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40 遥佳はキマリー国に混乱をもたらした


 ディリライトの海辺に立つ塔は、とても大きくて高さもあった。

 ザザザザッ、ザッパーン、サアァーッといった潮騒が、遠く近くに響いてくる。


「いつも思うんだが、こんな広い場所に独りきりだなんて寂しくないのか?」

「寂しいだなんて。とても落ち着くわ」


 ここに来て良かった。第7神殿で待っているよりも、一人ぼっちでいる気がしないから。

 遥佳はそう思っていた。


「いつもそう言うけどよ、本当は辛いんじゃねえの?」

「そんなことないわ。ああ、だけど王子様にはこんな広い場所で誰もいないなんて寂しいわよね」


 くすくすと笑って、

「本当は自分が怖いんでしょう? 図星?」

と、からかうように遥佳が言えば、ウルティードが焦ったように否定する。


「いやいやっ、俺は平気だけどねっ。なんてゆーか、すっげぇどっしりした塔だよな、ここ」

「ええ、そうね」

 

 現在、ディリライト邸に滞在中のキマリー国第二王子ウルティードである。

 誰もが思っていた通り、タイキやカシマ、そして遥佳とはもう名前を呼び捨て合う仲だ。しかしケイトに関しては、何となく畏怖の気持ちをこめてなのか、ウルティードは姫と呼び続けている。

 そして、シンクエン一行は予定を切り上げて帰国した。それはウルティードの安全を考えればこそである。


『まずは陛下に状況をお伝えしてくる。お前を殺してディリライトのせいにするのはともかく、それがとっくにディリライト側にばれてただなんて、それこそこの事態が明らかにされればキマリーこそが各国からの非難を浴びた上で笑いものになる。いや、今の時点でこんな護衛しか揃えられなかったうちは、ディリライトにとっても間抜け王族でしかないだろう』

『気にすんな、シンクエン。首長殿だって、そんならキマリーに帰らず、うちの子になったらどうかって言ってくれたじゃねえか。俺、別にここで永住してもいいんだけど。すっげぇ気楽に生きていけそう』

『ウルティード兄様、愚かなことをおっしゃらないで』

『そうだ。現実的にお前がここの人間になるなんてできる筈ないだろう。ありゃ、ディリライトの誰かと結婚して入り婿になり、タイキ殿の下につけって意味だぞ。冗談じゃない』

『けどよぉ、別に俺、あんまり王族ってガラじゃねえしな。ま、エルルーカも気をつけろよ。お前にゃ手ぇ出してこねえだろうが、俺に味方するってんでシンクエンは狙われかねねえしさ』

『俺のことはどうでもいい。ウルティード、絶対に死ぬな』

『努力する』

『私もお父様にちゃんと報告してくるわ。こんなキマリー国内の内紛を愚かにも露呈しただなんて。それこそこの一事で宣戦布告されても仕方ないのに』

『まあまあ。まずは戻ってからだろ。じゃあな、二人とも。気をつけて帰れよ』

『すぐに迎えに来る』

『キマリーでお待ちしていますわ、ウルティード兄様』

 

 ディリライト邸でコウヤ達と対面したシンクエンとウルティードだったが、その晩はウルティードだけ泊まらせてもらうということで、シンクエンとエルルーカだけが貸別荘に戻った。

 けれども次の日、護衛の騎士や兵士が海で亡くなっているのが発見された。

 その次の日もまた騎士や兵士が海で亡くなっていた。

 爽やかな朝に浜辺で転がっているキマリーの死体。


『怖くて海なんて見られませんわ。よくエルルーカ様は平気でいらっしゃいますこと」

『平気なわけがないでしょう。けれども亡くなった騎士や兵士達の共通点を調べさせるのは当然のことよ。そうですわね、シンクエン兄様?』

『ああ。これはもう報告せざるを得ない』


 それは一人で人気のない塔に暮らしているという遥佳を狙った為だとシンクエン達には分からなかったものの、焦ったのは今回のウルティード暗殺を命じられていた人間である。

 なぜなら騎士や兵士達に外傷はなく、誰もが溺れて亡くなっていた。口封じの為に向かった先にいるのは、使用人も護衛もいない体の弱い姫君一人。

 ならば内通者がいる。そして背後から忍び寄り、仲間の顔をして殺しているに違いないと考えたのだ。

 誰もが疑心暗鬼に陥った。


『今、不要に外には出ず、外出時は報告するよう命じてあった筈だな。武器を身につけたまま溺死とはどういうことか。それも毎夜とは。私の命令を聞く気がない者ばかりが揃えられているようだが、それについても隊長の責任は帰国後に問うことになろう』

『そっ、それは・・・』

『隊長の命令を無視したというのであれば、彼らが誰の命令に従っていたか調べよ』

『はっ』


 連日で騎士や兵士が武器を身につけたまま溺死する事態を重く見たシンクエンは、ウルティードを残して帰国することを決意した。

 そうして一人取り残されたウルティードはディリライト邸で暮らし、同じ敷地内にある遥佳の所まで遊びに来ているのである。

 

「夜とか暗いし、怖くなんねえの? 幽霊とか出そうじゃねえ?」

「うーん、そうねぇ。ここはね、内緒よ? とても優しくて頼もしい幽霊が出るの」


 ふふっと笑う遥佳は、この塔に誰かが潜んでいればすぐに分かる。誰もいないことを確認した上で戸締りをきちんと行い、そうして塔の上部にある父の寝室で休むのだ。

 この塔は作戦会議や泊まり込みが日常的に行われていただけあってかなり頑丈な造りで、施錠してしまえばまず誰も入ってこられない。

 寝室の窓を大きく開け放しても、高いその場所まで外壁を上がってくることのできる人間はいない。遥佳のいる部屋に強い風が吹きつけるようなことはなく、美しい日の出を見ることができる。


(あの人達も窓を壊して入ってくればいいって思ったんだろうけど、ここの窓って外の鎧戸を閉めてしまえば、そうそう破れないのよね)

 

 最初の晩は、エルルーカが持ってきてくれた歪んだ真珠(バロックパール)の色合いが、遥佳の買った店とは違う為だろう、全く違った色合いだったのでどうにかそれを活かせないかと思って夜更かししていたのだ。だから塔の外で武器を持ってうろついている不審者達に気づいた。警告する気もなくし、遥佳は海に頼んで彼らが滞在中の貸別荘まで運んでもらった。

 次の日、遥佳が夕食をディリライト邸に食べに行っている間に忍びこんだらしいが、戻ってきて侵入者達に気づけば、遥佳の心にも怒りが燃え上がる。彼らの顔を見ることもなく窓から海へと放り出させ、海中遊泳で帰っていただいた。

 三日目は誰も来なかった。


(さすがに30人が亡くなってしまうと、残りの人達は怯えちゃったのね)


 そうしてキマリー国一行はウルティードを残して帰国した。

 取り残された王子様は、やっと気楽になったとばかりに馴染んでいる。

 

「優しくて頼もしい幽霊ねぇ。ハールカは幽霊とも友達なのか?」

「ううん。内緒よ? 友達じゃないわ、家族なの」


 ウルティードに向かって囁く遥佳は、まるで夢見る子供のようだ。

 幽霊が家族だなどと言う遥佳の笑顔を、ウルティードは淡い色彩画のようだと思った。

 その消え入りそうに儚い瞬間を切り取って残しておけたらいいのに。

 

「だからお願い、ウルティード。私に護身術は無理だって、ケイト達を説得してっ」

「ごめん、悪(わり)いがあのケイト姫を説得だなんて俺にゃムリ。しかも今の流れで、何が『だから』なんだ? ほら、諦めろよ。やっといて困ることないぜ?」

「え? だって家族と一緒だから安心でしょ?」

「んな無茶な。なんて強引な流れを作るかなぁ」

「だぁってぇ。動きが早くてついていけない」

「頑張れよ、そこは。俺も一緒に教えてやるから」

「ウルティードも早すぎると思うの」

 

 基本的にディリライトの三兄妹は、自分の身は自分で守れ方式だ。

「王子様を殺そうとするなんて、キマリー国は大変だねえ」

と、他人事(ひとごと)のように言っていたディリライト邸だが、その余裕は長く続かなかった。

 キマリー国の騎士や兵士達がまとめて海で溺死していたことを、見張らせていた者達の報告で知ったタイキ達は、まず遥佳を案じる。

 あの護衛達はどうせ舟でやってきて忍びこもうとしたが、夜なので変な潮の流れがある方に迷い込んでしまい、溺れることになったのだろう。

 だが、もしも成功して遥佳を襲ったら? 


『大丈夫よ。塔の扉を破ろうと思ったらそれこそ武装した兵士達数十人がかりだわ。火だってつけられないのに』

『いいから、ハールカ。塔に兵士達を置くか、邸に移るかするんだ』

『タイキは心配性なのよ。兵士達はいらないし、一人で大丈夫よ』


 見かねたコウヤが、遥佳は塔で暮らすということを宣言してくれたおかげでどうにかなったが、それ以来、遥佳には護身術のレッスンが課されてしまった。

 

「もしかしたら、ちょっとしたそれで命が助かるかもしれないんだ。ほら、頑張ろうぜ」

「・・・うん」


 手を差し出してくるウルティードに自分の手を伸ばせば、太陽のように明るい笑顔が返ってくる。

 まるでウルティードは情熱のままに様々な色合いを飛び散らせた油彩画のようだと、遥佳は思った。

 彼が自分に特定の気持ちを抱いていることは分かるけれど、それが恋なのか愛なのか、そんな感情を知らない自分では判断がつかない。

 けれどもウルティードはその気持ちを自分に伝える気はないだろう。


(ウルティードは、このまま王族として戻れないことも考えている)


 何も考えていないお気楽王子のようだが、ウルティードは決して考えなしではない。

 第二王子としてキマリー国王室に返り咲くことも、同時にこのままひっそりと他国の露と消えることも、全てを覚悟している。

 だから遥佳に、自分の気持ちを伝えることはないだろう。

 王族としてならば、子供を産めない妃は不幸になると分かっているから。

 王族ではない身ならば、首長の姪である遥佳を幸せになどできないから。


(こういう想い方もあるのね)


 その情熱をただ内側にだけ秘めて・・・。

 他国に取り残されるそれすら、ウルティードは王族に生まれた者なればこその運命だと受け入れている。

 こうしてディリライトに庇護されていても、ウルティードは自分を人質にしてキマリー国を脅されるようなことがあれば、すぐに隠し持ったナイフで自分の命を絶つだろう。

 その強さが、遥佳には眩しかった。






 キマリー国の王宮では、王の息子達に対して様々な思惑が渦巻いている。

 外国から嫁いできた王妃、つまり正妃が産んだのが王太子である第一王子、そして第二王子。

 国内の貴族令嬢だった第二妃が産んだのが第三王子。

 王女がいない為、その役割は王弟の娘であるエルルーカに期待されているというのが現状だ。

 

「まさか、ウルティード様がディリライト首長の姪を、ですか」

「あそこには首長の姫もいた筈。どうしてわざわざ姪を」

「全くでございます。第二妃というのであれば、妥当な線かもしれませんが」


 国王の前ながら、高官達も頭を抱えている様子を隠さなかった。


「体が弱く子供が望めないと。だからシンクエンも第二妃で打診してきたのだろう。だがディリライト側から言い出した話でない以上、こちらから持ちかけるとしたらきちんと決めた上でなくてはなるまい」


 父親である国王もまた、姪というのが引っ掛かるところだ。嫁いできても肩身が狭く、辛い思いをするだけになるだろう。

 彼らがウルティードの結婚相手に対して神経質になるのは、王太子にあった。

 ウルティードと同じく正妃が産んだ第一王子ケイファストは28才。結婚して7年になるが、ケイファスト自身の体が弱いことが原因だろう、未だに子供がいない。

 第二妃が産んだ第三王子ミファレーンは独身だ。

 問題は王太子であるケイファストに子供ができないままならば、第二王子であるウルティード、もしくはウルティードの息子が王位につく可能性が高いということだ。


「ですがディリライトは最初から候補の中では弱かったのでは? やはりそれなりの王室の王女を娶った方がよろしゅうございます」

「どうでしょうか。ウルティード様もご自分の状況はお分かりでしょう。この際、ディリライトの首長令嬢であるケイト姫に変更していただいては?」


 未来の王弟ならばともかく、未来の国王となれば結婚相手にも慎重にならざるを得ない。しかし確定されたわけでもない。

 だからこそ悩ましい問題だった。

 他国の王室にしても、次の国王が約束されている王子ならば自国の正統な王女を出してくるだろうが、第一王子ケイファストとて子供が産まれる可能性は全く無いわけではない。

 そこへ、コンコンとノックの音が響いた。


「失礼いたします。シンクエン様から急ぎの使者が到着いたしました」

「この場に通せ」

「はい」


 すぐに会議場へと入ってくるのは、シンクエンが慌てて出した早馬の使者だ。


「申し上げます。シンクエン様ご一行、予定を切り上げて帰国することに決定いたしました。現在、帰国の途に就いております。尚、ウルティード様はディリライト島に残る由、ご了承いただきたいとのことでございます」


 口上を述べると、使者は懐から出した手紙を国王に渡す。

 その内容を確認した国王は、怒気で全身の毛を逆立てんばかりになったが、すぐに落ち着きを取り戻そうとした。何度も深呼吸を繰り返して冷静さを我が身に積もらせていく。

 

「つけてあった護衛の騎士達が亡くなったそうだ。死因は溺死。ただし、いずれも巧妙にその時間帯に見咎められぬまま別荘を離れており、暗殺用と思われる凶器を忍ばせていたらしい。そしてまた、ウルティードを暗殺してその罪をディリライトになすりつけようとしていたそれは、事前にディリライト側が把握しており、現在、キマリー国の護衛からウルティードを守る為にディリライト邸にて保護されている状態だそうだ」


 その場にいた高官達にも動揺が広がる。

 国王は、どんっと机を叩いた。


「情けないことだ。我が国はいつからっ、王子にとって安全なのは王宮以外の場所になったのだっ。ましてや他国に情けをかけられてまで・・・っ」


 しばらく、沈黙が続いた。

 やがて一人の高官が口を開く。


「その見返りにディリライトは何を要求しているのでございましょうか。もしや、その首長殿の姪をウルティード様の正妃に、・・・など」

「そんなことが認められるかっ。いや、それこそディリライトのでっちあげではないのですかっ。今までウルティード様は様々な国に行かれましたが、そんなことはどこの国でも起きていませんでした。ディリライトに行った途端に暗殺騒ぎというのはおかしいことにございますっ」


 それこそ王統が途絶えることになりかねないと、すぐさま否定の意見が出る。子供を産めないと分かっている正妃を迎えてどうなるというのか。


「ウルティード様はその存在を隠されてお育ちになったお方。今までシンクエン様と他国訪問の折にも、シンクエン様の侍従だと誰もが思っておりました。ですが一通りの国をまわり終え、今回のディリライト諸島訪問は、それこそおまけのようなもの。王室制度のないディリライトとの縁組は最初から期待しておりませんでした。ゆえに気が緩み、ウルティード様の情報が流れた。そういうことでは?」

「それを言うなら、ディリライトはどれ程の情報を把握していたことか」


 思慮深い面持ちで、一人が発言する。


「ディリライトは歓迎の宴の際、ウルティード様、エルルーカ様に対して挨拶してきたという。それこそ彼の国の情報力は途轍(とてつ)もなく大きなものだったと言えよう。あの島を侮ることこそ愚かの極みではありませんかな」

「その通り。ディリライト諸島は国王こそ戴かぬものの、海の覇者として名高い。だが、・・・こうなってはウルティード様をどうするべきなのか」

 

 ウルティードの妃をどうこうする前に、本人を殺されてしまってはしゃれにならない。

 そこで、今まで黙っていたウルティードの同腹の兄王子、ケイファストが口を開く。


「シンクエンは何があろうとウルティードを守る。そのシンクエンがウルティードを置いてきたというのであれば、異国のディリライトこそ安全だと思える程に切羽詰まっているのだろう。・・・いい加減に覚悟を決めるべきではないのか? 都合のいい国王を仕立てる為に王族を暗殺し続けて自分が外戚として権力を握ろうというのが一般化したなら、やがて迎えるのは我が国の崩壊だ」

 

 この高官達の中にも、ウルティードの敵が混じっている。


「私の体が毒に侵されているのは仕方あるまい。もう言っても詮無きことだ。だが私ばかりか、ウルティードを害してまで国王の座を望むというのであれば、私も覚悟を決めねばなるまい。忘れているかもしれぬが、私もウルティードも祖父はドモロール国王。自身の孫を殺される為に王女を嫁がせたわけではない。既にドモロール王国はウルティードを保護した筈だ。そして戦の準備を始めただろう」


 ケイファストもまたシンクエン達一行に自分の手の者をつけていた。ドモロール王国はキマリー国よりもディリライトに近い。既にドモロール王国はウルティードの身柄を保護しに向かっている筈だ。


「私はキマリー国王太子としてこの国と共に滅びても、ウルティードを擁(よう)したドモロール王国に攻め入られたこの国は、王子を守ることすらできなかった王宮もろとも廃される。覚悟せよ。ウルティードにまで手を伸ばそうとしたのだ。ドモロールの祖父王は、この王宮を皆殺しにするであろう」


 子供の頃から病弱だとされた王太子は、静かに立ち上がった。


「どこに行く、ケイファスト。まだ会議は終わっておらぬ」

「無用でありましょう、父上。ディリライトへ私も向かいます。せめてウルティードが妃にと望んだ姫を見てみたいのです。その道中に暗殺されたところで、結果は変わりますまい」

 

 ケイファストとウルティードの母、キマリー国王妃は、軍事大国ドモロール王国の出身。先程のケイファストの言葉は、決して誇張ではない。


「それに会議と言われましても、数ヶ月後には死体では?」


 ケイファストが出ていった扉が、ガタンと閉まる。

 それはキマリー国の貴族及び高官達が送られるであろうギロチン台の響きにすら聞こえた。






 風光明媚なディリライト島。

 だが、そこを訪れたのはドモロール王国の一個小隊だった。


「開戦の予定はなかったと思うのだが、これはいかがなことか?」

「我らに敵意はございません。ディリライトの首長様にはご機嫌麗しく存じ上げます。我らはドモロールより、ウルティード様をお迎えに参りました」

「・・・・・・」

「キマリー国第二王子ウルティード様は、我が国の王女ネムソフィア様がキマリー国に嫁してお産みになられた王子にございます。どうぞお目通りさせていただきたくお願い申し上げます」

「生憎とすぐの対面は難しい。しばし待たれよ。・・・いや、疑っているわけではない。だが、ウルティード王子は現在、我が息子と共に他の島へ出向いておられる。まさかこういう迎えが来るとは思わなかったので、お好きなだけ楽しまれるようにと言って送り出してしまったものでな」


 せめて先に使者が来てくれていれば引き留めておいたのだがと、コウヤが言えば、それこそ慌ててやってきたドモロールの小隊長も苦笑するしかない。


「でしたら、その島までお迎えに参ります」

「通常の連絡船ならばそれも良かろうが、我が息子と共に自力で行きたいとおっしゃるので、ならばどうぞと舟を備えた専用船を出したのだ。捜しに行かれるならば止めはせぬが、お戻りになるのを待たれた方が良かろう。そのような物々しいいでたちで現れたなら、我が息子は王子に見知っている人間かどうかを離れた場所から確認させ、そうではないと知れば王子の身を安全な場所へと隠すであろう。面識はおありか?」

「我が国ご訪問時にこちらがお顔を拝見はいたしておりますが、ウルティード様はご存じありますまい」


 小隊長も、諦めて待つしかあるまいと判断するしかない。

 なるほどと、コウヤは頷いた。




 13の島から構成されるディリライト諸島。とはいえ、名もなき無人島もその周囲に散らばり、それら全てを頭に入れている島民達だ。

 潮の流れを読み、彼らは舟を自由自在に操っていく。


「てかよぉ、なんであいつら、あんなに速く舟を動かせるわけ? 俺の何が悪いんだよ」

「俺達が乗っているのは初心者用の舟だからな。動かしやすいが、その分、速さは劣る」

「うっわ、何それ。じゃああっちの方が速いんだ? 俺もあっちを漕いでみてえ。な、いいだろ?」

「ディリライト島に戻ってからの練習ならな。俺達はいいが、漕ぐのに失敗して転覆した日にはハールカが溺れるぞ」


 海岸から、海面をすいすいと動いていく舟を見てぼやいたウルティードにタイキが言えば、全員の目が遥佳に集まる。


「私だって泳ぎはうまくなったと思うのよ?」


 誰もが目を見交わして頷き合う。


「いいんだ、ハールカ。それよりこの島には洞窟探検に来たんだし、まずはそっちに行こうぜ」


 自分から言い出したくせに、ウルティードは遥佳に手を差し出した。その手に自分の手を重ねれば、とても温かい感情が流れこんでくる。

 

(ウルティードって俗っぽいことも考えてるけど、基本的にとても大らかよね。屈託(くったく)がないっていうのかしら)


 こういう自分の態度もいいことなのか悪いことなのか、遥佳は分からない。

 だけど自分が転ばないようにと手を引いてくれるのはタイキやカシマやケイトも同じなわけで、ただ、ウルティードには自分への特別な感情が混じるだけだ。

 今も、自分が大人しく手を重ねただけでウルティードが嬉しそうに笑うから拒めなくなる。


「兄上、ケイト。あれを」

「そうだな。ケイト、返事しろ」

「分かったわ」


 そこで三兄妹が何かに気づき、ケイトが持っていた鏡を使って何かを合図する。

 三人が光を使って何かをやりとりしているのを、ウルティードと遥佳は目を丸くして見ているしかできない。


「ウルティード。どうやらドモロール王国から迎えが来たみたいだがどうする? 一応、父上が時間稼ぎはしてくれているようだ」

「ドモロール? なんでそんな所が?」


 タイキに問われてウルティードは首を傾げた。


「おいおい。ウルティード、お宅の王妃様のご出身、ドモロールだろうが」

「あ、そっか。いや、そうなんだけどさ。俺、あんまり母上とかにもお会いしたことないから、つい忘れちゃうんだよな」


 呆れたようにカシマに言われ、ウルティードは遥佳と繋いでいなかった方の手でポリポリと焦げ茶色の頭を掻いた。






 自分の体が変化し続けていることに、遥佳は気づいていた。


(私、女性になるのね)


 体のラインが滑らかな曲線を描き始めている。

 あまりその変化が急激なのはどう思われるか分からないので、なるべくプリーツや重なりが多い服に縫い直してしまい、体のラインが分かりにくいようにしてあるが、きっとこの変化を促したのはウルティードだ。


(そのままでいてくれてかまわないというイスマルクやタイキ達と違って、ウルティードは私を女性として見ているから、だから心が引き摺られてしまったんだわ)


 ウルティードのことは嫌いじゃない。

 彼が、王族らしくはないけれど人に好かれることも分かる。それは王族としてかけがえのない資質だろう。

 

(ウルティードは、ドモロール王国へ行くことを拒んだ。キマリー国を戦場とすることが分かっていたから)


 けれどもやってきた小隊長は諦めていない。警護の為にもと、滞在し続けるつもりらしい。

 ウルティードがドモロール王国の小隊長達に辟易(へきえき)している気分が伝わってきてしまい、されど小隊長達の気持ちも分かってしまうから何も言えない遥佳だ。

 

(キマリー国はどうするのかしら、ウルティードを)


 遥佳は見知らぬキマリー国に思いを馳せずにはいられなかった。本当に探るのは自分がとんでもないことになるからやらないけれど。






 一方。

 キマリー国の第二妃グラディーネが住まう宮は、荒れに荒れていた。


「どういうことですのっ、お父様っ。あれ程、ミファレーンこそが国王の座に就くとおっしゃっていたではありませんかっ」

「仕方なかろうっ。まさかウルティード王子暗殺の濡れ衣をかける前に、ディリライトへ全てが露呈してしまったのではどうしようもあるまいっ」

 

 パスティス公爵とて、まさかそんなことになるとどうして思えただろう。

 キマリー国正妃であるネムソフィアはドモロール王国の出身。けれども産んだ王子の体が弱くて成人できない、もしくは成人したとしても子供を作る前に亡くなってくれればいいと、そうして不自然にならぬように、彼らはケイファストへ毒を盛り続けていた。

 自分の娘である第二妃グラディーネが産んだミファレーンは第二王子だと、彼らはずっと信じていた。

 まさか僅かに早くウルティードをネムソフィアが産んでおり、しかもそれが秘密裏に育てられていたなどと、どうして思えるだろう。王宮ではない場所で育てられたウルティードは、とても健康に育っていた。

 

「お祖父様。つまりウルティードは殺せなかったということなのですね。ですが、それは暗殺を命じてあった騎士達を殺してしまえば口封じにもなりましょう。慌てることはないのでは?」


 茶色い髪に青い瞳をしたミファレーンが、そこで自分の意見を述べる。ウルティードと数ヶ月違いで遅く産まれた第三王子だ。

 けれどもミファレーンも、ウルティードのことが発覚するまで自分が第二王子だと信じていた。やがて正妃が産んだ第一王子ケイファストが亡くなれば、自分に王位が転がり込んでくるのだと。


「そうもいかないのですよ、ミファレーン王子。王太子は、ドモロール王国にウルティード王子を擁させてこの国を滅ぼすつもりです。真っ先に殺されるのは、我が娘であるあなたのお母様、そしてあなたに違いありませぬ」


 孫ではあるが、自分より身分の高い王子だ。パスティス公爵も丁寧な言葉遣いになる。

 けれどもミファレーンは少し驚いたような顔になってから、小さく笑った。


「そんなことはありませんでしょう。ケイファスト兄上は私のことをとても可愛がってくださっています。それこそ、あんな本当に第二王子かも分からぬウルティードなど、何とも思っておられないに違いありません」


 王宮で育ったミファレーンは、誰からも大事にされている。

 体が弱い王太子ケイファストとは母親が違うこともあり、そこまで頻繁な交流があるわけではなかったが、何かある度に自分へ優しい言葉をかけてくれる異母兄だと認識していた。

 けれどもそのミファレーンに対し、パスティス公爵と第二妃グラディーネは同意せず、唇を歪めるようにして視線を逸らした。


「お祖父様? 母上?」


 ここはもう現実を伝えるべきかと、パスティス公爵が口を開く。


「ウルティード王子は正真正銘、正妃が産んだ王子でしょう。ケイファスト王子と同じ灰色の瞳は正妃譲りのもの。またお顔立ちは陛下によく似ておられる」


 ならばどうしてその存在が今まで明らかにされていなかったのか。

 王宮で育てることもなく、彼は正妃が産んだことさえ秘されていた。思えばウルティードを妊娠出産したと思しき頃、正妃は静養と称して王宮を離れていたではないか。

 それは第二妃の出産が近い為、病弱な王子しか産めなかった我が身を恥じてのことだと、誰もが口さがない噂をしていた。

 だがそれは、第一王子のように育ったのではたまらないと思ったからではないのか。


「そんな・・・! 母上だっておっしゃっていたではありませんか。あんな礼儀もわきまえておらぬ山猿のような人間が王子である筈はないとっ」

「え、・・・ええ」

 

 躊躇いがちにグラディーネは同意する。それでも言葉に力はなかった。

 ここ数日、国王とは全く顔を合わせていない。

 たちの悪い病が流行っている為、第二妃と第三王子は宮から出ない方がいいと、そういう連絡がきた為、大人しく閉じこもっていたのに、今日になってやってきた父親がもたらした知らせは、第二王子暗殺成功の報告ではなかったのだ。


「お父様。私とミファレーンはどうなるのでしょう」

「この際だ。正妃を人質に取り、ドモロール王国の攻撃を食い止めるしかあるまい。だが、それに賛同する貴族がどこまで出てくるか。いや、我らから離反する者がどれ程出てくるか、だ」


 キマリー国は、国王も健在だ。

 けれどもその国王の真意が見えなさすぎる。


「正妃様を? ケイファスト王子もおいででしょう。いくら何でもあのお二方がいるこの王宮を、ドモロール王国も本当に攻めはいたしますまい。ケイファスト様とてこの国の王太子。いくら正妃様の故郷といえども、お母君とご自身を共に滅ぼさせても攻撃させようだなんて、まさかそんなことを本気でお考えにはなってはおられない筈ですわ」


 王太子ケイファストは常に微笑んでいるしかできない人間だ。妃を迎えてもおままごとのように穏やかな生活を過ごしているだけの飾り物の王子。

 グラディーネは、父の言葉こそ事を騒ぎ立てているだけだろうと、気を取り直すようにして言い募った。


「ケイファスト王子は、もう自らの死も覚悟の上だそうだ。ディリライトへ、ウルティード王子が見初めたという娘を見に向かわれたらしい。暗殺するならするでかまわんと、そう言い捨てていったそうだ」

「まあ、何という暴言をっ」


 お情けで生き延びているに等しい王子のくせにと、グラディーネが柳眉を逆立てる。


「だからこそ暗殺などできる筈がないのだっ。今、ケイファスト王子に亡くなられては、自動的にウルティード王子が王太子っ。しかもウルティード王子がいるディリライトはドモロール王国に近い。正統なる王太子を擁したドモロール王国軍が攻めいった場合、反逆者となるのは我らだっ」

「ですがっ。陛下と・・・、そうですわ、陛下と正妃様がまだおられるではありませんか。ウルティード王子にとってもご両親、ましてや正妃様はドモロール王国の王女だった方。いくら何でも・・・」


 パスティス公爵は、力なく首を横に振った。


「どうしてお前がここに閉じ込められているかも分からんのか。グラディーネよ、場合によってはお前とミファレーン王子の処刑でもって、この事態を終わらされるかもしれぬという事実を」


 グラディーネが握っていた繊細な意匠の扇子がぽとりと落ちる。


「どういうことですのっ、お父様っ。私達は流行り病があるからとっ」

「だから手を尽くしておるのだっ。この際、陛下には急死していただき、正妃を人質にとってでもとっ」


 けれどもそれはかなり勝率が低い勝負だと、パスティス公爵も分かっている。

 血の気が失せた顔のミファレーンが、そこでぽそりと口を開いた。


「どうして私を・・・? 私は王子だ。父上が私を殺す? 兄上が? あり得ないでしょう、そんなこと」

「ミファレーンッ、どこへ行くのですっ!?」

 

 その事実をどうして受け入れることができるだろう。

 自分はケイファスト亡き後、国王の座を約束された王子であるのに。

 ミファレーンは、その部屋を飛び出した。



 

 キマリー王宮における、第二妃グラディーネが暮らす宮から飛び出そうとした第三王子ミファレーンだったが、その敷地内から出ようとしたところで、衛兵に止められた。


「ミファレーン様。敷地外にはお出になりませんよう。現在、流行り病に感染する恐れがございます」

「父上に会いに行くだけだっ。そこを退(ど)くがいいっ」

「申し訳ございません。ですがお戻りくださいませ」

 

 その門を守る衛兵は譲らなかった。

 

「ミファレーンッ」

「・・・母上」

「グラディーネ様っ。お待ちくださいませっ」


 そこへミファレーンを追いかけてきたグラディーネがやってきた上、まさかグラディーネが供の者をつけずに外出するとは思わずに慌てた侍女達まで駆けつけてくる。

 

「私は父上にお会いしたいだけですっ。止めないでください、母上っ」

「ならば私も行きますっ」


 そこで王宮内を警護する兵士達がミファレーンを通さないと知り、グラディーネは怒りに肩を震わせた。


「我が国の王子はいつから兵士如きにその歩みを止められるようになったのですっ。私が命じますっ。そこをお退きなさいっ」


 そこで兵士達の上司にあたる騎士達が駆けつけた。


「第二妃様、どうぞ宮内までお戻りくださいませ。これは正妃様のご命令にございます」

「どういうことですっ」

「私共には分かりかねます」

「どうして私が正妃様に命じられねばならないというのっ」


 立場としては正妃の次になるが、キマリー国で生まれ育ったグラディーネは、他国から嫁いできた正妃よりも人脈がある。だから席次こそ正妃に譲っても、正妃に何か命じられたりということはなかった。

 勿論、わざわざ第二妃に対して正妃が命じなくてはならない何かがあったわけではないことも理由の大半を占める。

 こほんと騎士は咳払いしてから、穏やかな口調を心がけて説明するかのように言った。


「グラディーネ様は、正妃様にお仕えする第二妃様にございます。正妃様に命じられれば従わねばなりません。どうぞお戻りを」

「なんという増長っ。今まで私に命じることができた方など陛下以外にいらっしゃらないものをっ」

「お言葉をお慎みくださいませ。第二妃とは国王様と王妃様、双方にお仕えする立場にございます。正妃様が命じられれば伏して拝命するのがそのお立場。どうぞお戻りくださいますようお願い申し上げます」

 

 恭しく膝をつきながらも、その騎士達の中で一番上位にあたる男がそう述べる。


「それでもここを通ると言えばどうなるのです?」

「その際は、第二妃様を牢へご案内するように命じられております」

「それは正妃の命令かっ」


 カッとなってグラディーネは敬称もつけずに怒鳴りつけた。


「いいえ。それは国王陛下の命令でございます」

「・・・陛下、が?」


 かつては麗しき公爵家令嬢、そして国王の第二妃、更にはケイファスト亡き後に王太子となるであろうミファレーンを産んだ妃とされていたグラディーネだ。いきなりウルティードが現れたことで、ミファレーンの立場はかなり後退したが、それまでの感覚がそうそう抜ける筈もない。

 立場こそ正妃の次になるとはいえ、この王宮内でグラディーネが口にしたことで叶わぬことはなかった。

 なのに夫である国王がそれを命じたと知り、グラディーネの視界が暗くなる。


「グラディーネ様っ」

「お気をたしかにっ」


 あまりのショックにふらりと眩暈を起こしたグラディーネの体を、侍女達が支える。


「侍女殿。第二妃様を中へ」


 騎士の言葉に、侍女達も戸惑いながらグラディーネを支えながら部屋へと戻らせる。

 それを見送ったミファレーンは、騎士に鋭い声で問いかけた。


「この私も牢に入れるというのか。それを父上と正妃様が命じたというのか」

「・・・いいえ。ミファレーン様は紛れもなく我が国の第三王子様でいらっしゃいます。王宮内に関しては自由でございます」

「そこの兵達はそうは言わなかったが?」


 膝をついていた騎士はそこで目線をあげ、ミファレーンの顔を見た。

 その顔に非難のようなものを感じてミファレーンはたじろぐ。


「ミファレーン様もこの宮からお出ししないようにと、そう陛下から命じられていたのは事実でございます。ですがミファレーン様だけであれば、そしてそのお覚悟があるのであれば、出てきてもかまわないとのことでございました。・・・彼らは、あなた様がお辛い思いをするのはお気の毒すぎると、そう考えたのでございましょう」


 辛い思いとは何なのか。どうして母が謹慎のような状況におかれねばならぬのか。

 第二王子ウルティードを暗殺しようとしたそれは、証拠など残していない筈だ。疑われることはあっても、それだけでしかない。

 どちらかというと非難されるべきは、勝手な思いこみによりドモロール王国の武力を借りようとする王太子ケイファストではないのか。

 そう考えたミファレーンは、気を取り直して騎士に命じた。


「父上にお会いしたい。本宮へ行く」

「かしこまりました。でしたら私がお供いたしましょう。・・・陛下の侍従に今からミファレーン様が陛下へお会いしに行く旨を伝え、手配していただくように」

「はっ」


 相手が国王となれば、いくら王子とていきなり行って会えるとは限らない。

 共にいた兵士達に、先に行ってその時間を空けてもらうようにと、騎士は命じた。

 



 国王の近侍でも、特に私生活面でのことを取り仕切る侍従が出てきたことに驚いたミファレーンだ。

 やはり国王ともなると様々な行事や政務、行事や社交がある。それぞれに特化した侍従がいて、互いに相談し合ってスケジュールなどの調整をしているのだが、今、出てきた侍従は、国王の相談役に近しい男だ。

 

「どうなさいましたか、ミファレーン様? ただ今、陛下は会議に出席なさっておいででございます。もしも何かお困りのことがあってのことでしたら、こちらでできることでしたらさせていただきますが?」


 相談役といっても国王よりも年配で、ほとんど爺やに近いのだろう。まさに好々爺といった雰囲気を漂わせるその男を、ミファレーンは睨みつけるようにして言った。


「母上が宮から出ないようにと命じられたと聞いた。どういうことだ。しかも私までっ」

「それにつきましては陛下の命令であるとしか申せません」

「だからそれを尋ねたいから、父上に会わせろと言っているっ」

「そうでございましたか」


 男は、困りましたなと、全く困っていないような顔で呟いた。


「ですがここまでいらした途中で、もうお分かりになったのでは?」

「・・・どういう意味だ?」

「失礼ですが、ミファレーン様はどこを通ってここにおいでになりましたか?」

「よく分からんが、変な細い通路を通らされた。全くいつの間に王宮の騎士は王子をあんな汚い通路を通すようになったのだっ」

「・・・なるほど。使用人が使う通路を通っていらしたのですね」


 なんとも忠義な騎士ですなと、男は頷いた。


「我が国の王子たるあなたが辛い思いをしないようにと、彼なりに配慮したのでしょう。・・・分かりました。ではミファレーン様。何を見聞きしようとも声をたてず、黙って聞いていることはできますかな?」

「・・・できるとも」

「では、こっそりと会議の様子を隠れて聞ける場所へご案内いたしましょう。ですがミファレーン様は会議に出席することを許されぬ存在でいらっしゃいます。決して言葉を発したり、存在を知られたりしないようになさってくださいませ」

「・・・・・・分かった」


 会議に出席するのを許されぬ存在。

 その言葉に、ミファレーンは冷たい水を一気にぶっかけられた気になった。


(私は、・・・ケイファスト兄上亡き後は王太子となり、やがて国王となる存在ではないのか)


 聞き間違い、もしくはこの男の言い間違いだろうと信じ、ミファレーンはその後をついていく。

 やがて会議が行われている部屋の、国王の座席の背後にある絢爛豪華なタペストリー、それに隠された小部屋へとミファレーンは案内された。

 小さな声で、

「決して物音はおたてになりませんように」

と、注意されてミファレーンは頷く。

 その会議は、かなり参加者が苛ついている様子が感じられるものだった。

 

(会議というより、・・・まるで罵り合いのような?)


 ミファレーンは、そう思わずにいられなかった。

 誰の声にも余裕を感じなかったからだ。


「どうしてケイファスト様を止めてくださらなかったのか、ラヴィニア様っ」


 ミファレーンはその名を聞いて驚かずにはいられなかった。ラヴィニアとは王太子妃の名前だ。

 けれども王妃であれ王太子妃であれ、妃が会議に出席するなどということがあるのだろうか。


「私が殿下の何を止めねばならぬのか、それが分かりません」

「このままではこのキマリーはドモロールに攻め入られるのですぞっ。しかもいつの間に王太子宮にはドモロールの兵士が詰めていたのかっ。あなたがご存じでなかった筈がありますまいっ」

「そうですっ。このキマリー王宮にドモロールの兵士がいたなどとあってはならぬことっ。その報告を怠ったとは、王太子妃としての責任をどうお考えかっ、ラヴィニア様っ」

「本来、王太子妃は公爵家もしくは侯爵家からとるべきところを伯爵家から抜擢されたというのに、その義務を理解もしておられなかったのですかっ」

「そうですっ。王太子妃として責任を持ってケイファスト様を説得していただきたいっ」


 誰もが王太子妃ラヴィニアを責め立てていた。

 ラヴィニアはキマリーでも辺鄙な領土のミンザイル伯爵家令嬢だった為、こういった会議に出席できる貴族のほとんどはミンザイル家よりも格上だろう。

 だからこそ普段は王太子妃として頭を下げていても、こういった時には強気に出てしまう。


「お黙りなさい。私は王太子妃。その意味を分かっているのですか」


 日頃は物静かにケイファストとままごとのような夫婦生活を送っているラヴィニアには似つかわしくない、そんな声が鋭く響き渡る。


「王太子妃に命じて王太子を動かせるという権限を持つ者がいるというのであれば、今すぐ立ち上がって名乗り出なさい。その旨、詳しくケイファスト殿下にお伝えいたしましょう。大切なことですから、ドモロール王国にいらっしゃるウルティード殿下にもお伝えしなくてはなりませんね」


 しーんとその場が静まり返る。

 かたっと椅子から立ち上がる音がした。


「我が国のケイファスト王太子殿下のお体には毒を盛られた痕跡があったことは、既にドモロール王国から派遣された医師が診察し、把握しております。ケイファスト様はキマリー国とドモロール王国、二つの国を結ぶ絆。そのお方を害そうとしたキマリー国に誠意無しと、ドモロール王国は判断したのです。その事実をつきつけられた私が、キマリー国の貴族としてどれ程にいたたまれぬ、そして恥知らずな国の民という烙印を甘んじて受けねばならなかったか分かりますかっ」


 こんなにもきつい言い方をする人だったのだろうかと、ミファレーンは思わずにいられなかった。いつもケイファストの後ろで微笑んでいるだけの大人しい妃だった筈なのに。

 だけど毒を盛られたとはいつのことなのか。あんなにも病弱な異母兄に毒など投与されては、それこそ亡くなってしまうだけだろう。いや、多少早いか遅いかの違いなだけかもしれないが。


「わざわざ伯爵家からとってやった? 違うでしょう? あなた方はケイファスト様が早く亡くなると分かっていた。だから私をケイファスト様に宛てがったのです。どうせ国王とはならぬ王太子だから、と」

「それはっ、・・・違いますっ。我らはケイファスト様とあなた様が親しくしておいででしたからっ。だからあなた様を王太子妃に迎えたのですぞっ」

「そうですっ。お二人でよく語らっておいでであったでしょうっ。だから我らは殿下と妃殿下との恋を応援しようとしただけではありませんかっ」

「・・・恋など、私達の間にいつあったというのです? 王太子妃の打診も父は断った筈です。そして私も。なのに父を脅すようにして、無理矢理にまとめたのはそちらではありませんか」


 怒りを押し殺したような声は、あまりにも王太子妃とは思えぬものだった。

 ほとんど王太子宮から出てこない王太子妃ラヴィニア。彼女は滅多に茶会も開かず、そして出席することもあまりなかった。


「私が王宮の庭で殿下と話していたのは、毒物についてでした」


 ざわっと、その場の空気が揺れる。


「ミンザイルの領土では様々な植物が採取されます。その中にも毒の成分がある植物があるのです。殿下に問われた私は、それをどれだけ飲めばどんな症状が出るのか、事細かくご説明申し上げました。今にして思えば、殿下はご自分の症状と照らし合わせていらしたのでしょう」


 さやさやと衣擦れの音がした。高貴な女性は足音をあまり立てない。

 王太子妃が歩いているのかもしれないなと、ミファレーンはぼんやり思った。


「私と結婚してからの七年間、殿下はご自分に毒の入ったものを提供してきた人間を全て調べ上げました。勿論、その分析には私も協力しておりますし、他の薬師にも確認させました。その毒を提供してきた者の名前は申し上げますまい」


 王太子妃ラヴィニアがくすっと笑った気配がする。


「すぐ亡くなると思った王太子に妃として宛(あ)てがった、どうでもいい伯爵家の娘。それはドモロール王国へケイファスト様に毒を盛った人間を調べ上げて報告する役割を持っていたのです。皮肉ですわね?」

「ラヴィニア様。・・・お怒りはごもっともでございます。ですが、我々はそんなことなど全く存じませんでした。ケイファスト様はお優しく賢いお方。大切な我が国の王太子殿下をどうして我らが害そうと思いましょう。そんなことと知っていたならば・・・」


 全く違う涙混じりの声が、ラヴィニアに呼びかけた。


「見て見ぬふりをしたなら協力したのと同じこと。ですが、もしもドモロール王国によって貴族から奴隷に落とされる、もしくは拷問後に処刑される身に落とされたくないのでしたら、殿下の敵をあなた達で粛清されることをお勧めいたしましょう。そうであればドモロール王国も許してくださるのではないでしょうか」

「ひ、妃殿下、それは・・・」


 誰もが息を飲む気配がした。


「この王宮に、国王となるお方を害する貴族など必要ありません。ですがキマリー国が自浄できぬとあればドモロール王国に併呑(へいどん)されるのも仕方なきこと。そして体の弱いケイファスト様しか産めなかったと正妃様を侮っておられた方も、つまりはケイファスト様に毒が盛られていたことを知っていればこその振る舞いでしょう。・・・選ぶのはあなた方です」


 こんなにも凛とした声を出せる人だったのか。自分に対しても言葉少なにしか話さなかった義姉は。

 けれども今はラヴィニアのことではないと、ミファレーンは思った。

 今、考えるべきはラヴィニアの性格などではない。


「それでは国王陛下。私はこれで失礼いたしたく存じます。退出のお許しを頂けますか」


 打って変わって優しい声を出すラヴィニアは、いつも通りだった。


「許そう。王太子妃よ、正妃と共にいてやってはくれぬか。正妃はこの際、自分も殺されていた方が、より惨(むご)たらしくこの国の貴族を妻子ばかりか一族の赤子に至るまでドモロールは殺してくれるだろうからと、何とも過激なことを申すのでな。さすがに無実の貴族は助命してもらいたいところだ。正妃は無事に生きていてもらわねば困る」

「かしこまりました。それでは王妃様のもとへ参り、お仕えさせていただきます」


 キイ、パタンと、扉が開閉する音がした。

 ミファレーンの心臓がバクバクと脈打つ。


(ケイファスト兄上に毒・・・。まさか・・・)


 元々、体が弱い王子というわけではなかったのか。あれは毒を盛られてしまったからこそだったのか。

 けれどもケイファストを殺して得をする人間は誰だ。


(まさか、その毒を盛ったというのは・・・)


 いきなりポッと出てきたウルティードを憎んでいたのは事実だ。殺そうと思ったのも。

 それでも異母兄であるケイファストを殺すだなんて、自分は一度も思ったことなどない。


――― それは、彼が早く死ぬと分かっている存在だったから。


 ウルティードを憎んでた。いきなり自分の立場を奪い取っていったのだから。

 王宮で育てられなかった王子だなんて、それこそ不義の子に決まっている。だからどう処分しようがかまわないだろうと思っていた。

 だが、れっきとした王太子を殺そうなどとどうして思うだろう。


――― だってわざわざ手を下さなくても大丈夫だと分かっていたから。


 そうだ。いつだってケイファストはミファレーンに優しかった。

 もしもミファレーンの外祖父であるパスティス公爵家に関与する人間が毒を盛っていたのなら、あんなにも優しく微笑みかけてきたりはしないだろう。

 だってもう、その人達をケイファストは調べ上げているのだから。


(まさかお祖父様だってケイファスト兄上にそんなことなさる筈がない)


 そう思いたかった。



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