46 遥佳はディリライトを後にした
遥佳と別れたミファレーンは、走ったらお腹が痛くなったのでとぼとぼと歩いて帰る。
そうして貸別荘に着いてみれば、たしかにケイファストとウルティードを先頭に、皆がミファレーンを捜しまわっていた。
「あっ! いたっ、ミファレーンッ。・・・ずぶ濡れじゃねえか。どうした、海にでも落っこちたか?」
「ミファレーン、無事だったか。いや、無事じゃないね。怪我はないかい?」
兄王子二人の反応にミファレーンも自分の格好を振り返れば、確かに頭の天辺から足のつま先までずぶ濡れである。
「バッカだなぁ。お前、どうせ海に足先だけつけるつもりが滑って転んで頭まで濡らしちゃったんだろ。だっせぇ」
「ウルティード、そういうことを言うもんじゃない。・・・ミファレーン、すぐに湯を用意しよう。どこが痛いんだい?」
ケイファストが寄ってきて、ミファレーンの体に傷がないかを調べようとする。
「あの、これ・・・」
このままでは、自分は海で滑って転んだカッコ悪い王子になってしまうと、焦ってミファレーンは貝をケイファストに押しつけた。
「どうしたんだい、これは」
「土産、です」
近寄ってきた護衛達が、ミファレーンに乾いた布をかぶせる。
「さ、殿下。まずはお体を洗ってからにしましょう」
「早く湯を」
「着替えはケイファスト様のをお借りしましょう」
そうして慌てて彼らが沸かした湯が、浴槽に溜められた。
(なんか、あの姫のおかげで散々な目に遭った。大体あんなみすぼらしい貝三つで何が土産だ)
ミファレーンは、浴室で体を洗いながら今日の出来事を思い出して不機嫌になる。
着替えて出ていけば、そこの団欒室にケイファストとウルティード、そしてホムルトやザラームスなどが待っていた。
「どうしたんですか、ケイファスト兄上?」
「いや。この土産って、お前が海で採ってきたのかい?」
「あ、はい。そうです」
正しくは「採ってこさせられた」だが、まさか首長の姪如きに命じられて動いただなんて言いたくないミファレーンである。
自分は誇り高きキマリー国の王子なのだ。
「大したものだな。てっきり海で転んだものと思っていたが・・・」
「それは言える。すげえじゃねえか、ミファレーン。これ、三人に一個ずつってか」
ケイファストとウルティードの賛辞が分からないミファレーンだ。
けれども机の上に置かれた三つの貝はこじ開けられ、そこに一粒ずつ何かが、気持ち悪いぐねぐねした貝の中身と共に入っていた。
「これって・・・」
「貝の中に入っている状態の真珠は初めて拝見しました。さすがでございますね、ミファレーン様」
あまりの不気味さに目を丸くしたミファレーンに、ケイファストの体調管理をしているザラームスがにこにこと目を細めて褒め称える。
三つの真珠はそれぞれに色合いが微妙に違ったが、綺麗な真円だった。
「土産だから・・・」
何をどう言えばいいのか分からず、口ごもるようにミファレーンが言えば、ウルティードが明るくその肩を叩いてくる。
「なぁに言ってんだよ。初めてやってきてこれだけ大きなのを見つけるなんてすげえぜ。ほら、一番好きなのは自分で選べよ。俺は残りもんでいいしさ」
「そうだな。どれも立派じゃないか。凄いぞ、ミファレーン」
その言葉に、何故かミファレーンは自分が恥ずかしくなった。
どうしてウルティードはこうして屈託もなく自分に話しかけてくるのだろう。
見れば真珠はどれも似たような大きさだ。
「じゃあ・・・金色っぽいのはケイファスト兄上に、赤みを帯びたのはウルティード兄上に、・・・私はその黒いので」
すると王宮の侍従であるホムルトが、頷きながら口を挟む。
「シンクエン様からお伺いしたのですが、こちらでは贈る真珠に意味を持たせるそうでございますね。黄色がかっている真珠は『あなたにお金の苦労はさせません』、
赤みを帯びたのは『あなたを愛しています』、
黒を帯びたそれは『あなたと一緒に夜を過ごしたい』でしたか。基本的に愛を告げるものらしいですね」
「「「・・・・・・」」」
三人の王子はそれぞれに黙りこんだ。
ちらりと、ケイファストとウルティードの灰色の瞳がミファレーンに向けられる。
「ちっ、違いますからっ」
焦ったミファレーンだが、その言葉は嘘ではない。自分は今まで中身が真珠だなんて知らなかった。
「いや、分かってる。いや、それも悪くないか。そうだな。ミファレーンがいる限り、我がキマリー国の国庫は潤っているに違いない。何よりものプレゼントだよ、ミファレーン」
「そうだな。愛されてるとは思わなかった。知らなかったよ、ミファレーン。今夜は一緒に寝るか? 俺、男とは初めてだからぁ、・・・優しくしてね?」
「悪ノリしないでくださいっ、ウルティード兄上っ」
真っ赤になって否定しながらも、ミファレーンの目頭が熱くなる。
だって自分は・・・。
ぽろっと落ちた涙に気づけば、空気を読んだのだろうか。
「そろそろ食事の用意に取りかかるよう伝えてきましょう。いや、ミファレーン様がご無事で何よりでした」
「そうですな。今日は最後の夜ですから、ケイファスト様はあまり胃もたれしないものがいいでしょう」
気づかなかったフリで、ホムルトとザラームスが部屋を出ていく。
護衛騎士や兵士達に、彼らが廊下で何かを命じる声が聞こえた。
「あ、そうだ。俺、ちょっとひとっ走りして真珠に穴開けてもらってくる。そうしたら使いやすいだろ。たしかハールカ、穴開けるヤスリ持ってた筈だからさ」
慌てたようにウルティードが三つの真珠を持って出ていけば、室内にはケイファストとミファレーンしか残らない。
(ああ。今から私は兄上に告げられるのか)
とても暗い空気が室内に満ちたのを、ミファレーンは感じた。
「ミファレーン。明日、キマリーに向かって出立する。だが、すまないがキマリーに戻った時、お前の母君とパスティス公爵は・・・」
「・・・分かってます」
本当はケイファストに母と祖父達の減刑を頼もうと思っていたミファレーンだ。けれどもケイファストの言葉に、恐らくそれはもう間に合わないのだと察する。
「私も処刑されるのですか?」
「いいや。お前は我が国の王子だ。パスティス公爵による私への暗殺未遂に心を痛めても、それとは無関係であり、潔白だ。パスティス公爵の罪を嘆き、何も知らなかった第二妃グラディーネ様は自害なさった。けれども我ら兄弟の絆は変わらない」
「ですが・・・っ」
潔白などではない。自分は誰よりもそれを知っている。
反論しようとしたミファレーンの唇に、ケイファストの指がそっと当てられた。
「ミファレーン。私の毒殺に加担した貴族や召し使い達は全て処刑された。だから後始末はとても大変だ。なのに私は無理がきかない体だ。そしてウルティードは安全な場所で育てられて健康だが、その分、王宮には疎い。お前の力が必要だ。・・・助けてくれるかい?」
ミファレーンに何が言えただろう。
恥知らずにも祖父と母を死なせてのうのうと生きろと言うのか。けれども・・・。
「パスティス公爵一家が連座で失脚した今、領地と財産は宙に浮いた。・・・パスティス公爵家は大きく、そこで働いていた人々もこのままでは路頭に迷う。また末端の親族もこのままではとんでもないことになるし、放っておけば犯罪が横行してしまう。数十人、数百人、数千人の無辜の民をどうして死なせられるだろう。助けられるのはお前しかいない」
感情ではなく理性で考えろと、言外にケイファストが要求してくる。
ミファレーンは唇を震わせた。
「どう、すれば・・・」
「今はとりあえず凍結されている筈だ。けれどもこういう時だからこそ、我ら三人が仲たがいなどあってはならない。分かるね?」
「・・・はい」
ミファレーンが頷けば、ケイファストも穏やかな表情で頷く。
「今はキマリー国王子としてウルティードと共に私を支えてくれ、ミファレーン。そうして落ち着いたら臣籍に降り、パスティスの名ではなく、新たな名で公爵家を作るんだ。そうしてパスティス公爵家の全てはお前に引き継がれる」
「あ・・・」
それがどういう意味か、ミファレーンに分からぬ筈がない。
もう誰も残っていないのだと。パスティス公爵家は誰もが処刑されたのだと。
ケイファストなりの温情なのだと分かった。そしてどうあっても死ねない、とも。
「分かり、・・・ました。兄上」
自分の罪など、大したことではないのだ。既にケイファストは国の混乱を鎮めることに目を向けている。
無条件で許されることを、嬉しいと思えないのは何故なのか。
心に落ちた冷たい石くれを感じながら、ミファレーンは自分がケイファストの立場ならどうしただろうかと、それを思う。
「おいで、ミファレーン。お腹が空いただろう?」
そうしてケイファスト達が滞在している建物の食堂へと移動した兄弟だったが、しばらく待っても、・・・やがてかなりの時間を待ち続けてもウルティードは帰ってこなかった。
「おかしいな。穴を開けるだけならさほどの時間はかからない筈なんだが」
遥佳が真珠に穴を開けているのを見ていたケイファストである。行って帰ってくるだけのことだろうにと、首を傾げる。
「ケイファスト様。今、ディリライト邸のご使者が。ウルティード様はディリライト邸で、真珠をピンブローチにするとかで、かなりお時間がかかっているようでございます。夕食はあちらで差し上げるので心配しないでほしいとのことでございました。遅くなりそうなのでもう泊まっていただくとのことでございます」
「分かった。申し訳ないがお世話になるとお伝えしておいてくれ」
「はい」
最後まで世話になりっぱなしかと、ケイファストは溜め息をついた。
「思うに夕食をご馳走になってる時か食後に、こちらにそれを言わずに来たということをウルティードがぽろりと言って、慌ててディリライト邸が使いを寄越したというところだろうね」
「・・・それって」
「私の言っていることが分かっただろう? ウルティードは放っておくとこれだからね。ちゃんと見張っておいてくれ、ミファレーン。ディリライト島だからいいようなものの、これを他の王室でやられた日にはどんなことになるやらだ」
腐っても第二王子のウルティードだ。意見ができる者は限られている。
たしかに物静かで体の弱いケイファストでは御しきれないだろう。
「はい」
ミファレーンもケイファストの言葉に本気の悩みを感じて頷かざるを得なかった。
出立の朝は、とてもいい天気だった。しっかり朝食もディリライト邸でとり、別れの挨拶にやってきたケイファスト一行に回収されたウルティードである。
「いいですか、ウルティード兄上。あなたの行動がですね・・・」
「あ、ほら。見ろよ、ミファレーン。なかなか格好良くできただろ。一粒だから襟元に飾ることができるピンタイプのブローチにしたんだ。な?」
「・・・・・・聞く気ないですね」
説教など最初から流すつもりのウルティードだ。ミファレーンの襟元には黒い真珠のものを、そしてケイファストにも黄色のそれをつけてしまう。
ディリライト邸で、真珠が入った貝を仕込んであった場所へ遥佳がミファレーンを案内したのだと種明かしされたウルティードだ。
そうしてケイトに、
「一粒なら、もう真珠を挿すだけでいいピンブローチがあるの。それを使えばいいわ。ここではもうそれが用意してあるのよ」
と、言われて手早く作りあげてしまった後は、最後の夜を楽しく過ごしていた。
そうして別れるとなれば、ウルティードにも特別な感慨が浮かぶ。
既にウルティードは、ケイファストから、遥佳へ婚姻の打診をしたものの断られたとは聞かされていた。だから今まで何も言わなかった。
それでも・・・。
ディリライト邸の使用人達も背後に控えた状態で皆が勢揃いし、ケイファスト一行を見送る時に、ウルティードは遥佳を見た。
「ハールカ」
「なあに、ウルティード?」
「兄上から断られたってのは聞いた。だけど俺は自分の言葉で申し込みたいし、お前の口からちゃんと断りを聞きたい。そうしたら諦められる。だから言わせてくれ。・・・ディリライトのハールカ姫。あなたを愛しています。だからどうかキマリーに来て私の正妃になってください」
跪いて結婚を申し込むウルティードに、周囲の誰もが目を丸くして注目する。特に頭痛を覚えたのはその兄弟であったことは言うまでもない。
「ごめんなさい、ウルティード王子。私、実はディリライト首長の姪ではなく他人なのです」
「そんなこと気にしない。身分で好きになったわけじゃないから」
そう言いきれるのはウルティードだけだった。
特にキマリー国側の騎士達、特に王宮の侍従であるホムルトは一気にその白髪を逆立てる勢いで薄茶色の瞳を見開く。
それはあってはならぬことだ。まさかそんな身分詐称を、よりによってディリライト首長は我が国に対してやったというのかと、怒りに身を震わせる。
「それに、・・・私、女性でもないのですけど」
「・・・大丈夫。愛があればその程度は乗り越えられると思う」
少し考えたウルティードだったが、
(男なら無理かな?)
と、考え、
(別にいっか)
という結論を出した。
だからそう言って遥佳の手を両手で握る。
「そもそも性別って愛情の障害になるのか? 俺は相手がハールカなら十分に乗り越えていける」
けれどもそう言えるのはウルティードだけで、これに関してはキマリー国だけではなく、ドモロール王国の騎士達も、更にはディリライト島の人達も、かなり顎を落とす勢いで耳を疑わずにはいられない。
ケイファストとミファレーンは、自分達の兄弟が実は器の大きな男だと知った・・・。
「乗り越えられるわけがないでしょうっ」
と、喚き立てようとしたホムルトの口を、ケイファストの主治医のような立場であるザラームスが背後から手で塞ぐ。
ザラームスにとっても、「ちょっと待ってくれ」という事態だったが、あの気持ちのいい第二王子に、気がすむまでやらせてあげたかったのだ。
「そして私、結婚する人にはその身分を捨ててもらわないと駄目なのです」
「・・・・・・それは、厳しいな」
そこでウルティードは、視線を落とした。
今の状況を考えれば、自分が王籍を抜けるわけにはいかないからだ。
「ごめん、ハールカ」
「分かってたから平気よ。だから立ってちょうだい、ウルティード」
遥佳はウルティードの両手を握り返して立たせた。
「あのね、私、今まで父が母に贈ったプロポーズが世界で一番素晴らしいものだと思ってたわ。だけど、きっとこれから私、プロポーズの言葉ならあなたの言葉を思い出すと思うの」
「え?」
「キマリー国のウルティード王子、あなたは私の身分も性別も全く気にせずプロポーズしてくれた初めての王族の人だわ。そしてきっと最後。だってこれで私の正体が知れ渡る以上、私にとって他の求婚なんて聞く価値はないんだもの」
「・・・ハールカ?」
遥佳はウルティードの頬にキスを贈った。
「求婚は受けられないけど、特別に思っていていい?」
「勿論だ。俺だって初めての求婚だったんだから、君は特別に決まってるだろ」
ウルティードに抱きしめられた遥佳は、そう言えば自分は女性に近づいていたのだと思い出す。
男だと言う割には胸があるような? と、疑問に思ったウルティードの唇に、遥佳はそっと人差し指を当てた。
「あ、そうだわ。女性じゃないっていうのは嘘よ?」
「だよなぁ。女の子以外のなにもんでもないよ」
これがもう最後だと思えば、抱きしめたこの腕を解きたくない。
「君に会えて、本当に良かった」
ぎゅうっと抱き締められたまま、遥佳は頭につけていた額飾りを取り外してコウヤに向き直った。
「ディリライトの首長コウヤ殿。この度は私の滞在を快く受け入れていただきましてありがとうございました。カリン殿、タイキ殿、カシマ殿、ケイト殿、そして世話してくださった皆さんにも心より感謝申し上げます」
「勿体ないお言葉です」
コウヤが恭しく答えたものだから、わけのわからないままにディリライト一同も遥佳に対して礼を取る。
「これはかつてディリライトから塔と共に、私の母へと贈られたものでした。今、お返しいたします。どうぞ跡を継ぐ方にお渡しください」
遥佳がその額飾りを渡そうとすれば、衆人環視とあってコウヤも受け取るしかなかった。
ウルティードが遥佳を放そうとしないので近寄っていったが、ウルティードの気持ちは分かるものの放置はできない。
「こほんっ。・・・ウルティード様。放して差し上げてくださいませんかな」
咳払いしたコウヤに言われて、ウルティードは渋々と遥佳を解放した。
「お待ちくださいっ。この方はあなた様の姪御殿ではなかったのですかっ」
そこでホムルトがザラームスの腕を押しのけて前へ出ようとする。
こんな事態をどうキマリー国王に報告すればいいのか。
どんな関係かは知らないが、首長の姪でも何でもない相手に我が国の第二王子は求婚したというのか。それこそ世界的な笑いものだ。
「お下がりなさい、デミール・ホムルト。私のことでディリライト首長を責めることは許しません」
そこで、厳しい声が遥佳から飛び出る。名乗った覚えはないのにどうして我が名を知っているのかと、ホムルトは遥佳を見返した。
「コウヤ殿は、私がここでゆっくりと過ごしたいと伝えたのでそれを叶えてくださっただけです。責任問題を恐れなくても、キマリー国王は今回の件であなたを叱ったりはなさらないでしょう」
「そ、それはどういう・・・」
遥佳はホムルトの疑問を無視し、コウヤの頬にもキスをする。カリン、タイキ、カシマ、ケイトの頬にも順番にキスをすると、最後にウルティードの額にキスを贈った。
「さようなら、ウルティード。あなたの魂はとても明るくて楽しくて、本当に素敵だったわ。どうかいつまでもその輝きを忘れないで」
「ハールカ? って、一体・・・」
そこで遥佳が後ろを振り向いて、
「ヴィゴラス、帰りましょう」
と、呼びかける。
ヴィゴラスといえば、遥佳が壁飾りを作ってあげていた鳥の名前である。
その壁飾りを知っている皆が、「ん?」と、思う間もなく、それが羽ばたいて着地する。
「・・・グッ、グリフォンッ!?」
「ゲヨネル大陸の幻獣っ!」
「グリフォンッ!」
「馬が逃げるっ! 逃がすなぁっ!」
「宝を見るや否や襲ってくる幻獣っ!」
誰もがあまりの驚きに息を飲むが、遥佳は両手を広げてヴィゴラスを迎える。
ヴィゴラスも嬉しそうに遥佳の手に頭を擦りつけると、キュルルと可愛らしく鳴いた。
「いい子ね、ヴィゴラス」
そしてよいしょっと、遥佳はその背中に乗ろうとしたものだから、そこで立ち尽くしていたウルティードが、
「大丈夫か。ほら、そこで力を入れて」
と、遥佳に手を貸してそれを手伝う。
「そっか。ハールカがせっせと作ってた壁飾り、こいつのだったんだな」
「ええ。可愛いでしょう? ヴィゴラス、綺麗な物が大好きなの」
「・・・ソーダナ。ウン、可愛イカモナ」
目つき鋭い大鷲の上半身、がっしりとした獅子の下半身を持つ幻獣を見てそう言えるのは遥佳だけだろう。
その可愛い鳥は、綺麗な宝を見るや否や全てをなぎ倒して襲ってくる凶悪な幻獣である。
「断ってくれてありがとう、ハールカ。どうか幸せに」
「ありがとう、ウルティード。ごめんなさい、私のせいで有名になっちゃうわね。だけど人が人を好きになるってそういうことだわ。相手の身分や条件で決めるものじゃないの」
「ああ。そして俺はハールカなら、男でも女でも本当にどっちでも良かったんだ」
「そうね。そういうあなただから最後までプロポーズを聞いたの。どこぞの王様の弟の時は聞かないで無視してきちゃったけど。あなたの言葉を覚えておきたいから、もう私、他の王族の求婚は聞かないわ。その想いだけを返させてね」
くすっと遥佳が笑えば、周囲の皆が、「ん?」と、首を傾げる。
王弟にプロポーズされるのを無視してきたとは、どういうことか。
「飛び立つわ。離れて、ウルティード」
ゆっくりと翼を広げて上昇するそれに伴って、ウルティードの手から遥佳の指先が離れていく。
(ハールカ、・・・俺はそれでも君が好きだった)
それを見送り、ウルティードはそっと自分の手を唇に押し当てた。今も彼女の手の感触が残っている。
「グリフォンに乗ることができるとは、一体どういう・・・? もしかしてあの女性はゲヨネル大陸の妖精でしたか?」
ウルティードの背後でケイファストがコウヤに尋ねる声が聞こえたが、ウルティードは彼女の消えた空を見続けていた。
(それでも俺は、・・・兄上を捨ててなんていけない)
本当は一緒に行きたかった。
彼女とならば頑張れる自分になれるような気がした。
男だろうが女だろうがどうでもよくて、ただ一緒にいたかった。
「ウルティード兄上。もう、見ていてもとっくにあの速さならば・・・」
ミファレーンに背後から腕を取られ、ウルティードは振り返る。
考えてみれば皆の注目を集めた上で、公開でフラれたわけだ。とても格好悪い。けれども後悔はなかった。
そんなウルティードにコウヤが近寄ってくる。
「ウルティード王子。あなたは本当に見る目がおありだ。あの方の素性を知らずして求められたのですから」
「それはどういう・・・。別にフラれたからって慰めてくれなくても・・・」
さすがに顔を赤くしてウルティードが地面を向けば、コウヤはその肩に力強く手を置いた。
「慰めたわけじゃなくて本気ですとも。あの方を妃に迎えることができるのならば、それこそ国を差し出してでもと、乞わぬ王族はおりません。それでもあなただけが最初で最後の、求婚を聞く価値のあった王族だと仰っていたではありませんか。ましてやあんなにもあなたの魂を褒めていらした。どこに慰める必要がありますかな?」
「え・・・?」
コウヤはグリフォンが飛び去った空を見上げた。
「彼女は女神シアラスティネル様が姫君、つまり神子姫ハールカ様です」
その場は、壮絶な沈黙に満たされた。
特に、キマリー国及びドモロール王国側の沈黙は凄まじいとしか言いようがなかった。
ディリライトの前で、誰とも知れぬ相手に恥かきプロポーズなどやらかしてくれたみっともない第二王子だと思っていただけに。
身分の差や性別などどうでもいいなどと、愚かなことを言い出した救いようのない第二王子だと思っていただけに。
このどんでん返しは何なのか。
「こっ、このバカ兄上―っ! キマリー国王子の座なんてどうでもいいだろっ! どうしてあそこで捨てるって言わなかったんだよっ!! 神子様だぞっ! 何考えてんだっ!!」
「バカって何だよ、この馬鹿ミファレーンッ! 知らなかったし、そういうもんじゃねえだろっ」
「なんで求婚する程の仲でしたらあちら様のご身分ぐらいお気づきにならなかったんですかぁっ!」
先程までコウヤを責める気満々だったホムルトが、一転して悲鳴のような叫び声になる。
ケイファストは大きく溜め息をついた。
(そりゃどこの養女にもなれないか。どんな国の王室でも格が低すぎる)
なるほどと、遥佳との会話を思い返す。
(きっとジンネル大陸中に、ウルティードの求婚の言葉が知られるんだろうな)
ぎゃーぎゃーと喚きながら喧嘩している二人の弟を見れば、収拾もつきそうになかった。
「大切にするがいい、タイキ。これはかつてディリライトが女神様にあの塔と共に献上した品。ハールカ姫様からのくだされものだ。今後代々、ディリライトの跡継ぎが身につければよい」
「は、・・・はい、父上」
コウヤから額飾りを渡されたタイキとも目が合ったが、タイキも初めて知った様子だ。
「とても、・・・素晴らしい日々でした。このディリライトで過ごさせていただいたこと、生涯忘れることはないでしょう」
「はい。私共にとっても」
ゆっくりと差し出したケイファストの手を、タイキが力強く握る。
彼らの姿を、朝日が眩しく照らしていた。
ウルティードは主張したい。
人に大切なのは、思いやりだと思う。
人の心の痛みを理解し、それには触れぬようにする。
それこそが大事なのではないだろうか。
「なのにどうして俺は、公衆の面前でフラれたってのに、更にその傷を何度も穿り返され、責められなきゃならないんだ。おかしいだろ、これ」
ウルティードがうんざりする顔になるのも無理はなかっただろう。
キマリー国へ向かう道中だというのに、ずっと皆から責められ続けているのだから。
最初は馬に乗っていたものの、それにげんなりしたウルティードは、ケイファストとミファレーンがいる馬車の中に逃げてきた。ここなら静かだからだ。
「それは仕方ないね。もしも求婚を受けていただけていたなら、キマリー国の経済成長は急上昇というだけではない。現在はギバティ王国にある大神殿も移ってきただろうし、聖なる国として一気に全ての国から攻められない大国へと変わっただろう。それこそウルティードを引き取ってドモロール王国の次期国王にしてもいいと、お祖父様とて言ったかもしれないな」
のんびりとケイファストはそんなことを言って、全くウルティードの苦境を理解してくれない。
「ばっかばかしい。それこそあり得ねえっつーのに。大体、ハールカがそんなの喜ぶクチかよ。兄上だってハールカと一緒に過ごしてたんだ。大勢の前に姿を現わして手を振るだなんて絶対にやりたくない、静かな場所で穏やかに過ごしていたいタイプだって分かってるだろ。なんでそんなひどい状況に惚れた女を追いやらなきゃならないんだよ」
「ですがウルティード兄上。・・・神子姫様とあればそういった我が儘も許されたでしょう。いてくださる、それだけで十分なのですから」
ミファレーンが勿体なさすぎるとばかりに、口を挟んだ。
求婚までしたくせに、一番割り切っているのが当事者であるウルティードというのはどういうことか。普通はもっとその正体を知って悔しがるべきだろうに。
「男の妃でもいいと言ったくせに、ウルティードはもう未練もない様子なんだな」
ケイファストもミファレーンと同じことを思ったらしい。
肝心の本人は正体を知っても惜しまず、他の人達ばかりが残念がって大騒ぎだ。
「うーん。なんつーかさ、そう言うんじゃないんだよな」
ぽりぽりと焦げ茶色の髪を掻きながら、ウルティードは馬車から窓の外を見る。
どんなに空を見上げても、グリフォンと去った彼女の姿は見えないけれど。
「俺はハールカにずっと俺の傍でいてほしかったんだ。女なら妃ってのが、一番傍にいてもらえるだろ? だけど男ならシンクエンとこの養子にでもしてもらって、俺の傍でいてもらえばいいと思った。それだけなんだよな」
ずっと君を見ていたかった。そして自分を見ていてほしかった。
そんな気持ちに男とか女とか関係あるのだろうか。
「ウルティード兄上。妃って意味、分かってますか?」
ミファレーンが理解不可能とばかりに尋ねる。
「んなもん、どうにでもなるだろ?」
「なりませんよ」
「ま、そりゃそうなんだけどさ。別に男だったなら、後は一緒に暮らして、普通の嫁さんは嫁さんでもらえばいいわけだし」
「・・・結婚生活という意味、分かってますか、ウルティード兄上?」
「一緒に暮らすことだろ」
「・・・・・・いや、だから」
女の園で育った弟のミファレーンの方が、男と女を理解していた。
なんで俺がここでも責められなきゃならんのかと、ありありと顔に書いてある状態のウルティードだ。
「あのなぁ、ミファレーン。お前にゃ俺がどう映ってんのか知らねえけどよ、俺は何だかんだ言っても王宮育ちじゃねえんだよ。ずっとシンクエンとこの領地で暮らしてたわけ。それこそシンクエンがやってくるのを待ち続けてさ。だからあいつが本当は俺の兄なんだって信じてたんだ」
その理由が理由だけに、兄弟も言葉に詰まる。
「大事にされてんのは分かってたさ。王族ならではの教育も受けさせられていたしよ。だけど俺はずっと守られているのは分かっていても、・・・本当の家族が欲しかった」
ウルティードは今までの日々を思い返した。
「俺はずっと自分が守りたい家族が欲しかったんだと思う。色々な国には行ったさ。綺麗なお姫様だって沢山見た。教師に教わった通り、第二王子に相応しい妃ってのを探してもみた。・・・だけど何かが違ったんだ。そしてハールカだけだった」
「何がですか?」
「俺が王子でなくてもどうでもいいって感じで味方してくれたのは」
「・・・味方?」
「そう。元々俺、シンクエンが俺と一緒にいてくれるのが嬉しくて妃探しとか言って外国訪問しまくってたんだけど、ハールカ、そこらへんをどうやって探り出したかしんねえけど、シンクエンのこと色々教えてくれてさ、だからまあ・・・」
「「・・・・・・」」
かりかりと、ウルティードは頬を掻く。
ぎこちない笑顔を浮かべながら、そこでやっとケイファストは同腹の弟に問いかけた。
「ウルティード。妃探しよりシンクエンといたいだけだったのかい?」
「うん、実は。・・・あ、だけどハールカに出会ってみたら、ハールカが妃になってくれるならいいかなって思ったよ。それはホント。だって、・・・控え目で大人しくて、なんてゆーか可愛いだろ? ほら、いつでも振り返ったら微笑んでくれるし、辛い時には寄り添ってくれるし、それでいてあんなにも頼りなくて健気で守ってあげたい存在なんて、もうどこにもいないよな。俺、ハールカに会って、初めて人を好きになるってこういうことなんだって思った」
照れながら言う兄弟の気持ちが全く分からない。
ケイファストはくらりと眩暈を覚えずにはいられなかった。
ミファレーンも、荷物持ちだけではなく肉や魚を捌かされ、海に潜らされたことを思い出して、どこをどうやったらそう見えるのかが謎だと、やはりこの異母兄とは気が合わないと実感する。
「そ、そうか。ウルティードは、・・・そもそも妃を迎えたい願望を全く持っていなかったのだな」
「いや、ハールカなら妃になってほしかったけど」
「そ、・・・そうか」
ケイファストもミファレーンも、ウルティードの精神は実体験を積んでいないがゆえの王族としての自覚不十分なものである事実を、こうなっては理解するしかなかった。
「あ、あの、ウルティード兄上。そういえば、あのグリフォンに平気で近寄っていましたが、恐ろしくはなかったのですか?」
「え? ああ、大きくてびっくりしたな。初めて見た。すげえよな、空を飛んで連れてってくれるなんてさ。ハールカ、どこにでも行けちゃうよな」
「あの狂暴さはご存じですよね? それにグリフォンは、まず背中に誰も乗せません」
「あ? ああ、勿論。ちゃんと習ったもんよ。だけど実物見たら大人しかったし、目つきは悪かったけど、実は気さくな動物なんじゃねえの?」
ウルティードの体で隠されてはいたが、情けの心を知るヴィゴラスは皆の前でお断りされたウルティードの肩を慰めるように前脚でそっと軽く叩いてくれていた。
男同士、分かり合える何かがそこにはあった、・・・・・・筈だ。
「どうしてこんな考えなしな人の魂が素敵だの何だのと言えたのか、私にはそれが分かりません」
「きっと、・・・神子姫様の目には計算高さが全くないところが好ましく映ったのだろう」
そんな兄弟のぼやきに耳を傾けることなく、ウルティードは目を閉じる。
人にどう思われようと今更だ。そんなこと、気にしない。
(なあ、ハールカ。これからずっと、俺は君を心に住まわせ続けるだろう)
誰もが自分を第二王子として見るけれど、
「辛いのなら、全く王子様じゃない人生を送れるような場所へ連れて行ってあげるわ、ウルティード」
と、そう言ってくれたのは彼女だけだった。
そしてシンクエン達がどれ程に自分を守っていてくれたのか、彼女は教えてくれた。
ザラームスから聞き出した内容を、更に詳しく補足してくれた。
ミファレーンの偏った育てられ方と今の置かれた状況も。
(求婚は断られたけど、今の俺は知ってる。ハールカ、暗殺者達から俺を守ってくれたのは君なんだと)
もしも求婚を彼女が受けてくれたなら、ウルティードを取り巻く環境こそが彼女を傷つける結果となっただろう。
はたまた彼女と共にどこかへと姿を消したとして、ケイファストやシンクエンを捨てていく自分を自分は許せなかったに違いない。
本当は一緒に行きたかった。だけど、これで良かったのだと思う。
勿論、半分以上は負け惜しみだ。
それでも彼女が神子姫だったというのなら・・・。
(ずっと君は俺の聖域でいてくれる)
いつしか現実という世界に汚されていく存在ではないから、自分はずっと心に思い描いて生きていくことができるだろう。
本当に好きだった女の子や親友になったカシマ達と過ごした、あの輝いていた南の島を。
ウルティード達が出立する日の朝、遥佳から、
「私も今日でお暇します。今までありがとうございました」
と、そう言われていたコウヤ達だ。
ギバティ王国へ戻るのなら船を出そうと言ったのに、その必要はないと断られたのはこういうことだったのかと、グリフォンに乗って飛び去った姿に納得もした。
「俺はウルティードに同情する。ありゃねえだろ。せめてあの場は保留しといてやりゃ良かったのによ」
「それは無理よ、カシマ兄様。だってハールカ、お父様の姪ってことになってたのよ。それこそディリライトが対応しなくちゃいけなくなっちゃうもの」
「んなもん、どうにでもなるだろうが」
「なるわけないでしょ」
「二人とも、そこまでにしておきなさい」
見かねてタイキが弟妹の言い争いを止める。
「だけどさぁ、兄上」
「お前だってウルティードの立場になれば分かるさ、カシマ」
タイキはコウヤを通して渡された、遥佳のつけていた額飾りを手に持ちながら諭すように言った。
「ウルティードは断られると分かっていたから求婚したんだ。もしも受け入れてもらえると思っていたなら言わなかっただろう」
「何だよ、それ」
「どういうことよ、タイキ兄様」
カシマとケイトが不満そうな声をあげる。
(そういえば母上も父上を責めてたな。神子姫様だと分かっていたならもっと丁重におもてなししたのに、とか言って)
タイキは父に同情しながら窓の外を見た。
――― 彼女が語ってくれたよ。かつてこの額飾りをどうして代々の跡継ぎがつけていたのかを。うちにはかつて跡継ぎがつけていたとしか伝わっていなかったが・・・。
豊かな島は狙われるからこそ、誰よりも目立つ姿で跡継ぎの時から敵を打ち負かす力を見せつけなくてはならなかったのだとね。首長になった時、若僧ならばと攻め込まれぬように。
あの塔に、もう物静かな少女はいない。
あそこは跡継ぎこそが使う物見の塔なのだから遠慮なく使ってくれとも言われたそうだ。
かつてこの額飾りをつけていたという遥佳の父、タイガ。
父がつけていた額飾りをつけ、父が暮らしていた物見の塔に暮らし、遥佳はどんな敵を打ち負かしたのか。
キマリー国のシンクエン達が過ごしていた海岸に流れ着いた騎士や兵士達。
タイキは古い絵を心に思い浮かべた。
「断られることで、ウルティードは永遠の愛を手に入れたんだ」
何かを守る人生を選んだなら、時に自分の手ばかりか魂をも汚されることはあるだろう。
けれどもウルティードは、心の中に汚されぬ場所を持ち続けることができる。
ましてや彼女が普通の女性ではなかったと知った今なら。
(あんな風に正体を現すようなことをしたのは、ウルティードの為だった。考えなしな求婚をした王子なんて、誰もが資質不適格ということで糾弾しただろう。だが相手が神子姫なら今回の件、どんなにウルティードの足を引っ張りたくても誰もが引っ張れなくなる。そしてウルティードを殺そうとしていた残党も、二の足を踏むことになるだろう)
断られることで、ウルティードは遥佳を心に刻みつけようとした。
けれども遥佳は、その心の傷となるよりも温もりであろうとした。
(君はそういう優しい女の子だった。少々どんくさかったけど)
正体を見せたことこそが遥佳のウルティードに対するエールだ。
その想いがウルティードに届いているようにとタイキは願った。




