45 キマリーの王子はディリライトに揃った
ディリライト島に住まう首長コウヤは、ほうっと溜め息をついて空を見上げた。
(うちは長閑な島の筈なんだがなぁ)
連絡が来たのは先程のことだ。キマリー国の第三王子ミファレーンがディリライト島にやってきたらしい。
『コウヤ様。キマリー国第三王子ミファレーン様がおいでになり、
「ディリライト島に滞在しているであろうキマリー国王太子ケイファスト殿下の居場所まで案内してもらいたい」
と、主張しておいでです。
第三王子ご本人かどうかの確認と、ケイファスト様ご一行が滞在している場所を教えていいものかどうかの、お返事をお願いします』
港からそんな問い合わせが届いたのだ。
現在、その一行を船の発着所付近の建物内に留めおき、ケイファスト一行へ問い合わせの使者を出しているところだ。
(偽者ということはいくら何でもないだろうが、キマリー国の王子三人が三人共ディリライトに滞在するだなんて迷惑すぎる)
コウヤとて第一王子ケイファストの体に毒が盛られていたということ、第二王子ウルティードが隠されて育ったということ、そして第三王子ミファレーンが第二妃の産んだ王子だと聞けば、察するものはある。
兄弟と言ってもそんな事情の末弟、弟ではなく敵だろう。ましてや第二王子ウルティードはこの島で殺されようとしていたではないか。その犯人など、今やってきた第三王子もしくは第三王子を取り巻く誰かに違いないと、馬鹿でも分かる。
(そんな厄介な王子など、拒否して放り出したいというのが本音だ)
コウヤは長男であるタイキ、そしてキマリー国のケイファストと三人で語らう時間を持つようになっていた。
次の国王になる人間が国外に出ることはあまりなく、しかもこんな親しく交流できる時間などそうそう持てるものではない。
また同じ立場というものがそうさせるのだろう。ケイファストとタイキ、カシマとウルティードはいい友人になっているようだ。
(あの額飾りを元の形に仕立て直しもしたが、・・・やはり絵だけでは分からぬものだな)
遥佳は額飾りの元のデザインを図にしてコウヤに渡してきた。
『あのね、おじさま。これ、女性用に仕立て直した時に、細かい部分の意匠が色々と変更されたの。だから本来の形にしてほしいのですけど』
『なんとまあ。こんなにも違っていたとは』
急ぎで作り直させたが、遥佳がつけていた時には円環タイプだった額飾りは、本来は跡継ぎの男子に受け継がれてきたというのも納得の三日月形で、額に差しこんで後頭部で布や革紐などで固定するものだった。
考えてみればそうでなくては頭の形や大きさなど個人差があるのだから困ってしまうだけだっただろう。
今、戻ってきた額飾りを、遥佳はリボンをつけてティアラのようにして使っている。
普通は宝冠のようにして使うなど反感を覚えられるのだろうが、元々が派手で目立つ額飾りだったので、かえって頭の上に載っている方が可愛らしいと、そう思われているようだ。
「コウヤ様」
「戻ったか」
そこで部屋に入ってきた男が報告する。
「先程、確認が終わり、第三王子ミファレーン様ご一行はケイファスト様ご一行近くの貸別荘へと落ち着かれました」
「分かった。・・・やれやれ、うちの島で問題は起こさないでもらいたいもんだな。この場合、歓迎の宴をすべきなのか、もう不要なのか、悩むところだよ」
本気の口調でコウヤはぼやいた。
まさか長兄ケイファストと次兄ウルティードがこんなにも仲の良い様子で一緒にいるとは思わなかったミファレーンである。
そしてウルティードも兄に続いて異母弟がやってきたというので、「何なんだ、いったい」状態だった。
「ええーっと、ミファレーン? わざわざ来たのか、一体どうしたんだ?」
「あなたには関係ないことです、ウルティード殿」
「ミファレーン。ウルティードは紛れもなく私達の兄弟だ。きちんと『兄上』と呼びなさい」
「・・・分かりました、ケイファスト兄上」
三人の王子が集ったその一室では、和やかとは言い難い空気が流れている。
(何なんだろうなぁ。やっぱり兄弟っつっても、俺、こいつと気ぃ合わねえや)
元々は離れて育てられたことにより、事情はよく分からないが国王一家の人間でありながら自分は疎まれているらしいと思っていたウルティードである。
王宮に迎えられた後も、誰からも腫れ物扱いされていたこともあり、あまり両親と兄弟に期待などしてはいなかった。自分にはシンクエンがいるからいいと、そう思っていたこともある。
『あのね、ウルティード。ちゃんとお兄様に聞いた方がいいわ。あなたのご両親、あなたが元気に遊んでいるのを遠くから見るのを楽しみに、さりげなく近くを通る日程を組んでいたのよ? あなたもいきなりどこかに連れていかれて、そこのお外で遊ぶようにしていたこと、一年に一回ぐらいなかった?』
遥佳に忠告され、実は離れて暮らしていた間も国王夫妻とケイファストは自分の様子を報告させていて、たまにこっそりとその姿を覗いていたと知った。兄だけを危険な状況に置き続けて自分は安全に育てられたのだと思えば、ウルティードも罪悪感が募る。
『あちらを刺激してウルティード様に何かあってはと、ケイファスト様はそれだけを恐れておいででした。だからウルティード様が王宮に迎えられた後も、ミファレーン様へ多く笑顔を向けるようにしておいでだったのです。国内王族や貴族ではもう無理だろうと、できるだけ勢力のある外国の王女を妃に迎えていただくことで、ウルティード様の安全を・・・』
ウルティードに対して素っ気なかったのは狙われるリスクを軽減する為であり、外国の王女を娶らせようとしたのもそれだけ強い立場にさせようとしたからだった。そうザラームスに教えられた日には、上っ面な理解しかしていなかった己が恥ずかしくもなる。
というわけで、ウルティードは今こそ兄を守るのだと思っていた。
(なんだかなぁ。ミファレーンってすっげぇプライド高ぇんだよな)
そりゃ自分を殺そうとしている一人だろうから気が合わないのは当たり前なのだろう。
ウルティードはそれこそ体の弱い兄が継承権第二位の自分を警戒して殺そうとしたという可能性も考えていた。けれどもこうやって同じ時間を過ごしてみればそれはあり得ないと分かる。
となれば誰が自分を殺そうとしていたのかだなんて、残りは一つしかない。
(まあ、いいか。今回ミファレーンの護衛は第二妃やパスティス公爵とかのそれは入ってないっていう話だ。そうなりゃこの坊ちゃん王子にだけ気をつけときゃいいってわけだ)
カシマはいい師匠だ。実戦的なそれを叩きこんでくれた。
ミファレーンには背中さえ見せなければ大丈夫だろう。
そういったことをウルティードが考えていると、そこで扉がノックされる。
「失礼いたします。コウヤ様及びカリン様から、ミファレーン様を交えての茶会のお誘いが届いております。公的なご訪問ではないようなので、明日の昼過ぎにお茶を差し上げたいとのことです。ケイファスト様とウルティード様もご一緒にと」
「勿論お受けしよう。いいな、ウルティード、ミファレーン?」
「俺は別に。どうせ明日もディリライト邸に行くし」
「分かりました、ケイファスト兄上」
わざわざ茶会も何も、いつだって茶などがぶがぶ飲ませてもらっているウルティードだ。カシマと一緒に、
「はいはい、子供達。ちゃんと水分は取らなきゃ駄目ですよ。お腹は空いてないかしら」
と、カリンからも実の伯母のように面倒をみてもらっている。
着替えだけ持っていって直前で着替えさせてもらうか、もう誰も期待していないだろうから普段着でいさせてもらうか、本気で悩んだ。
同じ敷地内にいるのだし、自分だけサボるというのはどうだろう?
「ウルティード。こういう時はきちんとした格好をするんだよ?」
「・・・はい、勿論です。兄上」
「まさかと思いますがウルティード、・・・兄上は、外交時のそれすらご存じないのですか?」
「・・・(かっ、可愛くねえっ)」
「・・・(ああ、もうこの子達は。どうしたものかな)」
ウルティードの思考を読んでいたケイファストだが、苦々しい顔つきのウルティードと、そっぽをむいたミファレーンの顔を眺め直し、そっと溜め息をついた。
戸外の、上部にだけ天幕が張られた中での茶会は、気楽な感じで始まった。
一人に一つずつ卓が用意され、それぞれに沸かされる湯があり、好きな茶をブレンドして淹れるという、体験型の茶会である。
「なあ、ハールカ。組み合わせが分かんねえ。作ってくれ」
「分からない時はそのベースのお茶だけで大丈夫みたいよ。だけど花の香りとか、すぅっとした爽やかさとか、柑橘系の酸味とかを足したい時にそれらを入れるの」
「分かった。ハールカのそれと俺のとを交換しよう。ハールカはもう一つ同じのを作ればいいんだ、な?」
「しょうがないわね。ウルティードにはちゃんと作ってあげるわ。この間、ケイトが作ってくれた味、気に入ってたでしょ?」
「ああ、あれな。変な色だったけど美味かった」
自分で作る努力を放棄しているウルティードに比べて、第一王子のケイファストは首長夫人カリンに、
「まずは定番の味を楽しみたいのですが、飲みやすい味というのはありますか?」
などと尋ねて、一つ一つの味を比べては自分の感想を述べていた。
その合間に、首長コウヤとも他愛ない話を交える。
そして第三王子のミファレーンは同い年のケイトに、
「爽やかな香りがしますが、これはどの位入れるといいのでしょう?」
などと尋ねては、ゆっくりと味わい、茶菓子との組み合わせを褒めた。
そして時折、タイキに向かって、美しい景色や異国情緒溢れる文化について質問しては頷く。
「ケイファスト様とウルティード様はほとんど生き写しのお顔立ちですが、性格はケイファスト様とミファレーン様がよく似ていらっしゃるのですね」
「その痒い話し方やめてくれよ、カシマ。というか、俺とカシマとハールカって時点で、ココ、完璧に礼儀が劣る組み合わせって感じじゃねえ?」
ケイファストの卓の両側にはコウヤとカリン、ウルティードの卓の両側にはカシマとハールカ、ミファレーンの卓の両側にはタイキとケイトが並んでいる。
「そんなことはないですよ。ウルティード様とハールカという組み合わせを私一人で引き上げておりますから」
「嘘こけ。なー、ハールカ?」
「ふふ、どうかしら。だけど私達はあまりそこまで気にしなくていいんじゃないかしら。はい、ウルティード、カシマ。お菓子だけじゃ物足りないでしょ? スパイシーな味付けの白身魚のパイだけどどう?」
茶会の前まで外で体を動かしていた二人である。遥佳はこっそり卓の下に隠しておいたパイを取り出して二人の皿に置く。
勿論、喜んで食べた二人だが、そこだけ軽食といった雰囲気になってしまったのだから、それを見たミファレーンは不愉快そうに眉を顰めた。
(何なんだ、あの女。首長の姪という割には礼儀もわきまえず、勝手にあんな物を持ちこんで)
カリンもそれを横目で見ながら小さく笑った。
(ハールカ様ったらあれを持ちこんでしまったのね)
というのも、あれは茶会の菓子などでは二人には物足りないだろうと思ってカリンが予め食べておけるようにと用意させておいた魚のパイだったのだ。けれどもぎりぎりまで動いていた二人は体を洗って着替えていたら時間切れになってしまった、それだけである。
(あの食べっぷり。やっぱり二人共お腹ぺこぺこなのね)
どうせ遥佳が何をしてもコウヤは咎めないし、賓客として迎えている王子とて、王太子ケイファストがどうこう思わないのは分かっている。
今もぱくぱくと食べている弟王子を楽しそうに眺めているのだから。
そんな九人の茶会を、少し離れた場所にいる護衛や付き添い達は、何とも複雑そうな顔つきで見ていた。
彼らにも少し離れたその場所に席が用意され、ディリライトの使用人達が茶や菓子を給仕してくれている。
(ハールカ姫か。ケイファスト様が打診なさったところ、妃の件は撥ねつけられたとか)
シンクエンと共にキマリー国に戻り、ミファレーンと共にディリライトへとんぼ返りしてきた王宮の侍従ホムルトはそう思った。
国王の内意としては第二妃にということだったが、ケイファストは正妃にと考えたらしい。
慌ただしくケイファストと打ち合わせてみれば、とっくに遥佳から妃の打診は断られたとのこと。
コウヤには尋ねていないということだったが、しかし首長から話があれば遥佳も頷くのではないだろうか。かなり仲良く過ごしているようでもあるし。
(ドモロールとていつまでも正妃ネムソフィア様のお父上が国王でいてくださるわけではない。代替わりした時、兄王子がキマリーにどんな思いを持つかは不明だ。ならば違う王室の姫をウルティード様には迎えていただいた方がいい)
ディリライトは王政がないが、ケイトは王女のようなものだし、遥佳は王の姪姫みたいなものだ。
ホムルトは、今はまだドモロールの武力を借りても、いずれはそれを払拭していかねばならない未来を思う。
「ところでコウヤ殿。弟のミファレーンも来たことですし、三日後にはここを去ろうと考えております」
「おや、そうでございますか」
「ええ。明日と明後日にはミファレーンにもこの島を観光させてあげたいとは思うのですが、さすがにもう戻らねば。三日後、ウルティードとミファレーンを連れてキマリーに戻ります」
「それはまた残念なことだ。ですがまた遊びに来ていただければ幸いです」
「ええ、それは是非」
ケイファストが、ふと思いついたようにそんなことを言ったものだから、ウルティードはびくっと体を跳ねさせた。
(三日後、・・・キマリーに戻る)
いや、それは当然のことなのだ。いつまでもここにはいられない。
本来の滞在期間はとっくに過ぎていることをウルティードとて分かっている。
そしてミファレーンは、その言葉にホッとするものを感じていた。
(昨夜はずっとウルティードがいたからケイファスト兄上との時間が持てなかった。同じ建物にいるばかりか、あんなにも引っ付いていられては二人きりの話もできやしない。だが、三日後に戻るというのであれば、帰路、兄上に頼めるだろう)
今日もミファレーンの持ってきた服装では暑いだろうからと、涼しげな衣装を一緒に見繕ってくれた兄王子だ。さすがにあれだけ周囲に誰かがいる状態では、祖父や母の減刑など頼めるものではなかった。
けれどもこうしていきなりやってきても怒らず、面倒をみようとしてくれる兄なのだ。やはり自分は愛されているのだと、安堵している。
『ケイファスト様とウルティード様はほとんど生き写しのお顔立ちですが、性格はケイファスト様とミファレーン様がよく似ていらっしゃるのですね』
先程、聞こえてしまったカシマの言葉。
やはり誰が見てもケイファストとウルティードはよく似た顔なのだろう。
(当然だ。父と母が同じなのだから)
そんな言葉をなかったことにする。だって考えてしまったら自分の心が押し潰されそうになるから。
(たかが数ヶ月、私より先に産まれたというだけで)
ウルティードの存在が明らかになるまで、自分こそが第二王子として周囲からも大事にされてきたというのに。
(いや。ディリライトだってウルティードより私の方を重要視してきているではないか。私には後継者であるタイキ殿だが、ウルティードには次男のカシマ殿。私には首長の一人娘であるケイト姫だが、ウルティードには姪のお荷物姫)
姪ながらも遥佳は既に両親を亡くしており、しかも体が弱くて子供が望めないのだとか。そうなるといくら血縁があっても、ほとんどケイトの付き添い扱いだろう。もしもケイトが他国の王室に嫁ぐとなったら、侍女としてついていく立場だ。
実際、あの三人の品のなさはどうだろう。
茶会とは一つの外交だというのに、ほとんど気のおけない間食ではないか。
そう思い、ミファレーンはウルティード達三人にその青い瞳を向けた。その場で一番目立つ髪飾りをつけた遥佳と、そこで目が合う。
(え・・・? 何だ?)
遥佳が指先でスパイシーな白身魚のパイを指差し、ミファレーンにも「食べますか?」と、問いかける顔となった。
まさか自分が物欲しそうに見えたのだろうかと、ミファレーンが内心たじろぐ。
パイの載った皿を持って、遥佳がひょいっと近寄ってくる。
「はい、どうぞ」
「・・・ありがとう」
ここで断るのは角が立つ。というわけで、ミファレーンはそのパイを受け取って食べた。
「こらこら、ハールカ。あの欠食人間達はともかく、だな」
「男の子は沢山食べて元気に育った方がいいらしいのよ、タイキ」
「そりゃそうだろうが」
「それに女の人達に囲まれて甘いお菓子しか食べない生活より、こうやってお外で元気に伸び伸びと暮らした方が心も大きく広がると思うの」
白身魚のパイといっても、本当にスパイスがきいた味つけだった。辛いものだから余計に食べ進めてしまうし、茶もがぶ飲みしてしまいそうになる。
(こっ、これは私にも、あいつらのようにガツガツと礼儀を失した食べ方をするようにという罠かっ!)
みっともないことが嫌いなミファレーンは上品にパイを食べて、涼しげにお茶を飲もうと努力した。
ちゃっかりタイキとケイトの皿にもパイを置いていった遥佳は、ケイファストにだけは、
「これ、結構辛いんですよ。味見だけ」
と、一口分だけ小さく切り分けてから渡している。しかもパイ生地部分を多めにして。
「そうなのかい? ウルティードがぱくぱく食べていたから美味しいだろうと思ってたんだが、・・・へえ、本当にスパイスがきいているね」
たとえ素性が知れないといっても、ウルティードと遥佳がとても健全な仲良しなものだから、ケイファストには今も弟の恋を叶えてあげたい気持ちが残っていた。
首長夫妻を差し置いてここまでしても咎められないのだから、やはりどこかの王族ではないのかと思う。
何より遥佳はウルティードの味方だという気配が、あまりにも濃厚だった。
「ウルティード達はわざと辛いのを食べて汗を噴き出したがるんです。しかも何かと二人で競争するんですもの。それぐらいパイ生地が多いとちょうどいいぐらいじゃないですか?」
「そうだね。なかなか美味しい」
そんな時もミファレーンは必死で上品に、けれども口の中を火事にしながら食べている。
(くっそぉっ! なら私にも一口分だけにしないかっ!)
勿論それは、遥佳のミファレーンに対する、ウルティードを狙ったことのお仕置きだった。わざとミファレーンに渡したものには唐辛子成分を増量させていたのは言うまでもない。
「ミファレーンって辛いの苦手なのか? そんなにも顔を赤くしちゃって」
不思議そうな顔になるウルティードだ。ミファレーンは、
(こいつになど絶対に負けたくないっ)
と、めらめらとした闘志を燃やしながら、それでも上品に食べ続けた。
ケイファストは、ミファレーンがやってきた理由を問わなかった。
(もしかして兄上はご存じなのだろうか。その上で沈黙なさっているのだろうか)
滞在する建物が違うからだろう。一緒にいる時は優しいケイファストにほっとしながらも、別れて自室に戻ってくれば不安になるミファレーンだ。
(暗殺するならすればいいと、そう言って兄上は出て行かれたという話だった。けれども暗殺なんて誰がするかなど、分かるものではない。・・・そうだ。私は兄上を暗殺しようなんて考えたこともない)
だからケイファストと自分の間に問題は全くない筈だ。
そう自分を思いこませながら、ミファレーンはどうしていいか分からずに部屋の中をうろうろと歩きまわる。
今までこんな思いに翻弄されることはなかった。
全ては祖父や母の息がかかった人間が全てを片付けてくれたから。
(どうしてウルティードだけが兄上の傍にいられるんだ)
何も言わなくても誰もが自分の意を酌んで動いてくれていたミファレーンである。
ウルティードがしたように、
「俺は兄上と一緒にいる。そう決めたんだ」
と、自分の意見を主張すること自体、考えつかないことだった。
いや、考えついても、そういう自分からみっともなく縋るものではないと思い直してしまうのだ。
(ウルティードが見初めたとかいうハールカ姫だって、ケイト姫と違って無駄に出しゃばりなだけだし、礼儀もわきまえてないし、本当に最悪なだけじゃないか。そんな人を見る目もないようなウルティードを、どうして兄上は・・・)
今日だって違う島に行くのに自分達で舟を漕ぐなどという野蛮な方法を提案されたのだ。
護衛の騎士や兵士にさせるならともかく、王族が自分で漕ぐだなんて冗談ではなかった。
なのにタイキもカシマもウルティードも平然と漕いでみせた。
『ミファレーン様もなさってみたらどうでしょう?』
『・・・そうですね』
遥佳に言われ、ウルティードができるのだから簡単だろうと思ってやってみたのだ。しかし、初めて櫂を持ったミファレーンは、全然うまくできずに恥をかいてしまった。
(嫌いだ、あんな女っ。ケイト姫は、
「まあ。そんなの初めて持つ人ができるものではありませんわ」
と、ちゃんと人に恥をかかさない配慮ができるというのに、あのハールカ姫は何なんだっ)
もう頭の中も心の中もぐちゃぐちゃで泣きたくなる。
ミファレーンは、キマリーの王宮を思った。
誰もが優しくて自分の言葉を聞いてくれて全ての願いが叶う場所。
(帰りたい・・・。もう嫌だ、こんなとこ)
あと一日の我慢だけれど。
明日はキマリー国に向けて出発する。だから途中から合流するドモロール王国の兵士達の数などを、ケイファスト達は打ち合わせていた。
(やはりドモロールの兵士達がつくのか)
ミファレーンの心に重苦しいものが圧し掛かる。
午前中は三人の王子でディリライト島を散歩しながら、島ならではの景色などを楽しんだりもしていたのだが、午後になってウルティードはディリライト家のタイキやカシマ達と泳ぎに行ってしまった。
ケイファストは少し疲れたので昼寝するということだったが、そろそろ起きたのではないかと思ってミファレーンは兄の様子を見に来たのだ。
すると目覚めていたらしいケイファストは、ウルティードの護衛としてドモロール王国から差し向けられたらしい兵士達を率いる小隊長や、ミファレーンと共にやってきた王宮の侍従ホムルト、そして何人かの騎士達と、広間で明日からの予定を話し合っていたところだったのである。
ミファレーンは、咄嗟に自分の姿を隠した。
『本当にドモロールへお寄りにならないのでしょうか、ケイファスト様。陛下もお待ちでいらっしゃいます』
『そのお気持ちは有り難いのだが、さすがにキマリー国の王子三人が三人、ドモロールへ行くわけにはいかないだろう。だが、私もお礼を申し上げたい。一度、キマリーに戻った後で、私がドモロールのお祖父様へ改めて会いに行きたいと思っているのだが、それについて打診しておいてもらえるだろうか』
『ミファレーン様のことをお気になさるのでしたら別行動でも・・・・・・』
少し時間が空く。もしかしたらケイファストが首を横に振ったのかもしれない。
『今のミファレーンは、私達が傍にいなくてはどんなことになるかも分からない。あの子を殺してしまうことで歓心を得ようとする貴族が出ないとは限らないからね』
『はい』
『私がいない時にはウルティードをミファレーンの傍に。ミファレーンを奪い取って反旗を翻されてしまった日には、あの子を逆賊として討たねばならなくなる。ミファレーンはそういう時に自分を貫く強さはない』
『かしこまりました』
その言葉はミファレーンの心に突き刺さった。ぐらっと視界が暗くなる。
(まるで、・・・私がお荷物だとでも言うのか)
それ以上を聞く勇気を持てず、ミファレーンはその場を離れた。ちょうど明日の用意で誰もがざわついている。
第二妃の宮で育てられたミファレーンは、用事があれば呼びつけるというやり方が身に染みついていた。だからウルティードと違って目が離せないということもなく、こっそりと抜け出るような真似はしない王子だと思われている。
実際、祖父や母のことがなければ、ミファレーンはこんな風に兄のところであっても一人でやってきたりはしなかっただろう。
だからガチャガチャと動き回っている騎士や兵士達の手薄な所をすり抜ければ見咎められることもなく、ミファレーンはふらふらと敷地外へと出て行った。
遥佳が滞在している塔は、かつては首長の跡取りが暮らした場所だけあって、武装した人々の出入りも考えられた造りだ。
扉も大きくとられ、小さい窓から外を窺える部屋もあれば、大きく窓を開けて海を眺めることもできる。
(イスマルク、ちゃんと逃がしたぞ。俺、頑張ったぞ)
だからヴィゴラスも、翼を折り畳めば塔の最上階の部屋へと窓から入ることができた。
ただし、その部屋の扉から廊下に出ることはできない。体が大きすぎるからだ。
「頑張ったのね、ヴィゴラス。大変だったでしょう?」
(俺がいなくて寂しかっただろう、ハルカ。だから帰ろう。早く帰ろう)
「寂しかったのはヴィゴラスでしょ。偉かったわね」
すりすりと頭を擦りつけてくるヴィゴラスの首筋を撫でてあげながら、遥佳はちょっと考えこんだ。
「あのね、ヴィゴラス。明日はキマリーの王子様達がここから帰るんですって。色々とお世話になったし、それを見送ってから私も帰るわ。だから一晩待ってちょうだい。あなたも疲れてるでしょ? 何か食べる物を持ってきてあげる」
そうして塔にある食べ物を運んできてヴィゴラスに食べさせた遥佳だが、さすがにヴィゴラスを見せて、
「この子のご飯をお願いします」
と、ディリライト邸の厨房を混乱に陥れるのは憚られた。
「市場であなたのご飯も買ってきてあげるわ。だからお留守番をお願いね。この部屋で休んでてちょうだい、ヴィゴラス。お外に遊びに行くならあまり人に見つからないようにするのよ」
(俺は見つかるような間抜けじゃないぞ。買い物に行くなら俺が荷物を持つぞ)
「あなたがついてきたら、市場が大混乱になっちゃうわ。大丈夫、ここはとても治安がいいし、市場の人も頼めば配達とかしてくれるのよ」
しかし、それなりにゲヨネル大陸との往復などもこなしたヴィゴラスである。
やっと遥佳の所に到着したというのに、すぐに離れ離れだなんて到底受け入れられることではなかった。
(別にご飯などなくてもいい。ハルカが足りない)
「我が儘言わないの。夕ご飯とか明日の朝ご飯とか、今の内に買ってこないと足りないでしょ。今日の夜はこの部屋で私も休むし、あとちょっと我慢してちょうだい」
(悲しい。ハルカは俺がいなくても気にしないのだな)
「そんなことないわよ。迎えに来てくれて嬉しいわ」
拗ねてしまったヴィゴラスに、遥佳も困った顔になる。
上空から自分を見ているヴィゴラスの気配に気づき、だからタイキやウルティード達との海水浴を断って、
「ごめんなさい、疲れちゃったの。お昼寝してきていい? なんかもう泳ぐ体力がないわ」
と、言い張り、こうして窓を開けてヴィゴラスを受け入れたのだが、どうやら遥佳が皆と楽しく過ごしている様子を見て、ヴィゴラスは寂しく感じていたようだ。
「ヴィゴラス。あなたがお腹を空かせていると私も悲しいわ。あなたが疲れていたら私も辛いわ。だからゆっくり休んで今日はお腹いっぱい食べてほしいの。ね?」
いい子ねと、首筋を撫でてからその大鷲の頭にキスすれば、ヴィゴラスも機嫌を直したらしい。
前脚で遥佳の体を抱えると、その黒髪を自分の顎の下にあるふわふわの羽毛で撫で始めた。
(やっぱりハルカは俺が一番好きだなっ)
クルルッ、クルルルッと、嬉しそうに咽喉の奥で鼻歌モードだ。
「調子に乗るんじゃありません。全くもうっ。ほら、くすぐったいでしょ。ヴィゴラス、放してちょうだい。お魚がいいの? お肉がいいの? 果物も買ってきてあげるから」
(ハルカは俺を愛してない・・・)
途端に落ちこんでどっぷりと暗くなるものだから、まさに恨めし気な真琴のようだ。
「そんなことないわよ。早くしないと美味しいお店が売りきれちゃうから急いでるだけ。ヴィゴラスだって美味しい方がいいでしょ。ウルティードが買い食いしている時に美味しいお店は教わっておいたんだから。来たら食べさせてあげようと思って覚えておいたのよ」
その言葉にヴィゴラスの機嫌が急上昇したのを感じ、遥佳はするりとその前脚の間から逃れる。
売り切れ御免な買い物は、時間が勝負なのだ。
(本当にヴィゴラスったら甘えん坊なんだから)
ヴィゴラスの為に作った歪んだ真珠の暖簾と、コウヤに頼んでおいた絵をヴィゴラスの首にかけられる鞄と共に用意した後で、遥佳は市場へ出かけることにした。
(良かった。ヴィゴラス、暖簾を気に入ってくれて。あれだけ幸せ気分が溢れてるなら私が帰ってくるまで大人しくしてくれているわね)
ヴィゴラスがとても幸せな気分を発散していたのは、大好きな黄金が入っていて真珠の輝きも綺麗だという出来もさることながら、第一に遥佳の手作りだということ、第二に他の誰にも作られていない(つまり自分だけという特別感)が主な原因だったが、表面の感情しか読んでいない遥佳はその違いに無頓着だった。
ヴィゴラスの愛情は重すぎて、全てを読もうと思ったら恥ずかしくなるだけなのだ。
この頃はどうして母が父の心をシャットアウトしていたか、遥佳はよく理解するようになっていた。
市場へ行く途中の道で、ぱったりと出会ってしまったミファレーンと遥佳だ。
「あら、こんにちは。ミファレーン様」
「供もつけずに不用心すぎはしまいか、ハールカ姫?」
機嫌の悪かったミファレーンは、挨拶よりもそちらが気になり、ぶっきらぼうに言い捨てた。
今日の遥佳は頭から大きな布をかぶって日差しを遮っているが、その程度で顔が分からなくなるようでは社交界で生きていけない。
「ミファレーン様こそ」
「私は、・・・いいのだ。男だから」
「私だって大丈夫です。だってしっかりしてますもの」
「私とてしっかりしているっ」
その場に誰かがいたら、二人の意見に異論を申し立てたことだろう。けれども周囲に、二人を知る人はいなかった。
ここで会ってしまった以上は仕方ないと、ミファレーンも騎士道精神を発揮して世間話を続ける。
「その、・・・ハールカ姫はどちらに? ケイファスト兄上にご用でおいでか?」
「いいえ。私は市場に行くのです」
「市場に?」
「ええ」
「首長殿の姪御とあろう方がわざわざ市場になど。そういうことは誰かに行かせるものであろうに」
あれだけの使用人がいるディリライト邸で、この姫は何をやっているのかと、ミファレーンだって呆れるしかなかった。
「ミファレーン様は人にしてもらわないとできないのですか? 私は人に命じることもできますが、更には自分で行っていい品を見定めて買い物することだってできるのです」
「私だってそれぐらいできるっ」
自分よりも年下の娘に馬鹿にされるなど冗談ではない。
箱入りも箱入り、乳母日傘で育った王子は、昨日ケイファストとウルティードに連れて行かれた市場でその騒がしさにびびってしまったことを故意に忘れ、むきになって言い返した。
「本当ですか?」
「本当だともっ」
「だけど市場ってお肉とかお魚とか、生で売られていたりするのですよ?」
「それがどうしたっ」
「焼き上がってお皿に出されている切り身のお魚とかお肉とかしか見たことないミファレーン様、怖くて泣いちゃうんじゃありませんか?」
「私はそんな世間知らずではないっ」
昨日、散々にウルティードから世間知らず扱いされてムカついていたミファレーンである。
連れて行かれた市場の店で、その豚や魚の頭に悲鳴をあげたことをなかったことにして、大きく否定した。
「じゃあ、お手伝いしてくださいますか? 実は私、大切な鳥の為にご飯を買いに行くのですけど、一人では持ちきれないかもしれないと思っていたところだったのです」
「そのぐらいはお安いご用だ。鳥の餌なども持てぬとは、やはり姫は少し頼りなくていらっしゃる。私がついていれば安心だろう」
「そうですね。ミファレーン様がいてくださるなら何も心配いりませんもの」
今は貸別荘に帰りたくないミファレーンだ。
そしてヴィゴラスの姿を見られた日には皆がパニックを起こすかもしれないと思い、だからどう考えても自分のおやつや夜食と言い張るには無理がある量を買いに出ようとしていた遥佳は、使用人を荷物持ちで連れてくるわけにはいかなかった。
遥佳の食べる量など、ディリライト邸は十分に把握している。
(良かった。これでヴィゴラスのご飯、沢山買って帰ることができるわ)
勿論、ミファレーンは鳥のご飯と言われて、鳥籠に入れられて美しい声で鳴く小鳥の餌を想像していた。
あんな僅かな量しか食べぬ鳥の餌など、ナイフとフォークよりも軽いというものではないか。
(よくある手だ。どうでもいいことを頼んで男心をくすぐり、言い寄ろうとするのは。所詮、ウルティードの想い人など、その程度のものだろう)
勿論、ミファレーンのそんな予想が覆されるのはすぐのことで、真っ先に連れて行かれた市場の豚肉を扱う店で、血も滴る生肉を前にミファレーンは悲鳴をあげぬようにするだけで精一杯となる。
「えーっとね、その肋骨の部分が欲しいの。焼くと美味しいでしょ?」
「へいよっ。あ、嬢ちゃん。何ならそこにまだ切り分けてねえのがあるから、そっから好きなだけ切ってくれりゃ、そっちの方が安いってもんよ」
「あら、そうなの? じゃあ、こっちの方を自分で切るわ。この包丁、勝手に使っていいんでしょう?」
そこで遥佳はにっこりと笑ってミファレーンを振り返った。
「豚肉、切ることできます? やっぱりできないようなら私がやった方がいいかしら」
「・・・できるともっ」
ここでどうして自分よりも年下の娘に馬鹿にされていられるだろう。ミファレーンは勇気を出した。
「じゃあ、ここからここまで切ってください。あと、骨と骨との間を切っておいてくださいな。・・・まあ、お上手ですね。びっくりしました」
「なんのっ、これぐらいっ」
勿論、遥佳の言葉は世辞だ。初めて生肉を切る感触に怯えながらも、ミファレーンは遥佳に指示された通り、肋骨部分を切り分け、肩なども大きく切り分けて横の大皿へと置いていった
血抜きはされていても両手に血がつく。その血を横にあった布で拭いながら、店にぶら下がっている豚の頭などが気持ち悪かったことも忘れ、ミファレーンは一生懸命それに包丁を入れていった。
そうして肉を包んでもらってお金を遥佳が払っている間に、横を流れている小川で手を洗わせてもらったミファレーンだが、
(なんで鳥に豚肉なんだ? 犬の間違いか? それとも鳥は豚肉を食べるのか?)
と、そこでハッと気づく。
「じゃあ、次は牛を見に行きましょう」
「それは私が持とう」
けれども豚肉を持って出てきた遥佳がミファレーンに声を掛けるものだから、ミファレーンも女性にそんな荷物を持たせておくのはどうかと思い、その豚肉を持とうとする。
つまり世間知らずのミファレーンは、いいように遥佳に使われていた。
「まあ。ありがとうございます」
「いや、何のこれしき」
次の牛の店ではできあがっているのを買うだけだから包丁を入れる必要はなかったが、やはり骨や肉が露わになった生の牛肉が大きなフックで吊るされていた。
けれども昨日に続き、今日は豚の頭を見ながら解体させられた後のミファレーンである。人はどんなに怖くても慣れる生き物だと知った。
牛の頭だって、・・・怖くない。だから顔を背けてるだけだ、怖くなんてない。
「あまり香辛料がきつくないのが欲しいの。だけど全くないのはちょっとね。だってここ、スパイスの味つけがとっても美味しいんだもの」
既に味つけされているのが売られていたが、それではヴィゴラスにとって味が濃すぎる。
だから遥佳はもう少し薄いのが欲しいのだと店主に言った。
「じゃあ、今からこれを揚げてやるよ。漬けこまずにさっと引き上げて、そうしたらあまり味もきつくねえ。明日の朝には食べごろさ」
「あら、それならぴったりだわ。ならこの一番大きな塊分だけくださいな」
「へいよっ」
その場でその塊を店主は小さく切り分け、油で揚げてスパイスのきいた液に漬けこみ、それを引き上げる。
「はい、味見ですって。お一つどうぞ」
「・・・ありがとう」
皿に盛られてもおらず、カトラリーもなく手づかみで食べるだなんて冗談ではない。
そう思わなかったわけではない。
けれども豚肉を切るという格闘後、更に数キロの肉を持ち歩いていたミファレーンである。文句を言わずにそれに齧りついた。
遥佳もモグモグと食べながら、ヴィゴラスの味覚なら、あと少し野菜をトッピングしてから出してあげた方がいいだろうと考える。
「ところで、どう考えても鳥の餌ではないような気がするんだが?」
「うちの鳥は食べるんです」
「・・・そうか」
「はい」
世界は広かったと、ミファレーンは遠い目になった。
自分が知っている鳥は雑穀を啄むだけだったのだが、世の中には豚肉や牛肉を食べる鳥がいるのか。
「次はお魚ですね。あら、美味しそうな鶏肉があるわ」
牛の揚げ漬けの後は、鶏の香草焼きを一羽分買い、それについてはもう何を言う気もなくしていたミファレーンだ。
(共食いするのか、その鳥は・・・。考えたくない、本気で考えたくない)
遥佳に連れて行かれた魚屋では、大きな魚が並んでいた。
「これの三枚おろしが欲しいんだけど・・・。おじさん、これ、鱗をとって内臓を出してもいいのかしら?」
「勿論さぁ。だけど自分でやってくれっかい? 今、こっちで手が離せねえ」
「ええ、大丈夫よ」
あまり力のなさそうな老婆が買いに来ていた為、魚屋の店主は魚を調理しやすいようにと、更に細かく捌いているところだった。
「お願いできます?」
「・・・・・・ああ」
ミファレーンは、遥佳の指示で魚が滑らないように布を使い、そうして飛び散る鱗に、
「うわっ」
と、驚きながらも全てこそげ落とし、そうしてズルリと出てくる内臓に、
「うぎゃあっ」
と、悲鳴をあげながらも、どうにかこうにか魚の頭を落として身を三枚にすることに成功した。
(これ、三枚おろしじゃなくて大名おろしよね)
中骨に思いっきり身がついている状態に、遥佳は、中骨部分はあら炊きのようにするべきかと考える。本当は、中骨部分はカリカリに焼いてあげようと思っていたのだが、ここまで身がついていたなら汁物にしてあげた方がいいだろう。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。・・・おじさん、その頭は兜割りにしてくれる?」
「へいよっ」
老婆の魚を調理し終えた店主が戻ってきたので、その大魚の頭部分を真っ二つに割ってほしいと遥佳が頼む。
「それぐらい、私とて・・・」
「魚の頭を二つに割るのは難しいんですよ。だけど魚の頭って結構美味しいんです」
「そうだぜ、兄ちゃん。そんなへっぴり腰じゃ無理無理。経験が足りねえや」
スッパリと包丁を入れて綺麗に頭部を二つに分けた店主に魚を包んでもらい、二人は店を出る。さすがにここまでくると、二人で荷物を手分けするようになっていた。
しかも今の店で、遥佳はちゃっかり貝まで買っている。
「あとは野菜と果物かしら」
「まだ買うのかっ」
ミファレーンとて馬鹿ではない。
もうこれは鳥の餌ではないと判断していた。
どう考えても男が食べる為の食料だ。しかも複数の。
「ええ。だってお肉や魚だけだと栄養が偏ってしまいますから。大事な鳥なんです」
「・・・・・・そうか」
まさかと思うが・・・。
ミファレーンは女の園で育ってきた深窓の箱入り王子だ。
時に上流階級の女性は、愛人に対して「私の鳥」などといった隠喩を使う。
(この姫っ、なんと破廉恥なっ。未婚の身でありながら男を複数通わせているのかっ!)
(・・・・・・・・・誰がなのよ)
遥佳は、わざとミファレーンに重い方の荷物を持たせることにした。言うに事欠いて何ということを思い浮かべてくれるのか。
「さっ、行きましょうか。・・・えーっと、それとそれと、あとこれをくださいな」
「目利きだねえ、お嬢さん。どれも熟れ頃だよ」
「ありがとう」
店主の心を読んで一番美味しい野菜と果物を選び、遥佳はミファレーンと一緒に戻ることにする。
(本当に心配性ね、ヴィゴラス)
市場からディリライト邸へ帰る途中の小高い場所で、遥佳は荷物を下ろした。買い過ぎたとは思うけれど、頑張ったであろうヴィゴラスに沢山食べさせてあげたかったのだ。
「ミファレーン様。こっちに荷物を置いておいて、ちょっと休憩でこの果物を食べましょ?」
背後に荷物を固めて置くようにして、南国ならではのフルーツを二つ取り、遥佳はそこにある岩の上に座るようミファレーンを促した。
さすがに二十キロ以上の荷物を持たされていたミファレーンもそれに異存はない。
「そうだな」
一緒に岩に腰掛けて、二人は果物を齧り始める。
音もなく背後に舞い降りたヴィゴラスが荷物を前脚で掴んで飛び去るのを、遥佳は小さく手を振って見送った。
遥佳では荷物を持ちきれないのではないかと案じていたのだろう。遠く離れた場所からヴィゴラスはこの道を見下ろしていたから。
「ふふ、どうでした? 自分の手で刃物を使うのって」
「・・・別にそれぐらい」
「ミファレーン様。今日はもう血抜きされていた動物でしたけど、これが生きている存在ならもっと血は噴き出ますし、簡単に死ぬこともなく苦しみます。その肉を切る感触は、こんなものじゃないです」
「・・・・・・」
「だけど人を殺すのなんて誰にでもできるんです。それでもあなたは、いいえ、あなた方は、人を生かすことができる権力を持っていらっしゃる」
「そんな授業は聞き飽きている」
「そうですね。だけど、ミファレーン様はその授業を活かしたことはありましたか?」
返事はなかった。
果物の皮はポイッと草むらに捨てて、遥佳が立ち上がる。
「さあ、ミファレーン様。今度はとっておきの貝を採りに行きましょう」
「はあっ!? この荷物を持って、・・・って荷物はどこへっ!?」
「見かねて持っていってくれたみたいです。だからほら、せっかくのディリライト島なんです。貝を採りに行きましょう。運試しで」
「運試し?」
「ええ、そうです。あなたの運を試しに」
そう言って、遥佳はとっておきの貝が採れる場所へとミファレーンを連れて行った。
いつの間に背後に忍び寄って荷物を持っていったのかと、ミファレーンは驚きながらも遥佳の後に続く。
(全く護衛がついていたのは当然とはいえ、護衛も護衛だ。いたなら最初から荷物持ちぐらいすればいいものを)
そして案内されたのは人のいない海辺だった。
「じゃあ、そこの海の中に貝があります。それを三つ採ってきてください。いいですか、三つだけですよ?」
「なんで三つなんだ」
「私がそう決めたからです。流されないように、岩に手をかけながら潜ってくださいね」
なんて生意気なと、そう思いながらもミファレーンは上着を脱いで海へと入る。
運試しだなんて言葉、初めて聞いたから、つい流されたのだ。
(なんか調子の狂う姫だな。姫というより下賤な娘っぽいが)
海水で目や鼻が痛かったが、何度か潜り、そこにあった貝をやっとの思いで三つ採ってくると、遥佳は満足そうに笑った。
「お疲れ様でした。ふふ、どれも悪くない大きさですね」
「貝などさっきの市場でも売っていただろう。あそこで買えば良かったものを」
「これはお土産です」
ミファレーンは海に詳しくない。
だから自分が潜っている間、波が全く寄せてこなかったことの不自然さにも気づかず、しかも簡単に岩を上がってこれたのは空気がそれだけ自分の体を持ち上げてくれていたからだとも分からず、濡れた衣服を遥佳に背を向けて絞る。
「はい、ではこの三つの貝は持ち帰ってくださいね」
「何だとっ? これは食べるわけではなかったのかっ」
「これは食べる為じゃなかったんです、ミファレーン様」
くすくすと笑いながら遥佳は言った。
「どうせこっそり抜け出してきちゃったんでしょう? 今頃、ミファレーン様を捜して大騒ぎです。だからこういう時は、『お土産です』って言って渡すといいんですよ。怒られないといいですね」
「・・・・・・怒られるって」
「私もこっそり抜け出して怒られる時には、こうやって誤魔化すんです」
「・・・そうか」
「はい」
言われてみれば無断で貸別荘を抜け出してきたミファレーンだ。しかもかなりの時間が経っている。
もしかしたらまずいのかもしれない。
「一緒についていって謝ってあげましょうか?」
「・・・断るっ」
どうして自分よりも年下の娘に付き添われて帰らねばならないのか。
「ここからなら左の道をまっすぐ行けばすぐ別荘ですよ」
ミファレーンはその貝を三つ持って駆け出した。
遥佳の方は、どうせ自分には護衛が背後からついてきているので問題ないと、そう言ったからだ。
「今日はありがとうございましたぁっ。寝る前にはちゃんと体をほぐしてから寝てくださいねーっ」
走り出したミファレーンの背中に、礼と労いの言葉が追いかけてくる。
「この程度など、何ほどのことでもないっ」
けれども走るだなんて滅多にやらないものだから、すぐに息切れしてしまい、歩いて帰ることになったミファレーンだった。




