60 真琴はイスマルクと再会した
真琴はわけが分からなくて立ち尽くしていた。
自分は湖で泳いでいた。その筈だ。間違いない。
その証拠に白と黒とのコントラスト模様も大人っぽい、サマードレスにも似たような水着だって着ている。
(なのになぜ、私は大きな洞の中に立ってるのかな?)
とても大きな樹木だ。幅だけでも4メートルはある、こんな大木があるだなんて思わなかった。
それに、木の洞と言ったら、普通は小鳥が巣を作る程度の大きさなのに、なんと幅は2メートル程、高さも3メートルはある時点で、扉をつけたらここに住んでしまうことだって可能だ。
(こういう秘密基地もいいかも。カイトに灯りとか取りつけてもらったら楽しそう。小さなテーブルと椅子を用意して、雨の日にはここからお外を眺めたりしてもいいよねっ)
そんなことを思いながら、木の洞から外へと出てみれば、周囲には柔らかな草が生えていて、葉の緑も濃い木々があちこちに枝を伸ばしている。
そこかしこで色鮮やかな花が咲いていた。洞があった木は周囲よりも格段に大きく、とても太い枝を四方八方に広げている。
(どこなの、ここ? あ。とっても大きな鳥がいる)
見上げた木の枝にとても大きな、それこそ全長は何メートルだろうと言わんばかりの青い鳥が目を閉じて寝ていた。あんな鳥が寝ていられるのも、枝の一本一本がとても太くてあちこちへ広がっているからだろう。
鳥のくせにお腹を上に向けてだらりと寝そべっているのだ。
それはもう鳥としての本質を見失っているとしか思えない。
(だけどあんな大きな鳥がいるって、・・・さすがマジュネル大陸。鳥の獣人さんなのかな? 体の長さだけでも4メートルはありそうなんだけど、そうなると魔物なのかな?)
その尾羽はとても長く地面に向かって垂れているのだが、それだって5メートルぐらいはありそうだ。空を悠々と飛んだなら、きっと誰もが目を奪われるだろう。
(綺麗。コバルトブルーに近い、とても深い青色の鳥さん)
だけどこんなに大きな鳥だと、自分が食べられても困る。
寝惚けた鳥にぱくっと一飲みで食べられてしまったら大変だ。
(ううん。ここは友好的にいけばいいだけかも。だってどう考えても普通の鳥じゃないよね)
だが、ここまで大胆に寝ている鳥を起こすのも忍びない。
(しょうがない。他に起きている人を探して訊いてみよう)
どうして湖で泳いでいたら、森っぽい場所にいるのだろう?
そこが分からなかった。だけどここまで熟睡している鳥にだって分からないだろう。
全くもって現在地も不明だが、目の前には小さな泉があって、そこから流れ出した水が川となって流れている。
きっとこれを辿っていけば、誰か人に会えるに違いない。
そう思った真琴は川を下っていこうと決めた。
(大丈夫っ。だって幸運の青い鳥を見ちゃったしねっ)
だからきっとチルチル・ミチルのようにおうちに帰れるに違いない。
そう思って真琴はうんうんと頷いた。
そこで優理がいたなら、頭痛を堪えながらアドバイスしたことだろう。
『あのね、山で遭難した時に川を下るのは危険なのよ? そういう場合は山頂を目指すの。川に沿って歩いていくと、人が歩けない場所が出てくるんだから。沢とかは特に危険なの』と。
しかし、今の真琴はその気になれば少しだけ空中にも浮くことができるので、その危険性はクリアしている。しかも水着なので濡れても問題ないし、川で深い場所があれば泳げばいい。
何と言っても、今の真琴ならばどんな水の中も苦労せずに泳げるのだから。
(えへへっ。玄武さんに自然から力を借りるやり方、教わってて良かった。大きな青い鳥も見ちゃったし、素敵な秘密基地候補も見つけちゃったよ。カイト、喜んでくれるかなぁ)
そう思った真琴は川へと入り、まだ浅いその流れと共に歩き始める。その浅瀬にある石が、真琴の足を傷つけることはなかった。
最初は意気揚々と歩きだした真琴だが、今になってちょっと悲しくなっていた。
だってずっと歩いているのに誰にも会わないのだ。
(てっきり湖のどこかトンネルを抜けて、山の裏側かどこかに出ただけだと思ってたのに)
しかも自分がいなくなったというのに、風の妖精達が全く捜しに来てくれない。どこに行っても、自分の近くを飛び回ってくれていたのに。
「カイトの馬鹿ぁ」
いつだって自分の傍にいてくれたカイトも、まだ迎えに来てくれない。どこで何をしていてもちゃんと迎えに来てくれて、自分が居眠りしていてもおんぶしたり抱っこしたりして連れて帰ってくれていたのに。
「ここ、どこぉ」
あんまりだ。いくら自分が一人で楽しく泳いでいたからって、ほったらかしにすることないのに。
それでもてくてくと歩いていた川は、少しずつ深くなっていく。
(あ、だけど川だからカイト、においを辿れないのかも。やっぱり陸を行くべきだったのかも)
それでもカイトは、真琴に関しては風の妖精を使う。その方が確実だからだ。空を飛ぶ妖精達は、カイトの頼みは真琴絡みと分かっているから無視しない。
風の妖精なら、陸も川も関係ない。
(もしかしてまだ湖の底を潜って遊んでると思ってるのかなぁ。それともカイト、玄武さんと一緒にお昼寝し始めちゃったのかなぁ)
あの玄武ならあり得るかもしれない。
(少しなら、もうペガサスに変身しなくてもこのままで飛べるし、空を飛んで帰ろっかな。あ、だけどカイトに見られたらまずいや。すぐそこまで来てたら、カイトの視力もかなりいいもん)
やがて川は真琴の膝上どころか、腰までの深さとなってきた。
(あとは泳いでいこう。そうして村を見つけたら、うちの山がどっちにあるか訊けばいいんだもん)
そうして真琴は泳ぎだした。
早く帰りたいという思いのままに、魚のようなスピードで。
ゲヨネル大陸に騙されて連れてこられたイスマルクは諦めを知る元神官だ。
出来てしまった家は仕方がない。
というわけで、イスマルクはせっせと家の中を暮らしやすくする為に動いていた。
そして今日は畑を耕している。
「お、いたいた、イスマルク。サイクロプスの里から女達が持ち帰ってきてくれたんだけどよ、フライパンは浅いのと深いのとでいいんだよな。一応、微妙にどれも大きさを変えてくれたそうなんだがよ」
「すまないな、クミト。さすがだな。彼らにとっては小さいサイズなんだろうに。ここまで大きさを変えるなんて大変だったろう。料理店並の品揃えだ」
淡い茶色の髪と体毛をしたクミトは、何かとイスマルクの所へ様子を見に来てくれるケンタウロス族だ。
今日はフライパンを持ってきてくれた。
「いいんじゃねえの? 娘っ子達もサイクロプスの里に行って、女の手にはどれくらいの重さがいいとか、この料理ならどの大きさが使いやすいとか、そんなの話し合って作ってたみてえだしよ。新しい料理を知ることもできて、フライパンも何十個と飛ぶように各里に配られてたぜ」
「そうか。頑張ってユーリ様のレシピ集を書き写した甲斐があったな」
サイクロプスは目が一つしかない巨人だ。鍛冶が巧みで、包丁なども切れ味鋭いものを作ってくれた。
現在、優理のレシピはイスマルクによって書き写され、それを様々な種族の女達に渡してある。
材料的に分からない料理もあるが、分かる料理もある。
そんな感じで試行錯誤しているようだ。
(正直、ここまでの数はいらないと思うんだが、止めようがない)
広い厨房だけに、置くスペースがあるのも原因だろう。食器も様々な種類が用意されて、ここまでくるとどうしたものかと、イスマルクも悩ましかった。
本人が来ないと衣服のサイズは分からないということで、あまりサイズは関係ない寝間着やガウンなどしかクローゼットには掛けられていないが、来たら一気に埋まりそうだ。
「じゃあな。しっかし、グリフォンもいつになったらお連れするやら。なぁにやってんだろな」
「あのトリ犬に期待する方が間違ってんだ」
「あのグリフォンをトリ犬って言えるあんたもすげえよ。大体あいつら、宝石と黄金以外は全く目に入ってねえんだぜ。宝石の鉱脈を掘り当てたってのに、それに気づいたグリフォンがいつの間にか全て掻っ攫ってってたってこともザラだしよ」
「だからトリ犬なんだ」
ぶつぶつ文句を言うイスマルクに、湖から小川を伝って近くまでやってきていた水の妖精達がくすくすと笑う。
「そう言いながら、そのグリフォンの為に畑を作ってあげてるんだから、イスマルクったら本当に真面目よね」
「へ? バッカだなあ、イスマルク。グリフォンは野菜なんざ食わねえよ。あいつら、腹が減ったら生きもん襲って食って、腹いっぱいになったら宝石磨いてるって奴らなんだからさ」
「あのトリ犬は食うんだ。人参だのピーマンだのトマトだの玉葱だの菓子にいたるまで」
普通の犬や猫なら玉葱はまずいだろうに、あのグリフォンにとっては全く問題ないらしい。
イスマルクは不貞腐れたように言い捨てた。
「で、そんなグリフォンの為に野菜を作っちまうわけか。あんたも大概だな」
「別に・・・。俺だって食うし、ハールカだって料理に使うし、栄養は大事だ」
拗ねたように唇を尖らせたイスマルクだが、ケンタウロスの青年は肩を軽く竦めてみせる。
「いいさ。何だかんだ言っても神子様のお傍にいるグリフォンなんだろ。悪い奴じゃねえ」
「このゲヨネル大陸の幻獣や妖精に悪い奴はいないだろ、最初から」
「そりゃ俺達は皆、長老から言い聞かされるからな。だから女神様と神子様へのそれは徹底されるだけだ。知らなかったらそうでもなかったろうよ。特にあのサテュロスなんざ、すぐに口説いたんじゃねえの?」
「・・・言える。もうハールカがハールカだと知られていることこそが救いだ」
山羊のようなねじれた角と山羊の足を持つサテュロスは、野性的な魅力が漂う伊達男だ。
同じく女好きだが、どちらかと爽やか系で根が明るく享楽的なケンタウロスに比べ、サテュロスはインモラルで妖しい雰囲気が漂う。
大切な神子姫だ。清楚で貞淑な娘達だけに囲まれて育ってほしいと願うイスマルクから見れば、そのあたりも頭が痛いところだった。
「俺がここに来た時もウンディーネを口説いてたしな」
「そりゃ凄い」
「あら。彼とは楽しいお喋りをしていただけよ? 口説いてはくれなかったわ」
ふふっとウンディーネが口を挟む。その上半身には透明感のある衣装を纏っていた。
「ところでウンディーネのお姉さん。なんでそんな格好してんのさ。今まで服の形なんて出したことなかったろ?」
「そうなんだけど、イスマルクったら私達にくどくどと文句を言うんですもの」
ふふっと手を頬にあてて恥じらってみせる水の妖精である。
「別に文句を言ったわけじゃない。俺は当たり前の危機感を持つようにと言っただけだ」
イスマルクにしてみれば、そこで自分を責める方がおかしいのだ。
「危機感って、何をさ?」
「若く美しい娘さんがそんなはしたない格好をしてはいけませんって言うの」
「・・・・・・へ」
ケンタウロス族の青年は、そこで言おうとした言葉をとっさの判断で飲みこんだ。
「当たり前じゃないか。ただでさえ男達が綺麗だからと寄ってくるのに、そんな格好をしていて襲われたらどうする」
「いや、ウンディーネを襲う奴ぁいねえと思うけどよ。てか、どうやって襲うんだよ」
水の妖精を怒らせたら、飲もうと思った水が一気に乾いたり、飲もうと思った酒がまずくなったり、そういった嫌がらせが続くのだ。
ましてや水の妖精は、自分達に対する戯れの恋を許さない。
「どっちにしても、いくら美女だからってその裸を見たがる男達の目を楽しませることはないだろう。女性が自分を安売りするもんじゃない。ましてやこんなにも清楚な乙女じゃないか」
「ああ、まあ、お説ごもっともで」
別にいいじゃねえか、見るだけならよと、そんなことを思うクミトだが、さすがにこのイスマルクにそれを言おうものなら長いお説教が始まると分かっている。
まだ少女の神子姫に若い男が世話役というのはあまりにも不健全に思えたが、この堅苦しさならば同じ家に住んでいようと全く問題なかろうと、どの幻獣達も判断した石頭だ。
「ま、そういうことで。じゃな、後でうちの親父っさん達が顔出す言ってたぜ」
「そうか。だが、あのトリ犬はまだなんだよなぁ」
「親父っさん達も、色々と気になるんだろ。今や風の妖精達もこの森の周りをうるさく飛び回ってるしよ」
「そうなのか。俺にはよく分からんが」
「あいつらは風の中にすぐ消えるからな。どこにでもいるし、いると思ったらいない。そんな感じだ」
そう言いながらケンタウロスの青年は片手をあげて去っていった。
そこでイスマルクは自分の土まみれになった衣服を確認する。
「結構汚れたし、少し湖で泥を落としたいんだが」
フライパンをしまうにしても、泥だらけの体で家に入るのは気が引けるイスマルクはそうウンディーネに語りかけた。
浴室もあるが、どうせ目の前に湖があると思うイスマルクは、自分のことに関しては大雑把だ。
「わざわざ私達に断らなくてもいいのよ。いつだって大歓迎だわ」
「そうじゃなくて、あまり見ないでくれって言いたいだけなんだ」
「あら、大丈夫よ。見ないわ」
くすくすと笑う水の妖精だが、本当かどうかもよく分からない。
しかし気にしても始まらないので、暑い日はちょくちょくと湖で泳いだりしているイスマルクだ。
(とりあえず手と足だけでも綺麗にしとかないとな)
そうして湖で体を洗い、そのつもりで置いてあった着替えを纏えば、今日の日差しはどこか柔らかい。
(これだけ皆が待っているというのに、なぁにやってんだか。あのヴィゴラスは)
そう思ったイスマルクの蒼い瞳に、一人の娘の姿が飛びこんでくる。
「あーっ! イスマルクぅっ!?」
「・・・へっ? 誰だ?」
湖に流れ込んでくる川の一つを泳いできたらしいゴールデンイエローの髪をした娘は、イスマルクを見て驚愕の叫びをあげた。
人間業とは思えない驚異的なスピードで湖を泳いできた娘は、岸に上がるとイスマルクのシャツをがしっと掴んだ。
「ここ、どこっ!? うち、どこなのぉっ!?」
「え? あ、あの・・・、すみませんが、どちら様で?」
「ひどいよっ。なんでイスマルク、そんなこと言うのっ!?」
そう言われても知らない顔だ。
明るく輝く金の髪を編みこんで一つにし、そして赤みを帯びた茶色の瞳は泣きそうになって大きく見開かれていた。
けれども何故か知っているような気がしてならない。
そう、この気配をイスマルクは知っている。
まさに女神の息吹を強く感じさせて・・・。
それに何よりこの口調は、あまりにも慣れ親しんだ・・・。
「ま、まさか・・・。マ、・・・マーコット?」
「そうに決まってるでしょっ」
「え、・・・いや、それは」
イスマルクもしどろもどろになる。
何故なら真琴は黒髪に焦げ茶色の瞳をして、そしてもっと少年のような少女だったからだ。
今の姿はあまりにも違い過ぎた。
「だって髪の色も、顔立ちも、目の色だって・・・」
なんでこんなことになっているのかと、イスマルクが戸惑えば、そこで真琴も自分の姿が違うことを思い出す。
「あ、そうだ。私、大人になったから髪とか目とか変わったんだった」
「いや、あっけらかんと言われても・・・。それよりマーコット、マジュネル大陸に行ったんじゃなかったのか? いつ、こっちのゲヨネルに来たんだ?」
「へっ?」
何を言われたのかと、真琴も耳を疑った。
「ああ、ちょっと待て。もうびしょ濡れじゃないか」
「あ、うん。泳いできたから・・・」
そこにあったまだ使っていないタオルで、イスマルクは真琴の頭をしゃかしゃかと拭く。
「ちょうどこの家はハールカの為に、ゲヨネル大陸の皆が協力して作ってくれたんだ。マーコットなら同じ神子姫なんだから使っても問題ない。ほら、その服だってびしょ濡れじゃないか。着替えた方がいい。部屋着なら用意されてる。風呂もすぐ沸かすからちょっと待つんだ。出てくるまでに温かい飲み物を用意しといてやるから」
「あ、うん。・・・だけどこれ、水着。って、なんでゲヨネル大陸? でもってなんでゲヨネルでイスマルク?」
この面倒見の良さはやはりイスマルクだなと思いつつ、真琴の頭の中は大混乱だ。
「ほら、おいで。濡れたままでいると病気になるぞ。女の子はちゃんと体は温めていつだって乾いた衣服を身につけておかなきゃ駄目だろう。なんでそう自分を大事にしないんだ」
「・・・何故だろう。口調が違うだけでカイトと一緒」
そうして案内された真新しい浴室は無駄にゴージャスだった。
(何、これ。どこの豪邸? なんでお風呂場にもこんな大きなステンドグラスが入ってるわけ? なんか秋の収穫時期を描いてるっぽいけど)
きっとそのシルエットを見られないようにとの配慮なのだろうが、高さ的にも全く人影は映らないだろうなと思える位置だ。
とても採光が行き届いている。こんなお風呂なら夜よりも日中に入りたくなるだろう、誰だって。
(そして誰がどう見ても無駄としか言いようのない豪華さが凄すぎる)
風呂場にこんな芸術的なステンドグラスを設置してどうするというのだろう。しかも脱衣所にあった鏡なんて、綺麗な模様を描く金色の枠に真珠や宝石みたいなキラキラするものが嵌めこまれていた。
「こっち、入るぞ」
トントンとノックの音が響いて、脱衣所にイスマルクが入ってきた気配がする。
その脱衣所との間にある扉に取りつけられたステンドグラスは、花畑がモチーフだった。
「マーコット。こっちの脱衣所に着替えは置いておくからな。ちょっと下着は分からないから、勝手に部屋の中を見て使えそうなのを使ってくれ」
「はーいっ」
「出てきたら一階まで下りてきてくれ。食事を用意しとくから。ミックスジュースとミルク入りの甘いコーヒーとどっちがいい?」
「えーっとねっ、ミックスジュース飲みたいっ。ご飯食べたら、ミルク入りコーヒー飲みたいっ」
「分かった」
扉越しに掛けられる声は懐かしいイスマルクのもので、ならば大丈夫と安心できるのだが、この状況が全く安心できない。
(なんでマジュネル大陸からゲヨネル大陸なわけ? すっごい距離だよねっ?)
いくらカイトでも迎えに来られない距離ではないか。
いつも一緒にいたシルフだってビックリ仰天状態だ。
(諦めて空を飛んでいくにしても、海の上で疲れて落ちたら溺れちゃうよ)
いや、今の自分なら海だってスイスイ泳げるからいいのかもしれないが、それだったって方向を間違えたらどうしようもない。
お弁当だって沢山持っていかないと、海は広すぎて、マジュネル大陸に辿りつく前に飢え死にしてしまうかもしれない。
(・・・どうしよう。どうすればいいんだろう)
真琴は考えた。
しばらく考えた。
「よしっ。イスマルクに相談しようっ」
きっと彼ならいい方法を考えてくれるに違いない。
真琴は思いっきり他力本願な解決法に逃げた。
基本的にイスマルクは、女神様とその神子姫様が全てという元神官だ。
相手が真琴となれば理由など無視して全てを受け入れる。
「いいか、マーコット。ここの奴らに『可愛いね』って言われてもついてっちゃ駄目だからな」
神子姫である遥佳の特徴を、黒髪に焦げ茶色の瞳としか皆に伝えていない為、今の真琴に何かがあっては大変だと、まずは注意から始まる。
イスマルクにとって大事なのは、真琴の安全だからだ。元より、目を離す気もないが。
「うん、まあ、それは大丈夫かな。かなり鍛えられたから」
「鍛えられた?」
「うん。お断りする時は先手必勝なんだよ。運命の出会いなんて、一日に数十回あるんだよ」
「は?」
どこか遠くを見つめて語る真琴は、今や「可愛いね」と言われて連れ攫われないテクニックの達人であると自負していた。
「まあ、いい。何にしてもまずは自分の素性を名乗れば誰もひどいことはしないからな」
温かいお茶だけでなく、果実を絞ったジュースも出されている。
パンとスープ、焼いたお肉や野菜、それらを前にして遠慮なく食べながら、真琴は濡れた長い巻き毛をイスマルクに拭いてもらっていた。
膝まで届く長い髪はとても乾きにくいのだ。
「ごめんね、イスマルク。いつもは風の妖精達が乾かしてくれるんだけど」
「そうなのか? ここにもシルフはいるから呼べば来てくれるんだろうが。・・・まあ、別にかまわんさ。ちゃんとまずは食べて休まなくちゃな」
そう言って頭を撫でてくるイスマルクは優しい。
さっきまで心細かったそれが嘘のように安心できる。
「うん」
一人ぼっちが寂しかった真琴は、だからぽろりと、今、一番心配なことを口にしてしまった。
「どうやったら、・・・マジュネルに帰れると思う?」
言った途端に不安になる。
なんで自分はこんな場所に来てしまったんだろう。そりゃとても素敵な場所だから、こんな場所というのは失礼かもしれないけど。
それにイスマルクもいてくれるし、綺麗なおうちだけど・・・。
だけど・・・。だけどカイトは心配しているかもしれない。シルフだって。
そう思って悲しくなってしまった真琴に気づいたか、イスマルクはその顔を覗きこむようにして言った。
「安心しろ、マーコット。大陸間を渡る船だろうが、もしくは幻獣が空を飛んで連れてってくれるのだろうが、お前の為なら皆が力を貸してくれるさ。船で行くなら俺が付き添っていく。それより、・・・なんだ、そんなにマジュネル大陸が気に入ったのか? 大丈夫。泣かなくていい」
そう言ってよしよしと頭を何度も撫でてくるイスマルクは、相変わらず真琴に甘い。
けれども同じようでいて違う撫で方をするカイトは、今頃どんな思いで真琴を捜していることだろう。
そう思うと、真琴も辛い。
「カイト、多分、・・・心配してる」
毎日、真琴が大好きって言って、カイトからは愛してるって言ってもらえて、真琴が呼べばすぐ来てくれて、カイトが楽しいものを見つけたらすぐ呼んでくれて・・・。
そんな自分がいなくなったのだ。捜してない筈がない。
「そうか。そのカイトさんって人といたのか?」
「うん。シルフもいたの。玄武さんもいたの。素敵な山なんだよ。お花も咲いててとても楽しいの」
「そうか。・・・良かった。いい人ばかりだったんだな」
安心したように笑うイスマルクは、自分をずっと心配してくれていたのだろうか。
あの大陸間を渡る船と港に分かれて「行ってきます」した時は、あまりにもドタバタしていた。
だから真琴は甘えてしまう。
遥佳が言っていたから。イスマルクは信用できると。
「イスマルクぅ」
「なんだ?」
「カイトのとこに、・・・帰りたい」
イスマルクは少し寂しそうに微笑んだ。
「そうか」
そしてすぐに考えこむ顔になる。
「ヴィゴラスがいりゃ、すぐにマーコットを連れて飛んで行ってもらえたんだが。あいつはまだ恐らく第7神殿なんだよな、ハールカと一緒に。だけど他のグリフォンもいるだろうし、そこは心配するな」
他のグリフォンと言われても、知らないグリフォンだ。
ヴィゴラスなら信頼できるのに。
「うん」
それが心配になって、真琴はただ小さく頷いた。
「大丈夫。ちゃんと帰らせてやる。そのカイトさんって人のところに。・・・だから泣くな」
「だけど、・・・カイト、心配してる。シルフだって・・・」
「なら、手紙を書けばいい。ここにいるシルフが運んでくれる。な?」
イスマルクが書いた手紙だって第9神殿に運んでくれたのだ。真琴の手紙をマジュネル大陸に運ぶのも、風の妖精はやってくれるだろう。
そう考えてイスマルクは提案してみた。
「手紙?」
「そう。手紙は軽いからシルフならまさに風の速さで到着させてくれる。それから帰れば、あっちだって連絡が先に来てるんだし、安心できるだろう?」
イスマルクが重ねて説明すれば、真琴もやっと安心する。
「じゃあ手紙書くっ」
「まずは食事を終えてからな。便箋とかは用意しておくから、慌てず食べるんだ」
「うんっ」
それでも大急ぎで食べて、手紙を書き始めた真琴だった。
遥佳が来るのを今か今かと待っていたゲヨネル大陸の幻獣や妖精達だが、違う神子姫が来たところで全く問題はない。
それどころか、困っているというのであれば何でも力になる気満々だ。
家の前にある柔らかな草の上に座った真琴を取り囲み、誰もが話に聞き入っている。
やはり神子姫だけはあると言うべきか。
彼らは、真琴が座っている地面から自然の息吹が強くなっていくことを感じていた。
真琴を取り巻く空気も清涼感を増して空へと広がっていく。
「えーっと、マジュネル大陸の、・・・山の中にある湖近くの家でね、シルバータイガーの獣人が暮らしているんだけど」
そんな真琴は今まで傍にいたのとは違う風の妖精ながらも、自分の周りで姿を現わしたり消したりして飛びまわる彼らに、いつものように手を伸ばしながら話していた。
さすがに遠慮のある幻獣や妖精達と違い、イスマルクも説明の不備を指摘せずにはいられない。
「あのな、マーコット。せめてもっと具体的に探せる特徴を挙げてくれないと、湖のある山なんて沢山あるだろうし、シルバータイガーの獣人だって沢山いるんじゃないのか?」
「えーっと、そんなら・・・」
けれどもジンネル大陸と違って、マジュネル大陸は大雑把なのである。
集落に名前がついているとしても、「月夜のダンスを愛する村」とか「兎の獣人が多い村」とか「黒羊の村」とか、そんなレベルだ。真琴達が暮らしていた山から一番近い集落も、
「ああん? この村に名前? その内誰かがつけるだろ」
といったものだった。
勿論、真琴達が暮らし始めた山も名前などなかった。強いて言えば、「なんか寂しい気分になっていたくなくなる山」といったところだろうか。略名「変な山」だ。
「うーん。村の名前もあったりなかったりで、本当に目印になりそうなのが・・・」
それでもどうにかなってしまうマジュネル大陸だが、しかし言われてみれば自分達も似たり寄ったりなので、ゲヨネル大陸の住人もあまりそこを責められない。彼らも同じ種族で固まっていることが多いからだ。
ちょうどこの辺りは、匠の小人族とケンタウロス族、サテュロス族、サイクロプス族が多く暮らしていた。
そこで真琴はハッと気づく。
「あっ、だけど湖には玄武さんがいるしっ。あのねっ、玄武さんは白い大きな亀なんだよ。五十メートルはあるかなっ。えっとね、このおうちと同じぐらいの長さがあるのっ」
「そりゃでかいな。凄いな、マジュネル大陸にはそんな大きな亀がいるのか」
イスマルクもこの家と似た長さと聞いて、さすがに蒼い目を瞠った。
「ううん。玄武さんだけみたい。玄武さん、お母さんにその山の管理を任されてたんだって。全身が真っ白でのんびりしてるんだよ」
「そうか。ならそんな大きな白い亀は他にいないだろう。・・・それなら大丈夫だろうか?」
イスマルクがケンタウロス族の長老達に尋ねれば、長老達も目を見交わして頷く。
「きっと大丈夫だろう。姫様の傍にシルフがいたとなれば、それもまた目印になる筈だ。では、その獣人や魔物が近づきにくい山の湖にいる、巨大な真っ白い亀が目印だな。シルフよ、頼めるか?」
耳に届く返事はなかったが、風の妖精達の姿が次々と空中に現れて手紙が宙に浮く。
その数はとても多かった。
「あのね、あっちにいるシルフ達にもね、心配かけてごめんねって伝えといてね」
真琴が言えば、彼らは大丈夫だと言うかのように、真琴の前で手紙を二回転させてから上空へと舞い上がらせる。
そうして手紙は瞬く間にマジュネル大陸を目指して飛んでいった。
「では、肝心の姫様のご移動なんだが、・・・・・・今、人選が難航しておってな」
ケンタウロス族の長老が、そこで嘆かわしいと言わんばかりの顔になる。
「ペガサスとドラゴンがそれぞれに喧嘩し始めてしまったものだから、何ともはや・・・。姫様におかれましては、どちらの生き物の背にお乗りになりたいですかな? まだ幻獣を決めていただければ、その中から選べば良しとしまして」
「え? えーっと・・・」
どっちの幻獣を選べと言われても、選んでいいものなのか。
さすがの真琴も、選ばれなかった幻獣がショックを受けるのではないかと思えば、言葉に詰まる。
ヴィゴラスだって、自分達が馬に乗ろうとしただけで何かと拗ねたものだ。
「どっちの幻獣さんもカッコいいなぁ。あ、だけど私も幻獣の姿になれるんだよ。だから空は飛べるの」
えへっと笑ってみせたが、周囲にいたケンタウロス達は笑ってくれない。
どうも笑って終わりにはできなさそうな感じである。
(う、うーむ。どう持っていけばいいんだろう)
こんな状況でなければ本物のケンタウロス族だし、水の妖精だって綺麗だし、カイトさえ傍にいてくれれば楽しめたのに。
そう思う真琴だが、ケンタウロスのぴくぴく動く馬の耳にもつい見入ってしまう。獣人は人間の姿になったら人間にしか見えない為、こういった人間と獣が合体したような姿はとても気になる。
もっと心の余裕があれば近寄って触ってみたかったぐらいだ。
実は内心、耳のシャープさに自信のあった長老は、
(ふっ、儂もまだまだいけるっ)
などと、内心で雄叫びをあげた。
「駄目だ。いざという時に変身できるのはいいが、それでも疲れて海に落ちてしまったり、迷子になったりしたら大変だろう。マーコット、自分を過信しちゃいけない。ちゃんと長年、空を飛び続けている幻獣に任せるんだ」
変身なんてできるのかと驚いたイスマルクだったが、神子ならばそういった力もあるのかもしれないと、そうも思う。
けれど過信は禁物だ。何かあったら真琴にどんな運命が待ち受けることか。大海原は危険すぎる。
「んもう。ぶー。イスマルクは過保護なんだよ」
海に落ちたところで溺れないと分かっている真琴はそんな暢気な言葉ですませた。
「いやいや、姫様。どの幻獣もあなた様をご案内したいと望んでおりますのでな。どうぞどちらかの背中に乗ってやってくだされ」
その喧嘩している野原の惨状を知っている彼らは、真琴しかあれを収められないと知っている。一応は幻獣仲間なので、致命傷や後遺症が残るような怪我をさせるのは禁止としてあるのだが、既に惨憺たる有り様だ。
いくら可愛く神子が笑ってごまかそうとしてくれても、そこで迎合はできない。
「えーっと、・・・そんなら」
真琴は迷った。かなり迷った。
「えーっとね、それじゃあね、うーんと・・・」
というわけで。
「私を運ぶの、一人だけだと疲れると思うしさ。ペガサスさんとドラゴンさん、二人に日替わりで乗せてもらいたいなぁ、なーんて?」
その言葉が伝えられると、今度はペガサスとドラゴンが同族同士で争い始めたのだが、さすがにそこまでくると、もう真琴にその状況を教える者はいない。
尚、なぜそれにグリフォンが参加していないかというと、宝物を磨くのに忙しいグリフォンは、この騒ぎを知らなかったのである。
孤高の幻獣は孤高ゆえに、周囲の情報にはとても疎かった。ロンリーの宿命である。
「そうなると食料だって用意しなくちゃいけないな。俺がここに運ばれた時も、ヴィゴラスは食べ物を箱に積みこんでたんだ。マーコットだってうたた寝して落ちたら大変だ。ドラゴンには箱に入って運んでもらえばいいし、外を見たい時にはペガサスの背中に乗せてもらえばいい。食べ物は用意しておくからちゃんと休んどかないと。色々あって疲れてるだろ」
「うん。だけどそれなら、箱の中で寝ればいいよね。一緒にお弁当作る。ちゃんとカイトのお手伝いもしてたんだよ」
旅支度ならパンとか水とか用意すればいいのだろうか。
そう思った真琴だが、そこでくすくすと笑い出したのは、各種族の女性達だ。
「まあ、そんなこと。私達が用意しますのに」
「そうですわ。姫様はどんな食べ物がお好きですの?」
「日持ちのするお菓子も作りましょう」
「果物も乾燥させれば大丈夫ですわ」
「ウンディーネを一人お連れくださいまし。常に水に困ることはございません」
イスマルクにしてもらうつもりだった真琴だが、彼女達は笑ってそれを制した。
「えっと、・・・だけど水の妖精を連れて行ったら乾いちゃうから駄目だよ」
「そんなことはございませんわ。水の入ったペンダントを用意して首に提げていてくだされば、それに入って、常に神子様が必要な時には容器に水を湛えることができます」
湖の中にいる水の妖精達が、そうにこやかに説明すれば、真琴もどうしたものかと考える。
「駄目だよ。だって仲間のいない場所って寂しいもん。一人ぼっちは駄目」
イスマルクは、ぽんぽんとそんな真琴の頭を撫でた。
「そうだな。まあ、空を飛んでいくなら早いし、水の妖精の水補給が必要な程じゃないだろう。確かに仲間がいない場所に一人は可哀想だ」
「うん」
とりあえずどうにかなりそうだと思った真琴は頷いたものの、そこで安心したせいだろう、眠気を覚えて欠伸を噛み殺す。
「それにね、マジュネル大陸の獣人さんって、女の人と会ったら毎回『運命の恋』なんてやってるんだもん。ウンディーネが行こうもんなら、美人だからって毎日何十人に口説かれ続けるのがオチだよ。だってね、運命の恋って女の人を見る度に発生するの。毎回ピシャッと断らないと、誘拐されてお嫁さんにされちゃうのが当たり前なんだよ。悪気はないんだけど」
水の妖精を嫌ってるわけじゃないと説明したくて、真琴はマジュネル大陸のそれを説明しようとした。
「まあ、そうですの?」
「うふふ、それは大変ですわね」
「なら姫様も大変でしたでしょう?」
ゲヨネル大陸では、お喋りこそ楽しんでも軽い気持ちで愛を囁く男はいない為、水の妖精達も面白そうに笑いさざめく。
「そうっ。油断してたら攫われちゃうんだよ。だからね、私もこの緑蛇のペンダントつけてたの。これつけてると、連れてかれても緑蛇さんの里に送り届けてもらえるから。魔物の人はね、浮気はしないけど鬱陶しいぐらいにしつこいんだって。おうちに入ったらもう結婚から逃げられないの」
「そうか。・・・マーコット、疲れてるんだろう? 少し休んだ方がいい」
隠してはいたが、何度も眠そうにしている生あくびだったものだから、それに気づいたイスマルクが促した。
「うん・・・。ちょっとだけ」
その言葉で気が緩んだのだろう。真琴はこてっとイスマルクの肩に凭れて寝てしまった。
「しょうがないな。ちょっと寝かせてくる。そういえばお昼寝の時間だったか」
イスマルクが抱えていこうとすれば、二人の背後にいたサテュロスが、先んじてひょいっと真琴を横抱きにしてしまう。
「俺が運んで行こう。イスマルクは扉を開けてくれ」
「反対の方が有り難いんだがな」
サテュロスに触らせたら妊娠してしまうかもしれないと、イスマルクも警戒心がバリバリだ。
「安心しろ。俺とて姫様には敬意をはらう。それに、どうせもうそのシルバータイガーを気に入っておられるのだろう? ならば仕方あるまいよ」
皆に向かって「なあ?」と、軽く片目を閉じてみせるサテュロスに、皆も小さく苦笑いする。
イスマルクだけが、どこか不本意そうな顔だ。
だからドワーフの若者が、それを指摘する。
「なあ、イスマルクの兄ちゃん。なんでそうヤな顔してんだよ」
「お前にゃ分からんさ。こんだけ可愛くて可愛くて、ほんっきで可愛かったのに、あっけなく持ってかれた気持ちなんざ」
真琴の寝息を乱さぬよう、空気に混じらせた少し低めな声でイスマルクはぼやいた。
だけど彼女に言う気はない。自分の言葉で、その心を歪めさせたくはないから。
それでも・・・。
ドレシアの港で、同行するのは自分と同じぐらいに信用できる人だと言っていたから任せられると思った。あの時は自分も拘束されるところだったから、それしかなかった。
なのにこうして再会すれば、これから遥佳が来る(かもしれない)というのに、真琴はその獣人の所へ戻りたがっている。
あまりにも寂しい。
こんな寂しい思いがあるなんて、想像もしなかった。
それでもイスマルクは、サテュロスに抱きかかえられている真琴の顔にかかっているほつれ髪を指先で梳いて愛しそうに眺める。
「こんなに綺麗になっちゃって。まだ十年は早いってのに」
「お前はどこの父親だ」
呆れてサテュロスが呟く。そうして家の中へ向かって歩き出した。
誰だって見切りをつけるだろう。
こんな年寄り臭い感慨につきあっていたら、いつまでたっても真琴は熟睡できないではないか。
(神子の世話役神官というより、いい人どまりの兄貴だな)
それでも羨ましいと思ってしまわないわけではないがと、サテュロスは胸中でごちた。
「あ、待て。先に掛布団、めくるから。あのままだとシーツもパリッとしてるから寝にくいだろ。柔らかくしてやらないと」
イスマルクが慌ててサテュロスの背中を追いかける。
「あの兄ちゃん、若いのに本気で爺むさいよな」
「よく分からんが、ギバティ王国の神官なんざ女遊びも激しいんじゃなかったか?」
「しかも持ってたの、第5等のメダルだろ。結構イイ線いってたんじゃねえの」
「その割にゃ貧乏性だけどよ」
「あら。いいじゃないの」
「そうよ。だからあの神子様も信頼していらしたんじゃないかしら」
「イスマルクったら、本当に姫様と家族のように暮らしてたのね」
「ふふ、そうよね。イスマルクが戻ってきたら、姫様のお好きな食べ物を聞かなくちゃ」
「その前にドラゴンとペガサス、どうなったのかねえ」
「皆が満身創痍なら飛べねえよな、ははっ」
「あり得る、かも」
残された幻獣や妖精達は、皆で顔を見合わせた。
イスマルクは、自分が入って運ばれてきた箱を、有効活用してもらうつもりだった。
だが匠の小人族は勉強熱心だった。仕事熱心でもあった。研究熱心なのであった。
「なんでこんなもんができてるんだ?」
「すっごぉい、箱舟だぁ」
お昼寝から目覚めれば、色々な種族を交えての宴会だった。
そうして一晩経って元気に目覚めた真琴は、家の前にある湖に浮かんだ箱舟に目を輝かせる。
その反応に匠の小人達は、ふっふっふとほくそ笑んだ。
何といっても仕事結果に満足させてこそのドワーフ族。
そうしてドワーフの族長が進み出る。
「元神官殿がグリフォンでやってきた時は、島などで休憩しつつ飛んだという話でしたがの。姫様はお急ぎの様子。ならば夜、ドラゴンやペガサスが休んでいる時でも、これならシルフが海に浮かんだ舟を押してくれますからなぁ。大丈夫ですぞっ、姫様っ。空を飛ぶ時もシルフが助けてくれますからのっ」
「ありがとうっ、ドワーフさん達っ」
代表の匠の小人族長をハグして頬にキスしたものだから、族長の頬が朱に染まる。
(ああ、どうしようかのう。顔、明日から洗えんではないか)
真琴はイスマルクを振り返った。
「すっごいよねっ。鋼鉄の舟なのに湖に浮かんでるんだよっ」
「中は木だからだろ。ドワーフ族なら居住性も完璧な筈だし、この舟ならゆっくりと体を伸ばして眠れる。・・・だが、ドラゴンやペガサス一頭だけで曳いていくのは大変そうなんだが」
ドラゴンやペガサスが一緒に乗って海上で休めることを考えただけあって、そこそこの大きさがある箱舟だ。
そこでドワーフの若い男がイスマルクに耳打ちする。
「はっ? ペガサスは二人でドラゴンが三人?」
「決着がつかなかったんだよ。しょうがねえだろ。それにこの方が色々と荷物も載せられるし」
「まあ、いいけどさ」
数が多ければ多い程、何かあった時には真琴を助けてもらえるだろうと思うイスマルクは、神子姫のことに関してだけは図々しさがアップする男だ。
真琴が寝ている間に、パンやビスケットやパイや果物、干し肉やベーコンやハムなども用意されていた。菓子や水なども抜かりない。勿論、ペガサスやドラゴンの分もちゃんと考えられていた。
(良かったぁ。遥佳、こういう所なら安心して住めるよね。イスマルクもいるし)
神子姫としての正体がばれた以上、ギバティ王国で暮らすよりもこちらのゲヨネル大陸の方がいいだろうと判断したらしいヴィゴラスにより、現在、ここに家が用意されたのだとイスマルクから説明された真琴だ。
(ヴィゴラス、いないのにどうやって用意したんだろう。それにイスマルク、ゲヨネルの人達が協力して作ってくれたって言ってなかったっけ? ま、細かいことはどうでもいっか)
遥佳と違い、真琴は人の心など読めないが、いい人達ばかりなのは分かる。
何よりイスマルクとヴィゴラスがいれば、遥佳も大丈夫だろう。
(第7神殿も安心できるけど、誰とも触れ合わない生活は辛いもんね)
肝心の遥佳はディリライト島のリゾートステイを終えて、第7神殿を拠点にあちこちの遠い市場や産地直売に出かけ、ヴィゴラスと共に綺麗な景色や街並みの観光三昧を楽しみ、毎日がナイストリップ状態だったのだが、そこまで真琴に分かる筈もない。
日帰りが主とはいえ、遠くへ行けば行くほど、遥佳が優しく労ってくれるので、ヴィゴラスは遠慮なく甘えまくっていた。
「姫様。で、こちらのドラゴンとペガサスが一緒に参りますからな」
「うわぁ、綺麗。ドラゴンの鱗って不思議な色してるんだね。ペガサスも雪みたいに真っ白」
暗紫色を帯びた深い青色の鱗で覆われたドラゴンは三頭とも黒い瞳をしていた。大きさはそれぞれ微妙に違うが、4メートル弱だろうか。
純白のペガサスは一頭が赤い瞳、一頭が青い瞳をしていた。
「よろしくね」
真琴がその首筋を撫でれば頭を下げてくるものだから、順番に頬へとキスする。
周囲を飛び回っている風の妖精達も、やる気に満ちている様子だ。
「ごめんね、イスマルク。せっかく会えたのに、あんまりお話してない」
「いいさ。早く帰りたいんだろう?」
「うん。カイト、イスマルク並みに心配性なんだよ。自分が一緒にいられない時はシルフ達や玄武さんに私のこと、頼んでくぐらいだもん。今も心配してると思う。いつもならちゃんと迎えに来てくれるのに、ここ、遠いから」
「そっか。それじゃ仕方ないな」
寂しいのか安心していいのか分からないイスマルクだ。
(俺は別に心配性じゃない。普通だと思うんだが)
もし自分が心配ばかりしているというのなら、それは真琴が無鉄砲なだけだ。
けれども真琴はマジュネル大陸で大切にされているのだろう。ならばいいと思える。
女神の娘だと知らなくても真琴を大事にできる獣人ならば、きっと不幸になどしない。
「えっとね。あのね、遥佳がここに来たら、多分私、また来るから! 今度、カイト連れてくるねっ」
「ああ、待ってる。ハールカにも、マーコットはとっても元気だったって伝えておく」
「うん! ありがとうっ。あ、皆さんもありがとうございましたっ」
箱舟は幻獣が二頭いれば十分に運べるのだが、五頭全てが箱舟に取りつけられた鎖を自分達の脚や胴体にあるベルトに引っ掛ける。そうすればどれかが外れても箱舟を落とすことはないからだ。
「さよーならーぁーーーっ」
ひゅうぅっと飛び上がったドラゴンとペガサス、そして風の妖精達の協力によって、見る見るうちに箱舟は空の彼方へと消えていく。
勢揃いして見送っていた幻獣や妖精だが、ずっと空を見上げていたイスマルクの肩を、ケンタウロスの一人が叩いた。
「泣くなよ、男だろ」
「お前にゃ分からねえよ」
イスマルクはぼそっと言い捨てた。
服の袖で瞼を擦りあげたものだから、蒼い瞳の周囲が赤くなる。
「分かんねえよ。娘を持ってかれた男の気持ちなんざ。俺ら、まだ結婚してねえしな」
もう一人のケンタウロス族の青年が言えば、周囲にいたケンタウロスの女性達もあらあらと笑い出す。
イスマルクはがっくりと地面に座りこんだ。
もう、格好つけて頼れるお兄さんみたいに振る舞う理由はない。
「まだ子供だって思ってたのに」
「いや、どう見ても大人だろ」
ゴブリンの一人が呟く。
「男の子みたいなところが可愛かったのに。あんなに綺麗になっちゃって」
「いいじゃねえか。綺麗で何が悪いんだよ」
ドワーフの少年だって首を傾げる。
「ハールカの名前を出せばもっといてくれるかなって思ったのに」
「せこいな、お前。物わかりのいい顔した裏でそんなこと考えてたのか」
年配のサテュロスが呆れた顔になる。
「寝坊してもらって出発を明日にしてもらおうと、昨晩はかなり起こしといたのに」
「道理で、星が綺麗に見えるとか言って姫様を連れ出してたと思ったわ」
水の妖精だって溜め息をつく。
「イスマルクの兄ちゃんもさぁ、なんかもう若いのにアレだよなぁ」
「父親の悲哀って奴かぁ?」
「幸せそうにお世話してたものねぇ」
はっきり言って、かなり情けない。
「よぉーっしっ、分かったっ。まあ飲もうやっ、なっ、イスマルクッ」
そんなイスマルクの肩に、ドワーフが腕をまわして明るく提案する。
「そうだそうだ。積みきれなかったご馳走も残ってるって言ってたしよ。なっ?」
「じゃあ、ここに運んでこようかねっ。あんた、うちの酒、持ってきたげなさいよ」
「おうっ」
瞬く間に、昼間っからその場所が露天の宴会場と変わる。
「くうぅーっ、沁みるっ」
ゴブリン秘蔵の泪酒は、イスマルクの胸を熱く通り過ぎていった。




