34 真琴はマジュネルに着いた
カイトと出会ってから、真琴の人生はかなり激変してしまった
三つ子はいつも一緒だったから、真琴一人だけで可愛がられるのは初めてだったのだ。
遥佳とドリエータで二人暮らししていた時は、いつだって遥佳を守らなくてはと思っていた。
けれども船内では魔物や獣人ばかり。真琴はとても弱くて大切にしなきゃいけない半獣人の子供扱いとなってしまったのである。
(この旅が、ずっと終わらなければいいのに)
温かくさらさらした毛皮はとても気持ちがいい。大きくて、強くて、それでいて決して真琴を傷つけない。
だから、この体は安心できる。
それに抱きつくようにして寝ていた真琴は、グルルルという呆れたような唸り声に目を開けた。
目の前にはシルバータイガーがいて、自分と一緒に寝ている。いや、薄い水色の目は開いている。
互いの瞳が交わされた。
だけど何が言いたいか、分からない。
(私なら何に化けても言葉は言えるのに、普通の獣人とかは言えないんだなぁ。あれ? だけど獣の姿でも話せる人もいたような?)
けれども何故だろう。何か、責められているような気がする。
真琴は、そこで自分がカイトの体に右手と右足を乗せていた上、左手はその毛を掴んでいたものだからシルバータイガーは起きるに起きられなかったらしいと、気づいた。
「じゃあいいや。もう一度寝直して・・・、うっきゃあっ」
二度寝しようとした真琴だったが、いささか強い勢いで首を舐められて悲鳴をあげた。
この虎は優しい舐め方の時は優しいのだが、力強い舐め方だとそれなりに痛い。
「舌、強いってばぁっ」
更にかぷっと赤くもならない程度の甘噛みをされたものだから、痛くはないけれどちょっと怖くなって起きようと思った真琴だ。
怒らせたらちょっと痛い噛み方になってしまうかもしれない。痛いのは嫌だ。
(あれ? なんで私、カイトの舐め方を知ってるんだろう・・・?)
諦めて起き上がりながら着替えようとして真琴は考える。傷口を舐めてもらったことはあるけれど、それ以外では野宿の時しか虎の姿にはならなかったカイトだ。
真琴が起きる様子になったので、シルバータイガーは音も立てずに上の段へと跳び上がった。きっと手早く着替えてしまうのだろう。
(なんか私、全身を舐められたような気がする)
恐らくはカイトが揃えてくれたのだろう、枕元に置かれていた服に真琴は着替えた。
何となくだが、昨夜は服を脱がされ、全身を虎の姿になったカイトに舐められたような気がする真琴だ。
(夢かなあ? なんか説明はされたような、ただの夢のような・・・。けど私、ちゃんとパジャマ着てたしなぁ)
真琴は首をひねった。
「着替えたか? 今日は朝食をゆっくり食べてから下船してほしいそうだ。もう荷物は作ってあるし、しばらくはこの港町かうちの故郷に行く途中の街で滞在し、買い物していこう」
「あ、うん。おはよー、カイト」
「ああ、おはよう。いいか、マコト。鳥関係と爬虫類関係の魔物や獣人にはついていくなよ?」
「・・・うん、何で?」
「鼻が利かないからだ」
「はあ?」
よく分からないが、あやふやな感じで真琴が頷くと、カイトが食堂へと促す。いつもよりも食堂は賑わっていた。
「おはよーございまーす」
「おはよう、マーコットちゃん。・・・なんつーか凄えな、おい。カイトの兄さん、そこまでするか」
「仕方ないだろう。戻ってこられない子なんだから」
「おはよう、カイトさん、マコちゃん。・・・そうねぇ、それならまだ親切な獣人に当たればシルバータイガーの里へと送ってきてくれるわね」
「それでもシルバータイガーの里はあちこちにあるだろ。まだカイトの兄さんが先に里に連絡できりゃいいけどよ。あまりにも速い連絡が行き過ぎると、結局はどうしようもなくなっちまうんじゃねえか」
「そうだよなあ。まだシルバータイガーの里、何も知らねえもんなぁ」
驚いたような顔で真琴をじろじろと眺めてくるのは哺乳類系の魔物と獣人達だ。
「自分の口でも伝えられるようなら、シルバータイガーが多く暮らす場所に行きたいって言えば、どこかに連れて行かれても、まだ戻ってくることができるからな」
真琴が後ろにいるカイトを仰ぎ見ると、そんなことを言われてしまった。
真琴には意味が分からない。
そこへもう朝食を食べ終えたらしい、黒髪にしか見えない深緑の髪と切れ長の瞳を持つ薄幸そうな美女が声を掛けてきた。
「おはよう、カイトの兄さん、マコちゃん。あたしには分からないけど、そんなにやったのかい? ふふ、マコちゃんには刺激が強かったんじゃないかしらねぇ」
「・・・リリアの姉さん。どうせこいつは理解する気もないから放っておいてくれよ。説明したってのに全然起きてくれねえし、また後で説明しなきゃならん」
「そうみたいだねぇ。大きなおめめが落っこちそうになってるよ。まあ、いいさね。で、マコちゃん。カイトの兄さんは優しくしてくれたかい?」
「ほぇ?」
「ふぅん。何ならあたしもやってあげようか? カイトの兄さんより刺激的だと思うわよ?」
「何を?」
すかさず真琴の体が宙に浮き、ぽすっとカイトの横にある空いていた席に座らされる。
カイトが自分の体でリリアから真琴の姿を隠した。
「リリアの姉さん、頼むからこいつには手を出さないでくれと・・・」
「おやおや、冗談だってば。もう今日でお別れだっていうのに、本気であたしがするわけないだろ。ああ、だけどカイトの兄さんと慌ただしく・・・っていうのも刺激的かもねぇ」
うふふふと、リリアの流し目にカイトが後ずさる。
「た・め・し・て・み・る?」
「いっ、いやっ、お気遣いなくっ。・・・そうだっ、リリアの姉さんも荷物の整理が大変だろ。なんといっても女性は荷物が多いからっ」
「やれやれ。本当につれないこと」
そう言って、それまで気だるげだったリリアは、急に真面目な顔になった。
「マーコットちゃん」
「なーに?」
「そこまでカイトの兄さんも気をつけてるんだ。まず大丈夫だとは思うけど、もしも何か蛇の一族に属する奴に目をつけられたりして困ったことになったら、あたしの名を出して訪ねておいで。決して悪いようにしないから」
「ありがとう、リリアさん。リリアさんはどこに住んでるの?」
「あたしはもっと南の方なんだよ。カイトの兄さん達が暮らすところよりも湿度が高い森の中さ。緑蛇のリリアって言えば、誰かが緑蛇の里へ連れてきてくれるから。同じ種族の里は連携が取れているから、どこかの緑蛇の里に連絡すればあたしの所まで届くさ」
「うんっ、ありがとう」
二人がまともな会話をしているというので自分達の食事を取りに行ったカイトだが、真琴にとってもリリアはよくデッキでシルフ達が飛び回るのを眺めていた仲間だ。
「リリアさんもこれからその緑蛇の里に移動するんだね。やっぱり遠いの?」
「それなりにはね。だけどジンネル大陸程じゃない。それに、二度とない素晴らしい航海だったよ」
「うん。面白かったよねっ」
初めての帆船の旅だ。真琴にとっても刺激的で、毎日が楽しかった。
だからリリアの頬にキスをする。少し驚いたような顔になったリリアだったが、同じように真琴の頬にキスしてくれた。
そうして食堂から出て行ったリリアだが、カイトが運んできてくれた食事を終えれば、どうやら本当にもう接岸するらしい。
がやがやと賑やかに、ロープを投げたりして声を掛け合っている様子が聞こえてきた。
「おはようございます、カイトさん、マーコットちゃん。良かった、カイトさん。聞けば今日はここの港町に宿泊予定だとか」
「おはようございます、船長さん。ええ、そうですが?」
「船長さん、おはよーございます」
「いや、それなら下船もさほど急がないだろうと思いましてね。申し訳ないんですが、ちょっと手伝ってほしいことが・・・。いえ、お恥ずかしいことですが昨夜の騒ぎで二日酔いになった船員が続出しまして、かなり参っているのですよ。そのお礼と言ってはなんですが、今日のお宿はうちが提携している宿を紹介しましょう。食事も多くて安いし、便利ですぞ」
カイトは素早く算盤を弾いた。
こういう大陸間などを移動する大型船の船員達は、かなり格安で宿泊できる宿があるのだ。それはこういった港町の発展とも繋がっている為である。
「俺でできることなら」
「勿論ですとも。あ、そうだ。マーコットちゃん。マーコットちゃんもお手伝いしてくれるかい?」
「はーい。・・・だけど、何を?」
「実はね、そのまま部屋で寝ていたりして下船を忘れてしまうお客さんもいるんだ。だから、リストを渡すから、下船する人の名前を舷梯でチェックして、リストから消していってくれるかい?」
「それならできそう」
「ああ。二日酔いの船員がやるより、その方がみんな喜ぶからね」
ケイドトスは、そこでカイトの肩を抱きながら顔を寄せた。
「その宿、Aランクの部屋でDランクの部屋価格。更にこの船員用メダルを見せたら今年一年はこの港町ならどこの食事も買い物も一割引きですぞ。更に提携店なら二割引き、直営店なら三割引き。・・・どうですかな?」
「マコトともども、是非やらせていただきましょう」
「あなたと私の仲ではないですか」
どうやら乗船時の船長とカイトとの「いいお友達」宣言は下船ぎりぎりまで有効だったらしいと、真琴は思った。
旅の終わりは、いつも独特の感慨がつきまとう。
けれども今回の旅の終わりは、乗客にとって始まりのようなものだっただろう。
誰もが物陰に隠れて順番を待っていた。
「えーっと、セシードさんとメニーさん。忘れ物はありませんか? よく忘れちゃうのが眼鏡らしいです」
「ああ、大丈夫だよ。可愛い船員さん」
「本当にね。このまま持って帰ってしまいたくなる船員さんね」
リストを見ながら最後の声掛けを行う真琴を、頭を撫でたりして見守っている。
「羊さんの部族ってどこにいるの?」
「うーん、色々な所に点在しているからなぁ。私達は中央の山の方になるのさ。いつか黒羊の集落に来ることがあったらセシードを指名してくれたまえよ、マーコットちゃん」
「えーっと、黒羊の集落っと」
「私は白羊の一族出身だけど黒羊の所にいるのよ。楽しかったわね、マコちゃん」
「はい、メニーさん。気をつけて帰ってくださいね」
「ええ、ありがとう。何よりもの餞だわ。マコちゃんももし黒羊や白羊に連れていかれた時は私達の名前を出すのよ?」
「あ、・・・はい?」
そうしてセシードとメニーの頬にお別れのキスをすれば、二人も真琴の頬にキスしてくる。
あまり行列になると真琴が慌てて急ぐだろうからと、わざと乗客達も様子を見ながら、船室から出ていくタイミングを見計らっていた。
「えーっと、東の港に近いってことは、大陸を横断しちゃうの?」
「そうなのさ。今からがまた旅だ」
「ふわあ。馬で移動するの? それとも馬車?」
「いや。俺達は自分の翼で移動するんだ」
「飛ぶんだっ」
「ああ。いつか東の『羽ばたき村』近くに連れられてきちゃった時にはちゃんと助けてやるからな、マーコットちゃん」
「うん?」
終わったらこのリストはあげるよと言われていたので、真琴はリストの備考欄に、その一族の名前を書きながら、どこら辺にあるかもメモしておく。
いつか、偶然その場所に行くことがあれば、また顔を合わせることもできるだろう。
真琴の周囲では風の妖精達がくるくると踊りながら、真琴と一緒にリストを覗きこんだりしていた。
「おやおや。マコちゃんのお見送りとは、なんて気が利いてるんだろうねぇ、船長さんも」
「カイトと私でお手伝いしてるんだよ。リリアさん、元気でね」
「そうだね。マコちゃんがそう言うなら、やっぱりもう一花咲かせてみせようかね」
「・・・リリアさん、咲いてない日がないと思う」
リリアは真琴に綺麗な鱗が一枚嵌めこまれたペンダントをくれた。それは蛇の一族にとって意味があるらしい。
「うわぁ、綺麗。緑色なのに黒く光ってる。これを見せればいいの?」
「そうだよ。それで緑蛇って分かるから、後はあたしの名前を出せばいいのさ」
「ありがとう、リリアさん」
ただ、どうして誰も彼もが連れていかれた時とか、そんな誘拐前提で話をするのかが真琴には意味不明だ。
「やっぱりうちの湖に来ないかい、大事にするよ」
「ごめんなさい。カイトの所に行くから行けない」
「やっぱり駄目かぁ」
いつも可愛がってくれた魔物のお兄さんからは湖で暮らさないかと言われたが、断っても笑って受け入れてくれた。
そうして全ての乗客が降りてしまえばカイトもやってくる。
「やっと終わった・・・。というか、本当に船員さん達、具合悪かったんですかね、船長さん? どうも皆ぴんぴんしていたようにしか見えねえんだが」
「いやいや、助かりましたよ。元気に見せかけててもやはり不調でしてね」
真琴と違い、カイトは少しハードだったらしい。
すると船長以下、船員達が並んで二人を見送ってくれるとかで甲板に勢揃いした。
「なんでお前、一人一人にキスしてるんだ、マコト?」
「え? だけど私、お客さん全員とほっぺにキスしたけど?」
「そんなの初めて見たぞ、おい」
「えー。そういうもんじゃないの?」
船員とも頬にキスして別れを惜しんでいる真琴に、カイトがいささか不機嫌そうに頬をわなわなさせる。
どう見ても彼らは元気いっぱいだった。
「そうカイトさんも細かいことは言わずに。最後なんですから」
「わきゃーっ、くるくるーっ」
「マコちゃん、最後に抱っこさせてくれ。はは、軽いな」
「うわぁ。お父さんみたい。お父さんも筋肉ぴくぴくできたんだよ」
「そっかあ。・・・おらあっ」
「すっごおい」
筋肉自慢の船員達は、真琴を両手で持ち上げてくるくる回ったり、抱っこしたり、力瘤を見せたりしていたから余計にカイトもムカつくときたものだ。
二日酔いで仕事ができないってのはどうなった。
「まあまあ、カイトさん。やっぱり船員っていうのは縁起を担ぐもんでしてね。こうやって女の子からの祝福をもらえれば、航海も安全にいけるってもんなんですよ」
「いや、船長さん。航海、今終わったろ?」
肩を叩かれてわけの分からない説明をされたものだからカイトは首を傾げるしかないが、最後にキスしてもらったケイドトスはとてもご機嫌だった。
「さようなら、船長さん。みんなもまたね!」
笑顔で手を振り、風の妖精を纏わりつかせながらカイトと一緒に下船した真琴の姿を、船長と船員達はずっと見つめていた。
やがて建物の角に二人が消えていく。
ぽそっと、船員が呟いた。
「カイトさん、いつまで気づかずにいられるんでしょうねぇ」
「今回の乗客全員、マコちゃんにキスしてもらったからなぁ。帰ったら絶対自慢するって」
「言える。・・・シルバータイガーの集落、いきなり人が押し寄せたりして」
「押し寄せるだろ。わざわざどのシルバータイガーの里か、しっかり昨日聞き出されてたしな」
「だよな。丁寧に答えていたカイトさんが哀れすぎた」
「分かってねえのはカイトさんだけだろ」
「そりゃどの魔物も獣人も、マコちゃんがマジュネル来てくれたって速報モンだよ」
「ああ。慌てて帰るよな」
「問題は我々だ」
重々しく船長が言った。
「乗客方はマジュネル大陸の住人だからいいとして、・・・何と言ってもジンネル大陸では国をあげて高額な報奨金付き捜索中の当事者でいらっしゃる。これが知られたら我々こそがジンネル大陸中から憎まれかねん。あの姫君にキスしてもらっただなんて、絶対に人には言わん方がいいと警告しておこう」
「え。・・・船長、自慢しちゃいけないんすか?」
「だって、一緒にロープに掴まってブラブラしちまったんですよ?」
「そうですよ。釣りだって教えてあげたのに」
「あのなあ・・・。それこそ抱っこしたり頭撫でたりしてたなんて言ってみろ。お前ら、故郷の奴らからタコ殴りだぞ。神官からは闇討ちされるかもしれんな」
船員達は一気に青ざめた。
マジュネル大陸にある港町ミナト。
どうしてそういう名前かと言えば、
「分かりやすい、これ大事」
ということで、大陸間の船が発着する港町なのだからミナトと決まった。
誰が聞いてもすぐに分かる。そんな理由で町の名前を決める、それがマジュネル大陸だ。
「うわぁ、広―い。結構いいお部屋だね」
「そうだなあ。さすがAランク」
船長に渡されたメダルをカイトが見せると、宿はすぐに特別価格のそれを見せてきた。
カイト達が泊まる部屋だなんて、治安も考えてCランク程度が基本だ。しかし、この宿ではAランクの部屋がDランクの部屋価格で宿泊できる。
それこそいつも使っているようなCランクの部屋なら更に安かったが、カイトはせっかくだからとAランクの部屋を選んだ。
「あれ? ベッド、大きいけど一つだ」
「・・・十分、二つ分はある広さだからいいだろ」
「そうだね」
どうして寝台が二つではなく一つの部屋を案内されたのか分かっていたが、カイトはそんな言葉ですませた。
真琴にしても、二つの寝台があったところで一緒に寝たりするから全く問題はない。
「さて、航海中はどうしても新鮮な野菜が食べられなかったからな。どこか食いに行こう」
「わーいっ。生の葉っぱのサラダが食べたいっ」
「そうだな。ついでに服も買うか」
「服ならあるよ?」
「ああ。だけどマコトも成長期だろ。少し大き目のゆったりした服を買っといた方がいい」
「そうなの?」
よく分からないが、カイトが言うならそうなのだろう。
「あと、リリアの姉さんにもらった鱗もつけといた方がいい。そうすればまだ鳥や爬虫類関係に対してどうにかなるだろ」
「うん?」
リリアにもらったペンダントをつけて、カイトと一緒に宿屋の人に教えてもらった料理店へ行けば、久しぶりの新鮮野菜に泣きそうになった真琴だ。
「ううっ、やっぱりこういう採れたて野菜が恋しかったよぉっ」
「ある程度は船も努力してくれてたけど、限界はあったしな」
「だよねー」
平気だったつもりだが、やはり口にしてしまえば体が喜ぶ。
新鮮な果物や野菜を多く使ったメニューばかり注文してしまった二人だ。カイトは大きなステーキも注文し、それを真琴に切り分けてくれた。
「うちは、船乗りのお客さんが多いもの。やっぱり陸に戻ってきたら新鮮な野菜とか、塩漬けしていないお肉を注文するお客が多いの。・・・奥さんは蛇の一族出身なのかしら。幼な妻だなんて可愛いわね。新婚さん?」
「へっ?」
「分かるか? かなり大事にされてきた子でね」
「そりゃ見りゃわかるわよ。お嫁入りしてもそれだなんて、本当に可愛がられてたのね」
意味が分からなかった真琴だが、料理を運んできてくれた女将が立ち去った後で、カイトが説明する。
「リリアの姉さんがくれたそれは、緑蛇の一族って意味だ。つまり、何かあったら緑蛇の所まで知らせてくれってことさ」
「え、そうなんだ」
「だからつけとけ。蛇の一族は執念深いからな。誰も悪いようにはしないでくれる筈だ」
「へぇ。そっかあ」
嬉しくなった真琴だ。
男の人達はリリアをまるで妖女のように言っていたが、真琴にとってはとても優しいお姉さんだった。
「私の為に、リリアさんの鱗で作ってくれたんだ」
「その代わり何かあったら緑蛇のテリトリーへ連れて行かれてしまうんだがな」
「いいんだよ。どっちにしてもリリアさんがどうにかしてくれるもん」
カイトがぼやくのも気にならない。
「で、なんでカイトと私が新婚さんになるの?」
「誰がどう見てもお前はまだ成人してない子供だ」
「うん」
「そしてお前には俺のにおいがついてる。そいつは伴侶か子供に限られる。つまり、俺の群れの一員ってことだな。だけど俺の群れの子なら蛇の一族のそれはおかしい。だからマコトは蛇の一族の子で、俺と結婚したって判断されただけだ」
「そ、そーなんだ・・・」
「俺のにおいしかついてなかったら、シルバータイガーの群れの子ってことになるだけなんだが、・・・問題は爬虫類だの鳥系だのの魔物と獣人でな、そっちは鼻が利かない上、強引なんだ。だから俺のにおいが分からず、厄介なことになりかねない」
幼な妻とか言われてドキマギしていた真琴だが、そこまで群れの所属を明確化しておかなきゃいけないのかと、そっちもびっくりだ。
「だからっていきなり群れの子から奥さん・・・」
「嫌だったか?」
「・・・ううん」
赤くなりながらも、ぷるぷると首を横に振れば、カイトが目を細めて笑った。
「においを嗅ぎ取れる種族なら、マコトが虎の一員って分かるから、可愛いなと思っても虎より弱ければ手を出さない。まあ、子供が迷子だったり弱ってたりしたらどんな種族でも、うちに連れて帰っちまうが。基本的にマジュネルの場合、悪気はねえが、
『可愛いな。だからうちの子にしちゃえ』
とか、
『おっ、好みのタイプ。よし、嫁さんにしよう』
で、それを全く相手の意見を訊かずにやらかしやがる時がある。だからどんな時でも最初にきっぱりと断る、これが大事だ。だけど居眠りしていたりしたらそのまま連れていかれる」
「うーん、それもまた問題だよねぇ」
連れていく本人はいいが、連れていかれた方はたまったものじゃないだろう。
「ああ。まあ、勝手に子供だの嫁さんだのにされた後で、やっと浮かれてた気分が落ち着いて話が通じるようになってから主張すれば、反省して元の場所に送り届けてくれたり、帰してくれたりもするんだがな。悪気があるわけじゃないんだ」
「・・・それ、浮かれてた気分が落ち着くまで話はできないの?」
「そうだな。なんて可愛いんだろうとか、うちの子最高とか、こんな嫁さんで幸せとか、そういう有頂天な気分が落ち着くまでは全く会話にならねえ」
「それ、落ち着くまでどれくらいかかるの?」
「人によりけりだな。ちゃんと当日で話がつくこともあれば、一週間ぐらいで落ち着くこともあるし、数ヶ月の時もあるし。・・・俺が聞いた中で一番長かったのは二十年だった」
「・・・おかしいよ、マジュネル大陸」
「だから俺から離れるなよ」
こくこくと、真琴は大きく首を縦に振った。
それでも真琴は、心配性のカイトが少し大げさに言ったのだろうと思ってた。
(幼な妻かぁ。まさかこの私がそんなものと思われちゃうだなんてびっくりだよ。遥佳ならともかく。・・・そういえばカイトもいつか結婚しちゃうのかな。やだな)
マジュネル大陸の旅支度というのは、ジンネル大陸とは違うものらしい。カイトに説明されながら買い物するだけで、真琴には驚きの連続だ。
そしてカイトの言葉が嘘ではなかったことは、すぐに分かった。
というのも、カイトが支払っている間に、真琴が他の商品を手に取って見ていたら声を掛けられたからだ。
いや、声を掛けられたというよりも、腕を引っ掴まれて連れていかれようとした。
「お嬢さん、可愛いわね。うちの子にならない? ちょうどあなたみたいな黒髪の子が欲しかったのよ。さあ、行きましょう。私の愛の巣へ」
「えっ? ちょっ、ちょっと、困りますっ、困るんだけどっ」
だが、ぐいぐいと引っ張って行こうとする水色の髪をした女性は全く聞いていない。
ほとんど真琴の両足が浮く程の膂力だった。
「これで黒い子も揃ったわ。赤い子、青い子、緑の子、橙の子、黄の子、白の子、黒い子。これで私の巣は完璧。なんて可愛いんでしょう」
「困りますってばっ!」
ぐいっと、全身の力で抵抗して引っ張っていかれていた手を振りほどけば、驚いてその水色の髪をした女性が振り返る。その目が真琴のペンダントに釘づけとなった。
「み、緑の大蛇一族・・・っ」
さっきまでの陽気さは一気に消え失せる。しょんぼりと、女性は項垂れた。
「仕方がないわ。時にはこんな運命のいたずらもあるのね」
はらはらとその瞳から涙が流れていく。
「ごめんなさい、お嬢さん。さすがに大蛇の一族を迎え入れては他の雛鳥ちゃん達がどんなことになるか分からないの。涙を呑んでお別れよ」
「はあ」
そうして水色の髪をした女性はとぼとぼと去っていった。
(そっか。鳥の一族だからカイトのにおいが分からなかったんだ)
しかし悪気がないというのも本当なのだろう。
(蛇の子を混ぜたら他の子供達が危険だからって連れてくのをやめたんだもん。強引すぎる子供の集め方だけど、愛情はあるっぽい。天涯孤独状態なら大事にされたよね。さすがマジュネル大陸)
振り返れば、カイトはまだ店の中らしい。もうそろそろ出てきてもいいと思うのだが。
てくてくと戻って、店の前にある小物などを見ていると、ポンと肩を叩かれた。
「おや、やっぱり可愛いね。お嬢さん、虎の一族の子供だろう? ブラックタイガーだよな? 俺、ホワイトタイガーの一族なんだけど、お付き合いしない? 君が成人したらの話だけど」
「・・・・・・マジュネルとは一体」
ここはナンパ天国なんだろうかと、真琴の目が泳ぐ。
カイトが支払いをしている間の数分で二回目である。一回目は女性だが。
(船でみんなが心配してくれたわけが分かった。うん、治安が悪いわけじゃなくて、それでも連れてかれるって意味が)
肩を叩いてきた男性はベージュがかった白髪、そしてカイトによく似た水色の目をしていた。
「ごめんなさい。間に合ってるんでよそをあたってください」
「大丈夫。まだ子供でもいいんだ。大人になるまでは可愛がるし、大人になったらちゃんと大切にするよ。虎だけに一途なんだ」
「だから間に合ってますって」
そこで男性は悲しそうな顔になった。
「運命の出会いを信じてくれないのかい? 君みたいな小柄な虎、本体を見なくても素敵だって分かる。それとも君にとって俺はあまりにも好みじゃなさすぎた?」
「そうじゃなくてっ」
「良かった。嫌いじゃないなら、望みはある。これからお互いを知っていこう」
真琴を抱き上げる両手は、とても力強かった。
「だから・・・っ、カイトッ、カイトーッ」
「マコトッ!?」
その声を聞きつけて店から慌てて出てきたカイトが、一目で状況を察する。
「え? あちゃぁ、ホワイトタイガーか」
「そういう君はシルバータイガー。ふむ、なるほど。おや、この緑鱗は」
しかしそれは相手のホワイトタイガーも同じことだったらしい。驚いたようにカイトと真琴を見比べると、大きな溜め息をついた。
「悪いな。これは俺のなんだ」
「らしいね。すまない、てっきりブラックタイガーの子だと思ったんだ」
力は強かったが、ホワイトタイガーの彼に悪気はなかったらしく、真琴を地面に降ろす。
「ごめんね。まさかもうお嫁さんだとは思わなかったんだよ」
「ごめんなさい。私もきちんと説明できなかったし・・・」
「いや、いいんだ。こんな可愛い若奥さんと会話もできちゃったしね」
そうして彼は手を振って去っていった。
運命の出会いも、相手が既婚者だと分かれば無かったことになるらしい。
「ま、無事で良かった。さすがに同じタイガーならどうしようもなかったな。目を離して悪かった、マコト」
「ん」
思いっきり懲りた真琴だ。
「だけどな、マコト。最初にきっぱり断って説明すれば、大抵はどうにかなるんだぞ? 俺が心配してたのは、お前がどこかで休んでいたり居眠りしていたりする隙に連れていかれることであって・・・」
「説明する前に連れていかれそうになったもんっ」
カイトはホワイトタイガーのそれしか見ていないからそういうことを言うのだ。
(子供を愛してはいるけれども、その愛がぶっとんでいる。それがマジュネル大陸・・・!)
それからの真琴は、何があろうとカイトの服をしっかり掴んで放さなくなった。




