36 優理とイスマルクはギバティールで足踏みしていた
ティネルの街は今日も変わらない。
そして、
「あんな縁起の悪い娘っ子に係わっちまったもんだから。うちのボスはよぉ」
と、手下達に恨めし気な目で見られているのも変わらないキースヘルムだ。
慌ただしく新しい根城へ移るのも大変だったし、その気持ちは分からなくもない。
分からなくもないが、
「るせえんだよ、そんぐらいのこともできねえような女になんざ興味もねえや」
と、嘯いてみせたキースヘルムは、何とも勝手が掴めないままだ。
(よりによって父親と比べるか、普通?)
普通の娘がそれを言ったなら、まだ、
「パパと男は違うんだぜ、お嬢ちゃん」
とでも言えただろう。
(あの小娘のいけ好かんところは、だ)
冷静に父親と自分達を比較してきたところだ。
あんな一度も当たらないような占い稼業をしていながら、それでも情報のやり取りに関してはかなりの精度をみせる小娘だ。
恐らくキースヘルム達のこともしっかり把握した上で、父親と比較したのだろう。
その上で父親の方が段違いで格上だと判断してくれたのだから面白くない。
まるで自分がただのチンピラ扱いではないか。
(ムカつくこたムカつくが、三下を差し向けてボロボロにしてえわけじゃねえ。じゃあ無理矢理モノにするかと言えば、・・・まだ全く育ってねえんじゃ、んな価値もねえ)
拉致して寝台に放りこんだとして、あの小娘のことだ、
「え? サカってんの? 私に? 女を買うお金もなくなったわけ? うっわぁ、落ちぶれたもんねぇー」
ぐらい言いかねない。
どうにか黙らせてコトに及んだとしても、
「気持ち悪ぅーっ。何してんのよド変態っ。あんた犬っ!?」
などと騒ぎ立てるのがオチだろう。
それこそ官能に溺れる以前に快楽もなく、そして最後には自分の体が最低ランクなのを棚に上げて、キースヘルムを「ドヘタクソ」と、罵るぐらいやるのだ、あのクソ生意気な小娘は。
そうしてカイネに、
「キースヘルム、ドヘタクソだったのよぉーっ」
と、泣きつかれた日には、次の日からキースヘルムのあだ名は「ドヘタクソ」になってしまう。
(いや、俺も何を真面目にそんなアホな妄想を繰り広げてんだ。・・・くそっ、あのツルペタ娘っ)
レイスが言っていたツルペタの小娘というのは言いえて妙だ。まさにそんな感じだ。
いや、ちょっと待て。
(何で俺があいつらに毒されてんだ)
同じレベルに落ちてどうする。
ならば放置しておくかとなれば、人にはくれてやりたくない小娘だ。
現在、優理の家にはドレイクとレイスが入り浸っている。
――― あれで凄腕の情報屋だ。何が何でも調べ上げてこい。どでかい金儲けに乗り出す気だ。
――― へい、ボス。任せてくだせえ。
あのドレイクとレイスが小娘と共にどんな話をしているのかと興味津々、窓の下で聞き耳を立ててきた手下は、意気揚々として出かけていった。
――― なあ、ボス。俺ぁ、あんたを尊敬してる。凄え男だって思ってる。だがよぉ、本気であの娘っ子達を見張ることに意味はあるんかい?
そして、まるで信じていた息子に裏切られた母親のように、あまりにも情けなさすぎるといった顔でメモを持って帰ってきた。
白夢月3日。
『この焼き鳥っ、タレ付きは一人三本って言ったでしょっ』
『五本食ったってええやろがっ。残しとった分、食ったったんやっ』
『ざけんじゃないわよっ。私は塩味の後でそれを食べようと思ってたんだからっ』
『しょうがないな。俺の塩味とやらを分けてやるから』
『私はそのタレ味を最後に食べたかったのよぉっ』
『なるほど。ユーリは好きな物は最後に食べる派か』
『あかんあかん。分かっとらんな。好物は最初に食べんとなくなるだけやで』
『アンタが言うなぁっ』
白夢月4日。
『カイネさぁん、待ってたのよぉっ』
『なんだ、熱烈歓迎だな。どうした、またドレイクに苛められたか?』
『そぉなのよ。レイスを美しい私に取られたからって、嫉妬に燃えたフラレ男のいびりに、身も心もズタボロな私』
『おい待てやコラ。なぁに、負けかけとったボードゲームひっくり返してカイネに抱きつきに行っとんねんっ。負けそうやからて、なんつーことしやがるっ』
『ああっ、なんてことっ。ゲーム盤がひっくり返っちゃったわ。・・・しょうがないわね、これはまたやり直しということで』
『寝言ぬかすなや、こんガキが。そんな汚ぇ手使うてまで皿洗いしとうないんかいっ』
『人んちに居候してるあんたが洗えばいいだけなのよっ』
『事情は分かったから、ここは仲良くみんなで洗おうな。ドレイクも飯を作ってもらってるなら皿洗いぐらいしてやれよ』
『材料費ぐらい出しとるわっ』
『それは当たり前だろ。ほれ、ユーリちゃん。いつもドレイクとレイスが世話になってるからな。土産の菓子だ』
『うわぁ、ありがとう、カイネさん。あ、そうだ。はい、これ、よかったら帰って食べて。豚の角煮』
『ああ、変わった味付けの奴だな。これ、とろけるように美味くてびっくりしたよ』
『ああーっ、ちょっと待ちぃやっ。それっ、どこに隠しとったんやっ』
『ほーほっほっほ。欲しかったら、これからは毎日自分が皿洗いするって約束してみせなさい』
・・・・・。
キースヘルムとて、手下の気持ちが分からないわけではない。
聞こえてきた内容をメモしながら、どうして自分がこんなことをと思ってしまうのは仕方ないことだっただろう。
どこがでかいヤマなんだと、裏切られた気分にもなるだろう。
正直、キースヘルムだって読んでいてとても面白くない。
(なーに楽しそうにやってんだ)
巨額の富を生むであろう神子姫の行方に繋がる最重要人物は、現在、大神殿の地下牢にいるという話だ。しかし、それでも神殿は未だに神子姫を見つけられていない。
ならば優理を脅迫してでもその仕事に就かせるべきだ。優理は神子姫をどこかに連れていく仕事に関与した可能性が高い。
(それこそ拷問してでも口を割らすべきだ)
そんなことは分かっている。
けれども・・・。
そうして自分が気に入ったあの小娘を壊すのか。
「くそっ」
キースヘルムは、ガツッと壁を見遣りもせずに拳で叩いた。
優理が暮らすティネルの家には変化が起きていた。
というのも、ゲヨネル大陸からヴィゴラスが戻ってきたのである。ドレイクとレイスを追い出した優理は、やっと静かに眠ることのできる時間を迎えていた。
「まさかグリフォンが豚汁を飲む日がくるだなんて・・・」
「悪くはない。しかし、材料というのはなかなか手間がかかるものなのだな。ハルカもやはりこういうのが恋しくなるのか?」
「そうねぇ。無いなら無いでかまわないけど、あったらあったで嬉しいと思うのよ。真琴も多分そうだと思うんだけど、あのカイトさんって人にまだ本当のことは言いたくないだろうし、そっちはどうしてもね。だから遥佳にだけ渡してあげようと思って。帰りにはお味噌とかお醤油とかイリコダシ、持って帰ってね」
現在、屋上で干されている沢山の小魚を見て、
「食べていいのか?」
と、尋ねたヴィゴラスだったが、
「それはそのまま食べるんじゃないのよ。ダシに使うのよ。見せてあげるわね」
と、教えられて、豚汁を振る舞われている。
なぜ、一気に煮干しを作っているかと言えば、買い出しに使える男達が増えたからである。
優理は遠慮なくドレイクやレイスを使おうとした。そうして、
「んなかったるいこと、こん俺がでけるかっ」
というドレイクは手下を使ってやらせたものだから余計に捗ったのである。
豚の丸焼きもいいが、こういう味も飲み物として悪くないと、ヴィゴラスはスープボウルに入れて出された豚汁をぺろりと平らげた。
「だが、打ち明けたところで問題ないのでは? あのシルバータイガーは信用できそうだった。よく分からんが、群れの子というのはとても大事にするものらしい」
ローストビーフも寄越してきたし、何より自分の気配に気づいて真琴を庇ったことを評価したいヴィゴラスである。
「そうね。遥佳がお父さんの腕輪を渡した以上、カイトさんは信頼できるわ。問題は、その群れの子よ。恋愛感情に発展するのかってこと」
「マコトは愛らしい。恋愛感情に変わらない筈がない」
「そこなのよ。恋愛って、ほんのちょっとのことですれ違ったり壊れたりするでしょ? あれで真琴ってしつこいんだもの。今、変なちょっかいだして恨まれたくないわ」
「その通りだ。そういう微妙な期間に波紋を立てるべきではない。『愛の隠れ家物語 ~監禁編~』にも二人きりの時間が大事だとあった」
「・・・それはフィクションです。現実世界に適用してはなりません」
「そうだったのか。・・・残念だ」
優理は遥佳の危機を未然に防いだ。
「遥佳にしてもね、もしも最初は自分のことを好きになってくれたとして、その後は惰性だったり、やがて自分に付随してくるメリットに目が向いてしまうならって臆病になっちゃうけど、それは真琴も同じことよ。だけど遥佳はそういった心変わりまで的確に見抜いてしまえるから余計に辛いわね」
「ユウリ殿は違うと?」
「どうかしら。私はまだ好きな人もいないもの。遥佳や真琴の結果を待って考えるわ」
ヴィゴラスが戻ってきたなら安心して状況を探ることができる。
やはりドレイクとレイスがいる状態では、昼過ぎまで寝込む程度ならともかく、それ以上は躊躇われた。
ドレイクは、
(クソ生意気な小娘やけど体は強うないんやな)
と、そう思っている様子だ。その割には大人げなく自分に噛みついてくるがと、そう思う優理は自分の大人げなさには目を瞑る。
だが、そうして詳しくイスマルクの状況を探れば探る程、優理は、地下牢にはせいぜい気温操作と光る苔程度にしておくべきだったのかなと、ちらりと、・・・そう、ほんのちらりと、思わずにはいられなくなっていた。
大神殿では、音楽もドレスもない舞踏会が開催されていた。
(そうだな。ゆったりとしたダンスを人が踊るならば、狸だって月と共に踊るだろう。兎だってほろ酔い加減で踊ったっていい筈だ。そして、今日も会議は踊る)
そう思うイスマルクは、敬虔そうに見えるであろう表情を作ることに努力する価値があるのか、自分でも分からなくなっていた。
何故ならば今の状況はまさに、会議は踊る、されど会議は進まず ※ 、そういったものだったからだ。
― ※ ―
会議は踊る、されど会議は進まず
1814年~1815年。ウィーン会議(オーストリアのウィーンで開かれたナポレオン戦争終了後の領土分割等の国際会議)において諸国の利害が対立し、様々な駆け引きが行われてなかなか締結しなかった時の言葉。
舞踏会ではステップを踏んで輪のように動くが、会議が同じところを回っているだけで進まないといった意味をこめての揶揄である。
同時に、会議は進まないのに舞踏会は華々しく行われていたことを皮肉ってもいる。
― ※ ―
イスマルクの処分を決める為の会議だが、既にそこは神官達の権力闘争の場ともなっていた。
「これこそが神子姫様からの我々に対するお問いかけなのではありませんか? イスマルク殿に対してどう我々が対応するか。それこそが神子姫様へのお返事となる筈と私は考えます」
「何を愚かなことを。神子姫様はご自身へと辿り着いた神官を、ただ人材不足に喘ぐ治療院へ宛てがわれたにすぎません。それを深読みしすぎては滑稽すぎるというものでしょう」
「ならば、イスマルク殿はどう思っておられるのか?」
全員の目がイスマルクに向けられる。
「はあ。私といたしましては、特段、神子姫様方は―――」
「そうであろう。彼はそんなことは絶対にあり得ぬと言っているではないか。ならば本来の神官として、いかに彼が不適格であったかを問うべきなのだ」
イスマルクの顔も引き攣るしかなかった。
(いや、そこまで言ってねえよ。てか、俺の言葉使って、なに俺の処分を厳しくしてんだよ)
けれども現在、神官としての地位を剥奪されているイスマルクだ。
立場上、第10等神官よりも下の存在なのだろうかと思えば、少なくとも第1等から第5等までの神官達がここまで議論する場に、強く出られない。
イスマルクは、かつての自分は一人ぼっち神官として悲しい存在だったが、こういう人達とつるんでいても意味がなかったなぁと、そんなことを思い始めていた。
「不適格とおっしゃいますが、神子姫様のお心に従うことの何が神官として不適格とおっしゃるのでございましょう」
「神子姫様にとってお幸せなのは、神殿にて我々神官と共に人々を導く道をいかれることではないか。その為にお生まれになったのだ。
その本来の栄光ある道を神子姫様方にお伝えすることもなく、尊きお方を辛い作業に携わらせていたことにこそ、彼の悪辣な性根が透けてみえよう」
「それはいかがなものでありましょうか。神子姫様方はご自身を探す貼り紙のこともご存じだったとのこと。なればこそ、その上で貧しき人々へくだされたお優しさを神官が否定することなどあってはありますまい」
「その通りでございます。イスマルク殿の罪を問うとおっしゃるのは、それこそ高位神官としての立場がないという己のプライドによるものだけであって、それこそ愚かな私情ではございませんか」
イスマルクを助命してそれなりの待遇をと、そう述べるのは第2等以下の神官が多い。それも第1等神官の取り巻きではない神官に限られていた。
「それは己が上位になれぬ妬みゆえの発言ではないのか」
「なんということを。それは言葉が過ぎましょう」
「図星なだけであろう。元より、彼はとっくに己の罪を認めている。そうであるな、イスマルクよ」
返事を要求されれば答えなくてはならないイスマルクである。
「彼のお方々に従ったことを罪だと言われるのであれば、それは認め―――」
「聞いたか。つまり、本人が認めているのだ。これ以上、議論することもない」
返事を期待していない質問というべきか、どんな返事をしても我田引水に持っていく質問というべきか。
(なんで俺の言葉は、いつも途中で遮られるんだ?)
誰も聞く気がないからだなと、イスマルクは結論づけた。
「ならばご自身が神子姫様よりも偉いとでも仰る気でしょうか? それこそ傲慢、神官不適格を問われるのはそちらでありましょう」
「お待ちください。神官の位につきましては厳密な審査が行われております。それを否定されるというのであれば、こちらも異議を申し上げます」
第1等神官の側近神官の一人が、神官としての不適格をここで持ちだすべきではないとばかりに阻止に入る。
「ならば問いますが、今回の神子姫様の捜索にあたり、イスマルク殿は第5等から3等への特進もあったとのこと。それこそ人事の私物化を表しているではございませんか」
「先見の明がない己の愚かさをここで露呈することもあるまい。その特進のおかげで、彼はお気の毒にも地下牢に閉じ込められていらした神子姫様を助けだすことができたのだ。そうであるな、イスマルク?」
「たしかに第3等のメダルでもって渡り合ったことは否定いたしません。ですが、その特進理由は―――」
「聞いたであろう。おいたわしい状況下におかれていた神子姫様をお救いしたのは、つまり私の功績である」
さすがに会議に出席していた全員の動きが止まった。
(え? いや、あんた、何もしてないよな?)
ドリエータへ不眠不休で駆けつけたイスマルクはそう思った。
いや、分かってる。そう、これは「自分の手柄は自分の物、使い捨て神官の手柄も自分の物」という奴だ。
「それは盗っ人猛々しいとしか言いようがありますまい。神子姫様をお救いしたのは、イスマルク殿と第9神殿と聞いております。神子姫様におかれましてはイスマルク殿をかなりご信頼なさっておられ、更に第9神殿長にもお優しいお言葉をかけてくださったとか」
「そのイスマルクが我らの指示で動いていた以上、それは当然のことであろう。そうであるな、イスマルクよ」
「直接の指示を受けていたのは確かでございますが、ですが―――」
「この通りだ。しかし、彼はこちらにすべき報告を怠った。それゆえに我らは我らが戴くべき至高の存在を失ったのだ」
イスマルクは思った。
やっぱりここに遥佳と真琴は来なくて良かったと。
(本気で話にならん。こんな場所に来ていたら、どれ程に彼女らの気持ちをないがしろにして好き放題にされたことか)
本当は、大神殿で何不自由なく大事に守られている方がいいのではないかと思ったこともあった。
一般の生活をしてみたいならお忍びでそういったことも楽しめるようにすればいいだけではないかとも、迷わないわけではなかったのだ。
けれどもこんな場所で自分の言葉を捻じ曲げられる日々に耐えるぐらいなら、遥佳にはあの穏やかな第7神殿で笑って暮らしていてほしい。
真琴はマジュネル大陸へ旅立ってしまったが、自分と同じぐらいに信用できる人間がいるというのであれば、何があろうと大丈夫だろう。
(マジュネルのことは分からないが、服がなくても獣でいればいい、食べ物がなくても狩りをしてくればいい、家がなくても洞穴があれば大丈夫といった感じの大陸だった筈だ。だから人身売買などは決してないし、治安がいいとも。ちゃんとお金を持っていってるって話だったし、ジンネルよりはマシだ)
遠く離れているだけに、他大陸の情報は限られる。
だからほとんど親バカもしくは兄バカに近いイスマルクは、人身売買の為に誘拐されることはないから大丈夫だろうと、そう思っていた。
肝心の真琴は、うちの子うちの恋人うちの嫁、そんな理由で到着した途端、誘拐の危機に直面して怯えきっていたとも思わずに。
「これ程の嘆願書を見てもお分かりでありましょう。神官位の剥奪を今すぐ取り下げ、それどころか彼こそを第1等神官にすべきと私は提案させていただきます」
「何を血迷ったことを。たかが神子姫様の使い走りをさせていただいただけで、どうしてそんな栄誉が与えられようか」
イスマルクは思った。
(こういう時にこそ俺の意見を訊いてくれ。俺はもう神官の位なんていらないんだ。だから・・・)
ヴィゴラスがいるとはいえ、遥佳は一人で大丈夫だろうか。戻ってこなかった自分を心配しているのではないだろうか。心細さに泣いていないだろうか。
それが案じられてならなかった。
肝心の遥佳は、ディリライト島で大好きな父親の過去を感じ取りながら、敵意ある者を容赦なく排除しているとも思わずに。
「その神子姫様が沈黙なさっておられることこそ、神子姫様のご意思ではありませんか」
「いつから神子姫様のお気持ちを代弁できる程になったというのだ。それこそ不敬が過ぎよう」
ここまで長引くと、誰もが激高こそしないものの、堂々巡りで言い合いが続く。
会議は同じところをぐるぐると踊り続けていた。そして、進まない。
キースヘルムは悩ましい思いを抱えていた。
彼の根城をグリフォンがぶち壊した後、市場に復帰した優理だが、それでも何かと休みがちだ。
あれだけ気が強いというのに、体はあまり強くないらしい。
(あの男が戻ってきたか。戻ってこなくてよかったものを)
最近になって優理が傍においているという用心棒が戻り、ドレイクとレイスが優理の家を出ていったと、報告を受けたキースヘルムは苦々しい顔になった。
(レイスも全く役に立たねえ男だ。あんな得体の知れねえ男が一緒に暮らしてるなんざ何とも思わねえのかと言っても、あいつは無害だから構わねえとか言ってすませやがるっ)
お互い、優理に気があるのだ。
あの黄土色の髪、褐色の肌をした男をライバルとして共闘できる筈なのに、ちょうどコロシの仲介でやってきたレイスは、
「あいつは大丈夫だ」
の一言で終わらせてくれたのだからムカつくとしか言いようがない。
自分ばかり、丸焼き肉を持っていけば歓迎してもらえるとでも思っているのか。
思っているのだろう。
本気で面白くない。
(あんな男のどこが無害だってんだっ。どう見ても有害だろうがっ。恐らくうちの誰よりもあいつは強え)
更に面白くないのは、その報告を受けたからだ。
なんでも優理と一緒に買い出しに行っていたその褐色男の大荷物に、金持ちだと踏んだ男達の集団がいたらしい。
「おい、兄さん。ちょっくら施しをしてもらおうか」
「ふむ、これが蝿というものか」
褐色男は、その男達を軽く叩きのめしたという。
尚、その絡んできた集団の中にいた一人の男は、怒らせたら何をやらかすか分からない凶悪な奴として知られていた。だから褐色男にも湾曲した大刀で殺そうと斬りかかっていたのだが、それすら指先で軽くあしらわれたらしい。
「この包丁、牛や熊の頭を落とすのに便利そうだな」
その大刀は没収された。
優理は店の中にいてその場面を見ていなかったが、出てきて道端に倒れ伏している男達を見て尋ねた。
「あなたがこれをやったの?」
「何をだ? 俺は大人しく待ってたぞ」
「なんかバタバタ倒れてるけど」
「地面に落ちたハエを数えても意味はない」
「それもそうね」
「て、てめえ・・・。こんだけ、俺らを・・・覚え・・・てろよっ」
歩きだした二人に向かって誰かが捨て台詞を吐いたらしいが、そこで振り返った優理は親切にも忠告したらしい。
「やっぱり彼にちょっかいかけたの? 良かったわね、殺されなくて。チンピラならチンピラらしく、強い男には手を出さず生きていきなさいね」
それを世間では挑発と呼ぶ。
その言葉に怒りを燃え上がらせた男は立ち上がり、優理の顔面を殴ろうとした。
「あら? 今の人、どこに行ったのかしら?」
「人? どこに? それより早く家で設計図を見たい」
「そうね」
だが、誰もが気づかぬ内に、その男は通りの向こうの建物の壁に激突していた。
褐色男の攻撃が速すぎ、かつ結果が遠すぎて優理も気づかなかったらしい。
それ以来、その褐色男を見たら逃げ出す男が続出しているとか。
(やり合わなかったことは正しかった。だからレイスをぶつけて腕の一本でもとってもらえりゃいいと思ってたのによ)
キースヘルム集団では、優理は災いの権化扱いだ。
キースヘルムがモノにしようとすればグリフォンを突っ込ませ、あのレイスを番犬代わりにし、その実態はドレイクの弟ではないかとも囁かれている、女装趣味の少年。
その魔性の占い師は、なぜか最近、店先で気持ち悪い黒い肉を売り始めている。
「やっぱり第三者の意見が必要なのよ。お金を出して買う価値があると思ってくれるかどうかなの」
取り巻きである少年達が勇気を振り絞り、小遣いを出してその肉を買い、遺言状を用意してから口にしたとか。
「あ、姐御の為なら・・・っ。くっ、骨は拾ってくれっ」
「おおっ、お前こそ真の勇者だっ」
「止めてくれよぉっ、ユーリ姐っ。今まで俺達は仲間だったじゃないかぁっ」
「お前の勇姿は忘れないっ」
「あのねぇ、あんた達。ちゃんと食べられるわよ。豚肉なんだから」
誰もが食欲をなくすような黒い肉を売りつけた優理だけが、何を言っているのだと呆れ返っていた。
「あ。結構、いける、か・・・?」
「大丈夫かっ? 天国は見えてねえかっ?」
「おお、このとろけるような舌触り。まさに天国の味、・・・かも?」
「分かった。お前一人だけ犠牲にしたりなんかしねえっ。明日になっても生きてたら、俺もそれを買って食べてみせるぜっ」
「ありがとよ。今、友情が砕け散る音を俺は聞いたね」
その豚肉とはとても思えない、黒々としたゴキブリ色のそれは限定数発売だが、何故か毎日のように少年達が買っているらしい。
(なんで俺が顔を見せなくてもあいつは楽しそうに生きてやがるんだ)
自分でも理不尽な欲求だと分かっているが、それが気に食わない。
このオレ様が目を掛けてやろうというのに、あの首飾りさえ投げ返してきた上で、どこぞの幼児みたいな、
「パパみたいな人と結婚するの」
なんぞと言いくさってくれるのだから、本気で首をひねり殺したくなる。
「ま、なんだ。何事も情報は手広く集めておくもんだよな」
というわけで、キースヘルムは出かけることにした。
そんな気持ち悪い肉を売るだなんて、金儲けの基本を忘れた愚かなことをしているのだ。
遠慮なく優理を馬鹿にしてやってもいいだろう。
そうだ、そうに違いない。
「ボス。ドレイクの旦那から持ち込まれたコロシの件ですが、ギルグとケイン、どっちにしときやすかい?」
「ギルグを行かせろ。これが最後のチャンスだと言っとけ」
「へい。それから足抜けしたロミーが見つかりやした」
「規定通りだ。金でカタつけんなら全部沈めろ」
「合点でやす。ジルドレの旦那からクスリの取引の話が来とりやす」
「条件と内容、そしてブツの確認にマイドラとエイオーンを行かせろ。八人はつけとけ」
「分かりやした。三丁目に出してたキッキーの店、来週あたり手入れがありそうだと・・・」
「明日中に引き払い、わざと違うそれを用意しとけ。一般人を使えよ」
「へい。それから・・・」
「まだあるのかっ!」
手下は、
「これでもこっちで対応できるのは対応しとりやす。これらは今までボスが、こっちが勝手に判断してやってたら後で怒りまくった奴らのことばかりですぜ」
と、反論してきた。
「おまえ、・・・しつけぇな」
「殴った方は忘れても、殴られた方は忘れねえもんなんでやんす」
なんだかイジメ問題みたいなことを呟き、手下は続ける。
「ボスが最近やってこねえのはもう現役引退したからなのかと、フィリエラ姐さんがマイドラ先生に相談したとかで、あそこが元気になる薬を混ぜて出していいものか問い合わせが来とりやす」
「・・・・・・・・・」
自業自得だ。それは分かっている。
キースヘルムは脳裏に黒髪に焦げ茶色の瞳をした少女を思い浮かべた。
あいつが、好きな女には一途でなけりゃどうだのこうだの言うから。
(全てにおいてユーリが悪いっ!!)
とりあえず薬は混ぜるなと言っておいた。
和食は世界に誇る日本のヘルシー食文化だった筈だ。
しかし寿司はメンド・・・いや、敷居が高い。
というわけで、ドレイクやレイス、カイネに好評だった豚の角煮や鶏の照り焼きを店頭販売してみて、どれだけリピーターがつくかを記録し、いずれはそういったお店のオーナーというストーリーを考えていた優理だ。
(だけどヴィゴラスにはあまり角煮って好評じゃないのよね。味つけがくどすぎるとか言って)
仕方ないのかもしれない。角煮は量を多く食べるものではないのだから。
しょうがないので、豚の角煮にする部分以外は、ヴィゴラス分としてガーリック焼きにしてあげている優理だ。
炭火焼も好評だったが、おかげで優理の暮らす家の屋上は、何かにつけて煙がモクモクしている。
(だけど問題は、固定客がついたのはいいけどその固定客がレイスの愉快な仲間達と、うちにたむろってばかりいる少年達だってことよ)
競合店がいないのは強みだ。
だからこそいけると思った。
なのに競合店がいないからこそ、ここでしか買えないとばかりに買い占めていってくれる彼らのおかげで全くデータがとれないばかりか、その味を広く試してもらうこともできないときたものだ。
(どうしてこうなったのかしら)
尚、一般の人達はその艶々とした黒褐色の肉を、
「なんだか嗅ぎ慣れない香りね」
と、及び腰で試食すらしようとしない。
(これでは私の「世界に一軒、ここでしか食べられない幻の味でがっぽがっぽ儲け」計画が頓挫してしまうじゃないのっ)
そんな時だった。
「邪魔するぜ」
どこか野太い声がしたのは。
「押し売りはお断りなのよ。ついでに勧誘も間に合ってるわ」
こういうのは最初が肝心だ。一発目にしっかり猫パンチで撃退しておかねば、二度、三度とやってくるのだから。
というわけで、優理はテーブルにだらりと両手と頭を投げ出したまま、戸口を見もせず気だるげにお断りしてみせた。
「お前な、それが客商売している奴のセリフか」
「客じゃない客は、ただの羽虫・・・・・・そうだわっ、ねっ、あなた、口は肥えてるっ?」
はっと気づいて優理は体を起こし、キースヘルムの顔を見上げた。
「まあ、肥えてねえとは言わんな」
「じゃあっ、これ食べてみてっ。感想、聞かせてっ」
優理も固定客以外には売れなくて、ある意味、頭が沸いていたのだろう。
試食用の豚の角煮をキースヘルムの前に差し出した。
「なんというか、人間の食うモンとは思えねえ色と変わった臭いだな」
「失礼ね。豚肉を柔らかく茹で零し、最後に味つけしたものなのよっ」
キースヘルムは客用の椅子に座ると、
(これも一つの試練だ、飢えていると思えば何でも食える)
と、それを口に入れた。
普段なら怪しげなものなど口にしない。
だが、優理が大神殿の状況を探ってはグレていたように、キースヘルムも手下の八つ当たり的な仕事を大量に押しつけらえて疲れていた為、ちょっと根性がなかったのだ。
人は疲れていると、逆らう気力も落ちるものである。
「かなり柔らけえな。しかも脂が蕩けるたぁ、この味つけは何だ?」
豚肉のクセが全くなくなっていることにキースヘルムは驚いた。男にとっては物足りないかもしれない。
だが・・・。たしかにこれは面白い。
「ふっ、よくぞ聞いてくれました。とりあえず生姜っ、そして砂糖、更に私特製のお醤油がメインの豚の角煮っ。ちなみに、こんなものに挟んで食べてもいけます」
あのキースヘルムですら私の才能の前には脱帽するのねと、優理はいそいそと肉まんの肉餡を入れない、プレーンな生地だけのそれを取り出す。
いずれ肉まんも売り出そうと思ってはいるし、少年達に好評だったのは肉まんの方なのだが、このまま豚の角煮が負けっぱなしだなんて我慢できない。
自分のチョイスに間違いはない筈なのだからして。
出された、白い蒸しパンみたいなものに載せて食べたキースヘルムは頷いた。
「なるほどな。悪くねえ。見た目はアレだが、これならある程度は噂にもなったろ」
「そーれーがぁ・・・」
珍しく普通の会話になっている為、そこで優理も、ドレイク達と少年達に買い占められているものだから全く売れないと愚痴をこぼす。
「別に全部売れているならいいだろう。それとも何か? 他の奴らに売らなきゃならん理由でもあるのか?」
「そりゃ勿論っ。いずれは噂にしてから販売店を出し、がっぽがっぽと儲けるのよ」
「ほう。・・・で、その調理はお前なんだろう? どこまで売り出す気なんだ?」
「へ?」
「この俺ですら初めて食べた味だ。珍しいのは分かる。しかも見たところ、さほど高いわけでもねえ。・・・売れるのはいいが、今度は人を雇って作らねえと、お前だけじゃ体がもたねえだろう」
「・・・・・・・・・」
「どんだけ儲けたいんだ?」
「・・・・・・ま、私が思うによ」
こほんと優理は咳払いした。
そこらへんは売れてから考えようと思っていた。・・・なんて言えない。
「一日限定数、売りきれ御免で売り出せばいいのよね」
「アホか、お前は」
「誰がアホよ」
「お前だ、お前」
キースヘルムは罵倒しながらも、つい精神的疲労が大きくてあまり力がなかった。
だから優理もさほど反応せず、ムッとするだけで終わらせる。
「この俺が知らねえ味つけってこたぁ、それだけで場所は限られてくるが、何にしてもこっから遠いトコの食べもんなんだろう。そうなりゃ珍しいもんってんで貴族が目ぇつけっだろが。誰もがお偉いさんに取り入る為のもんを探してる。で、この味つけ、貴族お抱えの料理人や、場合によっちゃ王宮料理人の前で披露できんのか? ついでにお前の身元も明らかにしなきゃならんことも分かってっか?」
優理の顔色が変わったのを、キースヘルムは見逃さなかった。
少し優しげな口調になったのは、ここを押せばいいと思ったからか。
「なあ、ユーリ。どう見ても恵まれた家庭で育ったお前がこんな商売してんのはワケありなんだろう。そりゃ分かる。だがな、日の当たる道ってのは、たとえ貧しかろうが何だろうが、身元を明らかにしなきゃならんってのはあるさ。・・・だが、お前はしたくねえんだろう?」
きゅっと唇を噛みしめるその顔は、やはりまだまだ子供なのだなとキースヘルムに思わせるものがあった。
こんな子供に自分も大人げなかったかもしれない。
適当に菓子や綺麗な物を買い与え、甘やかした方が余程取り込みやすかったのではないか。
「なら、うちへ来い。それなりに俺は手広くやってる。お前のこの料理にしても何にしても、そこで出す料理として使えば、お前の名も素性も表には出ねえ。それでもお前は好きに自分を試せる。・・・お前は、自分の力でどこまでできるか知りたいんだろう? それも、お前は全く表に出ずに」
「どうして・・・」
キースヘルムはこれ以上ない程に顔の神経を総動員して、落ち着きのある表情を作った。
「分かるさ、それぐらい。・・・なあ、ユーリ。悪いようにはしねえ。お前がやりたくないなら情報屋としてお前を利用し尽くすような真似は絶対にしねえし、試してみたいことは何でもさせてやろう。手数料だって世間相場よりも遥かにお前に有利にしてやる。材料の手配にしろ何にしろ、うちのそれはお前にとって魅力的に映らねえか?」
黙っていたが、優理がかなり揺れているのが分かる。
そこで、いつの間にかキースヘルムの背後にいたレイスがぼそりと呟いた。
「ただし、キースヘルムの女になるという条件で、だな」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
キースヘルムが嫌そうに振り向く。
優理も、そこで揺れていた心がかなり引き戻された。
「確かに魅力的な条件かもしれんが、お前の恋愛観とそれとの天秤はどちらが重いんだ、ユーリ?」
レイスがゆっくりと歩いてくる。
「キースヘルムの絶倫にお前、付き合いきれるのか? 他の女と一緒くたにされる扱いに」
「・・・私、やっぱりレイスのこと愛してるの。レイスだけよ」
「てめえっ。汚えぞっ、レイスッ」
九割まで勝ちを取っていっていたのに最後でひっくり返されたキースヘルムは、もう笑い出したくなる程にやりきれない思いでレイスを怒鳴りつけた。
「汚いのはそっちだろう。人の恋人を金で釣ろうとは」
愛だの恋だのは金で買えるもんだろうと平然と言ってのける男のくせに、レイスは優理の前だからこそ思ってもいないそんな正論を述べてみせる。
「私、やっぱり誠実なお付き合いしかしたくないのよねー」
「あのな、ユーリ。お前が嫌なら別にそんなのは・・・」
あと少しで落とせた。
その思いがキースヘルムをどこまでも譲らせる。
「俺は元々女をとっかえひっかえってのは性に合わないからな。そういう奴が改心したところで一時的だ。俺は最初から食い散らかす趣味はないぞ」
「レイスッ、もう黙れっ」
それはレイスの言う通りだ。性的なものや金銭的なものに関して、人というのは変わらない。
優理の心が一気にキースヘルムから離れていく。
「図星だろ」
過去は変えられないだけに、キースヘルムも反論しにくいものがあった。
ここ数日はちょっと控え目にしている。そんな言葉は意味があるのだろうか?
「それにユーリ。俺はお前に無理強いなんて一度もしたことないだろう?」
「それはそうなんだけど・・・」
だけど勝手に誘拐されたことはある。
優理はキースヘルムとレイスを交互に見た。
「ううん、ちょっと待って。今、どっちを選ぶかとか、そういう話していたんじゃないわよねっ?」
そこではっと優理は気づいた。
「そうだな。お前と俺は純愛中の恋人同士なんだから、他を選ぶだなんて話が出てくる筈もない。さ、ユーリ。その肉、残ってる分、全部くれ」
「ううっ、どうしてこう毎日買い占められるのぉっ」
それでも優理は言われた通り、それらを包んでレイスに渡し、お金を受け取る。
「さて、キースヘルム。ちょうどいい。仕事の話があったんだ。話しながら帰ろうか」
「どいつもこいつも仕事仕事仕事と・・・!」
ぶつくさぼやきながらも、キースヘルムも立ち上がる。
二人が出ていけば、裏の倉庫で昼寝していたヴィゴラスが出てきた。
「肉が売れたならいいだろう。そろそろ帰ろう」
「そうね」
手早く片付けて優理はヴィゴラスと帰路につく。
(もしかして、だからレイス達は私のあれを買い占めていたのかしら)
いや、単にドレイクの食い意地が張ってるだけだとは思うのだが。
けれどもキースヘルムが気づいたことなら、レイスだって気づいていただろう。
優理はまだ明るい空を見上げた。
(分からない。今の私にはまだ・・・)
遥佳には遥佳の悩みがあるとは知っているが、あの能力が羨ましいと、優理は思わずにいられなかった。




