら目の前に金を積まれて飛びつくとは限らないということだ。その価値基準のボーダーが分からない以上、見極め損ねる可能性が高い。ヘタな手は打てない。
そんなことをエミリールが思っていたら、軽快な足取りで階段を上ってきたドレイクがひょいっと顔を出した。
「適当でええ言うとるやろ、ユーリ。昨日は家じゅうのランタンも磨いとったやろが。十分綺麗になっとうわ」
「衛生的な生活は人間の基本なのよっ。見えないところもちゃんとお掃除するのっ」
「まあ、ええけどな。エミーも程々にしときや」
「私もお世話になってる身ですから。ひと段落したらお昼ご飯も作りますね」
「ああ、それはええんや。飯はユーリのが気にいっとんねん」
クローゼットから上着を取りだしたドレイクは、どうやら出かけるらしい。
なぜかエミーと呼ばれているのだが、縮めて呼ぶくらいだから自分を気に入ったのかと思いきや、そうでもないようだ。
(まあ、ユーリちゃんの飯は確かに美味い。面白い料理もちょくちょく出てくるしな)
やり始めたらのめりこむタイプなのだろう。
優理は今、この家をいかに生活感溢れるものにするかに、根性を向けている。
「昼にゃ戻る」
「うん、行ってらっしゃい。ところで換えのシーツってどこにあるの?」
「換え? 無いんちゃうか? 洗う時ゃ他ん部屋で寝りゃええし」
「・・・もういいっ」
「なぁに怒っとんのや。しゃーないやろ。あちこち家はあるんや。そこまで手ぇかけとれん。ま、金が足りんようなら言いや」
ピンッと指先で優理の額を弾いてから、ドレイクは出て行った。
「後でシーツも買いに行かなくちゃっ。エミリアちゃんは何色がいい?」
「シーツなんて何色でもいいわよ。だけどユーリちゃん、お買い物代金はちゃんともらった方がいいんじゃないの? ドレイクさん、お財布渡してくれてるけど、あまり出してないでしょ」
「食費はドレイク、多めに出してくれてるもの。だけど家はレイスのだからドレイクが出すもんじゃないし。それにレイスには色々とお金使わせてるからいいの」
「ふぅん」
やっぱり仲良いようにしか思えない。そうやって、持ちつ持たれつだからと言える時点で。
(一番に目をつけたつもりがとっくにツバつけられてたってか。ほんっと面白くない)
そのレイスという男も恋人なのか何なのか。恋人ならもっと甘い口調になると思うのだが、どうも友人止まりのような、しかし、それもまた不自然なような・・・。
(ま、だけどユーリちゃんがいつも一緒に行動するのは俺だしな)
やはり同性の友人というのはいいスタンスだった。
問題はドレイクという邪魔者がいるおかげで、なし崩しで本当のことを打ち明けようという予定をぶっ潰されたことだ。
二人きりで暮らしているならともかく、ああいう騒がしい同居人がいるというのは本当にやりにくい。
ドレイクがいなければ適当なところで、
「騙しててごめんなさい。実は・・・」
と、適当なお涙ちょうだい的なストーリーと共に性別を打ち明けられたものを。
(だが、邪魔者を追い払えない以上、そこは仕方ない。ここで落ち着くまで事態の成り行きをみるしかないだろう)
占い師をしているなら、その生活の糧をもう少し真面目に考えるべきだろう。しかし優理はまるで全く違うものを見ているかのようなところがある。
ならば刹那的もしくは楽観的に生きているのかと思えば、そうではない。
自分の勘が告げる。
この娘から目を離すべきではない、と。
優理達と人間らしいほのぼの同居生活を送っているドレイクだが、ティネルにいるレイス達はほのぼのどころか、普通に荒んだ日々を送っている。
優理が姿を消した時点で、それはキースヘルムの仕業だとレイスもカイネも見当をつけていた。ましてやキースヘルムはキマリー国へと向かったのだから、余計に納得したものだ。
そこで追いかけるよりも放置することを選んだのは、追ったところで徒労に終わると分かっていたからだが、どこまでも人の思惑を飛び越えていく小娘だなと、そう思わずにいられない。
「で、どうして一人で帰ってきてるんだ? ユーリはどうした?」
「ほっとけや」
「そうもいかんだろう。人の恋人を拉致しといて、ほっとけとは何事だ」
ぬけぬけと言うレイスだが、キースヘルムとて女には不自由していない。
優理と一緒にいたことで、レイスと優理の間に肉体関係がないことは確信していた。
「まあまあ。そうレイスも怒りなさんな。キースヘルムの旦那だって、これで玄人しか相手にしたことねえんだ。しょうがねえだろ。ユーリちゃん相手にゃ勝手を掴めなくてフラれることもあるってもんさ。あの気ぃ強いユーリちゃんに肘鉄食らったってとこですかい、旦那?」
にこにこと場をとりなすカイネとて、言葉に棘がある。
レイスの仲間ながらも、あまり優理と交流していなかったヴィオルト、ロドゲス、マイルート達はさすがに口を挟めない。
キースヘルムも、優理のことではレイスに何か言われるだろうと察していたので手下を同席させていなかった。誰しもボスとして格好悪い姿は手下に見せたくないのだ。
「誰がフラれたんだ、おい」
「一緒に戻ってこないたぁ、決裂したってこってしょうがよ。あんな子供を置き去りにしてくるなんて人間のすることじゃありませんな。そこは反省したらどうですかい、旦那」
「誰も置き去りになんてしてねえっ。あいつから残ったんだっ」
だからこいつらには会いたくなかったんだと思うキースヘルムだが、足がつかないよう外国に売りさばいた方がいい場合、やはりドレイク一家はいい取引相手だ。
ドレイク達はなんだかんだとお上品にやってはいるが、それだけに高ランクなものを売り買いしている。
だからだろう。そこらの同業者なら、「貴族の令嬢」と言ったところで、体の出来や従順さがどうこう言われて買い叩かれる。というのも、そういったご令嬢とやらが稼ぎ頭になってくれることはないからだ。
だが、ドレイク達はそういった教育もしてから売り出すせいか、それなりの稼ぎを叩き出す。だから取引の際にもよそより悪くない値をつけてくるのだ。
「ユーリが自分から残るなんてことはないだろう。正直に言ってくれないと迎えにも行けないんだがな、キースヘルム」
「誰に誓っても、あいつが自分から残ったのは間違いねえよっ。んなことより・・・・・・」
こればかりは業腹だが、キースヘルムもそこを言わないわけにはいかない。
「ユーリが戻ってきたら、・・・今回の件は許してやると、そう言っとけ」
「・・・ほう」
「・・・へえ」
そっぽを向きながら言い捨てるキースヘルムに、レイスとカイネはちらっと視線を交わし合った。
二人の脳裏に浮かぶのは、自宅を荒らされたというのでキースヘルムの根城にグリフォンを突っ込ませた優理の赤いドレス姿だ。
彼女ならやりかねない。何をと言われたら、・・・何かを。
『誘拐されたぐらいで仕返しなんてするかねえ、あのユーリちゃんが』
『そうだな。美味いもんでも食べさせときゃ、機嫌直して楽しみそうなもんだが』
『旦那だってあんな動乱状態じゃ真面目に働いてたろうし、どっちかってぇとそれで見直したりするぐらいの単純なとこがあると思いきや・・・』
『見直してもらえなかったんだろう』
こそこそとした会話ながら、すっぱりと言いきるレイスは容赦がなかった。
「聞こえてんだがな、おい」
「そうか。すまなかった。じゃあ、取り引きに入ろうか。だが、思ったより小物の貴族出身者が多いな。高位の貴族はやはり難しかったか?」
「・・・まあな。どんな変装させても無駄だ。王宮の舞踏会やら支度部屋やら警備やらで貴族の顔と名前を把握している奴らが関所に勢揃いして逃がさねえって徹底ぶりだった」
なるほどと、レイスも頷く。
親子や兄妹の絆というのも、こういう時には悲しいものだ。自分達が逃げた先での生活費を手に入れる為、娘や妹を売り飛ばすのだから。
生活水準を下げられないという理由だけで。
「美術品はまだリストができてない状態か」
「しょうがねえ。生きてるもんを先に売りさばかなきゃ旬を逃すってもんだろうがよ」
「なるほどな。美術品に関しては、うちのニルスとドーレン、ジラルドを寄越そう。まとめ終わったら呼んでくれ。まとめるのに、うちのを使いたい時にはどれも取引金額から4割引きで、第一の優先権だ」
「4割も引かれたら儲けなんてねえだろ」
「冗談やめてくれ。うちのジラルド達を凌ぐ目利きはいない。他の奴らじゃアホをやらかすだけじゃないのか?」
キースヘルムもそこを突かれると何も言えなかった。
「なら2割引きだ。優先権をつけてやるなら妥当なとこだ」
「やめてくれ。あいつらの熱心さと丁寧さを知らんわけじゃあるまい。あれだけの仕事を外注したらいくらもってかれると思う」
「ふん。3割引き」
「3.5割引きだ。それで手を打て」
「ざけんな。こっちがどんな思いで苦労して・・・」
「どんな思いで俺は誘拐された恋人の帰りを待ってたんだろうな」
「・・・・・・てめえ」
「しかも異国の地に捨ててきたんだろう? 可哀想に」
「・・・・・・誰がっ」
「どんなに気が強くてもまだ小娘だ。きっと恨んでるだろう」
「・・・・・・って」
そういうわけで、美術品の鑑定及びリスト作りはドレイク一味から人材を借りることになったキースヘルムだ。彼らの仕事ぶりは評価している。
(だからレイスとは気が合わねえんだっ)
ねちねちとしつこいタイプはこれだから嫌いだ。
キースヘルムはどうしてこの場にドレイクではなくレイスが出てきたのかと恨まずにはいられなかった。
「3.5割引きにはしてやるが、ちゃんとユーリが戻ったら俺は怒ってないって伝えとけよっ」
金貨200枚は痛かったが、かといってそんな理由で逃したくない小娘である。
キースヘルムだってそこはもう己のプライドに目を瞑るしかない。
「旦那。一体何をやって怒らせて、で、ユーリちゃんは何をやらかしたってんですかい?」
そこでカイネの至極当然な疑問を、キースヘルムは黙殺した。
基本的に優理は達成感のあることが大好きだ。自分の物ではないが、一軒家を好きにできるとあって、色々としてみたくもなる。
優理の熱意と、優理からの評価向上の為に協力するエミリールにより、その家はとても生活感が溢れたものとなった。
窓にも明るい色合いのカーテンが掛けられているし、脱衣所の棚にも清潔なリネンが積み上げられ、洗濯物を入れる籠だって用意されている。
一緒に買い出しに行ったエミリールは、なるほどと思った。
(一般の家とはこんな感じなんだな。使用人のエリアにはあまり入らなかったが)
自分と優理が作り上げたおうちといった感じで、まさにおままごとのようだと悪くない気分だったエミリールだが、その後、優理は昼間だけドレイクの手伝いに行くようになった。
計算能力を買われた出納チェックである。
「要は経理よね。それぐらい任せてっ」
「難しぃ言葉はよう分からん。やっとかへんと、レイスうるそうてな」
「大事なことでしょっ」
勿論、エミリールだって出納記帳が分からないわけではなかった。それなりにこなしている。しかし、元貴族令嬢にしてはおかしすぎるスペックだろう。
さりとて無能と思われたら家で留守番するしかない。
というわけで。
「やっぱりエミリアちゃん、どこへ行っても食べてけるわねっ」
「ほほ、任せてちょうだい。こういう男しかいない場所なんて、ほんっとーに汚れきってるのよ。私っ、ユーリちゃんが過ごしやすい環境を整えてみせるわっ」
ドレイク達が出入りしている建物内の掃除と、壊れた家具などの補修をすることにした。これなら優理の近くにいられるからだ。様子も分かる。
鋸や金槌や鉋を扱い、壊れた家具も補修していくエミリールは、やり始めたら優理と一緒できっちりやるタイプだ。
ただ、本気で汚れまくっていて掃除の手が抜けない。汚れを落とすにも力がいるのだ。
「ねぇ、ドレイク。ここ、おかしくない?」
「何がや」
「毎年、入っていくのと出ていくの、金額は似たり寄ったりなんだけど、・・・こっちでは売り買いされたものってかなり乱高下しているのよね。なら、ある程度は連動、・・・つまり、それに引っぱられる形で同じように乱高下した金額の影響が出る筈なのよ。そうじゃないとおかしいわ。ちょっとこっちの他の経費、つまりお金の出納帳を用意しといて。チェックするから」
「分ぁった。おい、ミシルースの店の売り上げ、全部持ってき。あと、これの買い付けしたん誰や?」
「ミシルースの店は、エイルッティがやっとりやす」
「エイルッティが係わっとるん、全部揃わしとき。こん嬢ちゃんに渡すんや」
「ですが、ボス」
「かまわへん。こん嬢ちゃんはレイスんコレや」
ひょいっとドレイクが小指を立てたものだから、優理が青筋を立てる。
「誰がレイスの女なのよっ」
「違ゃうんか?」
「う。・・・違い、ません」
そう言えば恋人設定だったと思い出し、優理はちゅんっと小さくなった。
「レイスのでっか。なら、ええんですが。おい、さっさと用意せぇやっ」
「へいっ」
しかし、扱っているものが多岐に渡りすぎている。
かなりその手広さに驚く優理だ。
相場が分からないから、仕入れ価格で判断するしかない。
「今度、お店も見せてもらっていい?」
「どん店や」
「何日かに分けていいから全部。名前が書かれていても見たことないから想像つかないし、売ってる様子とかも見ないと分かんないもの」
「分ぁった。裏ん方から見せたるわ」
「ん」
ものすごいスピードで清書しながら必要事項を書き加えていく優理のそれは、やはり高い教育を受けた人間でないとできないものだ。
エミリールも目を丸くせずにはいられなかった。ドレイクもまた、思ったよりもはるかに有能な優理に、内心で舌を巻いている。
(やはり欲しいな。貴族だの平民だの関係ない。この有能さはそれだけで価値がある)
今は体も未発達な少女にすぎないが、これは本当に拾い物だ。どれだけの顔を隠し持つのか。
エミリールがそんなことを思っているとも知らず、優理はそれらを整理しながら考えていた。
(必要悪だとレイスは言った。そうかもしれない。だけどそういったものさえ、もう少し救いがあるものにできたなら・・・)
こんな文字や数字で終わっていく中に、どれだけの人生が入っているのだろう。
優理にとって、このザンガでの日々はとても考えさせられるものとなっていた。
(それにすら救いがあるならば、人は生きていける。レイスはあの時、何を思い浮かべていたのかしら)
希望のない人生だと諦めることなく。
そうして底上げされていくことで変わる何かはあるのではないか。
(ううん。そんなことより、まずはこれを片付けなくちゃね)
そんな自分の思惑に蓋をするかのように優理は首を小さく横に振り、目の前にある矛盾点や気になる点をまとめ続けていく。
同じ部屋で他の書類に目を落としていたドレイクだが、視界にあるエミリールと優理の様子をさりげなく観察していた。
優理は毎日のようにドレイクが連れていく。
だが、エミリールは市場にある小さな店にいた。
ドレイクは、エミリールには自分達の仕事へタッチさせなかったからだ。
「エミーは家でのんびりしとき。食費ぐらい大したもんやない」
「そんなわけには」
「なら、うちで働くか? って言うても娼館やない。健全な店や。ちょうど店番がおらんくてな」
「はぁ」
本当は優理と一緒に行動するつもりだったが、さすがに素人の娘としては限界があったのだ。
それこそ、
「なんや。ほな、こういった仕事こなせるんか? どこで何しとったんや」
と、問い詰められる事態となったら、貧乏貴族令嬢を演じ続けられなくなる。
そうして今、エミリールはドレイクが持っている店でハーブを売っていた。
(こんなことなら、出納業務ぐらいできるとアピールしといた方が良かったか? いや、ぼろが出ても困る)
このハーブ店は、市場の隅っこにある小さな店だ。ほとんど収入も期待されていないが、それなりに品ぞろえはいいので客はやって来る。
自由に動き回れる環境だと言えなくもないが、おかげで優理と接触できるのは朝と夜だけだ。
本当は女一人でやるのは不安だろうと、ドレイクの手下を一人つけようと言われたのだが、冗談ではないとばかりに、エミリールは断った。もしもその男に変なちょっかいをかけられたら、男だとばれてしまう。
(それに一人の方が、何かあった時にもこっそり動けるというのも確かだ)
わざと店を早じまいして、キマリー国の大使が暮らす邸にも顔を出した。何でも現在、キマリー国では神子姫を讃える温室が建築されるらしい。
(なんで求婚を断られて温室なんだ? 王妃様には姉上がついてるから、考えた上でのことなんだろうが)
そこへやってきた主婦らしいエプロン姿の女性が、少し不安そうに声を掛けてきた。
「あ、すみません。ガランガー、ありますか?」
「はぁい、ございますぅ。乾燥スライスと粉、どちらがいいでしょう?」
どこか初々しいのは新米主婦だからだろうか。
そんなことを思いながら、自分も見た目だけは若い娘さんであるエミリールは、にこにこと愛嬌をふりまく。
「えーっと、今日の煮込みに使うつもりなんだけど」
エミリールはなるほどと頷いた。
「なら、五軒隣の野菜売りのお婆さんに声をかけてみたらいいですよ。そうしたらフレッシュなのを売ってくれます。今日使うなら生に限りますからね」
「あら、そうなの?」
「ええ。アレはほんのちょっとでいいですから。あそこのお婆さん、自宅用に植えてるんですよ。他の野菜を買ってから頼めばいいです」
自慢ではないが、植物にはチェックが早いエミリールである。八百屋の老婆が、店の横に植えていることには気づいていた。
「まあ、そうなのね。実は、ガランガーっていうのを入れた方が美味しいって言われて、だから買いに来たのよ」
「ジンジャーよりも遥かに香りが強いですからね、入れすぎないように気をつけてください。スライスして使えばいいです。余ったらみじん切りにしたり、すりおろしたりしてからサラダやクレープとかに混ぜれば変わった風味になりますよ。だけど使うのは少しだけ、それに気をつけてください。多く入れちゃ駄目です」
「そうなの。良かった、そうしたら使いきれるのね」
「ええ。もし売ってくれなければうちの乾燥品を買いに来てください。だけど生の方が美味しいんです」
「分かったわ。親切にありがとう」
結局、客を逃してしまっているエミリールだ。どうせ儲けを考えていないからいいのである。
(これで今の客も夫に美味しいスープを作れるだろう。善行すると気持ちがいい)
所詮は金に困ったことのない伯爵家の長男。
頭では店をやっている以上、経費よりも収入が多くないと困るのだと分かってはいた。だが、現場に立てば本来の鷹揚さが出てしまう。
そこへ次の客がやってきた。
「あ、エミリアさん。あのね、今日はナツメグを買いに来たの」
「はい。そのままでいいですか、粉がいいですか?」
「えーっと、どちらがいいかしら」
「おろし金はお持ちですか?」
客に言われたハーブを量って売ればいいだけの仕事だったが、それなりにエミリールも植物には詳しいので、少しずつ固定客もつき始めていく。
毒殺するならどの料理に混ぜれば分かりにくいか、といった理由で、エミリールもある程度の料理は知っていた。それでもあまり料理に詳しいわけではない。
だから疑問がある度に帰宅してから優理に尋ね、そうして更に知識を深めていくエミリールは、段々とハーブの達人になり始めていた。
さて、一方で。
ドレイクと一緒にいれば、似たような色の髪と瞳、そして仲の良さが際立つ。
だからだろう。優理はレイスの愛人ではなく、ドレイクの妹扱いになっていた。
「そらしゃーない。こんだけ側おいて可愛がっとんやし。誰かて妹や思うわ」
「側においてこき使っているの間違いじゃないのよっ」
互いの認識の相違はそれなりにあるが、それでも二人で額を合わせて毎日のように何事かを打ち合わせている。
やり始めたらとことんやってしまう優理は、今やレイスの代わりを頑張っていた。
「えーっとね、次はレティシアさんのお店ね。先々月から働くようになった女性が実は病気持ちだったっていうクレームなのか相談なのか、そこがよく分からないけど」
「ふぅん」
「私が先に話を聞きに行ったんだけど、どうも私じゃ駄目だったみたいなの」
「しゃあない。お前みたぃな小娘行ったかてあっちもよう喋れへんわ」
ドレイクのスケジュール管理もしている優理だ。
「えっと、これがその時の資料ね。取引金額と特徴しか書いてないけど」
「十分や」
その為に資料もちゃんと用意しておくものだから、ドレイクのそういった仕事の資料が全て置かれている根城にも優理はフリーパスとなっていた。
ドレイクは優理の渡したそれを見て、ざっと頭に入れる。
「ところで私、一緒に行ってかまわないの? さっき、お断りされてるけど」
「かまへん。よう見とき」
ドレイクはかなりの場所へ優理を同行させていた。
裏口からレティシアが経営を任されている店に入れば、その雑然とした部屋にいたレティシアが立ち上がる。
「まあ、ドレイクさん」
「ええ夜やな。さっきはこいつがすまへんかったな。先ぃ行って話聞いとけ言うたんやけど、よう役に立たへんかったって?」
手慣れた調子でドレイクがソファに腰掛ければ、レティシアもまた向かいのソファに座る。
ドレイクの横に座ってもいいのだろうが、そういう時、優理は立って少し離れた扉前から双方の様子を見るようにしていた。
「あら、いいえ。ほら、こんなまだ若いお嬢さんにはねえ。ほほ」
「で、どしたんや」
そのやり取りを見ながら優理は考える。
呼ばれてやってきたその女性を見れば分かった。もう長くない、と。
(病気を隠して働いていたのね。やっぱりお金の為かしら)
勿論、それはそうだろう。
けれどもそこで、その女性の事情を調べて疲れるような真似はしない優理だ。
全てを救おうだなんてできないのだから。
「ガタガタやんか。もう無理やな。郷に帰り」
その女性は、与えられていた部屋も追い出されることになった。
損害金から何からにしても、こういったことはよくあることだそうで、ドレイクは通常通りに処理をさせたらしい。
帰り道、歩きながら優理はドレイクに話しかける。
「ねえ、ドレイク」
「なんや」
「さっきの人、前のお店ではとっても稼いでたんでしょ。それなら十分生活していけたんじゃないかしら。こんな仕事にしがみつかなくても」
資料を見たら、かなり高い報酬が出る場所で働いていたことがメモ書きされていた。実際、病んでいても綺麗な顔立ちだったと思う。
「稼いどぅ時に貯めときゃあな。けどな、人ってんはあったら使うてしまうんや。明日のこた考えもせんと。考えても明日考えりゃええ思うてまう。それはもうどうしょうもあらへん」
割り切ったドレイクの横顔は、そんなことにかかずらっていても何にもならないのだと語っていた。
少し気分を盛り上げようと、明るい口調で優理が提案する。
「じゃあ、もしも貯めてあげる人がいたら? 誰かに管理してもらうとか」
「で、持ち逃げされるんか?」
「・・・・・・うっ」
「ようある話や。貯まったらナニしよな、コレしよな言うて約束しとっても、ある朝目ぇ覚めたら銭と相方がドロン言うんは」
優理は溜め息をついた。
「そっか」
「ああ」
ドレイクの手が優理の頭にポンと載せられる。
「ま、悩んどき。こんなんどうしょうもあらへん。そんでもええ答えがめっかるとええな」
「・・・なんでドレイク、私にこれだけ見せてくれるの?」
いくら自分が秘書的な意味合いで役立つといっても、普通ここまで見せてもらえるものではないだろう。
今の優理は、ドレイクのザンガにおける稼ぎをかなり把握していた。道理であれだけの手下を抱えられるものだと理解した程に。
(だけどドレイク、あまり使ってないような気がするのよね)
人の金の使い道を尋ねようとは思わない。けれどもドレイクの生活ぶりは、質素ではないが派手でもない。
(キースヘルムなんて、あんなにドンチャンやってたのに)
あれだけの儲けを叩きだしておきながら、ドレイクはそこそこ質のいいものを使ってはいるが、その程度だ。
そこが不思議だった。
「なんや?」
その問うような視線に気づいてドレイクが訊いてくる。
「ドレイク、お金、あんまり使ってないよね?」
「ああ。銭あらへんし」
「え? だけど結構・・・」
その先を言っていいのか分からずに、優理は口ごもった。
「ああ。俺んはレイスが管理しとる。ほんでいっつもピーピーなんや」
ちょっと待てと思った優理だ。
「さっき、相方に持ち逃げされるって言ってなかった?」
「言っとったな」
「知らないわよ、その内ドロンされても」
「全くや。そん時ゃユーリが俺をヒモにしぃ。満足させたっわ」
「お断りよっ」
よく分からないと思う。ドレイクが頭でレイスが副だ。
しかし力関係はその反対にしか思えない。
(もしかしてレイスってばドレイクの老後貯金してるのかしら。あり得るけど)
大丈夫なのだろうか。レイスこそいつ死んでもおかしくないような仕事を請け負っているのに。
もしもレイスに何かあったら、そのままドレイクが預けたお金もどこへ行ったやら、になるのではないか。
(ほんっと、分かんない関係。もしかしてドレイクこそ明日のことなんて何も考えてないわけ?)
その背中を包むようにドレイクの左腕が伸ばされた。
「さ、早う帰らんとな。エミーも腹空かせとるわ」
「一応、温めるだけのスープと、焼くだけのお肉と、サラダは作ってきたんだけど」
「待っとるやろ、あいつは。
『だってユーリちゃんと食べたかったのぉ』
なんて言うて」
「・・・その気色悪い裏声やめてちょうだい」
星が瞬く空を見上げれば、明日も晴れだと分かる。
(お母さん・・・)
その星の輝きに、母の笑顔を見たような気がした優理だった。




