33 遥佳は海を歩いた
ディリライト島から東にある無人島。
その間にある潮流はとても緩やかで、波も穏やかなことが多い。
一人乗りの舟にのってやってきた薄い金髪の青年は、昨日も訪れた無人島の目立たぬ岩陰にその舟を隠すようにして接岸させようとした。
砂浜になっている場所もあるが、岩陰の方が気づかれにくい。こっそりと上陸するのにいい場所を、昨日の内に探しておいた。
「昨日、王子に貸した舟を使ってきたのね。だけど残念なことにウルティード王子はここにいないわ」
上から降ってきた声に驚き、まだ舟の上にいた薄い金髪の男がばっと見上げれば、そこには一人の少女が立っている。
印象的な額飾りこそしているものの、ゆったりとしたシャツとスカートといった格好は、まさに散歩に出たと言わんばかりだ。
「ハ、ハールカ姫」
肩までの黒髪に焦げ茶色の瞳。何よりも印象的な赤い宝石が嵌めこまれた黄金の額飾り。
体が弱く何の役にも立たない割には大切にされているディリライト首長の姪姫だった。
「どうしてそんな所から隠れて上陸しようとするの? そこまでしてウルティード王子を殺してディリライトのせいにしなきゃいけなかったの? その行動が何をもたらすか考えもしなかったの?」
「・・・・・・な、何を」
なぜ、そのことを知っているのか。
けれどもキマリー国の騎士は困ったような表情を浮かべて、戸惑いがちな言葉を発した。
「何を仰っておられるのか・・・。お戯れは困ります、ハールカ姫様。今朝は体調が優れなかったのですが、回復しましたので皆様の後を追ってきたのでございます」
「・・・違うわよね? あなたは今、考えている。どうして私があなた達の計画を知っているのかと。どこで漏れたのかと。裏切り者がいるのか、会話を聞かれてしまったのか、誰がどこまで知っているのか。そしてその対応策を」
「・・・・・・」
唇を歪めながらも薄い金髪の頭を下に向け、その青年は表情を隠す。
それでも遥佳の姿を目の端に入れておくことは忘れない。
「そうなの。私が一人だから、ここは私の妄想だということにして、その計画は別の形で実行するつもりなのね。タイキやカシマじゃなくても、もうディリライトの島民になら、誰がやっても同じことだと」
青年は唇を舐めてから、見上げるようにして遥佳を睨みつけた。
けれども遥佳はやや目を伏せると、自分の額に手をやる。
「ねえ。この額飾り、綺麗でしょう? 真ん中で使われている赤い宝石はこれでもかという程、大きいし、黄金細工も大ぶりだし、脇に嵌められた宝石も大きい。遠くからでも目立つわ。・・・これはね、かつてディリライトの島を継ぐ者が身につけていたものなのよ」
キマリー国の騎士は、ごくりと唾を呑みこんだ。
「そ、それは・・・。ハールカ姫こそが、このディリライトを継がれるということですか?」
だとしたら、それは貴重な情報だ。まさかあの首長の長男であるタイキでも、次男であるカシマでもなく、姪にあたる彼女がディリライトを継ぐというのであれば。
けれどもその質問に遥佳は答えなかった。
「豊かな島は狙われやすい。だから後継者の時にこそ力を見せつけておく必要があるの。そうすれば首長になっても、なったばかりの首長だからと侮られることがないのよ。そうしてね、どうして後継者が首長よりも目立つこういうものをつけておくかというと、・・・狙われ続けようが全てを打ち負かす力を見せつける必要があるからなの」
青年は目を瞠った。
けれども自分達はシンクエン達の会話を聞いている。
首長の姪である彼女は体が弱く、子供も産めぬ程だと。実際、昨日の舟に乗る時ですら、彼女は三兄妹に支えられ、世話をされていた。
「この額飾りを受け継いだ父はね、女性用にこれを作り直させたわ。そして母に贈ったの。
『この額飾りをつけてこの島で俺を待っていてくれないか。どれだけ君の美しさに血迷った奴らが出てきても、俺はその全てを打ち負かすから。この額飾りをつけた君ごと、俺はこの島を守りたい。そして真珠にも譬えられるディリライトを君に贈ろう』
って言って。父にとって、母は自分の誇りそのものだったの。素敵なプロポーズでしょう?」
遥佳は、キマリー国の騎士を見下ろし続けていた。
今なら優理の気持ちが分かる。どうして最初に別離を選んだのか。
真琴が傷つけられたことで半狂乱になった優理は、その後悔と共にどうして遥佳に教えていなかったのかと、自分を責めていた。
けれどもきっと、知ってしまった遥佳も真琴には教えないのだ。
自分達が自然に頼みさえすれば、ここまでのことが叶うという事実を。
「あなたが殺したい王子様達は西の島に行ったわ。あなたと同じように、私も今日は具合が悪かったの。だから私に気兼ねすることもなく、皆は西にある島へ行けたのよ。・・・あなたは、昨日の予定通りにこの島に来たけれど」
「そうですか」
青年は心の底でほくそ笑んだ。
(後継者と言っても愚かな小娘だ。あの背後ではずっと小鳥の囀りが響いている。つまり、他に人はいない)
こんな島に暮らしていれば、自分達のような騎士にも憧れる気持ちがあるのだろう。
「ならばどうしてここにいらしたのです? 私を待っていてくださったのですか?」
考えてみれば若い娘だ。そして王族の護衛として他国へ出向く自分達の選考基準には顔の良さも入っている。
この姫は自分に惚れた為、説得で改心させられるならばと、こんな時間を持ったのだろう。
そう思い、青年はなるべく戸惑いつつも優しげに見えるような表情を浮かべた。
「ええ、あなたを待っていたの。・・・来ないで欲しかったけど」
「私とて好きでこういうことをしているわけではございません。命じられれば従わなくてはならぬのが、我らの定め」
今すぐ舟を降りて、彼女の所へ行くべきだ。たかが16才の小娘。なんとでも言いなりにできるだろう。ある意味、かなり使える存在ではないか。今、ここにはコウヤどころか、タイキやカシマ、ケイトもいない。
そう考えたキマリー国の騎士は、笑顔を浮かべてみせた。
「違うでしょう? ウルティード王子がいなくなることこそ、あなたが本当に仕えている王子の望み。その責任を押し付けるのにディリライトはちょうど良かったの。大陸にある他の王宮と違って、ここは人目がないから。だから泳げる護衛はあなた達・暗殺組で揃えて、あとはわざと泳げない人達を揃えたのよね、今回の護衛は」
完全にこれは自分達の情報が漏れていると、青年は悟った。
思い起こせば、本来は隠していたウルティード王子とエルルーカ姫の素性をも、この姪姫はその名を呼ぶことで自分達は知っているのだと明かしたという。
(誰だっ。キマリーの中枢にディリライトの隠密が入りこんでいるのかっ)
それもまた、彼女から聞き出さねば。
ここはもう舟などどうでもいい。岩に飛び移り、その身柄を確保してでも。
「えっ!?」
だが、舟は勝手に移動していた。岸壁から離れて。
しかも空気が重さを持ったかのように、彼の全身が押さえつけられている。
「あなたは今日、具合が悪くて休んでいたわ。そしてこっそり王子を暗殺して戻る為に、誰にも姿を見られないような小細工をしてから出てきた。だから、・・・誰もあなたがここにいることを知らない。そしてあなたの遺体は、あなたが滞在している建物の外に流れ着くわ。具合が悪いのに外へ出て、溺死したことになるのね」
空気が青年の体を持ち上げたかと思うと、その体が海面へと移される。
彼は何もしていないのに。
そして勝手に舟は流れていく。無人のままで、元の係留されていた場所へと。
この状況が理解できず、キマリー国の騎士は救いを求めて周囲をきょろきょろと見渡した。
その目に映ったのは、印象的に輝く赤い額飾り。
「言ったでしょう? この額飾りをつけている者の前で、このディリライトを害することなどできないわ。これはディリライトを守る誇りと共にあるのよ。だから、さようなら」
海面を男の体が勝手に滑っていく。陸地に到着することなく。
(俺はっ、俺こそが殺されるのかっ!? なんでだよっ!)
けれども騎士を取り巻く空気は抵抗を許さない。
彼は悟った。
恐らく自分はこの海に沈められるのだと。そうして、その遺体は、彼女の言った通りに岸辺へと打ち上げられるのだろう。
(どうしてっ! どうして俺がこんな目に・・・っ)
この命令さえ達成してしまえば、自分には地位と多額の報酬が約束されていたのに。
遠く離れていく首長の姪の姿。
彼女はゆっくりと海へ下りると、海面を歩きだした。
青年は為す術もなくこうしてどこかへ連れて行かれるのに、それどころか少しずつ足元から海水に沈められつつあるのに、彼女は海面こそが地面であるかのように歩いていく。
だから、彼には分からなかった。
遥佳が、できることなら彼に改心してもらえはしないかと願っていたことなど。
そんなことはないと分かっていても、それでも遥佳はそれを期待したかったのだと。
(真琴。だから私もあなたには教えない。誰かを守れる力を持ってしまえることを知ってしまえば、こうして手を汚してしまえるから)
今になって優理が、遥佳を一番強い力の持ち主だと言っていた意味が分かる。
全てを知ることができる優理の心を読んで、遥佳もそれを知ることができるのだから。
しかも遥佳は優理以上のことを知ることができる。人の心の奥底までも。
(だから優理は私に教えなかったの。私を苦しめない為に・・・)
大事な、そして愛している自分の姉妹。自分達はいつも互いの存在に救われていた。
(だから優理は私が知ってしまうと分かっていても心に思い浮かべずにはいられなかったの。私が真琴のように傷つかないようにと)
だから分からないのだろうか。
(どうして人は・・・)
姉妹であるからこそ、自分には理解できないのだろうか。
兄弟であるからこそ、自分の家族を殺そうとする決意を。
ズルをしなければ泳いでいても海面に顔を出せない遥佳だが、ズルをすれば海は味方である。
てくてくと波の上を歩いて砂浜に着き、空気に頼んで崖の上へと体を持ち上げてもらえば、滞在中の塔はすぐそこだ。
カシマに、
「ここを下りていけばいい」
と、言われたそこすら、体ごと運んでもらえば関係ない。
そうして遥佳が塔に戻れば、ちょうど出てきたコウヤと鉢合わせした。
「あら? おじさま」
「薬を持ってきたのだ。まさか塔が無人で、しかも人が海の上を歩く姿を窓から見ることができようとは。何とも私は愚かだったと、その事実を突きつけられたよ」
「・・・・・・あら」
わざわざ当主自らが薬を持ってきたのは、もしも必要な物があるなら手配しようと思ったからなのだろう。
けれども遥佳はいなかった。
そしてタイキやケイト達から昨日の報告を受けていて、今日の様子も使用人から報告されていれば、コウヤとて愚かではない。
痛ましそうに、コウヤは遥佳の手を取った。
「我らの義務を、尊い御身にさせてしまうとは・・・」
「あなたの為にしたわけではないのです、おじさま」
けれども遥佳は小さく笑う。
「私、本当は人を傷つける言葉を言うだけでも怖いって思ってしまうんです」
コウヤはその眼差しだけで頷いた。
遥佳がそういう少女であることは、見ていれば分かる。
人の悪意に敏感で、人を不快にさせるぐらいなら自分が我慢する。遥佳はまるで物音ひとつにも怯える小鳥のような娘だ。
「だけどこの額飾りをつけていた父も祖父も、そして代々のディリライトの後継者は常に突きつけられてきました。何かを守る為に心を切り捨てることを。何かを守る為に自分が動くことを。その何かとはディリライトとその民であることを。・・・私は、この額飾りに残された彼らの思いを蘇らせただけ」
静かに、遥佳は海の方を見遣った。
ここから見えるディリライト諸島に属する島を。そして名もなき無人の島々を。
「私は父の娘として、そして父の為に、父が愛した島を守りたかっただけなんです」
仮病を使って一人の時間をゲットし、そうして東にある無人島から戻ってきた遥佳は、市場で買ってきた歪んだ真珠を取り出していた。
こうやって落ち込んでしまう日には、何かに熱中していた方がいい。
(タイキ達もキマリー国側の護衛が怪しいとなれば、私の仮病にも文句言わなかったし。思うんだけど、お外で元気に遊ぶのは一週間に一度ぐらいでいいんじゃないかしら)
先端が尖った細いヤスリで穴をあける。そうして糸を通すのだが、さて、どんな感じで作るべきか。
遥佳は比較的荒い目の布地を広げ、そこに真珠を並べて位置を考え始めた。布地が荒いので真珠も転がりにくい。元々が歪んだ形なので転がりにくくはあるのだが、こうすればイメージもできてくる。
(うーん。真珠をそのまま連ねていくより、真珠と真珠の間に何か一粒入れてメリハリを持たせた方がいいわよね。こういう場合、金色みたいなものがあるといいんだけど)
だが、考えてみればここは半貴石なども多く採れるディリライト諸島。
(そうだ、市場へ行こう)
イスマルクを助ける為に、ヴィゴラスは寂しさに耐えて山の中で生活しているのである。それを思えばヴィゴラスが心から喜んでくれるものを作りたい遥佳だ。
帰ったら思いっきり甘やかしてあげようと思いながらも、先日のことで懲りたので、まずはディリライト邸に行ってみた。
そしてコウヤを見つける。
「おじさま。今から市場に行ってきます」
「市場に? それはいいが、何か買うのかな?」
「この間、歪んだ真珠を沢山買ってきたんです。だからそれを連ねたものを幾つも用意し、それで垂れ幕みたいなものを作ろうと思ったのですけど・・・。真珠をそのまま連ねるより、黄褐色系のビーズのような物を間に挟んだ方が歪んだ形が分かりやすくて面白く見えそうでしょう? 何かビーズみたいなのが売ってないかなと思って、市場に行ってみようかと」
「ふむ。ならば、ちょっとこちらへ」
コウヤは遥佳を一つの部屋へ連れていった。
「ここは?」
「武器の飾りに使う物を置いてある部屋なのだよ。お守り代わりに家族や恋人が、そういう物を作って渡すのだ。後はまあ、その地位的なものを示す為にだね」
「だから色々な物があるんですね」
置かれている物は様々だ。金糸銀糸に様々な色合いの刺繍糸、とても厚みのある布地、金属を使った何か分からない部品、そして小さな剣なども沢山置かれている。
「えーっと、あったあった。ここらではどうかな?」
幾つもの引き出しを開けていたコウヤが、それを遥佳に見せる。
「まあ、なんて沢山」
「そうだろう? 金の粒に穴をあけた物だが、これなら使えるんじゃないかな? それともガラスのビーズじゃないと駄目だったかね?」
「いいえ、これがあるならこれの方がいいです。あの、これ、頂いても?」
「勿論だとも。足りないようなら追加で用意しよう」
「あ、いいえ。大丈夫です。足ります。残ったら返しに来ますから」
そうして塔に帰り、早速、遥佳は真珠に穴をあけ始めた。そうして真珠と金の粒を交互に連ねていく。
(黄金の粒だなんて、ヴィゴラス、とっても喜びそう。キュルル、クルルルって鳴くかしら)
仮病がばれないようにと、食事は使用人が運ぶようコウヤが手配してくれたので、遥佳はせっせとそれに集中できた。
ディリライト島にある高級貸別荘。
そこはシンクエンの部屋だ。それは間違いない事実だ。
なのに、そのシンクエンの部屋でウロウロと、あっちへ行ったりこっちへ来たりと落ち着きもなく歩きまわっているのは、キマリー国第二王子ウルティードである。
「お前なぁ、いつまで人の部屋で競歩し続ける気だ。そんなに歩き回りたいなら廊下でやってこい」
「ひでえっ。お前は心配になんねえのかよっ、シンクエンッ。それでも人の子かっ」
「・・・いや。俺にはお前のその掌を返したようなそれこそが、よほど現金すぎやしないかと、そう言いたいね。そんなことよりも自分の護衛が一人亡くなったんだ。そっちの方に心を痛めるべきだろう」
そこでウルティードは、かなりショックだと言わんばかりの顔になる。
「そんなことだと? お前、言うに事欠いてそんなことだと? そんなこととはなんて言い草だ。あのハールカ姫が寝込んだっていうのに心配にならねえのかっ」
「なあ、ウルティード? お前、昨日、一緒に舟で出かける前までは、『あの女』呼ばわりだったこと、覚えてるか? 忘れてるならよぉく思い返せ」
「・・・俺は礼儀知らずだった。それだけだ」
「ああ、そうだな」
誰もが知ってる当たり前の事実に、シンクエンも同意した。
「ハールカ姫も病弱だって話だったんだし、寝込みやすいのは仕方ないだろう。本人だって今に始まったことじゃあるまい」
「お前って奴は、病に苦しむ人間の気持ちが分からねえのかっ」
「その前に、お前の護衛は体調を崩したばかりか亡くなっているって事実の方を重く受け止めろよ。わざわざキマリーからついてきてくれた奴だろうが」
そう言いながら、シンクエンには気にかかることがある。
砂浜に打ちあげられた護衛の騎士は、外傷もなく溺死した様子だった。けれども彼は、具合が悪いからと二日目の舟遊びには同行せず、部屋で休んでいた筈だ。
(部屋で休んでいた騎士が、どうして細身のナイフや吹き矢等を身につけて海で亡くなってなきゃいけなかったかってことだ)
また、気になることはもう一つある。
留守番をしていた伯爵令嬢ミリエラが、ウルティードがタイキから借りた一人乗り用舟が誰も乗っていない状態で戻ってくるのを窓から見たと言っていたのだ。
『留守番、ありがとう。これはお土産だよ、ミリエラ』
『ありがとうございます、シンクエン様。なんて素敵。真珠ですわね』
『ああ。真っ白な真珠は汚れなき乙女を表すそうだ。ぴったりだと思ってね。帽子の飾りにでも使ってくれ』
『はい。あ、そうですわ。昨日、ウルティード様が借りられたという舟、一度海に流されたんでしょうね。ちゃんと戻ってはきていましたけれど、借り物はきちんとお繋ぎになっていた方がよろしゅうございますわ。ちゃんと兵士に結び直させましたけれど』
『流されていた?』
『ええ。刺繍していた時に、ふと窓の外を見ましたら、舟がこちらに流れてきていましたの。ですからてっきりウルティード様が繋ぎ忘れたのかと思いまして・・・』
『そうなのか。だが、借り物だけに昨夜もきちんと係留は確認させていたし、朝から出かけたからウルティードが乗っている筈はないんだがな』
『あら、そうでしたの?』
『ミリエラ。それは戻ってくるのを見たとして、出ていくのは見たかい?』
『いいえ。申し訳ございません』
『いや。ちゃんと繋ぐように兵士に徹底させてくれたんだろう? やっぱりミリエラに留守を任せてよかったよ。ありがとう』
『恐れ入ります』
これは偶然だろうか。
ウルティードが借りてきた舟をまだ乗っていないことは確認済みだ。そしてきちんと結び付けてあったことも。
具合が悪いと言って同行しなかった騎士は、海で溺れて亡くなっていた。そして、カラで戻ってきた舟。
彼はどこへ出かけていたのだろう? 泳げる筈だったが、慣れない場所で足を滑らせたか、激しい潮流に飲みこまれたのか。
「なあ、ウルティード。お前、どうして人が亡くなったってのに平然としてるんだ?」
犬や猫が亡くなっただけで泣き続けていた小さなウルティードを思い出せば、シンクエンにはそこも気にかかる。
「だって別にどうでもいいし。そんなことより、ハールカ姫の方がよっぽど大変じゃねえか」
「いや、お前の護衛騎士だろうが」
「はぁ? 何言っちゃってんのさ。たかだか一人一人の騎士の命に一喜一憂していたら王族なんてやってられねえだろ。そう俺に教えたのはシンクエンだろうが。それに・・・」
「それに?」
「あいつが死んでくれて良かったよ」
日頃からおちゃらけてばかりの第二王子のセリフとも思えず、シンクエンは自分の目にかかっていた金の前髪を掻き上げ、ウルティードを見返した。
「なんでまた・・・」
「気に食わなかったからさ」
「なんでだ?」
「なんでって、・・・勘?」
ぽりぽりと焦げ茶色の頭を掻きながらウルティードは誤魔化そうとする。
シンクエンが逃がしてくれなさそうだと悟り、仕方なさそうにその灰色の瞳に暗いものを漂わせて言った。
「あいつはいつか俺を陥れた筈だ。俺だって馬鹿じゃねえ。俺の姿が見えなくなったら引き出しを探っている奴がいたら警戒もするさ」
「お前の引き出しを?」
「まあな。俺がいなくなったら大抵の奴は、俺がどこかに抜け出して半日は帰らないと思う。だから怒り狂うか、諦めるかってなもんだが、それで無人になった俺の部屋に入りこんで、家探しする奴がいたら俺だって考えるさ」
「それを見てたのか」
「ああ。寝台の天蓋ってのは、意外な盲点なんだぜ?」
要は、寝台の天蓋部分に寝そべって身を隠していたということである。
今度から姿が見えなくなったらそこを探させようと、シンクエンは決意した。
「他にそういった奴はいるのか?」
「さあ? 知ってるだろ。俺の周りで信用できる奴なんざいねえよ」
こんな退廃的なものを漂わせるウルティードの姿を見るのはどれくらいぶりだろうと、シンクエンは考える。
「シンクエン、お前以外は」
「・・・・・・。普通は嬉しいセリフの筈なのに、げっそりと疲れてしまうのは何故なんだろうな」
「素直に喜べ」
「喜べるか。大体、胸は大きくて色気があって、街へのお忍びデートにも付き合ってくれるぐらいに気さくで、それでいて清純な姫君を探すんだって喚いてたのは誰だっ」
「えっ!? そ、そりゃあ、だってやっぱり政略結婚は仕方ないにしても、好みのタイプは妥協したくないよな?」
もじもじと頬を赤らめて、両手の指を絡ませながら照れた様子で言うのだから気持ちが悪すぎる。
「お前可愛さに、その希望を叶え続けようとした俺が甘すぎたのか」
「えっ、やっぱりシンクエン、俺のこと可愛かったんだなっ」
ご機嫌になるウルティードはどこまでも前向きだった。
「もっと厳しく育てるべきだったのか。結婚相手に希望が通るだなんて思う時点で、お前は我が儘すぎるんだ」
「ひでえっ。一生の妃は大事じゃないかっ。シンクエンだってそう言ったろっ?」
反対にシンクエンは、どんどんと心が後ろ向きだ。
「俺が言ったのは、愚かな野心を抱く妃はまずいということだ。お前は立場を忘れて、我が儘すぎる」
「そうかぁ? 俺は十分に立場を分かってるつもりだけど。だから兄上や義姉上に張り合わないような賢い妃を探してるんじゃないか」
「そこにお前の希望を入れるな。国の為ならカバとでも喜んで結婚しろ。それが王子の務めだ」
「ひでえっ。これでも俺の希望は、かなり国のこと考えてるじゃねえかっ」
シンクエンはぴくぴくと唇の端を引き攣らせた。
「じゃ、ハールカ姫はお前の好みと思いっきり違うんだし、対象外なんだからどうでもいいだろ」
「なっ。お前っ、なんてことをっ。好みかどうかだけで、判断するのかっ? それでも人間かっ」
「何をいきなり綺麗ごとを。今までお前がそこまでしつこく特定の姫君に何かしようとしたことがあったか? 代わりに俺がどれだけ無駄に褒め言葉を連発していたと思ってる」
「そうかもしれねえけど。だけど、ほら、・・・可愛いよな?」
シンクエンは南国には似つかわしくない冷たい視線を向けた。それはまさに雪山のような冷たいものだった。
「ウルティード、俺は今までお前が理想とする姫君を探して、無駄に色々な所へ行ったつもりだ」
「あ、うん。そーだな」
「華やかな美人で、胸が大きくて、腰もくびれてて、お尻もセクシーで、気さくで冗談が分かり、やがて王弟の妃殿下になるに相応しい教養と社交術を身につけている上で、清純な姫君が望ましいと、・・・そう、お前が言うから・・・」
「あ、ハイ。ソーデスネ」
「そう。おっまっえっがっ、言ったんだ」
「・・・はい」
ウルティードは、なんとなく肩をすぼめた。
気分はそう、亀になりたい。そんな感じだ。スッポンでも可。
「対してハールカ姫はどうだ? 美人というよりは中性的。メリハリのある体つきでもなく、全てにおいて薄いだけ。おどおどとしていて冗談が分からないタイプで、妃殿下としての教養と社交術どころか、そういった場に連れ出されようものなら泣いて帰ってきてしまうタイプ。かろうじて引っ掛かるのは清純な所だけだが、致命的な欠点として体が弱く、子供を望めないことだ」
「・・・彼女を侮辱するのはやめてくれないか、シンクエン」
「おっまっえっがっ! 挙げた条件だろうがっ!」
シンクエンに対して目つき鋭くその非礼を咎めれば、反対に叱りつけられたウルティードだ。
「あの時の俺には、何も分かってなかったんだ」
「安心しろ。今も分かってないから」
「あんなにも、本気で消え入りそうなぐらいに控え目な姫が存在するだなんて」
「お前に比べたら、控え目じゃない姫君は存在しない」
一つ一つ茶々を入れてくるシンクエンに、ウルティードはムッとした顔を向ける。
「お前なあ、シンクエン。人の言葉の揚げ足を取り続けて楽しいか?」
「現実を見ろ。ケイト姫ならばともかく、うちの第二王子に首長の姪だなんて格落ちもいいところだ。それでもお前が本気で望んだなら、ある意味で純愛ストーリーに持っていけないこともないだろう。だが、子供が産めないのは致命的だ。しかも社交術も全く身につけていないハールカ姫では、いずれ恥をかかされ続けて皆にいびられ、そうして心を病む未来が待つだけだろう」
「・・・・・・」
「王宮なんて、心の黒い奴しか生き延びられん場所だろうが」
「・・・・・・」
「彼女がそこで生きられると思うか?」
「・・・・・・」
「政略結婚の役に立たなくてもこうして大事にされるディリライトだからこそ、彼女は穏やかに生きていける。そこから連れ出せば、彼女の命が奪われるだけだ」
「・・・・・・だけどっ」
「諦めろ、彼女の為に。ウルティード、お前がハールカ姫にしてあげられるのは不幸にすることだけだ。それが分かっていれば、考えなしなことは言えないし、できない筈だぞ」
ウルティードは唇を噛んだ。
自分でも、これが恋なのかどうかなど分からない。
だけど、支えてあげたいと思ったのだ。
おじの家に身を寄せているということは、もう親はいないのだろう。
たとえ首長の血筋でも政略結婚の役にすら立てず、こうして一日舟遊びをしただけで寝ついてしまう程に体が弱くても、それでも彼女は一日一日を大事に生きているではないか。
護衛がウルティード達よりも舟を操るのが下手では立場がないだろうと、わざわざ練習の時間を配慮してあげる程に優しく、しかも役に立たぬ身を恥じて供の者すらつけずに市場などへ出かけては自分のことは自分でやろうと、彼女は常に努力しているのだ。
自分より下の立場の人間を思いやれるあの清らかな魂の持ち主を、どうして乞わずにいられるだろう。
「だけど俺は・・・・・・」
力を失ったウルティードの呟きは、そのまま空気に消えていった。
キマリー国王及び王太子の信頼をうけて、ウルティードのお目付け役とされている傍系王族の一員。
シンクエンは、その顔と物腰とを利用して様々な姫君に好印象を与えている。
だからこそ遥佳を喜ばせる見舞いを一緒に考えてくれるに違いないと思っていたのに、見舞いどころか距離をおくようにと諭されてしまったウルティードは、とても不貞腐れていた。
(べっ、別に見舞いぐらいは当然だよなっ。だって一緒に舟にだって乗ったしっ。それぐらいなら全く問題ないよなっ)
約束していたのに一緒に東の島へ行けなかったのだ。きっと彼女は心を痛めたに違いない。
自分は怒っていないし、それどころか無理せずに養生してほしいと思っている。
そんな気持ちを伝えるには何がいいのだろう。
基本的に今までそんな苦労をしたことのないウルティードはかなり困っている。
兄王子に何かあったら国王の座が転がり込んでくる第二王子だ。小さい頃から自由気儘、自分から相手の機嫌をとらなくてもいい環境に置かれていたウルティードは、儀礼的な贈り物などの手配を周囲がしてくれることには慣れていても、こういうケースは全く不慣れだった。
(そうだ、エルルーカに聞こう)
お互い、キマリー国王室の為に政略結婚が義務づけられているウルティードとエルルーカは、従兄妹同士というのもあって互いに恋愛感情はない上、ほとんど兄妹のノリである。
というわけで、ウルティードはその足でエルルーカの滞在している貸別荘に向かった。
いきなりやってきた第二王子を迎えたエルルーカの護衛達の方が慌てふためいてはいたが、気にせずスタスタとウルティードはエルルーカの部屋まで行く。
「ウルティード兄様。・・・普通、殿方というものは女性の身支度にかかる時間も考えた上で、先触れを出してからゆっくりやってくるものですのよ」
「大丈夫だ。俺はお前が化粧をしてようがしてまいが、ドレスを着ていようが着ていまいがどうでもいいからな」
「こっちのことをお考えなさいましって言ってるのよっ!」
そうは言っても、エルルーカとてウルティードと話すのが嫌いなわけではない。人の目がない分、気楽にお喋りできるとばかりに迎え入れた。
「で、どうなさったの?」
「ああ。ほら、今日な、ハールカ姫、具合が悪くて一緒に行けなかっただろ? お前、一番に仲良くなったんだし、何か見舞いでもするのかなって思って訊きに来たんだ。エルルーカ、ミリエラ殿よりハールカ姫と仲良くなってるっぽいしな」
「あら、分かります?」
「そりゃな。だってハールカ姫、あまりお前とは会話してなかったけど、アイコンタクトは取りまくってたじゃないか。あんなの、仲良くなきゃできねえぜ」
ウルティードは運動神経がいい。だから遥佳のちょっとした目配せなども目の端で捉えることができた。
昨日の遥佳は、小さな仕草でシンクエンの隣などをエルルーカに示したり、手招いてはシンクエンと一緒にエルルーカが小鳥に餌をあげたりできるよう配慮していた。
(ほんと、ハールカ姫、いい子だよなあ。エルルーカがつまらない思いしないようにって、あんなに気ぃ遣ってあげてさ)
鈍いウルティードはエルルーカの恋心に気づいていなかったが、遥佳とエルルーカの言葉を交わさないそれには気づいていたのだ。
ウルディートに、
「もう、友達なんだろ?」
と、言われて、面映ゆそうにエルルーカは頬を赤く染めた。
「とっ、友達っていうか、そうねっ、そんな感じかもっ」
取り巻きとは違う、普通の友人なんていなかったエルルーカだ。親友という存在に憧れもあった。
本来は首長の娘であるケイトとこそ仲良くなっておくべきなのだが、ゴツゴツした岩にいるヤドカリや、砂浜へと寄せてくる波にキャーキャー言っているエルルーカでは、ケイトはあまりにもスーパースペックすぎたのだ。
これが舞踏会やお茶会ならば違っただろうが、ケイトはお世話係ですよと言わんばかりにさばけている。
友情を構築する前に、遥佳と共にお世話されている幼児レベルのエルルーカだ。
だからコホンと咳払いしてから、乱れた茶色の巻き毛を少し手で直し、胸を張ってみた。
「私もキマリーの人間ですものっ。こういう時にこそお友達を作っておくべきかしらって思ったのですわ」
「そっかぁ。さすがだな。まあ俺もタイキ殿やカシマ殿と仲良くなってるけどなっ」
「そうですの。だけど私なんてハールカ様と親友ですのよっ」
「・・・親友かよ。さすがに俺が負けたな、それは」
「それ程でも、ありますけどねっ」
ほほほと高笑いしてみせるエルルーカだが、ちょっと自慢してみたかったのだ。
親友。
なんていい響きなのだろう。
ちぇっと悔しそうな顔になるウルティードにしてもエルルーカにしても、このディリライトに関しては、
「え? 舞踏会ですか? まあ、たしなみとして習ってはおりますが、基本的にここでは特に・・・。わざわざうちの広間で音楽を奏でなくても、踊りたければ好きな場所で勝手に踊ればいいだけですしね」
というタイキや、
「なら、何か一曲やりましょうか? ある程度の楽器は演奏できますよ。自分達でもそこにあるものや自分自身で様々な鳥の鳴き声みたいなものを出せるようにしていますし、それに比べたらあんなの簡単ですから」
というカシマや、
「お茶会なんてわざわざ招待状など出さなくても、お客様にお茶ぐらい普通に出しますわ。どの国のお茶がお好みでしょう?」
というケイトと話していれば、自分達のそういった舞踏会の踊る順番や、お茶会で招かれる人達の顔ぶれが影響する派閥競争など、ここでは意味がないのだと理解せずにはいられない。
「で、見舞いとかってするのか?」
「実は私もそれを考えていたのですわ。ですが、どんな感じでお体が弱くていらっしゃるのか分からなくて・・・。物とかだと好みもおありでしょうし。だからお花を贈ろうかと思ったのですけど、ここって、・・・売ってないんですものぉーっ」
がばっと泣き伏してしまったエルルーカだ。
花も全く売られていないわけではないが、市場で安く売られているのを知ってしまえば、安すぎてこれでいいのかと思わずにはいられない。
やはり自分が贈る花ならばそれなりの価格がするものでなくてはならないだろう。
けれども贈り物に相応しい高価な花が売られていないのだ。何故なら買うまでもなくあちこちで咲いているから。
「なんとゆーか、そりゃまた盲点な事実だな、おい」
「でしょうっ? こっそりケイト姫に訊いたら、この辺りでお見舞いなんてする時は、病気でも食べられそうなものを差し入れたり、元気になったらご馳走を持っていったりする程度なんですって。
だけど病気でも食べられるものなんて、私が聞いても分からないし、しかもケイト姫ったら、
『明日には元気になってますわよ。なんでしたら明日は大人しく磯遊びでもしましょうか。ハールカは基本的にお部屋でぽーっとしている子だから、無理矢理お外に出さないと何もしないんですもの』
って、笑っておしまいにされちゃったの。
あ、だから明日は私、ハールカ様の所へ遊びに行くつもりですのよ。招待もされてないのに勝手に行っていいのかお尋ねしたら、
『駄目だったら帰ってくればいいだけですわ。行ってみて迷惑そうなら帰る、大丈夫そうなら一緒に遊ぶ。そんなのでいいんじゃありません? 駄目だったら、明日は私達とまた海に出ましょうか』
でしたの」
「うーん、なんとゆーか、さすがはディリライト。ケイト姫もなかなか気持ち良すぎるサッパリ感だな」
「そうでしょう? だから私、とりあえず先日、ハールカ様が買っていらした歪んだ真珠を買って行こうと思っているんですけど」
「なんだ、そりゃ」
「普通の真珠と違って失敗して歪んだ形になった真珠なんですって。安く売られているから、それを買ってきて穴をあけて連ねて壁飾りか何かになさるおつもりだったらしいの。それを市場で買って持っていって差し上げればいいかしらって」
「へー。・・・なあ、なら俺も一緒に行っていいか?」
「それはいいですけど。だけどハールカ様、ウルティード兄様と違って暴れまくる方ではありませんから、つまらないかもしれませんわよ?」
「ああ、それなんだが・・・」
そこでウルティードは声を潜めた。
エルルーカにちょいちょいと、顔を貸せと、指で示す。
『俺の護衛が亡くなったの聞いたか?』
『ええ。昨日、同行していた一人でしょう?』
『シンクエン、俺には隠してやがるが、そいつ、暗殺用の小さな武器を忍ばせた状態で亡くなってたんだと。しかも、俺が借りてきた舟が使われた形跡がある』
エルルーカは目を大きく見開いた。
『明日の舟遊びをシンクエンが取りやめさせたのもそれがあるんだろうよ』
『誰を狙ってたのかしら』
『分からん。ディリライトの誰かを殺して俺かシンクエンの責任にするつもりだったか、もしくは・・・だな』
エルルーカがその青い瞳を一気に怒りで燃え上がらせる。
『明日、俺とお前はハールカ姫の見舞いに行く。俺は途中で席を外す。そしてタイキ殿かカシマ殿に、ちょっといい場所を聞いてくるわ。何にしてもいつヤられるか分からない状態でドキドキしてるより、俺とシンクエンのどっちを狙ってるか、はっきりさせた方がいいしな。俺と一緒にお前が出かけるなら護衛はいらねえだろ?』
『いりますわよ。何を寝ぼけたことをおっしゃってますの』
そんな会話をしながら、エルルーカとて王弟の娘である。
狙われたのは跡継ぎであるタイキか、一人娘であるケイト、もしくは目の前にいるウルティードだろうと考えていた。
一方。
不貞腐れてエルルーカの所へと出かけていったウルティードの様子を窓から見下ろしていたシンクエンは、そこで護衛の兵士に、
「男爵を呼んできてくれ」
と、命じた。
しばらくして、ホムルト男爵がやってくる。総白髪に薄い茶色の瞳をした彼は穏やかな風貌も相まって人の記憶には残りにくい。
「どうなさいましたか、シンクエン様」
「亡くなっていた騎士の調べはつきましたか?」
「ついたと言えばついた、つかないと言えばつかない。そんなところでございます。全く部屋に証拠が残されておりませんでした」
「そうですか」
ミリエラが見たという舟のこともホムルト男爵には伝えてある。
けれども本当はホムルト男爵という存在はいない。彼は王宮の侍従の一人だ。
「ところでお尋ねしたいのですが、ウルティードの第二妃にディリライト首長の姪というのは可能でしょうか? ただ、ハールカ姫は体が弱く、お子を望めない体だそうですが」
「ハールカ姫ですか。最後に紹介された大人しそうな姫君でございましたね。あちらからの打診でございますか?」
「いいえ。ウルティードが彼女を気に入ったようです。体が弱くて子供が望めない為、ディリライトも結婚させるつもりはないようですが、それを知っても尚、と。ですが正妃は無理でしょう。だから第二妃ならばと思ったのですが・・・」
ホムルトは困ったような顔になり、考えこみ始める。
「ケイト姫ならば娶る価値もありましょうが、姪でございますか。ディリライトには王侯貴族制度がない分、王宮では侮られやすくもございます。しかもお子が望めないとなりますと、・・・第二妃、たしかに妥当でございましょう。本国に問い合わさせていただきます。そういう姫君なればディリライトも色をつけてくるやもしれませんし」
「そうですね。嫁げない姫君をもらってやるのだからという立場に立てば・・・。ですが、いささか引っ掛かることもあるのです」
「シンクエン様?」
「もしかしたらこの話、ディリライトは蹴ってくるかもしれません」
ホムルトは探るような目になった。
「それは正妃でなくては駄目だということでございますか?」
「ディリライト側に全く打診していない以上、何とも言えません。ケイト姫ですら、首長は特に大陸のどこの王室に対しても色よい返事をなさっておられない。だからこそ姪ならばまだ手放すかと思えるところですが、・・・正妃に対して仕える立場にある第二妃などと言って断るかもしれないと、そう思えるのです。何となく、ですが」
「ですがお子を望めない姫など価値は全くございません」
何故ならば、両国の血を継ぐ子供を儲けられないのだから。
ホムルトは容赦なくそれを突いた。
「そうなのですが・・・」
自分が感じたものをうまく伝えられず、シンクエンも困ったように床を見遣る。
「まずは問い合わせてみましょう。それだけウルティード様のお気持ちが固まっているのであれば」
「お願いします。一応、頭を冷やすように言ってありますし、その気持ちはハールカ姫にとっても迷惑なことだと言い聞かせてはありますが、ウルティードに先走られてからでは遅すぎます」
「かしこまりました」
そうしてホムルトがいなくなればシンクエンも疲れたような顔でソファに座りこむ。
(どうして俺、あいつには甘いんだろう。厳しくするようにしているつもりが)
諦めろと言いながら、それでも第二妃ならばどうにかなるのではないかと動いてしまうシンクエンは、結局ウルティードには弱かった。
今までもいい感じかなと思えた姫君がいなかったわけではない。けれどもやっぱり違うんだと、いつもウルティードはそう言い出した。
(自分で思っていた異性に対する好みと、本当の自分が望んでいる好みとは違うということか)
ずっと面倒をみてきた年下の第二王子。
いずれ彼がどこかの姫君を望んだら、その姫君より少し格下の姫を同じ国から自分も娶ればいいと思っていた。
そうすればウルティードの妃も、異国の地で孤独に陥らずにすむだろう、と。
(どうせならケイト姫に惚れてくれればよかったものを。そうすれば俺がハールカ姫に結婚を申し込んで終わりにできた)
シンクエンは、目を閉じた。
おそらくキマリー国からは、シンクエンでは頼りにならんと、誰かが差し向けられるだろう。
それでもその人間を説得できればどうにかなる。いや、もしくは一度キマリー国に戻り、国王に直接ぶつかるべきなのか。だが、この状況をどう説明すれば分かってもらえるのだろう。
(ディリライトはあまりにも我が国と違いすぎる)
全てにおいてその価値観の違いが、大きく立ちはだかっていた。




