41 イスマルクはゲヨネルに連れて行かれた
元第5等神官にして元第25神殿長、そして元第3等神官を経て罪人となり、現在は逃避行中なただのイスマルクは、何かと苦労に慣れていた。苦労を積み重ねてきたと言っていい。
理不尽な目に遭うことにも慣れていたし、思い通りにならないことなんて人生の大半を占めると思っている。
だからにっこりと笑って相手の心を軽くするような言葉選びも、標準装備スキルだ。
従って、今も言ったのだ。
「なあ、ヴィゴラス。正直に言っていいんだ。誰にだって間違いはある。迷子にだってなるさ。そんなこと、恥じる必要はない。間違ったら正せばいいんだ。そうだろう?」
最後の豚を切り分けて炙りつつ、更にスープの中にも刻んで入れる。イスマルクは、ヴィゴラス用鍋に、野菜だけではなく骨や足の爪なども放りこんだ。
そうして、成分は「後悔している人を慰めるかのような優しさ98%」な言葉をかけたつもりだ。
尚、「残り2%は馬鹿にしている」だ。だが、そんなこと、この愚かなグリフォンには理解できないだろう。
「グキュウッ」
なのに、このクソ生意気なトリ犬は、まるで自分は間違っていないと主張するかのように翼を高く掲げて、反論するような鳴き声をしてみせた。
「お前なぁ、迷子じゃないって言い張っても、誰がどう見ても迷子だろうが。これのどこが第7神殿に向かってるって言うんだ。いいか? 少なくともギバティールから第7神殿に行く途中に、・・・・・・海はないんだよ、海は」
後半の言葉はかなり力を落としてしまったイスマルクである。あまりの情けなさに涙も出なかった。
現在、イスマルクとヴィゴラスがいる場所は小高い山の上なのだが、眼下に海が見える。
「グキュウッ、グキュウッ」
そんなイスマルクの言葉は心外だったらしい。ヴィゴラスは、
(間違ってないもんっ、僕を馬鹿にしちゃいけないんだぞっ)
と、言わんばかりである。
まさにプンスカプンスカ怒っているようなヴィゴラスだが、思い起こせばそういう奴もまた神殿にいたものだ。
イスマルクは遠い目になった。
誰がどう見ても間違っているのに、
「自分は正しいんだ」
と、主張する輩である。
たとえ証拠を突きつけられても、そういう奴は、
「だけど違うっ。自分は決して間違ってないっ」
と、理屈を無視して言い張るのだ。
(ヴィゴラスよ。お前もか・・・)
イスマルクはげっそりとした気分で炙った豚を咀嚼した。
パチパチと香ばしい音を立てて、枝に突き刺した魚もこんがりと焼き色をつけ始めている。それは海面を跳ねた魚を、ヴィゴラスが素早い動きで捕まえてきたものだ。
生でも食べられるくせに、焼けとばかりにイスマルクへ渡してくるのだから、仕方なく鱗と内臓を取ってから焼いてやった。
どこまでこのグリフォンは舌を肥えさせるつもりなのか。
(この豚が終わった以上、次はどこか人里で肉か魚を買うしかない。俺は平気だが、ヴィゴラスは野菜と豆だけでは耐えられないだろう)
まさか優理はこの事態を見越して大金を入れてきたのだろうか。
自分はどこまでこのトリ犬と共に旅の空の下をゆけばいいのか。
しかも本気で空の下を飛んでいるのだからやってられない。せめて人里なり街道なりが見えれば、こんな愚かなトリ犬など放置して自分で移動するのに。
(なんで俺がこんな目に遭うんだろう)
助けてもらったことは感謝している。だけどこんなことならヴィゴラスに運んでもらうより自分で移動した方が良かった。
そう言ってはいけないだろうか。
イスマルクは海のように深い溜め息を、一つついた。
(暗い奴だ)
ヴィゴラスは、そう思った。
そこは柱や幾つかの壁、ある程度の床などは出来上がっているものの、まだ建築中もしくは建築途中で放置された建物の中だ。窓もない。
イスマルクは、ここでどうすればいいのだろうと、うつろな眼差しになった。
今までの人生、理不尽だったことを数えていけば、両手両足の指の数では到底足りない。目の前にいるトリ犬の爪を足してもまだ足りないだろう。
(結局、俺の人生なんていいように使われて終わるだけなんだろうか)
まるで演歌における、男に尽くし続けて裏切られては捨てられ、涙にくれる薄幸女のようなことを考えながら、イスマルクは風光明媚なその場所を見渡した。
「なあ、ヴィゴラス。俺は神官であって、いや、神官だった人間であって、建築だの何だのは専門外なんだが」
言われると予想していたのだろうか。ヴィゴラスは何かが書かれた一枚の紙をイスマルクの目前に突き出した。
『なせば成る』
「・・・いや、ならねえよ」
常々イスマルクは思っていることがあった。
やればできるとか、君ならできるとか、人はよく言うが、あえて言おう。
「やってもできないことはあるし、どんな人だってできないことはあるんだ」と。
どんなに「できません」と言ったところで「いいからやるんだ」を押しつけられてきたイスマルクだから、今更ではある。
彼はコホンと咳払いして、気を取り直した。
「どいつもこいつも困った時の俺とか思ってねえか。てか、どんな伝手だって使えない場所に行ったら意味なしなんだぞ」
イスマルクの手元には一枚の設計図がある。
それはどうやらグリフォンでも暮らせるような大きな出入り口を確保した、しかしどう見ても人間が暮らす為の建物の設計図である。それがメインな建物らしい。
(どこまで図々しいんだ、このトリ犬は。もうさっさとゲヨネル帰れ)
そしてムカつくことに、イスマルク用と書かれた建物も設計図の中には書かれている。しかし、誰がどう見ても大きさがあまりにも違いすぎるし、それでいながらこの近距離はまさにスープの冷めない距離どころか、同じ敷地内である。
(てめえ。ハールカと自分は大きな家、同じ敷地内に俺の小さな家ってか)
見渡せばそこの地は少し小高くなっているが固い岩盤の上にあり、近くには湖や小川もある。林も近いし、柔らかな草の生えている原っぱもあった。これで近くに商店街などがあるなら、とても暮らしやすそうな場所だ。
ついでに言うと、建物の骨格はとっくにできているわけだ。更にどこからか運ばれて来たらしい食料もそこに積まれている。
けれどもいくら二つの建物の柱や天井や壁ができていようとも、自分は左官屋でも何でもないのだ。そりゃ材料があれば少しの真似事はできるかもしれないが、一人でなど無茶ぶりもいいところである。
「いいか、ヴィゴラス。そこに正座してちゃんと聞きなさい」
「キュルッ?」
遥佳と真琴によって、お説教の時には正座スタイルというのをイスマルクは知ってしまった。
何から説明すればこのトリ犬が理解するだろうと思いながらも、無駄に行動力があるところが厄介な幻獣だ。
(そりゃそういうのを請け負ってくれる人がいるならいいんだ。だが、この周囲にそういう大工がいるのかどうかも分からないんじゃどうしようもねえだろ。というか、人里の気配なんざないだろが)
この設計図を見た後なら、あの箱に入っていた資料とやらも何となく用途が分かるような気はするが、いかんせん、自分は鍛冶師でも大工でもないわけである。
ある程度はできても本職ではない。一般家庭の小さな修理程度ならできても、こんな大きな建物になったら話は別だ。
「あのな。こういうのはまず、大工さんと話し合って決めなきゃならないんだ。だけどお前は姿を見せられないだろう? だから・・・」
常識というものを教えてやらねば、このトリ犬はどこまでも理解しそうにないと、イスマルクは横にいるグリフォンを・・・・・・。
「え? あれ? ヴィゴラス? どこ行った?」
設計図に気を取られている内に、ヴィゴラスは忽然と姿を消していた。
はっと気づけば、空の向こうに何かが消えていくような・・・。
「ヴィ、ヴィゴラスッ!? お前っ、俺をこんな所に置き去りにする気かぁーっ!! って、ここはどこだぁーっ!」
慌てて外へと駆け出して追いかけようとしたイスマルクだが、空から一枚の紙がひらひらと落ちてくる。
『あとは任せた』
それを拾って読んだイスマルクは、わなわなと手を震わせてそれを地面に叩きつけた。
「ふっざけんなぁーっ!!」
そもそも、ここはどこだ。
簡単な野宿ができる程度の物は箱の中にあるものの、人里がどちらにあるかも分からない。
更に言わせてもらうなら、人の気配が全くない。
(いや。なんか啜り泣きのようなものが聞こえてくるような・・・?)
耳を澄ませば、しくしくと何かを嘆くような恨みがましい声が聞こえる。
また、その中に混じって、トンカントンカンと何かを作っているような音も響いてくる。
『さあ、これで扉が一つできあがったぞ。だけど悲しいよう、どうしてこんなことをしなくちゃいけないんだろう』
トンカントンカン。カンカンカン。
『どうしてこんなことになっちまったんだろなぁ。我らは誇り高き匠の民だというのによぉ。ひっくえっく・・・。ほら、取っ手もできあがったぞ』
カンカンカンカン、ガッガッガッ。ガキッ、ゴッ。
『泣くな。きっと助けはくるさ。けど、おいらも泣きてぇよう。言われたままに作るんじゃねえ、自分らの美意識で作るんじゃなきゃ嫌なんだよぉ。うぉぉーんっ、わぁーんっ』
イスマルクは考えた。
微かなそれは遠くから聞こえてくるようにも思えるが、反響具合からして地下から響いてきているのではないかと。
いや、確信に近い程にそう思えて仕方がない。
(この設計図。地下が、あるんだよな? つまり、この建物ってことだが。そういえば、ここに積まれてる食料、俺の為にヴィゴラスが用意していたってより・・・)
ちょっと嫌な予感がする。かなり嫌な予感がする。完璧に嫌な予感がする。
(この地下を、・・・見に行きたくない)
臆病者だと言われてもいい。弱虫だと言われてもいい。だけど自分は無実だ。
(これ、俺、どうすればいいんだ?)
とりあえず明るい太陽の下で考えようと、ふらふらとイスマルクは更に少し外へ出た。
そこへヒュッ、ヒュゥッと、風を切る音が響いたものだから、イスマルクは何だろうと思う。
「ん? え? 矢、か?」
あまりに現実離れしていた音の為、イスマルクはその事態を把握しかねた。
人間、自分に無縁の事態は、すぐさま脳における状況把握へと直結しないものである。
いつの間にか、イスマルクの周囲の地面には矢が突き刺さっていた。
「何でこんな所に矢があるんだ?」
さっきまでそんなものがあっただろうか?
首を傾げたイスマルクに、大音声が浴びせられる。
「お前かっ、罪なきドワーフ一族を襲撃した犯人はっ!!」
「凶悪なる罪人よ、我らが退治しに参った!」
「善良なるドワーフよっ! 今、救出しに来たぞっ!!」
一体、何をやっているのだろう。どこかで捕り物騒ぎがあるらしい。
(おや? どこかで凶悪な犯罪者でも出たのか?)
そう思ったイスマルクは、どこのどいつが何をやらかしたのかと、振り返った。
「・・・はい?」
そこにはイスマルクに向かって矢を射かけようとするケンタウロス達が、まさにその数は数十人といった状態で勢揃いしていた。
ケンタウロスとは、馬の下半身に人間の上半身を持つ戦上手な民である。
そう、人間ではない。ジンネル大陸にはいない種族だ。
「ま、まさか・・・。ここ、ゲヨネル大陸かぁーっ!?」
イスマルクの悲鳴は、とっくに飛び去っていたヴィゴラスにはもう届かなかった。
イスマルクは無駄な足掻きをしない人間である。
だってそうだろう? 弓矢を構え、更に大きなナイフなども持参している数十人のケンタウロスに対し、武器なんて調理用ナイフしかない人間が何をできるというのか。
彼らは馬の下半身を持ち、弓矢を扱う生まれながらの狩人だ。
「なんと・・・! お前、もしかして人間かっ」
「うっわぁ、見ろよっ、人間だってさ」
「へえ、全くもって特徴がないんだなぁっ」
「こんな奥地まで人間がやってくるとは思わなかった。大抵、船の発着所付近しかいねえって言うよな」
「人間? なあ、こいつ、なんでこんな所にいるんだ?」
ほとんど珍獣のノリでぐるぐると囲まれて小突き回されるイスマルクだ。
彼らの下半身は馬だけあって、イスマルクより誰もが背も高い。
「もしかしなくても人間だが、・・・とりあえず話し合えないだろうか。できればこの状況を説明してくれると更に有り難い」
だが、イスマルクにも推測できるものはあった。誰しも馬鹿ではない。
そして地下から出てきた匠の小人族達は大泣きだった。
「いきなり襲ってきたグリフォンに族長を人質にとられて働かされて、そうしてこの建物を造らされていたんだよぉ」
「逃げたらとっ捕まえて食うって脅すんだぁ」
「グリフォンなんて俺らの造る建物の価値も分からないくせにぃ」
「匠の技は、分かる奴にこそ価値が出るもんなのによぉ」
誰が犯人か分かっているだけに、余計に申し訳なさが募る。
(あんの馬鹿トリ犬がぁっ!)
それでも庇ってしまうイスマルクがいた。
「ご、ごめんな。そのグリフォン、多分、ちょっとある女の子をここに連れてきたかったんだろうと思うんだが、自分じゃ人間が暮らす建物なんて分からなくて、そういうことをしてしまったんだと思うんだ」
すると匠の小人やケンタウロス達の目がイスマルクに集まった。
「いや、どれだけ働かされたのか分からないが、ちょっとジンネル大陸まで俺が戻る手段を教えてもらえないだろうか。君達の労力に見合うものを、・・・宝石で払わせてもらえればと思うんだが。あっちに戻れば、それらを取ってくることもできるんだが、今、俺はほとんど無一文で・・・。あ、いや、ちょっと待て。金ならあったか」
たしか第7神殿には神官用の建物に宝石などがあった筈だ。あれを今回の賠償費用とすればいいだろう。
そう思ったイスマルクだが、優理に持たされていた大金のことを思い出す。
それを聞き咎めたのが、ドワーフ達を救いに来た森の勇者、ケンタウロスだった。
「待つがいい、人間。グリフォンが人間と住むなどあり得ん。なんという嘘を吐くのだっ」
「そうだそうだっ。グリフォンが人間と住むだなんてあり得ねえっ。あいつらは宝と金を見続けてないと気がすまん迷惑幻獣なんだぞっ」
「全くだっ。何もしてねえのに、宝石や黄金を奪いに来たと勘違いされて襲われたことなんて数知れずなんだからなっ」
「あ。いや、そうなのか。まあ、そういう生き物なんだろうが、いや、すまん」
彼らの主張を受けて、イスマルクも謝るしかない。
(俺が悪いわけじゃないのにどうして謝らなきゃいけないんだろう。大体、なんで人間の俺がグリフォンを庇わなきゃならないんだ?)
気分は、自宅の番犬がよそ様に迷惑をかけた、・・・そんな感じのイスマルクである。飼った覚えなどなく、さっさとゲヨネル大陸に帰れと思っていたトリ犬だが。
ゲヨネル大陸に帰ろうとしたのはいいんだが、あの幻獣はよりによって遥佳まで持ち帰るつもりだったのか。
「人間。お前、グリフォンとどういう関係だ。グリフォンは決して人間とは馴れ合わん。そもそも気に留める価値もない筈だ。もしや、ここの悪辣グリフォンのいない隙に宝を狙ってきて、我らを巻きこもうとしているのではあるまいな」
「あんな宝石ヘンタイからどうしてそんな命知らずなことをしなくちゃ・・・。いや、俺は単にそのちょっと暴走したグリフォンがだな、とある女の子を多分ここに連れてこようとしたんだと思うんだが、・・・この設計図といい、資料といい、そうとしか思えないんだが、全く話なんて聞いてなくて」
はあぁっと溜め息をつくイスマルクだ。
「全く何を考えてるんだ、あのバカは。大体、こんな所に連れてこなくても、第7神殿で十分平和に暮らせるってのに」
そこでしくしくと泣いていたドワーフの内、白い髭が胸まで垂れている年寄りがイスマルクへと近づいてきた。
「のう、お若い人間よ。お前さんはあの悪辣グリフォンがどうしてこんなことをしたか知っとるようじゃが、何じゃ、あのグリフォン、狂ってしもうたのかい? 宝石や黄金が分からなくなって人間に執着するようになってもうたのかい?」
「狂った? いや、別に狂ってはいないだろうが」
「じゃが、グリフォンが人間の娘になど入れこむはずがなかろう」
「行き倒れそうになったところを助けてもらったわけだし、食い物に釣られただけじゃないか? 実際、その女の子に宝石じゃらじゃらつけてうっとりしてたから、宝石への執着は失ってないと思う」
あのトリ犬は全てにおいてトチ狂ってはいるだろうが、狂ってしまったという訳ではないだろう。
自分の手料理もまたしっかり平らげていたヴィゴラスを思い返し、
(単に意地汚いだけだよな。全く肉ばかりじゃなく野菜まで生で食べるのと焼いて食べるのと味がどうだのこうだのハールカに言ってたようだし)
と、イスマルクは片付ける。
「すまないな。俺もちょっとゲヨネル大陸なんて話にしか聞いたことがなくて分からないんだが、そのグリフォンに箱に入れられて運ばれてきて、『後はよろしく』ですまされてしまったんだ。ちょっと待ってくれよ。持たされた金があるから、これをあんた達に支払うよ。それで許してやってくれないか」
イスマルクはケンタウロス達を掻き分けるようにして箱に近づき、中の物をごそごそと手探るようにして目的の金を取り出そうとした。
それなりの大きさがあった箱の中から、毛布や資料などを先に取り出して床に置いていったものだから、人間というものに興味津々なケンタウロスやドワーフ達がどれどれと、勝手にその資料をめくり出す。
「えーっと、あったあった。あのさ・・・」
イスマルクが振り返れば、匠の小人族達は勝手にその資料の内、下水設備などやその金具の形など事細かに記されたものを皆で覗きこんでいた。イスマルクがそこに置いておいた設計図も彼らの手元に移行している。
「なるほど。こういう金具を作ればこういう風に水を引けるのだな」
「この濾過というのは・・・」
「だが、この設計図はなっとらん。装飾性というものが欠けておるではないか」
「全くだ。外観にもこだわらねば建物としての美を壊す」
「これではただの箱ではないか」
「その通りだ」
ぷんぷんと怒り始める彼らに、先程までの弱々しさはなかった。
(さっきまで泣いてたドワーフ達はどこに行った。なんか目つきまで違ってきてないか?)
イスマルクもどう話しかければいいのか分からない。
どうやら、彼らの匠としての何かを刺激してしまったようだ。一気にプロの顔となっている。
匠の小人族。彼らは小さな巨人なのだ。
(家なんて住めりゃいいだろが。飾ったところで腹が膨れるわけでなし)
ケンタウロスはケンタウロスで、料理のレシピを皆でめくっていた。
「これ、美味いのか?」
「どうなんだろな。作ってもらえるのか?」
「だが、何か設備がいるようなことを書いてないか?」
「こんなの作ってどう食べるんだ?」
気持ちは分かるイスマルクである。自分も全く味の想像ができない料理がちらほらとあった。
「いや、あの、すまないが・・・」
イスマルクが話しかけようとしたら、ケンタウロス達が一斉にイスマルクを睨む。
「ひっ」
「人間っ! これっ、お前っ、作れるのかっ?」
「この下に書かれている文字は何だっ」
「この材料さえあれば作れるのかっ」
しょうがないなと、それを覗きこんだイスマルクは分かるものだけ答えようとした。
「あー。こりゃちょっと焼く専用竈とかがないと厳しいな。それから鉄の型か。こういう菓子を焼く型はあるのか? これは菓子を作る為に書いてくださったものだろうが、多分そっちの資料に竈の作り方もあったとは思うんだ。どっちにしても設備がないと簡単にはできないだろ。菓子が食べてみたいならもっとフライパンで焼く感じの何かが・・・」
焼き菓子系のレシピになると、ケンタウロス族の家にどれだけの調理設備があるのかが分からない。
ギバティ王国の第7神殿に戻れば型や鉄板などもあるが、こういったゲヨネル大陸ではそこまで料理をしない種族の方が多そうだ。
だから焼き型などもないのではないか、そうなると作るのは難しそうだと、イスマルクは判断した。
それならばとフライパンで作ることができる菓子があった筈だと、ぱらぱらとめくる。
「うわぁっ!」
けれどもそこで力強く背後から腕を掴まれ、イスマルクは悲鳴をあげた。
たたらを踏んで背後を見上げれば、年配のケンタウロスが厳しい目つきでイスマルクを見下ろしている。
「この料理の作り方だが、下の方に書かれている文字は何だ?」
「・・・悪いが俺には読めない。グリフォンが連れてくるつもりだった女の子ならば読めるのだろうが、俺には無理だ」
「その女の子というのは、どういう人間だ?」
「・・・・・・人間の在りようをケンタウロス族が理解できるのか?」
イスマルクはどう答えればいいのか分からず、質問で返した。
(ケンタウロス・・・。いくらヴィゴラスでもこんな弓矢を持って襲われたら彼女を守り通すのは難しいだろう。神子姫などと知られれば、ここでも狙われるかもしれん)
ケンタウロスは女好きなことでも知られている。
「質問を替えよう。お前はその娘とどういう関係だ?」
「・・・・・・彼女に何をするつもりだ」
そのケンタウロスは、イスマルクの頬を噛みしめる様子に何を感じたか、ふいっと箱の方へ少し歩を進め、その中から一つのメダルを取り出した。
「これは何だ?」
「それは、・・・神官のメダルだ。第5等であることを示す」
「お前の物か?」
「かつては。今はもう神官は辞めた」
「なぜ辞めたのだ?」
「色々とあったからだ」
「色々とは?」
「そういうことはみだりに話すものではないし、そこまで語らねばならん理由もない」
「それもそうだ」
ケンタウロスの男は、いきなりフッと笑う。そうして若いケンタウロス達を振り返り、命じた。
「さあ、お前ら。まずは酒と何か食えるものを運んで来い。せっかくのジンネル大陸からの客人だ。ドワーフ達も解放されたことだし、まずは飲んで騒ごう」
「おおうっ!」
「さっすがぁっ!」
「やったぁっ」
ヒューヒューと、一気に歓びの声をあげる若者達に、イスマルクの方がびっくりして後ずさる。
何なのだろう、このノリは。
ドワーフ誘拐犯から、いきなり客人扱いだ。
「ついでに長老を呼んでくるがいい。長老は女神シアラスティネル様のことをご存じだ。それとも人間、神官を辞めたならもう興味もないか?」
後半はイスマルクに向けられたものだったが、イスマルクがそれに飛びつかない筈がなかった。
「シアラスティネル様のことをっ?」
「ああ。勿論だ。俺達はよく聞かされている」
「是非っ、是非聞かせてもらいたいっ。どんなお方だったんだっ?」
さすがはゲヨネル大陸と、イスマルクの顔が一気に喜びで赤く染まる。
「と言われてもな。正直、俺達もあそこまでシアラスティネル様がどこで何をしただの、こういうことを話されただの、どんなお美しい気配だっただの、何度も細かく話されるともう耳にタコができるというものだ。長老ばかり女神様を知ってると思って羨ましいのなんの。俺達は全くお会いしたことなどないのに。だが、お前は神子様といたのだから十分だろう?」
苦笑しながらケンタウロスの男が言うものだから、その話を一度も聞いたことはないイスマルクはきっちり反論した。
「そんなことはない。神子様方はお父上似で、どなたも性格は異なっていらっしゃるし、それはそれだろっ。女神様の話を聞けるだなんて羨ましい目にあっといてから贅沢をぬかすなっ」
「だが女神様の神官を辞めてまでついてきたい程に、お前は神子様の方を大事にしてるじゃないか」
「そりゃ大事だが、女神様と神子様方とを比べるもんじゃない」
きりっとした顔でイスマルクは断言してみせる。
勿論、神子達は神子達でとても可愛い存在だが、女神は唯一至上の存在だ。ましてや人間の前には滅多に姿を現わさなかった女神なのだから。
(ヴィゴラスッ、偉いぞっ。よくぞこの場所を選んでくれたっ)
イスマルクは、ここに来て良かったと、頬を赤く染めてぐっと拳を握りしめた。
「なるほど。あの宝石しか目に入らないグリフォンが連れてこようと思う程の存在、やはり女神の神子であったか。で、さしずめお前は神子の世話係か? 神官を辞めた人間よ」
「・・・・・・ぐぇ」
イスマルクの顔からさーっと血の気が引いた。
その場にいたケンタウロス、そしてドワーフ達がその言葉を何度も耳の中でリフレインさせて頭の中に浸透させようとする。
数拍の時間が経った。
「なんだとぉっ」「なんだってぇっ」
「まさかっ」「おおうっ!」
「本当かよっ」「どっへぇーっ」
「なんじゃってっ」「まさかこの建物はっ」
「うおおおっ!」「なんとっ!」
「そりゃ本当かっ」「まさかじゃっ」
その場が一気に凄まじい気配を帯びる。
「っぎゃああああーっ、殺されるぅーっ」
それは本当のことかと、皆に首を絞められる勢いで掴みかかられたイスマルクは、断末魔の叫びをあげることになった。
・・・間一髪で助けられたが。
若者達を率いて、匠の小人族救出にやってきた年配のケンタウロスは呆れたような顔になって言った。
「お前は人間のくせに、宝磨きをするグリフォンのようにしつこいな」
「訂正してもらおう。俺に比べたらグリフォンの宝磨きなんぞ手抜きもいいところだ」
「・・・何の自慢にもならんぞ、人間」
イスマルクはやるとなったら完璧を目指す人間だ。ヴィゴラスから預かった宝石も、その角度や円の形をきっちりと測り直し、綺麗にカッティングをして磨き直したぐらいにこだわりもある。
あんなザルなグリフォンの手入れと一緒にしないでもらいたいと、しっかり主張した。
尚、その場にいないヴィゴラスがそれを聞いたら、
「どんな形であれ、宝の美しさを損なうものではない。お前は形に囚われて宝石の本質を見失っている」
と、文句を言ったことだろう。
同時にヴィゴラスは、イスマルクに預けると宝石が輝きを増して返ってくることを学習したグリフォンでもあった。そうでなければちゃっかり自分の住処の近くに住まわせようとは思わない。
そんな事情はさておき、この場合においてイスマルクとて譲れないものはあった。
「難しい要求をしているつもりはないのだがな。そのグリフォンが連れてくるという娘が女神の神子であるならば話は別だ。きちんと事情を聞かせてもらいたいと、そう言ってるだけではないか。悪いようにはしないと言っているのを、お前はどうすれば信じるのだ?」
「グリフォンが連れてくるつもりの娘がどんな素性かなど、俺が知る筈もない。そしてお前達が若い娘に対してどんなことをやらかすか、俺達人間が知らないとでも?」
ケンタウロスは気に入った娘がいると連れ去り、無理矢理に妻としてしまう。娘が泣き喚こうが何しようが、おかまいなしだ。
美しかったり可愛らしかったりする娘は、決して彼らの前に出してはいけない。
(しかもハールカは三人しかいない神子姫の一人。彼らにとっては途轍もない程の戦利品じゃねえか。冗談じゃない)
たとえ勝ち目がなかろうが、そんなことはどうでもいい。
こんな場所に遥佳を住まわせるなど論外である。
(何があろうとハールカは守らなくてはならない。たとえ俺の命と引き換えにしても)
女神の神子が来るというのであればと、沸き返ったケンタウロス族とドワーフ族に対し、イスマルクは口を貝のように閉じてしまった。
おかげで推察はできても確証は得られていないケンタウロス族達である。かといって、神子が絡んでいるとなるとイスマルクに乱暴な真似もできない。
もしも女神の神子が本当に訪れたとして、先に来ていたイスマルクがひどい目に遭っていたら、それこそ神子はジンネル大陸へと立ち去ってしまいかねないからだ。
「言っておくが、我らはそこまで娘に対して無体な真似をする一族ではない」
「それこそ宝を見たグリフォンが何もしないと言うぐらいに、説得力のない話だ」
「あんな宝石と黄金に理性を飛ばす生き物と一緒にしないでもらいたい」
「女の心と体を踏みにじる一族より、グリフォンの方がまだマシだ」
双方の意見はあまりにも膠着していた。
しかもイスマルクの言う通り、ケンタウロスは気に入った娘がいれば連れて帰ってきてしまう傾向が強いから否定も弱くなる。
そこへ、連絡を受けた他のケンタウロス族達とご馳走が到着した。
「おお。彼が元神官とかいう人間か。ふぅむ、なるほど。いや、ゲヨネル大陸へようこそ」
年老いたケンタウロスがイスマルクを見つけて、にこにことして近寄ってくる。
「長老、いい所へ。グリフォンが連れてくるという娘が神子というのであれば事情を聞かせてほしい、悪いようにはしないと、さっきからずっと話しているのに、この男は全く我らを信用せぬのだ」
「・・・ほう。だが信用しないとは何をだ?」
「我らが若い娘に対して何をするかを考えたら、何一つ喋ってなどやるものかと、本気でしつこい。その思考はどこから来るのか、全くもって分からん」
肩を竦めてみせる年配のケンタウロスだ。長老と呼ばれた年老いたケンタウロスは、なるほどと頷いた。
「人間であれば仕方なきことか。元神官と言うが、若き人間よ。もしや我らゲヨネル大陸に住まう幻獣は、女神及び神子の意に反することはせぬことを知らぬのではないか?」
「え?」
イスマルクが目を丸くすると、ケンタウロスの長老はその表情から見てとったようである。
「まあ、若きお人よ。座るがいい。・・・皆も宴会の用意をするがいい」
地面にぺたりと座った長老に釣られ、イスマルクもその場に座った。
「人間は神殿なんぞを造る割には、肝心な事実を伝えぬ生き物だから知らんのだろう。我らゲヨネル大陸の民は、女神や神子の心を踏みにじることで世界が災いに満ちることを知っておる。だから若い娘だろうがそうでなかろうが、女神の神子に対して我らを疑われること自体が心外すぎて、意味が分からぬのだ」
「世界が災いに?」
そんなことは知らないと、イスマルクは長老を見返す。
「そうだ。ゲヨネル大陸は妖精も暮らす大陸。彼らは女神や神子に対して自然が動く気配を感じる。どうしてそれで大切に思わぬことがあろうか。・・・たしかに我らケンタウロス族、若い娘を連れ去ることがあるのは否定せぬ。同時にそれを神子様にも行うなど決してあり得ぬのだ」
「そんな馬鹿な・・・」
「女神や神子に対し、そのお心を踏みにじるような真似をするとしたらジンネル大陸もしくはマジュネル大陸の者だけよ」
長老の迷いのない言葉に、イスマルクの心が揺れ動く。
すると背後で聞いていたドワーフの一人が、ちょいちょいとイスマルクの袖を引っ張った。
「なんじゃい、お若いの。そんなことを考えておったんかい? そんなことを心配しなくてはならんとは、一体ジンネル大陸では神子様をどう扱おうとしたんじゃ?」
「え。いや、その・・・」
「神子様であればグリフォンとてお心には沿う筈じゃ。無理にゲヨネルまで連れてこんと思うんじゃが、何ぞあったのかいのう?」
「それは・・・」
ケンタウロス族の青年達も、何だよそりゃと、そんな顔つきになる。
「まさか俺達が神子様に対して何かやらかすと本気で思ってたのか? どんなんだよ」
「常識以前の話だろ」
「他のことならともかくなぁ」
「ねえだろ、ホント」
長老は、イスマルクに対して穏やかな表情を向けた。
「神子様が我らの誰かをお選びになるということがあれば話は別だが、神子様に迫ったり強要したりすることなどあり得ぬ。それはゲヨネル大陸の全ての生き物に言えることだ。グリフォンが神子様との交流を持ったとして、神子様に何かを強要したことはあるまい。グリフォンとて神子様から宝石や黄金を奪いはせぬ」
「・・・・・・餌付けされたからじゃ、なかったのか」
イスマルクはヴィゴラスの言動を思い返す。
言われてみれば、あんなにもクソ生意気なトリ犬のくせに、遥佳と真琴に対しては全くもって自分を譲っていた幻獣だった。猫かぶりなど堂に入ったものだ。
(あれ? じゃあヴィゴラス、あの二人が女神の神子だってもう知ってるのか?)
今更ながらにそれに気づくイスマルクだ。
「言われてみれば、・・・宝石を飾って眺めてはいたが、それは女神様への敬意からじゃなかったのか? だが、あいつは神子様ということは知らない筈だ」
「・・・若き人間よ。そのグリフォンとやらはどれだけ神子様と交流を持ったのだ? 一目お会いしただけか? 餌付けと言うが、一度の食事か?」
「え? そんな僅かなものじゃなくて、夜は同じ建物で過ごして、毎朝毎夕背中に乗せて、食事はいつも一緒だったが」
すると長老は呆れ返った顔になる。
「それで我ら幻獣が神子様に気づかぬことはあり得ぬよ。どんな鈍い幻獣がいたとしてもな」
「え?」
何にしても知るべきことは沢山あるようだと、イスマルクは思った。




