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59 遥佳は第7神殿にいて真琴は行方不明になった


 ゲヨネル大陸住民達から、この地に来てくださるのだという期待をその身に集めている遥佳は、そんなこととは知らずにのんびりと第7神殿でヴィゴラスと遊んでいた。


「革の色合いのセンスもいいのね、ヴィゴラスったら。焦げ茶の革と茶色の革がとてもいいアクセントになってる」

(当然なのだ。美意識でグリフォンを凌ぐ存在はいない)


 優理に貸し出した寂しがり屋のグリフォンはイスマルクをちゃんと助け出してきたのだ。となれば、遥佳も褒めてあげて、美味しいご飯を食べさせてあげて、後は遊んであげるしかない。

 遥佳を一人占めできるヴィゴラスもご機嫌だ。


「本当に凄いわ。ヴィゴラスったらとても器用になっちゃったのね」

(ユウリ殿には鍛えられたからな)


 優理が深い眠りについている間、どうせならマスターしておくといいわよと言われたものに、革細工も入っていたのだ。

 普通の裁縫なら遥佳でもできるからである。

 しかし皮革を縫うとなったら力がいる為、遥佳では指を傷めてしまうだろう。

 そう思った優理は、力は十分に有り余っているグリフォンにそれらの簡単な説明書と道具や材料を渡してあった。

 練習用として優理が使うバッグも作ってもらった。全く問題はない。


「だけどこれでお金も落とさずにすむわ。やっぱり布だと強度が足りないもの。ヴィゴラスってば皮むきもできるようになってるし、本当に有能よ。人間だったらどこでも生きていけたと思うわ」

(だが、刺繍まではできんのだ)

「そんなの必要ないわよ。ふふ、ヴィゴラスのこの小銭入れがあれば、どこでも大丈夫ね」


 市場などではスリも多い。

 彼らはお金が入った袋をさっとナイフで切りつけて中身を盗み取っていくのだ。

 可愛らしい布袋にお金を入れていた遥佳は、それでお金を盗られてしまった。

 大した金額ではなかったからいいものの、それを聞いたヴィゴラスが丈夫な革でバッグと小銭入れを作ったのである。


(だからハルカは俺を連れて行けばいいのだ。市場だろうがどこだろうが)

「駄目よ。そうしたらみんながパニックになっちゃう」

(盟約により、全ての種族は互いに尊重すべしと決まっている。別にジンネル大陸にグリフォンがいようと問題ない)

「そんなの、建前だけだもの。あなたが強いのは分かるわ、ヴィゴラス。だけどあなたを物珍しげに取り囲まれたり、捕まえようとされるのは嫌よ」

(たかが人間如きに俺が捕まる筈もない)

「そうね。だけどヴィゴラスが人を傷つけるのも嫌なの。分かって、ね?」


 遥佳はヴィゴラスの首に手を伸ばした。

 優しくその羽毛を撫でれば、うっとりとしたようにヴィゴラスが目を閉じる。


「ねえ、ヴィゴラス。イスマルク、放っておいて大丈夫なの? お友達といるって話だったけど、様子を見に行かなくても平気?」

(平気だ。というより、様子を見に行く方が平気じゃなくなる。イスマルクが一緒に家を用意しているドワーフ族(おともだち)はこだわりが強い。ああいうのはできあがってからのんびり行くならともかく、やってる途中で行こうものなら、そのこだわりについて朝から晩まで説明されてうんざりすることになる)

「そうなの」


 ヴィゴラスの言葉に嘘がないことを感じて、遥佳も、それなら仕方ないかと引き下がる。

 一体どんな強烈なお友達とイスマルクは一緒にいるのだろう。


(だけどイスマルクもあれでこだわりが強いタイプだったもの。やっぱりお友達って似た感じの人が集まるのね。類は友を呼ぶってこういう時に言うのかしら)


 イスマルクの様子を探れば、遥佳もまた慌てるものがあったのかもしれないが、遥佳はヴィゴラスを信じていた。

 何よりヴィゴラスから虚偽の空気を感じなかったこともある。


(それよりハルカ。今日は子豚の丸焼きをしてくれるという約束だった)

「そうね。ふふ、子豚が入るような大きなオーブンがなくても炭で串焼きにすれば大丈夫なのよ」

(一番美味しい皮の部分はハルカに食べさせるからなっ)

「そんなに沢山食べないわよ。じゃあ、買いに行きましょうか。ヴィゴラスが縫ってくれた小銭入れもあるものね」


 買い出しはいつも違う場所へとヴィゴラスが飛んでいき、近くの山や森の中で遥佳を下ろす。そうして市場に買いに行く遥佳だ。

 けれども、少し変だなとは思っている。


(どうして私、女性への変化が止まらないのかしら。別に今、性別について考える必要もないというのに)


 いや、その理由は何となく分かっている。

 遥佳はヴィゴラスから何となくだがそんな気配を感じていた。


(やっぱりヴィゴラス、子供だもの。私にお母さんになってほしいのかしら)


 甘えん坊なグリフォンは、自分に女性であってほしいと望んでいるのだろうか。

 

(まあ、いいけど)


 どうせ自分を男だと思う人は今までもいなかったし、男の性別を選ぼうと思う程のこともなかった。

 だからいいかと思ってしまう遥佳は、基本的に流されやすい。

 そんな遥佳の心を知りもせず、ヴィゴラスはさっさと飛び立つ気満々である。


(ハルカ、あまり大きいのは選ばなくていいからなっ。重いと大変だっ)

「子豚程度で大変も何もないわよ」


 それに、ヴィゴラスがとても楽しみにしているのが分かるから。


(大きい子豚を選んであげましょ。ヴィゴラス、優理にかなりしごかれてきたみたいだし)


 そのままだと背が高すぎて乗りにくい遥佳の為に、ヴィゴラスはちゃんと階段の所へ行ってその下の場所に陣取る。数段上から遥佳が乗るのなら、ちょうどいい高さだからだ。

 

「今日は一昨日と同じ市場に行ってね。とびきり美味しい子豚さんを頼んであるの」

(そうかっ。やっぱりハルカは俺のことが一番好きだなっ)

「・・・もう、それについては諦めてしまいそうな自分がいるのよ、ヴィゴラス」


 そうしてちゃっかりしているグリフォンは大きな翼を広げた。






 マジュネル大陸で白い大亀の玄武に見守られ、カイトと暮らす真琴にとって、毎日はとても穏やかで平和だ。玄武の指導で、どんどんと能力も開発されつつある。

 そして元々、真琴は泳ぐのも得意だ。

 スタミナこそカイトに負けても、似たような速さで泳げる程に。


「あいつ、釣り糸を垂れてるより、普通に網持って魚を捕まえに行った方が早いんじゃないか?」

「ほっほっほ。カイト殿は真面目ですのう。マーコットは楽しければ何でもいいんでしょうに」


 わざわざ魚を捕まえなくても生け簀はあるし、食料も家には揃っている。だから切羽詰まったものは何もない。それが分かっているからだろうか。

 真琴は、「魚を釣るのっ」と言いながら、全くその成果を出していなかった。


「それは言えるか。だが、前よりも泳ぐスピードが速くなった気がするな」

「やれ、嬉しいですのう。教えた甲斐がありましたな」

「・・・何をどうやって教えたかが全く分からないんだが」


 泳ぎは玄武が教えたという。だが、こんなのっそりとしか泳がない亀に教わって速くなるものなのだろうか? 何よりこの大きな亀よりカイトの方が泳ぐのは速い。


(それでも実際、マコトは速くなっている。もしかしてこのゲンブ爺さん、かなり教えるのは上手いのか? そういえば、何かとマコトは「ゲンブ先生」とか呼んでるが)


 そこが疑問なカイトだ。

 何故なら数日前、もしも水棲として泳ぐコツがあるなら教えてくれないかと言ったら、玄武は、

「そうですのぅ。水を掻いたら前に進みますなぁ」

だったのだ。


(誰でも分かるわっ、そんなんっ!)


 その時、カイトは尋ねる相手を間違えたと知った。

 だが今、現実に真琴は速くなっている。ということは、この玄武は教え惜しみをしたのだろうか。

 カイトはちらりと玄武を見上げた。このぼんやりした白い亀は、本当に大きいのだ。


「どうかしましたかのぅ、カイト殿?」


 黄色い瞳が穏やかに見下ろしてくる。


「いや。本当にマコトはゲンブさんに懐(なつ)いたなと思ってな」

「ふぉっふぉっふぉ。ヤキモチですかな。いや、若いとは素晴らしい」

「別にそんなわけじゃない」


 楽しげに大きな亀の頭がこっくりこっくりと上下に揺れるとなると、さすがにカイトも赤くなって地面を見遣(みや)った。


「いやいや、カイト殿にはマーコットを大事にしてもろうて有り難く思うとりますのじゃ。マーコットは、我を昔から近所に住むおじいさんのように思ってくれとるのでしょうなぁ。本当に大きくおなりになったもんですからの」

「・・・・・・ん?」


 カイトはしばらくその意味を考える。


「まさか、・・・知り合いだったとか?」

「いやいや。そんなことはありませんがの。我も長く生きておりますでな。かつてマーコットの母君と父君を見知っておりましたのですじゃ」

「マコトの両親をっ?」


 その言葉にカイトも水色の瞳を大きく瞠(みは)った。

 ふむふむと、大きな白い亀は口をもぐもぐさせている。だが、何かを食べているわけではないらしい。

 カイトは、玄武の次の言葉を待った。じーっと待った。


「・・・・・・」


 しかし、次の言葉はなかった。

 よく聞き耳を立てたら、どこか玄武のそれは、すぴーすぴーとした寝息に変わりかけている。


「ゲンブさん。マコトの両親のことを知っているなら、教えてもらえないか?」


 諦めて、カイトは自分からそう言った。

 その声で驚いたらしい玄武の居眠りタイムがびくっとした反応になって中断される。


「・・・うぉっ? おう、どこまで話しましたかのう」

「何も話してない。マコトの両親の話をしてほしいと、俺が言ったところまでだな」


 こんなボケボケ大亀にどうして俺は真琴を取られているんだろうと、カイトは虚しくなった。


「ふぅむ。どちらの話を聞きたいですかのう」

「まず父親だな」


 やはりここは父親だろうとカイトは考える。

 玄武はぱっしゃぱっしゃと湖で泳いでいる真琴を見た後で、空を見上げた。

 さっきからクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライと、真琴は器用に色々なフォームで楽しんでいる。


「マーコットの両親については他言無用を守れますかのう」

「ああ」

「マーコットの父君はタイガ様とおっしゃいましてなぁ、とても・・・・・・」


 そこで玄武は沈黙した。

 もしかしたら目を開けたまま寝ているのかもしれないと、カイトは諦念の面持ちで先を促した。


「・・・とても?」

「うおっ? そう、とても、・・・でれでれとしたお方でしたのう。マーコット達を腕に抱きましてなぁ、

『こういうのを目に入れても痛くないって言うんだと思うんだが、俺の目は二つしかなくて、うちの子は三人いるんだ。どうしよう』

とか、仰(おっしゃ)っておられましたのう」

「それ、ただの比喩だろ」

「おとーさん、ちょっとぬけてるから」


 いつの間にか近くまで泳いできていた真琴が、湖に下半身を浸けたままで岸に手をついてそう口を挟む。

 

「ねー、玄武さん。お父さんのこと、カイトに話してたの?」

「これから話すところですなぁ。カイト殿は、マーコットと我の仲が良いのでちょっと妬(や)いておられましたのでなあ。マーコットのご両親を我が知ってるというご縁があったのだと説明しとったのですじゃ」


 今日は白と黒でできた水着を着ている真琴は、大人びた雰囲気がある。

 懐かしい面影を探すかのように、玄武は目を細めた。

 けれどもそこで真琴は嬉しそうな顔になる。ぴょんっと勢いをつけて岸へと上がってきた。そうしてカイトの腕にしがみつく。


「ねーねー、カイト。もしかして実は寂しかった? 私、玄武さんにとられたみたいだった? ねーねぶっ」

「黙れ」


 カイトの大きな手が口をがしっと塞(ふさ)いだものだから、真琴はそれ以上言えなくなった。


「ふぅむ、マーコットはまだまだですのぅ。そんな分かりきったことをそう元気に男には尋ねてはならんのですぞ。そういう時はですな、もそっと可愛らしゅうにですなぁ、甘えるような表情で言葉を思わせぶりに少なめにしておかんといけませんなぁ。男とはそれでデレデレになるもんですぞ」


 何故か年寄り、それもボケボケ爺さん亀に男の落とし方を教わる娘がいる。


「あんたも大概、下世話だな」


 どいつもこいつもと、カイトは真琴を腕の中で抱え込んだままぼやいた。

 真琴は話せないように自分の腹に顔を押しつけさせているが、自由にしたら何を言い出すやらだ。


「マコトの親は結局、人間だったのか? ここにいたってことは獣人か魔物だったのか?」

「・・・ふぅむ。タイガ様は人間でいらっしゃいましたのぅ」

「なあ。なんでそのマコトの父親を様付けで呼ぶんだ?」


 玄武の動きが止まる。

 カイトはしばらく待った。そうして十秒後、再び尋ねた。


「なあ。どうしてマコトの父親を様付けで呼ぶのか訊いてもいいか?」

「ああ、それはですなぁ、郷(ごう)に入(い)っては郷(ごう)に従(したが)えと申しますからのう」

「どういう意味だ?」

「マーコットの父君はですのぅ、ディリライトという島で大層な地位に就いておいでだったのですじゃ」

「・・・そりゃジンネル大陸ならそれで様付けで呼びもしようが、ならマジュネルに来たら郷に従うってんで様付けで呼ばなくなるんじゃないのか?」


 玄武が黙りこむ。二十秒程が経過した。


「そう言われてみればそうでしたなぁ」

「・・・おい」

「細かいことを気にしてはなりませんぞ、カイト殿。男は包容力ですじゃ」


 うむうむと頷く純白の大亀は見た目だけは神々しいが、話している内に感動も淡雪のように失せていくボケ老人的存在だ。


「なあ。その包容力は自分より年上の男にも発揮しなくちゃいけないのか?」


 カイトのその疑問を、玄武は黙殺した。


「それはともかく、タイガ様はとてもお優しいお方でしたなぁ。我の甲羅も洗って磨いてくれましてなぁ。そうして仰(おっしゃ)いましたのじゃ。

『せめてたまには起きて磨いた方がいい。せっかく雪のように綺麗な姿なんだ。水藻や泥で隠れるのは勿体(もったい)なさすぎる』

と。

 なんでもタイガ様が暮らしておられたディリライト諸島は暑くてですな、タイガ様は初めて雪を見た時に、こんな美しい景色があるのかと感激したそうでしてなぁ。だから同じように我の美しさに感動してくださったそうですじゃ」


 同じくせっせとこの玄武の甲羅を洗って磨いたカイトは思った。


(それ、単に時間が経てば経つ程、落としにくいから閉口しただけだろ)


 ものは言いようだ。そう思うしかない。


「そしてですなぁ、我に名がないと知ると、セッカという名前をつけてくれましてなぁ。さすがに我が口を開いて喋り出したらその誤解に気づいて名前はなかったことになりましたがのぅ、面倒見の良いお方でしたなぁ」

「なんで名前がなかったことになるんだ?」


 カイトは首を傾げた。

 そこでカイトの手の力も緩んでいた真琴が、顔を上にあげて説明する。


「それね、お父さん、玄武さんを女の子だと思ったからだよ。雪華(せっか)って、雪の花って意味なの。雪のように綺麗だって意味でつけようとしたんだって」

「・・・どうやったらそんな誤解を」


 カイトも北の生まれだ。

 雪の結晶が花のように美しいことはよく知っている。

 けれどもボケボケ爺さんを女の子と間違う過程が理解できない。


「ふぅむ。思うに、我が喋らなかったからでしょうなぁ。あの頃は、我も会話をするというものに価値を見出しておりませんでしてのぅ。だから頷くか、首を振るかですませておったのですじゃ」


 単に横着(おうちゃく)なだけだろ。

 そう思ったカイトは、どうして爺さん亀だと知ったタイガが名前を付け直さなかったか、分かったような気がした。


(気が抜けたんだな、こののんびりペースに)


 しょうがない。相手は耄碌(もうろく)した爺さん亀だ。

 

(だが、ディリライト諸島出身者か。そう言えば、マコトを逃がしてほしいと依頼してきた時、ハルカちゃんもその地名を出していた)


 父親の故郷ならそれも理解できる。だが、そうなればやはり神殿関係者というわけではなかったのか。

 だが、あの真琴の口ぶりで、本当に母親は再婚したのだろうか。

 全くもって状況が分からない。


「大層(たいそう)な地位と言うが、マコトの父親はディリライトで何をしてたんだ?」

「そこが口外無用というわけでしての。・・・タイガ様は、ご自分は死んだことにしてその地を離れてきましたのじゃ。本来はディリライトの首長になるべきお方だったそうでしてなぁ」

「しょうがないよ。お父さん、お母さん大好きだったから」


 カイトは自分の両腕にはまっている半手甲を見下ろした。


「ちょっと待て。となると、お前の父親の形見だっていうコレは・・・」

「おんやぁ? どこかで見たようなと思っておりましたが、タイガ様の持ち物でしたかの」

「お父さんのだからって、遥佳がカイトに『使って』って渡したの」

「なるほどですなぁ。よう似合(にお)うとりますのぅ」


 ほのぼのと会話する玄武と真琴だが、カイトはどうもこの二人と話していると、話が脱線するように思えて仕方ない。


「そうじゃないだろっ。つまりこれは、お前の父親がディリライトで使っていたってことか?」


 ディリライト諸島。

 そこは王政ではなかったが、似たようなものだ。首長が島々を治めている。

 けれども長閑(のどか)な南国に見えて、戦う海の一族だと、カイトも話には聞いていた。


「そうなのかなぁ? 私、そのディリライトって行ったことないから分かんない。だけどお父さん、それ、気に入ってたんだよね。地味な色合いだけど宝石とか金とか使ってあるから正式な場所でも問題なくつけておけるし、だけどかなり頑丈だから、いきなり切りつけられてもそれで防げるって」

「切りつけられるの前提って時点で一般人じゃないだろ」


 やはりそれは戦う人間の思考だと、カイトは思った。

 いや、これを見た時から分かってはいたが。

 自分には牙と爪がある。だからさほど装備に頼る必要はない。

 けれども人の身なればそうも言えなかっただろう。


「父親はディリライトの首長の一族出身、それも直系だったっていうのは分かった。なら母親はどうなんだ?」


 すると真琴がそのセピア色の瞳に頼りなげな光を浮かべてカイトを仰ぎ見る。


「カイト、お母さんのこと、興味あるの?」

「お前な。いいかげん、ここまできたらいいだろが」


 小さく語り合う二人に、玄武は何を思ったのか。

 ふぅっと溜め息をついた。

 その鼻息で、落ちてきた葉っぱがひゅーっと湖の方へ飛ばされて水面に落ちる。

 

「シア様はですなぁ、とても・・・」


 そこで三十秒が経過した。

 なんだか嫌になりながらも、カイトは次を急(せ)かす。


「とても?」

「そう、とても、・・・悲しみを知るお方でしたな」

「は?」


 カイトは意外な言葉に面食らった。


「優しく思いやり深いからこそ、その嘆きを知るお方。孤独であればこそ、支え合う意味を知るお方。今も思い出すのは、あの方の優しさゆえの強さと・・・・・・」


 そこで玄武は黙りこむ。

 次の言葉を待って四十秒が経過したカイトは、もう諦める気持ちがかなり増してきていた。


「優しさゆえの強さと?」

「・・・ふぉっ? おう、おうおう、・・・そうですなぁ。マーコット達を大事そうに見つめておられましたなぁ」


 もしかして寝ていたのか?

 こんなボケ亀の言う言葉を信用していいのだろうかと、カイトの中に疑問がわき起こる。


「本来はお一人だけのところを、三人のお子をお産みになられましたのはなぁ。・・・そうすれば互いに手を取り合って支え合って、そうして幸せに生きてほしいと、そう願っておいででしたな」

「本来は一人って?」


 子供の数など産まれたらそれまでだ。マジュネル大陸は自分が産む子にそこまで固執しない。

 たしかに人間はある程度を計画立てて産んだりするとは聞いていたが、本来の数など決められているものではないだろうと、カイトはそこを指摘しようとした。


「私っ、泳いでくるっ」


 けれどもそこで、真琴が浮かび上がった涙を見られない内にと、湖に飛び込む。

 バッシャーンと大きな水しぶきが立った。


「マコトッ! せめて静かに入れっ」


 思いっきりその水を浴びてしまったカイトが叱りつける時には、湖面の下だ。


「全くあいつは・・・」


 頭から濡れたそれを服の袖で拭きながら、カイトはぼやいた。

 どうしてああもいきなり動くのか。あの脈絡のなさはなんなんだ。

 そりゃ、そういう所が可愛いんだから仕方ないんだが、だからと言って・・・。


「まあまあ。なんならカイト殿も泳いでいらしてはいかがですかのぅ。今日は良い水泳日和ですじゃ」

「ゲンブさんにとっちゃ、いつでも水泳日和だろうが」


 雨が降ったら、「水面の下なら関係ありませんなぁ」と、水底と一体化する。

 そして晴れ上がった日には、「こういう日は涼むに限りますなぁ」と、水底に沈んでいる大亀だ。


「おお。一本とられましたなぁ」


 そんなことを言っている間、真琴は一度も浮かんでこなかった。


「マコト? おかしいな、そろそろ息が続かないんじゃないか?」

「おや? ・・・まさかっ」


 この湖はとても澄んでいて、水底までよく見える。

 けれどもあまりにも上がってこない真琴に気づいてカイトが焦れば、玄武も慌てて湖の中へ探しに行こうとする。


「マコトッ! マコトッ!?」

「・・・なんということですじゃ」


 湖の中から真琴の姿は消えていた。






 いつも、一緒だった。

 同じ容姿でありながら中身は全く違う自分達を、両親は分け隔てなく愛してくれていた。

 そう思えば、流れそうになる涙を見られたくなくて、真琴は湖に飛びこんだ。


――― 本来はお一人だけのところを、三人のお子をお産みになられましたのはなぁ。・・・そうすれば互いに手を取り合って支え合って、そうして幸せに ―――


 そう、本来、女神の神子は一人だけなのだ。

 その代替わりに際して、女神は一人の子供を産む。次の女神を育む神子を。

 だけど自分は知らない。どうやれば次の女神が生まれてくるのか。


(優理なら知ってるんだろうけど。・・・優理、遥佳。だけど二人とも、幸せなの?)


 そうだ。両親はきっと自分達の幸せだけを望んでくれただろう。

 遥佳はきっと大丈夫だ。だってイスマルクもヴィゴラスも傍にいる筈だから。

 だけど優理は? いつだって気丈に振る舞う優理は、あれで実は子供っぽいところもあるのだ。

 本当に一人で平気な人なんていない。


(私達は何の為に三人で・・・)


 分からない、自分には。

 だけど本当は、二人の近くにいた方が良かったのではないかという疑念が消えない。

 だって今の自分はこの世界に戻ったばかりの頼りない自分じゃない。きっと優理や遥佳を支えられる。

 玄武に教えてもらって、今では少しだけど自然の力を分けてもらえるようになった。

 だから水はもう自分の行く手を遮らない。その気になれば魚のように驚異的なスピードで泳げるようにもなっている。今はそのスピードをセーブしているぐらいだ。

 風に浮くこともできるようになった。あと少しで風の妖精(シルフ)達の言葉も完全に聞き取れるようになるだろう。

 

(会いたいよ、優理、遥佳。今、とっても。本当に私は、ここにいていいの?)


 本当は自分にもできることがあったのではないだろうか。

 心が望まずにはいられない。

 自分達は三人で一つだった。

 ずっとそのままで生きていくのだと思っていた。

 

(どうして私達は離れなくちゃいけなかったんだろう。一人だった筈が三人に分けられているなら)


 顔を見られたくないから湖の底近くまで潜って、だけどそこはとても不思議な世界だ。

 水の中から見る空は、その光の屈折が青や緑を帯びた黄色い光となって煌めいている。


(綺麗。まるでお母さんみたい)


 世界に愛されていた母を思い出す。

 真琴の体が水底に吸い込まれていった。

 まるでその体を包み込むかのように。






 大きくても透明な湖だ。


「マコトを探してくれっ。どこかで足を攣(つ)ったりしてるのかもしれないっ」


 風の妖精(シルフ)に頼んで湖の上からも捜索してもらい、カイトもまた湖の中へと飛びこむ。

 玄武も湖の底を隅から隅まで探し回った。

 だが、真琴は見つからなかった。


「溺れていても水底にいる筈だっ。どこか岩の陰で見えないのかもしれないっ」


 あまりにも長く呼吸ができなければ命に係わる。

 カイトは焦っていた。

 シルフもまた、その姿を隠す余裕もなく、凄いスピードで湖の上空を縦横無尽に飛び回る。


「落ち着いてくだされや、カイト殿」

「これが落ち着いていられるかっ!」


 だが、玄武は再び潜ろうとするカイトをその大きな前足で制した。


「放してくれっ」

「カイト殿。マーコットは恐らく、ここから移動したのですじゃ」

「移動っ?」


 どうやら何かを知っているらしい玄武の様子に、カイトも潜ろうとしていたそれを取りやめる。

 そうと察して、シルフ達も玄武の近くへと寄って来た。そうしてぐるぐるぐるぐると、まるで機嫌の悪い蜂のようにその周囲を飛び回る。


「シルフも落ち着くがよい。マーコットはご無事に違いないからの」


 玄武はうるさそうに頭を振った。

 その言葉に、シルフも風の勢いを緩めて落ち着き始める。


「実はこの湖の底には、違う場所へ続く通路のようなものがありましての。まだマーコットには教えとりませんでしたが、きっと無意識にそれを使ってしまったに違いありませんのじゃ」

「・・・ならっ、その使い方を教えてくれっ。どこへ行ったにせよ、その先で何があるかも分からんっ」


 けれども玄武は首をぐいっと横に振った。


「それはできませんのじゃ。いや、説明してもカイト殿では通れぬ道・・・」

「それだけ細い水路ということかっ?」


 湖底にトンネルがあり、そこを通って真琴は違う場所へ行ってしまったのだろう。

 そう思ったカイトは、どこかで真琴がつっかえて通れなくなっていたらどうなるのかと、顔を青ざめさせた。


「なら入口で引っ掛かってるかもしれないっ。まずはそこを教えてくれっ」

「そうではありませんのじゃ。これがマーコットが一緒ならばカイト殿も通れたでしょうが、そうでないなら通れない道という意味ですのじゃ」

「何故っ」


 身の軽さでは真琴の方が上をいくだろうが、それでもカイトとて決して遅くはないし、不器用でもない。

 二人なら通れるが一人なら通れないだなんて、そんな筈がないだろう。

 そんなカイトの苛立ちが、玄武にも伝わってくる。

 どうしたものかと、玄武は思わずにいられなかった。

 カイトは心から真琴の身を案じている。

 けれども説明するとなると、まだ真琴が話していないその素性を語らねばならないのだ。


「カイト殿・・・。我はこの山の守(も)り人(びと)。そしてこの山は、・・・女神様が様々な大陸を行き来する際の通路として存在しとりましたのじゃ」


 カイトは、大きくその水色の瞳を見開いた。


「シアラスティネル様の・・・?」


 玄武は頷いた。

 カイトはあまりにも意外な話に、口をぱくぱくさせてしまったが、すぐに気を取り直し、玄武へ頭を下げた。


「そういうことならばすぐに引き払わせていただきましょう。分かっておりましたならば踏み荒らすような真似はいたしませんでした。ですが、マコトは・・・」


 女神に直接仕えていたとなったら、カイトとて玄武に敬意をはらう。


「いや、そうではありませんのじゃ。あなた方は、この山に住まう権利をお持ちですのじゃ」

「は?」


 玄武は、何とも悲しげな顔になった。


「きっとマーコットは、その通路を通ってしまったのでありましょう。ただ、繋がっている先は何ヶ所かありましてなぁ。そしてマーコットはまだそれを知らぬわけでして、どこへ行ってしもうたか、我でも分かりませんのじゃ。普通は行き先を強くイメージして行くから迷子になる筈もないのですがのぅ」

「女神シアラスティネル様のお使いになっていた通路ならば危険はないのでしょうが、マコトが通れて俺が通れないというのは、女性しか通れないということでしょうか?」


 カイトが尋ねれば、玄武も黙りこむしかない。


「ゲンブさん?」

「カイト殿でも通れないことはありませんがのぅ。しかしそれはこの山に入ってきた時と同じ条件がつきますのじゃ」

「条件?」


 自分がここに住み着いたのは、真琴と二人で暮らしやすそうな場所だと思ったからだ。

 この山は誰もが長居できない空気があるらしく、本当に人の気配はなかった。


「この山にいらした時、おそらくカイト殿はマーコットと共におられましたな? 通路も同じことでしてのぅ。マーコットが一緒におればカイト殿も通れることでありましょう。そういうことですじゃ」

「・・・・・・って」


 カイトの脳裏に、考えたくない一つの仮定が浮かび上がる。


「まさか・・・」


 玄武は頷いた。


「この通路をお使いになれるのは女神シアラスティネル様、そしてそのお子でいらっしゃいます優理様、遥佳様、真琴様。・・・そして、このお方々が共に連れていかれる方だけですのじゃ」


 カイトの顔から表情が抜け落ちる。

 それは、ほとんど絶望といっていいものだった。






 ある意味、気が抜けたというのはこんな感じなのかもしれない。

 木に凭(もた)れかかるようにして地面に座りこみ、カイトは静かな湖面を見ていた。

 澄んだ水が湛えられた、とても美しい湖だ。


「カイト殿。マーコットはですなぁ、本当にあなたのことがお好きだったのですぞ」


 そんな玄武の言葉も耳に入らない。

 気力を奮い起こそうにも、その気持ちが抜けていった。

 どんなものからも守ってあげたいと思っていた愛しい存在が、実は自分など全く必要ない程に世界から愛され守られている存在だったと知って、あまりの道化っぷりに言葉も出ない。


(ただの、マコトで良かったんだ)


 誰に虐げられようと、追われようと、利用されようとしていたのであっても、そんなことはないと言ってやりたかった。

 産まれてきた以上は幸せになる価値があるのだと、自信を持たせて幸せを感じさせてやりたかった。

 柵(しがらみ)があるというのなら、全てから逃がして自由にしてやりたかった。

 自分の群れの子として可愛がり、誰よりも愛し、いつか自分と同じ群れを・・・・・・。

 

(そりゃ神殿も必死だっただろう)


 何があろうと真琴を見つけ出そうとしないわけがない。

 あの矢傷はそうなると、本当に神子だと知らなかったがゆえのことだったろう。


「お前達も、・・・知ってたんだな」


 少し視線を上げれば、風の妖精(シルフ)達が心配そうにカイトの周囲を飛び回っている。

 そうだ。ゲヨネル大陸に生息する妖精が懐くとしたら、それがただの人間である筈がなかったのだ。

 幻獣か妖精の血を引くのかと思っていた自分が愚かだったのだろう。

 ジンネル大陸で働く内に、色々な事情を抱える人々を見てきた。だからその事情には触れないことこそが、かさぶたになった傷を掻きむしらない何よりもの配慮だと思っていた。そうやって尋ねなかったことが裏目に出ただけだ。


「どこに行ったか知らないが、お前達なら空を飛んでいけるんだろう? 見つけられるならそこへ行ってやってくれ。・・・寂しがり屋だから、行ってしまった先で泣いてるかもしれない。ちゃんと行き先を強く念じれば帰れるのだと、お前達の言葉が分からないから教えてあげられないにしても、それでもお前達がいてくれれば泣かないですむだろう?」


 頼むよと声を掛ければ、シルフ達が次々と上空へ舞い上がり、姿を風の中へと消していく。


「カイト殿」

「俺は、・・・恨んでるわけじゃないんです。ゲンブさん」


 カイトは自分の中の思いを言葉にしようとして、それでも思い出が多すぎて言葉にならないそれに、咽喉を詰まらせた。

 そうだ。話してくれなかったことを恨んでるわけではない。


「大事な秘密だ。言えなかったのは分かる。そう、無分別に話していい秘密じゃない」


 思えば、いつも真琴は不安そうな顔をしていた。カイトの顔色を窺うように、涙を溜めて。そうして愛を囁けば嬉しそうな顔になって。

 だけど、いつだって自分を見れば笑顔になって駆け寄ってきたのだ。

 本気で愛していた。今も愛している。

 けれども、どうしていいかが分からない。

 

(マコト。俺はお前を・・・)


 その日、日が暮れて夜になってもカイトはそこで座っていた。


「カイト殿。マーコットが戻ってきたらすぐにお知らせしますからのぅ。だから休んでくだされ」

「俺は獣人です。たかがこの程度でへばることはありません」


 けれども二日過ぎても、三日が経過しても、真琴は戻ってこなかった。


「やはりあちらで迷子になっておられるのでしょう。守り人はそこから離れなければいいだけですからのぅ。目を覚ましておれば、すぐにマーコットへ帰り方をお教えしたと思うんですがなぁ」


 神子達を普通の子供のように育ててあげたいと考えた女神シアラスティネルによって、神子達は違う世界へと送られて育っていた。そうなると女神とその伴侶も体だけはこの世界に留まらせて精神だけをあちらの世界に渡らせる。

 そういう理由で守り人達も、ならば起きていても仕方ないと眠りについていたのだと、玄武が説明した。


「なるほど。道理で世間知らずというか、常識知らずだと思った」


 ククッと小さく笑いながら、カイトが愛しげに目を細める。

 誰もが知っていることを何一つ知らず、それでいて好奇心を隠さなかった愛しい存在。今、どこにいて何をしているのか。

 

(それでもマコト。お前はもう子供じゃない)


 誰に頼ればいいかも、右も左も全く分からない、そんな傷つき血を流していた子供ではないのだ。

 今の真琴は美しい娘となり、その素性を知らなくても誰もが大事にするだろう。


(そう、俺じゃなくても。そしてお前は、ちゃんと自分の意思で世界を見てから決める権利があるんだ)


 カイトは立ち上がり、家の中に入った。そうして様々な物を処分していく。

 それなりの時間はかかったが、全てを片付けると荷物をまとめて旅支度を整えた。

 家から出て行けば、玄武は湖の上でぷかぷかと浮かんでいる。


「どこに行かれるのですかな、カイト殿?」

「もう、俺は必要ないでしょうから」


 カイトは玄武に頭を下げた。


「彼女の使っていた物は全て整理して置いてあります。豚は塩漬け肉にしておきましたので腐りません。鶏はすみませんが、ここにある餌をたまに撒いてやってください。面倒なら放し飼いにしておいてくだされば結構です」

「まさか、・・・出ておいきになるんですかの?」


 カイトは寂しげに口の端を上げる。


「ここにはゲンブさんもいます。だから戻ってきても安心して暮らせる筈です。そして、もしも辿りついた先で誰かに会って、そうして、そこで暮らしていたとしても・・・、彼女を大事にしない男はいないでしょう。俺は傷ついた彼女を助けたから、だから、・・・それだけだったのに、・・・いい夢を見せてもらったと思ってます」


 その腕には、いつも嵌めていた手甲もなかった。


「お待ちくだされ、カイト殿。マーコットは、本気であなたのことを・・・」

「俺も本気でした。だからこそ、・・・シアラスティネル様の神子様に対して、つけこむような真似をした自分を許せません」

「・・・・・・カイト殿」


 引き留めても無駄だと、玄武は悟らずにいられなかった。

 彼は決めてしまったのだ。

 再び一礼すると、踵をかえして山を下りていったカイトの姿はすぐに見えなくなる。


(高貴な美女を手に入れてこそと思う男もいるというのに、それを良しとせぬか。だからこそ遥佳様も、カイト殿にならば真琴様を任せられると、そう思ってタイガ様の形見を渡したのだろうに)


 カイトの男としての矜持が、真琴の身分を有り難がるような男に成り下がる気はないとするのだろう。

 玄武は岸へとあがり、そうして人の姿となった。

 そこに現れたのは、白く長い髪が足首まで届く若く細身な男の姿だ。僅かにカイトよりは背が低いだろう。けれども細身なので、服を着ていたら女性と見間違う人も出るに違いない。

 ふわりと一振りで現れたシルク製のようなバスローブみたいなものを羽織り、玄武は歩きだした。


(この姿になると、目の前が髪で見えなくなるのが困りものなのじゃがのう)


 顔も長い前髪が足首まで覆っているのだから、鬱陶しいことこの上ない。

 水で貼りつく前髪を手で梳きながら後頭部へと流せば、まさに女顔の青年であると分かるが、その髪も一瞬で乾いていた。

 しかし、その足取りはのんびりとしたものである。


「久しぶりすぎると、足の動かし方が分からんのぅ」


 玄武はほてほてと家の中へ入っていった。見た目は儚い美女のような美青年だが、全ての行動は完全に耄碌(もうろく)爺さんである。


(煙がかなり出ておったが、やはり料理していたわけではなかったか。恐らくは自分の存在を枷(かせ)にしまいと思ってであろうが)


 その暖炉が発生させた暖かい空気が、家の中にまだ残っている。

 テーブルの上に置かれたメモには、

「金は、部屋のクローゼットの中に入っている。元気で」

と、書かれていた。

 そのメモを押さえつけるように置かれていたのは、タイガの形見である半手甲。

 カイトの部屋は完全に片付けられ、暖炉に残っていた灰は、カイトの私物を燃やした名残りだろう。

 そうして真琴の部屋に置かれている沢山の綺麗な衣服。クローゼットの中には、真琴が一生困らないだけの大金が置かれていた。


(困ったのう。しかし言わずにカイト殿の心配を解消する手段もなかったとあっては・・・)


 そこで玄武は空中に向かって呼びかけた。


「これこれ。残ったシルフ達」


 すると一緒に家の中へ入ってきていたシルフ達が、ひらりひらりと姿を現わす。いつもは家の中までは入らないようにしていたが、玄武にくっついて入ってきていたのだ。

 カイトには真琴の所へ行ってやってくれと言われたが、この湖と繋がっている場所は何ヶ所かある為、もしもそこに行っても真琴がとっくに移動していないとも限らず、そうなると全てをまわっても見つけられない可能性があった。

 確実に会おうと思ったらここに留まった方がいいと、そう判断したシルフも多かったのである。


「この手甲程度なら運べよう。適当なところでカイト殿の荷物に紛れさせてやっておくれ。これを置いていかれては、マーコットも傷つかれようからの」


 カイトは、真琴から何一つ奪うつもりはないと、そういうつもりでタイガの形見を置いていったのだろう。

 けれども真琴がそれを見たなら、それはもう完全な拒絶にしか思えないに違いない。


(眠りもせずに三日間、湖を見続けていたカイト殿じゃ。今も心を残しておられるのだろうに)


 シルフ達が協力して運んでいく半手甲が、空を飛んでいく。よろよろとしているのは、シルフにとってかなり重いからだろう。

 玄武は家の外に出て、それを見送った。


(マーコットが姿を消されたということは、きっと他の場所か、他の方のことをお考えになっておられたにしても・・・。どうも男心を分かっていなさすぎるのが困りものじゃのう)


 けれどもあれだけカイトと楽しそうに暮らしていた真琴だ。

 帰ろうとしない筈がない。


(ある程度の使い方はマスターなされておられるから危害を加えられたりすることはないと思うんじゃが。今頃どうしておられるのか)


 玄武は大きな白い亀の姿になり、真琴が戻ってくる気配を探して湖の中で泳ぎ始めた。


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