47 優理はキマリーに行き、真琴はおうちを買ってもらった
キマリー国の首都に着いた時、優理は一生分の忍耐を使い果たしたような気がしていた。何度も同じことを訊かれて、本当にうんざりしてしまったのだ。
関所ごとの審査があまりにも厳しすぎる。
(何なの、ここ。どうしてこんなにも入ってくる人間へのチェックが厳しいのよっ)
出ていく人はそうでもないようだが、入ってくる人間に対してのチェックはかなり厳しかった。
国境はさほどではなかったが、首都に近づく程に問われたり調べられたりすることが増えていった。
首都へ入る直前に関所で記入した文書では、それこそキースヘルムの言っていた「実家の親」の名前や住所を書かされた。それは二枚記入させられ、一枚は持って入る。そして出ていく時にはそれらをチェックされるらしい。なくしても構わないらしいが、持っていた方が信用度は高まるとか。
「なんでこんなに厳しいの、ここ」
「だーから言ったろ。まあ、お前が可愛らしく演技できる奴で良かった」
へらへらとしているキースヘルムだが、たしかにキースヘルムは体格がいい。それが警戒対象になっていたようだった。危険な物を持っていないか、かなり入念にチェックされた。
けれども荷物が旅する者としては一般的な持ち物ばかりだったのと、目立った荷物が精油などときたものだから、かなりその疑いは薄まったらしい。しかも優理が、
「こんなにも素晴らしい精油があるなんて嬉しくて、ついまとめ買いしちゃったんです」
と、思い切り持ち上げたものだから、自国の名産品を褒められて嬉しくなったという事情もあっただろう。
「普通、ここまで調べるもの?」
「しょうがねえ。ここの王妃様とやらは軍事大国ドモロールの出身だ。その王妃が実家のドモロールに泣きつかんように、そして何らかの連絡をとられないようにと、わざと間者容疑をかけて入れないようにしてたのさ。まあ、これからはどうなるか分からんがな」
「え・・・?」
「さて、俺らはちょっとした仕事がある。お前は好きに過ごしとくといい。買い物だろうが何だろうがな」
キマリーの首都でキースヘルム達が確保していたのは、幾つかの建物だ。
優理はその中でも便利な場所にある小さな建物の一階にある部屋を一つもらったが、二階より上へは行かないようにと言われた。
「仕事って何を・・・」
「知りたいか?」
「いいっ。知りたくないっ、言わないでっ」
考えてみればまともな仕事なわけがないのだ。
知るべきではない。善良なる一般市民はそういうものとは無縁に生きるべきなのだ。
キースヘルムの手下達もばらけて入国していたようだが、どの隠れ家にも彼らが伴ってきた女性がいた。
こうしてキースヘルムによって部屋に案内された優理だったが、ひょいっとそこへ顔を出した若い男がいる。
「ボス。先日断られた男爵家から連絡が。今から行ってきますが・・・」
「分かった。遅くなれば遅くなるほど踏んだくれ。実際、難しくもなるからな」
「はい」
簡潔な返事をすると、それなりに上質だが地味な衣服に身を包んだ男は仲間に、
「行こうぜ」
「ああ」
と、声をかけて隠れ家を出て行ったらしい。
けれども、一度ギバティールにあるキースヘルムの根城に行ったことのある優理だから気づく違和感がある。
「あんたの手下にしては、なんだかどこの隠れ家もまともそうな外見の人が多くない?」
「ああ。お貴族様やそれなりの金持ちの家に出入りするんだ。下品な奴を行かせたらまとまるもんもまとまりゃしねえ」
「・・・・・・何も訊かないわ、もう」
「そうだな。そうしとけ」
優理は気分を変えて、買い物に行くことにした。
出入りがかなり厳しく調べられる場所というのは、それなりの理由がある。
そんな地域に入りこんで貴族や金持ちの家でまとめる話となれば・・・。
(つまりは亡命ね。ここの場合、逃がし屋みたいな仕事になるのかしら)
けれども貴族などお上品な人を、それと悟られずに外へ逃がすのは難しい。どんなに地味な格好をしていても、人に傅かれて育った人間ならではのものが滲み出るからだ。
たとえば貴族の夫婦を逃がしたいとする。関所の役人によって一発で見抜かれるだろう。
そこでキースヘルムの手下が夫婦を装って入りこんでいて、互いのパートナーを交換して別々に出国したなら?
貴族の夫婦ではあまりにも上品すぎて目立つが、キースヘルムの手下と貴族夫人なら、地味な格好をさせてほとんどのやり取りを手下が引き受ければさほどのことではないだろう。女房は大人しいんだな、もしくは人見知りが激しいんだなと、そんなもので済むに違いない。
そして貴族の男と、手下が同伴してきた女性との組み合わせでも、貴族の男には地味な格好をさせた上で、それを尻に敷いている鉄火な女房といった役どころにすれば目立ちにくい。
(あと、ここの貴族令嬢を外国の貴族へと縁組させる、か)
いくら知りたくないと言っても、隠れ家に泊まり続ければ会話は聞こえてくる。
『46の商売人ですが、貴族令嬢を嫁に欲しいと。金貨200は出すそうです。ですからそんなはした金じゃ貴族でも未亡人すら難しいと言っておきました』
『初婚か、再婚か?』
『初婚です』
『そういう奴は安く買えると思いこんでる坊ちゃんだ。あとの話を聞く必要はねえ。どうせならとっくに跡取りがいて、箔が欲しい奴を見つけろ。そして当人だけじゃなく、その親からも紹介料を踏んだくれ』
『はい』
『本人からも最低500は出させろ』
『いち早くギバティに送っておいた伯爵家の娘ですが、追加でその姉夫婦もと』
『払えるんだろな。いや、少し割り引いて引き受けろ。その上で最初の娘は逃がすな。いずれ生活に困ったら泣きついてくる。それから売れ。神官なら高く買う筈だ』
『美術品の買い取り交渉がきています』
『あっちは現金化してえんだ。言うまでもねえが、安く見積もれ。外国に着いてから支払われるメリットを強調しとけよ』
キースヘルムは金になる機会を逃さない男なのだろう。それに、こういうのもまた必要なことだ。
たとえ足元を見られて支払いを吹っかけられても、それでもここから逃げ出さねばならない人達にとっては外国への脱出切符こそが大事なのだから。
たとえ売られた花嫁になるとしても、それでもこの国にいたら危険である以上、命が助かることで割り切るしかないのだろう。
けれども聞けば心が重くなるし、考えるだけで辛くなる。
(あまり知りたくないわ。考えたくもない)
優理は市場に出かけて雑貨などを見ることにした。
そうして噂を拾えば大体の事情も分かってくる。
どうやらこの国で第一王子、第二王子を産んだ正妃は、かなり冷遇されていたらしい。国内の貴族令嬢だった第二妃の産んだ第三王子が次の国王になるようにと、そういう働きかけが大きかったとか。
それに憤ったドモロール王国が攻めてくると、そんな噂が蔓延していた。
(ドモロール王国に攻められてこの国が踏みにじられるよりも、貴族の命だけですませることを選んだのね)
殺される方にしてみればたまったものではないだろうが、失われる人命の数と財産を考えれば、妥当な判断だ。
戦争とは、様々な力弱き者達が踏みにじられる悲劇だ。建物は燃やされるし、財産は奪い取られるし、畑は荒らされ、人は傷つけられて殺される。
それぐらいならば・・・。
ドモロール王国から嫁いできた王妃をないがしろにしてきた貴族達を全員処刑して、ドモロール王国の怒りを解いた方がよほど被害も少ないというものである。
(少しばかり無理があるわね。ちゃんと王子も産んでいる王妃なのに、どうやってないがしろにできたのかしら。しかも少し冷遇しただけで戦争とか処刑とかあるものなの?)
そういうことなら第一王子をちゃんと王位に就ければいいだけだろうに。
だけどもしかしたらそれ以上の理由があるのかもしれない。
だが、そんなことを知ってもうんざりするだけだ。
だから優理は知ろうとしないことにした。
己の精神安寧の為に。
キマリー国のそれは、かなり急がねばならないもののようだった。毎日朝から晩までキースヘルム達は動き回っている。
話をまとめ、自分達の隠れ家に連れてきては手筈を調えて逃がす予定だと、キースヘルムの手下から聞き出した。そして逃がすのが間に合わなかった時の為に、こういった隠れ家を確保しているのだとか。
捕まえる予定の貴族が見つからなかったとしても、その貴族と関係する人間ならばともかく、全く無関係の家まで一軒一軒調べることは不可能だろうから、逃がすのが手遅れになった時には、ここでほとぼりが冷めるまで匿って逃がすらしい。
(金貨十枚の仕事はしろよとか言って、結局、貴族の世話を私に任せるなんて何を考えてるのよっ、あの疫病神っ)
キースヘルムを頼る貴族達の状況は深刻らしい。
思ったよりも忙しくなり、肝心の隠れ家で貴族の世話をする人間が足りなくなり、優理が食事係となったのだ。ついでに簡単な掃除、洗濯もさせられている。
(まあ、いいわ。その程度、私にかかればお茶の子さいさいってものよ)
そうだ、それはいい。
キースヘルムの仕事なんぞ本気でどうでもいいといったものだ。
問題は、である。
(ってキマリー国の王子の行き先、ディリライトだなんて冗談じゃないわよぉっ)
現在、貴族達を次々と処刑しているのは王族の一人らしい。肝心の国王と王妃は沈黙を保っているが、全権を任せているとか。
では三人いる王子は何をしているのかと思えば、その内の第二王子がディリライト島に行っているそうで、残りの王子は居場所不明だとか。
(冗談っ。王子だなんて、どう考えてもディリライト邸と交流してるに決まってるじゃないのっ)
人と交流するのが苦手な割に、遥佳はお人好しなところがある。
貴族相手に王族が一気に立ち上がらねばならない程の事情を抱えていたなら、そのキマリー国王子に対して遥佳が無視するだなんてことがあるだろうか。
(性格がねじ曲がっていたり、品性下劣だったり、どうしようもない馬鹿なら話は別だろうけど)
できればどうしようもないスケベ王子だったりしてくれればいいのだが。
それなら遥佳は絶対に近づかないし、身を隠し、完全拒絶を実行するだろう。
(ううん。分かってるわ、私。だってその王子、不遇にもよそで育てられた王子だったって話だもの。華やかな王宮じゃない場所で育てられたなら、どっちかっていうと遥佳、同情とかしていそう)
優理はイメージとして真面目で質素かつ朴訥な王子の姿を思い浮かべながら、ここで遥佳が関与していない可能性に賭けるのは愚かすぎると判断した。
(うん、逃げよう。ここからさっさと逃げた方がいい)
キースヘルムからもらった金貨十枚分、それなりの雑貨も手に入れたし、面白そうな薬草の種も手に入れたし、調味料も買っているし、観光もした。
というわけで。
今日もバタバタと動き回っていたキースヘルムが戻ってきた時に、
「国外に逃がす人のパートナー用としても私を連れてきたんでしょ。なら、そろそろ私、帰りたいんだけど」
と、優理は持ちかけたのである。
「そうだな。ここに匿える人数にも限りがある。だがお前がいねえと、世話する奴がいねえ」
「早く逃がせばいいんじゃないの? なんでここに留めてるのよ」
「それがな」
どうやら現在、この首都を出る関所では、貴族の顔を知る人間が常駐して、全てをチェックしているらしい。髪は染めていないか、鬘ではないか、女性は化粧を落としてまで検められるとか。
「何、それ。どんな殲滅作戦なのよ」
「そんだけ本気だってことだろうよ。俺が来る前に逃がしてた奴ぁ抜けれたが、今となっちゃ本気で無理だ。恐らく、その後は密告を推奨するって奴が始まんだろうよ」
どっちかというと巻き添えにならない為に自分達も早く抜けた方がいいと、キースヘルム達も思っているらしい。
捕まった貴族と一緒にいたならば仲間扱いで自分達も殺されかねないからだ。
「なんでそこまで・・・」
「見せしめだろ。二度と王族に毒を盛るだなんてことを思いつかせねえように」
「毒?」
「ああ。何だ、ユーリ。さすがにキマリーとなったらお前の情報収集能力も無効か?」
「違うわ。調べたくなかったのよ。だってあまりにも・・・」
王妃の実家は軍事大国ドモロールで、その王妃にドモロール王国の手の者が接触しないようにと関所で騎士や兵士らしき者は徹底的に調べられていたという事実。
そして王妃が産んだ第一王子ではなく、第二妃が産んだ第三王子が幅をきかせていたという話を考えれば、貴族に同情したい気持ちなどどうして湧くだろう。
それでも毎日顔を見ていれば、怯えている様子に同情せずにはいられない。
(けれども私は王妃の方こそ気の毒だったって思ってしまうから。どうして国と国とを繋ぐ為にやってきた人の気持ちを、貴族の人達は思いやれなかったのかしら)
生まれ育った国を離れれば、頼りになるのは夫と自分を取り巻く人々だけだ。
第二王子は離れた場所で育てられていたというが、第二妃が妊娠した為、王妃の妊娠を隠さねばならなかったなど、・・・反対ならばともかく、どれ程の冷遇だったのかと考えずにはいられない。
「あまり、・・・知りたくない」
「お前はそういう潔癖なところがあるな。だから俺達みてえな奴らの生業も必要だと思いながらも染まりたくねえと拒絶する」
「それは・・・」
「別にいいさ。それでも俺はこういう生き方をやめられねえ。人間、どんなに綺麗事を並べてもおまんまが食えねえなら終わりさ。俺は、俺についてきた奴らを食わせ続けなきゃならん。たとえお前に軽蔑されようともな」
「・・・・・・」
たしかに遠慮なく吹っかけて大金を巻き上げてはいるが、キースヘルムのやり方でなければあれだけの手下を食べさせてはいけない。それは事実だ。
実際、こうして身近に見ていれば、キースヘルムは精力的に動いているし、優理に変なこともしてこない。
印象が変わった・・・。
それは紛れもない事実だ。
「まあ、いい。ユーリ、お前、まだ胸はまるっきりねえよな。なら男の格好しろ。さすがに下までは調べねえだろ。それとも男か?」
「違うわよっ」
「鬘まで調べるとなりゃあ、お前の場合、痛くもねえ腹を探られかねん。なら少年の格好をして出ろ。俺の手下と、・・・そうだな、貴族のお姫さんで三人家族ってとこか。三人の内、二人までが庶民ならどうにかなる筈だ」
「キースはどうするの?」
「一番危ねえ場所に手下だけ残す奴にアタマなんざ張れるか。・・・ちゃんとお前の買いもんは持って帰れよ。本当はこっちの荷物と一緒に運んでやりたかったが、どうなるか分かりゃしねえ」
「もしかして、かなり危険なの?」
「ああ。こんなことなら王妃に逆らうんじゃなかったって思ってる貴族ぁ多いだろうよ。これがどこぞの地方ならどうにでもなったが、首都となりゃ砦で覆われてやがる。山越えなんざできやしねえ」
苦々しげにキースヘルムは吐き捨てた。
マジュネル大陸は不思議の大陸だ。光るキノコベッドは夜にはドームになるし、花園はどこまでも増殖する。
綿帽子みたいな花が咲く一面のそれに感動した真琴だったが、遠くに見えている山がとても綺麗な水色を帯びていたものだから、
「あっちに行ってみたい」
と、言い出した。
「なんかさあ、他の山が緑なのに、あそこの山ってば水色してるよ」
「そうだな。行ってみるか。特に緑が少ないわけじゃないようだが、なんか霧っぽいのか、なんか不思議な感じだな」
遠くから見れば水色の山だったが、辿りついてみれば緑の木々もそれなりに生えていて、清々しい空気に満ちている。
「やっぱりっ。なんかとっても水が豊かそーな気がしたんだよね。とっても綺麗な湖っ」
「そうだな。何だ、そんなに気に入ったのか?」
「うんっ」
山の中腹にある湖はとても水が澄んでいて、湖底が見える程だ。
「やっぱり水が綺麗。カイトも泳がないの?」
「俺は見張ってるからいいよ。大体、いくらまだ子供でも、お前の裸を他の奴に見せる気はないぞ、俺は」
「はぁい」
「その内、水着を買ってこような」
「うん」
周囲にある木に登ったり、湖で泳いだり、柔らかい草の上で寝転がったりして、真琴はそこでの日々を満喫していた。
「そこまで気に入ったならブランコでも作ってやるよ」
「わーいっ。シルフと一緒にブラブラできるね」
ロープと板を使ってカイトがブランコを作れば、真琴は風の妖精と共にブランコを揺らしてその景色を楽しむ。
野宿しながら近くの村で買い出ししては過ごしていた二人だが、あまりにも真琴が生き生きと過ごしているものだから、カイトが言い出した。
「なあ、マコト。そんなにここが気に入ったなら、ここに家を建てるか?」
「え。いいの? だけどカイト、たしか北の方に集落があるんだよね?」
「同じ種族で村を作ることは多いが、それが全てってわけじゃない。基本的に自分が気に入った場所で暮らすもんだ。そして同じ種族だと似たような場所を好むってだけさ」
「じゃあ、カイト、そこの集落じゃないと暮らしにくいんじゃない?」
「おいおい。そんな奴がジンネル行くかって。それに俺達は二人だけの群れだ。なら、二人が気に入った場所に暮らせばいいだろう? 俺と二人で気に入った場所を見つけるってのも楽しそうじゃないか?」
カイトが水色の瞳に面白そうな光を浮かべて問いかけてくる。
「うん、そうだねっ。私達、二人きりの群れなんだねっ」
「ああ。近くの村じゃ、ここ、空気も水も綺麗すぎて、長くいると寂しい気分になるって話だったが、・・・別に俺達は寂しくも何ともならないしな」
「そうだよね。寂しいどころか、とっても落ち着くけど」
気まぐれな魔物や獣人が暮らすマジュネル大陸では、組み立て式の小さな家も売られている。
それを買って組み立てて暮らし、そこで暮らすのに飽きたらそれをバラして売る。だから似たような家が多かったりもするのだが、こういう時には助かる。
「飽きたら家を処分して移動すりゃいい」
そうして山の中腹にあるその湖の近くで、二人は家を建てて暮らし始めた。
カイトは働くことが苦にならないタイプだ。勿論、獣人なので日がな一日ごろごろしているのも嫌いではない。
しかし大事な群れの子である真琴にひもじい思いなんてさせたくないわけで、そうなるとせっせと畑も作るし、湖の中に生け簀を作って魚を囲っておいたりもする。
「ねえ。カイトってばいつ寝てるの?」
おかげで真琴はカイトが過労死したらどうしようと、ちょっと不安だ。
作物があまりに早く育つことに首を傾げながらも、カイトは今日も畑を耕して面積を広げている。
土が肥沃なのか、すぐに実るのだ。
「別に普通に寝てるぞ? あ、そうだ。鶏に餌をやっておいてくれ」
「はーい」
鶏小屋の周辺は柵でちゃんと覆われている。そこへ行き、柵の内側を散歩できるように鶏を小屋から出してあげた真琴だ。
(後ろの髪も伸びたし、今の私ってば遥佳そっくりかも。うーん、これでワンピース着てたら遥佳だよねぇ。ふっふっふ、豚を乗り回したりしようとしない私は、とてもおしとやかな女の子なんですっ)
コッココッコと、真琴が地面に落とした餌を啄みながら後をついてくる鶏達は、治療院で飼っていた鶏と違い、真琴に飛び蹴りをかましてこない。
「豚小屋は後で俺が掃除するからな。だから残飯を与えといてくれ」
「はーい」
豚は雑食なので何でも食べる。残飯なども綺麗に食べてくれるのでとてもエコだ。
(だけどやっぱり卵は買わずに鶏を飼うんだなぁ)
そう思う真琴だ。朝早くからコケッコーと鳴く鶏は、とても元気すぎる。
しかし真琴の気が変わって移動したいと言い出す可能性を考えているカイトは、さすがに牛や山羊までは飼おうと思わないらしい。
「鶏とか豚はいいわけ?」
「ああ。すぐに絞められるからな」
「・・・・・・そうなんだ」
お肉屋さんでお肉を買っていた日々がとても懐かしい真琴だ。
こういう時にカルチャーショックを感じずにはいられない。
「ちょっとぉ、私の足を突かないでよ。ちゃんと餌の方を食べなよ、ササミ、ソテー、テバ」
真琴のネーミングセンスを思わぬところで知ったカイトだ。
こういう時にジェネレーションギャップを感じずにはいられない。
「あ。ほら、チャーシューのご飯を食べちゃ駄目だよ。トンカツだって自分のがあるでしょ」
ああいう名前をつけながらも可愛がることができる真琴の精神構造がおかしいだけなのだろうか。
(まあいいか。こういう生活も楽しいようだし。だが、少しずつマコトも娘っぽくなってきてるな)
少女というよりも乙女と呼ぶ方が相応しくなりつつある変化を真琴に感じれば、カイトもその一刻一刻が眩しくもある。
(大人になってほしいのか、ほしくないのか。だが、あの笑顔を曇らせたくはない)
伸びやかに移りゆくその一瞬を惜しむように、カイトは目を細めた。
女の子というのは難しい生き物である。
カイトはしみじみとそれを感じていた。いや、自分にだって姉妹はいたのだから、女の子の気まぐれさなんて分かっている。
けれども所詮は姉妹である。しばらくしたら忘れて違うことでまた騒ぎ出すから放っておけばいいと、そんなものだった。
(マコトの場合、泣きそうになるから放っておけないんだよな)
自分の姉妹であれば、怒ったらその爪がヤバイといったものだったし、あんな狂暴な存在などこちらもとっとと逃げるというものだったが、真琴はとてもか弱い存在だ。
(まさか部屋にこもるだなんて思わなかった。そういうタイプとは思ってもなかったのが盲点だったか)
組み立て式の家は色々なサイズがあるが、浴室とトイレ、台所、そして団欒及び食事用の部屋、そして居室二つというタイプを選んだカイトだ。
というのも、やはり女の子は色々と男には見せたくない姿もあるだろうと思ったからだ。髪をブラッシングしては思ったような艶が出ないとか、リボンがうまく結べないとか、そうやって部屋から出てきたくないと落ち込む日もあるだろう。
ましてや真琴だって自分一人のスペースは必要な筈だと、そこはカイトもかなり気を遣ったつもりだった。
けれどもこうやって鍵を掛けて部屋に立てこもられてしまうと、やはり部屋を別々にしたのは間違いだったのだろうかと悩まずにはいられない。
「なあ、マコト。なんで部屋から出てきたくないんだ? 出てきたくないなら出てこなくてもいいが、それならご飯は食べないと。ドアの前に置いてあった食事にも手をつけてないじゃないか。それとも食べられないのか?」
「・・・いいから放っておいてよっ」
布団をかぶっているのか、くぐもった声が泣いているかのようで、カイトとて色々思い出しても全く心当たりがない。
今日の真琴は朝からずっと部屋に閉じこもっているのだ。
(昨日は一緒に出掛けて買い物したけど、普通だったよな。マコトだって嬉しそうに菓子を食べてたし。戻ってきてからもシルフと一緒にブランコしてたし、夜だって俺が背中に乗せて散歩してやったし、まあ、そりゃ今朝は俺の方がおかげで寝坊してしまったが)
真琴が喜ぶものだから、夜の散歩はかなり遠出してしまったが、ちゃんと明け方前には戻ってきたし、途中で寝入ってしまった真琴をカイトの部屋に連れて帰って着替えさせて寝たが、いつも通りすぴすぴと寝ていた。
朝にはいつの間にか寝台からいなくなっていたが、部屋に戻っているようだったので朝ご飯を作ってやり、それから声を掛けたというのに、出てこないのである。
(おかしいな。俺はマコトと違って寝相は悪くないから、寝ている間にあいつを叩いたりとか蹴ったりとかしてる筈もないんだが)
反対のことはよくある。寝ている真琴に腹を蹴られたり、振り回した手で顔を殴られたりは、珍しくもない。
その程度は何てことないとカイトも気にしていないが、まさか・・・・・・。
「マッ、マコトッ。まさか俺、寝てる時にお前を殴ったりしたのかっ? もしかして怪我とかしてるのかっ!?」
そこではっと熟睡していた自分が真琴を傷つけたのかと思いつき、カイトはかなり焦って扉に両手をつけてその答えを求めようとした。
「もしかして打ち身とかあるんじゃないだろうなっ。マコトッ、それならちゃんと手当てしないとっ」
「・・・違うもんっ! 怪我なんてしてないっ!」
苛立ったような返事が戻ってくるが、やはり布団に潜りこんでいるようなくぐもった声だ。
「怪我なんてしてないんだから放っておいてよっ」
「・・・じゃあ、どうして出てこないのか、それだけ教えてくれ、マコト。ご飯も食べないでずっとそんな状態で、心配しない方がおかしいだろう」
「・・・・・・・・・」
「お前はタイガーじゃないから、・・・だから心配なんだ。お前が腹を空かせていると思うだけでお前の体がどこまで持つのか不安になるし、俺が気づかない内に何かしたんじゃないかと、お前を傷つけているかもしれないことが怖い。マコト、本当は俺が何かしたのを黙ってるだけじゃないのか?」
「・・・違うもん。ただ、・・・カイトに、会いたくない」
「どうしてだ? 俺はお前に何かしたか?」
かなりグサッと心を深く抉られたカイトだったが、それを感じさせないように落ち着いて尋ねる。
もしかして自分はジンネル大陸でいわれるところの、
「ウザい親」「何かとウダウダ過干渉なんだよ」「子供は親の持ち物じゃねえ」
というアレだったのだろうか。
あんなにも大きく飛びついてはごろごろと甘えてきたのは真琴だったのにと、カイトの心は大破していた。
「カイト、・・・私、見たら、・・・嫌いになるもん」
「俺がマコトを? あり得ないな。どうしてそう思うんだ?」
とりあえず理由らしきものが出てきたことに安堵し、自分が嫌われたわけではないと思ったカイトの心は全速力で自動修復されていった。
カイトは眉根を寄せつつも明るい口調で質問する。
「俺がお前を嫌いになるだなんて、どこから出てきたんだ、マコト? もしかして自分で前髪を切っちゃったのか? だけど切りすぎたってお前は可愛いよ」
「・・・・・・体、変化して、・・・戻らない」
小さすぎる声は泣いているからなのか。
そんなことかと、カイトは小さく息をついた。
「なんだ。また体が中途半端になっちゃったのか? どうせ俺はお前と初めて会った時に見てる。別に中途半端に変身してたってかまわないさ。うまく手や足が使えないならちゃんと手伝ってやるし、どうせここは誰も来ないから全く問題はない。小さい子にはよくあることだ。誰も気にしないもんだぞ」
「・・・・・・だって」
「マコト? もしかして俺に見せたくない姿とかいうのか? 別に気にするな。お前ならその姿がスカンクでも俺は愛してるよ」
くすっと笑った気配がした。
きっとスカンクと熊と犬の獣人が酔っ払って大騒ぎした後の酒場を通りがかった時の、カイトの悶絶具合を思い出したのだろう。
「本当にスカンクだったのか? まあ、俺に向けてあの攻撃をしないでくれたならどうでもいいよ。可愛いじゃないか、スカンクも」
「・・・スカンクじゃないもん」
「そりゃ助かるな。あいつは最強すぎる。・・・で、何の姿になっちゃったんだ?」
「髪、・・・戻んないの。目も」
「髪と目が? なんだ、髪がチリチリになったのか? それともなくなっちゃったか? まあ、女の子だからそういうのはショックかもしれんが、お前が見たことないだけで、そういう魔物もマジュネルには普通に沢山いる。目ってことは蛇か蜥蜴か何かだったか? 別に俺だって虎の姿になりゃ目の形は変わるしな。もしかしてああいうの、マコトは嫌だったか?」
少しずつ真琴が心を開き始めていると感じ、カイトが言葉を尽くそうとしていると、キィッと扉が開いた。
けれども真琴は頭からシーツをかぶっている。
「やっと出てきたか。お腹もペコペコだろ?」
あえてそのまま抱きしめれば、
「カイトぉ」
と、カイトの腰に両手をまわしてくる。
「髪の色が変わっちゃったの。目も違うの。・・・戻んない」
「別にいいじゃないか。お前なら何色でも可愛いよ」
「カイト、私の、黒いのが可愛い、綺麗、言った」
その声に、ああそうかと、カイトは気づく。
「黒くても可愛いけど、違う色でも似合うさ。ああいうのは色が特別だから可愛いと思うんじゃない。可愛い存在がそういう色だから特別に思うだけだ。・・・ごめんな。俺の言い方が悪かったんだな、マコト」
自分でも忘れていた時のことだ。けれども真琴はずっと覚えていたのだろうかと、カイトは目を少し伏せた。
(どうしよう。なんでこう、時々いじらしすぎるんだ、こいつは)
そうして手を滑らせるようにして、真琴がかぶっているシーツを落とすと、そのゴールデンイエローの頭に口づける。少し屈んで視線を同じ高さにすれば、セピア色の瞳は涙に濡れていた。
「大人になったんだな、マコト。子供の時のお前も可愛かったし、今の姿もとても綺麗だ。どっちも愛してるよ」
「気持ち悪いとか・・・」
「思うわけがないだろ。どうやったらそんな突拍子もないことを思いつけるんだ?」
心の底からそれを思わずにはいられない。
膝まで届く僅かに赤みを帯びた金髪は朝の太陽色だ。黄を帯びた赤に暗い影がさしたセピア色の瞳だって、夕方の闇に変わる一瞬前の空を思わせて印象的だろう。
「月を抱く夜空の色と緑を抱く木々の色から、今度は朝日の色と夕焼けの空色に変わっただけだろう? どっちも綺麗なのにどうして泣くんだ、マコト? お前はその色が嫌いなのか?」
「だって、顔も・・・」
「ああ。大人に育ったな。今までは可愛かったが、これからは綺麗になったって言うんだろうな」
体のラインも一気に女性らしさが出てしまったが、中身はやはりそうそう変わらないのか。
そう思って、カイトはひょいっと真琴を抱き上げた。
「さ、食事にしよう。俺もお前につきあって腹ペコだ。大人になってもまだ俺の可愛いマコトでいてくれるんだろう?」
小さな家だ。そのまま椅子に座らせて、よしよしと頭を撫でれば大人になってもやはり可愛い。
「ちょっと待ってろよ。今すぐスープを温めてやるから」
カイトが食事を温め直しに行けば、真琴は椅子から立ち上がってぴたぴたと歩いてきた。
鍋を火にかけているカイトの腰に後ろからぺとっと腕を回してくっついてくる。
「どうした、マコト? 靴を履いてないなら冷えるから座っておけと言っただろう?」
「カイトは大人の私でも、・・・こういう色でも、好き?」
「ああ。お前がお前なら、たとえどんな色でも愛してるさ」
戻らないなら背中に乗っておけと、カイトは真琴をおんぶしてパンを温め直すことにした。
やっぱり大人になって胸も育ってはいるのだが、やってることは赤ん坊と一緒だなと、そんなことをカイトは思う。
「スカンクの色でも?」
「ああ。攻撃するのはやめてほしいけどな」
「蛇でも?」
「ああ。他の男を銜えこむのはやめてほしいけどな」
「蜥蜴でも?」
「ああ。尻尾だけ置いて家出するのはやめてほしいけどな」
ついでにチーズも切ってパンの上に置き、少しとろけさせることにしたカイトだ。チーズの端っこは軽く火で炙ってから背中の上にいる真琴の口元を見もせずに差し出した。
真琴はつまみ食いするのが大好きだから。
「ちょっとこれ、塩気がきつい」
「端っこだからな。スープと一緒に食べればちょうどいいだろ」
オレンジや苺を洗ってカットし、皿に入れる前に真琴の口元へと差し出せば食いつく。
「もう閉じこもったりするなよ、そんなことで」
「うん」
二人分の食事を用意しているカイトに、真琴も自信を取り戻したようだった。
「ねーねー、カイト、私がいないとやっぱりご飯食べたくなかった? もしかしてとっても心配してた?」
一気に明るく尋ねてくるのだから、本当にこの子だけはと、カイトは思う。
さっきまで泣いていたのはどうなったのだろう。
そんな調子に乗った質問に誰が答えられるかと、スープやパン、果物をテーブルに運んで、カイトは真琴を椅子に座り直させた。
するとブーブーと不満をアピールするのだから、大人になったのは外見だけだ。
「カイトってばぁ。私が訊いてるのにぃ」
パンパンとテーブルを叩くのだからどうしようもない。
「黙って食え」
「ぶー」
それでも食べ始めたらお腹が空いていたことを思い出したらしい。真琴はスープに入っている大きな粗挽きソーセージと格闘し始めた。
(部屋を別にしていて良かった。こうして大人になられてしまうと、もう子供たぁ言えん。・・・やってることはどこまでもお子様だが)
大人になったら結婚しようと約束はしてみたが、ソーセージにつるんっと逃げられて噛みつくことにしたらしい娘に大人としての内面は存在するのだろうか。
(かつて二回目のデートで、辛抱たまらんとシルバーフォックス娘を襲ったシルバータイガーがいた。幼馴染だったし、今は仲いい夫婦だが、彼女はその後、何十年経っても何かにつけてその時のことを恨みがましげに語ったという)
やはり相手に合わせることは大事だ。しかも男が年上であったのならば。
「一気に成長したからな。骨とか痛くないか?」
「んー、平気」
「目の高さとか、腕の感覚とか、かなり違うだろう。慣れるまでしばらく危ないことはするなよ。木登りとかも当分はやめとけ」
「はーい」
だが、一気に長くなった髪がいささか邪魔そうだ。
カイトは椅子から立ち上がると、部屋から飾り紐を取ってきて、真琴の後ろ髪を一つに括る。
「ありがと。髪って長いと邪魔だね」
テーブルに置いてあったバナナを食べながら、真琴がカイトを振り返ろうとするが、
「かまわないから食べとけ」
と、カイトは前を向かせた。
「今度はリボンを買いに行こう」
「んー。別に切ればいいだけじゃないかな」
「いいじゃないか。どうせ髪を乾かすのはシルフがしてくれる。鬱陶しいならこうして一つにまとめておけばいい」
「まあ、いいけど」
どうせお風呂に入ればいつも髪を洗ってブラッシングしてくれるのはカイトだ。
だからどうでもいいかと真琴は思った。
しかし。
その日からカイトは真琴と一緒に入浴してくれなくなった。一緒に寝てくれなくなった。
「なんでよっ」
「俺の身にもなれっ」
カイトのそれはほとんど悲鳴に近かった。




