35 真琴はマジュネルの港町を歩いた
マジュネル大陸の港町はとても広く、倉庫や店舗、住宅や公園がごちゃまぜ状態だった。様々な大きさの船が行き来する為、沢山の船を見ることもできる。
ギバティ王国のドレシアと違う点は、屋根や木の上で一休みしている人がいたり、とても大きな翼のある人が飛びながら作業していたり、修理用に運ばれてきている木材もダイナミックに「おらあっ」と、振り回しながら運ぶ人がいるところだろうか。
真琴はカイトの服をぎゅっと握って、あちこちを見ながら歩いていた。
カイトも真琴の肩に手を回して歩いているから安全だ。
(ドレシアも活気はあったけど、・・・なんかレベルが違うって気がする。ついでに普通、馬とか馬車に轢かれたら死んじゃうと思うんだけど)
真琴だって、道路に寝そべっていた人が馬車に轢かれそうになっているのを歩道から見かけたら、
「あっ、危ないっ」
って、声を上げたりしてしまう。が、その轢かれそうになってた人はその声で目を覚ましたらしく、
「おっといけねえ」
とか言って、平らになった。
そう、平らになったのだ。道路と同じぐらいに。
そして普通に馬車はその平らになった人の上を通り過ぎていった。
「あー。ありゃ魔物だな。体をぺちゃんこにできるんだろう。そうしたら馬車もスムーズに通れたってわけだ。お前が声掛けたからだな。偉いぞ、マコト」
「え? その為にあそこにいてあげてたのっ? 段差解消? うわぁ、いい人なんだね」
「寝てただけじゃねえか?」
「・・・・・・そーなんだ」
その魔物はぺろりんとなっていた体をひょいっと起こして普通の姿になると、どこかへ歩いていく。
「じゃあ、どうして車道で寝てたのかな」
「歩道で寝ててスカートの中を覗いてしまったら大変だからだろ? それで女の子が泣いちゃったら可哀想じゃないか」
「・・・スカートの中のパンツを見ちゃうか、それとも馬に踏まれるか。究極の二択なんだね」
「そうだな」
「じゃあ、カイトもマジュネルなら歩道じゃなくて車道で寝るの?」
「普通に部屋に戻って寝るか、公園のベンチで寝る。当たり前だろ。んな非常識に生きてられるか」
「だよね」
自分を助けてくれたのがカイトで良かったと、真琴は思った。
(もし私を助けてくれたのがペロリン魔物だったら、一緒に道路でおやすみしなきゃいけなかったかもしれない。人と人との出会いって奇跡なんだね。だから人は出会いに感謝するんだ)
そんなカイトはずっと真琴に自分の体のどこかを触れさせている。その後の買い物では、店内で真琴を肩車しながら見て歩くようになった。
(小さい子でもないのに肩車なんて恥ずかしいよって言っても、別に店員さんも、
「あらあら。まだ成人してない小さい子なんだから恥ずかしくありませんよ」
だったもんなあ。ここの成人はどこがボーダーなんだろう)
だけどさっきのホワイトタイガーに連れて行かれそうになって、思ったことがある。
(カイトの腕も太いけど、あんな風に強く触ることはなかったな。カイトってば力は強いらしいけど、私にそこまで強い力でどうこうしないし)
こうして真琴の肩に腕が回されていても、特に力強さは感じない。
だから真琴が横を歩く銀髪の青年を見上げると、不思議そうに見下ろしてくる。
「ん? どうした、マコト?」
「んー。あのさぁ、カイト。腕、横にまっすぐして、私をぶら下げられる?」
「そりゃできるが。なんだ、ぶら下がりたいのか?」
「んーと、できるかなあって」
「ほら」
カイトが右肩を水平にしたものだから、真琴は両手でぶら下がってみる。
「猿だな。手が辛くなったら言えよ?」
「猿じゃないもんっ」
真琴が両腕で両足も持ち上げてぶら下がっているというのに、カイトは平然と右腕を横にしたまま公園へと入っていった。
(あれ? カイト、すっごい力持ち? だけど、私のこといつだって両腕で抱きかかえてくのに)
両腕と両足で右腕に絡みついても、びくともしない。
「何やってんだ、お前は。俺の腕だと短くてつまんないだろ? 公園なら大きなのがあるからな。だけどお前は三分の一の高さまでしか登っちゃ駄目だぞ? 危ないんだから」
「・・・普通、ジャングルジムを三階建ての大きさなんかにしちゃいけないと思う」
公園内に広がるアスレチック・フィールドを見て、真琴は呟いた。子供が登ったら危ないではないか。
「そこらへんは種族や能力で使っていい遊具とそうじゃない遊具を教えられる。種族によっては高い位置からぶら下がっていたい子もいるからな」
「そっかあ。遊園地にある年齢や身長制限と同じ感じなんだ」
公園のあちこちには花壇やベンチがあって、砂場で遊んでいる子供もいるし、低い滑り台や高い滑り台で遊んでいる子もいる。
見たことのない楽器を演奏している人もいて、本当に自由気儘だなぁと、真琴は思った。
けれどもカイトはいつまでも右腕を真琴の抱き枕状態で提供する気はなかったらしい。
「ほら、そこに座ってろ。ここならすぐ気づくから連れてかれない」
「ふぎゃっ」
ぽてっと真琴はベンチに落とされた。
「甘いのと軽食とどっちがいい?」
「んーっと、甘いのっ」
公園内では色々な食べ物が屋台で売られている。
カイトの様子を目で追いかけていれば、どうやらジュースを二つとチキンナゲットを山盛り、そしてミニシュークリームを買ったようだ。
全部をトレイに載せてそのまま戻ってくるかと思ったカイトだが、公園でボール遊びをしている子供達に、声をかけている。
『そろそろおやつの時間だろ? 一個ずつ食べな。ちゃんと食って大きくなるんだぞ』
『うわぁい、ありがとう』
『ありがとう』
『これ、大好き』
『好きなら二個ずつ食べればいい。沢山食べるとお腹壊すけど二個ぐらいなら大丈夫だろ』
『わーい』
『お兄さん、虎なの? 私も虎なのよ』
『ああ、よく分かったな。小さいのに凄いぞ』
カイトは笑顔でチキンナゲットを配り、子供達の頭を撫でてから戻ってきた。
「待たせたな。菓子は最後に食べればいい。船じゃ新鮮な生クリームもなかったし、恋しかったろ?」
「あ、うん。ありがとう。カイトって子供好きだったんだね」
「へ? 普通だろ。・・・ああ、そうか。ジンネルじゃ普通じゃないからやらなかったが、マジュネルだと子供達にはそこにいる大人が目を配るんだ。だから飢え死にしたりする子はまずいない」
「へぇ」
言われてみれば、自分もよく食べ物をもらっていた気がする真琴だ。
子供達はみんなで遊びながらも、たまに興奮して尻尾や耳がぴょんっと飛び出て来たり、翼をバタバタさせたりもしている。
「ねえ、カイト」
「なんだ?」
「遊んでいる子供達って種族がとってもバラバラっぽいけど、それで喧嘩とかにならないんだ?」
「ならないさ。船だって色々な種族が乗ってたけど問題なかったろ?」
「うん」
「まあ、子供のうちは体も未発達だし、普通の獣と獣人との区別がつかずに寝ぼけてとんでもないことをやらかしたりもしちまう。種族の違いも分からずに無茶したりな。だから、あまりにも違う子供達を一緒に育てるのはやめといた方がいいが、遊ぶ程度なら全く問題はねえ。ついでに種族が違っても気にせず一緒くたに育てる親もいる」
「へー。なんかとても理想的な感じだね」
ふと気づくと、近くに6才位に見える女の子がやってきていた。手に花を持っている。
「さっきはおやつありがとう、お兄ちゃん。これね、綺麗だからあげる」
「ありがとうな。とても綺麗だから、こっちのお姉ちゃんにあげてもいいかい?」
「うん、いいよ」
小さな女の子が差し出した花はフリージアによく似ていた。
赤色と橙色と黄色が一本ずつで、とても甘い香りがする。
「ありがとう。綺麗だね」
「そうでしょ。このお花ね、とても甘いにおいがして大好きなの」
「本当だ。いいにおい。このお菓子も食べる? 中身は生クリームとカスタードクリームだよ。嫌いじゃなかったら」
「いいの? クリームも大好き。ありがとう」
同じベンチに座ってきた女の子の髪は黒い。
「はい。もしかしてブラックタイガーの子なんだ?」
「そうよ。お姉さんもそうでしょ? あ、だけど連れてかないでね。よその子にはならないから」
「・・・そんなことしないよ」
「良かった。これ、甘くておいしい」
嬉しそうに真琴にもらった菓子を頬張りながらしっかり釘を刺してくるのは、もしかして連れていかれそうになるのに慣れているからなのか。
(そっか。最初にここまで言わないといけないんだ。そして私は黒髪だけどブラックタイガーじゃない。けど子供の心を傷つけちゃいけない。うん、黙っておくのも大事だ)
だけどいきなり誘拐犯扱いされるとは思わなかった。それでいて普通に一緒にいるって何なのだろう。
「ブラックタイガーの子がここにいるのは珍しいな。もっと林の方にいることが多いだろう。お父さん達と来たのか?」
「ううん」
黒髪の女の子はそこで首を横に振った。
「あのね、パパとママ、仲良くしてたら私達のこと忘れちゃったの。仕方ないから自分でご飯とろうと思ったら、通りがかった灰色羊のパパがご飯くれたの。だからみんなで灰色羊の子になったの」
「ああ、そうか。まあ、そういうこともあるな」
「うん。だから私、大きくなるまで灰色羊の子なの。大人になってもね、灰色羊の村にいるといいよって言われてるの」
大人になったらそのまま羊の一族で暮らすか、元の一族の場所に戻るかを考えるつもりらしい。他の弟妹も灰色羊の子になったとか。
「だけどそれ、・・・本当のパパとママ、捜してるんじゃない?」
美談かもしれないが、いつの間にか子供達が姿を消していたら親だってびっくりしそうだ。
そういう時はトラブルにならないのか、真琴もそれが気にかかる。
「大丈夫。一度、においを辿って迎えに来てくれたから。だけどしょんぼりして帰っちゃったの。戻ったら喜んでくれるけど、パパとママ、私達のことよく忘れちゃうから、ご飯くれる灰色羊のパパとママの方がいい」
「子供のご飯は大事だからな。灰色羊のパパ達だって、おうちに戻したらちゃんとご飯食べてるか心配で泣いて暮らしちゃうぞ。パパとママも悪気はないんだろうが、愛し合い過ぎてんだな」
「そうなの。とっても仲良しなのよ。だからね、弟か妹ができてご飯もらえてなかったら、迎えに行ってあげるのよ」
女の子は誇らしげに胸を張った。
「・・・・・・なんてたくましい」
それでいいのだろうかと思ったが、誰にとっても問題はないそうだ。
食べ終わるとまた遊びに行ってしまった女の子は、灰色の髪をした男の子達と一緒にシーソーを始めている。
「そうして私はブラックタイガーとなってしまうのです。だけど色々な髪の子がいるし、どうせならカラフルな方が良かったなぁ」
「そうか? お前の黒髪は綺麗だし、それもあって可愛いって目ぇつけられたんだろ。あの子だって他に黒髪いないし、目立ってるじゃないか」
「ふむ。ねー、カイト。そういう場合、羊の一族の中でいじめられちゃったりしないの? もらわれっ子って感じになったりとか」
「いや、別に? ブラックタイガーはしなやかな体つきの子が多いし、性格も人懐っこいから好かれやすい。大きくなったら羊の男達が群れをなして求婚するだろ」
「・・・虎と羊なんだよね? 結婚できるの?」
「問題ない。産まれる子供は虎か羊になるが、あの分じゃもう灰色羊の中に、気になる男の子でもいるんじゃないか? ほら、あの子達だってブラックタイガーの子にメロメロじゃないか」
「へ、へぇ」
その日、真琴は、種族を越えた愛はあまりにもハードルが低いと知った。
「それに帰りたくなれば帰りたいって言えば、ちゃんと誰かがブラックタイガーの所へ連れていくさ」
「そういうもんなんだ」
「ああ」
真琴はまだジュースを飲んでいるが、とっくに食べ終えているカイトは、近くに寄って来た3才位の黄緑色の髪をした男の子を高い高いしてやりながら、そんなことを話す。
地面に下ろされた男の子は嬉しそうにキャハハと笑いながら、少し離れた場所にいた親の所へ駆けていった。
笑顔で男の子に手を振ってあげるカイトは、別に寂しそうな様子もない。
(私も、そういう子供達と一緒なのかな)
カイトにとっては、真琴もまた、「帰りたい」といえば元の一族の所へと戻す存在なのだろうか。
(ううん、カイトは私だけって言ったしっ)
頼りなげな眼差しになってしまった真琴に気づいたのか、カイトが頭を撫でてきた。
「どうした、疲れたか?」
「ううん」
「無理するな。今日の夕食は宿でとろう。さ、帰ろうな」
カイトは左の肩に真琴を座らせてしまうと、右手で荷物を持つ。
「ちょっとっ! 恥ずかしいよっ」
「別に恥ずかしくないさ。みんなやってる」
「ふぇっ?」
言われて周囲を見渡せば、公園の外側にある道を歩いている大人達も、腕を組んだ上で手も繋いでいたり、抱き合いながらキスしていたりと、なんだかラテン系なノリが広がっていた。
まだ明るく子供達も元気に遊んでいるというのに、大人達はまるで夜の公園の世界である。
(そこ、どう見ても公共の場だよね? 普通に歩道や公園だよね? ちょっとちょっとちょっとっ、あそこの木陰の人達っ。まずいでしょーっ、おまわりさんは取り締まらないのっ? あ、この世界に警察はいないんだった)
さっきまでカイトにしがみついていたものだから、真琴はあまり周囲の様子を把握していなかった。
(マジュネルに恥じらいとゆーものはないんでしょーか、お母さん)
思えば、運命という言葉もかなり乱発している人達だ。感性が違いすぎるのかもしれない。
「えーっと・・・」
真琴はカイトの頭に手を置きながら、何かを問いかけるように見下ろした。
「あのな、マコト。俺はああいう『愛こそ全て。それ以外は無駄なこと』ってのはどうしてもな。だからマジュネルが性に合わなくてジンネルに行ってたんだ」
「あ、うん。そーなんだ」
そんな二人だったが、宿に戻ったら受付のお兄さんが恋人らしきお姉さんと情熱的に抱き合っていた。
チリンチリンと、ドアベルを鳴らしてカイトと真琴は入ってきた。それは間違いない。
そして、
「あのー、すみません」
と、声もかけた。それも間違いはない。
「ねえ、カイト?」
「なんだ?」
「私達、いつまで待てばいいんだろう?」
「とりあえず終わるまでこの雑誌でも読んでような」
カイトは溜め息を一つつくと、ロビーにあるベンチに座り、パラパラと雑誌をめくりだした。
「ねー、カイト。こういう時、お仕事放棄って言わないんだ?」
「全てにおいて愛が優先されるマジュネルでは、愛の次に仕事があるんだ」
「・・・そうなんだ」
鍵を受け取らないと部屋には入れない。しかし、彼らにもこうやって熱烈なキスを交わさなくてはならない深刻な理由があるのだろう。
『やっぱりあなたが一番素敵だって気づいたの。運命の相手はあなただって』
『嬉しいよ。きっと君は戻ってきてくれると信じてたんだ』
受付の仕事を放りだして愛の告白を繰り広げているのが聞こえてくるが、これは自分達が聞いていてもいいものなのだろうか。
「あらあら。ごめんなさいねぇ」
そこへ通りがかった宿の食堂で働くお姉さんがカイト達に気づき、鍵を受付から出して渡してきた。
「彼、彼女が戻ってくるのをひたすら待ってたものだからタガが外れちゃったのよ。これで彼女にフラれたのが21回で、恋人になったのが22回目ってことになるのね」
「そうか。復縁おめでとうって伝えておいてくれ。つまり二人は真実の恋人ってことだ」
「そうよね。愛は素晴らしいわ。あとで伝えておくわね、お客さん」
真琴は、どうして帆船の乗組員が全員人間だったかを理解した。
体力としては獣人の方があるのだろうが、こんな人達に任せていたら船はどこまでも漂流するに違いない。
(だけど無人島に流れ着いても、たくましく生きていきそうだ)
21回浮気しても戻ってこようと思える図太いド根性。
21回浮気されても喜んで受け入れようとする包容力。
自分には逆立ちしても到達できそうにないステージに彼らはいると、真琴は思った。
疲れていないと真琴が主張したら、夕食は宿ですませるつもりだったカイトも、
「なら、色々な食べ物が出てくる場所の方がいいか」
と、バイキング形式で好きな物を好きなだけ食べられる店へと真琴を連れていった。
「基本的に魔物も獣人も好き嫌いはあまりねえんだが、好みってのはある。だからこういう場所で好きな物だけ食べるのを選ぶ奴も多いな」
「へー」
だけどマジュネルの食べ物なんて、真琴にはよく分からない。
「座って待ってろ」
真琴は二人掛けのテーブルに座って、食べ物を皿に取っていくカイトの後ろ姿を見ていた。
(なんでカイト、色々な女の人に声かけられてんの)
日中はモテモテだった真琴なのに、今は全く声をかけられない。今度は反対に、カイトが色々な女性に声を掛けられている。
『ハーイ、一人かしら? フリーでしょ、あなた』
『申し訳ない。連れの子供がいるんだ』
断っているカイトだが、真琴の不満はどうしてそこで自分が「連れの子供」扱いなのかということだ。
(お店とかでは奥さんって言われて否定しなかったくせにっ)
それともカイトもやっぱりああいう胸とお尻がとってもセクシーな女性に声を掛けられるのが嬉しいのだろうか。
『あら。あなた、タイガーなのね。ねえ、私と恋人になってみない?』
『いや。すまないが、今は・・・』
『何か仕事中なの? 体が空くまで待つわよ? これでも一途なの』
『あんたが綺麗で素敵なカモシカなのは見りゃ分かるさ。男なら誰だってふるいつきたくなる。だが、申し訳ないがそれには応えられない。すまないな』
『あら。想ってる女性でもいるの?』
『実は口説き中だ』
『そう、頑張って』
『ありがとうな、べっぴんさん』
何だ、それは。
やっぱりカイトもああいうボォン、キュッ、バァンがいいのか。それにふるいつきたくなるのか。適当なことを言って断りながら、それでも美人だと思って未練があるのか。
(ひどすぎる・・・。私のことが一番大事とか言っといて、やっぱりカイトはキレーなお姉さんが好きなんだ)
真琴がじとぉっとした恨みがましい顔になってしまったのは仕方ないことだった。
「ほら、マコト。なるべく優しい味付けのものを選んできたからな。・・・なっ、なんだっ、どうしたマコトッ?」
やがて戻ってきたカイトが、唇を突き出して盛大な不満顔になっている真琴に気づいて後ずさる。
「どうした? そんなにも腹が空いて待ちきれなかったか? ごめんな、待たせて」
カイトの皿にはででんと三つぐらいの料理を大雑把に盛り付けた程度だが、真琴の皿には可愛らしく色々な料理を少しずつ盛り付けてくれている。
カイトは優しい。それは間違いない。
けれども不満はあるのだ。
「ずーるーいぃー。カイトだけキレーなお姉さんに声かけられててぇ。私なんて誰も声かけてくれなかったのにぃ」
「あ? ああ、そりゃしょうがないだろ。ほら、食べろ」
そんなことかと、カイトが安堵したような顔になり、椅子に座る。
「ぶぅーっ」
「お前なぁ。そりゃ夕食の時間なんて、恋人を探す人が多いのは当たり前だろ。だからちゃんと相手がいるかどうかを誰もが丹念にチェックするんじゃないか。お前は蛇のペンダントをつけてて虎のにおいがしてるんだから、誰も声をかけてこないのは当然だ」
「へ? そうなの?」
「当たり前だろ。迷子札つけてる子供に誰が声かけるんだ」
「・・・・・・迷子札」
日中は服の襞に隠れがちだったペンダントだが、こうして座っていたら誰だって見えるんだから間違いようがないと、カイトが指摘する。
「これは迷子札でもあったと」
「それ以外の何物でもないだろが。でなけりゃ送り届け先を明確にしとく必要もねえ」
なるほどと思った真琴だ。
「じゃあ、カイトは?」
「俺は・・・。恋人や伴侶はいないと看做されたから声をかけられただけだ」
「むー」
こういった質問がかなり嫌だったのか、カイトは食事を促そうとする。
「大したことじゃない。ほら、ちゃんと食べないと大きくなれないぞ」
「えー。ちょっと、それって狡くない? カイト、自分だけフリー宣言してない?」
「フリー宣言って、・・・俺にはお前がいるだろ? 今はお前が世界で一番可愛いし、お前のことしか考えてないよ」
「じゃあ、何で私がいるって言わないわけっ?」
「お前は俺に殴られて来いとでも言うのか」
「ほぇ?」
ちゃんと食べろとカイトが皿を指し示したので、真琴ももぐもぐと食べ始める。
なかなか美味しい。
「俺が虎の一族なのはにおいで分かるが、他にはどんなにおいもつけられていない。だからフリーだと看做される。あのな、マコト。恋人や既婚者なら、首筋に舐められたにおいがついてるに決まってるだろ」
「・・・へ?」
「お前は俺が舐めといたから、そのペンダントをつけてなければ普通に虎一族の子と看做される筈だった。だけどペンダントをつけてるから、蛇一族の子で虎のお手付きって思われたんだ。一方、俺には何もないからフリーってことになる。だから俺は声をかけてきてくれた相手には礼儀正しくお断りする。分かったか?」
「・・・あ、はい」
しみじみと、自分には分からない世界だと真琴は思った。
(あれ? 舐めておいたって?)
・・・舐めておいた?
真琴の手が止まる。
「マコト? どうした、食欲がないのか?」
「・・・・・・あ、うん、ううん」
「それはどっちなんだ?」
途方に暮れたような顔になったカイトに、真琴も慌てて食べだした。
(舐めたって、・・・いつぅーっ!?)
ぼぼぼぼぼっと、真琴の顔が赤くなる。
(いっ、いやっ、そういえば子供も全身舐めるって言ってたしっ)
だからカイト達にとってそれは当たり前のことなのかもしれない。
いや、ちょっと待て自分。
ここで有耶無耶にしてはまずいだろうっ。
そのまま受け入れようとした自分を、慌てて真琴は引き留めた。
「そっ、それってっ、マジュネルはどんな子供も舐められちゃうわけっ? しない選択肢はないわけっ?」
「魔物ならしないだろうが、・・・あのな、マコト。獣人や魔物の子供はどこかに連れてかれても戻ってきたり、連れていかれた先の子になって育てられるからいい。だけどお前は何の気配もない存在で、どんな獣人にとっても自分の子にしやすい子なんだ。俺が舐めておかないで誰かとお前を取り合った時、そいつが先に舐めちゃったらどうなる? お前はそっちの子になっちゃうだろうが」
「・・・はぁ」
「しかも誰かに連れていかれて体を洗われてしまったらもう何の気配もしなくなっちまう。だからそいつはマコトの自分の子にできる。リリアの姉さんはそれを心配してくれたんだ」
「そうなんだ」
「だから誰にもついていくなよ?」
「はい」
そういえば、動物でも人間のにおいがついた子供を親が舐めまくってにおいを落とすことがあったが、まさにそんな感じなのだろうか。
(お母さん。ギバティ王国で野生の王国だと思われていたマジュネル大陸の実体は、愛の王国なんだと私は知りました。だけどやっぱり野生の王国のような気がします。子供は親が舐めてマーキングするみたいです)
子供を大事にして、愛を最優先するマジュネル大陸。
たしかにギバティ王国と違って安全だとは思う。
思うのだが、何故なんだろう、自分の価値観の安全性が崩落寸前だと、真琴は眩暈を覚えずにはいられなかった。
愛が、激しすぎる・・・・・・。
イスマルクがくれた箱の中身を知って、カイトは何とも言えない顔になった。
二人とも夕食を終え、体を洗ってさっぱりしてからパジャマに着替えた。
寝る前に明日の用意をしようとしたカイトは、ついでに荷物の整理もしてしまおうと思いたったらしく、床に全ての荷物を広げている。
「下着? なんというか、えーっとこれは・・・。マコト、お前、本当にお嬢様だったんだな」
「違うから。イスマルク、ちょっとおかしいんだよ。というか、会った時、思い出してよ。そもそも私、男の子の格好してたし、こんなの着てなかったから」
「あ。ああ、そうか。うーん。お兄さん、お前を大人しい女の子として育てたくて失敗してたのか? けど元気に遊べるならそれがいいよなぁ」
船から下りる時には箱のまま持ってきたが、移動するなら鞄の中に仕舞って持ち歩きやすいようにしようとカイトは思ったらしい。
「あのな、マコト」
「うん、なぁに?」
「シルバータイガーが多くいる集落は北にある。・・・まっすぐ行くより、遠回りになるが中央にある草原や森、そこに点在する町や村を通って行ってみないか? そりゃ一ヶ月以上を旅の空の下ってのは辛いかもしれんが、どうせならお前に色々な景色を見せてやりたい」
「うわぁ、楽しそう」
野営用の荷物を買い足していたカイトは、そういうことを考えていてくれたのだろうか。
ベッドに腰掛けて床に広げた荷物を見ているカイトに、真琴は近寄っていってちょこんとその横に座った。
カイトが、その背中に片腕をまわすようにして真琴の頭に頬を乗せてくる。
「重いよぉ」
「俺は、・・・どうするべきなんだろうな」
「カイト?」
本当は重くなどなかったが、真琴が甘えるように言えばどこか暗い言葉が落ちてくる。
顔を上に向ければ、薄い水色の瞳が少し辛そうに見えた。
「お前の幸せは何なんだろうな、マコト」
「別に、・・・今、とっても楽しいよ? マジュネル、びっくりすることばっかだもん」
「ああ。だけどお前はもうすぐ大人になる」
「独り立ちできる能力が、もう私についてるの? 船下りる時のお名前チェックだけでお仕事できたからって一人前っ!?」
なんて成人へのボーダーが容易いのだろう、マジュネル大陸。
「いや、それだけはない」
真琴が驚いたようにまじまじとカイトを見返すと、それについては却下された。
「何それぇ」
真琴はげんなりしてしまった。ぬか喜びさせておいてひどすぎる。
「だが、・・・お前は女の子なんだよな、マコト」
「あ、うん。そーだね」
一体カイトは何が言いたいのだろう?
何度も口を開きかけては閉じ、かなり躊躇っていた様子のカイトだが、それを口にする。
「あのな、マコト。女の子なら嫁に行くって手段もないわけじゃない。お前は可愛い。今、俺しかいないからお前は俺といるが、本当はお前が好きになれる男とのチャンスを俺が奪っているのかもしれない」
「・・・・・・気が早くない? まだ私、16だけど」
恋愛は分かるが、16や17才程度で嫁に行くことを考える人は、統計的に少ないのではないだろうか。
「マジュネルの成人は12だ」
あまりの衝撃に真琴が思考を停止させてしまえば、カイトが真琴を抱きしめてそのままベッドへと倒してくる。
仰向けの状態でカイトの体を受け止めながら、真琴は考えた。
(なんかカイト、かなり弱ってる? 私のこと、本気で悩んでる?)
もしかして昼間、真琴がホワイトタイガーに声をかけられたのがやはりショックだったのだろうか。
そういえば、既婚者だと知ったらどの獣人も引き下がると、カイトは言っていた。もしかしたら真琴の恋愛のチャンスをそれで皆無にしてしまっていると、悩んでいるのだろうか。
(だけど私、そんなチャンス欲しいなんて思ってないのに)
このマジュネル大陸にいる魔物や獣人と恋愛したなら、きっと誰もが真琴を大事にしてくれるのだろう。
だけどそんな見知らぬ存在よりも、恋愛感情を持たなくても真琴が一番大切だと言ってくれて、迷いなく全てを捨ててこの旅を選んでくれた人は、今ここにいるのに。
「カイトは、・・・やっぱり好きな人がいるの? 私が邪魔?」
「それだけはない」
力強く否定の言葉が返る。シーツの海に沈んでいた銀の髪が持ち上がり、真琴のすぐ上に水色の瞳が見えた。
「それだけは決してない。誰よりも何よりもお前が大事だ」
「・・・それでいいのに」
真琴はカイトの背中に手を伸ばした。自分の腕では背中を包めない。
だけど泣きたい程に心が震えるのは何故だろう。
「カイトが私のこと好きなら、それでいいもん」
「・・・愛してるよ。お前が子供だろうが、大人になろうが」
群れに入れた子だからという義務感からじゃなく、泣いて愚図る自分を慰める為じゃなく、同じ言葉でありながら何かが違うカイトの心が自分に伝わってくる。
「他の人なんて知らない。カイトだけいればいい」
目頭が熱くて瞼を閉じずにはいられないから、真琴は自分の顔をカイトの肩に押しつけた。
宙に浮いた真琴の上半身を、その背中に手をまわすことで支えながらカイトが囁いた。
「マコト。そのまま俺の首にキスしてくれるか? そうしたら俺は誰にも声を掛けられないですむだろう?」
それでもどうしていいか分からず、頼りなく瞳を彷徨わせた真琴の額に自分の額を軽く押しあてると、カイトが軽く真琴の唇にキスする。
「マジュネルじゃ子供に手を出すのはご法度なんだが」
「子供じゃないもん」
「大人扱いしてほしいのか?」
「それは嫌」
「何だそりゃ」
真琴もさすがに我が儘すぎる自覚はあったが、カイトは苦笑してそれを受け入れた。
そうだ、カイトは優しい。
真琴がどんな隠し事をしようと、何をごねようと、それでも見捨てずに誰よりも大事にしてくれる。
「しょうがないな。ほら、ちゃんと今日も舐めとくか」
「ふぇっ?」
気分を切り替えたのか、カイトが起き上がる。
「ちょっ、ちょっとぉっ」
「ああ、恥ずかしいなら虎の姿になってやるから」
自分もあっちを向いて寝間着を脱ぐと、カイトがシルバータイガーの姿に変わる。
そうして寝台の上にいる真琴を押し倒して跨ぐようにすると、その首を舐めてきた。
「ちょっ、くっ、くすぐったいってばっ」
その銀毛が自分の肌にも当たり、恥ずかしいんだかくすぐったいんだか分からない。
たしかに虎の姿なら、大きな犬っぽいものだと思えば恥ずかしくない・・・。
(わけないってぇーっ)
しかもこれは犬じゃない。虎だ。
それ以前にカイト自身だ。
太い前脚で真琴の手を押さえつけながら、ぺろり、ぺろりと舐めてくる。
「やっ、ちょっとっ」
ころんとひっくり返されて、背中や足首まで舐められてしまった日には、
(ここまでやるっ!?)
と、真琴も思わずにはいられない。
(ああ。今になって船で言われた意味が分かる、・・・って遅いわっ)
終わる頃には、真琴の精神燃料タンクは0になっていた。
グルルルと、小さく何かを促す唸り声でそれを知った真琴だ。
「ばかばかばか、カイトのばかぁっ」
やっと解放されてシルバータイガーをぽかぽか叩けば、困ったように首を傾げて真琴の頬を舐めてくる。恥ずかしさに滲んだ目尻の涙も舐め取られたが、そういうものでごまかされる筈もない。
「カイトのばかぁ、ぼけぇ、へんたいぃ」
それでもカイトの首筋に抱きつくようにして銀毛を握って文句を言い続ければ、手の中にあった毛皮がいきなり消えて、人間の姿が現れる。
「そこまでバカバカ言わなくてもいいだろう」
お互いに服を着ていないというのは一気にハードルが高すぎる。
どうしていいか分からずに赤くなった真琴だったが、カイトは真琴を押し倒してその首筋に口づけてきた。
「ごめんな。だけど誰にもお前を渡したくなかったんだ」
「・・・・・・・・・ばかぁ」
「さ、寝よう。俺は虎の姿で寝るか・・・いってぇーっ」
油断していたカイトが首筋を押さえる。
ふんっと真琴はそっぽを向いた。
きっとカイトの首筋には、明日はあの歯形がくっきりなのだ。
ならば誰にも口説かれないだろう。
「お前なぁ、マコト。いくら何でもこれはないだろう。せめて舐めてくれ。噛むのは無しだ」
「知らないっ」
情けなさそうな声になりながらも、それでもカイトは真琴にパジャマを着せてくる。
「なんで虎の姿で寝るの?」
「お前の寝相が悪いからだ」
「むぅ」
真琴の頭を撫でてから、カイトは灯りを消した。
「おやすみ、マコト」
「・・・傍にいて」
「ああ」
だからその晩はシルバータイガーに抱きつきながら真琴は眠ることにした。
自分と同じ石鹸の香りがする銀の毛皮に指を滑らせれば、小さく頬を舐めてくる舌がある。
(だけど成人しないと大人との恋愛はご法度なのかぁ。昼日中の公園であんだけ子供達の前ですごいことしておきながら、いきなり真面目なマジュネルって何なのだ・・・)
他の人との恋愛のチャンスと言われても、パッと見て気に入ったから程度の恋愛にどうして興味を持てるだろう。
男の子でも女の子でも一番大事で、何もかも捨ててこうして海を渡ってまで守ってくれる人が、目の前にいて、何故そう思われてしまうのか。
(カイトの馬鹿っ。ヴィゴラスを見習えっ。みんなに溺愛言われてても鈍いくせにっ)
だけどこの銀色の毛皮が一番好きなのだ。
灯りを消した宿の部屋で、自分に抱きついて眠る真琴をシルバータイガーは静かに眺めていた。
船での最後の晩、真琴は普段の姿と、そして膝近くまである赤みを帯びた金髪の大人びた姿とに、変化を繰り返していた。
(子供ならまだ大丈夫だが、大人となれば話は別だ)
そう思ったカイトは、自分のにおいを真琴に塗りつけた。日中いきなり大人になっても連れて行かれないように。
マジュネル大陸では、子供は誰もが保護するものの、大人となれば完全に自由恋愛だ。
だが、あれは一体どうしてだったのか。毛虫が蝶になるように、オタマジャクシが蛙になるように、真琴は大人になることで姿が変わる生き物なのか。
日中も続くのではないかと思い、港町ミナトに着いた途端、多少サイズが変わっても問題ない服を真琴に買いまくったが、今の時点では全く変化していない。
いきなり体型や背の高さが変わろうが今のままだろうが問題ないようなデザインの服を買ったものの、わざと遠回りのルートで戻ろうと思ったのはそこを案じたからだった。
(もしもマコトが成体としてあの姿になるのなら、それに変化してから戻った方がいい)
そうして普通の人間だか混血だかのありふれた存在として暮らせばいい。
けれども子供の姿と大人の姿が全く違うというのであれば、さすがに噂にもなるだろう。
わざわざそんな理由だと告げる必要もない。
(好奇心が強くて助かった。どうせなら色々な魔物や獣人の里を通ってやろう)
旅が長引くと知っても楽しそうにしていた真琴だ。
それに船でも色々な魔物や獣人に目を輝かせていたのだし、きっと様々な魔物や獣人の集落を見て感動できるに違いない。
(今の内に荷造りしておくか。明日にはここを出よう。今日で必要な物は全て買いこんだ。マコト、俺が恐れるのはお前の心だけだ。健やかに育ててやりたい。人と違うことを悲しく思わせたくないんだ)
この宿で船員達と会わないのは、賑やかに繰り出しているからだろう。
けれども人間と会って、真琴の里心がつくのが怖い。
シルバータイガーは人の姿へと変わった。
(ざまぁねえな。だが、俺はお前を手放せない)
真琴にとって、自分はただ助けてくれて成り行きのまま一緒にいるだけの存在なのだとしても。
こうやって傍にいてほしいとねだるのも、ただ寂しいからなのだとしても。
好きと言ってくれるのは、単純な意味だとしても。
(しっかし思いっきり噛みついてくれたもんだな)
自分にはこんなものもすぐ消える。それでも嬉しかった。
そっと首に手を当てたが、もう赤みすら残っていないだろう。
カイトは寝台を抜け出ると、灯りもつけずに手際よく荷物をまとめていく。
(野宿はなるべくしない方がいいだろうが、場所によってはそうもいかないしな。だが、風の妖精がついてきているのは助かる)
真琴は風の妖精達を道案内と思っているのか、
「今日はお買い物だから、明日までこの辺りを観光してきてね。そしたら私も迷子にならないよね」
と、宿に着くや否や散らばせてしまった。
今も宿の外でくるくると遊んでいるだろうが、どうせ真琴が出発すれば勝手についてくるだろう。洗濯物の乾きがいいので重宝する存在だ。
後は、真琴が今着ている寝間着を仕舞えば出発できるぐらいにまで荷物をまとめてしまい、カイトは寝台で寝ている真琴を見下ろした。
(あ。また変わってやがる。本当に眠ってりゃ綺麗なのにな)
赤みのある長い金髪。閉じられた瞼の下にある瞳の色を自分はもう知っている。
カイトはそっと真琴の手をとり、桜貝の色をした爪先に目を閉じて口づけた。
どちらの姿も愛しいことには変わりない。けれどもこの姿の時の真琴は、もう大人なのだと感じさせる。だから愛を乞いたくなる。
黒髪の真琴は自分の群れの子だから、ちゃんと自分のにおいをつけて迷子にならないようにしておくけれど。
(大人になった男と女は対等だ。だからお前が許さん限り、俺は手出しできねえ)
やがて真琴の姿が肩までの黒髪に戻っていく。
その頭を優しく撫でてから、カイトは虎の姿に戻ってシーツの間に潜りこんだ。
だが、自分が荷造りしている間に、互いの場所が入れ替わるぐらいまで寝返りを打っているというのはどうかと思わなくもない。
一緒に寝るときは真琴を壁際に寝かせていたし、船では転がっても問題ないよう下段に寝かせておいたが、放っておくと真琴はかなり寝相が悪かった。
「ん・・・むぅ」
真琴の手がカイトの毛皮を見つけて掴んでくる。
(なんでこいつ、俺の体の上に足乗っけて寝るんだろう)
そういう所も可愛いから仕方ないのだが、これだから目が離せない。
(いつか完全な大人になったお前が、俺を選んでくれるといいんだがな)
それでも今は自分の群れの子だから。
カイトは、ちろりと真琴の頬を舐めた。ついでに首筋も舐めておく。
いつか本当に自分の群れの子を一緒に作ってくれるといいのだが。
(そうしてやがて生まれた俺の子に、どうしてジンネル大陸に行って暮らしていたのか尋ねられた時には、お前の母親と出会う為だったと、そう言いたいよ)
真琴は、まだ大人ではない。子供でもない。
(ああ、本当に・・・)
この気持ちのままに手に入れられたなら、どんなにほっとすることだろう。
けれどもそれはしてはならないことだ。
たとえどんなに苦しくても。
(マジュネルじゃ12才で大人。だけどこいつはせいぜい11才。だけど本人は16才という。・・・はああ)
子供として可愛いのか、妹のように可愛いのか、それとも・・・。
(仕方がない。まだ大人扱いされたくないそうだしな)
カイトは目を閉じた。
(何故、こんなにもこいつは俺を振り回すんだ)
肝心の真琴はどんな夢を見ているのか、ムゥーと何だか唸っていた。
真琴が窓を開けて声を掛けたら、風の妖精はちゃんと外で待機していたようだ。
港町ミナトを出たカイトと真琴は、西へと向かっていた。
「大きい馬だねぇ」
「そうだな。勿論、自分で駆けていってもいいんだが、こういう馬に乗って移動する奴も多い」
マジュネル大陸に生息する馬は、ジンネル大陸の馬よりも脚が太く、大きくてがっしりしている。スマートなイメージは全くなくて、どっしりと言うべきかもしれない。乗っていても全く危なげがない。
「なんかさぁ、これなら脚を折るとかいうこともなさそう」
「脚を折るってのは物騒だな。かなり脚の力は強いぞ」
「あのね、前に住んでたところに貸し馬屋さんがあったんだ。そこの馬がね、子供が無茶な乗り方しようとして脚を折っちゃったことがあったらしいんだよ」
「ああ。ジンネルの馬は繊細だからな」
カイトと真琴は二頭の馬を借りたが、一頭に荷物を括りつけ、もう一頭に二人乗りしてのんびりと会話していた。
急がない旅路だからこそ、ゆっくりと周囲の景色も楽しめる。
(ずっとこうやっていられればいいのに。けどカイト、ちょろすぎて私は心配だよ。きっとカイト、女の人にあっけなく騙されて身ぐるみ剥がされる人だよ)
本当は別々に乗るつもりだったらしいカイトだが、真琴が、
「馬なんて一人で乗れない」
と、可愛らしく言ってみたら疑うこともなく、
「そうか。言われてみりゃ教えたことなかったな。その内、教えてやる」
と、二人乗りに切り替えた。
「俺達みたいな虎なら自力で駆けていくと思われがちだが、虎もまたマイペースだからな。途中で走るのに飽きたらそのまま道端で昼寝したりしちまうから、それぐらいなら馬上で居眠りしている方が早く着いたりするんだ」
「へー。だから道の脇にある野原で寝ている人がちょくちょくいるんだね」
日本ならウサギとカメだが、マジュネル大陸ならトラとウマになるらしい。
道端や野原で寝ていると言っても、行き倒れというよりダイナミックな大の字睡眠だ。イビキだって聞こえてきたりする。
「ありゃ単なる日向ぼっこかもな。別に理由があって遠出してるとも限らねえ。たまぁに運命の出会いを探して、気づいたら大陸を半分通過してたってケースもある。まあ、立派な理由なんだろうが」
「へぇ。ねえ、カイト。運命の出会いってどれぐらい重いの?」
それは真琴がかなり気になっていたことだ。
真琴の価値観だと、そういうのは一生に一度とか、多くて二、三回あるかどうかだ。
マジュネルとジンネルを知っているカイトは、真琴の価値観を大体分かっているから、答えもかなり分かりやすい。
「またいきなり変な質問だな」
「なんかホワイトタイガーの人が言ってた。だけど一生に一度しかない運命の出会いだったなら、あの人、もう恋人探せないよね?」
「へ? 別に断られたらそれで終わりなんだから、三秒後にはもう恋人探しするのが普通だろ」
「うん。だから運命の出会いってどれくらい重いの?」
カイトは少し考えこんだ。
「そうだな。目にした人の数だけあるのが運命の出会いだ」
「・・・・・・軽い、軽すぎる」
あまりの口当たりの軽さに顎が落っこちそうになっている真琴に気づき、カイトがぽりぽりと鼻の頭を掻く。
何か言わないといけない気になったらしい。
「つまり、どんな出会いにも意味があるってことさ」
「とってもイイ事言ってるっぽいけど、かなり軽いよねっ?」
「あ、ほら、見てみろマコト。あの蝶は光沢がとても綺麗なんだ。鮮やかなグリーンだろう?」
カイトは薄い水色の瞳を、飛んでいた蝶に向けることでごまかそうとした。
ごまかされる気はなかったが、つい見てしまったマコトも、自分が知っている揚羽蝶よりも倍近くある大きさに驚いて目を奪われる。
「うわぁ、綺麗。大きーい、・・・・・・って、蝶々さん、押し流さなくていいからぁっ」
真琴が蝶に見惚れたものだから、風の妖精が小さな風を起こして真琴と一緒の速度で蝶を同じ方向へと押し寄せようとする。
慌てて止めた真琴は、小さな風に押し流されつつもどうにか体勢を整え直して飛んでいく蝶の翅が傷ついてないことを確認し、ほうっと息をついた。
ごめんなさいごめんなさいと言わんばかりに、風の妖精達がキラキラと小さな姿を現わしては真琴に申し訳なさそうな顔を向けてくる。
「気持ちは嬉しかった。ありがとね」
「シルフも悪気はないんだろうが、愛されてるな」
真琴が手を伸ばして怒ってるわけじゃないよと伝えれば、カイトも真琴の頭を撫でた。
カイトの腹部は真琴の背中を包んでいる。初めて出会って一緒に馬に乗った時には向かい合わせに座っていたから、こうして同じように前を向いて乗るのは初めてかもと、真琴は思った。
「カイトも・・・」
「ん? どうした?」
後頭部をカイトの胸に押しつけながら真琴は小さく呟いた。あと少し顎を反らせば、カイトの顔を見上げられる。
だけど見る勇気がない。
「カイトにとっても私との出会いって運命だったの?」
そうだと言ってほしいのか、違うと言ってほしいのか。
自分でもそれが分からない。
そう、分からなくなる。自分達の根本的な感覚が、実は違っているのではないかと不安になってしまうから。
「そんなこと考えたこともなかったな」
本気で考えこんでいるらしいカイトの声が、ゆっくり落ちてくる。
「初めて見た時は慌てて連れて帰ったし、その後も怒涛の連続だったしなぁ。俺も初めての子だったし、かなりパニックだった」
「そうなんだ? カイト、けっこう落ち着いてたよ。テキパキしてたもん」
真琴がぷっと笑うと、少し拗ねたような声がする。
「んなわけないだろが。自分ならともかく子供なんだぞ。神経に傷がついてたらどうしようとか、このまま弱っちまったらどうしようとか、本気で焦った。慌ててたから、連れて帰ってくる時も周囲の足跡も、つまりお前を追いかけてる奴がいるのかどうかの確認もしなかったし、俺も大概だった」
真琴の腹部に回されている片腕は、真琴が居眠りしても落とさない為だ。
カイトは本当に面倒見がいい。
「だからお前にはもう俺の全部を持っていかれてて、他のことを考える暇がなかった」
ぼやくように言われているが、もしかしてこれは恨み言というものなのだろうか。
(なんだか、まるですっごい告白みたいなセリフだ。もしかして男の子っぽいとか言われてた私は、実はカイトを手玉に取る悪女になってしまったのだろーか)
真琴が、うにゅっ? と、首を傾げると、お腹に回されていた手が真琴の頬へと移動して体の向きをねじらせるようにして斜め後ろへと振り向かされる。
「運命だとか、そういうことを考えたことはねえな。お前は俺の心の全てだ。愛してるよ。お前が子供だろうが大人だろうが、そんなこと関係ないぐらいに」
普通、ここは怯えるところなのだろうか。
真琴は大きく目を見開いたまま、カイトの水色の瞳を見つめた。
まるでお空のゼリーにも思えるカイトの瞳を見るのは好きだ。こういう水色の瞳なら世界は水色に見えるんだろうかと、そんなことさえ思ってしまう。
まるで大切な作業のようにカイトは真琴を扱うのだと、今はもう分かってしまった。
「お前の首は細いな」
そっと首筋を舐められれば、こういうのは獣人にとってどれ程の意味をもつのだろうと思う。
やはり子供を連れていかないでマーキングなのか。それとも恋人がいますマーキングなのか。
「くすぐったかったか?」
「ん」
くすぐったいわけではなかったが、なんとなく自分だけがカイトのいいようにされているかのようで、真琴はちょっと背筋を伸ばして、カイトの首筋に唇を押し当てた。
「どーして消えてるかなぁっ」
「あんな歯型、すぐに消えるに決まってるだろ」
ちろっと舐めれば、カイトの咽喉が僅かに震える。
「お前の舐め方は可愛いな、マコト」
「どーせ虎じゃないもんっ」
街と町、そして村を繋ぐ道はきちんとあるが、地元の人は近道である野原を行くことが多いらしい。この辺りに住んでいるわけじゃないから普通の道を行く二人だが、周囲に人の気配はとても少ない道中だ。
面白そうにクックと笑われたものだから、きっと真琴の舐め方はヘタクソなのだろう。
「馬鹿にしてるっ」
「してないさ。けど、獣人じゃなかったらこういう舐め方すんだなって・・・。ぷっ、くくっ、本当にお前は可愛い。世界で一番可愛い舐め方コンテストがあったら優勝だ」
「ぶーっ。それって、それってヘタクソって言ってるよねっ? 思うんだけどっ、・・・舐めるのに上手も下手もないと思うんだからねっ」
「はいはい、そうだな」
ぷぅっと膨らませた真琴の頬を、カイトがちょんちょんとつつく。
「怒るな。お前がするなら、俺には何でも可愛いんだ」
「ぶぅっ」
そんなブサイクになっている真琴の唇に、カイトは柔らかな羽毛が触れるようなキスを落としてきた。
「カイト?」
これはどういうキスなのだろう。
真琴にはそこが分からない。
ここは日本じゃないから。
(そもそも獣人の子供って数十人で寝たりするから、皆で体を舐め合うのも普通って言ってたしなぁ。こういうキスもどれ程の意味があるんだろう)
真琴に分かるのは、カイトも自分のことを好きだということだけだ。
問題はどういう意味とレベルでの好きか、だ。
(だけど私も、どんな意味とレベルでカイトが好きなんだろう。ずっと一緒にいたいし、カイトには恋人なんて作ってほしくない。だけど、・・・獣人の愛って、獣人の愛って、ほんっきで移り変わりがすっごいよねっ?)
ぽーっと焦げ茶色の目を丸くしているだけの真琴に、カイトも戸惑ったらしい。
「どうした、マコト?」
「カイトの目って、水色のゼリーみたい」
「・・・分かった。次の街で売ってたら買ってやる。けど昨日は赤色のゼリー、気に入ってただろ」
「食べたいわけじゃないもん。買ってくれるなら違うのがいい。てかさ、昨日のは赤いゼリーじゃないよ。ゼリーに見せかけた赤い海藻のほにゃらららだったよ」
「ほにゃらららって何だよ」
「だって名前分かんないし」
「ならほにゃららら、そんなに気に入ってたなら買ってくればよかったな」
「ううん、それは嫌。だって海藻だよ? あれ、多分、買ってきてこういう旅の空で使おうとしたらぽわぽわぽわって鍋の中で大増殖だよ」
「それもそうか。・・・キスは恥ずかしかったか?」
ひとしきり真琴の言い分に付き合ってから、カイトが尋ねてきた。
不意打ちに、真琴の顔が真っ赤になる。
「ごめんな、マコト。困らせたかったわけじゃない」
カイトが羽織っているマントを片手で少し引っ張るようにして、真琴の体ごと顔まで覆った。
そのマントを真琴が掴めば、カイトの中に包まれてしまう。
(私は困ってしまったのだろうか。うーん。なんか違うような気がする。顔を隠させてくれたのは助かったけど。・・・あれ? これ、もしかして私、カイトに好かれてるのに、お断りしたことになってるっ? あれっ、ちょっと待って?)
そうなるとここは運命の愛が十秒ごとに舞い降りてくるマジュネル大陸。
カイトは次の運命の恋を探して女性とお知り合いになってしまうのだろうか。
「あのっ、あのねっ」
「ん? あのな、マコト。別にマジュネルじゃ子供は完全に保護されるもんだ。気にするな。俺が大人げなかった」
慌てた真琴だが、カイトはとっくに意識を切り替えていたらしい。
「じゃなくてっ、・・・あのねっ、だからねっ」
「落ち着け、マコト」
「だからっ、・・・唇のキスは、大人になって恋人ができてお付き合いして、誕生日が来たらするんだよっ。それまでしちゃいけないんだよっ」
「・・・・・・・・・そうか」
「そうだよっ」
上半身だけ後ろにひねってカイトに抱きつけば、真琴の背中をぽんぽんと撫でられる。
「カイトは急ぎすぎなんだよっ。私っ、そんなのしたことないのにっ」
「・・・悪かった」
「そうだもんっ。カイトが悪いんだもんっ」
自分でも何を言っているのか、真琴には分からなくなった。
それでも心配なことがある。
――― カイト、私が子供だから、・・・他の女性のとこ、行っちゃう?
小さな声でも聞こえたのだろうか。
「行かないよ。俺はお前だけを愛してるから」
低くゆっくりとした答えが真琴を包んだ。
「私が迷子になっても、三秒後の運命の恋にフラフラしない?」
「しないよ。お前が迷子になったら見つかるまで捜すに決まってる。ほら、ちゃんと前向かないと腰が痛くなるぞ」
「私が誰かに連れてかれても、ちゃんと迎えに来てくれる?」
「ああ」
ぎゅっと抱きしめてから真琴の手を外させて、前を向かされる。
「だけどお前が他の奴のにおいに染められてしまったら分からなくなるんだ。だから、・・・どこにも、行くなよ。お前はいつだって他の奴に懐きすぎる」
真琴を背中から抱きしめて切ない感じで言うのだから、まるで真琴が薄情な人間であるかのようだ。
カイトは狡いと思う。
真琴にはカイトしかいないのに、真琴の気持ちを疑うのだ。
「こんだけ人に自分のにおいつけといて何言ってんのっ」
昨夜、真琴のあちこちを舐めたのは、まさにこの獣人だ。
「あれだけ首舐められたら、その内、私、首がツルツルになっちゃうよっ。念入れすぎだよっ。カイト、変態だよっ」
真琴はそこを弾劾したい。
「誰かに連れてかれるぐらいなら変態で結構。そういつまでも怒るな。機嫌を直したら、次の町で一番美味しい菓子も買ってやるから」
「そんなので騙されないもんっ」
機嫌を直しても直さなくても、カイトは買ってくれると分かっている。
再び後ろを向いてカイトの腰にぎゅうっと強く抱きつき、真琴は顔だけあげて上目遣いで睨んでみた。
「マコト? どうした? 甘えたさんか?」
「恥ずかしいことしちゃ駄目なんだからねっ」
そこで非難しつつも甘えるのを忘れてはいけない。
「え・・・」
虚を突かれたらしいカイトが、呆けたようになったかと思うと、口に当てて照れたように視線をきょろきょろと逸らす。
口元だけじゃなく、頬や耳まで真っ赤だ。
(うん、やっぱりカイトも「攻め」あるのみだっ)
自慢ではないが、これでも父親攻略法はそれなりにこなしてきた真琴である。
怒られそうになった時とかは先にごめんなさいしてしまった方がいいように、父親がキス魔になったりして愛がウザすぎる時は可愛らしさを前面に押し出して甘えた方が動きも止まるのだ。
「あんなの、大人にならないとしちゃいけないんだからっ」
「ご、ごめん。悪かった。えーっと、次からは抑える。な? ・・・マコト?」
途端に機嫌をとってくるカイトは、やはり父と同じで自分に甘い。
おろおろと、どうしたものかと困った顔になっている。
「早く次の町に着いて遊びたい。兎さんの集落、見てみたい。兎さんにも触ってみたい」
だから真琴は早口でずらっと要望を並べ立てる。
「わ、分かった。じゃあ急ごうな。次の町はピンク兎が多く住んでいるから、近くの公園とかも兎のままでいる獣人の子が多いし、とても可愛いって評判なんだ」
こうやって自分のリクエストを述べれば、すぐに対処してくれるのも一緒だ。
(もしかして、私、結構カイトに愛されてる・・・?)
父は母の次に自分達を溺愛していたけれど、カイトも実はかなり自分を愛しているのだろうか。
「ほら。抱きつくならもう後ろ向きに乗っとけ」
真琴を抱え直して、少し馬を早足にさせたカイトは、それでも真琴に振動が響きにくいようにとしてくれている。
(カイトは誰にでも優しいから分からない。だけど・・・)
遥佳という姉妹がいればこそ、自分も知っている。
人は嘘をつける生き物だということを。
誰よりも愛していると言った次の日に、心変わりもできることを。
(お父さんだって、みんなに優しかった)
両親という家族がいればこそ、自分達は知っている。
人は真実の愛を捧げられることを。
誰よりも愛していると言った誓いを、違えずに全うできることを。
――― 大好き。
風に掻き消されるような小さな声で、カイトの服に顔を埋めながら届かなくていい言葉を紡いでみる。
「愛してるよ」
そんな言葉が届いたような気がした。




