44 ケイファストはディリライトに来た
ディリライト首長一家が暮らすディリライト邸だが、今やキマリー国第二王子ウルティードにとっては我が家感覚となっている。首長のコウヤがまるで実の甥っ子を可愛がるような感じで対応しているからだろう。
その日、ちょっと乗りこなすのが難しいが速いという舟に挑戦していたウルティードは、首長の次男であるカシマと二人きりだった。
けれどもカシマがディリライト邸からの狼煙に気づき、そうして手持ちの鏡で何かやりとりをして、それを伝えてきたのだ。
『おい、ウルティード。お前の兄上、来たってよ』
『へ? まっさかあ。兄上が国を出るなんてないない、あり得ない』
『じゃあ偽者か? それもそれでやべえ話だな』
『チッ。戻るぞっ、カシマッ』
キマリー国王太子のケイファストがやってきたという連絡に、ウルティードは半信半疑で駆けつけた。
(ケイファスト兄上はお体が弱かった筈。国外に出るなど考えられない)
本当のケイファストなら、すぐに休ませなくてはとんでもないことになる。
偽者だとしても即座に対応しなくては自分を保護してくれているディリライトに迷惑をかけてしまう。
そう思ったからだ。
けれども。
「失礼いたします。ようこそディリライトへおいでくださいました、ケイファスト様。私、首長の次男にあたりますカシマ・エリ・ディリライトと申します」
「弟がお世話になっていると聞いております。ですがあまり堅苦しいことはなしにしていただけると嬉しく思います、カシマ殿」
ウルティードが見たのは、身なりを整えたカシマと紛れもない兄だった。
いや、ウルティード以外は誰もがそれなりに着飾っている。
「ひでえよ、カシマ。自分だけ」
皆の注目を浴びて、ウルティードは小さくぼやいた。
事情を察した首長コウヤが苦笑する。妻のカリンも微笑を誘われてしまったようだ。
「とりあえずウルティード様を席にご案内してからお前も席につきなさい、カシマ」
「はい、父上。・・・どうぞ、ウルティード様。こちらの席へ」
そこで空席になっていた二つの内、ケイファストの隣の席へと、カシマはウルティードを案内する。
さっきまで、
「ボケッ、そこで力をこめろよっ。ひっくり返るだろっ」
とか、
「波を見やがれっつってんだろがっ、このアホ。・・・あーあ、言わんこっちゃない」
とか、そんなことを言っていたとはとても思えない、恭しさ溢れる動作だった。
「おやまあ。本当にこちらにいたのだな。ちゃんとドモロールから迎えが来ているのに我が儘を言ってこちらに滞在させていただいていたと聞いて驚いてしまったよ。困った子だね、ウルティード」
「ケイファスト兄上」
皆が食事中だとウルティードが案内された場所は、最初の宴でも使われた八角堂だった。
そこで皆が楽しそうにご馳走を前にしてお喋りに興じているときたものだ。
「まさかと思うけれど、こちらの方々に礼を失した格好ばかりしていないね?」
「えーっと・・・」
一緒に戻ってきたものの、ちゃっかり自室で正装に着替えてから近道でやってきたカシマと違い、慌てながらも正規のルートで案内されてきたウルティードだけがよく言えば伸びやかな格好である。悪く言えば粗末な格好だ。つまり、普段着だった。
(こいつはヤバイ。まさか本気で兄上がいらしてたなんて思わなかったし)
仕方ないだろう。海水だけ真水で落とし、手早く体を拭くとまずは駆けつけることを優先したのだから。そして体を動かすのに綺麗な衣服など無意味なのだから。
首長のコウヤはにこにことしながら、並んで座る異国の兄弟を眺めた。
「いやいや。何もない島ながらウルティード様には楽しんでいただけて何よりのことでございますよ。こうしていると本当によく似ておいでですな」
「えっと、・・・申し訳ございません。今すぐ着替えて参ります」
着替えよりも何よりも真偽をたしかめねばと思ったウルティードだが、ぼんやりとした柔らかい口調といい、自分とよく似たパーツでできているのに色白で優しげな容貌といい、本物のケイファストである。
一度は座ったものの、ウルティードはやはり自分だけ場違いだなと考え直した。
「あら。良いのではありません? お客様はウルティード様のお兄様ですもの。それに私共もウルティード様とは家族同然に同じ邸で過ごしておりますし、全く気にしませんわ。お昼の簡単な食事ですもの、堅苦しく考えることもございませんでしょう? さあ、ウルティード様。今日も頑張って朝から練習なさったんですもの。お腹ぺこぺこでしょう? ケイファスト様はあなた様のお話をとても楽しく聞いておいででしたのよ」
コウヤの妻であるカリンが、そう笑顔で勧める。
「有り難うございます、カリン様。あれ? そういえば他に誰もいないのか」
実際、この場にはコウヤとカリン夫妻、そしてタイキ達三兄妹、遥佳がディリライト側として六名、キマリー国側としてはケイファストとウルティードの二名しかいなかった。
「あの、兄上。護衛とか、供の者は?」
「それなら首長殿に挨拶させていただいた後で帰したよ。お前が追い返したというドモロールの騎士達と合流していることだろう。しばらくしたら迎えに来てもらうことになっている」
そこはかとなく責められているような気がしてならないウルティードだ。いや、責められているのだろう。
兄ではあるが、近年になって顔合わせした兄でしかないだけに、ウルティードもどうしたらいいものかと迷い、とりあえず食べることにした。
「ウルティード、今日はどこまで行けたの? あの舟、慣れたら速く動かせるっていうけどバランスとりにくいわよね。私、ちょっと乗る勇気ないもの」
「それがさぁ、聞いてくれよ、ハールカ。カシマってばひでえの。俺がさ、必死こいて櫂を動かしてるってのに、大波がきてんのも教えてくんなかったんだぜ。しかも俺がひっくり返るのゲラゲラ笑って見てやがんの。ここでも自分だけ正装してさ、ずっこいよな」
恨みをこめてカシマを詰りながらも、ウルティードは遥佳の問いに答える。
自国の王太子の前とあって緊張もないわけではないのだが、一口食べたら空腹を覚えてぱくぱくと肉と野菜入りの炒めた麺を食べ始めてしまうのは、かなりその味が気に入っているからだ。
「ハールカも行かなくて正解だぜ。俺、あと少しで亀とお友達になるところだったからな」
「どれだけ溺れちゃったの」
「いや、波で舟と一緒にひっくり返った拍子に投げ出されて海の中に突っ込んで、そうしたら何かいるなと思ったら亀だった」
さすがに亀を持ち帰ろうとは思わなかったウルティードだ。それは既に一度失敗している。
「あらまあ。ひどいわね、カシマ兄様ったら。そんなウルティード様をお助けしなかっただなんて」
「そうだろっ? しかも流された櫂まで俺に泳いで取りに行かせたんだぜ。もっと言ってやってくれよ。貴様は鬼かって」
「あのー、ウルティード様? 先程からお言葉が乱れてらっしゃるようですが?」
カシマが額を抑えつつ、苦言を呈した。
元はといえば遥佳がいつものようにウルティードを呼び捨てにしたのが悪いのだが、ここまでくるとどこから直させればいいのだろう。まだケイトは形を取り繕っているが、ウルティードに至ってはどこまでも崩壊している。
「いえ。私にお気遣いなく、いつも呼び捨てにされているのならそれはそれで。弟も気にしていないどころか馴染んでいるようですし、こちらで皆様から弟のように可愛がっていただけているのならとても嬉しいことです」
ケイファストはカシマに向かって穏やかに笑いかけた。
首長の姪である遥佳がウルティードを呼び捨てにしていたことから、既に首長の子供達も普段はウルティードを呼び捨てにしているのだろうと察することができたからだ。
ましてやウルティードはとっくにカシマを呼び捨てている。
(おいおい、ハールカ。ディリライトにもディリライトの立場というものがあってだな。そりゃウルティードもコレだから気にしないと言われたらそれまでなんだが、その方、キマリーの王太子なんだぞ、おい)
どうしたものかと、カシマは兄のタイキに視線で問い合わせた。タイキも、さすがに困ったような顔になっている。
(髪の色は兄の方が濃いけど、目の色は同じなんだな。しっかし兄は穏やかで弟はやんちゃかあ)
他人事のように思っているカシマは、自分達兄弟も人からは常にそう思われていることを故意に忘れることができる才能の持ち主だ。
「大丈夫よ、カシマ。ケイファスト様、ウルティードはとっくにドモロール王国に行っていると思いこんでいらして、ウルティードが世話になったってお礼を言う為にだけディリライトに来てくださったんですもの。ウルティードがここにいるなら、普段のウルティードの様子を知ることができる方が嬉しくていらっしゃる筈よ。だってケイファスト様、ウルティードを一番愛してらっしゃるもの」
遥佳がスープを飲みながらそんなことを言うものだから、カシマは父のコウヤを見た。
驚いてウルティードが隣にいるケイファストをまじまじと見る。
「嘘・・・。兄上、俺には興味ないだろ?」
ケイファストは苦笑した。
(目的の一つはハールカ姫をこの目で見ることだったのだが、何とも人の心に敏い姫だな)
弟の驚きはもっともだろう。ケイファストはウルティードに対して、皆に対するのと同じような穏やかな態度を崩したことはない。
「さてね。弟が可愛くない兄はいないよ。ハールカ姫はどうしてそう思われたのかな?」
「ウルティードがあまりご家族のことを話さないのは、嫌われていると思っていたからです。だけどケイファスト様はこちらにいらして、本当はかなり旅の疲れも出ていらっしゃるのに、ウルティードの様子を楽しそうに聞いていらっしゃいました。それなら誤解は解いておいた方がいいと思ったのです」
「なるほど。感謝いたしましょう。まさか弟にそう思われているとは気づきませんでした」
よほど目端が利くのか、それとも体が弱いからこそ人の心を読むのに長けてしまっているのか。
そんなことを思いながら、ケイファストは遥佳を見つめた。
(首長の姪姫。だが、首長の妻子を差し置いてこのようなことを口にしては、後で怒られてしまうだろうに)
この中で一番目立つ黄金の額飾りをつけているが、それ以外の装身具は全くつけていない。けれども衣服はケイトと同じぐらいに上質なものだ。
冷遇はされていないと見るべきか。甘やかされているのか。
けれども会ったばかりのコウヤの表情からは何も読みとれなかった。
「おじさま。程々のところで切り上げて差し上げた方がいいわ。ケイファスト様、かなり無理をしていらっしゃるから。ウルティードの顔を見るまでは安心できなかったにしても、本当はもうかなりお疲れの筈よ。いくら長年に渡って解毒をしてきても、幼少時に毒を盛られて弱くなった体は無理などできるものじゃないもの」
その場の面々が一気に目を瞠る。
がたっとウルティードが立ち上がった。
「今っ、何っつった、ハールカッ?」
「何が?」
「今、何て言ったんだっ」
「・・・ウルティード。お兄様と話し合った方がいいわ。あなたと距離を置いていたのは、ご自分のようなことにならないようにとの思いからだったの。ケイファスト様は小さい頃に毒を飲まされて、だから体が弱くなってしまわれたのよ」
「ハールカ姫。その話の出所について伺ってもよろしいだろうか?」
ケイファストがいささかきつい声で尋ねる。
それは国の中の秘事でもある。他国に知られていいことではない。
「聞いたのではありません。ケイファスト様にお会いして知ったのです。私、ここに来る前は治療院で働いておりましたから、ある程度は病人に慣れております。別にディリライトはキマリー国を攻めなくてはならない理由もありませんし、警戒なさる必要はありません。おじさまもディリライト首長として、この秘密を口外しないと誓ってくださいますわよね?」
「勿論だとも。女神シアラスティネル様にお誓い申し上げて、ディリライト首長コウヤはその話を悪用する恥知らずにはならないと、宣言する。カリン、タイキ、カシマ、ケイト、そしてこの場にいる使用人達も女神様の名において口外しないことを誓いなさい」
コウヤに言われて四人が、そして給仕にあたっていた者達がそれぞれに誓うと、遥佳はコウヤに頼んだ。
「おじさま。ケイファスト様、かなりお疲れでいらっしゃるわ。どこか客室を用意して休ませてさしあげて。ウルティードの隣のお部屋、使えるようになってるわよね?」
「分かった。そうしよう。・・・お食事は軽く摘まめるものを用意いたしてお部屋に運ばせましょう。どうぞお休みください。カリン、ケイファスト様をご案内してくれ」
「いえ、そういうわけにも」
「分かりました。さあ、どうぞ、ケイファスト様。ここは島ですもの。あまり堅苦しいことはお考えにならずにお休みくださいませ。ウルティード様も、お疲れになった日には部屋でバタンキューとなってしまうものですから、お食事だけ運んでおくこともざらですのよ」
どうして首長の姪が治療院で働いていたのか疑問に思いながらも、ケイファストとて王太子としてそんな非礼はできないと考えてしまう人間である。
「ウルティード。ケイファスト様を連れていってあげないと、休んでくださらないわよ。普通に振る舞っていらっしゃるけど、本当はもう目の前も少し暗くなっているぐらいだもの。ケイファスト様はどんなに血の気が失せても笑顔を崩さずに取り繕うことができる程、無理には慣れていらっしゃるの」
「行こう、兄上。本当にこちらは気にしないでいてくださるから」
立ち上がったウルティードが、ケイファストに肩を貸そうとした。
「私、お腹いっぱいだから退席させてもらうわ。いいでしょう、おじさま? ・・・私のご飯、後で運んでおいてくれる? お腹が空いたら食べるわ」
「はい、ハールカ様」
遥佳が立ち上がれば、使用人も心得たように頷く。
「そうね。私も今日はお腹がいっぱいなの。食べきれないけど、後で私の部屋に運んでおいてちょうだい」
ケイトも立ち上がった。
「そうだな。俺とカシマはウルティードの部屋で食べようか。父上、俺達もそろそろ失礼します。ウルティードに今日の練習の進み具合を聞いておきたいですし」
タイキとカシマも立ち上がる。
なぜウルティードの部屋に行くかといえば、このこらえ性のない王子が休んでいる兄王子の傍でずーっと付き添いかねないと踏んだからだ。
横に人がいたら、誰だってゆっくり休めないだろう。
「そういうことです。この場はこれでお開きにいたしましょう」
コウヤがそうまとめると、さすがにケイファストもこれ以上の意地は張れない。
「ありがとうございます。それでは失礼してお言葉に甘えさせていただきます」
「こちらですわ、ケイファスト様」
「首長夫人直々にとは、お手数をおかけいたします」
それでも優雅に立ち上がり、カリンの先導に従って歩いていく様子は具合の悪さなど全く感じさせないものだった。
心配そうにウルティードもついていくが、さりげなくタイキとカシマも同行する。
(なんて強い人なの)
遥佳はケイファストの後ろ姿にそう思った。
どれ程に体が辛くても、それを見せないことをケイファストは己に課している。体内に毒はもうないが、子供の頃にダメージを受けてしまった体は治しようがない。
(私ならとっくに転ぶか倒れるかしてるわ。あの人、自分がよろけたりしても失敗しないように、常に歩いた場所を歩数と角度で覚えてるのね)
目の不自由な人も、そういう能力は高い。
ケイファストは目が不自由なわけではないが、立ちくらみなどにも慣れているからそういう感覚を磨いたのだろう。
生まれた時から傍にいることもなく、親しく言葉を交わすこともなく、見つめ合うこともなく・・・。
(それでも弟の健やかな成長だけを祈り続けて・・・。そんな愛もあるのね)
全く情を見せないことで相手を守る愛もあるのだと、遥佳は知った。
キマリー国の王宮で行われた会議は、かなりの混乱をもたらした。王太子妃ラヴィニアが去ってから、どれ程の貴族や高官、役人達が慌てふためいたことか。
会議が終わっても、その隠し部屋にある椅子から立ち上がることのできないミファレーンに、国王の相談役であり、爺やでもあり、侍従の一人でもある年配の男は静かに手を差し出した。
「ミファレーン様。どうぞこちらへ。陛下は皆様の動揺を抑える為にも、まだお時間を調整することができません。何でしたら、お時間が空いてからそちらの宮へご連絡差し上げますが・・・」
その手を、ミファレーンはバシッと振り払った。
「ミファレーン様?」
「嘘、だろう? まさか・・・嘘に違いない」
何がと言わなくても、その男には意味が分かったのだろう。
「私には分かりかねます。ですがミファレーン様にはお分かりではないのですか?」
「私に分かるのはっ、母がっ、祖父が無実だということだけだっ!」
会議室には、もう誰もいない。
だから第三王子の慟哭のような、悲鳴のような、縋るようなその言葉も、会議の参加者に聞かれることを恐れる必要はなかった。
「ならばそうおっしゃってみたらいかがでしょう?」
静かに男が述べる。
「この王宮にまだ正妃様、王太子妃様がいらしてくださるのは、ケイファスト様による試金石のようなものでございます。我が国にとって大切な、正妃様がお産みになった王太子ケイファスト様に毒が盛られたと知った時の陛下方のお嘆きようはとても大層なものでございました。それは、第二妃様を迎えられた後のことではありましたが」
まるで心臓に冷たいものを押し当てられたような気がした。
ミファレーンは、男の真意を知ろうとするかのようにその表情を読み取ろうとする。けれども何も分からなかった。
「そ、それは・・・。他国からの陰謀だったかも、・・・しれないだろうっ」
泣きそうになっていたことが隠せているといいのだが。
そんな埒もないことを心の片隅で思いながら、ミファレーンは必死で言葉を探そうとする。
「勿論でございます。様々な理由が考えられました。それゆえにラヴィニア様を王太子妃としてお迎えできたことは喜ばしいことでございました。ラヴィニア様はケイファスト様が招かれた席などでもその出されたものを持ち帰り、ケイファスト様へ毒物を投与しようとした貴族を調べ上げてくださったのですから」
「ば、馬鹿な・・・」
何を愚かなことをと、ミファレーンは一笑に付そうとした。何故なら、貴族令嬢にそんなことができる筈がないからである。
けれどもうまく笑えなかった。
「今、正妃様がお暮らしになっている宮は大変な人だかりでございます。今まで全く見向きもしなかった貴族の方々が贈り物などを携えて日参していらっしゃるとか。勿論、正妃様は現在、どなたにもお会いになりませんし、贈り物は何が混じっているかも分からないと、全て別館に保管されております」
国王の正妃ネムソフィアは、病弱な王太子ケイファストしか産めなかったというので、どこか影の薄い女性だったと思うミファレーンだ。
いきなり第二王子ウルティードが出現して王宮はかなり驚いたが、国王及び正妃の間に産まれた紛れもない第二王子として先の王弟の息子、つまり国王の従兄弟によってシンクエンと共に育てられていたこともあり、貴族とは一線を画す王族はその存在を知っていたということで、その混乱は収められた。
だからウルティードが出てくるまでは・・・。
悔しさにミファレーンの瞳が熱くなる。
(私がどこに行っても皆の中心にいたのに・・・!)
病弱な王太子ケイファストは長生きできないと思われていた。だから次の王太子はミファレーンだと誰もが思っていた。
何より八つも年の離れた異母兄であるケイファストはいつも穏やかにミファレーンをにこにことして眺めてくれていたから、自分の意見が通らぬことなどなかったのだ。
国王の正妃ネムソフィアも、そんな王子しか産めなかったという気後れがあったのだろう。
ミファレーンに対してはいつも物静かに微笑むだけの女性だった。
「正妃様と王太子妃様は、いつ、どこの茶会で、どこの食事の席で、ケイファスト様に毒が盛られたかを全てご存じでいらっしゃいます。・・・大切なケイファスト様にそんなものを出されたと知って沈黙し続けたあの方々のお苦しみ、それこそいかばかりかと推察するばかりでございます」
「苦しみ・・・」
「はい。もしもミファレーン様が誰かに毒を盛られたとして、第二妃様がそれをお知りになったら、その犯人に対してどうするように命じるか、それをお考えになればご理解いただけましょうか? ミファレーン様にいつも毒を盛り続ける者がいたとして、第二妃様とミファレーン様はその者に対して何とも思わずにいられましょうか?」
おそらく母の第二妃グラディーネはその犯人を許さないだろう。絶対に処刑台へとおくることはミファレーンにも想像がつく。
そしてミファレーンもそんな有害な者を生かす価値はないと判断したに違いない。
「あ・・・、だ、が・・・」
ミファレーンとて分からないわけではない。
王太子ケイファストを茶会に招くことができるのはどのクラスの貴族か、など。
微笑むしか能のない王太子妃ラヴィニアと共に、様々な食事の席に招かれても体の弱い王太子は一口手をつけるかどうかだったとは聞くが、こうなってはその一口も怪しいものだ。
まさか全てその一口を持ち帰っていたのだとすれば・・・。
――― ウルティードが邪魔だからと暗殺を口にした母や祖父が、本当にケイファスト兄上には何もしていなかったのか?
恐ろしい程に、第三王子の立場がぐらついていることを感じずにはいられなかった。
(攻めてくるのはドモロール王国。ケイファスト兄上に毒を本当に盛っていたなら、それを正妃様が許す筈などない。・・・誰だっ、そうなると誰が・・・っ)
ミファレーンは目の前が暗くなりながらも、その言葉を発する。
「あ、兄上・・・。ケイファスト、兄上は、・・・どこに」
「ケイファスト様でしたら、ディリライト諸島へと向かわれました」
「あ、ああ。・・・そうだな、そうだった」
聞いてはいたが、あまりにも頭が空回りしすぎていた。
ウルティードはケイファストの顔を思い出す。
いつだって自分を可愛い弟としてくれていた異母兄を。
「この・・・国を、攻められるわけには、いかない。兄上に・・・、思いとどまっていただかねば」
言い訳だ。
そんなことは分かっていた。
けれども正妃の怒りを和らげることができるのはケイファストしかいない。
「この国は自分達で・・・、自分達できちんとけじめはつけられる筈だ。だから・・・」
ドモロール王国が攻めてきたなら、それこそケイファストに対してそれらを行った主犯格どころか、今まで正妃や王太子に対して軽んじた態度をとっていた人々も拷問及び処刑されるだろう。
その中には自分の祖父達も入っていると、ミファレーンとて理解せずにはいられなかった。
それぐらいなら・・・。
「兄上を、・・・追う。分かって、・・・くださる筈だ。兄上ならば」
それは懇願にも等しい希望だった。
けれどもそれに縋るしかないのだ。
まだケイファストならば情に訴えれば蟄居などですむだろう。今まであんなにも自分に対して優しかった異母兄なのだから。
きっと自分が泣きつけば聞き入れてくれるに違いない。
「ミファレーン様。現在、第二妃様の宮に仕える騎士や兵士達がどこかに出ていくことは許されておりません」
「この国の一大事ではないかっ」
大義は自分にあると、ミファレーンは勇気を振り絞って精一杯反論してみせた。
「父上にご理解いただけるようにしろっ。兄上とて、私が行けば聞き入れてくださるに違いないっ」
男の表情からは何も読み取れぬままだ。
しかし国王の相談役でもある男は、
「かしこまりました。では、ミファレーン様はもう宮にはお戻りにならず、今からご案内する部屋でお待ちくださいませ。その場合は陛下直属の護衛が付き従うことになりましょう」
と、ミファレーンに一礼した。
次の日。
ミファレーンと彼を護衛する一団がひっそりと出発するのを、国王は窓から見下ろしていた。
「よくやってくれた、爺。自分で言い出したことだ。ミファレーンも旅がきついだの何だのといった理由では戻ってきたくてもこられないだろう」
「今まで甘やかされてお育ちになった方です。第二妃様やパスティス公爵家の人間はつけておりませんから、無駄に甘やかされることはないと思いますが・・・」
馬に長時間乗るだけでもお尻が腫れあがるのがオチだろう。その辺りは面倒見のいい騎士や兵士達で構成してあるからか、最初から鞍には振動を和らげるように色々としてくれていたらしい。さてどうなることやら、である。
「まあ、良い。これでミファレーンを道連れにされる恐れはなくなった。せめてグラディーネは苦しむことのないよう、毒杯ですませてやろう」
それが情けだ。
国と国との契約でもある政略結婚において、両国の血を繋ぐ王子が必要なのは言うまでもない。
そして第二妃が王太子の暗殺に関与していたなど、あってはならないのだ。
父であるパスティス公爵のそれを知り、その罪を恥じて第二妃グラディーネは毒杯を呷って亡くなったとするしかあるまい。
「この状況で殺されるかもしれぬ子供など作れるかと、ケイファストは拒んでくれたが・・・。だが、ドモロールが攻めてくる前に粛清を行い、その後、機を見てケイファストに王位を譲ろう。もしも本当にケイファストに子供ができぬようであればウルティードを王太弟に据え、ウルティードの妃はドモロールから迎えれば良い」
「ウルティード様は、ディリライト首長の姪の姫君をお気に召していたとか」
「そちらは第二妃でよかろう。最初に迎えるのが第二妃であったとしても、それはそれでかまわんではないか。最初に与えた妃の位は絶対である以上、ケイファストの正妃は揺るがぬ。ならばウルティードの正妃にドモロールの王女を娶れば、ドモロールも納得しよう。第二妃を国内貴族から迎えるよりもディリライトの娘の方がドモロール王女に対して従順に仕えてくれるであろうしな。ミファレーンに同行したホムルトにも、その辺りは言い含めてある」
ホムルトは侍従の一人でもあり、最初のウルティードの各国漫遊にも同行していた人間である。
国王の意を酌み、三人の王子に対して適切に行動することだろう。
「本来、王子の三人が三人とも国外へ出るべきではないのだが」
国王は溜め息をついた。
「仕方のないことでございましょう。今、王宮に留まる方が危険でございます」
これからキマリーの王宮は荒れる。
まだ来ていないドモロール王国の武力に怯え、それを逆手にとって自分達は慢心した貴族の粛清を行うだろう。
(長かった。ウルティードが育つまでの日々は・・・)
ウルティードがシンクエンとまわった王室の中に、ドモロール王国も入っていた。
何も知らぬウルティードは分かっていなかっただろうが、その健康さも何もかも、あちらはしっかり確認したことだろう。
国王は窓から離れて戸口へと歩きだした。
外の明るい景色を見ていたせいか、室内がより一層暗く映る。
(世界はあんなにも光り輝いているのに、このキマリー王宮は薄暗いままであった。いや、今からもっと暗闇が覆うのだ。だが、その先には・・・)
それは自分が今から向かい合う現実を暗喩しているかのようにも思えた。
それでも向かわねばならない。
大事な第一子をむざむざと害されたと知った日からの忍耐を力に変えて。
(ウルティード。本来はお前のように、ケイファストも健やかに育つ筈であった)
国王は、もう窓の方を振り返らなかった。
ディリライト島では常に海がさざめいているのだと知った。
今日もザザザーッと、波の音が響いてくる。
(こんなにも騒がしくて日々が辛くないのかと思ったが、人間とは慣れるものなのだな)
キマリー国の王太子ケイファストは、朝の陽ざしに気づいてゆっくりと寝台から身を起こした。
海に囲まれた南の島だからだろう。この辺りでは誰もが簡素な服を着ている。
『あのさぁ、兄上。こういう場所で堅苦しい格好をする必要はないと思うんだよ』
弟であるウルティードに勧められて気楽な格好をしているが、たしかに体を締めつけない服は体が楽だ。
(別に病人なわけではないんだが、どうもウルティードはその辺りを誤解しているな)
無理のできない体なのはたしかだが、病気ではない。休めば回復するし、ディリライト島まではかなり急いで来たから疲れていただけだ。
こうしてドモロール王国からの騎士や兵士達を周りにおいて貸別荘で過ごしている自分がキマリー国の王太子とはと、本気で笑ってしまいそうになる。自国よりも他国の兵の方が安心できるとは・・・。
(今日はウルティードが市場を案内してくれると言っていたか。ウルティードの気持ちを知りたくて、侍従に用意してもらうのではなく自分で好きな服を着てみるというのも、それはそれで新鮮な気持ちになるものだな)
ならばやはり簡素な格好の方がいいのだろう。こういう場所で目立っても仕方がない。
ケイファストはディリライト島に来てから揃えた衣服の中でも、ゆったりとした長袖のものを選ぶ。ウルティードは半袖で動き回っているが、あまり日に当たっていないことが分かるケイファストの白い肌は悪目立ちするので、そういうもので隠した方がいいのだ。
着替えてから食堂に行くと、ウルティードが立ち上がった。
「おはようございます、兄上」
「おはよう、ウルティード。先に食べていて良かったのに。もしくは遠慮なく起こしてくれていいんだよ」
「・・・今来たばかりなんです」
少し唇を尖らせながら言うウルティードは、ディリライト邸からケイファストにくっついてこの貸別荘へと移り、共に過ごすようになっている。
それは自分を案じているからなのだろうと思えば、そういう気持ちの優しい青年に育ってくれて良かったと思うケイファストだ。
出される朝食は、ディリライトならではの変わったパンやスープや炒め物だが、ケイファストには優しい味付けのお粥が出される。
「今日は市場を案内してくれるんだろう? ラヴィニアにいい土産があるといいんだが」
「義姉上にですか? ・・・何がいいんだろう。俺としては飾り物に見せかけたナイフがお勧めなんですが」
ウルティードは、自分が欲しいものを思い浮かべながら言ってみる。
タイキがつけていた真っ黒い石のブローチが格好いいなと思ったら、実は金具を取り外したら黒曜石のナイフになるのだと教えられたのだ。勿論、通常時は普通のナイフの方が役立つが、非常時には何もないよりマシだとか。魚も捌ける。
それを聞いたケイファストは味のないぐにゃぐにゃしたものを噛んだような表情となった。
「それはなかなか役立ちそうだが、・・・女性用のデザインなのかい?」
その一方でキマリー王宮内で魚を捌いたことのある令嬢はいないだろうと確信もしていたが、ケイファストはとても紳士な性格の持ち主だった。
「さあ? 俺は女性がつけていてもいいと思うんですけど。ケイト姫もよくそういうのを身につけてますし」
ここで暮らしている間にかなり大陸における価値観が崩壊している第二王子だ。けれども落ち着いて考えてみれば、キマリー国のドレスにあのブローチは似合わない気もする。
二人とも贈り物に関しては、ちゃんと失敗しないよう周囲の人間が考えてくれるお育ちでもあった。
また現在、周囲にいる護衛の騎士達は、そんなこと自分が教えてもらいたいという無骨なタイプばかりである。
「もうすぐしたらケイト姫やハールカも来ますし、二人に教えてもらうというのはどうでしょう、兄上」
「そうだな。そうするか」
二人は無駄な努力をすぐに放棄し、食事を再開する。
昨日、
「明日は兄上に市場を案内するんだ。ところで市場ってどこの焼き肉が美味いと思う?」
と、ウルティードが相談した為、
「そういうことなら私が案内しましょうか。多分、ウルティードと違ってケイファスト様、立ち食いだなんて想像もしていないと思うわ」
と、疲れた顔になったケイトが言い出したのだ。
(ケイト姫とハールカ姫か。・・・あのハールカ姫も不思議な立ち位置のようだ。だがほとんど同い年なのにどうしてウルティードはケイト姫にちょっとびくびくしてるんだろう)
誰よりも大人しそうで周囲から守られている気配が濃厚な首長の姪姫だが、それでも不思議なことに遥佳は何をやっても許されるといった雰囲気がある。
首長であるコウヤの前でキマリー国の醜聞を暴いてみせておきながら全くコウヤに怒られた様子もないどころか、コウヤは遥佳が何をしようが全く咎める気配はないといった感じだ。しかしそれは、何をしても許される程に溺愛されているとかいう理由でもないようで、そこが不可思議にも思える。
(私がウルティードに言わなければ、ちゃっかりザラームスから聞き出すようにと入れ知恵までしてくれたしな)
昼食会の後、ディリライト邸で休ませてもらったケイファストだが、目覚めれば迎えがやってきていて、更にウルティードからはどういうことかと問い詰められた。
どうして弟にそんなことを聞かせられるだろうと、
「何のことかな? ハールカ姫は自分の知っている事例と私とをごっちゃにしてしまったのだろうね」
と、適当にはぐらかしていたら、ウルティードは埒が明かないとばかりに、
「知っていることを教えてくれ」
と、遥佳へ矛先を変えたらしい。すると遥佳は、
「私が教えるのは筋違いよ、ウルティード。それならお兄様の傍にいるザラームスって人に訊いた方がいいわ。体調管理とか任されているみたいだから」
と、言ったらしい。
第二王子という立場を利用して問い詰められたザラームスが、ウルティードに口を割るのは早かった。
それは知っておいた方がいいと、ザラームス自身が思っていたこともあるのだろう。
(病弱だという話だし、治療院で働いていたという話もしていたし、・・・だからザラームスが私の主治医だと気づいたのか。私を休ませる時は気丈だったが、それ以外は引っ込み思案だった。それは社交界では生き辛いだろうが、何とでも支援できる。ウルティードにとって心安らげる女性というのは大切なことだ。ラヴィニアもそうだが、良妻は得難き宝と言える)
ケイファストは遥佳の為人に問題がないようであれば弟の恋を成就させることに前向きな気分でやってきていた。
(ウルティードもかなりハールカ姫を好いているようだし、これはもうまとめてもいいか。第二妃などではなく正妃に迎えた方がいいだろう。子供が産めぬ第二妃など辛い思いをするだけだ。ならば子供を産めなくても正妃として押しも押されもせぬ立場を確立した方がいい)
さっさとドモロール王国に行くようにとケイファストがいくら言っても全く聞く耳を持たないウルティードは、ケイファストにつきっきりだ。それは彼なりに何も知らなかったことを悔い、せめてこれからは兄を守るのだという決意が生まれているかららしい。
(別にそんなこと気にしないでくれていいんだが。一人には慣れてるし)
愛情はあるが、疲れやすい体質のケイファストは元気溌剌すぎるウルティードを放し飼いしておきたい。午前中は一緒に過ごしても、午後からは付き合うだけの体力がないのだ。
ディリライト側の方がそんな事情を見抜いているらしく、午後になるとケイファストといたがるウルティードをディリライト三兄妹の誰かが連れ出してくれていた。
ディリライト邸の敷地内にある海辺の塔。
砂浜で舟を漕ぎだそうとしているウルティードを窓から見下ろしながら、ケイファストはテーブルに作りかけの壁飾りを広げている遥佳に話しかけた。
「わざわざすまないね、ハールカ姫。だけど本当にこの塔からはよく見えるんだな」
「ここからならウルティードの様子も見下ろせますし、ロッキングチェアってかなり楽ですから。私も飽きたら昼寝しますし、ゆっくり過ごしてください」
窓から入ってくる潮風が心地よい。ゆらゆらと揺れる椅子に身を任せながら、ウルティードがカシマと喧嘩しながら舟を漕ぎだしている様子を楽しくケイファストは眺めていた。
『なーにやってんだよ、なっさけねえなぁ。これぐらい持てるだろ』
『てめえと一緒にしやがるんじゃねえっ。持ち方にもコツがあるならコツがあるって教えろよ、くそカシマッ』
『体で覚えねえと身につかねえんだよっ、ぼけウルティードッ』
王族として色々と物申したくなるものはあるが、ああやって太陽の下で笑い合える友人がいるというのは素晴らしいことだ。・・・・・・うん、キマリーに戻ったらシンクエンに再教育を頼んでおかなくては。
兄としては嬉しくても、王子としては頭痛を覚える事態に、ケイファストはシンクエンへの丸投げを決めた。
同じ部屋で、遥佳は歪んだ真珠を連ねて壁飾りを作っている。なかなかの大きさだ。
「そういうものは小さくても存在感があるだろうに、かなり大きいものを作るんだね。この塔に飾るのかい?」
「いいえ。これは、うちの子が綺麗なものが好きだからなんです。うちの子と言っても、鳥なんですけど」
「ヴィゴラスって名前なんだ?」
「ええ」
はにかみながら答える遥佳はとても楽しそうだ。ほとんど完成に近づいているからだろう。
「ヴィゴラスは、違うところで暮らしてるんです。あの子のお部屋の扉は常に開けっ放しだから、そこにこれを取りつけてあげたら喜ぶかしらと思って。お部屋の入り口が綺麗だと嬉しいでしょう? エルルーカ様がくれた真珠、私が買ったのとは違う色合いだったので、それで赤みを帯びた真珠が名前になるように順番や組み合わせを変え直したから出来上がりに時間がかかってしまいましたけど」
「大事にしてるんだね。だけど部屋があるだなんて鳥籠に入れていないのかい?」
「ええ。鳥籠なんかに入れられません。とても寂しがり屋でいつも私の後をついてくる子なんです」
数十本の真珠を連ねた糸。それを一つの棒から吊るすようにして、その中で赤みを帯びた真珠が「ヴィゴラス」という名前を表すように作られている。
(部屋をわざわざ用意して飼う鳥とは、・・・よほど大きな鳥なのだろうか。駝鳥とか?)
けれども遥佳はどんな鳥かを教えてくれなかった。
『そんな大きな鳥といったら何だろう? 孔雀だろうか? ここ以外にも別荘をお持ちなのかな?』
『あ、はい。えーっと、・・・ヴィゴラスの種類は内緒です。孔雀よりも大きくて、普通は人と一緒に暮らすような子じゃないって、みんなにもおうちで飼うのを止められたぐらいですから。あの子を見つけて拾った時も、飼っちゃ駄目です、見つけた所に捨ててきなさいって言われちゃったぐらいなので。人にばれたら大騒ぎになっちゃうんです』
飼っているのが恥ずかしい鳥なのだろうか。なかなかミステリアスな少女だ。
「ハールカ様。こちらに飲み物を置いておきますね」
「ありがとう。ケイファスト様の横に小机を移動させてそこに置いてもらってもいいかしら。あとね、下の護衛用のお部屋にいる方達にも、軽食とかあるようなら出してもらえる?」
「かしこまりました」
「タイキとケイトは、邸に戻っちゃったのよ。お茶の時間になったらこっちに戻ってくると思うわ」
「はい」
ミントなどが浮かぶ冷たい水の入ったピッチャー、そして果物がそこに置かれ、使用人が出ていく。
せっかくの二人きりなので、ケイファストは尋ねた。
「ところでハールカ姫。あなたに婚約者はおいでだろうか?」
「いいえ」
「ならば、うちの弟などどうだろう」
少し面食らったような顔になった遥佳は、困ったような微笑を浮かべた。
「そういうのはおじさまに言ってくださると思ってたので・・・。そちらで断りを入れてくれるだろうと思っていたのですけど」
「おや。なんだ、ウルティードがフラれるというものだったか」
それは残念だと、ケイファストはウルティードと同じ灰色の目を丸くしてみせた。
ウルティードと遥佳は仲も悪くなさそうだったが、やはり身分差が大きかったのだろうか。
「コウヤ殿に申し込んだら、ほとんど公的な申し込みになってしまうからね。先に姫のお気持ちを聞いておきたかったのだが、ウルティードに不満は・・・まあ、がさつな弟だから仕方がないか」
「そんなこと。ウルティードは明るくてとても気持ちがいい人です。不満なんてありません」
「身分が問題だろうか? だが、形だけコウヤ殿の養女としてくれれば問題ない」
「あ、いいえ。そういうのではなく・・・」
「お体が弱いと聞いたが、私の妃は幼少時から薬草などの知識を叩きこまれていてね。嫁いでいらしてもかなりお役に立てると思うのだが」
「あ。そういうわけじゃなくて・・・」
「子供ができなくても問題はない。第二妃にそれは任せてくれればいいし、他に妃を迎えるのが嫌だというのであれば、それもそれだ。何とでもなる」
「そういう問題でも・・・」
どうしたものかと遥佳は思った。
離れて育った弟を時折こっそりと眺めるだけで過ごしていた兄王子は、ウルティード可愛さのあまり、遥佳に多少の難があろうと弟の恋心を叶える気に満ちている。
「あ、あの・・・。その、私、王族の方とは、いえ、王族じゃなくても、少なくとも肩書きのある方とは結婚できないんです」
「ええーっと、それはどういうことかな?」
思いがけない言葉を聞いたとばかりに、ケイファストが小首を傾げてみせる。だが、そんな顔の裏ではぐるぐると様々なことを考えているのが遥佳には分かった。
「あ、あの・・・。その、私、結婚したとか分かったらとんでもないことになるというか、結婚する時にはそれを隠しておかないといけないというか・・・」
「・・・・・・隠す?」
「いえ、結婚しちゃいけないわけじゃないんですけど、王族とか貴族とか、そういう人って、結婚してそれが周囲に分からない筈ないですよね? だから無理と言いますか・・・」
「だが、姫はコウヤ殿の姪御殿だろう?」
弟の正妃にとまで思ってくれたケイファストだ。そう思うと、遥佳も嘘をあまりつけなかった。
今も、多少のことなら力技でどうにかしようとケイファストは考えてくれている。
「あの、実はおじさま、姪ということにしてはくれているのですけど」
「もしかして姪ではない?」
「はっきり言えば他人、でしょうか」
血縁はあるが、あまりにも遠すぎる。普通の姪ならば第三親等だが、第八親等程にまで離れてしまうと、それはもう誰だって他人だと言うだろう。
二人の間に沈黙が横たわった。
やがてコホンと、ケイファストが咳払いする。
「まあ、別に赤の他人だろうが、養女とすれば問題はない」
「えーっと、あの、その、私を養女にするのはどこも不可能だと思います」
王族との結婚の際に養子縁組をするのは、低い位の人間に箔をつける為である。だが、遥佳にとっては養子縁組する方が格落ちとなってしまう。
「それは何故かと訊いてもいいかな?」
「私が結婚するとなると、素性が隠せないからで、そうなるとまず結婚はかなりのトラブルを運ぶと言うのでしょうか、そこそこの騒ぎになるかと思います」
かなり深刻そうな沈黙がケイファストに訪れた。
「い、いや、もしもかなり失礼な質問になるが、いや、引っ叩いてくれてもかまわないが、もしかして姫は犯罪などといった醜聞をお持ちか?」
「・・・似たようなものかもしれません」
犯罪者ではないが、もしも自分がウルティードと結婚ということになったら、まずケイファストどころではなく、今の国王を廃してウルティードこそが国王にと、そういう話になりかねない。
何故なら遥佳がウルティードの両親である国王夫妻に頭を下げるだなんてことがあってはならないからだ。
ケイファストが途方に暮れた顔になる。
「すみません」
遥佳は謝るしかなかった。
「私は、私の為に王族の地位を捨ててくれるという人としか恋も結婚もできません」
「王族にとって王族という地位を捨てることは不可能だ」
「・・・ええ、そうですね」
遥佳は小さく微笑んだ。だから父のタイガは自分の死を偽装したのだ。
「申し訳ないことを。今の話はなかったことにしてくれるかな」
「はい、こちらこそ申し訳ありません」
「だが、多少のことなら国を変えてしまえばかなりごまかせるものなのだが?」
「そのお気持ちは有り難いのですけど」
その言葉に、揺るがぬ拒否を感じたのだろう。ケイファストは、
「あなたが首長殿の姪でないなどと他言はしない。それは私の名に誓おう」
と、小さく片手をあげる。
(だが、犯罪者という感じはしないな。ディリライト首長もかなり大事にしている様子だ。ウルティードを保護したことといい、わざわざ姪という形をとったとなると・・・)
ケイファストは、どこかでその地位を追われた王族や貴族がいただろうかと、そんなことを考える。
それは、全く自らに恥じないものを遥佳に感じたからだ。
「ケイファスト様。少し眠った方がいいです。ウルティード、沢山の貝とか持って帰ってきそうですもの。ケイファスト様のお母様やお妃様へのお土産にする真珠、自分で見つけるとか言い出してますし」
「別に買うからいいって言ったんだけどね」
ケイファストとて、ウルティードが頑張るよりも本職に任せた方が余程良い結果が伴うことは理解できる。
「ウルティードなりに何かしたいって思ってるんだと思います。たとえ小さくても、綺麗な真円じゃなくても、その気持ちがこもったそれは、きっと世界で一番素敵な真珠ですね」
「そうだね。・・・見つかるといいのだが」
尚、今まで真珠探しに関してはシンクエン達がいた時からずっと空振りしているウルティードである。
タイキやカシマも、わざと仕込んでおいてやるべきかと悩んでいるのだが、本人が頑張ることに意義があるに違いないと考えて静観中だ。
遥佳も、今日も空振りかなぁと思えば視線がミミズのようにうねる。せめて一粒でもいいから見つけてくれれば褒めることもできるのだが。
「あ、そうだわ。一番の宝物は思い出だそうですよ、ケイファスト様」
頑張ってフォローに努めようと手をパチッと叩いて言ってみた遥佳だが、その失敗前提の内容にケイファストはプッと噴き出した。
キマリー国の王妃が暮らす宮で、正妃ネムソフィアと王太子妃ラヴィニアは優雅にお茶を飲んでいた。けれどもラヴィニアはドレスではなく貴公子のような服を身につけている。
「ねえ、ラヴィニア。やっぱりあなたもケイファストと一緒にディリライトに行った方が良かったのではないかしら? ケイファストはかなりあなたを心配していたでしょう?」
「いいえ、ネムソフィア様」
くすんだ緑の瞳を細めるようにして、ラヴィニアは首を横に振った。
「私はあなた様のお傍におります。どうぞお心安らかにお過ごしくださいませ。全ての雑音は私が引き受けさせていただきます」
義理の母を労わるその眼差しに嘘はない。
ラヴィニアの腰には女性用の剣が提げられていた。達人ではないが、ある程度の心得はある。
何かあればネムソフィアの盾になる覚悟を、とっくにラヴィニアは決めていた。
「情けないこと。息子の妃にここまで気を遣わせてしまうだなんて」
「そんなことは全くございません。元より私はネムソフィア様の為にこの王宮へ参ったのです。・・・ひょんなことから王太子妃という位を頂戴してしまいましたが」
キマリー国の伯爵令嬢だったラヴィニアだが、その母はネムソフィアと同じドモロール王国の人間である。
母に言い含められてネムソフィアと親しくなるつもりが、さりげなく親しくなる為にうろちょろしているその怪しげな動きに気づいたケイファストから声を掛けられ、先にそちらと親しくなってしまったというラヴィニアだ。すぐに亡くなると思われていた王太子だからこそ自分が妃になれただけだと思っている。
「ひょんなことからって・・・」
「本来の予定通り、どうかネムソフィア様とケイファスト様を守らせてくださいませ。その為に父の試練をこなしたのです」
事情としてはそれで間違っていないが、今もネムソフィアとケイファストに仕えるといった気持ちを持ち続けているラヴィニアに対し、ネムソフィアは息子の良妻といった気分だったし、ケイファストも愛妻といった目で彼女を見ていた。
ラヴィニアだけが、自分はドレスを着た二人の護衛兼侍女だと思っている。
貴族達の前では微笑んでいるしかできないおままごと王太子妃だが、父親であるミンザイル伯爵によって野宿や暗殺といった生き残り技術を仕込まれた女騎士。それが元伯爵令嬢ラヴィニアだった。
「あなたは真面目に考え過ぎていると思うのよ、ラヴィニア。私は、ケイファストの妃があなたで良かったと思ってるわ。あなたで、・・・本当に良かったの」
「ネムソフィア様」
感動に、ラヴィニアのくすんだ緑の瞳が潤む。
そんな姑と嫁との交流をよそに、キマリー貴族達の間では、粛清の血飛沫が舞っていた。
キマリー国先王弟の孫息子という立場のシンクエンは、傍系王族として常に飾り物といった言葉が似合う青年だった。明るく輝く金髪に青い瞳の彼は、常に笑顔を絶やさず、誰にでも愛想と世辞を振りまく。
趣味は読書で、社交の場でなければ自室に閉じこもっている。
弟分のウルティードに振り回されては苦虫をかみつぶしたような顔になる。
それでも懲りずに懐いてくるウルティードを見捨てられず、後始末の為に走り回る。
そんなシンクエンだったから。
こんな顔なんて、知らなかった。
「シンクエン、兄様・・・」
現王弟の娘であるエルルーカは、シンクエンの暮らす邸の玄関でその姿を認めて唇を震わせた。
「エルルーカ。・・・そうか、邸は大変な人だかりなのか?」
「え、ええ。お父様は陛下の弟だから、だからせめて助命を嘆願できないかって・・・」
「どうせうちは傍系とあってあまり力はないからな。うちに隠れているといい。お前も友人から助けを求められては見捨てる言葉をかけるにしのびず、かといって何もできず、だからやってきたんだろう?」
エルルーカは、こくりと頷いた。
裏門からこっそりと、エルルーカは護衛や侍女と共に出てきたのだ。
けれども今、シンクエンは全身を黒い衣装に包み、先王弟から続く紋章が入った黒いマントを羽織っている。そしてエルルーカが見たこともないような厳しい顔つきをしていた。
その腰にあるのはまさに騎士が持つような剣。
服の下には鎖帷子を着こんでいると分かる。
「母上の所へ行っておいで、エルルーカ。俺が出た後で、ここの門扉は完全に閉ざされる。もうどんな客人も訪れない」
自分に掛けられる言葉は優しいのに、どうしてシンクエンはこんなにも彼らしくない格好をしているのだろう。
まるで・・・。
「どこに・・・。どこに行くの、シンクエン兄様」
シンクエンは小さく苦笑した。
「こんな姿は見せずにいたかったんだが仕方ないか。お前が思っている通りの場所だよ、エルルーカ。何と言ってもまさか貴族如きに国王の妃に死を賜らせるだなんて役目、させられないだろう? 三人の王子とて、こんな汚れ仕事は論外だ。ならば俺しかいない」
勿論、一人ではない。シンクエンの周りには数多くの騎士達がいる。更に役人らしき者達も。
「それだけじゃ、・・・それだけじゃ、ないんでしょう?」
「ああ。腐りきった奴らの邸を押さえ、当座の資産凍結と後始末も込みだな。・・・ここからは出るなよ、エルルーカ」
大人しく第二妃グラディーネが毒杯を飲めばいいが、そうでない場合はシンクエンが手を下すしかない。高貴な存在に、そこらの騎士が剣を向けるなどできないことだからだ。
「何があろうと耳を塞いで目を瞑っていろ。王子三人が戻ってくる前に全てをすませる」
怯えきっているエルルーカの頭を軽く撫でると、シンクエンは出ていこうとする。
武装した騎士達がガチャガチャと騒がしい音を立ててそれに続こうとした。また、王宮に仕えている文官らしき者達も、その真ん中に挟まれるようにして歩きだす。
「シンクエン兄様っ」
けれどもエルルーカの呼び声に、シンクエンはもう振り向かなかった。
ザザザッ、カツッカツッと、シンクエンに続く騎士や兵士達、そして役人達の足音が過ぎていく。
やがて、ガチャンッ! と、大きな音を立てて玄関の扉が閉まった。
邸の外から、
「全ての扉を完全に封鎖しろっ」
「裏門も三重の錠を下ろせっ」
と、男達の野太い声が響いてくる。
「姫様。どうかお立ちになってくださいませ」
連れてきた侍女の一人が、床に膝をついて座りこんでしまったエルルーカを立たせようとした。
「おやおや。エルルーカ、そんな所で座りこむものじゃない。もしかしてシンクエンを見送ってくれたのかい?」
「おじ様・・・」
そこへ先王弟の息子であり、エルルーカの父とは従兄弟にあたる、シンクエンの父親が姿を現わす。
「さあさ。そんな所で泣いていないでこっちにおいで。こうなってはもう仕方がないことだ」
「おじ様。シンクエン兄様を止めて、止めてくださいっ。あんな恐ろしいこと・・・っ」
よろよろとしながら立ち上がり、縋るようにしてきたエルルーカの頭を、彼はそっと撫でる。
「それはできない相談だ。この日を覚悟してシンクエンは生きてきた。ケイファスト王子もだが・・・」
だけど君は耳を塞いで目を閉じておきなさいと、シンクエンと同じような言葉を彼は掛ける。
それはまるで、エルルーカではシンクエンと同じものなど見ることはできないのだからと、そう告げているかのようでもあった。
(それが、本当の顔だったの? シンクエン兄様・・・)
それこそ第二妃グラディーネや息子である第三王子ミファレーンともシンクエンは笑顔で親しく交流していたではないか。
その裏で、この日が来るのを待っていたというのか。
今まで自分には見せたことのない顔。見せたことのない姿。
「どうして・・・っ」
エルルーカは自分だけが何も知らなかったのかと、泣き崩れた。何が悲しいのかも分からないままに、この後に訪れるであろう日々に怯えながら。




