28 真琴は船で避けた
マジュネル大陸行きの船は、とても穏やかに進んでいた。
けれども穏やかじゃないことだって存在する。
(何故なんだろう。最近、マコトが俺を避けているような気がしてならない)
やはり変わらぬ船の生活で不精髭をそのままにしていたのが悪かったのだろうか。だけど髭を触っては、
「ちくちくするぅ」
とか言って楽しんでいたのは真琴ではなかったか。
それとも自分が乱暴すぎて、抱き上げた時の腕が痛かったとでもいうのだろうか。それなら言ってくれたらちゃんと弱めるのに。
「どう思います、船長さん?」
「・・・そういう年頃なのではないかと思いますな。何よりあれを避けていると言われても聞いてる方が困りますよ」
カイトは、娯楽室で、船長や他の乗客達とポーカーをしながら、そんな話をしていた。
乗客達も思い思いの感想を述べる。
「思うによ、マーコットちゃんも色々と複雑なお年頃なんじゃないかねぇ」
「そうよねぇ。十代の頃はちょっとしたことで変な反応をしたり、いきなり妙なこだわりを展開したり、後になったら布団の中で足をバタバタさせずにはいられない恥ずかしい行動をしちゃうものなのよ」
「それが思春期。春は乱れる季節、人生における心乱れる期間なのよね」
そんな時期、とっくに過ぎ去った彼らだ。
というより以前に「んなもん、あったっけ?」である。
「だがよ、別にマコちゃん、カイトの兄さん避けちゃねえだろ。今日だって仲良く朝飯食ってたじゃねえか。スリーカード」
「そりゃ食事とかはそうなんだが、今までは何かと全身で抱きついてきたのが全くしなくなったんだ。あれっていわゆる人間が言うところの反抗期って奴なのかなと、そう思うわけなんですよ。ツーペア」
獣人や魔物の反抗期など、下手に親に逆らおうものなら本気で崖から蹴落とされてしまうか、面白がられて川に放りこまれるのがオチだ。
大人に反抗するならそのまま群れを離れて一人で生きていけばいいだけなので、そういったものもマジュネル大陸の民には遠い世界の話だった。
「ふむ。反抗期とはいささか違うような気もしますがね。ワンペア」
「あ、俺、何もねえや。・・・たとえ抱きついてこなくなったとしても、カイトさん見つけた途端に手ぇ振ってくるアレを反抗期とは呼ばんだろ。あの年頃でもまだべたべた抱きついてくるような弟妹の方が珍しいんじゃないか? まあ、マコちゃんは可愛いから幾つになっても許すけどよ」
「そうよねぇ。まあ、その髭は似合わないから止めた方がいいんじゃないかしら。フラッシュ」
「自分でもそう思ったから剃ろうとは思ったんだが、マコトが手触りを楽しんでるからつい・・・」
「本当に甘すぎるお兄ちゃんね。自分の身なりに弟の手触り優先してどーすんの」
「ノロケかい」
ケッと吐き捨てられてしまえば、カイトもうっと忸怩たるものがある。
初めての群れの子なので、やはり可愛がってしまう気持ちが大きいのだ。あの子供がしてほしいと望むなら何でもしてあげたくなるこの気持ちを、父性愛というのかもしれない。
世間の父親とはこんな風にデレデレになる宿命なのだなと、カイトは知った。
「いやあ、こういう航海中で髪とか髭を伸ばす方は多いんですよ。どうせ見る顔ぶれは変わらないし、景色も変わらないしと。だがマーコット君も横や後ろ髪はともかく、前髪は切ってあげてはいかがですかな」
「ああ、それは言える。マーコットちゃん、前髪が伸びてきてるしな。よく動く子だから、それは切ってあげた方がいい。横や後ろは伸ばしてもいいと思うが」
「前髪か、気づかなかった」
なるほどと、カイトは頷きながら次のカードを配る。
「だが、船内でも服は売ってるって話だったので一緒に買いに行こうと言っても嫌がるし、本当に何なんだか・・・」
「船には色々な種族の方が乗ってこられますからな。うちの船員が縫うからどうしてもシャツやズボンやスカート程度といったものにはなりますが、基本的にオーダーメイドで丈夫な物を仕立てますよ。まあ、帆の繕いなどもあるから縫い物ができないと話にならんだけですがね」
服は売っているのかとカイトに尋ねられ、布は幾つか積んであるのでそれを販売したりもするし、客にあわせて服に仕立てて売ることもできると答えた船長だ。
「別に服なんざ着てなかったり寝間着で歩いてたりする奴だっているんだ。今のが着られなくなったわけでなし、そう急ぐこともないだろう。カイトの兄さんも気にしすぎじゃないのかねぇ」
「そうかもしれないが。・・・だが、前までは甘えて『一緒に寝て』とか言ってたのが、最近は一人で寝ようとするし」
「言っておきますがカイトさん、それが普通なんですよ。あなただってご兄弟と幾つまで一緒に寝ておいででしたかな」
アホらしいと思いながらも、船長は立場上、その程度の言葉に留める。
自分なんて留守が長すぎて、妻に忘れ去られているぐらいなのだ。家に戻っても、室内犬と寝ている方がマシだと言われる始末。
贅沢すぎる悩みに、ふざけんなと、客でなければ言いたい。
「俺は、どうなんでしょうね。隣に誰がいようがいまいが気にしてなかったな。そもそも獣人の子供時代なんて、みんなが闇鍋状態ですしねぇ」
「そうよねー。数十人が一緒に寝てたわねぇ」
「だな。甘えて『一緒に寝て』っつーんじゃなくて、お前らまとめてそこで寝とけやって感じか」
そんな船長の気持ちに気づくこともなく、カイト達は昔を振り返った。
虎の姿をしている時なんて、それこそ兄弟達と絡まりながら寝ることもあれば、一人でのんびりと寝ることもあった。その程度だ。正直、誰が一緒に寝てようがどうでもいい。
だけど自分の群れの子と思うと特別なのか、真琴が一緒に寝たがってくれないのは寂しかったりするカイトだ。
「それ以前にカイトさん、その程度で避けられてるとか言い出したら、誰もが呆れるしかねえや。避けられるっつーのは、そいつを見るや否や駆け去ったり、違う方向へ行っちまうことを言うんであって、膝の上に座って甘えてんのを避けてるたぁ言わねえ」
「そうそう。大体、カイトの兄さんが他の姉さん達と話しているだけでヤキモチやいてくれるんだから可愛い限りだろうがよ。まあ、その姉さん達にお菓子もらったらすぐに忘れちまう程度だがよ」
「そうよねぇ。うふふ、かーわいいのよ、マーコットちゃん。カイトさん、とられるんじゃないかって不安そうな顔になるの。泣かしてから念入りに慰めたくなっちゃうわぁ」
「そしてぺろりと食うのか。いいな、それ」
「そうでしょ。なんなら私の寝台で添い寝しちゃおうかしら」
冗談とは分かっているが、何ともコメントしづらいカイトだ。
自分の悩みは誰も分かってくれないと思いながら、手札をめくった。
時間がゆったりと流れる船の旅だ。寝る前に、
「明日はデッキで前髪を切ろうな」
と、真琴に声を掛ければ、
「なんでデッキで?」
と、問い返される。
「そのまま切った髪を海に落とせるだろ。ちょっと目にかかりすぎだからな。お前と仲いいシルフがきっと風を起こして掃除もしてくれるさ」
「うん、分かった。ね、カイトも僕が髪切ってあげようか?」
「そうだな、頼もうか。・・・って、お前、切るの上手か?」
せっかくだから自分も真琴に切ってもらうかと思いかけて、いや、ギザギザに切られたらどうしようと、カイトが焦る。
「え? 分かんない。だけど多分上手だよ、うん」
「おい。分かってない奴がどうして上手なことになるんだ」
「そこらへんは勘でっ」
「ああ、うん、そうか。安心できる根拠をありがとよ」
自分の髪は器用そうな誰かを見つけて切ってもらおうと、カイトはひそかに決意した。
「昼に雨がかなり降ったせいか、月が綺麗だな。今日は窓を開けたまま寝るか」
「うん。雲が全くなくなってる。こういうのを月明かりって言うんだね」
月の淡い光を感じ取ろうとするかのように、真琴が窓の外へ手を伸ばす。
「真っ暗って怖い感じだけど、船の中なら暗闇も怖くないね。海がいつも歌ってるもん。風も」
「そうだな。だけど窓から身を乗り出したりはするなよ?」
「うん」
あまりにも船が揺れないので、手足を広げて眠れる寝台で眠ることが多くなっているカイトだ。二段ベッドの上段にひらりと飛び乗ると、横になる。真琴も下段にのそのそと入りこんだ。
真琴はどうせなら高い方がいいと、上段で眠りたがったのだが、体をゆったりと包むハンモックと違い、万が一寝転がったり寝ぼけたりして落っこちてしまったらと思えば、カイトがそれを許すはずがない。
(俺と一緒なら上段で寝てもいいと言ってるのにな。やっぱり避けられてる気がする)
それを考えるとちょっと寂しいカイトだ。
真琴と一緒に寝る時は、どんなに熟睡していてもカイトの腕は常に真琴に触れている。何かあったらすぐに掴めるようにと。だから落ちる筈もないというのに。
「おやすみ、カイト」
「ああ、おやすみ」
しかし赤ん坊の時から育てているわけではないからだろう。真琴は何かと、「ひとりでできるもん」状態でちょっと切ない。
一番可愛い盛りを見逃したとは、こんな気持ちなのだろうか。
(まあ、今も可愛いけど。中性的な子だしな。いや、だけど恋する季節になったら男っぽくないのはあまりよくないのか? いや、まだ先だろうし、そういうのは人それぞれの好みもあるから一概にそうとも言えねえか。それに年上の女には好かれるタイプっぽいし。いや、そっちの方がまずいだろ)
真琴の幸せな人生を思うと、カイトも悩ましいことばかりだ。
そんなことを考えながらカイトは眠りについた。
ザザザザーッ、ザザーッという波の音が心地よく耳の中に響く。人の意識を夢の世界へと引き込むかのように。
だが、その晩、よく眠っていたカイトは何かの気配に気づいて意識を浮上させた。
(夜、・・・のままか。なんで俺は起きたんだ?)
顔を動かさないまま周囲の気配を探る。自分が目覚めたということは、何かの気配を感じたということだ。
カイトの目が開いたままの窓を確認し、扉にも異常がないことを確認する。
寝る前にはいつも内側から扉に補助の杭を挿しこんである。船員や乗客を疑っているわけではないが、それは当然の自衛手段だ。
――― うっ、・・・くっ。
小さく押し殺したような声。それは枕に口を押しつけているからくぐもっていて、普通ではまず気づかない。
(マコト!?)
カイトの意識が一気に覚醒した。
音も立てずに床へと着地すれば、真琴は体を丸めて布団を巻きつけながら苦しそうにしている。
(いや、発熱はしていなかった。寝る前に確認している)
そこでカイトは開けっ放しにしていた窓へと視線をずらした。
(そういえば人間の子供は弱い。夜風にあたることで体を壊すって話だった。野宿の時は俺が温めてやってたが、今は一人で・・・。それがまずかったか)
真琴の罪のないおねだりをきかず、ちゃんと閉めさせておけばよかった。
カイトはこの危機管理意識が欠如した子供を守れなかった自分を悔いずにはいられない。
「マコト」
声を掛けてから掛け布団ごと、その体を中腰になった自分へと引き寄せれば、びくっと驚いたように跳ねる体がある。
「ああ、大丈夫だ。寒いのか? 頭が痛かったりするか? お腹は? もう大丈夫だ」
「・・・カイト」
よほど辛かったのか、その眦が濡れていた。
それを舐め取ってやりながら、掛け布団を寝台に戻し、カイトはマコトを抱えて上段へと音もなく跳び上がる。
カイトから布団を剥ぎ取られて上段まで連れてこられた真琴が戸惑うような顔になった。
「・・・? カイト?」
向かい合う形で小さな体を抱きしめれば、本当に細い首だと思わずにいられない。
「こういう時は汗かいて熱を追い出してしまえば元気になる。俺に包まれて眠れば朝にはけろりと治ってるさ」
「ちょっ、・・・やっ、離してっ」
「暴れるなってっ」
真琴を押さえつけようとしたカイトだったが、いきなりその動きが固まった。
(えっ? えっ? ええーっ!? ちょっと待てっ、お前っ、ちょっと胸っ、膨らんでねえかっ?)
でもってあるべきものがないような気がしてならない。
慌てて真琴の太腿を触るが、それらしいものが全く見つからない。
「やっ、やだっ、やめてっ」
小さく驚いたような真琴の声が室内に響いた。
恐る恐るその顔を見下ろせば、真琴もまた怯えた顔でカイトを見上げている。
「えっ、・・・と、・・・マコト、お前、・・・・・・男、だよな・・・?」
けれどもこの顔は少年にも見えるが、そうではないようにも見えはしないだろうか。
いや、最初の思い込みにあぐらをかきすぎていたが、今、この存在を客観的に見たなら、自分は少年だと判断するだろうか?
カイトの心は直面している事実を受け入れきれず、現実逃避しようとした。
いやいや、ここで現実逃避してどうする。大事なことではないか。
「ちょっとマコト、お前、体見せてみろっ」
「えっ、やだよっ。やだってばぁっ」
抵抗する力など可愛らしいものだ。簡単にその寝間着全てを脱がせれば、月明かりにその体が浮かび上がる。
それは決して少年のものではなかった。
「なんてこった。・・・女の子だったのか」
その言葉に真琴が一気に泣きそうな顔になって、寝台から飛び降りようとした。
「うわっ、危ねえだろっ」
慌てて真琴の胴を掴んで寝台に押し倒せば、きっと真琴が睨みあげてくる。
「ほっといてよっ。どうせ女の子なんていらないんでしょっ」
「なんでそうなるっ」
「・・・僕がっ、僕がもう大人になったから用済みのくせにっ」
「更になんでそうなるんだっ」
深夜だからお互いに声を低めてはいるが、ばたばたと暴れる真琴を抑えつけようとすれば、どうしても圧し掛かる形になった。
「落ち着けっ、落ち着けマコトッ。そりゃお前を裸にしたのは悪かったよっ。だけど男の子と思ってたんだから仕方ないだろうっ。女の子ならどうして女の子って言わなかったんだっ」
「女の子なんて興味ないくせにっ」
「なんでだよっ。てか子供に男も女もないだろっ」
「だって。だって・・・」
真琴を唯一の群れの子として可愛がったのは否定しないが、カイトにお稚児さん趣味はない。
男の子でも可愛かったのだから、女の子ならもっと可愛いに決まっているだろう。それだけだ。
しかしダメージが大きすぎて、仰向けになった真琴の体の上に覆いかぶさる形になりながら、カイトは真琴の肩の上に顔を埋めて、げっそりとした顔で、「はあぁ」と大きく溜め息をついた。
(夢にしてはリアルすぎる。そう、夢じゃない。夢じゃないんだ、これは)
ああ、本当に。
自分は世界一の大間抜けだ。
体臭も何もかもが、真琴が少女であることを伝えてきているのに。
互いに黙りこくったまま、時間だけが流れていった。
自分の下にあるその柔らかな肌が何も着ていないことを思い出し、カイトはゆっくりと身を離す。
「とりあえずマコト。明日からは船員だろうが乗客だろうが男には近づくなよ」
「・・・へっ?」
「こんな可愛い女の子だとばれたら、いつ、どこの部屋に連れてかれてもおかしくねえ。明日から、男と挨拶以外の言葉は交わすな」
「・・・何それ」
「いいから。・・・全くどうして先に言わなかった。言ってくれてりゃ、どんな男の目にもさらさなかったってのに」
「・・・さらに何なのそれ」
男の子だと思ってたから、どこで遊んでても大丈夫だろうと思っていたのに。
カイトも頭がかなり混乱していた。
「いや待て。部屋から出さなければいいのか。そうだ、明日からちゃんとご飯は運んでやるからこの部屋でマジュネルに着くまで閉じこもってろ。な、マコト?」
いいアイディアを思いついたとばかりに、カイトが優しい声になる。
そうだ、そうすれば安全ではないか。世の中には女の子を襲う危険が盛り沢山なのだ。
「なんでっ」
「なんでじゃないだろうっ」
「なんでっ」
「世の中の男は全てオオカミなんだっ」
「羊さんだって牛さんだっているもんっ」
「そういう問題じゃねえっ」
全く自分の言うことを理解しない真琴に、カイトは真面目な顔になって言い聞かせた。
「いいか、マコト。世の中の男なんて、気に入ったコはすぐに自分の所へお持ち帰りしてしまうんだ。ただでさえ可愛い男の子だったってのに、これで女の子だと分かったら誰だって持って帰るに決まってるだろう」
「・・・そんな人、この船にいないよ」
どうしよう、ここにイスマルクよりぶっ飛んだ人がいるよと、真琴は遠い目になった。
「いや、分からん。俺だってお前がふらふらしてたら持って帰る」
「・・・嘘だ」
「なんで嘘になるんだ。ああ、そうだ。とりあえずちゃんと服を着なきゃな。女の子は体を大事にしなきゃいけないんだぞ。これから夜だって窓開けて寝るなんてしたら駄目だろう」
カイトはさっき自分で脱がせた服を手さぐりで捜し始める。
「というか、お前が紛らわしいことしてるから・・・。そういえば、どこの具合が悪かったんだ? 発熱もしてねえようだし」
こつんと、額と額をくっつけても真琴に発熱の兆候はなかった。
「熱は、・・・出てないよ。カイト、僕が熱出したと思って服脱がせたの?」
「いや、それはお前の体が・・・」
きょとんとして見上げてくる無垢な瞳と夜目にも白い裸身が眩しすぎる。
真っ暗な波の向こうへと視線をずらし、カイトは自分が汚れた大人であることを恥じた。
「いや、その、ほら、何か唸ってただろ。具合が悪かったんじゃないのか?」
「・・・ちょっと、体のあちこちが痛かっただけ。体が大きくなり始めてるから、だから・・・」
そこでぽろりと、真琴の目から涙が落ちる。
「ど、どうしたっ? まだ痛いのかっ?」
「だって・・・、だってカイト、僕が独り立ちしたらお別れって・・・。僕、もう大人になるから・・・」
「ちょっと待て。お前のどこが大人だ。背が伸びたら大人って何考えてんだ、お前は」
焦っていたカイトも、真琴の言葉に呆れを含んだツッコミをしてしまった。
「だって・・・、体も大きくなり始めてるし・・・」
「それだけで大人って図々しすぎるぞ。お前、まだ生活無能力者だろ。誰がどう見ても寝ることと遊ぶことと食うことしかできねえだろ。大人ってのはな、ちゃんと自分だけで生活できるようになって初めて独り立ちするんだ。お前、今、独りになろうもんならすぐ飢え死にしちまうだろが」
ぽんぽんと、その頭を優しく撫でながら、カイトは目と目を合わせるようにして真琴を覗きこむ。
「な? まだお前には俺が必要だろ?」
「・・・うん」
どうやら大きくなっても独り立ちで放り出されないようだと、真琴は思った。
「俺だってお前が必要だ。お前は俺にとって初めての大事な子なんだぞ。ちゃんとお前を育てあげないと俺だって一人前になれねえ。・・・俺が一人前になれるかどうかは、お前の出来にかかってるんだ」
「そうなの?」
「そうだ」
カイトが重々しく頷けば、真琴が安心したように笑う。
「僕が女の子でも?」
「どっちでもいい」
「そうなの?」
まさかこんなにも早く性別が出るとは思っていなかった真琴だ。自分はもっと性別がないままでいくと思いこんでいた。
どんな女よりお前が可愛いと言ってくれるカイトと、ずっと同じ関係でいられるのだと・・・。
だけど、カイトにとって男の子じゃない自分でも、他の女の人より可愛いと言ってもらえるままなのだろうか。
「ああ。だけど、よその男とは口を利くなよ」
「何それ。カイト、おかしいよ」
「おかしいのはお前の認識だ。いいか? 男は女に誘惑されてもまだ戻ってこられるが、女は男に誘惑されたら帰ってこられねえ。魔物や獣人の執着をなめんな」
「・・・別にみんな優しいけど」
「甘いな。今ですらこんな可愛い女の子なんだ。それなら自分の里にお持ち帰りして可愛い里の子供達が大きくなった時に恋人にするだろうって、どんな獣人も考えるってもんだろう」
「・・・まさかの光源氏計画」
「分かったら誰とも口を利くなよ?」
「それおかしいよ。男の子なら平気で、なんで女の子だとそれになっちゃうの」
「男の子を連れ帰っても独り立ちしたら好きな女の子探しに出るが、女の子なら可愛いからって里の奴が目ぇつけるだろ? だから手放さずに済む可能性が高いじゃないか」
「・・・計算高いんだか何も考えてないんだか分からない獣人の国」
パジャマをちゃんと着せ直してやれば、
(そりゃ服を買いに行けばこの膨らみ始めた胸は隠せなかったよなぁ)
と、納得するカイトだ。
重ね着程度でごまかされていた自分は本当に阿呆だ。
「明日は女の子用の服を買おうな。・・・横と後ろ髪も伸びてきてるし、前髪も切ろう。そうしたらスカートだって似合うさ」
「え。僕、動きにくいからズボンの方がいいんだけど」
「そうか。それについては明日考えよう」
精神的な疲労が大きすぎて、今、そういうことを考える根性などカイトにはない。
「もう、俺に隠してることはないよな?」
「え。・・・う、うん、ソーダネ?」
「なんでそこであっちの方を向くんだ」
もしかしてまだあるのだろうか。そういえば珍しい種族の血を引いているとか言っていたか。
(いや。今の俺にそれを聞き出して考えようと思える程の余力はない。ついでにマジュネルは種族なんて気にしねえ)
既にこの事態だけで気力がゼロ状態だ。
あれだけ弟だと言いまくっていて、どうやって妹だと軌道修正すればいいのやら。
「まあいい。寝よう、マコト。全ては明日になってからだ」
カイトは自分が下になって、真琴を抱え込んだ。
自分の上で腹這いになる真琴の胸の膨らみが、たしかに女の子であることをカイトに伝えてくる。
もぞもぞと自分の上でこちらの様子を窺ってくる真琴は、まだ何か心配なことがあるのだろうか。
だからその頭の天辺にカイトはキスをした。
「誰よりもお前が大事だ。男の子でも女の子でもお前はお前だろ? 愛してるよ」
「うんっ」
「だからもう俺に変な隠し事はするなよ?」
「え・・・」
その頼りなげな反応は何なのだろう。どうして瞳を左右に動かすのだ。
カイトも悟るしかなかった。
(やっぱりまだあるのか。次はなんだ)
げんなりとしてしまうが、だけどきっとそれは真琴の責任ではないのだろう。
普段はちゃんとやってしまったことは自分から白状して謝ってくる真琴だ。だから怒れないのだが。
(あれ? そうなると俺、こいつを怒ったことってあったか?)
なんだかんだと有耶無耶にされているような・・・?
いやいや、そんなことはないだろうと、カイトは信じたい。
(けどなあ。こうやって性別を隠していたのも、女の子だと俺がマコトをいらないと言い出すかもしれないって思ってたからだろ? 俺もどうしてマコトをそこまで不安にさせてたんだ。背が伸びたりしただけで、大人になったから捨てられるって思ってたなんざ・・・)
カイトだって反省せずにはいられないし、不憫さと共に愛しさだけが募る。
今もこうやって涙に濡れた目でおずおずと自分の機嫌を窺ってくるようなか弱い生き物を、どうして苛められるだろう。
「大きくても小さくても愛してるよ。だからお前ももう寝ろ。体が痛い時にはさすってやるから、ちゃんと俺を起こせ。おやすみ」
「おやすみなさい」
その声にもう不安さが内包されていないことを確認し、カイトは目を閉じた。
真琴の体が決して寝台から落ちぬよう、きちんと片腕をまわした上で。ぎゅっと自分の寝間着を握ったその感触に、カイトはもう片方の手で真琴の頭を撫でずにはいられない。
だが、カイトは確信していた。
今夜の夢は自分の愚かさをリフレインする内容ばかりだろうと。
朝、起きればいつものように元気な真琴だった。
いつもと同じ格好をした真琴は、それでも髪が短いだけの女の子にしか見えない。
「何をいきなりご飯も食べに行っちゃいけないとか言うの。おかしいよ、それ」
論破されてしまったカイトは、渋々と真琴を連れて食堂へ向かった。
朝食はいつも同じメニューだが、種族によって出されているものは様々だ。
カイトと真琴は、パンと牛乳と果物と卵料理にハムかソーセージがつく。
「あ。だけど今日はスクランブルエッグとソーセージだから、全部パンに挟んじゃえ。ケチャップもたっぷりがいいんだよね」
こんなにもころころと表情が変わる素直で可愛い女の子だ。これからどれだけお持ち帰りされることを警戒しなくてはならないのかと、カイトは先行きを案じた。
「零さないように気をつけろよ」
「うんっ」
楽しそうに真琴はかぶりついている。
(なんで俺が寝不足なのに、こいつはこんなにも元気なんだ)
結局、夢見が悪かったカイトだ。
女の子を勝手に男の子だと決めつけた自分に傷つく真琴の姿とか、女の子だとスカートをはかせたら今度は男の子だと判明したとか、実は日替わりで性別が変わる種族だとか、そんな奇妙奇天烈な夢が次から次へと続き、何度も目が覚めては一緒に眠る真琴を確認する羽目になった。
「おはよう、カイトさん、マコちゃん。今日は清々しい天気ね」
「昨日と違ってね。おはよう、メニーさん」
「おはよう、メニーさん。あのね、今日のメニューってこうした方が美味しいよねっ。だけどカイトはソーセージはソーセージ、卵は卵で食べるって言うんだよ。どう思う?」
「あら、楽しそう。うちも今日はそうやって挟んで食べようかしら。うちの人が二日酔いだから、今日は朝食を運んであげなきゃいけないのよ」
くすくすと笑うメニーは、白い髪をした羊の獣人女性だ。
そこで、はっとカイトは気づいてメニーに頼み込む。
「あ、そうだ。メニーさん、お願いがあるんですが」
「あら、何かしら」
「実は、・・・うちのマコト、弟じゃなくて妹だったらしくって。俺だと女の子の服は分からないので、ちょっと買うの、手伝ってもらえないですか? ここ、服、縫ってくれるらしいんで」
その言葉は他のテーブルにも聞こえていたようだ。ざわっと、食堂のあちこちでざわめきが走る。
メニーも目を丸くした。
「あら、やっと気づいたのね。カイトさんったら鈍いんだから」
「は?」
他のテーブルからもカイトに声が掛けられる。
「やっと気づいたのか、カイトの兄さん。まあ、凄いのんびりだったなぁ」
「そうねえ。誰が見たって妹だったのにねぇ」
「そんだけ堅物だってこった。ま、気づいてくれて良かったよ」
「全くだよ。このまま気づかなかったらずぅっとマーコットちゃん、男の子扱いだったからなぁ」
「あんな可愛い妹を弟と思いこんでる時点でねえ。人間生活長すぎよ」
「・・・・・・もしかして、気づいてなかったの、俺だけ?」
ぽんと、カイトの肩に手が置かれる。振り返れば船長がいた。
「おはようございます、カイトさん、メニーさん、マーコットちゃん」
「ああ、おはようございます、船長さん」
「おはようございます、船長さん。いい朝ですわね」
「おはよーございまーすっ」
船長は、感無量だと言わんばかりの表情でカイトの顔を見ている。
「聞きましたぞ。やっとお分かりになったんですか。いや、長かった。本当に長かったですな」
「・・・本気で俺だけってオチですか」
周囲を見渡せば、皆がうんうんと頷いていた。
「そりゃ男の子だろうなって最初は思ったけど、途中からあれは男の子じゃないってピンときたわよ」
「まあなぁ。男の子ってのはあんな顔しないしな」
「男の子とあまりにも行動パターンが違うって、普通分かるだろ」
「男と女の区別もつけられないって、どんだけ人間に染まってたんだよ、カイトさん」
そんな周囲の声をよそに、真琴は林檎をシャリシャリと齧っている。
「だけどそういうことなら女の子の服もちゃんと着ることができるわね。せっかくだから皆さんと一緒に相談しましょうね、マーコットちゃん」
「うん。だけど男の子の服の方が動きやすいんだけど」
「じゃあ女の子用で動きやすい服にすればいいわ」
自分だけが分かっていなかっただなんてと、心に更なるダメージを受けてよろよろと食堂を後にするカイトだった。さすがにカイトのショックに気づいた真琴が、そんな彼にぽんぽんと慰めるかのような感じで背中を軽く叩いている。
そんな兄弟ではなく兄妹になった二人の姿が消えてから、皆は一気に笑い出した。
「まったくカイトさんも鈍すぎなのよ」
「そうよねぇ。あんなにもきらきらした笑顔で駆けてくる子が男の子な筈ないのに」
「怪我してるところを助けて自分ちの子にしたらしいから、最初の思い込みが強かったんだろ」
「そりゃ怪我してるとこを助けてもらったなら、マコちゃんもカイトさんに懐くよなぁ」
「まったく朴念仁すぎんだよ、カイトさんもさ」
「言える言える。同じ部屋で寝泊まりしてて気づかないんだからよ」
そうして、皆はニヤリと顔を見合わせる。
「今日で気づいたとして、当てた奴いるのか?」
「信じられないぐらいに長かったものねぇ」
「普通、ここまで引き延ばさねえよなぁ」
「ここまで気づかないなんて長すぎだよ。俺なんてもっと早くに気づくのに賭けてたんだぜ」
いつ、カイトが真琴の性別に気づくのか。
カイトの知らぬ所で、それは退屈しのぎの賭けになっていた。
男の子と女の子は、性別が違っているだけだと思いたかったカイトだ。
甲板で真琴の髪を切ってあげようとしたところ、ちょうど見ていた人達が色々と口出ししてくる。
男の子なら適当に切ればいいだけだが、女の子は髪型も考えなくてはいけないらしい。
「前髪は眉毛にかかる程度にしても、横と後ろもこれから伸ばすことを踏まえて少し切り揃えてあげた方がいいと思うのよ」
「そうさなぁ。少し髪と髪の間も短めに切ってやれば、先っちょも内側へ入りこむからいいんじゃないか?」
「あら。どうせなら男の子っぽくしてしまって、そこで意外な色気を見せた方がよくないかしら」
「しかし発情期も迎えてない女の子にそんなものがあるか? それぐらいなら可愛らしくまとめてやった方がいいだろ」
「どうなのかしら。ピアスとかするの? 鳥族ならそういう風習もあるわよね。なら横の髪は短くして耳はきちんと見せておいた方がよくないかしら」
「鳥族じゃないだろ。なぁ、マーコットちゃん」
「あら、あれだけシルフと仲良しだからてっきり鳥族の血が入っているのかと思ってたわ」
「んーっと、まだどの獣人かは決めてないんだけど・・・」
船で羊の獣人なども見てしまった真琴は、金色の毛をした羊の獣人もいると知り、それもモコモコしていて可愛いなぁと思っているところだ。
魔族になると、もっと姿は多種多様だとか。
(全身がキラキラしている魔族もいるとか言うし、そういうのを見てからでもいいよねっ。カイト、私がどんなんでも気にしない感じだしっ)
真琴を半獣人と信じているカイトだが、なんだかあの調子なら獣人から魔族に変更しても大丈夫な気がしている。
しかし、真琴のその言葉に、周囲の人達が変な顔になった。
「マーコットちゃん。種族は自分で決められるもんじゃないのよ?」
「そういえば、何の血が入ってるんだ? 人間の血が半分として、だけどあまり獣人の気配はないな」
「そうだな。純粋の人間と言われても納得できる。・・・だが、不完全な獣の姿もとれたんだろう?」
そこで真琴も何と言ったものだかと、眉間に皺を寄せてデッキに目をやってしまう。
カイトも、怪我をしていた同胞を助けて種族は不明のまま弟として受け入れたとしか、周囲には話していなかった。
「うーん。お父さんは人間なんだけど、お母さんがねぇ・・・」
「何だ、母親が獣人だったのか?」
「うーん、どうなんだろう。獣人・・・じゃないと思う。お母さんの種族って、他に誰もいなかったらしいんだよね」
「その母親はなんて言ってたんだ?」
「え? うーん、特にあんまりそういうことは言わなかったなぁ。だから私、人間のつもりだし」
そんなあやふやな根拠で自分を人間だと主張する真琴だが、シルバータイガーであるカイトが、たしかに手足が獣の姿をとっていたと証言している。しかし種別を考える余裕は自分になかったとも。
「場合によってはゲヨネルの住民の可能性もあるわねえ」
「そうかもなぁ。完全な人間ってこたぁないだろ」
人間などには近づかないシルフは真琴に懐き、順風満帆な航海の為に力を貸してくれている。
だから純粋な人間である筈はないのだ。
「まあ、気にすんな。うまく変身できなくても誰も気にしねえよ」
「そうさ、マジュネルじゃそんな小せえことを気にする奴ぁいねえ。大丈夫、こんなに可愛いんだ。すぐに嫁にもらうって男が次から次へと出てくるってもんよ」
「あらあら。駄目よ、カイトさんが全部阻止しかねないもの。なんか獣人の子と違ってマーコットちゃんか弱いから、人間の子育てとごっちゃになっちゃってるわよね」
「そうよねぇ。マーコットちゃんをお嫁に欲しい奴は俺を倒していけとか言い出しそう。人間ってそういうこと言い出すんでしょ?」
「言うだろ。やれやれ、ウサギの獣人だったりした日にゃカイトの兄さんに敵うわけねえじゃねえかよ」
肝心のカイトは、とっくにハサミも奪い取られて見学中である。
(なんで俺、ここまで言われ放題になってんだろな)
しかし否定できないのが辛いところだ。
既に乗客や船員達があーだのこーだの言いながら、真琴の髪を切っている。
ご丁寧なことに切ったそばから、デッキどころか真琴の肌に落ちる前にシルフがその切り落とされた髪を全て神業というべき速さで海の方へと移動させてしまうものだから、それこそハサミを入れた途端に切られた髪が姿を消しているようにしか見えなかった。
それでいて真琴の頭そのものには全く風が当たらないようにしているのだから、そんなに真琴が好きかと、カイトは言いたくなる。
(そこまでシルフに愛される種族ねぇ。俺が獣人と思いこんだだけで、やっぱりゲヨネル大陸の幻獣の血が入ってるのかもしれんな)
そうなると自分には分からない。
幻獣も色々な種族がいるだろうが、マジュネル大陸とジンネル大陸しか知らない自分に、ゲヨネル大陸に暮らす生き物などどうして把握できるだろう。
(そういえば美しい姿を持つ種族だと、秘密裏に売買されることもあるというが)
自分がやってしまったことはちゃんと自己申告してくる真面目な真琴だ。その真琴があそこまで隠すとなれば、その母親は知られるや否や誰かに狙われる種族の出身だったのではないか。
だから絶対に言わないようにと、娘達に言い含めたのかもしれない。
(そうだな。真琴はとても素直な子だし、好きで隠し事などする子じゃない)
その素直な子は、
「ごめんなさい。・・・しちゃったの」
と、先に自分から言って謝れば、
「しょうがないな。二度とするなよ」
で、カイトが許してくれて、更に、
「それぐらいで落ち込まなくていい」
と、いつもより優しくしてくれることを分かっているだけだが、カイトはそこのあたりが分かっていなかった。
全ては先に謝ってしまえば怒られないばかりか、とても甘やかしてくれるということを学習させてしまったカイトに原因があったのである。




