29 遥佳はエルルーカとご飯を食べた
ディリライト邸にある八角堂は大活躍だ。
けれども宴会の時とは違い、今回は男女混合で卓を円形に配置し、夕食の準備はなされた。
自分が捜索されていたと知った遥佳も、ディリライト首長コウヤを始めとする皆に、
「心配をかけてごめんなさい。私が悪かったです」
と、謝ったが、客人の前とあって、
「無事ならそれが全てだとも。楽しかったかな?」
「はい」
と、すぐ不問にされてしまった。
(良かった。ヴィゴラスのお土産しか買えてないし、お土産で誤魔化す手が使えないところだったもの。有り難う、真琴。あなたのやり方ってあざといだけだって思ってたけど、それでもあなたが全く反省しないわけが分かったわ)
そんなことを思って、ほっとしている遥佳だ。
真琴を見習って真っ先に潔く平謝りしてみたのだが、実はかなり有効な手段だと知ってしまった。
こんなにもあっけなく許されるのなら、自分も人間関係スキルとして取り入れてもいいかもしれない。
(ううん。私まで真琴みたいになったら終わりね。これはここぞという時にだけ使うことにしましょう)
それに今日はとても実りある時間だったかもしれない。
キマリー国のエルルーカ姫は王弟の娘という立場の王女だが、国王の娘ではない。けれども王女としての役目をこなす必要と、国王の娘ではない立場ゆえに低く考えられたり、はたまた国王の血に近いことを高く考えられたりと、周囲の値踏みゆえになかなか大変な環境だそうだ。
そういうことを本人から教えてもらえたことは、遥佳にとっても勉強になった。
(同じ立場のお荷物姫だと思われたからこそ、教えてもらえたんでしょうけど。あの時の序列にしても馬鹿馬鹿しいって思ったけど、一度でもそれで受け入れてしまったら今度は貴族に、
「あら。王族といっても、それでもこんなことがありましたのよ」
と、侮られることになっちゃうのね。常にマウンティングして序列を教えこんでおかないといけない努力が王族には必要なんだわ)
そんなことを考えなくていいディリライトで良かったと、遥佳はほっとする。
そうしてキマリー国の肝心の第二王子は来なくても、それでも王族の男女を迎えてとなれば、気合の入った夕食が出された。
遥佳がキマリー国が借りている別荘で昼食をご馳走になったのだから、今度はディリライトでエルルーカ達に夕食をご馳走するというだけのことで、和気藹々といった食事の席である。
「楽しめたなら良かった。あちらの別荘地は初めてだっただろう? 遠浅の海が広がるから、塔とは違う景色が見られたのではないかな?」
「ええ、おじさま。ちらりと見たけれど綺麗だったわ。だけど私、エルルーカ様とずっとお喋りしてたからあまり見ていなかったの。キマリーのお茶もご馳走になったんだけど、エルルーカ様、ディリライトのお茶を飲んで、こういう島ではディリライトのお茶が合うって思われたんですって。けれどもせっかくだからって、キマリーの茶器を使ったお茶の飲み方を教えていただいたわ」
「それはそれは。・・・うちのハールカ姫は体が弱いものですからあまり外の世界を知らないのです。エルルーカ姫のおかげで素晴らしい時間を過ごせたようだ」
「こちらもハールカ様に色々と教えていただいて、瞬く間に時間が過ぎていきましたわ。変わった真珠も見せていただきましたし、舟のことにもとても詳しいんですもの」
エルルーカの言葉にタイキ達三兄妹は、ほんの少しだけ動きを止めた。
遥佳は全く舟のことを分かっていない。出鱈目な説明をしていなければいいのだが。
何か言われない内にと、遥佳はコウヤにその話を持ち出す。
「あ、あのね、おじさま。えーっとウルティード王子様、自分で漕ぐ舟に興味があるけれど、危ないからってお付きの方が渋ってらっしゃるんですって。だけど今、私、タイキやカシマ達に教わってるじゃない? だから・・・」
三兄妹がウルティードに舟の漕ぎ方を教えることで自分を放置してくれるのではないかという野望が、遥佳にはあった。
(それにこれって私、なんか外交してきたって感じよね? いなくなって迷惑かけたんじゃなくてキマリー国と仲良くなるきっかけをつくってきた感じよね? それにそこで仲良く一緒の舟に乗るなら、もうカシマも私から聞き出そうとか思う前に、あっちの王子様本人にかかりきりになるわよね?)
遥佳を世間知らずで頼りないと思っている三兄妹は、これで見直すことだろう。
実は遥佳はとてもしっかりしているのだと。
「そうでしたか。ならばウルティード様だけと言わず、お二方もご一緒にいかがですかな? タイキ」
「はい、父上。・・・シンクエン様、エルルーカ様。こちらでは毎朝、ハールカと一緒に舟に乗って無人の名もなき岩島に行ったりしているのです。ご都合のいい日に合流するといった形でご参加なさいませんか?」
「まあ、素敵。ハールカ様も舟に乗れるのですね。でしたら私もすぐにできそうだわ」
青い目を輝かせるエルルーカに、そっとタイキとカシマは視線を外した。
どうせ見ればすぐに分かることだ。今、いらぬことを言う必要はあるまい。
何より三兄妹には分かっていた。
このエルルーカも遥佳と似たり寄ったりレベルだろうと。
「それはとても有り難いことです。国から連れてきた者達も海に浮かぶ舟はどうしても勝手がつかめませんから、危険だと止めるしかなく・・・。毎朝というのであれば、明日からでも?」
「勿論です。護衛の方もいらっしゃるなら何名乗りの舟がいいでしょうか。どの大きさもありますので対応はできますが、やはりどの大きさの舟に乗ってみたいかにもよりますから」
シンクエンとタイキが打ち合わせ始めたものだから、エルルーカがそっとハールカに目配せと微笑をよこしてくる。
きっとエルルーカは、体の弱い遥佳ができるなら自分もできると思ったのだろう。
うふふとごまかすような笑いを浮かべ、遥佳はそっとケイトに上目遣いで合図を送った。
――― ごめんなさい、ケイト。エルルーカ姫のお世話はよろしくっ。
仕方ないわねといった顔で、ケイトが頷く。
(これでケイトもエルルーカ姫のお世話で手一杯。私ってばなんて腹黒い人間になってしまったのかしら。お父さん、私ってばこうして皆を思うがままに転がす黒幕になってしまったのです)
遥佳はこれでやっと筋肉痛から逃げられるのだと、ほくそ笑んだ。
「皆様は何名で行かれているのですか?」
「私とカシマとケイト、ハールカの四名です」
「おや、護衛はつけておられない?」
「ええ。必要ありませんから」
青い目を少し瞠ってから、シンクエンは問いかける。
「失礼ですが、・・・ディリライト諸島の継承者第一位、第二位、第三位と、全員が同じ場所に出向くのは危険では? いえ、こちらの治安を疑うわけではありませんが、海のような場所では何があるかも分かりません。それが自然というものでしょう」
物事に絶対はなく、国王と王太子が同じ場所に行くことはない。
それをよく知る王族ならではの指摘だった。
「ご心配いただきましてありがとうございます。ですが不意の際にも生還できる力を有し続けていることも後継者の務めでございます。そうでなければディリライトの名を名乗れません」
その言葉にタイキとカシマの体格を見直すような顔になり、シンクエンがなるほどと頷く。
「羨ましいことだ」
その言葉にはどんな思いがあったのか。
(ごめんなさい。私、そんな力はないけど名乗ってます)
ううっと胸に突き刺さるものを感じながら、遥佳は食卓へと目をやった。
(だからタイキ達も私に教えこんでくるのよね。だけど私、ディリライト継がないから必要ないのに)
美しいグラスには冷たい飲み物が注がれ、繊細な色合いの陶磁器には食べられる花や野菜や果物が、肉や魚、貝などと共に盛り付けられている。
二又のフォークみたいなものと、細身のスプーンとマドラーを合体したようなものを操り、皆は流れるような動きでそれらを口元に運ぶ。ここでの食事は基本的にそういうものを使うのだ。
初めて使うカトラリーなので恐る恐るトライしていた遥佳だが、使ってみれば人間どうにかなるもので、今では普通に使っていた。
「カリン様。ディリライトの衣装はとても素敵ですわね。今日、ハールカ様にも見せていただいたのです。普段着と仰っていらっしゃいましたけど、それなのに色鮮やかで綺麗でしたわ」
「海に行くのでしたら明日はこちらでお召し物を用意させていただきますわ。普通のドレスでは濡れると溺れてしまいますの。だから海遊び用の服を着ますのよ。エルルーカ様は何色がお好きでいらっしゃいます?」
「まあ。そんな早く用意できますの?」
「ええ。簡単な作りですもの。市場でもご覧になりました?」
「そこまでまだ見ておりませんでしたわ。どんな色が人気ですの?」
「何色でもいいのですわ。よろしければこの後、ご覧になりません? エルルーカ様は日焼けしないように、あまり肌が出ない方がいいと思いますの」
「ええ、是非」
首長夫人カリンも、まさか王族の姫君が同行しているとは思わなかったにせよ、なんだかいい感じだ。
(円形の食事って誰に話しかけるにしても話しやすいわよね)
ディリライト家の人間だけの食卓は、コウヤと遥佳が上席に着いて食べる。それは遥佳が客だといえばその通りなので、問題はない。
しかし、来客時はその来客とコウヤが共に上席に着くわけで、姪である遥佳は末席になってしまう。しかしそれをしたくないコウヤは、円座で食事の席を作らせるのだ。
(別に私が気にしないならどうでもいいように思うけど、後日もしも私の事が明らかになったらおじさまが非難されることになる。だからきっと、ここで私が遠慮しないことこそが望ましいことなのよね)
今までの自分ならそういう時でも、私は構いませんからと言って自分から譲ってしまっていただろう。だけどこうやって、遥佳は少しずつ自分以外の人の立場を考えられるようになった。
(きっと優理や真琴がいなくなったからなのね。私、本当に甘えきってたんだわ)
優理がいなくなった時も、真琴がいなくなった時も、寂しくてたまらなかった。
だけど優理がいなくなった時には真琴がいてくれた。
真琴がいなくなった時には、地下牢ではハミトとレイノーが、第7神殿ではヴィゴラスがいてくれた。
(そう考えると私、人にしてもらうばかりで、自分では何もしてあげてない)
ここには優理も真琴も、イスマルクもハミトもレイノーも、そしてヴィゴラスもいない。
だから頑張って自分は人付き合いを覚えていこう。
そうテーブルの下で握り拳を作って決意する遥佳をよそに、皆の会話は弾んでいる。
「ああ、あの夕焼けですね。それを指輪の石に見立てるんです。情熱の赤い太陽はあなたへの燃え上がる愛ということで、告白の場にも使われています。こんなにも美しい姫君をエスコートしておきながら、そんなことも説明しない兄で申し訳ありません」
「まあ、そんなことありませんわ。タイキ様は、私が尋ねた真珠の説明をしてくださってましたの。色で意味が違うというものですけれど」
「そういうのは買い求める男性に説明するものなんですが・・・。先に贈られる側の姫君に教えてしまったら、意味を調べるドキドキ感がありませんよね?」
「まあ、そうでしたの? 真珠の色のことも、夕焼けのこともハールカ様が教えてくださいましたのよ。だから見に参りましたら、ちょうどリングの形をした岩の上に猿が座っていましたの。なら、猿も愛を語っていたのかもしれませんわね」
「はは、ハールカは土壇場でちょっとどこか抜けてるんですよ。情熱の赤く燃える指輪どころか、サル指輪じゃあまり感動できませんでしたよね」
「まあ、ほほほ」
遥佳は思った。
(もうカシマになんか、お土産なんて買ってきてあげないっ。なんで私が抜けてるのよっ)
心の中でぽかぽかとカシマを叩いてからタイキを見れば、母のカリンや妹のケイトに、エルルーカ姫だけではなく男性用の服も手配するように頼んでいる。
「そうしたら着替える場所も用意させていただきましょうね。エルルーカ様は、ハールカ様のを仕立ててまだ使っていないのが沢山あるから、この後で選んでいただくつもりだったのよ」
「・・・おばさま。私、服は数着あれば十分なんですけど。毎日違う服ばかりで申し訳ないというのかしら」
「まあ、なんてことを。ハールカ様はもっと我が儘にならなくては。せっかく可愛らしい模様も似合うんですもの。仕立てた以上はどんどん着ていただきますわよ。それにエルルーカ様も可愛らしいものがお似合いになりそうですし、明日はお揃いでもいいかもしれませんわね」
「はあ」
ケイトの好みは確立されていて自分で決めてしまうから、カリンはつまらなかったようだ。
ここぞとばかりに乗り気だった。
「問題は泳げるかどうかだわ。ハールカ並みだと思って遠浅のルートにしておいた方がいいわよ、兄様」
「大丈夫だろ。間違って転覆したら一人につき一人を助ければ、・・・あ、ハールカが泳げないか」
そこで、打ち合わせたが如くタイキとケイトの目が遥佳に向けられる。
「私、いざとなったらできる子なのよ、タイキ、ケイト」
それこそ転覆となったら話は別だ。
自分はいざとなったら海にお願いしたらその上を歩くこともできる。
勿論、そんなことをしたら素性がばれるので、普段は全くやることはなく、今も頑張って泳ぎを覚えているが、生きるか死ぬかになったらそんなことも言っていられない。
だから遥佳は、任せてとばかりに言ってみせた。
「ええ、そうね。大丈夫よ、水に浮きやすい板を用意しておくから」
「そうだな。安心してくれていい、ハールカ。しがみついていれば溺れないからな。いや、最初に縄で繋いでおけばいいのか」
「そうね。そうすればハールカがしがみつき忘れても大丈夫よ」
「・・・・・・なんで浮き板に私は縛りつけられちゃうの」
波が押し寄せる度に犬かき状態で溺れかけている遥佳を見慣れている二人は、現実的な対応を考えたらしい。
日本の波ができるプールは、ちゃんと足がつくものだったから、自分は悪くないと思う遥佳だ。
切なくなりつつ残ったシンクエンを見れば、コウヤとギバティ王国についての話をしている。
「ギバティ王国は聖神殿、大神殿がありますから。こう言ってはなんですが、あそこの王族を外に出す時にはかなりふっかけてきますね。ですがまだあそこの王女は幼い。それだけ早めに嫁いできてもらえばどうとでもなるのかもしれませんが、毎年の貢ぎ物を要求されることは覚悟しておかれた方がいいでしょう」
一応、明日からかなり世話になると思ったからだろう。シンクエンは少し踏み込んだところまで話していた。
「いやいや。うちのタイキにもカシマにも、ギバティ王国の王女様など考えてはおりません。陸続きの国々と違い、我がディリライトはさほど縁組に頼る必要はないのです。勿論、どこの国であっても縁組できるのであれば、それはそれでありがたいこともありましょうが」
「ケイト姫を出される気はないのですか? ハールカ姫にしても、どの国とてディリライト家と縁続きになれるとなれば目の色が変わることでしょうに」
「ハハハ。所詮、ここは海に浮かんだ小さな島々。大陸の王国などとは、とてもとても・・・」
「ご謙遜を。ディリライト諸島は何があろうと戦いに敗れることなき歴史を誇っておられる」
「運が良かったのでしょう」
だが、コウヤがケイトに対する縁組の打診をどこから受けても、色よい返事をしなかったことは有名だ。
おかげで好奇心を刺激されたウルティードは、ちゃっかりシンクエンを前面に出してやってきたのである。
どの国も王子達自身がケイトと顔合わせしたことがないのは、わざわざディリライト島までやってきてフラれたら立場がないからだが、肝心のウルティードは、初っ端から鼻っ柱をペシッと叩かれて拗ねているときたものだ。
そこで、ふとシンクエンが遥佳を見る。
首長の一人娘であるケイトとなると慎重な扱いになるが、姪となれば格が落ちるだけに気軽なものとなるからだ。
「ハールカ姫はいかがです? 我がキマリー国に一度遊びにいらっしゃいませんか? エルルーカ姫とも仲良くなってくださったようですし、歓迎いたしますよ」
「そのお誘いはありがたいのですけれど、私、体が弱いものですから、あまり邸から出ることができませんの」
「え。・・・そうでしたか」
「はい」
遥佳が微笑めば、シンクエンが心ないことを申し上げたとばかりに、すまなさそうな顔になる。
「ですが、キマリーは気候も温暖で暮らしやすい国でございます。機会がありましたら」
「ええ、その時には是非」
うん、これでいい。
遥佳は伏し目がちに病弱な少女を演じて内心でガッツポーズを作る。
(こうして私も女優になっていくのね。褒めてちょうだい、お父さん)
しかし、シンクエンもずっと第二王子ウルティードの為に隠れ蓑を務めてきた人間である。
どこを訪れようと、傍系王族であるシンクエンと、シンクエンとは母方の縁戚関係にある貴族令嬢が前面に出ているが、いざという時に守らねばならない最優先人物は第二王子ウルティード及びエルルーカ姫だ。
だからだろう、昨日と同じように何かが彼の心に引っ掛かった。
(ディリライト首長の一人娘であるケイト姫。それ以上に重要な姫はいない筈。筈なんだが・・・)
けれども引っ掛かる。
しかし自分の知っている情報を検索しても、該当するような姫など思いつかない。ディリライト首長が預かっている他国の姫君にしても、そんな重要な関係に位置する人物がいただろうか。
(何故だろう。まるでハールカ姫、ケイト姫よりも優先しているような気がしてならない。何よりあんなにも大きな赤い宝石が嵌めこまれた黄金の額飾り。ディリライト首長の姪に過ぎない立場でありながら誰よりも豪華なものをつけているのは何故なのか)
そんな筈はないと思いながらも、何かあればウルティードとエルルーカの前に出ていく自分だからこそ、それを感じるのだ。
タイキやカシマ、そしてケイトまでが、まるで自分達三兄妹よりも遥佳を優先しているかのように。
このディリライトの後継者である自分達よりも遥佳をその背に隠して守っているかのように。
キマリー国からディリライト島までやってきているミリエラはとても不機嫌だ。
滞在中は高級別荘を借り、別の建物だからこそ、侍女達にぼやかずにはいられない。
「どうして私があんな我が儘エルルーカ姫に張り合われなくちゃいけないってのよっ。誰の為にこんな苦労してると思ってんのっ!」
「お、落ち着いてくださいませ、ミリエラ様。・・・それでもエルルーカ様は我が国にとって大切なお方。こんな大変なお役目も、ミリエラ様ならできると思われたからこそでございます」
「冗談じゃないわよっ。大体ねえっ、私は外国に嫁ぐ気なんてないんだからっ」
伯爵令嬢であるミリエラは、シンクエンの母と従姉妹同士になる伯爵夫人の娘だ。
この一行は、まさに傍系王族であるシンクエンが花嫁探しをしているかのように見せかけながら、ウルティード第二王子が自分の花嫁を探しているといったことになっているが、同時に王弟の姫にあたるエルルーカの婿探しも兼ねている。
いくら相性のいい相手を見繕うにしても、大事な王子や王女が価値のない貴公子や令嬢に引っ掛かってもらっても困る。
それがキマリー国の思いだ。というわけで、ウルティードとエルルーカの、いざという時の盾としてシンクエンとミリエラが抜擢されたのである。
「全くですわ。外国に嫁がれては苦労なさるだけではございませんか。早くウルティード様がお相手を決めてくだされば、シンクエン様も様々な場所へ出向く必要もなくなりますし、ミリエラ様もゆっくりと暮らせますのに」
ミリエラの乳姉妹でもある侍女は、そう言って溜め息をついた。
「大体、何なのよっ。ウルティード王子とエルルーカ姫は身分を隠してるんだから引っ込んでればいいのに、何かとシンクエン様と私が一緒にいると邪魔してくるのよっ。どこまでも自分が一番じゃないと気がすまないんだからっ。それなら最初から自分が王弟の姫ですって言って出ていけばいいのよっ」
「ええ。こっそりと相手を観察する為のものなのですから、エルルーカ姫様もお顔を覚えられては困りますのに。どうして分かってくださらないのか」
侍女は宴には出ていけない。
だから戻ってきたミリエラの話を聞くだけなのだが、聞けば聞く程、エルルーカ姫は、自分が一番目立つのじゃなくては気に入らないらしいと、溜め息をついた。
自分の主人であるミリエラがないがしろにされていることに、彼女は心を痛めている。
そこへ、コンコンとノックの音が響いた。
「お入りなさい」
「失礼いたします」
侍女の言葉を受けて入ってきたのは、シンクエンの傍にいる騎士の一人だった。
「先程、ディリライト邸にて夕食の席にお招きいただいていらしたシンクエン様がお戻りになりました。つきましてはミリエラ様に、明日の予定を確認する為、おいでいただきたいとのことでございます。ですがお疲れのようでしたら、明日の朝でもかまわないとのことでございました」
「分かりました。今から参ります」
騎士はにっこりと笑って一礼する。
「それでは玄関にてお待ち申し上げております」
扉が閉められて少し経った後、ミリエラは溜め息をついた。
「いつの間にシンクエン様ったらそんなお招きを受けていたのかしら。それなら私に声をかけてくださってもいいと思うのだけど」
「そうでございますね。普通は女性を連れて行くものでございますのに。ですが、ここの歓迎の催しは舞踏会ではなく、男女は別の場所でゆっくりとお食事を頂くスタイルだったとか。ならば女性を連れて行く必要もなかったのでしょう」
「そうかもしれないわね。・・・まあ、いいわ。ああ、さっさと帰りたいこと」
口ではそう言うが、ミリエラとてシンクエンと共に各地の王城を巡ることが本気で嫌なわけではない。たかが伯爵令嬢、他国の国王や王妃に声を掛けてもらえるなんてこと、普通ではあり得ないのだから。
傍系とはいえ、王族であるシンクエンがやってきたのだからと、シンクエンがその訪れた国での王女などと踊るなら、連れであるミリエラも他国の王子と踊ったりもするのだ。
勿論、伯爵令嬢である自分では、他国の王太子などとの縁談は無理だと分かっているが、それでも三番目とかの王子であれば・・・。
(王子妃だなんて、結構いい響きよね。それにそういうことなら、シンクエン様の妹として養女にぐらい迎えてくれる筈だもの)
そう思ってしまうのは仕方ない。ミリエラとてエルルーカと同じ17才。色々と夢見てしまう。
(エルルーカ姫だなんて、私の陰で根暗に品定めしてればいいってのに)
自分が楽しく色々な王子と踊るのを、お付きの者に紛れたエルルーカは黙って見ていればいいのだ。
(いざという時にはちゃんと守ってもらえるんだから。私なんていざとなったらエルルーカ姫の身代わりにならなきゃいけないのよ。分かってるのかしら。それでどうして私を大事にしないのよ)
恵まれているくせに、更にでしゃばろうとするエルルーカを、ミリエラは好ましくなど思えない。
どうせキマリー国一行の中に戻れば、ウルティードとエルルーカが主人なのだ。ならば、他国の人々の前ではおとなしく自分に仕えていればいいものを。
(本当にイライラする。やってられないわ)
それでも手早く自分の服装などが乱れていないかチェックしてもらい、ミリエラはシンクエンのいる建物へと出向いた。
シンクエンは慎重な性格だ。
きちんと情報は伝えておかないと、思わぬところで足を掬われると考えている。
「エルルーカ。夕食だけにしても遅くなったから、侍女達も心配してるだろう。一度戻って皆を安心させてから、護衛と一緒においで」
「はい、シンクエン兄様」
だから一度はエルルーカを滞在中の建物に戻らせ、違う建物に滞在しているミリエラにも呼び出しの騎士を差し向けた。
本来はウルティードとシンクエンも別々の建物に滞在する筈なのだが、ウルティードは何かとシンクエンといたがる為、なし崩しに同じ建物に滞在している。最近ではもう、それは諦めているシンクエンだ。
思った通り、恨めしそうな顔でウルティードはシンクエンを待ち受けていた。だからシンクエンはウルティードを見るなり、にっこり笑ってみせる。
「喜べ、ウルティード。お前の為に舟の手配をしてきたぞ。明日、大丈夫だな?」
然も自分こそがウルティードの為に動いてきたと、言わんばかりだった。
「えっ、舟っ!?」
「ああ。お前、乗りたがってただろう? 無人の岩山まで自分で漕いで行く舟を出してくれるそうだ」
思った通り、それで誤魔化されてくれたらしい。
そういう単じゅ、・・・いや、素直なところがウルティードの美点だと、シンクエンは心の中で安堵の吐息をついた。
「本当かっ? お前、危ないから駄目って言ってたじゃねえかっ」
「そりゃお前に何かあったらコトだからな。騎士だって馬は巧みに操るが、舟は門外漢だ。・・・だが、ディリライト家のタイキ殿とカシマ殿、そしてケイト姫が面倒をみてくれるそうだぞ」
「は? なんでケイト・・・姫が?」
「男女の区別なく、ここでは出来て当たり前らしい」
「へー。ま、それでも女だ。大したこっちゃねーだろっ。よっしゃあ、行く行くっ。明日の朝だなっ」
簡単にウルティードの機嫌をとったシンクエンは、応接室に茶の用意をさせる。
「シンクエン様。エルルーカ様、ミリエラ様がおいでになりました」
「ああ、通してくれ」
やがてやってきた二人を迎え、その話となった。座っているのは四人だが、部屋の隅にはそれぞれの護衛達が控えている。
何故なら、明日の予定を彼らも把握しておかねばならないからだ。
「へー。つまりエルルーカが、あの昨日の俺んこと暴露してくれやがった姪を見つけて連れ込んでたのか」
「そういう言い方やめてちょうだい、ウルティード兄様。ハールカ様、とても可愛らしい方なんだから」
「可愛らしいって、一番目立つカッコしてたじゃないか。普通、首長の姫に譲るってもんだろ?」
「ああ、あの赤い宝石の額飾りのこと? だけどあれ、ちょっと特別な意味があるからつけてるんだって仰ってたわ。目立つ為につけてるんじゃないなら、よその文化に色々言うもんじゃありませんわよ、ウルティード兄様」
結果としては残念ダブルデートとなったものの、エルルーカの中で遥佳は自分の恋敵にならないばかりか、完全なる協力者として認識されている。
(あれ、シンクエン兄様と一緒に夕焼けを眺めて、真珠を買ってもらって、そうしてお腹が空く頃だからって一緒に食べて帰るといいって意味だったものね。ベンチがあるから二人で座って食べるといいですよ、ここなら誰も見ていませんよって匂わせてくれてたし)
かえってキマリー国の人間よりも信頼できる人を見つけてしまった気分だ。
別荘に帰ってくる時はシンクエンの腕に掴まりながら仲良く歩いてきたわけで、とても幸せだった。
「店で買うのと、市場で買うのと、その路上で買うのと、どれぐらいランクが違ってどれくらい値段が違うんだ? 土産土産とうるさい奴らなんて安いのでいいんだ、安いので。けど、安もんってばれたら鬱陶しいしな」
肝心のシンクエンは、そんなことを帰り道でブツブツ呟いていたから全く分かっていないようだったが、遥佳をディリライト邸の皆が捜していなかったら、きっと今頃、自分はシンクエンの買ってくれた真珠をもらって・・・・・・。
そこで、エルルーカはちょっと眉根を寄せた。
(そうね。シンクエン兄様の買った真珠を、渡す人間別に仕分けする手伝いをさせられていた気がするわ)
そうしてお駄賃に真珠を一つ渡されるのだろう。
(違う。何かが違う気がするの)
自分が欲しい真珠はそういうものではない。
けれどもそんなエルルーカの気持ちに頓着することもなく、会話は進んでいた。
「こちらからは護衛を含めて何人連れてきてもいいとのことだったが、あちらはタイキ殿、カシマ殿、ケイト姫、ハールカ姫の四人だそうだ」
「なんでだよ。護衛がつかねえってこたねーだろ」
「海の上にあって、自分で生き抜く根性もないならディリライトの名は名乗れないと、そう言われてしまったよ」
肩を竦めて肘も軽く広げ、両方の掌を上に向けてシンクエンが参ったとばかりに言う。
「とはいえ、海の上で舟を漕ぐだなんて、姫君には厳しいのも事実だ。で、エルルーカ、ミリエラ。君達はどうする?」
「申し訳ありませんけど、私はそんな舟を漕ぐだなんて・・・。室内で刺繍でもしていますわ、シンクエン様」
ミリエラは、このディリライト諸島を受け継ぐ人間が、まさに兵士がするような舟を漕ぐ作業をするだなんて、しかも自分もさせられるだなんて冗談ではないと、即座に逃げを決めた。
「そうだな。ミリエラの美しい手に針と糸よりも重いものは持たせられない。ゆっくりしておいで」
シンクエンもそう微笑む。
「私は行くわ。だってハールカ様だって乗るって仰ってたもの。なら私だってできるわよ」
「まあ。ですけれど、エルルーカ様? 殿方に混じって舟を漕ぐだなんてことができる姫君と張り合われましても、恥をおかきになるだけですわよ? 無理に決まってるではありませんの。湖の小舟すら漕いだこともないのに」
ミリエラが困った方と言うような表情で笑ってみせるが、そこには馬鹿にした響きしかなかった。
「そんなことないわよ」
ムカッとしたエルルーカが反論する。
「だってハールカ様、お体が弱くて子供も産めないって仰ってたもの。そんなか弱い方が乗れるなら、私だって乗れるわよっ」
そこでシンクエンとウルティードがエルルーカに注目した。
「えっ、何だそれ。あの女、そんなこと言ってたのか、エルルーカ?」
「ええ、そうよ。ディリライト首長の姪なら私と同じ立場よねって言ったら、ハールカ様、自分は政略結婚もできない姪だから同じじゃないですよって。だけど素敵な方なのよ」
「体が弱くて邸からまず出ないとは仰っておいでだったが、子供も産めないとは。そりゃ立つ瀬もないだろうに」
子供ができるかどうかなんて、結婚してみなければ分からないことだ。けれども今からそれを断言できるということは、どうしようもない程に体が弱いか、致命的なものがあるのだろう。
王族であればこそ、政略結婚もできないというのが何を意味するか、ウルティード達三人もそれが察せられてしまう。
しかし、シンクエンはそこで「ん?」と、気づいた。
「だが、ハールカ姫は特に肩身が狭い様子でもなかったな」
「言われてみればそうね。護衛もなしに市場を歩いていた時には、大事にされていないのかしらって思ったけれど、あちらのお邸に戻ればタイキ様もカシマ様も、それこそ皆で捜していたみたいだし」
「ケイト姫にしても、わざわざ他国に出す程の理由はないと首長も仰っておいでだったから、政略結婚など考えなくてもいいのかもしれないが。それでも島内における有力者との縁組を考えるだろうに」
普通はそんな役に立たない姫など、ひっそりと隠されるようにして冷や飯食いとなるのが常なのだ。
本当にここはよく分からんなぁと、シンクエンは金髪の頭をぽりぽり掻きながらウルティードに向き直った。
「どっちにしてもそういうわけだから、ウルティード、心ないことは言うなよ?」
「言うわけねーだろ。俺だってそこまで鬼畜じゃねえ」
そこで話もついたようだと、護衛の責任者達がシンクエンに声をかける。
「でしたらシンクエン様。我々も舟を漕げる人間を用意した方がいいのでしょうか?」
「そうだな。どちらかというと泳げる人間だろう。舟が転覆した場合、タイキ様、カシマ様、ケイト姫がこちらを一人ずつ助けてくれるらしいが、それ以上は無理だと話しておいでだった。つまり、自力で泳げないなら護衛以前に溺死しかねない」
そこで護衛達も戸惑った顔になった。
湖で泳ぐのならばどうにかなるだろうが、海というのは勝手が違うからだ。ウルティードがはしゃいで魚を獲ってきているのは遠浅のそれで、足がつく深さしかない。
「泳げる人間ですか」
「無理にとは言わん。あちらも護衛はつけていない。こちらもつけてこなくていいといった感じだった。だが、それでは心配するだろうから護衛を連れてきてもかまわないそうだ」
「そうでございますか。・・・では、ちょっとこちらで泳げる者がいるかどうかを調べ、明日のそれを考慮いたします」
「そうしてくれ。朝食後、ディリライト邸へ行く。ウルティードとエルルーカと俺の三人だ。・・・ミリエラ、後は任せた。きちんと留守を守ってくれるな?」
「はい、シンクエン様」
転覆だなんて冗談ではない、行かないと言っておいて良かったと思いながら、ミリエラは優雅な微笑を浮かべてみせた。
深さや場所、時間帯と天候によって様々な美しい色合いを見せるディリライトの海。
だが、遥佳の顔色は冴えなかった。
(困ったわ。どうすればいいのかしら。こういう時って・・・)
シンクエンが連れてきたのは、ウルティード第二王子とエルルーカ姫。そして護衛の男が三名だ。つまり、キマリー国は六名。
ディリライト側は三兄妹と遥佳の四名である。つまり、合計十名だ。
キマリー国側にはディリライト邸で用意しておいた、濡れてもいい服を提供すれば、エルルーカも楽しそうに着替えていた。
「私とハールカ様、お揃いって話だったけど、同じ花と鳥とを角度を変えて描いてあるからあまりお揃いっぽくないわね。だけど綺麗だわ」
「全く一緒のお揃いだったら手を抜いたように思われかねないからじゃないかしら。これならお揃いなのに別って言われても通じるもの」
「まあ、そうだったの? 私、手抜きだなんて思わないのに」
「それってエルルーカ様がとても伸びやかな心の持ち主だからだと思うわ」
並んだらお揃いの服だと分かるのだが、色や模様の入っている位置も違うので別の服にも見えるところが、カリンの手腕だったかもしれない。
そんな二人にタイキがパンパンと手を叩いて注意を向けさせた。
「今日は東にある島に行きましょう。明日は西にある島に案内しますよ。どちらも無人の島ですが、それぞれに深さや潮の流れが違っていて、泳いでいる魚も違うのです。楽しんでいただけると思いますよ。そうだな、十人乗りで行くか」
「あ、あのね、タイキ」
「なんだ、ハールカ?」
「それなんだけど・・・。今日と明日、同じ島に行きましょう? あのね、我が儘言うみたいだけど、私、あまり海に慣れてないでしょう? だから同じ島に二回行くことで、行き方も覚えたいの。勿論、キマリー国のお客様にはご迷惑だと分かってるんだけど」
「ハールカ。だが今日は十人乗りだから、行き方を覚えるも何もハールカの練習にはならないだろう?」
自分で漕ぐのなら練習にもなるが、人が漕いでくれる舟に乗ったところで行き方など覚えられよう筈もない。
タイキも遥佳の言い分に面食らってしまった。
「それなんだけど、三人乗りを二つ、四人乗りを一つにしない? 護衛の方には見守ってもらうってことで別に乗ってもらって、そして私達も二手に。そうしたら私達も漕ぐのを練習しながら行けるでしょう? タイキとカシマが分かれてくれれば、何かあっても大丈夫だもの」
「そういう練習なら後日ちゃんと付き合ってやる。大体、護衛の方が舟を操れずに流されでもしたらどうするんだ」
「えっと、じゃあ、護衛の方の舟にはケイトに乗ってもらうってことにして」
ケイトも四人乗りの舟ぐらいは操れる。護衛の三人が役立たずでも全く問題はないだろうが、さすがにおいおいと思ったタイキだ。
来客には様々な所を案内した方がいいだろうし、それはまずいだろうと、遥佳の我が儘を却下しようとしたタイキだったが、ウルティードが口を出す。
「俺も同じ場所に二回行く方がいい、いや、行きたいのでお願いできませんか? そちらは舟を操るのも慣れたものでしょうが、こちらはそうではないから練習したい気持ちもあります。是非、二日目には上達した自分の姿をハールカ姫にも見てもらいたいものです」
驚いて振り返った遥佳に、ウルティードは笑いかけた。
「ハールカ姫も練習中なんですね。俺と同じだ」
「え、はい。そうなんです」
はにかみながら答えた遥佳は、あまり病弱そうには見えないが、たしかに胸も薄いし、大人しくて儚げな雰囲気がある。
(ああ、たしかに。額飾りはとても派手だが、それ以外は大人しめだもんな。三兄妹に比べて海に慣れてねえってことは、最近になってそれだけ丈夫になったってことかもしれねえか)
子供も産めないぐらいに弱いという話だったが、それでもこうやって頑張っているんだなと思えば、ウルティードも応援してやりたくなったのだ。
「そういうことでしたら私共も練習したいと考えておりますし、三人一つの舟で参りましょう」
護衛についてきた三人の内の一人がそう言い出した。
「なら兄様。私、一人用の舟で行くわ。何かあればそれで動けるでしょう? 兄様達は三人乗りで行けばいいわよ」
一人乗りの舟はとても小回りが利く。何かあればすぐに対応しやすいだろうと、ケイトも賛同する。
タイキはこっそりと嘆息した。
(もう見合いとかそういうの、完全になくなってるな。ケイトは王子と一緒の舟に乗らないことで、ちゃっかり距離をとる気か)
エルルーカ姫がシンクエンに淡い恋心を抱いているらしいから、できれば思い出を作らせてあげたいのだと、遥佳から三兄妹は聞いている。
他人の恋愛事情などどうでもいいが、ディリライトの立場上、キマリー国のウルティード王子、シンクエン、エルルーカ姫だけは無事に行って帰ってこさせなくてはならなかった。
「しょうがないな。じゃあ、ケイト。お前は一人で。後は三人乗りを三つでいくか。一つの舟には護衛の方三人で乗ってもらい、俺とカシマは分かれるとして・・・」
残りをどう分けるかと考えたところで、遥佳が再び口出しする。
「カシマの舟にはシンクエン様とエルルーカ姫様に乗ってもらえばいいわ。だって昨日、タイキとばかりお話してて、カシマ、シンクエン様とお話できてないでしょう? そしてタイキもウルティード王子様とお話、あまりできてないでしょう? 私はタイキの舟に乗るけど、ちゃんと邪魔せず大人しくしてるから」
それを聞いたエルルーカは、即座に遥佳を永遠の親友に決めた。
シンクエンは、ウルティードとエルルーカの監督役といった気分で出てきていたが、
(そういうことならウルティードの相手をしばらくサボれるな)
と、そんなことを思った。
状況で考えるなら、タイキにはエルルーカと、ウルティードにはケイトと一緒に乗ってもらいたいところだが、遥佳が舟を操ることがヘタクソならば仕方あるまい。
「本当に様々な人数用の舟があるんですね」
シンクエンが呟けば、タイキも笑って答える。
「もしもウルティード王子が今日一日でかなりマスターできるようでしたら、遠くには出ないようにした方がいいでしょうが、練習用にお貸ししますよ」
「えっ、いいんですかっ!? シンクエン、俺っ、今日一日でマスターするからなっ」
その言葉にウルティードが目を輝かせる。
けれどもその言葉に反応したのは、護衛も同じことだった。
一人で舟を漕ぐケイトは、前を行く三艘の舟を苦々しい思いで見ていた。
というのも、二人の兄、そして護衛の男達が自分達の乗る三人乗りの舟を選んでいる間にケイトは一人用の舟をどれにしようかと迷いながら見ていたのだが、そこに近寄ってきた遥佳から小声で耳打ちされたのだ。
『あの護衛達に油断はしちゃ駄目よ、ケイト。特にあの護衛達をキマリーの王族達には近づけないようにしてほしいの』
さすがにケイトも驚かずにはいられなかった。
けれども遥佳は唇にそっと指を立てて、声を出すなポーズだ。
『ハールカ?』
『ごめんなさい、ケイト。普通に舟を選んでるフリして。小さな声で』
『分かったわ』
二人が仲良く、
「一人乗りって小さいのがいいの? ならこの舟ならいいんじゃない?」
「あら、駄目よ。それは小さすぎるわ。かえってそれより少し大きい方がバランスをとるのが簡単なの」
と、楽しそうにはしゃげば、皆の視線が逸れた隙にこっそりと遥佳が耳打ちしてくる。
『あの護衛の人達、自分の国の王族なのにいい感情を抱いてないみたいなの』
ケイトが、
「これにするわ」
と、決めた舟を運ぶのを、遥佳は手伝うフリで囁いた。
手伝うフリなのは、そもそも遥佳にケイトも期待していない。
『まるで憎んでいるような目で見てたわ、特に王子様を』
『そうなの』
『ええ。だけどもし、ここで何かあったらディリライトの責任になっちゃう』
『分かったわ』
恐らく遥佳は、その為にわざわざ別々の舟に乗ろうと言い出したのだと、ケイトは分かった。
『タイキとカシマにはこっそり話せる隙がないから。お願い、ケイト』
『任せて』
ほっとしたような遥佳に、ケイトは力強く頷いてみせる。
ケイトとてディリライト家の一人娘。どうしてここで怖じ気づけるだろう。
(お父様も、ハールカが何を言い出しても問い詰めないようにって仰ってたもの)
兄のカシマは、どうしてキマリー国の王族を知っていたのか、遥佳から聞き出すつもりだったらしいが、昨日、姿の見えない遥佳を捜している時に、父のコウヤは言ったのだ。
――― ハールカ殿がどんな不思議なことを言おうが、たとえ誰に無礼な真似をしようが、それについては何も問い詰めることなく、そしてハールカ殿を責めることなく、全てを受け入れて味方し、協力するように。たとえ他国の王族を敵に回そうが、ハールカ殿に謝罪などさせてはならん。いざとなればディリライトの総力を挙げてお前達がハールカ殿を守るのだ。その為につけているのだからな。
一部では、遥佳が持つ額飾りの威力をコウヤは恐れているのではないかとも言われているらしい。
けれどもケイト達は知っている。あれが脅威になることはないと。
遥佳にディリライトを乗っ取る意思はない。
あの額飾りをよく見たいという人は沢山いたが、
「ごめんなさい。変な気配をつけられたら困るので触らないでください」
で、全て断っている。
意味不明な言い分の上、人に細かい所まで見せなければ本物かどうかも分からないだろうにと、遥佳の世慣れない振る舞いが心配になるケイト達だ。
だが、ここで問題なのはキマリー国の護衛だろう。
(どんなに嫌いでも、自分の国の王子を傷つけようものならどんなことになるか、騎士や兵士が分かっていない筈がない)
つまり、あの護衛の誰がそうなのかは知らないが、第二王子を傷つける時には巧妙にディリライトの責任になるよう持っていくつもりなのだ。
(あの王族三人、片時も目が離せないわね)
勿論、遥佳の思い過ごしということもあるだろう。
けれども万が一のことがあったら、それはとんでもない大事に発展する。
(この島が戦場になりかねない。こんなことなら護衛を連れてくればよかった)
歯噛みしたケイトだが、その心配は不要だったかもしれない。思ったよりも第二王子は元気すぎたのである。
それなりに慣れるまで苦労はしていたようだが、タイキの舟に乗ったウルティードも、そして護衛達も、指導を受けながら舟をそれなりに操れるようになった。
カシマの舟に乗るシンクエンはその努力を最初から放棄していたが、東にある無人島に到着した後はウルティードがはしゃぎまわったのである。
「すっげぇっ。シンクエン、見ろよっ。このエビ、すっげぇでかっ」
「頼むからウルティード。我が国の品位を疑われるような言動は程々にしてくれ」
はしゃぐ第二王子に、シンクエンが眉間を押さえては窘めようと無駄な努力をしていた。
どれ程にキマリー国一行が足手まといになろうとも楽しめるようにと、ちゃっかり天然の生け簀になった岩の間にある深い窪みに、夜明け前から行って海水と魚介類を入れておいたタイキ達の苦労も報われるというものだ。
「エルルーカッ、これ、今から焼くんだってさ。ちゃんと美味しい部分はお前にやるからなっ」
「まるで私が意地汚いようなこと言わないでちょうだいっ、ウルティード兄様っ。・・・・・・申し訳ございません。ウルティード王子は、ディリライトの豊かな自然に感動しているようでございまして」
「エルルーカ姫、そんな堅苦しいことを仰らなくてもディリライトは気にいたしません。楽しんでいただきたくてお連れしたのです。見ていてとても気持ちがいい方ではありませんか。エルルーカ姫もどうかケイトやハールカと楽しんでください」
自分より四つも年上の従兄のフォローをするエルルーカに、タイキも苦笑しつつ火を熾す。
(うん、どう考えても護衛が近づけない状態ね)
ケイトはウルティードの考えな・・・いや、天真爛漫な性格に感謝することになった。
自分より一つ年上の第二王子は何かと動き回っては楽しんでいるものだから、常に注目の的状態だ。
護衛も手を出せる状態ではなく、離れた所から眺めていることしかできない。
遥佳の耳打ちもあり、ケイトがこっそりと彼らの表情を見ていれば、こんな楽しい王子の護衛をしている割には目が笑っていなかった。
(ハールカの思い過ごしじゃないのかもしれない。勘がいいのかしら、ハールカって)
そんな遥佳は、護衛達に声をかけている。
「三人乗りの舟に一人で乗る人もいます。ケイトが乗ってきた一人用の舟も空いてます。どうせここは無人の島ですし、狙われる危険はありませんから、午後から練習なさっていてはいかがですか?」
子供でも乗りやすい舟を選び、波も穏やかで初心者でも行きやすい島を選んだつもりだが、おかげで彼らも何とかついてくることができていた。
「それでしたら我々も練習させていただきたく思います」
護衛達はシンクエンに許可を得て、食後は練習するようだ。
(練習ねぇ。だけどあれ程警戒していたハールカがわざわざ練習させるだなんて)
そう思ったケイトは、後でこっそりと遥佳に訊いてみた。
『あの護衛達、舟の練習させに行ったけど、何か理由があったの?』
『だって私、顔を見てるのも嫌だったんだもの。今頃、明日の暗殺に向けての下調べしてると思うわ』
『駄目でしょ、それ』
『大丈夫よ。明日はここに来るって言い続けて、明日の土壇場で西の島に変更すればいいじゃない』
『・・・ハールカ。あなたって、・・・ええ、そうね』
それでも護衛を追い払ったおかげで楽しめたのは事実だ。
「えっ、この貝っ、不気味なんだけど食えんのっ!?」
「この部分を焼いて、このタレをちょっとつけるんです」
「うわぁっ、汁噴いたっ」
「シンクエン兄様。ウルティード兄様が一人で品位を落としているんですけど」
「・・・もう遅いでしょう」
エルルーカも屋外で潮風に吹かれるのはかなり刺激的だったようだが、それでも来て良かったと思えたらしい。
「シンクエン様。あそこの果物、私やエルルーカ様じゃ届かないんです。良かったら取ってくださいませんか? 私も食べてみましたけど、とても甘いんです」
「あのなあ、ハールカ。自分だけ先に食べるってのはないだろ」
「だけどカシマ。酸っぱかったら悪いじゃない。先に甘いかどうか確かめるのって大事だわ」
遥佳が自分だけ齧りながら持ちかければ、シンクエンもエルルーカを見下ろす。
「エルルーカ、食べてみたいですか?」
「ええ、シンクエン兄様」
無人島で網焼きした魚介類などを食べ、島に実っている果実を自分で捥げば、それだけでキマリ―国王族達には非日常的な時間だった。
そうして楽しんでからディリライト邸へと戻ったものの、島で一人乗りの舟も試させてもらったウルティードはかなりそれが気に入ったらしい。
「タイキ殿。一人乗り用と三人乗り用、本当にお借りしてもっ?」
「勿論ですよ、ウルティード殿。何ならここから海を使って帰るといい。陸を行くより近いぐらいだ」
「えっ、そうなのかっ?」
体力がまだまだ有り余っているのだろう。いささかばてているらしいシンクエンに比べ、ウルティードは目をキラキラとさせる。
「じゃあ、他の人は陸地を帰ってもらうことにして、ウルティード殿は一人乗り、カシマは二人乗り、俺は三人乗りの舟で別荘へ帰る。そうして着いたらそのまま一人乗りと三人乗りの舟をお貸しして、俺は二人乗りの舟でカシマと戻りますよ」
「うっわぁっ、やりいっ。いいよなっ、シンクエンッ」
「勝手にしなさい」
年齢も近いからだろう、タイキとカシマとウルティードは一日でざっくばらんな会話になり始めていた。
シンクエンももう匙を投げている。
きっと明日には、今はまだ僅かに残っている敬語も完全に姿を消しているに違いないと。
他国の王族に比べ、ディリライトの若君達が大らかな性格であってくれて良かったと、彼はもう前向きなんだか、投げやりなんだか、そんな結論に達しているようだ。
「明日もまた今日の島だろっ。ハールカ姫っ、明日も俺の勇姿を見せてやるからなっ」
「はい。楽しみにしています」
タイキとウルティードと遥佳の三人が乗った舟は、ほとんどウルティードがタイキに教えてもらいながら漕いでいた。
遥佳はそれをニコニコとしながら見ていて、だからウルティードも年下の女の子の前でいい所を見せようと張り切っていたのだが、タイキとケイトは知っている。
遥佳はウルティードが漕いでいる後ろで、違う意味での舟を漕いでいたことを。
インドア系の人間は、本気で体力がなかった。