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26 優理は反撃に出た



 ティネルの街を、美しい朝日が照らしていた。

 そして優理のご機嫌な鼻歌も流れる。

 朝から金儲けをするというのは気持ちがいい。更にストレス解消で物をぶっ壊すのも爽快さがクセになりそうだ。


(こういう時は派手にやらかすことが大事よね)


 まさにハリウッド女優の如く深紅一色のマーメイドラインのワンピースドレスを着て、堂々とキースヘルムの本拠地を出てきた優理だ。

 引き留める人間は誰もいない。当然だろう、今回の破壊に対する対応で彼らはてんやわんやだ。

 優理は、その手に小さな袋を持っていた。そう、キースヘルムから渡された宝石類である。


(これをカイネさんに渡せば、十分に今回使わせたお金と人件費をカバーできるわ)


 ヴィゴラスに渡した宝石とお金は面倒だからと家の中に置いてあっただけで、本当の自分の軍資金は土の中だ。けれども奪われて泣き寝入りなんて冗談ではない。取り戻せてよかった。

 頼めば何でも世界が叶えてくれようとする自分にとって、大地こそが金庫である。鍵不要、暗証番号不要でいつでも取り出せる。


(これでキースヘルムも私に手を出そうとは思わなくなった筈よ。たとえあの男が血迷っても、今回のこれを目の当たりにした手下達が引き留めるわ)


 真琴やイスマルクを案じていた遥佳が、助けを求めて自分の心を探っているのを知り、だから自分の心に今回の作戦を思い浮かべた。

 思った通り、遥佳はヴィゴラスを寄越してくれた。


(遥佳をディリライトへ行かせたのはあなたの為よ、ヴィゴラス。少なくとも気を抜けない場所なら、遥佳はこちらへ心を飛ばして探りを入れられない。あなた、遥佳には知られたくないんでしょう?)


 正直、優理は誰でもいいのだ。

 遥佳を愛し、大事にしてくれて、守ってくれて、何よりも遥佳が愛し信頼できる存在であるならば。

 それがグリフォンであろうと、異能の神官であろうと、はたまたまだ見ぬ遠い血族であろうと。


(ディリライト家の当主はきっとあなたを大事に迎えてくれる。だからゆっくりそこで過ごしていてちょうだい、遥佳)


 そんなことを思いながら角を曲がろうとした優理は、そこに潜んでいた存在に目をぱちくりとさせた。


(う、討ち入り? 襲撃っ? これって抗争っ!?)


 そんな言葉が思い浮かんでしまう程だ。

 レイスとカイネを始めとして、かなりガラの悪い数十人の男達が勢揃いしている。しかもどう見ても物騒すぎる凶器持参である。

 だが、そんな彼らもキースヘルムの根城がグリフォンによって破壊されたのを見ていたらしい。

 優理を見て、ざわざわっと男達が道を開けていった。


(大丈夫だって言ったのに。・・・信じてなかったのね、レイスもカイネさんも)


 総力でぶつかるならかなり苦しいと言っていたのではなかったか。なのにここまで集めてきたのか。

 先頭にいたレイスとカイネを見上げれば、何とも微妙な表情で見下ろしてくる。


「あ。えーっと、あのね、カイネさん。これね、私を捜してくれていたでしょ。ごめんなさい、ちゃんと慰謝料でキースヘルムからもらってきたから、遠慮なく受け取って」


 小袋から宝石を2つだけ取り出し、それ以外をカイネの手に押しつけた優理だ。


「え。いや、ユーリちゃん」

「大丈夫よ。キースヘルムの寝室に置いてあったものだもの。私の懐は痛んでないから」

「それもそれで凄い話だな。寝室まで乗りこんだか、おい」

「今日中に私の荷物も返してくれるそうだし、もう平気よ。本当にありがとう。今日も心配してくれたんでしょ? ごめんなさい、心配かけて。だけど嬉しかった」


 そして、1個取り分けた宝石はレイスの手に押しつけた。1個は自分の生活費だ。何と言っても現在の優理は一文無し。


「どうもお世話様っ」

「どうしてカイネには感謝の言葉で、俺にはそれなんだ?」

「十分でしょっ」

「そう照れるな」


 かなり使わせてしまったクルンの実と食事代金はそれでお釣りがくるはずだ。

 かなり変態な男だったが、それでもこの男の隠れ家にいたから優理はキースヘルムに襲われずにすんだ。宿泊費として十分なところだろう。


「一つ聞かせてくれへんか。どないしてグリフォンにあそこを襲わせたんや」

「あら、あなたもいたの?」

「いたら悪いんか。なんや、そのぺったんこを更に強調しとる服は。どこのチキンや思(おも)たわ」

「ほっといてちょうだい。こういうのはスレンダーな人にしか似合わないのよっ」

「スレンダー言(ゆ)うてカッコつけたかて、胸ない言(ゆ)うたら終わりやん」


 ドレイクまでいるとは思わなかった優理だ。本気で目を見開くが、

(この人だもの。レイスの後をくっついてきただけよね)

と、そう思ったりもする。


「簡単なことよ。私は今日、グリフォンがここの上空を通ることを知っていた。だからキースヘルムの手下の一人を買収して、屋根の上に宝石を1個、取りつけさせたの。その輝きを目敏(めざと)く見つけたグリフォンは建物に舞い降り、もっと宝物がないかと破壊しまくった。それだけのことね。・・・あとはそれに合わせて、まるで私がグリフォンと連携していたかのように演技すればいい」


 名探偵になった気分で堂々と嘘を言ってのけると、背筋をまっすぐに伸ばして優理は歩みを再開する。


(やだわー。こんな人達といつまでも一緒にいたら私まで同類と思われちゃうじゃないの。私はこんな闇の住人と違い、光の中を正々堂々と歩く一般市民なのよ)


 その背に、レイスの声がかかった。


「どうやってグリフォンがここを通るということを知った?」


 ゆっくりと振り返り、優理はクールにカッコよく微笑んでみせる。


「知らないの? 私の占いは百発百中なのよ」


 フッ、決まった。

 今となっては鬘になってしまった長い髪をたなびかせて優理が歩きだす。

 深紅のドレスの裾が足元にひらひらと纏わりついて、きっと今の自分はこの場におけるヒロインだろう。


(これこそ完璧。私の女主人公(ヒロイン)ぶりが素敵すぎる)


 もう、立ち止まる理由はなかった。






 自宅というのは落ち着くものだ。

 勝負は処刑の日だと、優理は思っていた。


(地下牢にだなんて、行ってる途中で見つかってトラブルもんだわよ。それぐらいなら引き出されてくる処刑の日に一気にお姫様強奪してカタをつけた方がいいわね)


 そうなると自分の役どころは白馬の王子様だろうか。

 家財道具も戻ってきた家でゆっくり寛(くつろ)ぎながら色々と考えている優理だ。

 さすがに優理も懲りている。

 自分が寝ている間に誘拐されるだなんて一度で十分だ。


「というわけで、悪いけど私が目覚めない間の護衛はよろしくね」


 久しぶりの我が家のソファに座りながら、優理はそう言いながら小さなアップルパイを齧った。

 向かいに座っている青年も、

「こういうのもなかなかいけるな。ハルカにも食べさせたい」

と、1ホールの内の12分の11程を食べている。


「それは勿論だ。で、侵入者は殺せばいいのか?」

「ちょっとそれはまずいわね。この家の外に追い出す程度でお願い」

「分かった。では訪ねてきた相手は全て家の外に追い出せばいいのだな?」


 優理はティーカップだが、向かいに座るヴィゴラスにはスープカップで紅茶を出した。ついでにポットにもお代わり分を先に用意しているが、本当によく食べる。

 しかし、こういうお菓子のパイも好きならばレシピを書いて持たせてあげよう。そうしたらきっと遥佳が作るに違いない。

 優理は自分の心にそうメモした。


「そうね。一応は口頭でお引き取り願って、それでも家の中に押し入ろうとしたら外に放り出して。だけどキースヘルムが宝石を持って来たら受け取ってちょうだい」

「キースヘルム?」


 怪訝そうな顔になる青年の瞳は、人間よりも力のあるライムグリーンだ。


「そう。金髪に黄緑の目をした男よ。今回、あなたが壊した建物で私と一緒にいた男」

「ああ。あれがハルカの言っていた絶倫ゴーマン男か」


 なるほどと、ヴィゴラスは頷いた。

 その後で苦言を呈する。


「だが、さすがにこの状況はいささか・・・と言わざるを得ない。今後においてもユウリ殿を守る手段を講じるべきだ。俺にとってはハルカが全てだから、どうしても後手に回る。何ならユウリ殿の為に強い幻獣を手配してもいいのでは?」

「それもちょっと・・・」

「あなたの為とあれば、誰もが喜んで名乗りを挙げるだろう。男や女として見ろなどと、誰も要求しはすまい。人間と違い、我ら幻獣はあなた方の意思を無視するような真似は絶対にしない」


 光の加減によって赤や白を映す黄土色の髪、そして黄緑の瞳をもった褐色の肌の青年はそう言いきった。


「あら。あなたがそれを言うの? 遠慮なく遥佳におねだりしまくっていたくせに」

「ハルカは俺を子供だと思いこんでいる。ましてや、あの神殿に暮らすことができるハルカ達の正体にも気づかぬ程に、幻獣とは普通の獣に毛が生えたレベルの知能しかないと思っているのだ。ならば妥当なところだろう。俺とて、そういうことならば少しは望むものもある」

「へえ。少しねえ」


 ひょいっと、気まずげにヴィゴラスは脇を向く。


「仕方ないだろう。まさかと思っていた存在が目の前にあるのだから。この僥倖(ぎょうこう)をどうして受け取らずにいられようか」

「別に非難したわけじゃないわ。遥佳だってあなたの心をきちんと見ておけば気づいたことよ」


 大切な姉妹だが、そこで真実を教えてあげようと思う気持ちは優理にはなかった。


「ハルカは自分に危険が迫らない限り、そこまで心を見はしない。俺の表面しか読んでいないと気づいたから、俺とて思考は後回しにして、一緒にいる時は感情と簡単な思考しか動かさないようにしている」

「ふうん。それって思考を読まなくてもあなたを信頼してるってことでしょ。まあ、遥佳にとってはその方がいいのかもね。真琴はパパっ子だから頼れる年上の男の人がいいけど、遥佳は自分が可愛がることができる年下の子がいいのよね」

「そうらしい」


 優理はヴィゴラスにレモンパイとオレンジタルトのどちらを先に食べるか、仕草で尋ねる。

 ヴィゴラスが食べたことがないという理由でレモンパイを選んだので、優理は自分の皿に少しだけ切って取り分け、残りは全てヴィゴラスに皿ごと渡した。


(ねえ、遥佳。分かってる? このグリフォン、イスマルクよりも強(したた)かよ? あなたの前でちょっと賢いだけの獣を装っていられるんだもの)


 遥佳や真琴の前ではどう振る舞っていたにしても、この幻獣は自分を分かっている優理の前では幻獣として神子を尊重する態度を崩さない。優理が食べてからなら自分も食べるが、自分だけ食べるということはしないのだ。

 

「そこまでして遥佳の前ではただのペットでいたいわけ?」

「そうでなければハルカが泣ける相手はいなくなるだろう。俺には分からないと思ってるから泣き言も言えるが、そうでなければ一人で抱え込むだけだ」

「それは有り難いんだけど。だけど知らないわよ。よその男に持っていかれても」


 ヴィゴラスは、少し考える様子をみせる。


「その時は、・・・その男を殺したらハルカは泣くか。ならば仕方ない。その男がハルカに纏わりつくのを許してやるしかないのだろうが、・・・事故を装って始末すればいいか」

「まずいでしょ、それは。ばれるわよ」

「ばれないようにやったらどうだろう。世の中に不幸な事故は何かと転がってるものだ」

「それなら大丈夫なのかしら。だけどばれたら遥佳はあなたという存在も失っちゃうのよね。あの子、それを受け入れられる程の図太さはないもの」

「仕方ない。病気で亡くなってもらうか」

「こらこら」


 スープカップを傾けてヴィゴラスは紅茶を飲み干した。


「冗談だ。ハルカが泣くのは辛い。だから我慢する。俺を傍においてくれるなら、それはもう仕方ないこととして受け入れよう」


 その葛藤がイスマルクを置き去りにし、そして今は救出に協力する矛盾を描き出したのだろうか。

 優理は自分の姉妹に向けられる想いにやや目を伏せる。


「不器用すぎないかしら。そういう純愛は嫌いじゃないけど」

「不器用にもなれない男なら、そいつは本気じゃない。・・・ほら、そこにも嫉妬に燃えた目をした不器用な男がいる」

「え?」


 優理が振り向けば、扉に同化するが如くの静けさでレイスが立っていた。


「ど、どこから・・・」

「屋上の扉からだ。それから各階の部屋を全て覗いてからやってきた。この建物は本気で護衛について考える必要があるな」


 悠長なことを言ってのけるヴィゴラスだが、それは負ける気がないからだ。侵入者に気づきながらも放置していたのは、いつでも殺せると思っていたからに他ならない。


「さて、侵入者。俺はこの建物に入りこむ人間は全て排除する。それを実行させてもらおうか」

「生憎と俺は侵入者じゃない。俺は結婚前提な純愛を継続中の恋人を迎えに来ただけなんだが?」


 ゆらりと立ち上がったヴィゴラスに、堂々と侵入者以外のなにものでもないレイスは言いきった。

 極力、音をたてないようにしていたのに自分の行動を把握していた相手だ。なるべくなら穏便にすませたい。


「忘れてるかもしれんが、ユーリ、お前は俺と恋人関係契約を結んだ。その遂行を俺は求める。愛する女がいつ襲われるかもしれない家に戻ったと知って、どうして俺が動かないと思うんだ? だから迎えに来た」

「ちょっと待ちなさいよっ。あれ、あんたの部屋を出た時点で解約されるんじゃなかったのっ!?」

「そんな条件は入っていない。お前は俺の最愛の女だし、反対も然(しか)りだ。そうだったな?」


 その会話内容に、ヴィゴラスも自分が口出しすることではないと判断した。

 座り直してポットの紅茶を自分のスープカップに注ぐ。

 

「ところで初めて見る顔だが、その男は誰だ? キースヘルムの手下か?」

「違うわよ。私が独自で手配した用心棒」

「用心棒? だが、キースヘルムが本気を出したなら一人で守りきれるものでもあるまい。常時、誰かがいる隠れ家を用意した。そちらに移れ」


 それで「迎えに来た」なのかと、優理は納得した。


「彼は強いわよ。それにキースヘルム、私にかかずらっている余裕はないわ。壊された根城を修理するにせよ、移転するにせよ、そちらで手一杯よ。そして私にはやることがあるの。私はここを動けないわ。三日以内にキースヘルムの手下がちょろまかした宝石を持ってきてもらう手筈になっているから」

「・・・がめついな、お前。あれだけの被害を出した場所に家財の当日返却を実行させた上、しっかりそんなことまで要求してたのか」

「私の物は私の物よ。利子をつけろと言わないだけ親切なもんだわ」

「そうだな。利子じゃなく慰謝料で宝石分捕(ぶんど)ってきてたか」


 レイスは勝手に優理の隣に座る。


「どこの者か聞こうか。腕に覚えがあるなら所属ぐらいは言えるだろう?」

「お前に答える筋合いはない」

「そうよ、レイス。彼のことは放っておいて」


 そこで優理は考えた。


(この変態、即座に家から叩き出すべきかしら。だけどヴィゴラスが遥佳の所へ帰った後の保険には、まだ必要よね。なんといっても自腹で用心棒だの護衛だの雇ったらお金かかるし。キースヘルムだってどう出てくるか分からないもの)


 残っていたオレンジのタルトを切り分け、レイスに一切れ、自分にはかなり薄い一切れを切り分け、残りをヴィゴラスに渡す。


「まさか他の男とお前が同じ家の中にいるのを、俺に黙認しろと? それともこいつに惚れたということか?」


 それを全部その男は食うのかと、レイスがそんな呆れた眼差しになっているのを無視し、優理はオレンジタルトを口に運ぶ。

 優理が食べなければヴィゴラスは食べないからだ。


「馬鹿馬鹿しい。彼には愛を捧げている相手が既にいるわ。私とどうこうはないの」

「その通りだ。無駄な心配などせずにさっさと帰れ」

「お前がユーリに手を出さんという保証がどこにある」

「保障など求められる覚えはない」


 ヴィゴラスにとって、レイスなど何の意味もない存在だ。優理が相手にしているから仕方ないと思っている程度である。


「全くよ。保証なんてものが必要な下劣な存在と彼とを一緒にしないでちょうだい。たとえ百人の美女が裸で彼を誘ったところで、彼にとっては愛を捧げた人の微笑み一つにも劣るってものよ」

「その通りだ。百や千ものゴミと彼女とでは、比較などというのも愚かしい」


 嘘を吐(つ)く必要もない幻獣に、人間ならではの思考は侮辱でしかない。

 分かり合っている二人の意見に、レイスは少し目を細めてヴィゴラスを見直した。

 どこかヴィゴラスを見て首を傾げている空気が伝わってくる。


「今日は帰ろう。だが、ユーリ。何かあったらちゃんと伝えろ」


 帰りは玄関から堂々と出ていったレイスは、しっかりオレンジタルトを平らげていた。






 大神殿での話し合いはかなり紛糾していた。

 それはイスマルクについてだ。


「やはり彼には温情を与えた方がいいのではありませんかな。神官の地位も戻してやった方がよいと提案せざるを得ない」

「しかし、そうなれば第1等神官の命令に従わなくても許されるという前例をつくることになる」

「その通り。それでは示しがつかなくなる」

「だが、このまま処刑するのはあまりにもよろしくないのでは」

「確かに。これでは我らこそが・・・」

「では、どうしろと? 彼を再び第25神殿長に戻すと?」

「しかし彼が背任行為を行ったことはドリエータの神殿も把握している。その上で許されたとなれば、どう思われることか」

「たかが地方神殿。どう思われたところで知ったことではありますまい」

「けれどもこれでは・・・。ええい、なんと忌々しい」

「全くですな。本当にさっさと八つ裂きにしてやりたい程だ」


 けれどもイスマルクの処刑をさっさと行えない理由がある。

 それは彼が入れられた地下牢のことだ。


「このような奴、地下牢に放りこんでおくがいいっ」


 いくら多くの神官を抱える大神殿といえど、ある程度の牢など監禁用の個室に過ぎず、地下牢などは全く使われていなかった。だからそこは埃もたまり、とても劣悪な環境だった。


「うへぇ。こんな所に放りこまれるなんざ、何やったんだよ」

「知らねえのか? こいつだよ、神子姫様を違う大陸の奴らに売り払ったっての」


 けれどもいつからか常にじめじめと湿気ていた地下牢には乾燥した空気が漂うようになる。冷えこんでいる筈の地下には、暖かい空気が満ちるようになった。

 驚いたのは、囚人に食事を運ぶ神官達だ。


「なあ。黴臭(かびくさ)さが消えた気がしないか?」

「ああ。なんか空気が乾燥してきた気がする」

「なんでだろうな。冷えこみもなくなった気がするんだよ」


 最初は不思議だなと首をひねっていただけだったが、やがて地下牢の壁が崩れて土や岩盤がむき出しになり、しかもその岩盤がまるで水盤のような形を呈したとなれば、さすがに驚かざるを得ない。


「たっ、大変でございますっ」

「地下牢の壁が崩れましてっ、土がむき出しになりましたっ」

「どうか一度ご覧になってくださいませっ。地下水が滲み出てくるようになり、水盤に溜まっておりますっ」


 慌てふためいて上位の神官に報告した。

 驚いていたのはその牢にいたイスマルクもだ。


(えーっと、これは・・・。少しは清潔にしておけってことなんだろうか)


 所詮は異能の神官だけに受け入れるのも早い。

 着ていた服の一部を切り、有り難くその水を使って、その布で体を拭いたりしていた。ご丁寧に、鋭利な岩の破片までその水盤の横には用意されていたからだ。髭だって剃ることができる。汚れた水も回収してくれる流し場付きだった。

 一筋の光も射さない筈の地下牢には、現在、発光する苔が生えている。


(あら? おかしいわ。なんだか処刑の日が延びているじゃない)


 そんな優理は、遥佳と真琴を大事にしてくれたイスマルクが劣悪な環境下におかれていたことが許せなかったのだ。

 ある程度の環境を構築すべく、大地と大気に調えさせる。だが、それが原因でその環境下から救い出せる日が延期されるという結果を招いてしまった。


(ちょっとちょっとっ。普通、決めたらすぐに実行するもんでしょっ? 仕事が遅いわよっ)


 だが神官達とて、地下牢に入れられた元神官にそんな奇跡のようなことが起こったら驚くのである。

 更には、そんな奇跡がもたらされる存在は本当に咎人なのかと、そう言い合って庇うようにもなるのである。

 それどころか、そんなイスマルクに何かしようものならとんでもない災厄が起こるのではないかと、恐れてしまうのである。


(どうしてこうなっているのかしら)


 理詰めで考える人間は、時に人間の心を読めずに失敗する。

 それを地で行く優理だった。



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