↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/281

31 優理はヴィゴラスといた

 



 人は、どんな幸運にも慣れてしまう生き物である。

 たとえ大神殿の地下牢にあっても幸運を感じることはあるのである。

 最初は、せめて遥佳と真琴に知られぬようひっそりと死んでいくつもりだったイスマルクだ。

 だが、こうして地下牢には乾燥した空気が満ち、冷え込みどころか毛布がなくても問題ない気温がキープされ、発光する苔のせいである程度の視界がきくようになり、更に壁際に地下水が染み出てくる水盤と排水溝ができてしまうと、その決意も消えてくるというものだ。


(どう考えても俺のこと把握されてるよな、これ)

 

 せめて見苦しくないようにと鋭利な石で髭を剃っていれば、いつしか壁際に光沢のあるまっすぐな岩石が現れ、ぼんやりとしたものではあるが、鏡代わりに顔が映るようになった。

 

(最近、食事が一日一回から三回になってきてるし、体重も戻ってきた気がする)


 囚人に食事を運んでくる下位の神官だってびっくりだ。


「これは一体どういう・・・」

「さあ。何がどうしてこうなったやら」


 問われたところでイスマルクだってそうとしか言えない。

 けれども人知を超えた恩恵がここまでもたらされてしまうと、それを目の当たりにする神官こそがびびってしまうのだ。

 普通の牢どころか地下牢に入れられるだなんてどんな大罪を犯したのかと、そんな軽蔑の気持ちを隠さなかった彼らの態度は、やがて一気に変化してしまった。

 一日一回の粗末な食事だったのが、一日三回の普通の食事が出てくるようになった。

 更に、着替えや盥まで差し入れられるようになった。おかげで水ではあるが、体を洗うことまでできている。

 しかし、水で体を拭いたり軽く洗ったりしていると、いきなり壁際に岩石製の浴槽ができてそこには温泉が染み出てくるようになった。源泉かけ流し、である。

 

(ハールカじゃない。彼女は地下牢に入れられても、こんな図太い環境など作りださずに泣き続けていた。マーコットじゃない。彼女はマジュネル大陸へ向かった)


 だからイスマルクは確信していた。

 これは自分を遥佳と真琴の元へ導いた優理によるものなのだろうと。

 

(だけど、・・・なんだか普通の部屋よりも居心地がよくなっているんだが、俺、どうすればいいんだろう)


 思うに、優理は何かに気づけば気づくほど改良していきたいタイプなのだろう。

 イスマルクの不便さを少しでも改善してあげようと、そう思ってくれたのだろうが、けれども地下牢とは罪人を入れておく場所だ。

 これでは動き回れないだけで、三食昼寝付き温泉付きのバカンス状態ではないか。


(いやいやっ、こういう時にこそ感謝の祈りを捧げ、そしてその慈しみ深く優しきお心を讃えなくては)


 だからイスマルクは祈る。

 他にすることがないから祈る。

 こうなると格好がつかないから祈る。


(これで俺がふんぞり返ってたら立場がなさすぎるっ)


 まさに神子姫様の奇跡だと、入れ代わり立ち代わり様子を見に来る神官達の手前、イスマルクは祈り続けるしかなかった。

 そうじゃないと、間が持たない。

 これが普通の牢に放りこまれたままであれば、黙って座っていればいいのだろう。しかし、地上よりも快適な気温が保たれ、二十四時間入れる浴槽付きの個室状態だ。

 それを見て、

『おおっ、なんとこれが神子様の奇跡・・・』

と、浴槽に向けて祈りを捧げる神官までもがいる中、どうして自分がぼけーっと座っていられるだろうか。


(何だか俺、これまでで一番祈り続けているような気がする)


 だからイスマルクは、まさに敬虔なる神官が如く、祈り続けるしかない。

 そうじゃないと、ここまでされている自分の立場がないのだ。

 今、彼は地下に続く階段を下りてくる足音を聞きつけるや否や、びくっと反応し、即座に祈りの体勢へと入れるスキルを身につけていた。


(これ、いつまで続くんだろう・・・)


 彼の内心はともかく、そして第1等神官の苛立ちはともかく、他の神官にとって祈り続けるイスマルクは、まさに殉教の聖者の如き状態になり始めていた。






 ティネルの街の住人、キースヘルムは荒れていた。かなり荒れていた。

 何と言っても、キースヘルムの根城が滅茶苦茶にされ、修理するよりも造り直した方がいいという結論に至ったのは数日前のこと。

 別に根城の一つが使えなくなったところで、まだ他にも使える場所はある。だから移転そのものは荷物を移せばどうにかなったのだが、手下が優理の自宅から持ってきた宝石の内、三つ程を着服していたことが判明した。

 それはしっかり八つ当たりもこめて制裁し、取り戻したからいい。


(これだけのことをされて黙っちゃおれねえのも事実だが、・・・ある意味、媚びを売るしか能のねえ女よりマシってもんだ。あんな小娘の時からここまでやってくれるんだ。先が楽しみってもんじゃねえか。やはりモノにしとかねえとな)


 被害は甚大(じんだい)だったが、それだけのことをあの若さでできるのだから、そこらの手下などより遥かに手に入れる価値がある人材だ。


(まあ、・・・それに、なんだ。ユニコーンを使ってどうこう言ってたが、あいつはゲヨネル大陸に乗りこんで契約をまとめることだってできるってことだろ。それならそれで俺としても文句はないしな)


 周囲に誰もいないのにコホンと咳払いしてしまうのは、あの生意気さがムカつくし、今回は醜態を見せてしまったのも事実だが、それ以上に自分が気に入ったその度胸を失っていなかったことが確認できたからだ。

 やはり自分が隣に置くのなら、あの小娘がいい。

 そう思って宝石を返却しに、わざわざ怒りを押し殺したキースヘルム自らが出向いてやったというのに優理は家から出てこなかった。

 それどころか、とても気に食わない男が優理の家から出てきたのだから腹立たしすぎる。


「ユーリに会いたいんだが。お前、誰だ?」

「やっと返しに来たのか。さっさと寄越(よこ)せ」

「・・・お前、人の話を聞いてるか? ユーリを出せと言っている。そしてお前は誰だ?」

「さっさと宝石を出せ、絶倫ゴーマン男」

「なっ・・・」

 

 キースヘルムが質問しているというのに、柔らかな印象を与える褐色の肌、そして太陽光の角度によって赤や白の光沢をみせる黄土色の髪を持つ青年は、欠伸(あくび)をして全く聞く様子もないときたものだ。


(何なんだっ、こいつはっ! 礼儀知らずどころじゃねえっ)


 本来は一発殴って身の程を知らせてやるところだが、キースヘルムはこの青年が弱くはないことを見てとっていた。


「なんだ、キースヘルムか?」

「あぁん? レイスじゃねえか」

 

 そこで声をかけられて振り返ったキースヘルムは、ドレイク一家のレイスが立っているのを確認した。何かの買い出しにでも行っていたのか、左手には大きな袋を提げている。

 右手には何も持っていないが、それはいつでも武器を取り出す為だろう。


「こんな所で何を?」

「そりゃこっちのセリフだ。お前(めえ)もこんな所で何してやがる。まさかドレイクの世話を焼きすぎて所帯じみちまったってわけじゃなかろうな」


 レイスが左手に持っている布袋の中から、こんがりと美味しく焼けた肉の匂いを嗅ぎ取り、キースヘルムがせせら笑ってみせると、レイスはいつも通りつまらない顔で言ってのけた。


「いいや、俺はそこの住人に用があって来たんだ。まだ少女だろうが何だろうが、使える人材がいたなら青田刈(あおたが)りでも何でもするさ。そうだろう?」

「俺の目の前でよくぞぬけぬけと言ってくれたもんじゃねえか。横取りしようってか」


 ならば受けて立ってやるぜと、キースヘルムが凄(すご)む。


「何があったかは知らんが、不幸にもグリフォンが突っ込んだ朝、お宅の隠れ家(アジト)から彼女が出てきたことはこちらも把握している。カイネ同様そちらも彼女を捜していたようだが、つまりカイネよりあんたの方が早く見つけてたってことなんだろう?」


 そうなんだよな? という顔で見られたら、キースヘルムも言う言葉は決まっている。


「当たり前だろう。どうしてこのギバティールで俺がカイネに後(おく)れをとるというんだ」

「だが、彼女はお宅の隠れ家からこの家に戻った。俺達とて馬鹿じゃない。あんたが彼女を捨てたことぐらい、すぐ察するさ。まさか小娘にまんまと逃げられたわけじゃあるまい?」

「小娘程度、うちの者(もん)が逃がすなんてするかよ」


 そりゃそうだと、レイスも頷いた。


「あんな発育不良だ。うちのカイネはともかく、あんたが本気になる筈もなかったな。だが、哀れなのは彼女の方だ。あんたのオモチャにされ、グリフォンが根城を壊したついでに捨てられたんだからな」

「べ、別に捨て・・・って、んなことテメエに関係ねえだろ」


 ここで何を言うべきなのか。

 オモチャになどしていない、と? 捨てるどころか拾ってもいない、と?

 キースヘルムは、そこで違う切り口に持っていった。


「俺がどこの女とどうなろうが知ったこっちゃねえだろうが。どうしてお前が出てくんだ」

「そんなの決まってる。あんたにとっちゃ手放しても惜しくない小娘かもしれんが、うちではそうは思っていない。カイネが目を離した隙にお宅が奪い取ったことは目を瞑ってやろう。男と女のことだ。だが、お宅が手放して、彼女は現在フリーだ。ならば傷心の時にこそ口説くのが当たり前ってもんだろう?」

「ざけんな、俺は手放してなどいねえ」

「だが、彼女はこの家に戻った。俺が、お宅がどれ程の女を囲う場所を持っているか知らないとでも? つまり手元に置いておきたい女じゃなかったんだろう? それともまさかと思うがお宅がフラれたのか? まさかな。あのキースヘルムを袖にした女はいない」


 レイスは鼻で笑いながらも、訳知り顔で頷いてみせる。


「なあ、キースヘルム? そこの男に入れてももらえなくて、しかも彼女に逃げられたわけでもないっていうなら、それはフリーだってことしかないよな?」


 その念押しに、キースヘルムは押し黙った。


「だが、珍しいな。捨てた女など一顧だにしないと思ってたが、やはり未練があるのか? それともこんな所にまで追いかけてきてでも復縁をお願いしたいようないい女だったか?」

「・・・かなりトゲを感じるんだがな」

「当たり前だ。うちのカイネがドレイクとやり合ってまで東奔西走したってのに、あんたが隠し持ってたんだ。誰だってムカついて当たり前だろう。しかもあんたは、うちがかなりへとへとになっているのを知りながら、彼女を手にしたことを黙っていた」


 レイスの赤茶けた瞳がキースヘルムを射抜き、その不誠実さを糾弾する。


「最低限の筋は通すべきじゃないのか? あいつはカイネの女だったんだぞ」


 優理を隠し持ってなどいなかったし、あの朝、いきなり押し掛けられたのはこっちだと言いたいところだが、とっくの昔に見栄を張ってしまったものだから、それを言えないキースヘルムだ。

 誰が言えるだろう。

 自分達の行動ミスで、根城が半壊されてしまったなどというみっともないことを。


「で? 結局、あんたは何をしに来たんだ? 俺と同じく彼女のご機嫌をとりに来たのか? うちは自分の所に引き入れる為なら、ご機嫌取りぐらい平気でやれるが、お宅は一度彼女を捨ててるな? 場末の占い師如きに平謝りで戻ってきてもらうようお願いするっていうなら、ああいうタイプには土下座ぐらいしないと、話も聞いてくれないと思うぞ」

「・・・ぐっ」


 捨ててもないから土下座する必要もないが、しかし、そこまで言われてどうして自分が、あんな小娘に未練があるのだと言えるだろう。

 そこでレイスは、戸口で空を眺めている黄土色の髪をした青年に語りかけた。


「ユーリに会いたいんだが、取り次いでもらえるか?」

「駄目だ。眠っている間の客は全て追い返すことになっている。ただし、そこの絶倫ゴーマン男からは宝石を受け取るようにと言われている」

「絶倫ゴーマン男って、・・・キースヘルムのことか?」


 レイスがキースヘルムへと、呆れたような顔で視線を移す。


「キースヘルム、あんなツルペタの小娘にそこまでやったのか。あんなツルペタにそこまでサカるとは本気でイカれてたんだな。それともツルペタ美学に目覚めたか?」

「だっ、誰が絶倫ゴーマン男だっ」

「褒め言葉だろ。俺だってお宅の艶話(つやばなし)を知らんわけじゃない。ツルペタに宗旨替(しゅうしが)えしたとは知らんかったが」


 さすがに爽やかな太陽の光の下で言われたいセリフではない。

 否定はしたものの、キースヘルムもわなわなと唇を震わせてしまうものがある。


「あっ、あの小娘っ。俺のことをそんな風に言っていたのかっ!」

「さっさと宝石を寄越せ。俺が聞いたのは他の人物からだが、朝っぱらから女と一緒に裸を披露してふんぞり返る男なんぞ、絶倫ゴーマン男でなければ絶倫サル男だ。ユーリ殿にお前らの汚いものを見せるな」


 優理にセクシーな裸体を見せつけてやったつもりが、それを聞いたらしい他の男からは汚いもの呼ばわりされ、キースヘルムのプライドは更にずたずただ。


「俺を追い返しといて、レイスは入れるんじゃねえだろうなっ」

「さっさと宝石を寄越して帰れ」


 戸口に佇む青年は、会話そのものをする気がないと言わんばかりだ。キースヘルムにもレイスにも目をくれず、再度、のんびりと空を眺め出してしまった。

 そこで、レイスが手に持っていた物を差し出す。


「ユーリが寝ついてるなら、クルンの実だ。これを齧らせるか、すりおろして飲ませてやってくれ。体力がつく。・・・そして、これはその願いを聞いてもらう手数料みたいなものだ。彼女が寝込んでいるなら、あんたが食べてくれ。子豚の丸焼きだが、なかなか美味い」


 空を眺めていた青年がレイスに視線を戻す。すると、レイスは言った。


「明日は七面鳥の丸焼きを持って来ようと思っている。彼女が食べられるようなら一緒に食べてくれればいいが、起きなければあんたが一人で食べればいい」

「お前が来ていたことは伝えておこう」


 レイスの言葉はヴィゴラスの心にクリーンヒットした。


(こいつはなかなか分かっている)


 恋愛契約がどうこうと言っていたが、一応は優理からオレンジタルトも出されていた相手だ。子豚の丸焼きがとても美味しそうな匂いを漂わせていたからというわけではないが、さすがに丸焼きだなんてものは遥佳も作らなかった。

 しかも、明日は七面鳥の丸焼き。


(悪くない。こいつは飯調達係(いいヤツ)だ)


 本当はキースヘルムから宝石を受け取り終えたら、後は全て居留守ですませるつもりだったヴィゴラスである。

 しかし、即座にその予定を撤回した。


「ああ。・・・ところでキースヘルム、宝石とやらを渡しに来たんじゃないのか?」

「てめえっ、レイスッ。よくぞ俺の前でぬけぬけとこいつを買収してくれたもんだなっ!」

「別に買収などしていない。ユーリに食べさせようと思って持ってきたが、昼日中から寝込んでいるというのなら肉など食べられる筈もあるまい。ならば彼に食べてもらうしかないだろう。どんな無茶を素人にやらかしたんだ」

「なんで俺が無茶させたことになんだよっ」

「他に宝石といった慰謝料を持ってくる必要が? それともまさか場末の占い師にお前が上納金を持ってくるようになったとでも?」

「なわけねえだろが」

「哀れなもんだ。そりゃお前の顔など見たくもあるまい。あんな子供にお前は何をしたんだ。そうでなければこんな用心棒を雇って寝込むことなどないだろう。ユーリを再起不能にでもするつもりか。相手は素人の少女だって意味をよく考えろ」


 キースヘルムはもう何も言えなかった。

 既にレイスの中では、キースヘルムによってぼろぼろにされ、寝込んでしまった優理という思い込みが作られているらしい。

 女の一人や二人、三十人や四十人、目の前で捨てられようが売られようが全く気にも留めないくせに、人材確保の為なら、こうして同情するかのような言葉を吐き出せるのだから、所詮はレイスもキースヘルムと同じ世界の住人だ。

 唇から出る言葉に真実などない。


「さっさと渡した方がいいんじゃないのか?」

「おらよっ」


 キースヘルムは、子豚の丸焼きが入った布袋を受け取った青年の手に、自分が持ってきた宝石を叩きつけるように渡した。

 本当は持ち帰り、交渉の材料にもしたいところだが、次の根城にまでグリフォンを差し向けられてはたまらない。

 受け取った青年は宝石を確認すると、何も言わずに扉をパタンと閉めてしまった。


「何なんだ、あいつは。普通、一言ぐらい何か言わないか?」


 だが、キースヘルムが拳にものを言わせられなかったのは、彼が強いと踏んだからだ。

 ぼうっと空を眺めていながら、あの青年は自分の周囲における危険を全て見分けているかのようなものを感じさせた。


「俺達には全く興味ないんだろう。それよりキースヘルム。絶倫ゴーマン男か。フッ、なかなかいいザマだったな」

「てめえ、まさか本気で横取りする気かよ」

「横取りなんざしないさ。そもそもカイネの女だ。そして今、・・・フリーなんだろう?」


 挑発するかのような表情は、まさにキースヘルムの弱点を知ろうとしているそれでしかない。


「けっ、女を口説くのに豚の丸焼きでご機嫌をとろうなんざ、あまりにもあんまりだろうがよっ」

「それは失敬。だが、そうなればお宅は何でご機嫌をとるんだ? また宝石でも持ってくるのか?」

「なんで俺がわざわざ小娘の機嫌をとらにゃならねえんだっ」


 どうしてこんな陰気な奴と仕事でもないのに会話なんざしなきゃならんのだと、キースヘルムは大股でその場を立ち去った。

 あまりにもムカムカする気持ちを抱いて。




 だが、次の日。

 キースヘルムが優理の家の扉を叩いても誰も出てこなかった。

 留守なのかと思い、帰りかけたキースヘルムはレイスの顔を見つけてさっと姿を隠す。

 どうやら約束した七面鳥の丸焼きが入っているらしき布袋を持ったレイスは、優理の家の扉を叩いた。


(けっ、アホな奴。そこは留守だってのによ)


 だが、扉は内側から開けられ、出てきた青年はレイスと何やら会話していた。


『約束の七面鳥の丸焼きだが、中には野菜が詰まっている。昨日の子豚はどうだった? シンプルに中身は詰めていなかったんだが、肉だけで食べたい奴と中身がある方がいいって奴とがいるからな』

『そうなのか。子豚は悪くなかった』

『明日は鵞鳥(がちょう)の丸焼きを持って来よう』

『分かった』


 レイスはクルンの実を食べさせたかどうかを尋ねる。


『起きなかったならクルンを潰して小さなグラスに入れて上半身を起こして飲ませるんだ。寝てる状態だとむせて気道を塞(ふさ)いでしまう。口も舌も動かない状態だから先に刺激して動くようになってからだ』

『放っておいていいと言われている』

『飲まず食わずでいくと不調が出る。体位にしても変えなきゃ鬱血(うっけつ)するんだ。彼女の為に理解してくれ。手足の末端も動かしてやらないと、人は駄目になる。そもそも普通じゃない状態だと分かってるか?』


 褐色肌の青年はそこで考えたようだった。


『何かしようものなら・・・』

『俺は彼女に対して何の害意もない。説明しながらやるから、遠慮なく見張っててくれ。もしも彼女に対して何かしたなら、その場で俺を刺してくれてもいい』


 パタンと、玄関の扉が閉じる。レイスとその男を呑みこんで。

 そこでキースヘルムは悟った。

 レイスは優理ではなく、優理の傍にいきなり現れた青年を籠絡することから始めていたのだと。


(くっそうっ、あの野郎っ! 昨日の時点でそのつもりだったかよっ!!)


 悔しさに歯噛みしても、全ては手遅れである。

 レイスの目の付け所は悪くなかった。

 菓子ですらあれだけ食べるのだからと、レイスは番犬(ヴィゴラス)を餌付けするところから始めてみたのだ。

 

「寝室はこっちだ」

「その前に湯を沸かさせてくれ。胃腸が弱っているようなら先に体を綺麗にしてから食べさせた方がいいんだ。湯を絞った布で拭くだけでも違ってくる」

「そうなのか」

「ああ。弱った人間は何かを口にした後で体を触られると、食べた物を吐いてしまうんだ。ユーリはそこまで虚弱なわけじゃないが、それでも起きている状態より消化は遅れていた筈だ。食べた後は口元を拭いて、上半身を起こした状態で少しずつ水分を取らせ、口内も濡らして絞った布で磨いてやるといい」

「なるほど」


 優理には誰も入れるなと言われていたが、ヴィゴラスは遥佳がまた深い眠りについた時のことも考えたのである。

 

――― なんて凄いの、ヴィゴラス。完璧よ。私の全てを任せられるのはあなたしかいないわ。


 きっと遥佳は感動して、どんな時でもヴィゴラスだけがいればいいと、笑顔で宣言してくれるだろう。

 その妄想が、その気になれば賢い幻獣の学習能力を高めた。


(こいつはなかなか説明が上手い。何よりユーリ殿のこの状態を知っている上、世話をしていた実績もある。・・・だが、説明の際にどうやったら死ぬかを織り交ぜてくるのは何なのだ。そんな手間をかけなくても人は簡単に死ぬというのに)


 それでも温かい湯で絞った布を使って顔や体を拭くのを教えられれば、次に遥佳が心を飛ばして深く寝入った時には自分もやるのだと、ヴィゴラスは決意するしかない。

 クルンの実を与えられて血色がよくなった優理の顔を見てしまえば尚のことだ。


(普通は数日かけて食べる丸焼きなんだが、やはり一日で食べ終えてたか。そして鍋を使った形跡はない)


 全く子豚が残っていない台所をレイスは見てとった。


「パンと野菜と塩漬け肉が積まれているのはいいが、料理の形跡が全くないな。何ならスープぐらい作ってやろうか? どれくらい食うんだ? 作ってほしい量を言え」

「その一番大きな鍋三つでいい」

「・・・そうか」


 部屋の中で優理とティータイムを楽しみながら、屋上の鍵をこじ開けて音もなく移動していたレイスの行動を把握していた相手だ。

 やり合うよりも取り込んだ方がいいと、レイスは勝てない戦に臨(のぞ)まないことを選んだのである。

 それは正しい判断だった。






 ティネルで優理が借りている小さな家は、便利な場所にあった。

 目を覚まして起き上がり、下の部屋まで行けばヴィゴラスが座っている。


「私、何日寝ていたかしら?」

「あれから二日、もうすぐ三日目に入ろうとしているところだ。・・・絶倫ゴーマン男が宝石を持ってきた。そしてユウリ殿と恋愛関係にあると主張する男が、クルンの実を持ってきている」


 暇潰しにと、優理が用意していた本を読み耽っていたらしいヴィゴラスがそう答えた。テーブルの上には戻されてきた宝石と、クルンの実が置いてある。


「そう。あなた、ちゃんとご飯は食べていたんでしょうね?」

「勿論だ。そのクルンを持ってきた男が、ユウリ殿にそれを食べさせろとしつこく言っていた」

「まずはお茶を淹れたらね。というか、私、なんかクルン、飲まされた覚えがあるんだけど」

「その恋愛関係にある男が飲ませたからだろう」

「・・・・・・そう」


 薬缶(ヤカン)では沸かす量が足りない。

 優理はちらりとヴィゴラスが熱心に読んでいる本のタイトルを見た。


「私、そんな本、渡してたかしら」

「クルンを持ってきた男が持ってきた」

「・・・道理で。だけどその『愛の隠れ家物語 ~監禁編~』、できれば内容は忘れてほしいなって思うのよ?」

「色々と参考になるところがあるのだが」

「しないであげて」


 優理とヴィゴラスのお茶を鍋で作り、優理の分はマグカップで、そしてヴィゴラスの分はスープカップに注いだ。残りはポットに入れて、テーブルの上に置く。


「あなたもクルン、食べる?」

「それはユウリ殿の分だと言っていた。俺はスープと丸焼きだけで十分だ」


 幻獣として神子姫の栄養を取り上げるような真似はしないのである。

 ヴィゴラスは清貧の聖者のように格好良く言ってのけた。

 けれども優理は台所で空っぽになった大鍋と野菜くずを見た後だった。


「レイス、どこまで浸食してたのよ。ヴィゴラスってばあれ程、誰も入れないでって頼んだのに」

「それでも食べるのだな」


 買うと高いらしい実をいそいそと手に取る優理をヴィゴラスは確認する。


「無料のクルンに罪はないのよ」

「その通りだ。丸焼きにも罪はなかった」

「そうね。タダというのは禁断の味。人は誰もが逆らえない」


 気を取り直してクルンを齧(かじ)りながら、優理は話し始めた。


「数日内に処刑する筈が、なんだか助命嘆願が始まってるみたい。今、保留になっちゃってるの」

「嘆願されれば処刑が取りやめられるのか? それなら何よりだ」


 ヴィゴラスは淹れてもらった茶を飲みながら相槌を打つ。


「そう思うわよね」

「うむ。ならば助けに行かなくてもいずれ戻ってくるわけだ。後は街道を潰しておけばいい」

「しれっと足止め工作しないで。それに処刑が取りやめられても、無罪放免とはいかないのよ」

「そうか。イスマルクも気の毒に。できれば遠くまで連れて行ってほしいものだ」

「そこで流刑地まで迎えに行くのはあなたよ?」

「その通りだ。ハルカは優しすぎる。こんなことならマコトの船にイスマルクも放りこんでおくのだった。俺は愚かすぎたのだ。けれども仕方ない。ハルカが泣かないようにイスマルクを回収してこよう。だが、無罪放免以外に手など打てまいに」


 大きな溜め息をつくヴィゴラスにとって、やはりイスマルクは邪魔者扱いだ。


「そうね。だけどそれじゃ示しがつかないって喚いている人もいるのよ」

「面倒だな。もう神殿を壊してイスマルクを連れてこよう。聖神殿が壊れた今、普通の神殿になど何の意味もない」


 ヴィゴラスは聖神殿と第7神殿はともかく、人々が祈りを捧げる神殿になど何の価値も見出していない。

 勿論、頑丈な建物だけに簡単ではないが、イスマルクがいる場所への障害物を全て壊して連れ出せばいいと、最初からそういった意見を述べていた。


「それもちょっと。・・・人は弱いわ。信仰というよりどころが必要な人もいるのよ。大神殿を壊して傷つくのは、かえって神官ではない普通の人達なのかもしれない」


 こうして人の間に暮らし、普通の小さな神殿ですら、人々にとっては日々の生活と共にあることを実感している優理だ。その意見には賛同しかねると、Goサインは出さない。

 それはもう予想していたのだろう。ヴィゴラスも自分の意見として言っただけのことだ。


「一つ食べてみる? 遥佳が弱ってる時に買ってきて食べさせるといいわ」

「ふむ。・・・・・・甘い」


 興味津々といった顔で齧ったヴィゴラスは、そのくどい甘みに顔をしかめた。


「病人とか弱った人にはいいんだけど。そうね、あなたには合わないかも」


 滋養強壮効果の高い実だが、強壮など有り余っているヴィゴラスにはあまり意味がなかったらしい。


「祈りなど、どこにいてもできるだろうに。女神の気配をあのような建物に感じることはない。我らは常にこの世界にこそ女神を感じている」

「ありがとう。きっとその言葉を母も喜ぶわ」

「そして、あなた達の為に用意された第7神殿にも」

「・・・そう」


 優理は寂しげに笑った。

 幼い頃、自分達が遊んだ第7神殿。その様子を探ることはできても、自分はまだ訪れていない。


「イスマルクのことについては、一週間後に会議が行われるらしいわ。こうなってしまうと、大神殿も第1等神官の私怨だけで処刑できなくなってしまったらしいの。イスマルクを処刑してしまった後のことが怖くなったのね」

「怖くなった? 何故だ? イスマルクに何かをする程の力はない」

「ああ。それは地下牢の環境が良くなったかららしくって・・・」

「環境が良くなったとは?」


 優理からその説明を聞いたヴィゴラスは、いささか毛糸のような細い半目になった。

 気分は、呆れた、もしくは、何をやってるんだ、そんなところだろう。

 口でこそ言わなくても、ダイレクトに優理へそのライムグリーンの瞳が語りかけてくる。


「ハルカもそういう所があるが、別に風呂に入らなかろうが、髭が生えようが、臭くなろうが、そんなのはどうでも良いと思えないものなのか? 別に助け出してからまともなものを食わせて、洗いあげれば、それですんだことだろうに」


 どれ程に人の姿をとれたとしても、幻獣は幻獣だ。

 そのお風呂にこだわるそれは少々いきすぎではないかと、思わずにはいられない。


「えっ。それはちょっと嫌よっ」


 毎日体を洗うのは当たり前、更にゆったりのんびりと浴槽に浸かってほっこりしたいという日本人ならではの感性を持つ優理は、大仰に目を見開く。

 だって、自分には耐えられない。だからイスマルクも耐えられない筈だ。

 そう思う自分は悪くない。


「・・・・・・ユウリ殿」

「・・・はい」


 しばし気まずい時間が流れた。


(やはりハルカと三つ子だけはある)


 ヴィゴラスが諦めの境地で首を横に振る。


「そ、そろそろお腹すいちゃったわねっ」


 さすがに空腹を実感し始めた優理が立ち上がった。

 いや、優理も本当は分かっている。

 分かってはいるが、やってしまったことは仕方がないのだ。今更言ってもどうしようもないだろう。

 さすがの優理もちょっとやりすぎだったかなと、今になって思っていたりもする。だけどそれを認めてしまったら終わりだ。だから顔を上げて、自分は間違っていないと主張するのである。


「さて、ご飯を作りましょ。あなたも食べるわよね。・・・何にしても一週間後までは何もできないし、私も占いの店を再開しようかしら」

「それはそれでいいのだが、・・・ならば俺もちょっと一週間程、留守にしよう」

「あら。遥佳の所へ行くの?」


 長く離れていて辛くなったのだろうか。

 ディリライト島まで顔を見に行くのかと、優理が尋ねる。


「いいや。ちょっとゲヨネル大陸に戻る。さすがに留守が長すぎたが、ハルカが戻ってきたら、俺は彼女の傍を離れたくないからな」

「あらそう。いいんじゃない?」


 やっぱり自宅チェックは大事だ。なるほどと、優理も頷く。

 自分が様々なことを探っている間はどうしても身動きがとれないから護衛が必要だが、一週間は普通に暮らすだけだから問題はない。

 そうして一気に大鍋で食事を作り始めた優理だ。


「あなたが出てきて、よくキースヘルムも大人しく宝石を渡したわね」


 作りながら声をかければ、ヴィゴラスはそうだなと頷いた。


「クルンの実を持ってきた男と鉢合わせ状態だったからな。俺が何も言わなくても、二人で言い争った挙句、俺に宝石とクルンの実を渡していった」

「へ、へぇ・・・」


 どんな口論だったのだろう。知りたくない。

 優理はそう思った。


「俺もゲヨネル大陸に一度戻るわけだし、何なら強い幻獣を・・・」

「それはいらないわ」


 ヴィゴラスが心配してくれているのは分かる。

 けれども優理は首を横に振った。


「いつかそれを望む日が来るのかもしれない。だけど今はあなたの存在がある。だから不要なの。・・・私が幻獣を傍におくかどうかは、あなたにかかってるわ」

「・・・そうか」


 ヴィゴラスは、ならば今回は見送ろうと、そこで自分の提案を引き下げた。

 遥佳や真琴と違った視点で優理はこの世界を見ている。ここに来てヴィゴラスはそれを知った。


「それを貫くのは我らへの同情か?」

「いいえ。母への誤解を正す為よ。だけど、・・・そうね。自己満足なのかもしれないわ」

「けれども救われる奴もいる」


 ヴィゴラスにとっては他の生き物などどうでもいいことだ。しかし女神の神子として、優理が己を律している事実は理解できる。ヴィゴラスには理解できない生き方であっても・・・。


「手伝おう」


 ヴィゴラスは人参を手に取った。

 遥佳はご飯を作るのも楽しんでやっていたから、のんびり遊んで待っていたのだが、優理にとって料理は作業でしかない。ならば、自分も一緒に食べるのだし、手伝うのは当然だ。

 ヴィゴラスは、神子に関してだけは通常の礼儀をわきまえているグリフォンだった。


「ありがとう」


 礼を言った優理が、それを撤回するのは早かった。


「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、今度、私のお腹が空いていない時にゆっくり皮剥きの練習から始めましょうね」

「む。こんな筈では」


 人参の皮を剥こうとしたら、二つ割りにしているヴィゴラスだ。


「普段は器用なのだが」

「そうね。遥佳を着飾らせることはとても器用だったわね」


 野菜は丸かじり、肉は食いちぎる。そんな食生活しかしてこなかったヴィゴラスの調理手際は、実はとても悪かった。





 

 宝物を愛でることと食べることしかできない幻獣と思いきや、ヴィゴラスはかなり頭のまわる一面を持ち合わせていた。

 決して優理に手は出さないこと、そしてそれが破られた時には殺すという条件付きで、ヴィゴラスは自分が不在中の護衛をレイスにさせてやる約束を、子豚の丸焼き5つで手を打ったのだ。

 優理の知らないうちに。

 

(ヴィゴラス。あなた、ほんっきで一番大事なのは遥佳だけなのね)


 優理のことも心配はしてくれている。だからレイスを護衛に置いていったのだろう。それは分かる。

 だが、できることなら。


(どうせならカイネさんにお願いしてほしかった・・・!)


 まるで自分が子豚の丸焼きでレイスに売られたかのような気分になってしまうのは何故なのだろう。いや、別に鵞鳥とか七面鳥ならいいというわけではない。

 

『ふむ。これがお弁当という奴だな』

『お弁当っていうのは、もっと可愛らしいサイズじゃないかしら』

『十分に可愛らしい。このこんがり焼けた様子も、じゅわっと出てくる肉汁も』

『・・・そう。良かったわね』


 まさに人を人とも思っていないグリフォンだが、それでも神子達のことは尊重している。それは伝わってくる。優理を案じてくれている気持ちも嘘じゃない。

 だが、何故なのだろう。

 どうして自分の安全は子豚の丸や・・・・・・いや、もう言うまい。


『野原へ持っていくお弁当はバスケットだと、ハルカが言っていた。今度はハルカと一緒に子豚を食べたい』


 そんなことを呟き、子豚の丸焼きが入った大きな籠と共にヴィゴラスはゲヨネル大陸へと旅立った。

 飛び立つ為にまずは山の方へと歩いていくヴィゴラスを見送り、レイスが紛れもない感嘆の声を漏らす。


「やはりあいつとやり合わなくて良かった。子豚は子豚でも、わざと大きく育ったのを選んで渡したのに、全部入った籠を軽々と片手の指だけで持っていくとは。どんな鍛え方をしたらあんな体になるんだ」

「さあね」


 そんなものをねだられた意趣返しに、わざと重くて持ちにくい大きなサイズの子豚を用意したレイスの気持ちが優理には分からない。


「大きい分、高くつくだけじゃない。さりげない嫌がらせならもっと考えなさいよ」

「馬鹿だな。小さく幼い方が肉も柔らかいんだ」


 レイスからは呆れた目で見下ろされた。

 馬鹿なのはお前だと、優理は言いたい。

 生の豚すら平気で骨ごと噛み砕くグリフォンに、そんなのは意味がない。


『あいつはよく分かってる。人間だが特別に下僕第二号(おきにいり)と呼んでやってもいい』


 実際、大きい子豚の丸焼きに、ヴィゴラスはそう満足していたぐらいだ。


「こちらの勧誘には頷いてくれなかったが、国内ならあんな奴がいて噂にならん筈がない。どこの国の奴だ?」

「さあね」

「おい。知ってるんだろう?」

「知らないわよ」

「百発百中の占いで当ててみろ」

「彼の所属国を当てる為には、金貨2000枚が必要なのです」

「・・・どこまで守銭奴(しゅせんど)だ」


 そうして、レイスが仕事の合間に優理の家に入り浸り、しかも泊まっていくことが決定されれば、黙っていられない小姑が出てくる。

 優理は、自分のひっそりとした生活が完全に破壊されたことを知った。


「なんや。まあ、色気は皆無やけど飯だけは食えんこともないわな」

「文句あるなら帰りなさいよ。誰も『来て』だなんて言ってないわよ」


 夕飯時になったらやってくる黒髪の男が現れたのである。


「しゃーないやんけ。レイスがここ居(お)る言(ゆ)うんやから」

「どんだけあんた、レイスが好きなのよっ」

「違(ち)ゃうわっ。レイスが俺んこと好きなんやっ」

「痴話喧嘩は二人でやりなさいよっ」


 しかしドレイクを本気で追い出せないのは、レイスと二人っきりになれば何をされるか分からないからだ。

 この嫉妬深いドレイクがいれば、まだ自分は安全だろう。いや、自分は邪魔しないから遠慮なく二人でいちゃついていろと言いたい。


(拉致監禁男(キースヘルム)と誘拐犯(レイス)のどちらがマシか、まさにそんな感じだわ)


 こんな自分を助けてくれるのはカイネしかいない。


「カイネさん、ドレイク(このひと)、連れて帰ってほしいんですけど」

「だがな、ユーリちゃん。レイスは暗殺系だ。ここはドレイクもいた方が安心だろ」

「どっちも一般市民と遠すぎるのよぉっ」

「うーん。その内、キースヘルムもここに居据わるようになるかもな」


 なのに、そんな優理と二人の仲間を見て、カイネはとても縁起の悪いことを呟いて帰っていった。

 





 優理が久しぶりに市場へ行くと、市場の監督をしている男がすっ飛んできた。


「ユーリさんっ、無事だったかっ」


 彼は市場にある様々な店の売買状況や状態などにも目を光らせている管理者だ。


「何でも、悪い奴らに連れて行かれて売春宿に売られ、更に借金の取り立てで家も滅茶苦茶に破壊されて、家財道具も全部売られたんだろうっ? ここに戻ってきて本当に大丈夫なのかいっ」

「・・・一体、どこからそんな流言(デマ)が」

「みんな言ってるよっ。言われてみりゃユーリさん、怪しげな商売もしてたじゃないか。いつか、そういう危ないことに巻き込まれると信じていたよっ」

「・・・・・・ひどい」


 誰にも言えない悩みを解決します、正義の味方にどうぞご相談を。

 そんなノリでやっていたつもりの優理は、ぴくぴくっと頬を引き攣らせた。


「売春宿から脱走してきたのかいっ? だが市場の人だってその日暮らしが多いんだ。足抜け金なんて用意できないよっ。いや、勿論、その状況は気の毒に思うが・・・」


 己の無力を嘆くかのような管理者の男は、優理に同情してくれているらしい。


「ご心配なくっ! それ、思いっきり出鱈目(でたらめ)ですからっ」

「いっ、いやっしかしっ、たしかにあいつらがユーリさんの居場所を・・・」


 下を向き、優理はフッと黒い笑みを漏らした。


(あんの疫病神がぁっ! やっぱりあばら骨ぐらい折ってもらっとくんだったわよっ)


 しかし、今はこの状況をどうにかしなくては。

 優理は顔を上げると、市場の監督をしているその男に向かって、目は全然笑っていない状態で口元だけ笑ってみせた。

 誰もそれを笑顔とは認めないであろう、そんな鬼気迫る笑顔である。


「それ、誤解ですから。大体、あいつらが私を捜していたのは、私を見つけて役立ってもらおうっていうだけで、全く借金とかありませんから」

「そ、そうなの、かい」


 その勢いに、つい監督者も後ずさった。ぐいっと優理が前に一歩踏み出し、監督者は一歩下がる。


「そうですっ」

「あ、ああ。まあ、そうだ、うん、誤解ならそれはそれで・・・。そうだとも、無事で良かったよ。じゃあっ」


 脱兎の如くその場を立ち去った監督者だが、優理の怒りは燃え上がったままだ。


(こーのーうーらーみ、晴ーらーさーで、おーくーべーきーかーぁーっ)


 きっとその噂とやら、市場中に広まっているのだろう。

 あまりにも不名誉すぎる。


(私、もう、お嫁に行けない)


 優理はがっくりと項垂れた。






 妖精や幻獣が暮らす大陸、それがゲヨネル大陸だ。様々な幻獣が思い思いに暮らしている地上の楽園でもある。

 ゲヨネル大陸に全速力で戻ったヴィゴラスは、久しぶりに自分の巣へと舞い降りた。


(おお、そうだ。お弁当を食べなくては。こんがりとした脂の旨味、そして凝縮された肉の味わいが丸焼きにはある)


 いそいそと残りの子豚を食べだすヴィゴラスだ。

  

(ハルカにも食べさせてあげたい。だが、ハルカは肉も数切れしか食べない。一番美味しく焼けた皮の部分を肉と絡めて食べさせて、残した分を俺が食べればいいだろうか)


 丸焼きには大きな竈(かまど)が必要らしい。つまり、それさえあれば焼けるのだ。

 焼くのは下僕第一号(イスマルク)にやらせればいいだろう。

 きっと遥佳も美味しいと言って喜んでくれるに違いない。

 あの微笑みを二度と曇らせてはならないのだ。


――― グリフォンはまずこんな下界っつーか、人里にゃやってこねえ幻獣だ。ああやってマーコットを背中に乗せてくれるんだから、かなり理性的かつ温和な性質の個体だと分かる。けどな、人間なんつー生きもんは、恐ろしさに怯えるか、金儲けに使おうと考えてしまうもんなんだ。


 レイノーの言葉を思い出したのは、あの医師達が遥佳を庇って地下牢に入ったからか。

 人間は愚かにも愛を忘れ、それでいて愛することを全く忘れていない生き物だ。


(あの聖神殿の欠片が欲しくて行っただけだが、行ってよかった。人間にも色々な人間がいるのだと分かった。あのように考えられる男達がいるならば大丈夫だろうと思った俺が愚かだったにせよ、まさか俺が原因ではなくハルカやマコト達が危険に陥るとは。これで俺がいなかったならハルカはどうなっていたことだろう。城とやらに連れていかれて無理に結婚相手を押しつけられたのか)


 ヴィゴラスは、自分の巣がある岩山からはるか下界を見下ろす。

 青い湖が光を反射してキラキラしているのを眺めるのが気に入りだった。

 そして木々の緑を眺めるのも好きだった。

 宝石の輝きしか認めないというグリフォンもいるが、ヴィゴラスはその点において多様な良さを認める温和なグリフォンだ。

 

(たしか、あの辺りに集落があった筈だ)


 そしてその数分後、とある匠の小人(ドワーフ)族の集落に悲鳴と怒号が響き渡った。


『グリフォンがっ! グリフォンが攻めてきたぞぉーっ!!』

『グリフォンが族長を人質にとったぁーっ!』

『み、皆・・・っ、儂(わし)のことはいいっ、いいから逃げっ・・・ゲフォッ、ゴフォッ』

『族長ぉーっ!』

『どうして族長の爺(じ)っ様(さま)を見捨てて逃げられるんだよぉーっ』

『頼むっ、頼むから族長だけはぁーっ』

『いっ、いかんっ。儂の為に未来ある若者が犠牲になってはいかんのじゃあーっ』

 

 手を取り合って逃げようにも、襲ってきたグリフォンはそれを見抜いて動く。

 匠の小人(ドワーフ)達は、グリフォンに対してあまりにも無力だった。


『グリフォンとて鬼ではない。俺の言うことに従うのであれば、この族長(ジジイ)を助けてやろう』


 そこで族長を見捨てられる者はいない。


『従いますっ、従いますからっ、どうか族長の命だけはっ』


『ふむ。良い心がけだ』


 そうして温和なグリフォンは、血を一滴も流すことなく一つの集落を手に入れた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。