22 イスマルクと真琴はドレシアで再会した
酒場にはドラマがある。
「初心者歓迎、誰でもできるお仕事さっ。言われたらそのお酒をコップに入れるだけ。ね、簡単だろ? だーいじょーぶだいじょーぶ、誰だって恐る恐る始めてみるけど、すぐに『えっ、簡単じゃん』ってなっちゃうんだからさぁ」
みたいな、まさに軽いノリで、酒場のバーテンダーに引っぱりこまれたイスマルクだ。
(人それぞれに、飲みたい理由がある。人それぞれに、誰にも言えぬ苦悩がある)
神殿で信者達の悩みを聞いたり、その心に寄り添ったりするのとは違う時間に、イスマルクは人間の業を感じていた。
神殿にやってくる者は救いを求め、その悩みを口にする。しかし酒場にやってくる者は救いなど拒絶して、その悩みを酒で胃の中へと流し込むのだ。
(そうだな。口にすれば救われて悩みが全て解決するというのなら誰も苦労はしない。辛さを抱えて生きていくのが人だ)
ふらりとやってきて酒を飲み、雑談の中に自分の辛さを忍ばせて。
それはとても短い時間だ。けれどもその僅かな時間に人生が集約されている。
イスマルクが、酒場とは人生だという結論に到達するまでさほどの時はかからなかった。
酒を注文し、飲んで出ていく。その一連の行動の中に密度の濃い何かがある。
『そうだな。女を忘れられる酒をくれ』
『かしこまりました。では、この辛口ドライを』
――― それは女の甘やかさや優しさを排除したビールだ。イスマルクは汚れ一つない大ジョッキにぎりぎりの位置までそれを注いだ。
「分かってんな、兄ちゃん」
「恐れ入ります」
辛口の酒を好む男は、人生の苦みを知っている。
『故郷のママンを思い出せる酒を』
『かしこまりました。では、ミルクのウォッカ割りを。ウォッカは抜きで』
――― その客は、
「フッ、お袋の味を思い出すぜ」
と、言ってそれを大事そうに口に含んだ。
その客の保護者は、「ミルクのウォッカ割り、ミルクは抜きで」を飲んでへべれけになっていた。
『借金取りから逃げられる酒を』
『かしこまりました。では、「腎臓」という名のカクテルを』
――― 「それっ、どーゆー意味っ!? どーゆー意味だよぉっ!?」みたいな言葉は聞かぬフリをした。
酒場のカウンターでは、聞いたこともすぐに忘れることのできる才能が必須だと、イスマルクは学んだ。
『明日、ここに女の子を連れてくる。彼女が、飲んだらすぐに酔っ払うのを用意しておいてくれ。あ、口当たりはよく、下心を感じさせねえようにしといてくれよ』
『かしこまりました』
――― 常連の中でも口説き上手な男に、その席の横に座ってもらうよう頼んでおいた。連れてこられた彼女は、その男の甘い言葉にすっかり身も心も溶かされてしまったようだ。
「なんであっちの男にお持ち帰りされちまうんだよぉっ」
「かなり酔っておいででございましたね(口説き文句に)」
顧客満足度は0%だが、依頼達成率は100%。
その客は、具体的な自分の下心までもきっちりと伝えなくては満足できる成果は受け取れないことを学んだ。
そこはとても小さな酒場だ。カウンターと幾つかのテーブルしかない。
そして今日は、甘えん坊な弟を持つという茶色い髪をした男に、二日酔いをしない酒をと要求されたイスマルクである。
酒の味はする、だけど酔いたいのに酔えないと評判の酒を出してみた。
酔いたい人間には不評だが、二日酔いしたくないなら最適だろう。
その客は、弟は酔っ払って寝ていると言っていたが、イスマルクが、もう目を覚ましているかもと言っただけで、急にそわそわし始めて帰っていった。
(本当は分かっているくせに素直じゃない。だからここに来たのだろうに)
長い航海の前だ。本当は今夜も、昨夜を共に過ごした女と約束をしていたのだろうに。
それでもなんとなく弟が不機嫌になるかもと思ってしまう気持ちが、今夜は彼を足踏みさせてしまったのか。
(弟か。俺には分からないが、きっと可愛いんだろうな)
今はもう思い出の中にしかいない大切な妹と、妹のように愛らしくて素直で世界で一番傷つきやすい双玉のような存在しかいないイスマルクには、弟というものが今一つ分からない。
けれども兄を独り占めしたくてわざと我が儘を言ってみせる行動は、何となく分かる。
思い返せば真琴もそういうところがあった。
(なんていうのか、あのきゅっと唇を引き結んで、それでも見上げてくるところが可愛いんだよな。なんかもう、「俺、とっても愛されてる? えーい、この甘えたくても素直になれない甘えん坊さんめっ」って気になっちゃうところが)
それについては、遥佳をとられたと思っていた真琴である。大きな目を潤ませて見上げていたのも、単に身長と攻撃が当たらない口惜しさが原因だ。
別に甘えてじゃれついていたわけではないのだが、イスマルクはそこらへんが大味だった。
(いやホント、神子様だと分かる前までは俺も男の子だと思いこんでたしなあ。だからじゃれついてくるのを思いっきり抱きしめまくってたんだけど)
何にせよ、ヴィゴラスの背中を使い、大車輪とか騒いではジャンプしていた真琴だ。本当は山でもあの程度の小さな崖や川なら自分で飛び越えたりできたのだろう。
なのに甘えて自分の手をぎゅっと握って歩いていたのだから、本当に可愛すぎる。
思い返せばそれでも迷惑にならない程度を見極めようとして、我が儘いっぱい元気いっぱいに見せかけながら、真琴はちゃんと自分を抑えようとしていた。
(だから甘やかしたくなっちゃうんだよな。ハールカとは違った意味で。なんであんなに違ったタイプで、それでいて最強に可愛い二人が存在しちゃうんだろう)
何があろうと遥佳を守ってみせると気を張っていた真琴も、そんな真琴を案じていた遥佳も。
どちらもまたこの世界で一番幸せな日々を送れるようにして差し上げねばと、そう思わずにはいられない。
――― チャリン、チャラン。
酒場のドアに取り付けられた鈴が小さな音を立てる。
「いらっしゃいませ」
イスマルクはそちらを向いて笑顔を向ける。だが、その笑顔はすぐに固まった。
入ってきた初めての客達は、次々とカウンターに腰を下ろした。
「そうですな。我らが満足できる一杯を」
「・・・かしこまりました。では、こちらの蒸留酒はいかがでしょう」
神官服を身につけた彼ら全員に、イスマルクは小さなグラスに注いだものを出す。
「ほう。これは他のとどう違うと?」
「まずは一口お飲みになってください」
自分が持っていた聖神殿の欠片はヴィゴラスにあげてしまい、さすがに寂しかったイスマルクである。
しかし第7神殿に行けば、同じぐらいに女神シアラスティネルの気配が濃厚であることに気づいた。聖神殿と同じように白く輝く第7神殿。
『え? 第7神殿も聖神殿と同じ感じになっちゃってるの? そういえば光ってるものね。じゃあイスマルクにはもっと大きなのを削ればいいわね』
それを知った遥佳が、イスマルクが最初に持っていた物よりもっと大きな欠片をと、第7神殿のそれを幾つか削って譲ってくれたのだ。
そしてこの酒場で働き始め、イスマルクはこういう酒で辛さをやり過ごさねばならない人にこそ、女神の救済は必要なのではないかと思い始めた。
――― この蒸留酒に、第7神殿の欠片を入れたらどうなるだろう。
それはちょっとした思いつきだった。
その酒を出したら、・・・喧嘩ばかりだった夫婦が、仲たがいした恋人達が、そして意地を張って物別れした友人達が、仲直りをし始めた。
その欠片入り蒸留酒の瓶だけは、いつも自分が泊まっている宿屋にも持ち帰るイスマルクだ。
「何故でしょうな。とても懐かしく優しい気持ちが思い起こされる」
「お気に召したなら何よりです。この酒瓶には聖神殿の欠片を入れておいたのです」
その言葉に目を瞠った神官達も、味わうようにして口に含む。
「ふむ。素晴らしい。味よりも香りよりも、人を、命を、世界を愛する気持ちに酩酊せずにはいられない」
「世界中に散らばったとは聞いておりましたが、こんな使い方があったとは」
「どうしてこのようなものを?」
「恐れ入ります。女神様の気配が残る聖神殿の欠片。思いつきで酒に漬けてみたところ、皆様、愛を心に呼び起こし始めたものですから。それからは愛を見失っている方に」
カウンターに座った客達は、満足そうにそのグラスを傾けた。
「どんな美酒よりも心に沁みる」
「そうですな。この後に酒など飲みたくもない」
「純粋な意味で、このお酒の価値をお分かりいただける方々だと思っております」
バーテンダーとは、客が満足するものを出すのが仕事である。
(酒場には、様々な客がやってくる)
イスマルクはそう思い、目を閉じた。
ここは港町、ドレシア。
様々な事情や飲みたい理由を抱える客達が訪れる酒場だ。
そして、・・・時には場違いな神官達も。
大陸間を移動する船だけあって、マジュネル行きの船はとても大きな帆船だった。
乗船しただけで真琴はもうわくわくだ。
「うわあ、大っきいー。あの帆だけで動くのっ?」
「いや、動力もある筈だ。風の力も利用するって奴さ」
「それでもあんなに大きいんだねー」
「ああ。いいか、マコト。船員の邪魔にならんよう、お前はゆっくり探検しとけ。どうせなら港を離れるまで、甲板でドレシアを眺めとくといい」
「えっ。カイト、どっか行っちゃうのっ。僕も行くっ」
「言っておくが貸出品の確保だぞ。人気商品を値下げしたワゴンセール状態だぞ」
「・・・やっぱり僕、大人しく探検してる」
「当たり前だ。お前じゃ跳ね飛ばされちまう」
ぽんぽんと真琴の頭を撫でたかと思うと、カイトは素早くどこかへ行ってしまう。
すると近くにいたチケット確認係の船員が声をかけてきた。
「そんな小っこいんだ。行かない方がいいぜ、小さなお客さん。たしか人間並みの体力しかないんだろ?」
「僕のこと、もう知ってるの?」
「ああ。食事量の問題でね。チケット売り場での情報はちゃんと船に伝わってんだ。野菜多めに食べる種族とか、肉多めに食べる種族とか、色々あるからな。それでも船じゃ野菜もあまり出せないんだが」
「そーなんだ。貸出品の確保ってなあに?」
客のチケットと名簿リストを確認し、この舷梯から密航してくる者がいないかどうかを見張っているだけなので、船員も愛想よく教えてくれる。
「船室で使う物の貸出さ。こういう船に乗る客は魔物や獣人が多いだろ? だから部屋で使う水差しや食器にしても、本体になった時に使いやすいタイプはそれぞれ違うんだ。本体が大きな客は、ベッドを延長する板とかも必要になる。だから早目に使いたい物を確保した方がいいのさ」
「へー。だからワゴンセール戦争なんだ」
「数そのものは余裕みてるから、船が出港してからでも十分だけどね。船に乗り慣れてるお客さんは真っ先に向かうよ。大抵はのんびりしていて使う時になってから借りにくる」
「そっかぁ。暗黙のルールって奴だね。通だけが知るって感じで」
「はは。さあ、探検はいつでもできるからデッキへ行くといい。身を乗り出さないように気をつけてな。しばらくは陸地ともお別れだ」
「うん、そうする」
既に全員乗りこんだから後は出発するだけだと、船員は教えてくれた。
今は最終確認に入っているらしい。
真琴が甲板に向かえば、あちこちにいる船員達が、手すりから身を乗り出しすぎないようにと、注意してくる。話しかければ色々と教えてくれた。
(カイトってやっぱり獣人らしくないみたいだよね。最初に貸出品確保する人って魔物が多いって、船員さんも言ってたし)
何でもルーズな獣人は、足りなかったら人に借りればいいといった感覚らしい。そして返すのを忘れるそうだ。
カイトは乗船前の船着き場で客を迎えに出ていた船長や乗組員達に、
「この子はほとんど人間に近い能力しかないんです。普通の獣人の子とは違うので、危ないことをしないよう気をつけてやっておいてください」
と、まず頼んだ。
(そこで人間の船長さん達に、獣人じゃなくて人間じゃないかと疑われるカイトって何なんだろう。普通の獣人は子供が海に落ちてから慌てるもので、先に手すりから身を乗り出さないよう気をつけてやってくれと頼む獣人はいないとか言われてたけど)
海に落ちてから慌てても手遅れじゃないのかと真琴は思うが、どうやら獣人の子供は落ちそうになってもしぶとく這い上がってくるらしい。
たまに遊ばせてやろうと、子供のお腹に縄を括りつけて海へ放りこもうとする獣人の親がいるから、そういう時は船員達も止めるのに大変だそうだ。
『いいか、マコト。船に乗る前にこれだけは言っておく。どんなに可愛いって言われても菓子をもらうのはいいが、絶対に魔物や獣人にはついていくなよ?』
『今時、そんな言葉でついてく子供はいないよ。それに船の中で誘拐なんてする意味ないよね?』
『甘いな。いいか、自分の群れでかたまる獣人もいるが、気に入ったら勝手に自分ちの子にしてしまう獣人もいるんだ。悪気はねえから傷つけられることはないが、そうなったらなかなか手放してもらえん。俺は他人の船室の前で、頼むからお前を返してくれと、やり合うのは嫌だぞ。あいつら、一度自分ちの子にしちまったら返すとは限らねえんだからな』
『う。そっか、マジュネルの人ってつまり子供好きなんだね。愛情深いってゆーの?』
『そうだな。けど肝心の我が子はどっかに忘れてきたりもするんだ』
『ええっ。可哀想だよ、その子はどうなっちゃうの』
『他の奴が自分ちの子にするから大丈夫だ』
『そーゆー問題?』
かと思えば、自分ちの子以外は全く認めない種族もいるらしい。本当に訳が分からない。
なんだか常識が違う大陸だというのはよく分かった。
(これでこの国ともお別れなんだなぁ。あまり見てないけど)
周囲には、似たような感じでドレシアを見納めとばかりに見ている人々がいる。いや、人々というべきなのだろうか?
(乗る時は普通に人間しか見てないって思ったけど、なんで今はそうじゃないんだろう。みんな、本当の姿になっちゃってるの?)
頭が蛇だったり、等身大の鶏だったり、何だかとても変わった姿の存在が溢れている。のっしのっしと歩く深緑色の牛を見た時には珍しい色の牛なのか、それとも獣人の獣としての姿なのか、本気で迷った。
魔物や獣人なら、普通の獣と自分達の見分けはちゃんとつくらしいが、真琴にはよく分からない。
(優理、遥佳。きっと色々な話を持って帰ってくるね。うん、既に話したいことがいっぱいだけど)
これから航海へと出る大きな帆船。
デッキの手すりでも、船尾部分は甲板が少し飛び出ているから落ちないだろうと、そこでなら手すりに座ってもいいよと言ってもらえた。
「大人しく座っていられるなんていい子だ。可愛い坊やにはこれをあげよう」
「ありがとう、小父さん。うわぁ、大きい」
頭に二つの角が生えている魔物の男性からは、大きなオレンジをもらってしまった。とても尖った爪で皮を剥いてくれたところも親切だ。
朝日に輝いている青い海に、それよりも暗い色の瞳をした神官を思い出す。
(イスマルク、私を捜してくれてるって、遥佳、言ってたよね。大丈夫なのかなぁ。イスマルク、かなり真面目だし)
最初は神官というだけで気に入らなかったけれど、今の真琴はイスマルクが本当に自分達を大事に思ってくれていることを知っている。
自分達の名前を知っても、わざとハールカ、マーコットと呼ぶことで本当の呼び捨てにはしないようにして、それでいて自分達が望むように対等っぽい話し方と態度を崩さないでいてくれた彼は、神官としてはきっとまずい行動をとっていたのだろう。
だから、仕方ないのかもしれない。
同じような少し癖のある黒い髪の神官を見て、イスマルクを思い出してしまうのも。
(あー、なんか本当にイスマルクに似てる。だけどあの神官、なんで一人であんな箱、抱えてんだろ。後ろの人達にも手伝ってもらえばいいのに)
そうそう、イスマルクも神官の格好をしたらあんな感じらしい。夜中、こっそりと死期が近い患者の部屋へその格好で枕元に立ちながら、そうして祈りの言葉を唱えていたそうだ。
遥佳から聞いて、治療院にあるイスマルクの部屋でその服を見てみたが、普通の神官が着ているずるずるした格好と違い、正装というのは金糸銀糸の刺繍が入った丁寧な仕立てのものだった。
(朝から何なのかなぁ。あんなにぞろぞろしてるところが、まさに神官一行って感じだよね)
そこではっと真琴は気づいた。
今、自分はギバティール中の神殿から指名手配されていなかっただろうか。いや、このドレシアまできたらもう大丈夫だろうと思っていたから油断していたが、もしかして・・・。
(やばっ、隠れなきゃっ)
人間、慌てると不自然な動きになる。
それを目の端で捉えてしまったのだろうか。二つの箱を抱えて歩いていた、イスマルクに似た黒髪の神官が左側にある大きな帆船へと視線を向ける。
(あれっ?)
デッキの手すりから下りようとしていた真琴は、そこで動きを止めた。
そして二つの箱を抱えていた黒髪の男も動きを止める。
「ああーっ、イスマルク!?」
「マ、マーコット!?」
「「なんでこんな所にっ」」
お互いに目を見開いてしまった二人だった。
酒場で提供した蒸留酒に対する満足度はともかくとして、自分に追跡の人間がつけられていたことを聞かされたイスマルクは、覚悟を決めるしかなかった。
そうなると自分は真琴の所へ行かない方がいい。自分を使って、ギバティ王国や大神殿は遥佳や真琴の居場所を突き止めようとしている。
(ならば、この荷物はハミト達に預かっておいてもらおう。いつか渡せることを願って。もしかしたらほとぼりが冷めた頃に、ハールカも治療院を訪れるかもしれない)
酒場へとやってきた第9神殿の神官達は自分に好意的だが、よりによって遥佳や真琴へのお土産を第9神殿に預けようものなら、どうなることか。
(駄目だ。この人達が大神殿に睨まれる。俺の仲間と思われたらどんな処罰を下されることか)
なのでイスマルクは、
「せめてこの荷物を送る手配だけさせていただけませんか。その後は近くにある神殿に出頭し、大神殿による裁きを待つ所存です」
と、頼みこんだ。
やってきた神官達もイスマルクの決意を感じたのか、そうですかと頷いた。
自らの体を清め、久しぶりに神官の服に着替える。
黒が基調のバーテンダーの服に慣れ親しみ過ぎて、白が基調のそれに戸惑ってしまいそうだ。
(ハールカ、マーコット。どうかいつまでも幸せに)
あのふざけた宝物ハンターなトリ犬しか頼れる存在がいないというのも業腹だが、それでもあの幻獣とて目を離したことで二人を襲った悲劇に罪悪感を覚えていない筈がない。きっと次はないだろう。
そういう意味では、どんな神官よりも信頼できる。あの第7神殿で過ごした時間、誰よりも自分達はあの二人を大切に想っていた。
(女神シアラスティネル様。・・・姫君方と過ごした日々、神官として一番輝いていた奇跡の時間でございました)
どうやら大神殿ではなく神子達の意思にこそ従いたいという神官と、大神殿に対してイスマルクを差し出そうという神官と、一枚岩ではない状態で駆けつけてきていた神官達だが、更にイスマルクの泊まっていた宿の周辺にはドリエータ城やギバティ王国に属する騎士や兵士達も待機しているらしい。
「王城に私の身柄を確保されるわけには参りません。どうぞ皆様、ご一緒に近くの神殿へ」
逃げる意思はないことを示す為、自分の荷物は全て神官に渡したイスマルクだ。
けれども箱の荷物持ちまではさせられない。
そうして先に運び屋の所へ行こうとしていたイスマルクは、なんとなく引っ掛かる気配を感じて高い位置にある甲板に目を向けた。
するとそこにいたのは、魔物からもらったオレンジを齧りながら慌てて手すりから下りようとしている真琴だった。
港町ドレシア。
そこで運命の再会を果たしたイスマルクと真琴だが、真琴の顔を見るのは初めての他の神官達だ。
どう見ても元気にオレンジを齧っていた様子に、イスマルクは小さく笑った。
「マーコット様、お怪我はっ?」
「平気―っ。あのねっ、痕も残ってないんだよっ」
「そうですか。良かった」
高さがあるばかりか、風の強い海沿いの町だ。本来は、大声でないとやりとりも聞こえにくい。
けれども真琴の周囲にいた風の妖精が二人の声を届けあう。
だが、てっきりギバティール方面にいると思いこんでいた真琴が、なぜドレシアにいるのか。
まずそこが疑問なイスマルクだが、痕も残っていないというのであればそれでいい。
問題は、だ。
「で、どうしてそこにいらっしゃるのですっ?」
さすがに周囲の目がありすぎる。ざっくばらんに話すこともできず、イスマルクもどうしたものか、だ。
イスマルクの背後にいる神官達も、ここで周囲の一般人に真琴の正体をばらすような真似になっては危険だと、「神子様」とは呼びかけられない。
「マ、マーコット様っ。この度は知らぬこととはいえ、あなた様を傷つけられることを阻止できませんでしたこと、どうかお許しくださいっ」
そこで第9神殿長以下、第8、10、11神殿に所属するそれぞれの神官達が揃って膝を折る。
げげっと逃げそうな体勢になる真琴だ。
「あのっ、マーコットッ、逃げないでくれっ。この方々はハールカを、いや、ハールカ様を助けるのにも力を貸してくれてっ、だからそういうのじゃなくてだなっ」
てっきりギバティールで自分を探し回っているという神官達だと思いこんでいた真琴だが、そのイスマルクの様子からどうやら違うようだと目をぱちくりさせる。
「えーっと、大神殿とやらのそれで僕を捕まえにきた人達じゃないの?」
「違うっ。どちらかというと大神殿ではなく、君達にこそとっ」
「・・・そうなんだ」
神官なんて信じられない。だけど、イスマルクの言葉なら信じられる。
だから真琴は、イスマルクの背後で自分に向かって膝をついている神官達に言った。
「あのねっ、そういうことしなくていいからっ。だから、僕じゃなくてもう二人の方を助けたげてっ。本当に僕達を大事に思うなら、・・・僕達の好きなようにさせてよっ」
年老いた第9神殿長を筆頭に、彼らが顔を上げて真琴を見上げる。
「好きなように、とは? 何をお望みでありましょう? 我ら、できうる限りの努力でそのお心のままに」
「普通に生きることだよっ。あなた達が思うような、閉じ込められて適当に祀り上げられる生活じゃなくてっ。そんなことよりさっさと立ち上がってよっ。すっごく目立ってるよっ」
真琴に言われて立ち上がった神官達だが、既にもう注目の的だ。
なぜなら女神シアラスティネルに仕える神官達が、一般庶民の少年に対して膝をついていたのだから。
「それよりマーコット様っ。そんな所に座ってたら危ないでしょうっ。今すぐ、そちらに迎えにっ」
「ああ、いいからっ。あのね、イスマルク。僕さ、ちょっと他の大陸に行ってくるねっ」
「はあっ!? 何を危険なっ。ならお供いたしますっ」
「だーいじょうぶっ。あのねっ、そしてね、僕、もっと大きくなってくるからっ」
「・・・いや、大きくなるって」
だけど成長はそろそろ止まるのではないだろうか。勿論、これからも成長するかもしれないから決めつけはよくない。
そう思いながらも、イスマルクとて大事な真琴のことだ。そこで、
「はい、そうですか。じゃあ大丈夫ですね」
などとは言えない。
「子供一人で大丈夫も何もないでしょうっ」
「大丈夫っ。ちゃんと保護者もいるしっ」
けれどもイスマルクを注視していたのは背後の神官だけではなかった。
周囲でイスマルク達の様子を窺っていた、つまり大神殿側の意向を受けることを選んだ神官達と、更にギバティ王国やドリエータ領に属する騎士や兵士達も慌てて近寄ってくる。
「どうぞ下船なさってくださいっ」
「危険ですっ。他の大陸になどっ」
「おいっ、あの船を止めろっ」
「止めようにもっ。もう錨は巻き上げられていますっ」
「ならば船の船員を呼び出せっ」
そんな慌てまくって大騒ぎしている様子に、船に乗っている魔物や獣人達も、真琴はどういう存在なのかと訝しがり始める。
てっきり獣人か半獣人の子供だろうと思っていたが、違うのだろうか。人間は、人間以外の種族を低く見る傾向がある。
「どうかっ、他大陸など危険でございますっ。おやめくださいっ」
「そうですっ。ジンネル大陸ならともかく、どうしてそんな危ない場所にっ」
そう喚き立てる神官や騎士達の声に、真琴はうるさそうに眉をしかめた。そしてそちらは無視する。
「あのね、イスマルク。心配しないで。僕は大丈夫だから」
「保護者というのは信用できるんでしょうねっ。お金はあるんですかっ?」
ここでこいつらに捕まるのとその見知らぬ存在とのどちらがマシかと、そう周囲を見回して考えてしまうイスマルクだ。
「うんっ。イスマルクぐらいに信用できるよっ。ハールカとヴィゴラスのお墨付きっ。あとねっ、お金も大丈夫っ。お母さんの指輪とかも持ってきたっ」
女神シアラスティネルの持っていたそれは、小さな指輪だけでも凄い金額になるシロモノだ。
「そうですか。なら安心ですね」
自分ぐらいに信用できるとは、最強の殺し文句だ。どこでそんな言い回しを覚えてきてくれたのやら。
苦笑しながらも、遥佳とヴィゴラスが納得しているというので、イスマルクはそこで安堵の吐息をついた。
そうしてその場に跪く。
「行ってらっしゃいませ。ご無事の航海をお祈り申し上げます」
周囲にいた神官達もイスマルクに倣って膝をついた。
「ええいっ。あなた方は何を引きとめもせずっ。どうぞマーコット様っ、おやめくださいませっ」
「そうですぞっ。なんと考えなしなっ」
「大体乗っているのを見れば魔物と獣人ばかりっ。つまりマジュネル大陸行きの船ということだろうっ」
「そんな危険な場所にどうしてみすみすあのお方をっ」
それこそ腹立ちまぎれにイスマルクを蹴った騎士達だったが、それを見ていた真琴が、
「やめてよっ」
と、叫ぶ。
「イスマルク、立ち上がってっ。そんなのに蹴られる為に膝なんてつくもんじゃないでしょっ。僕はイスマルクが蹴られるのなんて見たくないよっ」
「あなた様のお望みのままに」
更に蹴りつけようとした騎士の足を、さっと立ち上がったイスマルクは反対に蹴りつけた。
「うわあっ」
油断していた騎士は海に落ちる。イスマルクは戦うのは苦手だと言う割に、相手の隙を狙うのは上手なところがあった。
そうして真琴の姿を見上げる。
(安心なんてしていない。心配しないわけないだろう、マーコット。今からでもあの船を強引に止めて・・・。だが、それでは他の奴らまで乗りこんでしまう)
不安に揺れる蒼い瞳に、真琴もイスマルクの不安を感じ取ったのか。
「あのね、イスマルク。僕の名前ね、真実って意味と、五弦の楽器を示す意味があるんだよ」
「綺麗なお名前です」
「その楽器のね、五本の弦にこの世界の人間、魔物、獣人、妖精、幻獣を見立てて、そうしてそれらが奏でる世界こそが真実だって意味を持たせてるんだって。お母さんがそう話してくれたの」
その言葉にイスマルクだけではなく、他の神官達も驚いて目を見開く。何故なら真琴が母親と呼ぶ存在は、彼らにとって至上の存在だからだ。
その言葉を聞いていた船の魔物や獣人達も顔を上げた。
事情はよく分からないが、神官達とここまで騒ぎを繰り広げているこの男の子は、どうやら神殿でも大事な存在らしい。
何かと女神は人間だけをご寵愛してくださるのだと言いきるジンネル大陸にあって、よりによって神殿とかかわりの深そうな子供が、人間とそれ以外の知性ある生き物は全て同等なのだと言いきった事実に、我知らず感動が溢れた。
「だから見てくるねっ。どこに行っても世界は綺麗な音を奏でるんだよ。人間だけじゃなく、魔物だけじゃなく、獣人だけじゃなく、妖精だけじゃなく、そして幻獣だけじゃなく。どれも欠けることもなく存在してこそ、この世界の真実があるの。だからいつか、お土産に色々な話を持って帰ってくるねっ」
「お待ちしております、その日を」
――― たとえその日が来なかったとしても。
それでも約束してくれる姿が自分にとって永遠の宝物だから。
イスマルクは、真琴の姿を目に焼きつけようと目を凝らす。
ゆっくりと船は動き出していた。
はっと気づいて、イスマルクは持っていた箱を投げようとした。
「マーコット様っ。良かったらこれをっ」
思いっきり投げたそれだったが、僅かに届かないかと思うところで、風よりも素早い動きの大きな翼が通り過ぎてその箱を掴み、真琴の元へと届ける。
「ヴィゴラスッ」
「キュイッ」
「ありがとっ。見送りに来てくれたんだ? 遥佳をよろしくね」
「キュッ」
ほのぼのとしているそれらをよそに、周囲は大混乱に陥る。
「逃げろっ。グリフォンだっ」
「宝石を見るや否や襲ってくる凶悪幻獣だぁっ!」
「どうしてこんな所にっ」
「グリフォンだっ。宝の為なら船なんて平気で壊すぞっ」
しかしヴィゴラスは、
「なーに言ってんだろ。僕、普通の小鳥だよね?」
とばかりに、クルクルと咽喉の奥で可愛い鳴き声を立て、真琴の頭に頬ずりしてから飛び去ろうとする。
「ヴィゴラス、これも持っていってくれっ。ハールカにっ」
その言葉に、スーイッと流れるような動きでイスマルクが持っていたもう一つの箱を前脚で掴んだヴィゴラスは、船へ接近する為に騎士や兵士達が乗っていた小舟を、ついでに後ろ脚で蹴りつけて転覆させていった。
「うわぁっ」
「助けてくれぇっ」
「溺れるっ」
そうしてドレシアでも一番高い位置にある灯台の屋根の上に舞い降りたヴィゴラスは、真琴の出立を誰にも邪魔させる気はないと言わんばかりに陣取る。
それを確認し、イスマルクは微笑んだ。
「女神シアラスティネル様が祝福を授けてくださった全ての人間、魔物、獣人、妖精、幻獣が、あなた様の奏でる日々に恥じぬ美しいものでありますよう、我ら神官一同、祈ってやみません」
船上にいた魔物と獣人が驚いて、イスマルク達を見下ろす。
神官が人間以外の種族をも言祝ぐなどという珍事を、まさか目にすることがあるとは。
「またね、イスマルク。そしてお爺さん達もっ。ハールカを助けてくれて有り難うっ」
その言葉に、第9神殿長以下、イスマルクと共にいた神官達が頭を下げた。
大神殿に従うつもりだった神官達も、ばらばらと駆けつけてその場に跪く。
そう、たとえまだ少年にしか見えない子供でも。
女神の心をその名に宿した存在が、どうして神殿内の権力闘争などに頓着するというのか。そんな小さなものではなく、女神の神子は世界の生き物全てを見つめているだけなのに。
どんどんと離れていく船を見送りながら、第9神殿長が呟いた。
「本当にお可愛らしいお方でしたな。ハールカ様とそっくりでいらっしゃるが、それでいて全く違っておられた」
滅多に姿を見せなかった女神シアラスティネルが、神官達にあれこれと命じた記録はない。
それでも自分の名にこめられた女神の思いをここで話してくれたのは、真琴からの神官イスマルクに対するねぎらいだったのか。
神官として自分達は驕りすぎていなかっただろうか。女神の愛は、全ての生き物に向けられていたのに。
「はい。ですが出立前のひとときとはいえ、第9神殿長や皆様方をお引き合わせすることができてよかったです」
顔合わせだけなら、大神殿で第1等神官であるファミルイードともしている真琴だが、さすがのイスマルクもそんなことは分からない。
基本的に神官を避けていると分かっている真琴達だけに、好意的だった第9神殿の人々だけにでもその顔を見せてあげることができてよかったと、そう思った。
「お爺さんとは。神子様は可愛らしい呼び方をなさってくださった」
「それこそ親切なお爺ちゃんという気分におなりだったのでしょう。マーコット様はハールカ様を大切にしておいでですから。どうやらグリフォンと共に一度お会いになったようですし、お話を聞いていたのかもしれません」
「なんと恐れ多いこと。本当にどちらもなんて愛らしい姫君でいらしたことか」
それでも歓喜に第9神殿長達が涙を滲ませて俯く。
「ううっ、駆けつけて良かったですよねっ、神殿長っ。来て良かったですっ」
「痕も残ってないって、・・・本当に安心しましたっ」
「達って言われちゃいましたよっ。なんかもうっ、感動ですっ」
並み居る高位の神官達を差し置いて、こんな地方にある中位、下位の自分達が神子達に親切な人として認識されることがあろうとは。
反対に大神殿の命令に従おうとした神官達は、どこか気まずそうだった。
(ヴィゴラス、なんとしてでもハールカを守れよ)
船の上空を一度旋回して空の中へと消えていく幻獣を目の端に追いかけながら、イスマルクはそう心で呼びかけた。
肝心のヴィゴラスは、イスマルクの心を捜していた遥佳から、イスマルクが二人の為の買い物をしていたのを聞いている。だからこの箱を持って帰って遥佳を着飾らせようと、そんなことしか考えていなかった。
イスマルクと真琴が顔を合わせた今、これでイスマルクの無駄骨ということもない。だから安心して第7神殿で遥佳に綺麗な服と色々な宝石をつけて愛でることができる。
二人っきりで。
(素晴らしい。今、俺のグリフォン生は黄金色をしている)
そんなヴィゴラスの内心を知ることもなく、イスマルクは同じ顔をした全く違う二人の少女を心に思い浮かべた。
遥佳はグリフォンと共に姿を消し、真琴は人間では追跡しにくいマジュネル大陸へと旅立った。
おそらく大神殿は自分を決して許さないだろう。




