55 真琴は玄武と出会って色々と教えてもらった
マジュネル大陸の民は、好きな所に好きなおうちを建てて暮らすそうだ。
だからあまり人が近づきたがらない山の中ではあるが、真琴は二人で見つけたこの場所が気に入っていた。
湖はとても美しく澄んだ水が湛えられ、魚も楽しそうに泳いでいる。
残飯処理に豚を飼い、卵の為に鶏を飼い、そして畑には美味しい野菜や果物が豊作ときたら、暮らしに困ることはない。
(それにカイトのお手伝いして野菜売りに行くと、ご飯を食べて帰ろうって言ってくれるし。今度はあのオムライスのお店に連れてってもらおう。おやつにはサマープディングを買ってほしい)
カイトの背中に取りつけるくすんだ草の緑の鞍は大活躍だ。
シルバータイガーの背中に乗って移動する真琴に対し、緑蛇に可愛がられて迷子札をもらい、更には銀虎と愛し合っている人間ということで、誰もが好意的に見てくれる。
しかもカイトは虎の姿になるとかなり移動距離が凄い。半径100km以内であれば軽々と連れて行ってくれるので、この近辺の美味しいとされる店はほとんど網羅しつつある真琴だった。大抵、ランチとディナーは外食デートだ。
おかげでたまにおうちでご飯を食べる日が、とても新鮮だったりする。
(やっぱりベリーとチョコって合うよね。あのカカオ豆が入ってるカカオの実を見た時にはびっくりしたけど。カイト、自分のおやつ分けてくれるし、別々の味のプリンを選ぼっと)
サマープディングは持ち帰り用で売られているが、薄く切った食パンと、砂糖煮にした何種類ものベリーやスグリ、サクランボなどが重ねられたお菓子だ。同じお店で売られているチョコレートカスタードプディングも買ってもらって、ホイップした生クリームもつけてもらえばとても幸せになれる。
(だけどカイト。豚の世話は臭いだろうからってほとんど私にさせないんだよね。毎日掃除して、ごしごし洗ってあげてるから、別に臭くないのに。というか、あそこまで広々とした小屋とお庭、そして毎日のように洗っている小屋ってそうそうないと思うんだけど)
というわけで、水べりで足だけ湖につけて楽しんでいた真琴だが、ふと、湖の底にある岩石が動いたような気がした。
(動いた? だって岩、だよね?)
湖の底にある大きな岩が動くなんてそうそうないことだ。
だけど湖の底にある大きな平べったい岩は、移動しているような気がした。
「カ、・・・カイトぉ」
ちょっと怖くなって足を引き上げた真琴が小さな声でカイトを呼べば、その声を聞きつけたか、豚の世話をしていたカイトが寄ってくる。
「どうした、マコト」
「湖が、動いてるぅ」
「何をまたアホなことを。湖が動くわけないだろ。全くお前は、俺を振り回して遊んでないか?」
呆れたような声でやってきたカイトだが、真琴が指差すそれを見て動きを止めた。
「湖の底が、・・・動いてるのか?」
反射的に片手で真琴を抱き上げて肩の上に担ぎ上げると、カイトはその湖の底をじっと睨みつける。
ゆっくりとした動きながらも、湖の底にあった大きな岩が持ち上がってきていた。
(噴火的な熱は感じないが、逃げた方がいいか? いや、確認を怠る方がまずいか?)
カイトは真琴を抱えたまま背後にあった大きな木へと飛び移る。
その湖から目を離さず、しかし真琴を安心させるようにその背中を撫でた。
カイトの頭に抱きつきながら、小さな声で真琴が呟く。
「歩く岩の魔物とか?」
「こんな大きな魔物がいるとは聞いたことないが」
真面目に答えるカイトだ。
(一体何が起きてやがる。地形の変化が起こる程の歪みが出たか? だが・・・)
段々と湖表面へと隆起してくる岩だが、どうやらその周囲に積もっていた泥が落とされていっているのか、澄んでいた湖の水がどんどんと茶色く濁り、大きな泡がぶくぶくと立っていく。
そうして姿を現わしたのは・・・・・・。
「まさか、・・・亀か?」
「さすがマジュネル大陸。あんな大きな亀さん、いるんだ?」
六角形の甲羅からずんぐりむっくりした頭を出した直径50メートルはありそうな大きな亀が、そこに出現する。
「ふぉがっ、くぉっ、・・・こっ (ふぅむ、朝じゃな) 」
水藻を全身に生やした大亀は、ふわあぁっと大きな欠伸をして、だがまだ寝ぼけている様子だった。
ざばざばぁっと湖から浮き上がってきて、その50メートル近い茶色く藻がびっしり生えた甲羅から水をだばだば落としている亀は、その白い頭も大きかった。
もしかしたら本来は白い甲羅なのかもしれない。泥汚れが全体にこびりついているのと、濃い緑の藻が生えているせいか、襤褸雑巾の如くとても汚れた感じだ。
「ふぉぐ、ふぉぐ、・・・くぁっ (おぉっ、ん? ・・・ふわぁあっ)」
しかし、もごもごと口を開けたり閉めたりしているのだが、何かを呟いているのか、単にもぐもぐしているだけなのか、それがよく分からない。
もしかしたら亀も分かっていないかもしれない。
何故ならまだ目が瞑られたままだからだ。
小さな声で真琴が囁く。
「ねえ、カイトぉ。亀さんだよ、亀さん。頭と手足は白いけど茶色い亀さん」
「そうだな。かなり大物な亀だな」
カイトと真琴にしても逃げればいいのか挨拶すればいいのか、本気で迷う。
水底と思っていたものは亀だった。
しかし、ただの平らな岩だと思っていたものが、水藻も生やした超ビッグサイズ亀だと誰が気づくというのだろう。しかも、浮き上がってきたのはこれが初めてではないのか。
やがて、その閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。
「うわぁ、綺麗な目。お昼の太陽みたい」
それは、とても綺麗な黄色い瞳をしていた。
ぎょろりと、その黄色い目がカイトと真琴を見つめる。
カイトとマコトもその大亀を見つめた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が続いた。
カイトと真琴も、白っぽい大亀の反応を見てからにしようと思うから何も反応できない。
「う―む、くぁあぁじゃっ・・・(ふぅむ、朝じゃな)」
やがて大亀の黄色い目がもう一度瞑られて、口が、ぐわぁっと大きく開く。
「・・・・・・」
「ねえ、カイト。もしかして亀さん、寝ぼけてる?」
「・・・かもな」
こそこそと二人は小さく話し合った。
いきなり出現した大亀から目が離せない。
すると、またゆっくりと黄色い目が開かれた。
「ふ・・・。ふ・・・」
「ねーねー、カイト。何か言ってる」
「ああ」
二人はじーっと大亀に見入る。
すると大亀は更に大きな口を広げた。
「・・・ふぇーっくしょいっ!」
斜め横にいたカイト達だから良かったものの、大亀の鼻からかなりの水がそのくしゃみと共にぶへぇっと放出されていく。
それはまさに凶器レベルの水鉄砲だった。人間なら数人まとめて死んでいたかもしれない。
「くしゃみかよっ」
「すっごー。・・・あっちにいなくて良かったぁ」
がくっと木の枝の上に立った姿勢でたたらを踏んだカイトだが、それでも左手で担いでいる真琴は落とさずにいた。
そんな二人がコメントする声がようやく届いたのか、亀は二人の方へと頭だけ向き直る。
黄色い双眸が二人を捉えた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が続いた。
今度はこっちに向かってくしゃみをするんじゃないだろうなと、内心びびったカイトは逃げ先を目の端で確保しつつ、大亀から注意を離さない。
けれどもくしゃみはなかった。
「おや?」
大亀がコメントする。
「おや? って言ったよ、カイト」
「そうだな」
二人の会話に、大亀は小さく頷くかのような感じで頭を動かして言った。
「なんじゃ。人形ではなかったかの?」
カイトはどうして人形ということになるのかと、疑問を覚えつつも口を開く。
「人形じゃない。そちらは大きいから人形サイズに思えるのかもしれないが」
「・・・おや?」
その返答に、大亀は小首を傾げた様子だった。
そうして沈黙が続く。
カイトと真琴は、大亀の次の反応を待って、じりじりとしたその経過時間に耐えた。
会話のキャッチボールは、一方的にまくしたてるものではないのだ。
「なんで生き物がおるのじゃ?」
「その前に、どうしてこんな大きな亀がいるのかと、尋ねてもいいか?」
真琴は二人の会話を邪魔しないようにして、大亀に見入った。
(なんてのんびりさんな亀。この場合、どっちの疑問が優先されるんだろう。だけどこの亀さん、マジュネルの生き物って感じがしないんだけど、なんでなのかなぁ)
見た目が大きいだけで、ちゃんとした亀だ。それは分かる。
けれども何故だろう。まるで当たり前のようにこの景色と一体化していた。
一体化しているのは痴呆かもしれないが。
「ふむ。・・・魔物か獣人かは知らんが、ここにいると辛くなろう。早々に出ていくがよい」
「たしかにここは長居すると寂しい気分になるという話だったが、もしかしてあなたの山だったのか? そうなると勝手に住み着いたのは悪かったかもしれないが」
「・・・おや。もしかして、住み着いておったかの?」
「ああ。まずいならなるべく早急に引き払うが?」
基本的にどこで暮らしてもかまわないというマジュネル大陸だが、こんな大きな亀だ。
それこそ生活スペースとしても湖周辺を一人で必要としているというのであれば、後から来た自分達が譲るしかあるまいと、カイトもそこで無理を通す気はない。
「住み続けられたのであれば、別にかまわんのじゃ。歓迎しよう」
「はぁっ?」
意味が分からない。カイトは大亀の真意を測りかねた。
だが、大亀はまた目を閉じかけている。
「いや、ちょっと待ってくれっ。そりゃどういう意味だ?」
目を閉じたまま、大亀は答えた。
「ここに入りこんだ生き物を排除するのが我が務め。じゃが、ここで暮らせるのであれば受け入れるのも我が務め」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
カイトと真琴は目を見合わせた。
「ねーねー、カイト」
「何だ?」
「この山に入りこんでも寂しくなって出ていくんなら排除するも何も勝手に出ていくわけで、寂しくないからって私達みたいに居ついたとして、それならって受け入れるなら、この亀さん、特にやることないんじゃないの?」
「言うな。誰だってつっこみたくなるだろ」
ぼそぼそと話し合う二人の声が聞こえたのか、大亀が黄色い両眼を開いた。
それはとても優しい眼差しだと、真琴は気づいた。こういう眼差しを自分は知ってる。
見守るような、受け入れるような、どこまでも自分の味方だと告げてくる瞳。
(だけど大きいなぁ、この亀さん)
カイトの肩に乗っかったまま、真琴は大亀に話しかけた。
「あのね、亀さん。私は真琴って言うの」
その言葉に、うむうむと、大亀は何度も小さく頷いた。
なんだか何かを咀嚼しているようにも感じられたが、特に何かを食べているわけではなかったらしい。
「良いお名前ですのぅ。始まりの命から続くこの世界への愛が感じられる」
「・・・・・・」
この世界の人なら、この名前の意味など分かる筈もない。
この意味を知るのは、両親と優理と遥佳、そして真琴だけ。
(だけどお母さん達に関係する存在なら違うよね。なんかとても優しい目をしてる)
そう思って、真琴はカイトの肩からうんしょっと木の枝に足を着くと、そのまま地面に飛び下りた。
カイトも続いてすぐに飛び下りたが、どうやら様子見するらしい。
「でね、彼はカイトって言うんだ。あなたの名前は?」
湖の方へと近寄っていけば、全身に水藻を生やした大亀も岸辺へと寄ってきた。
「我が名は特になく、強いて言うならば、この山の守り人ですかのぅ」
守り人というか、守り亀だ。
それものんびりと、牛の歩みのようなペースで話す大亀である。
「どうぞ『守り人』と、呼んでくだされ」
「・・・それ、名前じゃないと思う」
「名など必要なきものでしての。この山の守り人は我一人」
自分で言って、うんうんと大亀は頷いた。しかも話のテンポはとてもゆっくりである。
(ヴィゴラスみたいな感じなのかなぁ。孤独にマイペースで生きる幻獣とか亀とかって、本当に名前はどうでもいいのかも)
そうは思ったが、「守り人さん」と呼びかけるのも何だか変だ。
「えーっと、あのね、守り人さん。暫定的にお名前つけてもいーい?」
「勿論ですとも」
「じゃあさ、『玄武』さんって呼んでもいい?」
「ふぅむ。ゲンブ、なかなか強そうな感じがいたしますなぁ」
「そう。大地を守る神聖な亀さんって意味なんだけど」
「なんとも名前負けしてしまう話ですじゃ。じゃが、素晴らしい名ですのぅ」
というわけで、大亀の名前は玄武と決まった。
「たまにお前は変なことを知ってるんだな、マコト」
ジンネル大陸でそれなりに暮らしてきたカイトだが、そういう意味の名があるとは初耳だ。
「そーお? だけどそーゆーのって育った環境によるんだと思う。実際、他のことは私、知らないし。なんかね、子供の頃に読んだ本に書いてあったんだ」
「そうか。本ねぇ」
「うん。なんかうち、多かったんだよ」
えへへーと亀に向かって笑いかけながら、真琴もカイトの方だけは振り返らない。
(うーむ。これで誤魔化せたかな)
ここで振り返ったら、カイトに表情を読まれてしまう。
いつだってカイトに可愛いと思われる自分でいたかった。
「そりゃ他のことはたしかに世間知らずなんだが」
けれどもカイトは真琴の言動に、ジンネル大陸ならではの人間らしさを全く見いだせずに戸惑う。
いくら攻撃してくる様子がないといっても、こんなにも大きな亀にどうして真琴は恐れる様子もなく近寄っていこうとするのか。
(たしかにマジュネル大陸の魔物や獣人はきちんと最低限の決まりは(忘れなければ)守る。だが、ジンネルの人間にしてみりゃ、単なる動物との区別もつかずに怯えるもんだろうに)
そのゴールデンイエローに輝く巻き毛を後ろから見つめながら、カイトはそう思った。
尚、この場合の最低限の決まりとは、人道的な意味合いをさす。
そして忘れなければちゃんと決まりを守るマジュネル大陸の住民だが、忘れた場合はどこまでも約束やルールを無視して好き勝手に生きる存在でもあるので、過剰な期待をしてはならない。それも常識だ。
(まあな。仲良くなれそうならそれはそれでいいんだが。こいつもぼーっとした爺さん亀っぽいしなぁ)
そういう大亀あらため玄武に、カイトは話しかけた。
「ところで腹が減ってたりするんじゃないのか? ここの端っこに魚を生け簀状態で置いてあるんだ。食べるなら遠慮なく食べてくれ」
「おお、カイト殿と言われたか。いやいや、お気になさらずじゃよ。さほど食事は必要ありませんのじゃ。我はここにいるだけで生きていけますでのう」
「そうか」
あまり食べなくても平気な種族なのだろうか。
(単に大食らいだから、マコトに見られたくないだけかもしれないな)
中身はともかく、真琴の外見は絶世の美女だ。見栄を張りたいこともあるだろう。
「それなら食べたくなったら勝手にとってくれればいいから」
カイトは大亀のプライドを思い、引き下がった。
「ねー、玄武さん。玄武さんは湖でずっと泳いでるの? 岸で甲羅干しとかしないの?」
「ふぅむ。我はどちらでもいいのですじゃ。山頂でいようが、道端にいようが、この山の中ならば。まあ、湖におりましたのは、湖がこの山の中心地だからですなぁ」
「へー。そうなんだ。今まで寝てたの?」
「そうですじゃ。そろそろ起きねばと思いましてのぅ。はてさて月日はどれだけ経ったやら」
そう言ってもぐもぐと口を動かす大亀・玄武だが、これからは普通に起きているつもりだとか。
けれどもその日から、真琴にとってはおじいちゃんのように可愛がってくれる知り合いができたわけである。
そしてカイトがまず取り掛かったのは、その50メートル近い大きさの甲羅洗いだった。
ゴシゴシ洗ってみたら、まさに雪を欺く亀が現れたのだ。不気味な大亀は、一気に神々しくなった。
だけどのんびりした性格は変わらない。
「シルフの高速噴射があってくれて助かった。どんだけ長い間、沈んでたんだ」
「はてのう。どれくらいでしたかの?」
「いや、俺に聞かれても」
せっかくのご近所さんである。
知り合ったお祝いということで、昼と夜は外でバーベキューをしたり、買ってきた鵞鳥の丸焼きとかを温めたりしてみた。
「ねーねー、玄武さん。胡瓜って塩つけて食べる派? それともドレッシング? やっぱりここはそのまま丸齧りだったりする?」
「そういうのは考えたこともありませんのう。気づいたら食べ終わっておりますしなぁ」
「じゃあ私と一緒でお塩だねっ。丸ごと胡瓜、塩だけつけて食べるの。美味しいよ」
「あのなあ、マコト。せめて形だけは取り繕ってくれ。お前が外で食べる時は丸齧りでも何でもいいが、人前では切ってから食べるもんだ」
「えー。だけどこーゆーのお外でワイルドに丸齧りするから美味しいんだよ」
ぶーぶーと文句を言う真琴にとって、大きな亀は全く怖くないようだ。
本当にマジュネル大陸に馴染んだなぁと、カイトも感慨深い。
「ゲンブさんは、野菜だけのトマトのスープとミルク入りのポタージュスープ、どっちが飲めるんだ? 食べたくない食べ物とかはあるのか? ベーコンとかは入れても大丈夫なのか?」
「ふむ。何が入っていようとも、量はカップ一杯あれば十分ですなぁ」
「・・・どうやってそのでかい口で飲むんだ。というより、人の姿になってくれ」
「そう言われましてもなあ。長くこの姿でいたものだから、どうやればいいのか・・・」
「もういい」
本当にこの大きな亀は小食らしかった。真琴よりも食べない。
仕方ないのでスープは、風の妖精に頼んで玄武の口元までホースから出る水のようにして運んでもらったのだが、口を開けていればスープが飲めるというので玄武も気に入ったようだ。
(単に食べ始めたら凄まじい勢いで食べるから、マコトを驚かさないようにと考えてるのかもしれん)
気を遣ったカイトは、気が向いたら玄武が食べられるようにと、熟れた野菜や果物を湖の浮桟橋に積みあげておいた。
「ふぅむ。生け簀ばかりか桟橋も作っておったのですなぁ。なかなかの働き者ですなぁ」
「その内、ゲンブさんが雨宿りできるような屋根も作るか。雨の日はやはりな」
「そこは大丈夫ですなぁ。雨の日は湖に潜ればいいからですのぅ」
「・・・そうか」
守り人とはどういう意味かと聞いたら、単にここにやってきて、気に入った山だから住みついて、どうせなら自分がここの主になろうということで、守り人を名乗り始めたとか。
「その内、この山の花園も案内しましょうなぁ。山頂にも赤い花が咲くのですぞい」
「・・・現在、紫の花だな。咲いてるのは」
「おや? まあ、赤も紫も大した違いじゃありませんのう」
そう言って、玄武は久しぶりに星を見ながら眠るとか言って、のっそのっそと山頂へと向かっていった。
それを見送りながら、真琴は呟く。
「玄武さんが山頂に辿りつくのはいつなんだろう」
「まあ、途中で力尽きても星は見られるだろ」
たとえ大きくても亀の歩みはどこまでもカメだった。
真琴は優しくされて甘やかされるのが大好きだ。けれども夜にカイトの部屋には来るなとも言われている。
(なんかカイト、疲れてたよね。そりゃあんな茶色くておどろおどろしい深緑な藻を垂らしてた亀が、素晴らしく真っ白な亀になるなんて思わなかっただろうけど)
特大サイズなブラシを使ったとはいえ、細かい部分は小さなブラシで磨いたわけである。
カイトも疲れたのか、ささささっと真琴の髪も洗って拭いてくれたかと思うと、そのままぽいっと真琴は自分の部屋に放りこまれてしまった。
「今日は布団を蹴飛ばさずに寝るんだぞ、マコト。ちょっと今夜の俺は見に来る根性がない」
「うん。お疲れ様」
へろへろっぽいカイトを見ると、真琴もそうとしか言いようがない。
「ああ、お休み。愛してるよ」
「おやすみなさい」
いつもなら買ってきた本や新聞を一緒に読んだり、お金を賭けない賭博を教えてくれたり、夜のお散歩に連れていってくれるというのに。
(なんか寂しい。いつもはもっと頭撫でて褒めてくれるのに)
というわけで、真琴はカイトの部屋へと忍びこむのである。
男なんて疲れていれば泥のように眠る。
さすがに50メートル近い甲羅を真っ白になるまで磨きあげるのには苦労したカイトだ。しかもご近所さんができたお祝い料理の買い出しにも行ったし、今日はなかなか動いた。
それでも慣れ親しんだ気配があれば、今までのくせで、ついベッドに引き摺りこむ。
(ああ、やっぱりマコトか。って、こいつはどうしてこう危機管理能力がないんだ? 男の怖さってのが分かってなさすぎねえか?)
すりすりと自分の肩に頬を寄せてくるのが誰かなど、寝ていても分からないカイトではなかった。
けれども自分はあの長い巻き毛を洗ってやり、ちゃんと部屋で寝かしつけもしてきた筈である。
「あのなあ、マコト。大人になったら、夜には男の部屋に来るもんじゃないって言ったよな?」
「だって・・・、寂しかったんだもん」
目も開けずに咎めれば、そんな答えが返ってきて、カイトは更に力尽きた。
「お前って奴はぁ、・・・どうしてこう甘えん坊なんだ」
「ぶー」
まるでカイトが悪いかのようにブーブー鳴いている小悪魔がいる。
柔らかく渦を描く巻き毛に指を通すようにして頭を撫でてやりながら、カイトはこの可愛い安眠妨害子豚をどうすればいいのかと悩んだ。
「俺の躾が悪かったのか? けどなあ、獣人だって子供の頃にゃみんなで寝てても、大きくなる内にちゃんと一人で寝るようになっていくのに・・・。俺は何を間違えたんだ? どこの奥さんに聞いても、女の子には自分だけの部屋が必要だって言ってたぞ、おい。年頃の女の子は気難しいから過干渉は駄目って言ってたぞ、おい」
疲れきっているせいか、そんなぼやきがぽろぽろと口から零れていく。
男の自分では女の子の成長なんて分かってないかもしれないと思い、あちこちのお店の奥さんに聞いて考え、頑張って子育てしてみた苦労の成果はどこで迷子になってるのだろう?
「大丈夫。ちゃんとカイトが寂しくないように一緒に寝てあげるよ。ね」
「なんで俺のせいになってんだ、こら」
そんなカイトの背中にぎゅっと手を回して、小悪魔はぽんぽんと掌だけで小さく叩いてきた。
「お前なぁ。獣人の力ってのは本当に強いんだ。熟睡してる俺が、なんてことのない寝返りで腕を当ててもお前を大怪我させるかもしれないんだ。ホント、熟睡してる時には勘弁してくれ」
「大丈夫だよ」
「その根拠は?」
「んーっと、私の勘っ」
「ああ、本当に安心できる根拠をありがとよ」
聞く価値もない意見だった。
「んにゃっ、何すんのっ」
「るせえ、クソガキ」
目を閉じながらもカイトは棚から上掛けを取り、それを真琴の体にくるくると巻きつける。そうして上から軽く縛った。呼吸はちゃんとできるように顔の表面だけは開いておく。
「これならまあ、多少の打撃があっても大丈夫だろ。おやすみ」
「ひどいよっ。私は手巻き寿司じゃないのにっ」
なんか喚いている子豚がいるが、もうカイトだって眠いのだ。
というわけで、ブーブー鳴いている子豚を抱き枕にして寝ることにする。
おかげで翌朝は、抗議のかぷっと首筋噛みで目を覚ましたが、抱き枕のおかげでよく眠れた。
元々、カイトは働き者だ。
真琴の心配をしないでいいとなったら、手際よく様々なことをすませてくる。
「なんとも良い青年でありますのぅ」
「うん。カイトね、とってもいい人なんだよ」
「やれやれ。マーコットには惚気られてしまいましたなぁ」
玄武からは「真琴様」と呼ばれるのに閉口し、呼び捨てにしてくれと頼んだものの断られた真琴は、諦めて「マーコット」と少し違う名前を呼んでもらうことにした。
玄武もそこはまた、カイトは何も知らないとなったら、妥協したのである。
「ここまで仲良く暮らしておるのですし、そろそろ打ち明けてもいいのではないかと思うのですがの」
「そうなんだけど、・・・なんかそのタイミングっていうのが、あるのかないのか分かんない」
わざわざ場を設けて言うのは気恥ずかしい。
もう言わなくてもいいんじゃないかなぁと、そう思うことで目を逸らしている真琴だ。
「ほんにマーコットはカイト殿がお好きでいらっしゃるのですなぁ」
「・・・? カイトは好きだよ。当たり前じゃん」
不思議そうな表情を浮かべる真琴にはシアラスティネルの面影があると、玄武は思った。
「そうではなくてですな。マーコットはカイト殿がお好きだから、もしも打ち明けて態度が変わったりしたらどうしようと、そう思うから打ち明ける勇気が出ないのでありましょうな」
真琴は黙りこんだ。
そうかもしれない。
カイトは、自分が母の子供であることを言っても何も変わらないかもしれない。
だけど、カイトは言った。
――― この世界は女神シアラスティネル様が支えてくださっていた。つまり誰もがシアラスティネル様のおかげで幸せに生きていられるんだ。そのシアラスティネル様の神子姫様なら、生きていることに感謝を忘れぬ全ての生き物がその恩を返そうとするだろう。
ならば打ち明けた途端、自分はカイトにとっての子供でも恋人でも妻でもなく、この世界を支えてくれた母の子として、感謝を捧げる対象へと変わってしまうのではないだろうか。
その時、カイトの薄い水色の瞳に浮かぶのは、いつも笑いながら面倒をみてあげようとする可愛い真琴に対する愛情ではなく、偉大な女神が残した神子への敬意ではないのか。
どうしてそれに耐えられるだろう。
「そうかもしんない」
呟くような小さな声に、玄武は小さく溜め息をついた。
赤みがかった金の巻き毛にセピア色の瞳を持つ真琴は、見た目はとても綺麗な娘だ。しかし、どうも中身にはその外見に似合わぬ自信のなさがある。
これだけの美貌があれば、どんな男も思いのままだと自惚れてもいいものを。
「あのカイト殿は、マーコットを利用しようとするような輩ではないでしょうがな」
「うん」
「しかし、タイガ様のように、
『あなたが女神であるというのなら、ならば従者でかまわない。だから一緒にいさせてほしい』
と、そのお住まいまで押し掛けるようなタイプでもありませんでしょうなぁ」
「押し掛けるも何も、そもそも私、カイトに養ってもらってるんだけど」
現在の真琴は、家なき子なのである。
お住まいは、カイトのおうちだ。
「しかも、とても大事にしてもらっておられますしのう」
「そうかな」
「そうですとも」
やることがないから湖の底で活動を停止していた玄武だが、目覚めた今は一日中起きている。
目を瞑っているから寝ているように見えても、実は起きている。
見た目は初々しい恋人同士か、新婚夫婦かと言わんばかりのカイトと真琴の実態が、まさに子供を溺愛しているレベルだと気づいていた。
元々、玄武はこの山の守り人だ。人を寄せつけない為の寂寥感を発生させる役割をも持っている存在である。
「優理様や遥佳様はどうしておられるのでしょうなぁ。皆様、お可愛らしい赤ちゃんでいらっしゃいましたが、もうそんな娘さんらしいお年におなりあそばしたんですのぅ」
どこか遠くを見つめるような白い大亀の黄色い瞳は、かつてのそれを懐かしんでいるようでもあった。
「私達の赤ちゃんの時、知ってるんだ?」
「勿論ですじゃ。シアラスティネル様とタイガ様がご一緒に全ての守り人の所へ連れて来てくださいましたからの。小さくて、お可愛らしくて、よく泣いて笑って、そうして我もまた抱かせていただきましたのぅ。あの時は我の髪を引っ張って、そうしてそれが鼻に入ったもんだからくしゃみされてしまいましたなぁ」
「へ? 髪? どうやって抱っこしたの?」
汚れを落としてみたら、純白の大亀だったのだ。髪どころか、髭だって生えてない。
「それは人のような姿になってですじゃ」
「人の姿にもなれるんだ」
「一応は」
どんな巨人に変わるのだろう。
真琴の脳裏に、体長数十メートルの人間が思い浮かんだ。
「じゃあ、変わってみて」
「それは駄目ですじゃ。我が人の姿に変わって、マーコットと共にいるのをカイト殿が見てしまうようなことがあったら、それこそ良い気はしませんでしょうからの」
「そうかなぁ」
「そうですとも」
たしかに真琴が巨人といたりしたら、カイトは二度と自分を一人にしないだろう。
今日は真琴が頼んだキノコの胞子入りランタンを買いに行ってくれている。
それを持って帰ってきてくれたら、夜でも玄武が寂しくないようにと、真琴はあちこちの木に吊り下げてあげる予定だった。
だからこそカイトがいないというので内緒話もできてしまうのだが、こうして自分を隠さなくていい相手との話は気楽だと感じていた。
けれども玄武は、やはり年寄りならではのペースと思考の持ち主である。
(そうだなぁ。玄武さん、のんびりお爺ちゃんだもんなぁ。気づかずに「おや?」って私を踏んづけかねないよね。カイト、心配性だもん)
そう思い、真琴も諦めた。
警戒心もなく男の部屋に来るようなバカ娘はくるくる巻きの刑にされるもんだと言われても、それで自重する真琴ではなかった。
一人で眠るより、カイトと一緒にいたいからだ。水に濡れたら黒っぽくなる銀の髪を悪戯してもいいのは自分だけだし、とても優しい水色の瞳が見ているのも自分だけでいい。
ぼやぼやと油断していたら、他の誰かにさくっと持っていかれちゃうではないか。
(カイトに撫でてもらいながら寝るのも嫌いじゃない。だけどその後でいなくなっちゃうのは嫌だ)
自分の部屋で枕元に座ったカイトにぽんぽんと撫でられながら色々なお喋りをしつつ寝かしつけられるのは好きだし、幸せな気分になる。だけど、自分が寝た途端にカイトがいなくなるのは寂しい。
だからしばらくすると真琴はむくっと起き上がり、てくてくとカイトの部屋へ行くのだ。
(思うんだけどっ、寝かしつけた後で私をほったらかしにするのって手抜きじゃないかなっ)
優理や遥佳が聞いたら膝詰めでその甘ったれた根性に対して色々と言い聞かせるであろうことを考えながら、真琴はカイトに、もっと自分をかまってほしいと思うのである。
(どっかに行っちゃわないで。ずっと一緒にいて。私が眠っちゃっても目が覚めたら横にいて)
真琴を寝かしつけたカイトは、ベッドで寝ているか、机に向かって何やら作業しているか、何かを見て色々と考えこんでいるかといった感じで自室にいるのだ。
そして今夜も部屋へ入ってきた真琴を認めて溜め息をついた。
「お前なぁ、マコト。ちゃんとお前が寝つくまで添い寝だってしてやったろ? どうしてそのまま夢の世界にいないんだ?」
「だって、・・・カイト、いなくなった」
ちょうど何かを椅子に座って読んでいたカイトだが、真琴が近寄っていけば、膝の上に座らせてくれる。
何か酒も飲んでいたらしいが、さりげなくそのカップは真琴の手が届かない位置へと移動させられた。
「寂しかったのか?」
「うん」
「同じ家の中にいるんだから怖くないだろう。なんでお前はそう甘えん坊なんだ?」
「別に甘えん坊じゃないもん」
すりすりしても、カイトの体は固い。膝だって腕だってお腹だって筋肉がパンパンだ。
母と違って柔らかな胸も存在しない。本当は柔らかくてぷにっとしている方が真琴は好みだ。
「それでも私、お母さんと違ってパンパンしてるカイトで我慢してあげてるのに・・・。なのにカイト、放ってくしっ」
自分が寝かしつけられた後、カイトは一人でお酒タイムを楽しんでいたのだ。そう思うと寂しくなる。
じわっと真琴の瞳が潤んだ。
「夜泣きか? お前って奴は・・・。ホント、ナニサマだ」
「? マコトさま?」
「アホか。全く体だけ大人になってもまだ赤ちゃんなんだからしょうがない奴だな」
手早くカイトの上着を寝間着の上から着せられてしまった真琴は、ひょいっとカイトに担ぎ上げられる。
「じゃあ、眠くなるまで散歩に行くか。星を数えてみよう」
「うんっ」
カイトは家の外に出ると、真琴を肩車し直した。
「少しは星座も覚えられたか?」
「大丈夫っ。自分で星座は考えればいいんだよっ」
「あー、そんなこったろうとも」
暗い夜道だが、あちこちの木の枝から吊り下げられた瓶が、ぽうっと様々な色に光っている。風で揺れているからとても幻想的だ。
カイトの頭に掴まりながら肩車されていると、ここまで面倒みてもらえるのは自分だけだよねと、真琴も安心できる。
「あ。あっちに玄武さんがいる」
「うるさくせずにいような。安眠妨害はするもんじゃない」
「うん」
途中の野原にとても大きな白い亀がいたが、目を閉じていたので二人はそろーりと通り過ぎた。
けれどもカイトがいてくれないから拗ねただけの真琴だ。
肩車してもらいながら星を数えていると眠くなってしまう。やがて、こっくりこっくりと舟を漕ぎ始めた。
(やれやれ。全く手のかかる子だ。これだけ綺麗に育っても中身がこれじゃな)
カイトは真琴を肩から下ろして腕に抱え直し、家へと連れて帰る。
本人は甘えん坊ではないと主張するが、誰がどう見ても甘えん坊だ。それはカイトの気のせいではないだろう。
(ゲンブさんが寝ていてくれて助かった。こんなの見られたら、どこの子守りだって思われるよな)
そんなことを思いながら、真琴を抱き枕にしてカイトは眠った。
さすがにここで真琴を自分の部屋に戻して、またもや起こされるのはごめんなのである。
玄武と出会った三日後、カイトは考えた。
(ちょっくら水着も注文してくるか。サイズはもう分かってるわけだし、俺だけでも受注してくれるだろ)
今まで二人きりだったから、湖で泳ぐときにもあまり裸だということを気にしたことはなかった。
だがご近所さんができた以上、そういうわけにもいかない。
そう思ってカイトが一人で出かけた時も、真琴は野原をのっしのっしと歩く白い甲羅の上でシルフとはしゃぎながらお留守番してくれていた。
「すみませんが、ゲンブさん。マコトをよろしくお願いします」
「ほんに真面目なお人ですのう」
「いってらっしゃーい」
にこにこ手を振る真琴の姿にちょっと寂しく感じたりもしたが、おかげでさっさと行って帰ってこられたのも事実だ。
居眠りしたり、手を離してあちこち見たりしている真琴を、背中から落として怪我させたら大変だと、カイトはいつも気を遣いながら移動していたからである。
(亀の歩みなら問題ないだろ、マコトが居眠りしてても。それに何だかんだ言っても面倒見がいい。俺一人だとどうしてもな。まあ、いい子守り爺ができた)
そんな気分だったことは否めないカイトだった。
蜘蛛の魔物達が暮らす集落へ行って、真琴の水着を作ってもらったカイトだが、その際、どの職人のものがいいのかを指定できなかった。
というのも、真琴が着ている服はどれも似合っていたから、どの職人の仕立てたものがいいとか悪いとか、それ以前に選べなかったのである。
「すまんが、三着ほどあればいいと思うので、どの職人でもいいから・・・。正直、似合わない服がなかったんだ。決められなくて悪い」
なので、そんな言い方であちらに任せてしまった。
「しょうがありませんわ。褒め言葉だと思っておきましょう。じゃあ私とあなたとあなた、それでいいわね」
苦笑して引き受けてくれたのは、そこを仕切っていた白い髪に黒い瞳をしたメイリーだ。
湖で遊ぶためのものだといえば、どんなタイプがいいかと尋ねられる。
「どうやら亀の魔物らしいんだが、今にもくたばりそうな年寄りなんだ。まるで実の祖父と孫みたいに仲良くなってしまってな。一緒に泳ぐにしても、そういう理由だからあまり扇情的じゃないデザインで頼みたい。俺と泳ぐんじゃないってのもアレなんだが、せっかくできたご近所なんでな」
可愛い恋人を、よりによって棺桶に足を突っ込んでいる年寄りに持っていかれたのだとぼやけば、メイリーだけではなく周囲にいた女魔物の職人達も、あらあらと笑い合う。
「あらまあ。ほほ、何とも言い難い話でございますわね」
「お気の毒ですこと。ですが人間なのに素敵なお嬢さんですわ」
「本当にね。亀の魔物とも仲良くなっちゃうだなんて」
そういうことならばと、ワンピースドレスのような水着をメイリーは提案してきた。
普通の水着にスカートのような共布を縫いつけてあるものだ。上半身にも両肩から反対側への腰へと襞のある共布が斜めにクロスしている為、水着としてのセクシーさは全く感じられないようになっている。
けれども大胆な柄なので、なかなか可愛らしい。
「袖こそなくても肩をちゃんと覆っておくタイプにしますから、夏服と変わりませんわ。いかがでしょう?」
「そうだな。それでお願いしたい。やはりここは最高だ」
「恐れ入ります」
そうしてカイトは、大胆なオレンジを地にカラフルな大輪の花が描かれたもの、薄い水色と薄い黄色の組み合わせに見えて角度によってはピンクがキラリとはしる抽象的な模様のもの、どこか退廃的なイメージを漂わせる黒と白の幾何学的な模様が何種類も描かれたものを購入した。
そしてそれらを持って帰ると、真琴はその水着を手に持ってご機嫌になる。
「わぁーいっ。これで玄武さんと泳げちゃうねっ」
「そうですなぁ。水の中は最高ですからのう」
最高も最低も、この亀は全ての違いを本当に理解しているのだろうかと、カイトは疑問に思った。
野に咲く花に囲まれて眠るのは最高だと、聞いた覚えがあるのだが。
(だけどな、マコト。なんで俺じゃなくて爺さん亀と泳ごうと思うんだ?)
いささか思うものがないわけではないが、そんなことを口に出すのもみっともないと、カイトは沈黙を守るしかない。
「ねーねー、玄武さん。これなら濡れても大丈夫だから甲羅の上で釣りしていーい?」
「おうおう、勿論ですとも」
「・・・あのな、マコト。岸辺じゃなくて湖の中心に行ったところで、お前みたいに落ち着きがない奴の餌に食いつく魚はいないと思うぞ」
「そんなことないもんっ。きっと大物が釣れるもんっ。晩御飯のお魚ステーキは私の獲物なんだよ、きっと」
カイトの真っ当な忠告は見事に却下された。
そしてカイトの予言は果たされた。
「カイト殿。マーコットをおうちで寝かせてあげていただけますかのう。やはり寝台で寝た方がいいと思いますでなぁ」
「はあ。いや、本当にすみません。釣竿も回収していただいて」
そうして湖の真ん中で釣り糸を垂らせば、待ち続ける時間に飽きてうとうとと居眠りしてしまい、釣竿をぽちゃっと湖に落っことしては玄武に回収されている真琴である。
「なんのなんの。もうすぐその四阿も出来上がりそうですなぁ」
「ゲンブさんも人の姿になるやり方を思い出したら使うといいですよ」
「おう。それはまた、頑張って思い出さんといかんですなぁ」
普通は思い出すも出さないも、当たり前にできることなのだと、もうカイトは言う気力もなくしていた。
(別にいいっちゃいいのか。この爺さん亀もマコトのことをちゃんと見ててくれるし)
食事や家の中のことが終わったら、いつも真琴は玄武と遊ぼうとする。
(ちゃんと夜には、マコトが今日は何をしていたかも報告してくれるし、悪い爺さんじゃない。それは分かってる、分かってるんだ)
だけどそれまで、いつも纏わりつかれていたカイトとしてはかなり寂しい。
けれども真琴は、自分が知らない両親のことを話してくれる玄武とのお喋りにかなり夢中だった。
(玄武さん、起きてきてくれて良かったぁ)
肝心の真琴が知らなかった能力も、玄武はちゃんと指導してくれたからだ。
カイトが一人で出かけた時には、野原などで教えてもらう。
「変身できる以上、その能力も全て発揮できる筈ですのじゃ。思いこみを捨てて、周囲から力を取りこんでみるのですぞ。生き物はあなた方を裏切りもしましょうが、自然は常に力を貸しますでなぁ」
「へー、そうなんだ」
「そうですとも。シルフと会話が一方通行だと思っておいでなのは、彼らの言葉が分からぬからでしょう。ですが、マーコットが完全にシルフと同化できれば会話もできますし、その能力を自分に取りこむこともできますのでなぁ」
「えっ、そうなのっ」
「そうですとも。シルフのように風を起こしたり、風に乗って移動できたりもしますぞ」
そんな真琴は、このままいけば真琴と会話ができるかもと期待している風の妖精と共に、カイトとのお買い物デートにも行かずに玄武と共に特訓中だ。
(何だかなぁ。そんなに俺よりも爺さん亀といるのがいいんだろうか)
相手は耄碌した亀だ。だから妬いても意味がない。
(それに家の中ではいつも通り甘えてくるし、俺が帰ってきたらいつも笑顔で手を振ってくるし)
そう思って、男のプライドを総動員して何でもない風を装いながらも、実はちょっと拗ねていたりもしたカイトの気持ちに、真琴は気づかない。
「ここに風の妖精もおりますしのぉ。すぐにできるようになりますぞ」
「頑張るっ」
真琴はここぞとばかりに玄武先生に師事していたのである。
カイトの心には、ちょっと物悲しい風が吹いていた。




