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25 カイトと真琴は出航した



 港町ドレシアからマジュネル大陸へと向かう船は、乗客こそ獣人と魔物だが、船員は人間ばかりだ。

 おかげでちゃんと貸出品も用意されていた。これが獣人の船員ならいつまで経っても貸し出されないこともあり得る。

 普段は争奪戦だが、思ったよりも人がやって来なかったものだから、それなりに盥(たらい)やピッチャーや食器など、カイトは多めに確保できていた。


(余裕ってなぁ大事だ。これで洗濯やちょっと体を拭くだけにしてもかなり便利だしな)


 ヒビが入っていない物やなるべく欠けていない物を瞬時に選んで掴むということが大事だ。そして貸し出し用のシーツなども綺麗な物を多めに確保しておきたい。

 だから真琴を連れてくると邪魔だった。

 子供のやる気を褒めてやるのは大事だが、ひび割れの食器を掴んできてそれを褒めてやってる内に綺麗なのが全部借り出されてしまってはさすがに辛い。

 そしてカイトは縄も借りてきた。

 

(考えようによっちゃ、この部屋で良かったよな。マコトは物質面では恵まれて育ってきたようだし、そうなると一度洗濯して干しといた方がいい)

 

 さっさと貸し出し用のシーツを全部洗って干してしまうカイトだ。一応は洗濯されているだろうが、清潔さにこだわるなら自分でも一度洗っておいた方がいい。

 旅から旅への運び屋をやっていたカイトに、旅立ちの感傷などといったものはなかった。

 ここは船内だ。どうしても室内干しになってしまうが、窓を開けておけばいいだろう。

 

(マコトのことだ。即座に船酔いを起こすかもしれん)


 洗濯を終えたカイトは、貸し出し用の太いロープを編んでいく。最初から編んだものがあればいいのだが、こういうのは種族による体格差がありすぎる為、そうもいかないのだ。

 真琴にも編み方を教えておくべきなのかもしれないが、今、こんな作業をやらせて船酔いされても困る。まだ外のデッキで風に当たりながら景色を見ている方が酔いにくいだろう。

 

(どれくらいの大きさにしとくべきかな。一人分か二人分か)


 あの甘えん坊のおかげで昨夜も一緒に眠ってしまった。ならば今回も一緒に寝るような大きさにしておくべきなのか。


(いやいや。やっぱりいつ船員が入ってくるとも限らねえし、ちゃんと二つ・・・。いや、俺は寝台で眠るからいいのか? だが、あいつが寂しがって俺の寝台に入ってきて、それで船酔いされても・・・)


 仕方がないと、カイトは最初に真琴用のハンモックを一つ編み、そうして次に自分用として自分と真琴が二人乗っても大丈夫なものを作ることにした。

 カイトは無言で縄を編んだ。編み続けた。

 やがて二つのハンモックが出来上がる。

 

(や、やっと終わった・・・。沼地で寝泊まりした経験が活かされてるぜ、俺)


 頑張って編んで、はっと気づけばとっくに船は出港していた。しかも昼近くになっている。


「何やってんだ、マコトは。ちゃんと部屋も教えておいてやっただろうに」


 作り上げたハンモックを部屋の中に掛けて、カイトは肩と腰をうーんといって伸ばしながら、真琴を迎えに行くことにした。


(初めての大型船だ。興奮してはしゃいでるんだな。船員を質問攻めにしてなきゃいいが。そろそろ昼ごはんだし、本当にしょうがない子だ)


 ここは乗船時のチケット売り場で自分達の食べる種類や量をきちんと申告しておいてそれに見合った料金を払うことになっている。まさかと思うが、違う獣人達の群れに勝手に連れて行かれて違う食べ物を与えられていたら大変だ。

 本当に目の離せない子供だなと、カイトが強張(こわば)った腕や指先を揉みながら甲板(デッキ)に行けば、そこには車座になって座りこんだ魔物や獣人がいて、その中で一緒に座りこんでいる真琴は小さな妖精を不思議そうに見上げながら指先を伸ばしていた。




 よその獣人に連れて行かれていなくて良かったが、それについてはどうせ船内なのでいざとなったら船員に告げて捜してもらえばどうにかなると思っていたカイトだ。

 しかし、まさかみんなで一緒に座りこんでほのぼのとしているとは思わなかった。

 そんな真琴は箱の上に座っている。


「何をやってるんだ、マコト」

「あっ、見て見てカイト。可愛いでしょ。なんか妖精らしいんだよ。小さくて可愛いんだ」


 真琴の周囲を、それこそカイトの手ぐらいの大きさしかない風の妖精(シルフ)達が飛び回っている。男女それぞれに姿を現わしたり消したりしながら。


「まさか、シルフか? だが、シルフがゲヨネル大陸から出てくるとは・・・。けど、この船、マジュネル行きじゃなかったか?」


 カイトも驚くしかないが、周囲の魔物や獣人もそれに驚いて眺めていたらしい。

 しかも船員達まで興味深げに少し離れた所から見ていた。


「全くよぉ。シルフなんてゲヨネル大陸に行かねえと見られねえと思ってたや」

「そうだなぁ。まさか間違ってこっちの船に乗りこんじまったんかねえ」

「あら。だけど幸先(さいさき)いいじゃないの。シルフがいるなら船旅も安心できるわ」

「なんだ。この坊主、兄さんの連れかい? なかなか派手な立ち回りをやらかしてたじゃねえか」

「おうよ。もしかしていい所の坊ちゃんを誑かしてきたんかい? そりゃいけねえなぁ」

「まあ。なんて情熱的。うふふ、ねえ、あんた」

「そうさなぁ。お前と俺が出会ったのもあれぐらいだったか?」

「こんな可愛い坊やだ。そりゃ連れて帰ってきたくもなっちまうわなぁ」

「そうねえ。何ならうちの子になる、坊や? 賑やかでいいわよぉ」

「ううん。僕、カイトと一緒にいるから駄目。ごめんね?」

「・・・・・・一体、何があった?」


 目を離していた自分が悪いのかもしれないが、こんな船の上でどんな派手なことができたというのか。ついでにどうして真琴は皆に囲まれているのか。


「マコト。何かあったのか? 派手な立ち回りって何をやったんだ、お前は。こんな船の中で」

「えーっとね、羊さんの角をした小父(おじ)さんにもらったオレンジ食べてたら、下を神官の一行が通り掛かって・・・」

「まさかっ、もうあいつらがっ!?」

「あ、違う違う。・・・そうじゃなくて、神官は神官でもイスマルク達で」


 手を横に振ってそうではないのだと言いながら、イスマルクのことはなんと説明するべきか考える真琴だ。


「イスマルク?」

「うん。えーっと、僕のお兄ちゃん?」


 治療院でイスマルクが働き始めた時、遥佳からイスマルクは自分達の兄気分なのだと教えてもらった真琴だ。

 だから兄だと言っておけばいいのだろうかと、そんなことを思う。


「お前、兄もいたのか?」

「うん。血は繋がってないけど」

「・・・・・・そうか」


 てっきり遥佳と二人兄妹だと思っていたが、兄もいたのかとカイトが驚けば、何ともコメントしづらい答えが戻ってくる。

 親同士が再婚でもしたのだろうか。


「でね、イスマルクは神官もしてるんだけど、なんかよく分かんないけどドレシアにいたみたいなんだよね」

「・・・お前、兄が神官やってるってのに、あんな騒ぎを大神殿で起こしたのかよ」

「え? だってそれ、イスマルクと関係ないよ」

「そういう問題じゃないだろう。お前、なんて考えなしな子なんだ。イスマルクとかいう兄が不憫すぎて泣けるぞ、おい」

「むぅっ」


 カイトだって神官の地位がどういうものかよく分からないが、大神殿で第1等などと言い放ったファミルイードより高い地位ということは完全にあり得ない。

 真琴の名前と似顔絵を持ってギバティール中の神官が走り回っているというのだ。いくら地方の神殿勤めといえど、それが明らかになったら血の繋がらない兄もただではすまないだろう。

 

「まあまあ、兄ちゃん。そう叱ってやりなさんな」

「そうだよ。人間の子の割にいい子じゃないか。あたしもいい話を聞かせてもらったよ」

「ああ。神殿のお偉いさんの子供なんだろ? あんなにも神官達が揃って見送ってくれてたじゃないか」

「はぁっ!?」


 真琴は神官に追われていた筈だ。どうして見送りという話になるのか。


「おまっ、お前っ、神殿のお偉いさんの子供だったのかっ!? じゃあ、お前の兄だけじゃなく父親だってあのジジイに目ぇつけられちまうってことだろうがっ」


 言ってから、ハッと気づくカイトだ。いや、真琴の父親はもう亡くなっているのではなかったか?

 自分の腕にはめられているそれは、その父親の形見だった筈だ。


(つまり、マコトの母親がそのイスマルクとやらの父と再婚したのか? なんでこう次から次へと)


 後だし情報が多くて困る。

 とはいえ、さすがにマジュネル行きの船に乗ってしまった以上、どうしようもないのだが。


「まあ、お偉いさんの子供にはなるのかもしれないけど。別にそれでどうこうってのは・・・。それに、あの大神殿のお爺さんより、うちの親の方が偉いし」

「そうなのか?」

「うん」


 そこは真琴も素直に頷いた。

 確実に自分の母親の方が偉いだろう。比較すること自体があり得ないぐらいに当然の事実だ。


「じゃあ、どうしてお前をギバティール中の神官達が追っかけるだなんて・・・」

「僕が僕だって気づいたからじゃないかな。だから神殿に閉じ込める為だと思う。うちの親、かなり偉い人だったみたいなんだけど、それで僕にも神殿の奥で祈りを捧げる日々ってのをやらせようとする人ばっかりなんだよね。もしくは政略結婚とか、そんな感じで・・・」


 ぽりぽりと頬を掻く真琴は、この甲板(デッキ)にいる獣人や魔物達にもあの一幕を見られているが為にかなり頭を使って話していた。


「お前が祈りを捧げる日々って、・・・無理だろ。一つも知らないじゃないか」

「うん。だから無理な話なんだよ」


 真琴は心の底からそう思っている。


「しかも政略結婚って、・・・マジュネルの血が入ってるだろ、お前」

「うん。逃げ出すしかないよね? だから僕、何も悪くないと思う」


 お説教が嫌いな真琴は、不遇な正義を語ってみた。


「いや、悪いだろ。お兄さんに手ぇついて謝れ、おい。いくら父親が偉かろうと、そんなんで特権を行使しようもんなら周囲から妬まれて軋轢(あつれき)が生まれるだけじゃないか」

「だけど、あれはもう仕方なかったと思うんだよ。イスマルクには味方がいるということで強く生きていってもらいたい」

「お兄さんのことだろっ? 他人事(ひとごと)にするな、おい」


 そこでカイトも考えこむ。

 神官は男しかなれない。そして真琴の父親は、この腕輪を見れば分かるが、あんな神官服を着て祈りを捧げるような人間ではない。

 ゆえに血の繋がらない兄・イスマルクの父親こそが、神殿の偉い人だったと確信するわけだが・・・。

 

(血の繋がらない義理の息子にも、神官業務や政略結婚を要求する程、そのイスマルクという兄の父親は神殿でも重要な地位にあるのか? 何にしても権力図ってのは絡み合ってるもんだ。あの第1等神官とやり合ったそれで、その義理の父親とやらに迷惑がかかってることは確実だろう)


 自分の新しい群れの子は、ちょっと目を離したと思ったら何かやらかす子だ。

 カイトは、子育てとは一瞬たりとも目を離してはならない作業だと学んだ。


「まあまあ。事情はよく分からんが、いいじゃねえか。なあ、兄ちゃんよ。こんな小さい子でもちゃんと言いたいことは言ってきたんだ。なかなか気持ちよかったぜぇ」

「そうよ。いいじゃないの。マーコットって名前なんでしょ。とても素敵な名前じゃない。ほら、シルフだって喜んで姿を現わしてきたのよ」

「え? そうなんだ? この子達、いきなり見えるようになったんだよ。とっても可愛いんだけど、何を喜んでるの?」


 カイトを宥(なだ)めるように、全身が鱗(うろこ)に覆(おお)われている青年がぽんぽんと腰を軽く叩いてくれば、大蛇もまた風の妖精(シルフ)をその鎌首で示す。

 真琴はさっきから自分の周囲で飛び回っている風の妖精(シルフ)に目が回りそうになりながらも、指先を伸ばせばそこに止まってくれたりするので、可愛いなぁと思って見ていた。


「あんな神官達が勢ぞろいしてこんな子供に膝をついたんだ。それこそ神殿でも偉い人の子供なんだろうが、なかなかいい名前じゃねえか」

「・・・名前?」


 マコトというのは変わった名前だが、そこまで褒められるほどのものだっただろうかと、カイトが真琴に近づけない状態で首を傾げる。

 真琴と自分の間には色々な存在が座りこんでいて、近寄れないのだ。


「何でもこの世界は、人間だけじゃなく、魔物、獣人、妖精、幻獣と五つの存在があって初めて完璧だって意味の名前なんでしょ。素敵な名前じゃないの」

「そうさ。神殿や人間の奴らは何かと威張りくさってるもんだがよ。その神殿でもかなり重要らしいこの子の親ってのはまともな感性を持ってるってわけじゃねえか」


 カイトは思った。


(知るか、んなこと。大体、どうしてうちの子のことを、こんな初対面の奴らに教えられなきゃならねえんだ)


 けれどもカイトの視線の先で、真琴は風の妖精(シルフ)達に問いかけている。


「それが嬉しかったの?」


 飛び回っている風の妖精(シルフ)達はうんうんと頷き、

「そっかぁ」

と、真琴も笑顔になった。


(そこで「そっかぁ」じゃねえだろっ。どうしてお前は俺の常識を超えてやらかしてくれるんだっ)


 そこで、ポンと背後からカイトの肩を叩く人がいた。


「すみませんが、お客さん」

「あ? 何か?」


 やや低く機嫌の悪い声で振り返れば、それは船長だった。


「あの妖精、無賃乗船だと思うんですがね?」

「別にあのシルフ達は俺の連れじゃない。俺の連れはあそこの弟だけだ」

「どう見ても弟さんの連れ、ですよね?」

「・・・は?」


 カイトは真琴を振り返った。

 船長が指し示すまでもなく、風の妖精(シルフ)は真琴だけに纏(まと)わりついている。


「マコト、いくらその妖精達が可愛いからって、連れでも何でもないだろうっ。どうして懐(なつ)かせてんだっ」

「え。よく分かんないけど、・・・だけど可愛いよ。ほら、こんなに小さいし、光ってるんだよ。綺麗でしょ? くるくる回転もできるんだよ」

 

 真琴はカイトに良く見えるようにと腕を更に高く掲げた。

 おうちで飼っちゃ駄目? と、そう言わんばかりに焦げ茶色の瞳を大きく広げて見上げてくるが、そもそもカイトの視力は悪くない。


「あのね、この子達、無駄吠えもしないし、トイレもお部屋にしない感じだよ?」

「いや、犬や猫と違うからな?」

「だけど綺麗で賢そうだよ?」

「だから、ペットじゃねえって」


 カイトは、くらりと眩暈(めまい)を覚えた。

 そもそもゲヨネル大陸からあまり出てこないとされる妖精達は気位が高い。こんな子供に姿を現わして戯れるような存在ではないのだ。


「まあまあ、お客さん。私もね、そんな小さいことでどうこう言うつもりはないんですよ。ただ、無賃乗船には変わりないなと、そう言いたいのはですね・・・」


 船長は腕をがしっとカイトの肩にまわして、その口をカイトの顔に近づけてくる。

 まさに悪の道へ引きこもうとするかのように。逃がさないぞと言うかのように。


――― 魚心あれば水心。


 そんな言葉がカイトの脳裏に閃く程に、鈍(にぶ)い光を放つ船長の瞳は何かを要求している。

 そう、その船長の瞳にある光は、黒く暗い曇天(どんてん)を伴った嵐の中に閃(ひらめ)く稲妻のようだった。


「い、いや。あれはうちの連れじゃなくて、本当に・・・っ」

「まあまあ。何事もちょっとしたお話し合いで解決することはあります。無賃乗船といえば、即座に通報モノ。陸地に到着次第引き渡しとなりますが、私達はいいお友達になれると思うのですよ、お客さん」

「・・・俺に、何をしろと」

「簡単なことです。なんといってもシルフだ。マジュネル大陸に行く途中は凪(なぎ)もあるでしょう。だがシルフがいれば、そしてあの自由気ままなシルフが協力してくれるとなれば、話は別だ」


 船長にしてみれば、船を無事に到着させてこそである。

 そして、乗船中の全てにおいて船長の権限は絶大だ。

 たとえば船長を怒らせようものなら、とんでもなく悲惨な船旅が待っている。


(やべえ。この目は本気(マジ)だ)


 カイトの背中をたらりと冷や汗が流れていく。


「・・・・・・マッ、マコトッ」


 カイトはがばっと振り返り、今も、

「こんなに可愛いのにねー。餌って何がいるの?」

とか言っているお気楽な子供へと駆け寄ると、引っ掴んで船長の元へと戻った。


「へっ、カイト?」

「いいか、マコトッ。いくら可愛くてもそいつらはとんでもねえ悪戯好(いたずらず)き妖精なんだっ。だが懐いているなら幸い、この船がスムーズに進むよう協力させればこの船長さんも喜ぶっ」

「ほぇ?」


 いきなりむんずと掴まれ、抱っこされて船長の前に突き出された真琴だ。


「えーっと、どうなのかなぁ? そういうの、できるの? 妖精もそういう日雇い作業とかってするの?」


 自分の周りにまだ纏わりつく妖精に真琴が尋ねれば、妖精達は真琴の傍から帆の所へと飛び、うんせうんせと風を作り上げていく。

 しばらくは何も起こらなかった。

 けれども彼らの目に分からないだけで、小さな風を練り上げていた風の妖精(シルフ)達は、少しずつ小さな風から始めて段々大きな風を上空から呼び込むことに成功していた。


――― 俺、可愛いって言われちゃったぞ。

――― シルフは風の中に生きてるんだよねー。

――― シルフ、日雇い作業はしないよ。

――― シルフの食べ物、聞かれちゃったわ。

――― 帆だけじゃなく船体にも風をぶつけちゃえ。

――― そうだね。そしたらもっと早く進むね。

――― そうだよ。ここなら大きな風を呼んでも大丈夫。

――― それで姫様、喜んでくれる。


 今、真琴が一番信頼しているのはシルバータイガーの獣人だが、自分達だって五つの弦の一つ、妖精なのだ。

 ここぞとばかりに張りきるシルフだった。


「うわぁっ」

「ぎゃあっ」

「わあぁっ」


 いきなり速度を上げ始めた船に、様々な客達がバランスを崩してひっくり返る。


「ふぎゃっ」

「マコトッ」


 真琴も転倒しかけたが、カイトがそれの下敷きになるようにして庇った。尻もちをついて座りこんだカイトは、腕の中に真琴を抱え込んで帆を見上げる。

 思いっきり風を受けた帆がパンパンだ。


「今じゃないっ、今じゃなくていいんだっ。凪の時だけでっ」


 慌てて船長が叫ぶ。

 しかし、真琴の為に頑張ろうとしている風の妖精(シルフ)達は、誰の言葉を聞くものではない。


「おいっ、君っ、今じゃなくていいと言ってくれっ。凪が続く時だけでいいんだっ」

「えっ、僕? 僕が言って聞くのかなぁ。・・・あのねーっ、凪の時だけでいいんだってぇっ。 その時にお仕事してくれる? そういえば、妖精のお仕事ってお金で払うの? それともミルクとかなの?」


 やはりタダ働きはまずいだろうと思う真琴だ。


――― えー。せっかくの見せ場だったのにぃ。

――― だよねー。つまんなーい。

――― お困りになるようなことはしちゃ駄目だよ

――― そうだよ。ほら、風を違う場所に逃がしちゃお?

――― ミルクくれるって。だけどミルク飲まない。

――― シルフは風だから食べ物いらないよ。


 しかし真琴が言うものだから、シルフ達もならばとその風を少しずつ抑えていく。

 それでもすぐにぴたっと抑えられる風ではなかったので、だんだん弱まっていくといった感じで通常状態へと戻っていった。

 帆に当たるだけなら風の勢いが強すぎてマストが折れてしまっていたことだろう。しかし、シルフ達が船の胴体をも風で押していたものだから、それらが損傷することもなく、ちょっとしたその間に、かなり船は進んでいた。


「船長っ、今の大風でっ!」

「どこまで行ったっ。舵(かじ)をとられたかっ!?」

「いえっ。舵を無視した動きが発生しましたっ」

「流されたかっ」

「いいえっ。今日の航路をかなり進みましたっ」

「全ての帆を点検しろっ。船体の損傷もなっ」


 ばたばたと報告にやってくる船員達に指示を下し、船長はカイトの上に座りこんでいる真琴を見下ろす。

 さすがと言うべきなのか。

 あれ程の揺れだったというのに、船長以下、船員は誰もひっくり返ってはいない。

 そのことに自分でもみっともなかったなと思ってしまうカイトだ。

 肝心の真琴は、カイトの腹の上に座りながら興味深げにそれぞれの持ち場を点検しに行った船員達を眺めている。


「いや、凄いものだな。シルフはミルクも飲まないし、お金も欲しがらないんだよ、少年。さて、私は船長のケイドトスという」

「ご丁寧に恐れ入ります。僕はマーコットです」

「おや、とても立派なご挨拶だね。マーコット君。君は妖精とお友達になれる才能があるんだな。ならお友達には、この船に悪戯しないように言い聞かせておいておくれ」

「そうなの? 初めて見たんだ」


 その言葉に、風の妖精(シルフ)がこの少年に纏わりついているのは一時的なものなのかと、船長も頷く。


「そうなのかい? なら気まぐれなのかな。それでも有り難いことだ。ついでにさっきみたいなスピードは困るが、ほどほどになら小さな風で船が進むのを協力してくれるのは有り難いって伝えておいてくれないかい?」


 ふむと、真琴も顎に手を当てて考える。


「ミルクもお金も欲しがらないんなら何が欲しいんだと思う、ケイドトスさん?」

「シルフは風がないと生きていけない。風と共にいないと弱ってしまう。だから小さな風と共にいるのが一番幸せなんだよ」

「そうなんだ。物知りなんだね」

「まあね。色々な種族が乗るから、こういう船に乗る船員達は様々な種族のことについてある程度を把握しているんだ」

「へー、すっごぉい」


 そこでカイトもハッと気づいた。


「ならシルフに無賃乗船とか意味ないってことも知ってたんじゃないのか、おい」


 金銭と無縁に生きているシルフに、乗船チケット購入も何もないだろう。

 そのぼやきを、船長ケイドトスは聞こえないフリですませた。

 船が進むのは広大な海。航海を無事に終えられるかどうかは、風と波にかかっている。

 シルフが懐いているという子供がいて、どうしてそこで何もせずにいられるだろう?


「そろそろお昼ご飯の時間だろう。せっかくだ。この航海の初めての食事は私と一緒にどうかな、マーコット君。そこのお兄さんも一緒に」


 様々なことに目を配る為、船長は色々な客とテーブルを共にすることが多い。


「カイトだ。よろしくな、船長さん」

「ええ。我々はいいお友達になれそうですな、カイトさん」

「ああ、そうだな」


 立ち上がって握手した二人だが、カイトの手が恨みをこめていささか強く握っていたのは仕方ないことだったかもしれない。






 部屋の中で風の妖精(シルフ)が飛び回る。おかげで瞬く間に洗濯物が乾いてしまった。


「ありがとね。おかげでもう乾いちゃった」


 そう妖精達に笑いかける真琴に、ちょっと不満なカイトだ。

 

(なぜ、俺の群れの子が、もう妖精の群れ(シルフたち)のリーダーになってるんだ。この子はまだ独り立ちしてないんだぞ。一人前じゃないのにリーダーになっていいわけないだろ。・・・しかし、シルフはマコトに懐いてる)


 カイトの種族では、独り立ちしてから群れのリーダーになって、それでやっと男として一人前だ。

 カイトはそれがどうも性に合わず、ジンネル大陸に渡ってからは人間を装って生きてきた。

 ひょんなことから真琴を自分の群れの子にしたものの、知らない間にその子は違う群れのリーダーになっているときたものだ。本人は全く自覚していないようだが。


(浮気されたって、こんな気分なのかもな。いや、寝取られた気分か)


 正直、面白くない。

 妖精にしても人間にしても、そういう群れといった感覚はないと知っている以上、大人げないから口にはしないが。

 真琴は、

「妖精のお友達ができちゃったよ」

と、とてもご機嫌だ。

 しかも何か箱を持っているものだから、それは何かと訊いたら、そのイスマルクという兄が餞別代わりに寄越してきたものだとか。

 

(なんで俺のマコトによその奴が物なんぞ用意してくるんだ)


 勿論、兄なのだから弟に何かを渡したとしてもそれは当然のことだ。人間という種族である以上、それはごく自然なことだと、カイトも分かっている。

 けれども感情がそれを受け入れない。自分にとって唯一の群れの子である真琴に何かしてあげるのは自分だけの筈なのにと、そこが不快でたまらないのだ。

 

「カイト?」


 不貞腐れながら寝台に寝転がっているカイトに、真琴が近づいてくる。

 その腕をぐいっと掴んで引っ張れば、自分の上に落ちてくる体があった。それを受け止めれば、真琴がけらけらと笑う。

 

「もう寝る時間? 船の中って自分が動かなくても進むから楽ちんだよね」

「そうだな」


 そんなことを言って抱きついてくる真琴は、カイトの不機嫌さに気づくこともなく、楽しげだ。

 それを見ている内に、カイトも心がほぐれていく。

 考えなしなところも、常識のないところも、突拍子(とっぴょうし)のないことを言い出すところも困ったものだが、それでも自分は真琴が可愛いのだ。


「僕ね、初めてシルフって見たんだ。迷子なのかなぁ。本当はゲヨネル大陸にしかいないんでしょ? 乗る船、間違えちゃったんだね」

「どうなんだろうな。こいつらは姿を消すこともできる。どっちにしても帰りたきゃ自分達で空を飛んで帰るさ」

「へー。カイトもよく知ってるね」

「常識だ。さ、寝るか。寝台でもハンモックでもいいが」

「うん。あ、そうだ」


 そこで真琴はむくっとカイトの上から起き上がって窓を開けた。

 外には暗い夜空が広がっている。


「うわぁ、星がいっぱいで落ちてきそう」

「海に地上の光はないからな。山もないし、星がとてもよく見えるんだ」

「うん。凄いねぇ」


 真琴はカイトと、窓からの景色をしばし楽しんだ。


「あ、そうそう。君達、風がないと弱っちゃうんでしょ。はい、お外に出て。また明日ね。あ、夜とかもできれば弱い風でいいから動かしてくれると助かるって言ってたよ」


 部屋の中を飛び回っていた風の妖精(シルフ)達が、姿を現わしながらさーっと窓の外へと去っていく。部屋の中を見渡して、

「もういませんねー。ちゃんと出ていきましたねー」

などと声を掛けて、真琴は窓を閉めた。


「ハンモック寝てみたい。なんか楽しそうだよねっ」

「そうか」


 二つ並んでいた為、小さいほうのハンモックにうんしょとよじ登って寝転ぶ真琴だ。


「今日は一緒に寝てほしいって言わないのか?」


 せっかく二人でも寝ることができるハンモックを編んだというのに。

 ちょっと寂しくてカイトは訊いてみた。


「うん。ここならカイト、どこにも行かないから」

「・・・・・・そう、か」


 ぐさっと胸に突き刺さる何かを感じながら、カイトももう一つのハンモックに独りで寝転ぶ。

 もしかして自分は、ちょっと夜遊びに出かけただけで大きな信頼を失墜したとでもいうのだろうか。


「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 けれども何故なのだろう。

 何も変わらない筈なのに、どこか真琴が違って見えるのは。


(いや、気のせいだ。今日は色々とあった)


 カイトは目を閉じた。

 ゆらゆらとした船の揺らぎが、二人の眠気を誘っていく。

 カイトの中に生まれていた真琴に対する疑念は、形をとることもなく夜の闇へと消えていった。




 船の朝は早い。船員達が朝日と同時に動き出すからだ。

 がやがやとした船員や乗客達の動きまわる気配が、こうして部屋にも響いてくる。


「おっはよー、カイト」


 窓を開けて風を室内に入れながら、真琴が振り返った。


「ああ、おはよう」


 真琴よりも寝過ごすとはと思いながら、ハンモックの上で上半身を起こす。

 窓から入ってくる光にカイトは目を細めた。


(気のせいか? 一瞬、マコトがまるで少女に見えた)


 波が反射する太陽の光に照らされて、真琴の姿が窓際で浮かび上がっている。

 音も立てずに床へ着地すると、カイトは真琴の傍へと近づいた。


「見てっ。あそこで魚がね、さっき波の上にまで跳ねたんだよ」

「そうか」

「うんっ。あれ、何ていう魚だろう。すっごいジャンプ力」


 嬉しそうに振り返る真琴を、カイトは抱きしめる。

 小さな体は、獣人の血が入っているとは思えない程に華奢だ。


「どこにも・・・行くなよ」

「ここから出入りなんてしないよ。窓の外、海だもん」


 真琴が不思議そうな声になる。

 けれどもカイトはその腕の力を緩めることができなかった。


(まるで、光にそのまま溶けていきそうだった)


 真琴はこうして自分の腕の中にいるというのに。

 だけど、何故か不安になる。

 けれどもそんな感傷と無縁なのが真琴だった。


「大体、カイトばっかり僕を置いてくのにっ」

「え? 置いてってねえだろ。ちゃんとデッキにも迎えに行っただろうが」


 どうやら先日のことを忘れていないらしい真琴が、カイトの腕の中でぷんすかぷんすかと怒る。


(あー、そうだった、これが現実だ。ちゃんとこの甘えん坊はここにいる。俺の腕の中に)


 朝から晩まで好奇心に目をキラキラさせて、飛んだり跳ねたりしているのが真琴なのだ。


「カイト?」


 見上げてくる黒目がちの焦げ茶色の瞳は、いつものようにカイトへの信頼を伝えてくる。


「いや、何でもない。いい朝だな」

「うん」


 真琴の頬にキスすれば、真琴もカイトの頬にキスしてくる。

 

(そうだ。何を俺はトチ狂ってんだ。久しぶりのマジュネル大陸行きってんで、俺もちょっとおかしくなっちまってたな)


 カイトはそう自嘲した。

 この腕の中にいる存在に、誰にも見せずに閉じ込めておきたいと、そんな狂暴な気持ちを持ってしまうだなんて。


「さ、朝飯だ。顔洗ってから行こうな」

「うん。ご飯、何かなぁ」

「朝はいつも変わらんメニューだ。今日の朝食がこれからずっと毎朝出る」

「へぇ、そうなんだ」


 無理に笑顔を作ると、カイトは真琴の背中を抱いて食堂へと向かうことにした。






 カイトのトチ狂った感情は、淡雪のように消えた。

 船は進む。順調に進んでいる。

 そうして真琴も順調に何かをやらかし続けるのだ。


「目ぇ離したら本当にいつもいつもっ。何やってんだ、この馬鹿っ」

「ば、馬鹿じゃないもん。ちゃんと命綱だってつけてたもんっ」

「そういう問題じゃないだろっ」


 今日も元気にカイトは真琴を叱りつけている。

 叱られている真琴は、小さくなって下を向いていた。


「まあまあ。カイトの兄さんもそう怒りなさんな。ちゃんとあたしだって一緒に登ってやってたんだし、そう危ないもんでもなかったわよ」

「リリアの姉さんはそりゃそうだろうが、こいつはほとんど人間なんだっ。生粋の魔物や獣人とは違うんですよっ」


 緑色の大蛇の姿をした女がチロチロと赤い舌を出しながら真琴を庇うが、高いマストの上で逆上がりをしていた真琴を見つけたカイトにしてみれば、

「二度とやるんじゃねえっ!」

である。


「だって、シルフ達と一緒に風を感じられたら楽しいかなって思ったんだもん」

「だもんじゃねえっ」

「じゃあ、シルフ達と一緒に風を感じてたんだよ」

「言いかえればいいってもんじゃないだろっ。風を感じるなら甲板ですませとけっ」

「えー。・・・だけど、命綱もつけてたから落ちたって無事だったわけだし、そこまで怒んなくてもいいと思う。やっぱり帆が翻ってる場所って風が違うし」

「マーコートー」


 かなり低い声になるカイトだ。

 何故ならカイトには分かるからだ。真琴は全く反省していないと。


「あ、あのっ。すみません、カイトさん。そうマーコットちゃんを怒らないでやってください。俺らもつい命綱をつけてるからいいだろって思っちまって・・・」

「ホント、すんません。なかなかマコちゃん、身が軽かったから俺らもつい・・・」


 真琴を見つけた途端に顔を青ざめさせたカイトを見てしまっただけに、まずいと思って肩をすぼめていた船員達がそこで取り成しに入った。


「いや、すみません。コイツが我が儘言っただけでしょうから。ほらマコト、お前も謝れ。船員さんだって客に言われたら協力しちまうだろうがっ」

「はーい。・・・ごめんなさい」


 真琴も船員達にちょんっと頭を下げる。

 けれども彼らは手を横に振って、カイトにこそ謝った。


「いやいや、俺らが登らせてしまったんですよ。カイトさん、だからそう怒らないであげてください」

「そうですよ。それに俺らにとってもお客さんが楽しんでくれるのは嬉しいことなんです」


 船員達が登っていくのを見て、自分もとマストをよじ登ってきた真琴は、風の妖精(シルフ)と仲がいい。

 船が順調に進んでいるのもシルフのおかげだ。だから船員達も喜んで真琴に命綱をつけてあげたのだが、ここまでカイトに叱られてしまうと不憫になってしまう。

 そうなるとカイトも怒り続けるわけにはいかなかった。


「はあ。ですが本当に危ないので、次回は止めてやってください」

「はは。そうですね。まあ、いきなりあんな所を見たら誰だってびっくりしますよね。な、マーコットちゃん、次はカイトさんと一緒においで。それなら怒られないさ」

「うんっ」


 中性的な可愛らしさがある真琴は、屈強な船員達から既に女の子扱いだ。それを真琴も嫌がらないことから、ほとんど定着している。


(駄目だ。こいつ、ほんっきで反省してねえ)


 真琴があんな高い場所でいるのを見た時には心臓が止まるかと思ったカイトだ。

 それこそ、いつ甲板に叩きつけられるかと思って、一気に血の気が引いた。

 そんな気持ちを理解する気もなさそうなお子様は、謝ったらそれで終わりだと思っているときたものだ。

 子育てとは忍耐の連続だと、カイトは学んだ。


「ほら来い。全くこのお気楽小僧が」

「あ、それならねっ。肩車してっ」

「いや、どうしてお前はそこでそーゆー要求に走るんだ」


 カイトはひょいっと肩に真琴を担ぐと部屋に戻った。




 船長は、船内の全てに目を配るのが仕事である。

 その日はおやつが必要な客のそれを厨房で確認し、操舵室へと向かっていた。

 すると通路を、グルグル巻きになった蓑虫(みのむし)みたいな格好で這(は)っている少年がいる。


「何をやっているのかな、マーコット君?」

「あ、ケイドトスさん。これっ、解(ほど)いてっ」

「解くのはいいのだが、どうしてそんなことに?」


 真琴は、腕を両脇につけた状態で布を巻かれ、その上から縄をぐるぐると巻かれていた。二の腕からふくらはぎまで。


「ひどいんだよっ。僕がちょっとマストをよじ登ってたからって、それができないようにってカイトが僕をグルグル巻きにしたんだっ。でもってカイトってばどっかに行っちゃったの」

「おやまあ」

「ひどくないっ? そのまま放置ってひどすぎるよねっ。僕をこんな目に遭わせといて、カイトってばどっかに遊びに行っちゃったんだよっ」

「うーん。だが、部屋で待っていれば戻ってきたんじゃないかな?」


 解いてあげようとした船長だったが、考え直してそこで手を止める。

 放置していったのではなく、きっとカイトは・・・。

 しかし真琴はツーンとそっぽを向いた。


「こうやって人を自分の好きにしようとしてもそうはならないってカイトも学ぶべきなんだよ。だから僕、脱走してきたの」

「大人しくそこは反省しておきなさい。誰だってそりゃ心配するだろう」


 船長は真琴をひょいっと両手で抱きかかえると歩きだした。


「僕、どこに連れてかれるの?」

「カイトさんのところだよ」

「やだっ。僕はカイトを反省させるって決めたのっ」


 ばたばたと身をくねらせて逃げようとする真琴だが、傍からみれば仲良いことで結構だなとしか言いようがない。

 食堂へ行けば、思った通りカイトがいて、驚いたような顔で船長と真琴を見てくる。


「やあ、カイトさん。放っていかれたってんで、拗ねてくねくねしながらお兄ちゃんを捜している子供を見つけましてね」

「マコト、お前なぁ。お前は部屋で大人しく待ってることもできんのか。目を離したらマストに登り、縛っておいたら脱走って何なんだよ、ホント」


 がっくりと片手で額を押さえるカイトに、真琴はツンと横を向いてみせた。


「こーゆーの、人権無視だと思う。大体カイトは人のこと、全然聞かないで横暴なんだよ」

「なーに、ナマ言ってんだ」


 ピンッと指先で真琴の額を弾くと、カイトは真琴を船長から受け取る。


「やーだー。どうして僕をこんな横暴カイトに渡すのさっ」

「どうもご迷惑をおかけしました」

「いやいや。そりゃマストに登られちゃ、二度とやらないようにとグルグル巻きにするのも当然でしょうな」

「ひどっ。ケイドトスさんまでカイトの味方すんのっ? ちゃんと僕、命綱だってつけてたよっ」

「やれやれ。そういう問題じゃないんだよ、マーコット君。君はもう少し愛されているという意味を考えた方がいい」


 肩を竦めると、船長は真琴の頭を撫でてから見回りを続けることにした。

 デッキに行けば、やはり船員から真琴がマストによじ登ったこと、真琴はどこに行ったのかと捜しに来たカイトがそれを見て蒼白になり、慌てて怒鳴りつけて下りてこさせたこと、そしてお説教されていたことを報告される。


「どうせ本当に叱られるって程でもなし、気にするな。放っておけばいい」

「そりゃ言えますね。マーコットちゃん相手じゃカイトさんも怒り続けてられるわけもない。だが本当にシルフさまさまですよ、船長」

「全くですよ。こりゃもしかしたら三分の二ぐらいの日程ですむかもしれませんや」

「そうだな」


 波が荒れることもなく、今回の船旅はかなり順調だ。


(だが、カイトさんが気づくのはいつなんだろう)


 どうやら染めていたらしく茶色い髪だったカイトだが、もう銀髪に戻っている。シルフのおかげで順調に船が進んでいるお礼にと、船長は自分の小さな浴室を二人に提供していた。

 カイトは、別にその必要はないと大浴場を使っているが、真琴は船長用の浴室を使っている。


(弟じゃなくて妹だってことも分かってない時点で、兄弟ではないことはバレバレなんだが)


 それでもきちんと乗船チケットを購入してくれているのだから問題はない。ついでに面白いから黙っていようと思う船長にとって、それはもう娯楽の一つだ。

 船長は一通り見回りを終えると、扉の陰から食堂を覗いてみた。


「ほら見ろ。多数決で決まりだ。お前が悪いってみんな言ってるだろうが」

「どうしてさっ。なんでみんな分かってくれないわけっ? 僕、木登りも得意なんだよっ」

「あっはっは、そりゃ誰だってカイトさんの味方をするさ」

「そうねぇ。ここは大人しく反省しときなさいな、マコちゃん」

「だな。なかなか可愛いぞ、蓑虫(みのむし)なのも」

「んもーっ。ひどいよっ、誰か解いてよっ」


 どうやらカイトと真琴の主張、どちらが正しいかの多数決を行っていたらしい。

 それでも真琴は、

「ほら、ちゃんと食べて大きくなれ」

「あぐ」

と、カイトにおやつのオレンジケーキを差し出されたらもぐもぐと食べていた。


(おやおや。さっきまで反省がどうこう、横暴がどうこう言っていたのはどうなったのかな)


 ぶーぶー文句を言っていても、大人しくカイトの膝に座って食べさせてもらっているのだから、そりゃ誰も真面目には取り合わないだろう。

 見てる方が恥ずかしいというか、関係ないのに照れてしまう。

 

(おお、そうだ。操舵室に交代時刻変更を伝えておかねば)


 そして操舵室で幾つかの報告を受け、指示を下してから今度は船倉へと向かおうとしていた船長は、部屋へ戻るらしいカイトと真琴を見かけた。

 どうやら縄は解いてもらったらしいが、それでも真琴はカイトの左腕に座る形でその首に抱きついている。細身だが、シルバータイガーだけあってカイトはかなり力持ちだ。


『危ないことしてごめんなさい』


 冷静になって考え直したのか、カイトの肩に顔を埋めて囁くように、呟くように、真琴が本当に小さな声でそれを伝えている。


『あまり心配かけるな』


 素直に謝れば、カイトも許さないわけがない。怒っているというよりも甘いだけの囁き声が聞こえてきて、船長の方が気恥かしくていたたまれなくなった。


『お前が怪我するのは二度と見たくない』

『今日、一緒にお昼寝してくれる?』

『ああ』


 犬も食わないのは、やはり彼が虎だからなのだろうか。

 そんなことを思う船長は、正直、砂を吐きたい気分だ。


(それのどこが弟だっ!)


 きっとそう思っているのは、自分だけではないだろう。





 

 いい時期にあたったのか、何なのか。

 思ったよりもかなり揺れは少なく、順調な船旅が続いていた。

 ハンモックを作ったのは、揺れが大きい時、それをダイレクトに感じてしまう寝台では船酔いしてかなり気持ち悪いことになるからだ。それこそ窓を開けてずっと海に向かって吐き続けることになる。

 ハンモックなら吊り下げられている状態なので、嵐など大きな揺れの時でもさほど体に負担はかからない。

 

(波も穏やかだし、寝台でも全く問題なかったか)


 それでも真琴は寝台よりもお気に入りらしい。たまにカイトと一緒のハンモックでも寝る。

 問題は一緒に寝たがるのは、いつもカイトに怒られた後だということだった。


(もしかして俺に甘えたら許してもらえるとか、そーゆー計算してるわけじゃねえだろな)


 勿論、真琴がそんなあざとい計算をしているとは考えたくない。

 けれども怒られた後に甘えて一緒に寝たがるのだ。


(もしかして俺の方が、マコトのいいように掌の上で転がされてんのか?)


 子育ての奥深さを考えこんでしまうカイトだ。


「どしたの、カイト?」

「ああ、いや、何でもない。そういえばマコト。お前、お兄さんから餞別でもらったっていう箱、部屋の隅に置きっ放しだろう。いいのか?」

「ああ、いいのいいの。だってイスマルクが渡してきたの、服とか小物ばっかりだったんだもん」


 しかも可愛らしいリボンつきとか、ひらひらしたワンピースドレスとか、そんなのばかりだ。レースたっぷりの下着を見た時には、それを指先で広げたまま目が泳いでしまった真琴だ。

 前々から思っていたのだが、イスマルクは自分達をどこかのお姫様だと勘違いしていないだろうか。


「服なら着ればいいだろう」


 自分の群れの子(マコト)にいくら兄でもそんなものを寄越してきたとはと不機嫌にもなるが、本来は真琴もまたその家族の群れの子(いちいん)だったのだと思えば、言い立てるのもみっともないことだと、カイトはその感情を自制した。

 人間は、親や兄姉が子供や弟妹の仕度を調えてあげるのも当たり前なのだから。

 両の指先を組んだ手を枕代わりにして寝台に寝転がっているカイトだが、その横で寄り添うようにして真琴もごろごろしている。

 甘えてひっつきたがるのはいつものことだが、最近はカイトの上よりも横でいることが多い。


「え、やだ。服ならカイトの買ってくれた方がいいよ。イスマルクの趣味ってゴージャスすぎてひらひらしすぎなんだもん。僕、動きやすいのが好きなんだ」

「・・・・・・そ、そうか」


 にやけそうになった顔を見られまいと、カイトは少し横を向いた。

 良くも悪くも素直な真琴だ。その言葉に嘘はないだろう。実際、至極当然のことを言ったとばかりに、カイトの反応を見ることもなく知恵の輪にトライし続けている。

 その言葉も素直すぎて時にぐさっとくることもあるが、言う時は本気だ。主張も言い分も感情次第でころころ変わるが、そこが可愛い。


(どうしてこの子はもう、こうなんだろな。家族として暮らしていた義兄より俺の方がいいって言われたら嬉しいに決まってるだろ。ああ、そうだよ。俺はこいつが可愛いんだよ)


 あまりに可愛すぎてそのまま食べたくなってくるぐらいだ。

 自分が真琴に用意してあげたのは、そこらで適当に買い求めた服ばかりだというのに。

 それでも自分が喜んでいるのを察せられてしまったら気恥ずかしいだけなので、カイトは真面目な表情を崩さずに話題を変えた。


「そういえば、お前、最近背が伸びてないか?」

「あ、うん。なんかちょっとそんな感じもしてる。カイトよりおっきくなるかなぁ」

「そいつはどうだろな」

「やっぱり背が高い方が色々楽しそうだよね」

「今の服が小さくなったら俺の服を使えばいいさ。けど、まだまだだな」


 この船でも服は売っていただろうかと、そんなことをカイトは考える。


「あっ」

「マコト?」


 不意に寝台から立ち上がった真琴にカイトが声をかけると、真琴はなんだか慌てたような顔になっていた。


「忘れてたっ。あのね、シルフ達にあとで行くねって約束してたのっ。デッキに行ってくる」

「マストには登るなよ。手すりにも座るなよ」

「はーいっ」


 バタバタと駆け出していく真琴は、いつでもつむじ風のようにクルクルと動き回っている。


(やれやれ。そうだな、船でも服が売られているようなら買ってやるか。成長期なのかもな)


 ズボンとかがきつくなっていくようなら少し緩めてやるかと、裁縫道具を探し始めたカイトは気づかなかった。

 通路へ駆け出していった真琴が、その通路の階段下で蹲(うずくま)っていたことに。


(体が痛いっ。骨だけじゃなくてあちこちがっ)


 自分の背が伸びてきていることは真琴も分かっていた。一気に体が成長しているのだ。そして自分の心がそれに反発するから苦しい。

 この潮風のせいなのか、黒髪も僅かに色が薄くなり始めている。


(やだっ、まだ大人になりたくないっ)


 カイトは言った。

 独り立ちするまでは一緒にいようと。それまではうちの子だと。

 だから大人になってしまえば真琴は捨てられてしまう。


(ならずっと子供でいい。私、何になっちゃうの? やだよ、優理、遥佳)


 それくらいなら、・・・ずっと今のままでいたいのに。




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