58 ミザンガで優理をドレイクが待っていた
ギバティ王国の隣国であるミザンガ王国は、キマリー国の隣国でもある。
そこへエミリールと共に向かっていた優理だが、エミリールはとてもいい旅仲間だった。
「本当にエミリアちゃんって男装が似合ってるのね。最初は可愛いから無理だって思ったけど、やってみたら長い髪なのに全く違和感ないもの」
「そう? 嬉しいわ。・・・あら、いけない。こういう時は、『そうかい、嬉しいよ』って言うのよね」
ふふっと笑いながら同じ馬に優理を乗せてくれているエミリールは、こうやってわざと男言葉を低い声で言ってくれたりするのだが、それもまたお茶目で楽しい。
長い金の巻き毛を一つに束ねて革紐で結んでいる姿はきりっとしていて、だけど巻き毛だから少しほつれて顔にかかるのが少し甘さを演出する。
「んもうっ。そのどう見ても男ですって格好しといて女の子らしい言葉づかい、似合わないってばぁっ。笑わせないでっ」
「あらやだわ。あんなにも私のこと、可愛いって言ってくれたのに。ユーリちゃんったら冷たぁい」
荷物は驢馬に載せ、二人は色々とお喋りしながら旅を続けていた。
「だって見た目はとってもカッコいいもの。私が『エミリール』って話しかけたもんだから、さっきの市場でもエミリアちゃんに声かけてたお姉さんに睨まれたじゃない」
「やあねぇ。それはユーリちゃんが可愛かったから、お姉さんもびっくりしただけよ」
「・・・・・・それはないと思う」
うん、それは嘘だ。だって優理は二人の話を風下で聞いてしまった。
彼女はエミリールが男だと思って誘ってきたのだ。
それはまずいと思ったから優理も声をかけたのだが、どうやら恋人出現というのでムカつかれたらしく、彼女から睨まれたのである。
(エミリアちゃん。見た目は男だけど女の子だから、女の子の気持ちが分かる男の人って感じがして安心できるし、楽しいのよね)
若い娘が二人よりも、若い男女という方がまだトラブルは少ない。
それに何より、エミリールはそれなりに剣の腕も確かだった。
「だけどエミリアちゃん、強くてびっくりしちゃった」
「うふふ。ディッダス子爵家ではね、騎士を連れていないと格好がつかないって時は、私が男装して騎士に扮していたのよ。だからそこそこのことではまずばれないわ」
「・・・・・・優秀さが凄すぎる」
その強さに感動していいのか、涙がほろりとしてしまう程に気の毒な話なのか、そこが分からない優理だ。
貴族令嬢でありながら、小間使いの仕事も騎士の仕事も、必要とあれば従僕の仕事もできるらしい。
(なんて凄いスペックなの、エミリアちゃん。どこでも生きていけちゃうじゃないの。こういう優秀な人こそキマリー国は取り立てるべきだわ)
本人は、貧乏が憎いとか、赤貧って辛いわぁとか、そんなことを言うけれども、そこで全てマスターしてしまうところが凄すぎる。
しかも優理と兄妹設定もお手の物の演技力だった。
そうして宿屋では同じ部屋に寝泊まりしながら、二人はミザンガ王国の首都・ザンガへと向かっているのである。
(ありがとう、レイス。あなたのくれた鍵がこんなことで役立つなんて・・・!)
行く当てがあるというのはいいことだ。
さすがに今の時点でギバティールへ戻ろうと思う程、優理もキースヘルムを侮るつもりはない。
(もう、あの炙り出しには気づかれてるわよね。私がちゃっかり報酬もらって働いたのもバレていそうだし)
それなら伝えなければ良かっただけのことだ。
けれども、それは優理が我慢できないのである。
騙されていたと知ったなら、きっちりとそれを伝えておかねば黙認したことになるではないか。
キースヘルムにはちゃんとキリキリ悔しがらせてやらねば、気がすまない。
(信っじらんない。真面目にせっせと働いてんだなぁって感心してたし、お風呂も身なりもきっちりしていて衛生にも気を遣ってるんだなって評価してたのに)
あの時、キースヘルムの匿った隠れ家を割り出してシンクエンが要求する貴族情報を調べていたら、ついでに知ってしまったその貴族とキースヘルムの情事。
まさかと思ってキースヘルムの過去の動きを探ったら、出てくる出てくる爛れた関係。
(もう二度とっ、キースヘルムの飴なんて舐めないっ)
まさかキマリー国行きの道中でも、自分に眠り薬を与えて抜け出して遊びまわっていたとは。
それを知った時の自分の怒りを、キースヘルムは知らない。
いや、今頃はもう理解しているだろう。金貨200枚と引き換えに。
「あら、どうしたの、ユーリちゃん? ほっぺが膨れてるわよ」
後ろにいるエミリールが、優理の頬をツンツンとしてくる。
「なんでもないわ。ミザンガ王国って、行く当てはあるんだけど、行ったことはないからどんな場所なのかなぁって思ってただけ」
「言われてみれば、私もミザンガ王国ってザンガの中心地しか知らないわね」
「え? 行ったことあるんだ?」
貧乏貴族の令嬢なのに、まさか外国訪問したことがあったとは。
優理が驚くと、エミリールは困ったように笑った。
「実はロルファンの士官学校に通わせるお金が足りなくて、だから資金稼ぎの一つで護衛の仕事を請け負ったことがあったかしらね?」
「・・・・・・えっと」
「あ、そんなに深刻そうな顔しないで。かえって外国でのお仕事の方が顔も知られにくいし、支払い金額もいいし、悪くない話だったのよ? それに個室を与えられるぐらいに待遇も良かったの」
聞くんじゃなかった。
そんな顔になった優理に、焦ったような口調でエミリールが場を和ませようとする。
(なんでこんなに苦労人なんだろう、エミリアちゃん。それでも真面目に働いてたなんて)
気づけば、馬の手綱をとる手も、節くれだっていて鍛えられていると分かる。
手袋をしているから気づきにくいけれど。
(だけどエミリアちゃんがいてくれて良かった。こんないい人が存在しただなんて)
そんなことを思うのは、一人じゃないからかもしれない。
その地位を捨てた貴族令嬢なら、自分を利用しないだろうと思えるからかもしれない。
結局、自分は怖いのだ。
誰かに利用されることが。
そう思い、優理はそっと目を閉じる。
(遥佳、真琴。私は・・・)
それでも懐かしい二人を思えば勇気が湧いてくる。二人を守ろうと思うからこそ、自分は強くなれる。
だから優理は気分を切り替えた。
「期待しててねっ、エミリアちゃんっ。ちゃんと隠れ家に着いたら、思いっきり美味しい手料理をふるまうから」
「うわぁ、嬉しいっ。料理は一応できるんだけど、あまり好きじゃないのよ、私」
エミリールが心底から嬉しそうな声になる。
「そこが不思議。エミリアちゃんなら何でも身につけていそうなのに」
「うーん。お料理はねぇ、野宿用とかなら慣れてるんだけど。きちんと作るのは料理人の世界でしょ。だからそこまではね。お金にならない技能は身につけてないのよ」
「・・・はあ」
だけど食べるのは好きらしい。一緒にいても、優理よりよく食べていた。
この友情に応える為にもとびきり美味しい料理を作ってあげようと、優理は決意した。
レイスにもらった鍵は、紐に通して首に提げていた。
(扉に描かれている水晶玉の絵って、私の為に描いてくれたのよね。そういうとこはレイス、気が利くんだけど)
だからミザンガ王国にあるその隠れ家に辿り着いたら、優理はその鍵でどっしりとした扉を開ける。
連れていた馬と驢馬は、その内側にある厩に繋いだ。
「ちょっと待っててね、ユーリちゃん。飼い葉はここにあるのを使っていいのかしら。お水は井戸から汲めばいいわね」
「飼い葉は勝手に使っていいと思うわ。そのあたり、ケチケチしてないもの。そうね、お水もあげなきゃ」
男装しているエミリールは、人前では低い声を出していても、こうして二人きりだと女言葉である。この格好いい姿で女の声と女言葉というのはあまりにも笑えて仕方なかったが、いまはもう慣れてしまった。優理だって普通に会話してしまう。
そうして更に内側にある扉が、本当の家の扉だ。それは同じ鍵で開けられた。
「へえ。かなり頑丈な造りの家なのね」
「ユーリちゃんったら。凄いじゃないの、こんな家まで貢がせちゃうだなんて。んもうっ、この悪女っ」
「貢がせてない、貢がせてないから」
あれは、押しつけられたというのだ。
しかしこの隠れ家の存在があればこそ、遠慮なくキースヘルムに最後っ屁をかませることができた優理である。
(逃げ場所があるというのはいいことだわ。しかも無料)
そう思いながら入れば、一階は広々とした部屋だった。厨房と居間が一緒くたになっているのか、壁に取りつけられた棚には酒瓶がずらりと並んでいる。
「なんや、もう来たんか。思たより早かったやんか。まあ、着いたばかりなら疲れとるやろ。特別に茶ぁぐらい淹れたるわ」
「あ、どーも」
「あら、お世話になります」
長椅子の背に隠れて姿が見えなかったが、人の声で起きたらしいドレイクが欠伸しながら立ち上がり、二人に声を掛けてきた。
(あれ? どうしてこんな所にいるの?)
つい、反射的に礼を言ってしまった優理だが、その顔をぽけっと見てしまう。
「かまへん。なんや、言葉聞いたら女や思たら、男やったんか? ほんま、男の途切れん奴っちゃな」
ドレイクはドレイクで、二人の会話だけを聞いている分には娘二人に思えたのが、起きて見てみたら兵士の格好をしているエミリールと可愛らしく髪をボブカットにした優理だったので、何とも変な顔になった。
「訂正しなさいよ。誰が男の途切れない女なのよ」
「自覚もないんか、重症やな。キースヘルムとなぁに楽しそーに出かけとんのや」
「あれは連れ攫われたのっ」
事実を誤認するんじゃないと、力をこめて主張した優理だったが、ドレイクは鼻ではんっと笑ってそのまま湯を沸かしに行ってしまう。
「せやけど、そりゃ感心せぇへんわ。普通、男に渡された家の鍵使うて違ゃう男を連れ込むもんやない。最低限の義理は通しや」
ミザンガ王国ならではの煮出し茶を作りながら、ドレイクは優理に冷たい瞳を向けた。
「エミリアちゃんは女の子よっ」
「・・・女?」
「そうっ。道中、危険だからって男装してくれてたんじゃないっ」
「ほな話は別や。ま、出来上がるまでに手ぇ洗ってき。荷物は二階ン階段を上がったすぐん部屋と、そこと並んだ奥の部屋を使うとええわ」
「あ、ありがと」
「すみません。お世話になります」
「ええねん。どうせここは俺のもんやないよってな」
荷物を二階の部屋に置き、二人が体を軽く拭いて着替えてから下りていくと、そこには煮出し茶と菓子が出されていた。
「あまり甘いもんは好かんくてな。甘ぁないけど我慢し」
「そこまで我が儘言わないわよ、私」
「十分です。良かったら食事は私達が作りますから」
可愛らしいエプロンドレスに着替えてきたエミリールはそう言って微笑んでみせる。
「食事なら食べに行った方が安上がりや。で、エミリアゆうたか。なんでこんユーリと一緒なんや」
「キマリー国で一緒になったのよ。お友達なの。エミリアちゃん、とっても凄いのよ。女の子なのにメイドの仕事も、従者の仕事も、馭者の仕事もできる上、騎士や兵士としても有能なんだからっ」
「なんや、それは。お前はん、ほんま自分の役に立つ奴しか連れてこんのな」
「失礼ねっ。そんなこと考えたことないわよっ」
優理が反論しても、ドレイクは取り合わない。
「言い張りゃすむと思とるんやから、お子様は気楽でええわ」
ふわぁっと欠伸してから、ドレイクは茶を啜る。
「それよりなんであんたがここにいるのよ。レイスは?」
「俺がおったら悪いんけ。レイスもカイネも忙しいんや。キースヘルムが持ち帰る女共の買い付けでな」
「・・・・・・サイテー」
そうだった。
こいつらはこういう集団だった。
そう思った優理は、半目になって菓子をぱりぱりと食べた。
あまり甘くはないが、素朴な甘さがじんわりと伝わってくる。野菜のペーストを小麦粉などと混ぜて焼き上げた、ミザンガではよく食べられているものらしい。
「じゃあレイスもカイネさんもギバティールにいるんだ?」
「ああ」
「あんた、そっちにいなくていいの?」
「元々俺らはこっちが庭や。一気に売りさばくんやし、戻ってきとんは当然やろ」
「そりゃそうなんだけど」
そんなことを堂々と主張されても、人身売買など許されると思っているのか。
そう思う優理だが、そこで強く言えないのは、それこそどっぷり加担していたことを自覚しているからである。
「んなことよりも、なんでこっちに来とんのや。キースヘルムと乳繰り合っとったん違ゃうんか」
「誰がっ。こっちがどんな思いで逃げ出してきたと思ってんのっ」
「知らんわ、んなもん」
どちらにしても、ドレイクに説明しないわけにはいかないだろう。
ここで油断していてキースヘルムに再び誘拐されたらとんでもないことになる。
胸算用だけはいつでも忘れない優理は、そんなことを考えてドレイクを見た。
なんだかんだ言っても、ここはミザンガ王国の首都ザンガ。
この地ならキースヘルムよりもドレイクの方が力を持つ。
「わざわざ連れまでおる余裕っぷりで逃げ出してきたんや。なら、どんな思いもこんな思いも、特に難しゅうなかったやろが」
「冗談っ。こっちだってあっちが目を離した隙に色々と小細工できたから、行方をくらますことができたってだけよっ」
というわけで、優理はキースヘルムに攫われてからのことを話し出した。
人間、都合の悪い話は黙っておきたいものだ。
誰だってそうだろう?
褒められることなら口に出しても、怒られたり軽蔑されたりするような話は墓場まで隠し通したい。
そうではないか?
そうじゃないという奴がいたら、単にそれは他人に厳しいという自分に酔っているだけの、よくいる自己満足人間だ。
そういう奴に限って、自分の汚さには目を瞑るものである。
(だから私は私の被害者ぶりを語るのであります。だって私は私の味方)
というわけで、優理はいかに自分が非人道的な手段で連れ攫われたかを切々とドレイクに語っていたのだが、ちゃっかり金貨10枚の報酬や精油などのお買い物については触れずにすませていた。
(だってドレイク、すぐにつっこんでくるんだもん。そしたらまた、私が悪いって怒られるんだもん)
最後の金貨200枚にいたっては、完全になかったことにしている。
優理にとって大事なのは、自分がどんなに哀れな被害者であるかをアピールすることだった。
しかし、いくらレイスに組織の運営を任せているようなドレイクとて、その目は節穴ではない。
「なあ、俺もキースヘルムとはそれなりに上手う付き合うとる仲や。あいつは使うべきとこには使う男やぞ。けち臭くもお前はんにタダ働きさせたたぁ到底思えへんのやがな」
「え?」
「正直に言い。うっとこも正しい情報知らへんかったら一気にその場で持ってかれてまうわ。いくらもろうてきとんねん」
「・・・・・・え」
金の使い方にはメリハリをつける。そうでなくては、まともな世界で生きられない人間を掌握などしておけない。
ましてや自分の所に取り込もうと思っている人間相手に、キースヘルムが最初から値切る筈はないと、ドレイクは見抜いていた。
「えーっと、金貨、10枚・・・?」
「また破格な値段やな。たかが目くらまし役なんぞで金貨10枚たぁ。それを平然と受け取るお前もお前や。そんな怪しげな話、金なんぞ突っ返しとくもんやで。なぁに目先の金に釣られとんねん」
「突っ返すも何も、気づいた時にはギバティールなんて遠く離れてたわよっ、一文無しでっ」
あまりのいたたまれなさに顔を赤くして反論したが、ドレイクは取り合わなかった。
「ま、そん程度ならええわ。たかが金貨10枚。キースヘルムも小娘とはいえ女に使うたなら、その程度はポケットマネーやし、どうこう言わへん筈や」
「・・・・・・うん」
「ねえ、ユーリちゃん。よく関係が分からないけど、この人、それなりにあの逃がし屋さんの元締めと張り合うことができる人なんでしょ? ちゃんと言っておいた方がいいんじゃないの?」
優理から金貨100枚を分けてもらったエミリールである。
これまでの会話から、馬鹿にするようなことしか言ってはいないが、それでも優理を保護する為に働いてくれるのだろうと、ドレイクを見ていた。
(さすがに報酬で得た金貨10枚と、だまし取った200枚とは意味が違いすぎる。言っておかねばまずいだろう)
エミリールは貴族の嫡男、そういった裏稼業の人間とは違う世界で生きてきた身だ。それでも女に使う金貨10枚なら、それなりに荒稼ぎしている男にとってははした金であると知っている。
同時に金貨200枚を騙し取られたとなると、笑ってすませてはくれないだろうと、そうも思うわけだ。
その言葉に、ドレイクが焦げ茶色の眉毛を僅かに上げて優理を呆れたような目で見る。
「なしてこの期に及んでまで誤魔化そ思うんや」
「う。・・・呆れたり、しない?」
とりあえず真琴を思い出して、上目遣いで可愛らしく言ってみる優理だ。
キースヘルムにだって効果はあった。
「呆れるん、決もとるやろ」
しかしキースヘルムと違ってドレイクには通じなかった。
それは、相手が自分に対して可愛らしさを求めるような好意を抱いていることが前提だからである。
だから渋々と優理は口を開く。
「えっと・・・。最後に一芝居打って、金貨200枚もらっちゃったかなぁ? とか?」
「・・・・・・ほう?」
ドレイクの瞳がとても冷たい光を帯びる。
「だけどっ、その内の100枚はエミリアちゃんちの貧乏なおじい様に使ってって言って渡してきたのよっ。それは本当よっ」
「誰も使い道なんぞ聞いとらんわ、こんボケが」
疲れきったような声になったドレイクに、エミリールも天井へと視線を彷徨わせた。
あの優理からもらった金貨100枚はどうせ実家には必要ないので、そのまま旅費兼生活費として持ってきているからである。
しかしドレイクは立ち直るのも早かった。
「もう知らんっ。さっさとキースヘルムの女になっとき。したらそれぐらい可愛いもんや言うてくれるわっ」
「冗談っ」
「はお前じゃっ。なぁに調子こいて要らんことしくさっとんやっ」
自発的にくれてやった報酬ならばともかく、騙し取られたとなったら誰だって怒る。
ましてや相手はキースヘルムだ。金貨1枚だって騙されたならブチ切れるだろう。そしてあの男は、その気になれば兵隊には事欠かないときたものだ。
どうして弱いくせにわざわざ喧嘩を売ってくるのか、この小娘は。
ドレイクは頭痛を堪えながら、尋ねた。
「で。それ、キースヘルムとその手下はもう気づいとんのか? ばれとらんなら、まだ誤魔化しようもあるよってな」
隠蔽工作は、時間が勝負だ。内容によってはどさくさに紛れさせてしまうことができるだろう。
どうせ自分達はキースヘルムとの交渉もある。
そう思ったドレイクだ。
「えーっと、手下さんは知らないと思うけど、キースヘルムは、・・・今頃はもう知ってると思う」
「なんでや」
優理はにへらっと笑おうとしたが、ドレイクの冷たい視線を浴びて失敗してしまう。
「なあ、ユーリちゃん?」
ドレイクは一転、優しげな声になった。ただし声こそ優しそうだが全く瞳は笑っていないという、よくあるパターンだ。
キースヘルムの根城にグリフォンを突っ込ませた優理を、ドレイクは信用などしていなかった。
「なんでなんかと訊いとるんやけどな?」
一言一句に力をこめてドレイクが優理を見据えてくる。
「えーっと、ムカついたので、キースヘルムに渡した紙を炙り出しにしといて、見てみるように仕向けたから、かなぁ?」
「炙り出し?」
「あ、そうそう。見た目は何の変哲もない紙なんだけど、蝋燭とかの火で加熱すれば文字が浮き上がってくるの。それでね、キースヘルムが関係を持った人の名前が出てくるようにしといたから、今頃はその騙された仕返しに私が金貨200枚を持ってったことには気づいてると思う」
「・・・・・・・・・そりゃおもろいことを」
ドレイクは立ち上がり、テーブルの向こう側に座る優理の所まで近づいた。
「別に褒めてくれるなら言葉でもいいけど?」
ドレイクはにっこり笑みを浮かべると、無言でそのこめかみを両の拳でぐりぐりとする。
「きゃあっ」
頭を撫でてくれるのかなと思った優理が、あまりの痛みに悲鳴をあげた。
なんということだろう。ライバルのキースヘルムに一泡吹かせた優理を褒めるどころか、ドレイクは攻撃してきたのである。
「痛っ、痛いってばっ。やめてよっ、馬鹿ドレイクッ」
やだぁっと、ドレイクの手を止めようとする優理だったが、ドレイクの力には敵わなかった。
「痛くないと分からへんのやろっ。ここかっ? 馬鹿なおつむはここなんかっ」
「痛いぃっ」
それでも本気で痛めつける気はなかったらしい。
「ドレイクの馬鹿っ」
すぐに止めてはくれたが、優理は涙が滲んだ目でドレイクを睨みつけた。
「アホか。誰が聞いても馬鹿はお前や」
エミリールも優理を庇ってやりたい気持ちは山々なのだが、たしかに痛い目に遭わないとこのお嬢さんは反省しないだろうなと思うので、何も言えない。
(炙り出しとは、面白いことを知ってるんだな。あの情報力といい、なかなか頭は悪くないようなんだが、・・・やってることは間が抜けているような気もしなくもない)
こうして並んでいる姿を見れば、二人の色合いはよく似ている。
ドレイクの方が少し焦げ茶色に近いとはいえどちらも黒髪、そして瞳はどちらも焦げ茶色だ。
「ところであまり顔は似ていないけど、二人は兄妹なの? 仲良さそうだけど」
助け船として、エミリールは違う話を振ってみた。
にやりとドレイクが笑ったが、それはどこか皮肉気だった。
「せやな。こんな阿呆な弟がおるっつうんで悲観して首吊らなあかんやろか思とるとこや」
「誰が弟よっ」
「そんペタンコ胸、育ててから反論しっ」
「ほっといてよっ」
なるほど。兄妹ではないようだが、仲は良さげだ。
目の前で喧々囂々と喚き散らしている二人に、エミリールはそう思うことにした。
(だが、やはり面白い子だ。そこまで色々な集団のトップに可愛がられるもんじゃないだろうに)
どんな人間も、いずれかのグループに取りこまれて所属するものだ。
しかし優理にはやはり裏稼業とは違うものを感じる。そういった人間が持つ闇がないのだ。
「なんや、こっちじっと見てから。どうかしたんか?」
「あ、いいえ。ただ、・・・その日暮らしの占い師をしてるって言ってたのに、ユーリちゃんったらかなり実力者っぽい人達とお知り合いなんだなぁって。・・・思ったより実はって感じで、ちょっと戸惑っちゃったかも」
「そんなことないからっ。私はふっつーにっ、占い師してるだけだからっ」
「普通やないやろ。あんな当たらへん占いばかりしといてからに。よう恥ずかしい思わんで生きてけるもんや」
「いいじゃないのっ。それでもお客さんは来るんだからっ」
「どれも占いの客と違ゃうやろがっ」
「占いのお客さんが、私の違う才能に気づいてしまうだけよっ」
「そもそも占い目的やないやろがっ」
駄目だ、放っておいたらすぐに喧嘩し始める・・・。
エミリールは匙を投げた。
(その内、飽きたら止まるだろ。今度から二人とも違う檻に入れとかなきゃな)
かなりひどいことを考えつつ、女装していてもエミリールは男だ。
ドレイクの自己流らしい体の鍛え方には気づいていた。
(やりにくいな。こういう奴らは騎士とは違う無頼の攻撃が身についている)
なるべくやり合わないようにしておきたい。
そんなことを思っている内に、今度の口喧嘩は短めに終了した。
「まあ、ええわ。そろそろ俺も行かなあかん。少し休んどき。夕飯の頃になったら迎えに来たる」
「え?」
「この家にあまり食べもんは置いとらん。なら食べに行った方が早いやろ」
「えっと、食べに行くってどのくらいのお店? 予算は?」
「気にせんでもそん程度は奢りや。レイスにつけといてもええしな」
「・・・えっと、じゃあ今日はご馳走になるけど、明日からはちゃんと作るから」
「そんなんええわ。ここでは毎回食べに行っても食費なんぞかからへん。その程度ン店は持っとる」
実はかなりの金持ちなのかと、そんなことを思いながらも優理は重ねて言った。
「私は独立した生き方をしたいのっ。だからちゃんと明日からは作りますっ」
「ふん。ほな、明日の夜からご馳走になろか。明日は買い出しもあるやろし、朝と昼は食べに行きゃええ」
「食べに来んのぉーっ!?」
「なんぞ文句あるんか?」
じろりと、ドレイクが睨んでくる。
「う。ありません」
レイスの持ち物らしいが、この家を無料で使わせてもらう身である。二人分の食事が三人分になったところで手間と材料費はさして変わらない。しかも今夜と明日の朝、昼はドレイクの奢りだ。
さすがの優理も、肩を小さくすぼめて了承するしかなかった。
「分かりゃええ。まあ、しばらくはここで大人しゅうしとき。当たらへん占いしたけりゃ場所ぐらいは用意したるわ」
そう言ってドレイクが出て行く。
何だかんだ言っても、保護者としては有り難い存在だった。
「じゃあちょっと休もっか、エミリアちゃん。個室もあるしね。なんなら今の内に、お風呂に入ってもいいんじゃない?」
「そうね。明日からきちんと生活を考えればいいわね」
そうなると優理も一休みしようと考える。
(あれでレイス、綺麗好きだもの。お風呂は充実してそうよね)
浴室を見れば、外にある井戸をポンプで汲み、それを浴室へと流しこむことができるようになっていた。
お風呂を沸かすのもかなり効率的だ。
「じゃあユーリちゃん。私が先に入っていいかしら。私、浴槽に浸からずに、洗って流すことが多いのよ。だからその後でユーリちゃんが入った方がいいと思うわ」
「え? だけど浴槽に浸かった方が疲れも取れるわよ?」
「それならゆっくりとユーリちゃんがそうしてちょうだい。私、浴槽に浸かるのって耐えられないのよね」
「へー」
勿論、それはエミリールが優理にゆっくりと入浴タイムをとらせてあげたいが為の嘘だ。先に優理を入らせたら、後に続くエミリールのことを考えて優理も慌ただしくすませてしまうだろう。
それでも入浴に際し、ささっと体を洗うだけですませるのはよくあることで、貧乏貴族生活を送ってきたならそんなものだろうと、優理も納得した。
そんな休息タイムに入った二人とは別に、ドレイクは近くにある自分の隠れ家の一つに行くと、そこで手下に命じる。
「レイスに連絡し。迷子ん小鳥がいらん鳥連れて戻ってきた言うてな」
その顔はとても苦々しいものだった。
お買い物は結構楽しい。しかも連れがいれば、色々とおしゃべりして選べるのだ。
優理は、そんな時間を思いっきり堪能していた。
「これ、何に使うの、ユーリちゃん?」
「ああ、これはね、パイを焼くのに使うのよ」
「へー。だけどさっきもパイを焼くって違うのを買ってなかった?」
「あれはね、パイはパイでも軽いサクッとしたものなのよ。こっちはキッシュに近い、つまりお惣菜にもなるパイを作る時用」
「そうなのね。お料理って奥が深すぎるわ」
料理はできるが、焼いて煮てと、簡単なレベルでしかないエミリールである。野宿専用の自炊テクニックとは、手早く腹が膨れるものを作ることが重視されるからだ。
おかげで優理の買い物についていきながらも、全く使い道が分からないと戸惑っていた。
(毒草とか薬草とかの処理なら手慣れたもんなんだが、こんなのは全く分からん)
優理が鍵を持っていたあの家は、ちゃんと内側には厩も小さな庭も井戸もあるし、三階建てで悪くない設備だったが、いかんせん、鍋は二つ、フライパンは一つしかなかった。
上下に火を入れられるオーブンにしても、一度も使った形跡がない。大き目な皿は10枚、カップは10個とあったが、それだけだ。
そんなわけで、より良い人間らしい暮らしを求めて優理は買い出しにやってきたのである。
「うわぁ、何これ。何に使うの、おじさん?」
「何だ、これを知らないのかい? ミザンガの子じゃないのかな。これはな、野菜をすり潰したのと粉と卵とを混ぜて焼く奴なのさ。こういう丸いものに流しいれて焼くから同じ大きさに焼けるんだ」
「へぇ、あのあまり甘くないお菓子ってこれで焼くんだったのね」
好奇心が強い優理の様子を、背後から眺めてエミリールはくすっと笑った。
(何とも可愛らしいことなんだが、どれだけ買うつもりなんだろうな)
優理は上下を挟むようにして焼けるその調理器具を二つ購入した。
「これなら蓋を開けずに焼けるから、ふっくらしたパンケーキが焼けるわ。ふふっ、朝ごはんは期待しててね、エミリアちゃんっ」
「あら。もしかして本来の使い方じゃない使い方するの?」
「そうよ。だって私、丸いホットケーキが重なったのにバターと蜂蜜たっぷりっての、大好きだもん」
その調理器具を持ってあげながら、エミリールは先に帰ったドレイクを思い浮かべた。
彼も一緒に来ていたのだが、優理のフライ返しやレードル、ペティナイフといった買い物が多すぎて、持ち続けることに意味を見出さなかったらしい。
「どんだけ買う気や。も、これ、一度置いてくるわ。俺の腕は二本しかないんやで」
まずは持てるだけ持って帰ったのだ。
(食料はこれからだと思うんだが、俺ももうすぐしたら荷物を持って一度帰った方がいいんだろうか)
ドレイクが帰った後も、優理はスープボウルや小皿など色々と買いまくっていた為、エミリアの持っている荷物も凄いことになっている。
それなりに腕力もある自分だからいいものの、本物の女性だったら今頃へばっていたに違いない。
「あ、金網もある。あれも買わなくちゃ」
「金網? 何にするの?」
「んー。これはね、野菜をマリネにする前に皮をこれで焼くと味が浸みこみやすくなるの。あれでドレイク、酸っぱいもの好きなのよ」
食べ物の好みを把握しているばかりか、優理はちょっと楽しそうだった。
「仲がいいんだか悪いんだか」
エミリールはぼそっと小さな声で呟く。
「あら、悪いわよ」
「ふーん」
面白くないのは何故だろう。
喧嘩してばかりなのに、ドレイクは優理に対して全く金を惜しんでいなかった。
これらの買い物も、財布をぽんっと渡してくるいい加減ぶりだ。
(あの男もなぜか三階で寝泊まりしてるし)
ドレイクも別に自宅を持っているらしい。
それでもあの家で寝泊まりしていた。家の持ち主はドレイクの仲間であるレイスという男だと、エミリールも説明されている。
「レイスのもんは俺のもん」
ドレイクはそんなことを言い放ち、優理もまたドレイクとの同居には文句を言いつつも嫌がる様子がなかった。
(普通、他人の男との同居なんて嫌がるもんだろうに。それでいて身持ちが悪いわけでもない)
ギバティールの家でドレイクやレイスと同居していた優理である。もう一緒にいることにも慣れていた。
そんなこととは知らないエミリールは、女装してまで優理と仲良くやろうとしているのに、何かと茶々を入れては優理との会話を掻っ攫っていくドレイクが正直、目障りだ。
(毒殺してもいいだろうか。いや、まずいか。ドレイクの手下がどう出るか分からん)
どうにかあの男を排除する手段はないかと、笑顔の裏で考えずにはいられないエミリールだった。




